光をめざして

社会や身の回りのおこったこと、その他もろもろの出来事ついて折にふれて感じたことを投稿します。

日本共産党と「暴力革命」をめぐる根深い偏見について

第二次大戦後直後、ナチスドイツを軍事的に打ち破ったソ連の勝利により、ソ連の最高指導者であるスターリンの権威と世界の共産主義運動におけるその圧倒的存在感はいやがうえにも増大していった。

この頃、世界の革命運動、共産党の運動にたいする指導権はソ連共産党に属するとするスターリンの覇権主義的戦略は、いかなる自主的な動きも許容せずにソ連への絶対服従の体制を東ヨーロッパで確立したことを柱にヨーロッパ方面でその足場を固めつつあったが、大戦が終わった時点でアジア方面にはソ連はほとんどその足場を持っていなかった。
すなわち、ソ連はアジア方面では東欧のような支配権も、他国の運動に影響を行使できるような従属的な人脈も持っていなかったのである。

そこで、スターリンは中国革命に勝利した中国共産党を引き入れてアジア方面の革命運動、共産党の運動を分担させ、この副官との協力のもとにアジアの共産党への影響力を広げ、自分の覇権主義的な支配の網の目をアジア方面に伸ばしていくという戦略を採用した。

ここに中国にアジアの民族解放運動や共産党の運動の担当はやらせるが、あくまでスターリンが全体の司令官につき、中国共産党をとおしてアジア諸国に武装闘争を呼びかけながら自分の影響力を拡げていくというスターリン覇権主義のアジア戦略が開始されたのである。

それに日本でこたえたのが野坂参三であり、彼は中国共産党の根拠地である延安から戦後日本に帰国する際にスターリンに呼び出され、秘密裏にモスクワを訪問し、そこでソ連の情報機関につながる秘密の工作者になることを誓約して日本に帰ってきたのであった。

ソ連・中国仕込みの武装闘争方針を持ち込んだ徳田・野坂分派
そして1950年1月のいわゆるコミンフォルムによる日本共産党批判をきっかけに、野坂参三は当時の党の代表者であった徳田球一らに働きかけ、党中央のなかに自分たちの仲間だけを秘密裏に集めて分派をつくり、密かにソ連や中国との連絡体制をかためながら非公然体制への準備を始めた。

さらに、彼らは同年の6月にアメリカ占領軍が日本共産党の中央委員全員の公職追放という暴挙をくわえてきた際には、その機会を利用して中央委員会や政治局といった正規の党の機関をいっさい無視して、勝手に自分たちだけで非公然体制に移行したことで、党の分裂という事態さえ生み出す。

また、この直後に徳田と野坂は北京に亡命し、そこで「北京機関」という自分たちの分派の指導機関をつくってソ連・中国仕込みの武装闘争路線の日本国内への持ち込みを始めるが、この「北京機関」の実態はソ連の出先機関であり、スターリン列席のもとにモスクワで「北京機関」のメンバーも加わって会議をやったり、そこで「軍事方針」という名の武装闘争方針の文書を作るとかそういうことをさんざんおこなった。
images333

「暴力革命」と日本共産党について
日本共産党がコミンフォルムから批判を受け「日本の変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのは間違いだ」とするいわゆる「51年綱領」や、「我々は武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を1951年の「第5回全国協議会」で決定し、この方針にもとづいて全国的に騒擾事件などの破壊活動を繰り広げたという反共派の指摘は、他ならないこの時期の徳田・野坂分派による行動や会議のことを指す。

すなわち、反共派がこれこそが日本共産党の暴力的破壊活動だと指摘していることは、スターリンや中国の党の言いなりになって日本共産党を分裂させ、北京に拠点を構えた徳田・野坂分派が党大会の決定にそむいておこなった一連の極左冒険主義(武装闘争方針)による分派活動のことに他ならず、日本共産党の正規の機関(党大会や中央委員会総会など)が武装闘争や暴力革命などの方針を決めたことは一度もない。

