2009年02月10日

サッカレ バイロン

 ベルナール氏、ヴァンダ、オーギュスト。バルザックはここでディケンズの真似をしている。不器用にしている。
 ベルナール氏の娘への溺愛について、かくされた貧困について。

 当時のイギリス文学がバルザックに与えた影響。

サッカレ
ディケンズ(「現代史の裏面」)
バイロン(「皮」?)


        ブルターニュ

 木菟党をよむ。深く感動した。今日、ヨーロッパ地図の上で、人間の理性の地図の上で、ナチス侵入に総反撃を加えつつあるブルターニュのマーキの人々の活躍の価値を思い合わせて。
 木菟党は、大革命時代に王党の残党としてブルターニュに活躍した農民軍であった。バルザックは、デュマばりのこの歴史冒険小説を生彩をもってかいている。
 きょうのブルターニュのマーキの人々のひいじいさんや大伯父たちが、木菟党について知っており、又その子孫たちがこの物語をもっていることは、いいことだ。人民は、いかにおろかに祖国を愛したかについて学び、またいかに賢く祖国を愛し得るかについて学ぶこと。勇気のつかいみちについて学ぶことですね!

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2005年12月30日

奇妙な別離

「魂と魂との結合が完きものであったときには、この美しい感情の極致を傷けるいかなるものも致命的なのだ。悪党どもなら匕首を振った後に仲直りするような場合にも、愛する者同志は、ただ一瞥一語のためにも仲をたがえ取り返すべからざるに至る。こうした心情生活が、殆ど完璧の域にあったことの記憶の中に説明のつきかねることの往々ある離別の秘密がひそんでいるのだ。」
「銭金のことは、どんなことでも円く行くもの、しかし感情は情容赦を知らないものである。」

 バルザックがこれを知っていたことは面白い。そして私たちを深く考えさせる。金銭の利害が人を支配するということをあれだけテーマとしている彼が。それだけに又「幻滅」ダヴィドとエーヴ、ポンスのような人物を描いたのだとも云える。そして決定的な一つのことを語っている。あらゆる大芸術家の重大な資質の一つは善良さと純潔な人間性であるということについて。
「二世紀(十五・六世紀、ルネッサンス)というものは権力に抗う人々が『自由意志』の怪しげな主義を築くために費された。更に二世紀(十七・八世紀)というものは、自由意志の第一段の必然帰結たる信仰の自由の発達を促すために費された。我々の世紀(十九世紀)はその第二段の必然帰結たる国民権(リベルテ・ポリチック)(普選)を築こうと試みているのである。」
「一八四〇年(ルイ・フィリップ)のフランスとは如何なる国であろうか。」
「われわれにとって国家なんていうものは――」

 すべてが完成されたと云われるこの時代に、すべての名誉も何も金! 金! 金! そこで極端な辛辣さが知性にびまんした。節操を失った。
 ジャン・ジャック・ルソーを嘲弄し、サン・シモンをせせら笑う。何ものも信じない。幻滅を通った七月革命後のフランスの堕落とバルザック。こういう彼が現代において「秩序ある社会を希望する人々」としてカトリーヌをあげている。
 そういう社会をのぞみ、信義をもち得る社会を求める心からバルザックは反対党――共和党に対して王党となったのか。
 ユーゴー(一八〇二―一八八五)は共和党であった。(一八四六年頃)そしてナポレオン三世の帝政布告に抗し二十年間亡命、一八七〇年普仏戦争による帝政崩壊後かえる。「レ・ミゼラブル」は亡命中。
 バルザックとユーゴーとの大きい差は、ユーゴーは二つの対立物から更に一つを生み出す能力をもっていたが(ゴーヴァン)、バルザックは、二者のうち、そのいずれかといつも対立においてものを見た。そのために彼はその洞察の強烈さにかかわらず、いつもリアクショナルな立場にいることになっている。衷心の希望は人間的であるのにかかわらず