また、現在の日本共産党がこの分派の跡継ぎであり、「暴力革命」の方針を持っているかのように言う反共派の主張は党の歴史を無視したものであり、強い表現であるが“いいがかり”であると筆者は理解をしている。
なお、この時期に党の分裂や徳田・野坂の分派活動に反対し、彼らが持ち込んだ武装闘争の方針に真っ向から反対した中心人物は故人となった当時の政治局員の宮本顕治氏に他ならず、干渉による党の分裂の問題に決着をつけて困難な党再建の仕事の中心となったのも宮本氏であった。

徳田・野坂分派による誤った武装闘争の方針は党に深刻な打撃を与え、1949年の総選挙での党への支持298万票が、53年の総選挙では65万票へと激減し、49年総選挙当時は36人を数えた党の衆議院議員も、52年の総選挙では1人もいなくなってしまう。
この間の党の分裂や分派による武装闘争の持ち込みに反対した宮本氏の一連の活動がなければ、日本共産党は国民からの信頼を決定的に失い、党組織は破壊され、反動勢力の弾圧とあいまって政治勢力としては壊滅してしまったかもしれない。

この点でたとえ世間での毀誉褒貶は多くとも、故宮本顕治氏を高く評価すべきであると筆者は考えている。

なお、これらの一連の出来事を「50年問題」という。

鳩山政権の「無駄洗い出し」、「事業仕分け」の実態とはなにか!

民主党には不況対策がない!
鳩山政権が2010年度予算の概算要求額が過去最大の95兆円となったことから、藤井財務大臣は「断固査定する」と予算規模の圧縮を宣言した。
概算要求とは各省庁が財務省に提出した予算原案のことを指すが、仙石行政刷新相は「92兆円ぐらいにおさめたい」と語って、事業仕分けや査定作業で3兆円以上削減する考えを示したという。

だが、筆者は鳩山政権がこれだけ景気が悪化しているなかで、なぜ歳出削減のことばかりを考えているのか理解しがたい。
最近の株価を見ても世界的に上昇機運が高まっているなかで、民主党政権成立後の日本株だけが上がらなくなっている。

いまではすっかり嫌われ者となり、負のイメージの代表になった自民党の麻生政権が2009年度に14兆円もの巨額な補正予算を組んで景気対策をおこなったが、このなかに選挙目当てのバラマキの典型である定額給付金や、自動車や家電などの輸出大企業がもっぱら潤うだけのエコポイント制など国民の不評を買うものが少なからず混じっていたために、麻生政権の景気対策はほとんど国民の間では評価されず、8月の総選挙でも自民党の大敗を食い止めることができなかった。

だが、ここにきて不評であったはずの麻生政権の景気対策が結果的に利いてきて、景気は少しずつではあるが上向いていたことが次第に明らかになっている。
しかし、これからは鳩山政権が景気対策のための補正予算を“執行停止”と称して3兆円削減したことや、景気対策を止めたこととが効いてきそうで先行きが不透明であり暗い。

さらに、国民の暮らしのことなどまるでわかっていない無責任なマスコミと二人三脚を組んだ鳩山政権は「事業仕分け」と称して、来年度予算の削減額を少しでも増やすことに熱中しているが、これだけ景気が悪いなかで歳出削減を強行し、強度のデフレ予算を編成すれば日本経済の再度の悪化の引き金を引くこととなるだけである。
images223


「事業仕分け」は自民党政治のしがらみを断ち切るものではないこと!

ところで、行政刷新会議(議長 鳩山首相)は“ムダ洗い出し”をかかげ「事業仕分け」と称し、インターネット中継も含む公開の場で来年度予算の査定作業をはじめたが、介護や保育など国民生活に関連した予算も対象とされ、民主党のマニフェストにある医療現場の崩壊を食い止めるための診療報酬の引き上げもたった一時間あまりの粗雑な論議で待ったをかけられてしまった。

このように行政刷新会議による“ムダの洗い出し”はよくよく注意して見ていかないと、自民党政治のしがらみを断ち切るどころか、国民の生活に大切な事業まで廃止とされてしまいかねない。

そして、行政刷新会議による「事業仕分け」の最大の問題点は5兆円規模にのぼる防衛費(軍事費)がその対象になっていないことにある
防衛省の守屋武昌前事務次官と軍需専門商社「山田洋行」元専務とのゴルフ接待などを通した癒着が表面化したことで、巨額な軍事予算をめぐる「政軍財」の利権構造の一角が明らかになったのは一昨年のことであった。
ここは行政刷新会議として「軍事機密」に守られた「政軍財」の利権構図にも断固としてメスを入れるべき絶好の機会であろうが、不思議なことにここだけは“アンタッチャブル”とされ「事業仕分け」の対象外である。

また、スーパー中枢港湾などゼネコンむけの大型公共事業や国民の税金を原資とした政党助成金も仕分けの対象には入っておらず、軍事費とならんで大型プロジェクトなども「聖域」とされ、鳩山政権にはメスを入れる意思がみられない。
さらに欧米では富裕層への増税による景気対策や社会保障のための財源作りが大きな流れとなっているが、鳩山政権には自公政権の負の遺産である特権的な大企業・大資産家優遇税制を見直す意思などはさらさらないようだ。

軍事費、大型プロジェクト、大金持ち・大企業優遇という「聖域」には触れず、国民生活に大事な事業には大ナタがふられ、そのうえで日本経済を再度どん底に落とし込む強度のデフレ予算を編成する。
ここに鳩山政治の全体像が見えてきたような気がする。



ところで、行政刷新会議による「事業仕分け」だが、「事業仕分け人」に民間有識者としてまぎれこんでいる面々には小泉「構造改革」の請負人だった御用学者や評論家らしき人々の顔ぶれが多数見受けられる。
これは、国民生活や景気対策などに必要な事業を民主党と財務省官僚、および小泉改革請負人らによる乱暴な公開裁判によって「仕分け」をして血祭りに上げようということなのか。

images224テレビニュースなど「事業仕分け」のヒアリングの有様を報道しているが、こんなおぞましい場面など見ると気色が悪くなるだけである。
誰かが「公開処刑」と表現されたそうだが当を得た表現ではある。

植草元教授の主張する普天間基地の変種の「県内たらいまわし」論を批判する!

植草元教授の主張は形を変えた基地の「県内たらいまわし」にすぎない
さて、あまた存在する政治ブログのなかでもっとも有名なもののひとつが植草一秀元教授による“植草一秀の「知られざる真実」”であるが、筆者は偶然にも同氏が最近の同ブログ記事のなかで普天間基地の問題をテーマに取り上げていることに目が留まった。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6cf7.html

植草氏は普天間基地の「代替」として、ジュゴンやサンゴ礁などの生息する辺野古沖を埋め立てて大型滑走路を建設する現行計画を変更し、大型滑走路の要らない単なるヘリコプター離着陸施設をキャンプシュワブ地区に建設する方向に変更すれば、かけがいのない自然を大型滑走路建設による破壊から守ることができると提案している。
そして、この方向で日米協議をおこない新たな合意を成立させるべきであると主張しているのであるが、植草氏のこの提案は形を変えた米軍基地の県内たらいまわしである点は旧来の計画となんら変わるものではない。

だが、危険きわまりない普天間基地は即時に閉鎖する、美しいサンゴとジュゴンの海である辺野古沖には基地はつくらせない、いかなる形でも基地の県内たらいまわしは許さない。これが沖縄県民の圧倒的多数の声であり、21000人の沖縄県民が11月8日に宜野湾市で開かれた「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」に参加し、普天基地返還と県内に新しい基地をつくらせない固くて強い意思を改めて示したことがそのことを雄弁に照明している。

鳩山首相は選挙期間中に普天間基地は「県外・国外」に移設すると明言しており、公約を守り、沖縄県民の圧倒的多数の声を代弁して本腰を入れた交渉を米国とおこなうことこそ沖縄県民や国民の声に沿った正しい選択肢である。

それゆえ、植草氏の主張するようにキャンプシュワブ地区に大型滑走路を伴わないヘリコプター離着陸施設を建設する方向で新たな計画を描きなおすことに、この問題の解決の方向を求めるべきではなく、これは形を変えた基地の県内たらいまわし以外何者でもない。

植草元教授は小泉首相在任中に小泉・竹中「構造改革」路線を真正面から批判した在野の気骨ある超一流のエコノミストではあるが、普天間基地の問題に関する氏の提案は県外移設や国外移設の選択肢を排除したものであり、民主党支持ブログの筆頭である植草氏の立場から見ても論旨が一貫していないことは明白である。