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2005年12月29日

  巨人の檻

 バルザックは、徹底的に、雄渾に、執拗に人間生活の関係を描く作家であった。大抵の才能ならば、その白熱と混沌との中で萎えてしまいそうなところを、踏みこたえ、掌握し、ときほぐし、描写しとおしたところに、この巨大で強壮な精神の価値がある。文学史上の一つの定説となっているバルザックの情熱の追求、――悪徳も亦情熱の権化として偉大なものたり得る――ことを描いたのも、人間と人間との間のエネルギーの最大の集中の形として、関係の中におかれたのであった。
 そのように、バルザックは飽くまで、関係を描く作家であったから、発端した関係をどこまでも進展させ、発展させるためには、作中の人物たちの性格を、発端において登場したままの本質で一貫させなければならなかった。
 リュシアンはどこまでもリュシアンでなくてはならず、ダヴィドはどこまでもダヴィドでなくてはならなかった。そういう人間の性格の確定の図どりの上に、はじめて、諸関係は益々紛糾し得るのであるし利害は益々錯雑し、近代そのものの複雑を示して展開する可能をもったのである。
 ディケンズはクリスマス・カロールの中で、主人公をクリスマスの晩に転心させ、俄(にわか)に慈悲の心にめざめさせた。それ故あの小説はそこで終らざるを得なかった。
 バルザックは、クリスマス・カロールに向って鼻の頭に立て皺をよせるに止ったろう。バルザックの人物を典型的という名でよぶ習慣が、いつか文学の世界に入って来ているが、私たち人間そのものの動きに立って、バルザックの文学における虚構の真実をふわけするならば、彼の人物たちは、典型というよりも寧ろ原型にちかい。
 利慾、狡猾、打算、すべて「名誉のうらには金がある」という王政復古時代の現実をなまなましく反映したバルザックの人物たちは、その旺盛な爪牙をといでつかみかかる対象を常に必要としたし、その関係が、バルザック流の情熱で純粋を保つためには――純粋にぺてんにかけ、純粋にぺてんにかかるためには――この世の狡猾の英雄に対してこの世ならぬ無邪気な魂を必要とした。それゆえバルザックの浄らかさは誇張されざるを得なかった。リアリストとしてのバルザックの偉大さと、その偉大なリアリストが無自覚のうちにわが身を一つの檻にとじこめていた微妙なモメントは、この点から今日の読者にときあかされる。
 そして、我々は沁々と考える。時代というものは何と大したものであるか、と。巨大なバルザックの精神は、利害の出発点として金と権力と名誉としか見なくて(「幻滅」において、バルザックはセ・アルテの高邁さやそのグループの人々の団結を友情のまじりけなさとしてしか把握しなかった)、階級の歴史的な対立の中に高貴な精神もこの世に存在するということは知らなかった。しかし彼の百分の一の天賦しかない一個の青年も、今日の歴史の中に生きているという事実によって、例えばエールリッヒが、ジフテリア血清の最初の注射のために闘った対立に高貴なものを感じとり、自分のうちなるささやかな善意に鼓舞をうけとるのである。


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2005年12月28日

 散文

バルザックの散文は強壮である。「幻滅」などの傑作においてはことにそれが感じられる。生活力があふれ、人生の現実に充ち各行が何かを語り、紛糾の深味が次々へと、新鮮な炭酸水のように活気横溢してみなぎっている。
 ヨーロッパ文学においてもバルザックの散文の強壮さは失われた。大戦後は散文は神経腺のようなものになり、さもなければ破産的なものに細分された。
 アランの散文に対する誤った理解はよくそれを語っている。
 日本の近代文学において、散文はどんな伝統に立っているだろうか。
 そういう見地から見ると、漱石の散文は秋声の「あらくれ」「黴」などからみるとずっと、弱い。志賀直哉の散文はよくやかれた瓦できっちりとふかれた屋根屋根の起伏の美しき眺望のように見るものの心にうつるたしかさをもっている。が、生活の中からせり出して来る生々しい建造物の規模はもっていない。
 散文家として比較すれば、鴎外の方が漱石より雄勁である。漱石のよわさは、しかし彼の稟性の低さに由来するものではない。既に自然主義にはおさまれず、さりとて自身の伝統によって内田魯庵の唱導したような文学の方向にも向えず、新しい方向に向いつつ顫動していた敏感な精神の姿である。芥川の散文は教養のよせ木であり脆さが痛々しいばかりである。
 最近十年間に登場した作家の多くが、散文から全く逸脱して小径を歩いているのも窮極は、精神の不如意と苦悩とによっている。故に壮健な散文家となる希望も、その苦悩そのものの火にしかないわけである。そしてこの苦悩の重圧は、人々をひしぐか鍛えるか二つに一つしか返事を出さない。
 ツワイクがドストイェフスキー論の中に言っているとおり、
「ワイルドがその中で鉱滓となってしまった熱の中でドストイェフスキーは輝く硬度宝石に形づくられた。」



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2005年12月27日

バルザックについてのノート

     バルザックの小説

 バルザックの世界において、性格は寧ろ単純である。強烈ではあるが、各々がタイプとして凝固されている。その性格の中にとじこめられている。むしろきゅうくつに存在している。主人公たちは自身で自分たちの性格を破る力を与えられていない。
 しかし、真におどろくべきことは、バルザックがこのむしろ単純な性格の人々が遭遇した社会的関係の紛糾を描き出している巨大な力量である。
 彼が大作家たる所以はここにある。
「幻滅」のリュシアンは、高く低く波瀾は大きいにしろ、性格としてはありふれて凡俗な才気と野心と浮薄さと意志しかもっていない。しかし彼を翻弄した上流人の生活詐術、十九世紀の金力と結びつき権力と結びついた新聞人の無良心的な関係、手形交換に際して行われる金融の魔術――アングレークにおけるプティクローがリュシアンに対してとる態度――を描くときバルザックは殆ど淋漓たる筆力を示している。
 彼が、関係を描破した作家であるということには、未来への示唆があり、この作家が文学上のモニュメントとなってしまわず常に生きかえる力をもっていることの証左である。
 何故なら、二十世紀後半の文学は、益々人間の集団と集団の関係を真実のテーマとする必然にあるから。



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2005年12月26日

斯くてバルザックは一八五〇年

ロシアのウクライナで二十年来交誼のあったハンスカ夫人と結婚し、パリに帰ったが、既にウクライナで病んでいた心臓病が重って、八月十八日、五十一歳の多岐にして矛盾に満ち、その矛盾において十九世紀初頭のフランス社会を反映したところの大生涯を終った。

〔一九三五年二月〕



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2005年12月25日

シルレルのエンゲルスの言葉に対する理解は

稍々(やや)皮相的に表現されていると感じられる点は次のような部分にも認められる。例えばバルザックの作品の現実について読み、観察をした者は、単にバルザックの主人公が何を、如何にしたかを理解するだけでなく、当然のこととして作者バルザックはその一篇の小説の主人公とその環境の描写を通して、何を如何に言わんとしているかということに迄触れて含味せざるを得ない。作品の実際では、何を、如何にということが二重になって切りはなせぬ相互関係において生きて来る。作品の具体的な場合について見ると、屡々この二重の何を如何にの間に或る矛盾がひき起されていて、或る作者の真骨頂をその芸術作品の具体性において捉えるためには、外でもないその二重に押し出されている何を如何にの間に在る矛盾の本質をこそ究明しなければならないという場合がある。シルレルが見落しているこの小さい、而も重大なる点が、バルザックの正しい理解のためには特に慎重にとりあげられなければなるまいと考える。何故ならば、バルザックは全作品の随処に自身の熱血的矛盾を吐露していて、主人公を簡単にはっきり捉え、何を如何にしたかという一筋の道行を挾雑物なしに描く場合は実に稀であった。描写の間に、或るところでは描写を押しつぶして作者の説明や演説が出て来て、それは主人公が何を如何にしたかということに絡んで引き出された全く作者バルザックの主観であり、独断であり、或は偏見や追随である場合が多かった。故に、バルザックの場合、文体の独特な混乱の性質、そこに現れている矛盾の社会性がつきつめられてこそ彼から汲取る教訓は無尽蔵なのであり、而もそれをなし得るのは、彼の同時代人テエヌではなくして、さらに発展した今日の唯物論の立場に立つもの、社会現象の領域にまで及ぼして「社会的環境が人間を創り、同時に人間が社会的環境をつくる」という相関関係を解きあかすことの出来る弁証法的唯物論の立場に立つ者、バルザックによって見てとられた未来の真の担い手に初めて与えられた歴史的な歓ばしき可能性であり、任務であると思われるのである。



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2005年12月24日

エンゲルスがマーガレット・ハークネス

送った手紙に「作者の見解如何にかかわらず」「政治的には正統王朝派で」あったにかかわらず、バルザックが「真の未来の担い手たちを見てとったこと」、それを「リアリズムの最大の勝利の一つであ」る、そしてバルザックこそ偉大なリアリスト芸術家であるとしていることは、誤りでない。しかしながら、歴史上権威ある人々の書簡には或る場合註釈が必要とされるように、現段階にたってエンゲルスのこの書簡が読まれるについては矢張り幾つかの短い脚註の必要がさけ難いと思われる。
 例えばエンゲルスは、この手紙において、バルザックが「真の未来の担い手を見てとったこと」までにしか触れていないのであるが、今日の世界の到達点に生活する我々の実践的な要求にとってはそれから先きのこと、即ち、バルザックが自身の力で見てとった真の未来の担い手に向って如何に結合して行ったかという、その現実の過程に迄立ち入って学ばなければならない。『マルクス・エンゲルスの芸術論』(岩波版)においてエフ・シルレルは精密な解註を附している。シルレルは、バルザックの芸術についてエンゲルスの言ったリアリズムとは、「資本主義的発展の内在的矛盾を――それが一般にブルジョア的創作方法に可能である限りにおいて、というのは、ブルジョア的リアリズムは究極において観念的なものになるからだ――解明するようなリアリズム」の問題であると、説明を加えている。これは妥当な註解であると思われる。然しながら、エンゲルスの手紙からの上記の引用を基礎として、エンゲルスは、「バルザックのリアリズムは革命的であると見ているのである」とやつぎ早に結論しているのは、理解に或る困難を引おこされる。ゾラのバルザック論その他に対し、芸術創作の過程における意識下的なものの力を過大視する評価のしかたに賛成を表さぬシルレルの態度は十分うなずけるが、その点を押し出そうとして、無条件に、バルザックが現実観察に際しては「分析的な、研究的な態度をもってその社会的現実の種々相を広汎に描いてい」るとだけ言い、しかも「デテールの真実さのほかに、『典型的な性格と典型的な情勢との表現の正確さ』がある」、正にエンゲルスが「人間は彼が何をしているかということだけで特徴づけられたのではない。更に彼がそれを如何になしているかということが大切なのだ」とラッサールへの手紙の中で言っている要求した通りにバルザックは主人公を書いたとだけ強調しているシルレルの言葉は、バルザックに対するエンゲルスの理解の正しさを裏うちしようとするあまり、却ってエンゲルスの批判にふくまれている複雑性をおおい、同時にバルザックの複雑な現実をも単純に片づける結果となっている。窮局において、バルザックは「いかなる場合にも全体としてはブルジョア・イデオローグであり、ブルジョア芸術家であった。」フランスの古い商業ブルジョアジーの社会観の支持者であったことをシルレルも認めているのであるから。


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2005年12月23日

バルザックには「理想主義がなかった

彼が偉大な作家であったに拘らず、当代の人々に完全に評価され得なかったのは、彼が精神的な指導者でなかったからである。」「彼は彼の時代を動かしていた社会主義運動を少しも理解しなかった。」そして、ブランデスは「次第に人々は彼が一定の明白な思想を持たない曖昧な人間に外ならないことに気付いた」と言っている。
 もしバルザックが、あの経済機構の看破の上に一歩進めて理想を持ち得たとしたら、それは当然の結果としてジョルジュ・サンドの理想主義のような形而上学的な性質のものではなかったろうことは明白ではなかろうか。遙に具体的で社会の現実を現実的に変更する力を備えた実践の方向、バルザックが四十七歳で「従妹ベット」を書いた年、既にブラッセルで連絡委員会を開いたマルクスが示していた歴史の発展の方向に、自身の道を発見するしか仕方がなかったであろう。
 然し彼は、その道からは恐怖をもって退いた。そして実は彼の敵であった階級の詐術にかかり、最後にはその安定を強化するための思想的代弁人の地位にさえずり込んだ悲劇の担い手としての不屈な姿を今日に示しているのである。
 しかもバルザックが遭遇したような歴史的めぐり合わせは、資本主義による階級対立の社会が続いている今日においても、その特殊な内容をもって十分智的才能者の足を引かけ得る投繩となっている。バルザックが、十世紀の勃興する自然科学の新世界にふれて、自分から「自然科学者」であると名のりつつ、ジョフロア、サン・チェーレの生物学における種の認識を根拠として、社会と自然との類似を指摘し、「社会は人間をその生長すべく運命づけられた環境に従って作りあげる」と云う時、今日の知識人はバルザックが自然科学をよりどころとして却ってプラトーの奴隷搾取者としての社会観に似るところまで反動的に引戻ったことを直ちに理解する。然し、現代の高度な資本主義の社会観の発展と地球六分の一をしめる社会主義体制との摩擦は、自ら異った容貌で、新興勢力の裡にふくまれている強大な可能性を歪曲しつつあるのであるまいか。


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2005年12月22日

一八三〇年七月革命後、

常に蝙蝠(こうもり)傘をもって漫画に描かれた優柔不断のルイ・フィリップがブルジョアジーの傀儡(かいらい)君主として王位についた時、一層凡庸化し、銭勘定に終始する俗人共の世界に反抗して、ユーゴー、ド・ミッセ、デュマ、メリメ、ジョルジュ・サンドなどは、いずれもそれぞれの形で日々の現実から離脱しロマンチシズムの芸術にたてこもった。或るものは異国趣味の裡に、或るものは歴史小説の中に、ジョルジュ・サンドは彼女の穢れない女性の霊魂の描写の中に。法律学校を出たきりのバルザックばかりは、他の作家たちのようにそれにたよって現実から遁走するためのどんなギリシャ芸術の蘊蓄も古文書に対する教養も持合わせていず、天性の豊富な想像力が活躍するとなれば、それは必ず極く現実的な内容しか持てなかったという事実は、何と意味深い示唆であろう。成程バルザックは、沢山旅行をし、サルジニアや南部ロシアへまで出かけたこともあった。が、それはゴーチェが異国情緒を求めてスペインへ行ったのとはちがい、サルジニアに在る銀鉱で儲けようと思いついたからであったし、南露には後に結婚した彼の愛人ハンスカ夫人が三千人もの農奴のついたそこの領地へ行っていたからである。
 バルザックは、ユーゴオのようにギリシャ悲劇の教養を土台にして、その作品に美と獣性、淫蕩と清純な愛、我慾と献身という風な二元的な対位法を使い、ロマンティックな荘重さ、熱烈さ、高揚で、文体を整えることも出来なかった。バルザックはこれらの輝きある作家たちが、所謂現世の悪に穢されぬ崇高な本性を人間に見ようとしてそれを描こうとした、その人間の本性をさえ金に支配されずにはいられない現実をパリの場末町の散歩にまでも目撃せざるを得なかった。無財産で、しかも金が万事である世間を大きく渡ろうとする彼には金がいる、金をとるためには書かねばならない。書くとすれば、バルザックには一八三〇年代四〇年代のパリを中心として煮えたぎった生活経験しか有りよう筈がないではないか。
 テエヌは、バルザックが人類史を知らなかったから自分の生活した時代だけを特別憎悪すべきもののように思っていたと言っている。私達は、然し、そのことを又別様に考える。バルザックが、人類史を知らなかったこと、そのような本を積上げた祖父の大書庫などはないバルザの家に生れたことこそ、彼がその文学的成功においても、破綻においても、全く当時としてのリアリストたり得たことの基因であったと観るのである。


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