植草元教授の主張する外交の継続性について!
さて、普天間基地をめぐって、新基地建設推進派が唱える推進理由のなかでもっとも有力なものが「外交の継続性を重視すべきだ」という主張であり、自民党政権が合意してしまった名護市辺野古沖での新基地建設計画をふくんだ日米政府間合意を挙げ、外交の継続性を根拠に政権交代しても国際約束は変えてはならないという。
ところが、植草元教授は氏のブログの中で新基地建設推進派の唱えるこの主張に一定の理解を示しながらこう述べている。

「外交は国と国の関係であるから「継続性」を重視する必要がある。政権交代が実現しても過去の外交交渉は消滅しない。明治時代には江戸末期に締結された不平等条約の改正が明治新政府の重い政策課題になった。
自民党政権がキャンプシュワブへの移転で米国と合意を成立させてしまった現実が存在する以上、この点を踏まえない訳にはいかない。」

これは、西欧列強の横暴がまかりとおっていた19世紀中葉の国際社会の現状と、対等・平等・主権尊重・内政不干渉の民主的諸原則が曲りなりにも確立した現代の国際社会をごっちゃにした粗雑な論法である。
現代の世界では国民世論を背景にした政権交代で政府間の合意を変更した例は少なくないのであり、政権交代の結果として外交面で政策を再検討すること自体は米国の当局者であっても否定することはできない。

2006年の大統領選挙で対米自立外交を掲げるコレア政権が誕生したエクアドルでは親米の旧政権が締結した米国との基地貸与協定を継続しない方針を米国に通告し、外交交渉の末に米軍の完全撤退が今年になって実現している。

また、1984年の総選挙で成立したニュージーランドの労働党政権は選挙公約にもとづき核兵器を搭載した米国の艦船や航空機の寄港・着陸を禁止した結果、同国と豪州および米国の三国間で締結した軍事同盟が機能停止におちいったが、同国はこの政策を貫き、現在にいたっても非核政策を堅持している。

だが、これら両者の事例にあっても米国との政府間合意を変更したことで米国との関係が悪化したとの事実はないし、選挙公約を実現することは民主国家にあっては当然のこととされている。
外交の継続性を過大に重視する植草元教授の論拠は現実の世界の動向から見ても成り立たないものではあるまいか。
images21


資本主義の全面的復活へとすすむ中国と不破哲三氏の中国理解

日本共産党の不破哲三社会科学研究所長が東京大学の学生を対象に「マルクスは生きている」と銘打った2回目のセミナーを開催したという。

テーマは「マルクスの眼で見た21世紀の日本と世界」だったそうであるが、ここで不破氏はここ500年間の米国、ドイツ、日本、中国の国内総生産の変化をグラフで掲示し、かって(500年前)1位であった中国が20世紀初頭に各国に抜かれたあとに、「社会主義市場経済」への路線に転換してから急速に世界の第2位に再浮上していった歴史的な経過をたどって、さらに中国が発展の軌道に乗って21世紀の世界により大きな影響力をおよぼす力となりつつあることを力説したという。

そして、ベトナムやキューバとともに中国を「社会主義を目標にしている発展途上の国」の段階にあり、21世紀の近未来のなかでこそ資本主義と社会主義の競争の本番の時代が到来するという見通しを語ったというのだ。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-11-07/2009110701_02_1.html

ところで「社会主義市場経済」といわれる路線に中国が転換して以来、中国が急速な経済成長をとげていることは事実だが、このことが市場経済を社会主義への前進のために上手に活用し、中国での社会主義が力強く前進しつつあることを証明するものかどうかは検討を要する。

「社会主義市場経済」なる中国の現状とは
市場経済を社会主義への道を切り開くために上手に利用するためには、労働者階級が主人公となった国家が工業や鉄道などの重要な部門を握ったうえで、さらに外国貿易を独占して経済過程をきちんとコントロールできるかが重要なキーポイントとなってくる。
言い換えれば労働者の国家が市場経済をコントロールできるかどうかが決定的に重要なファクターとなってくるのであり、この条件がなかったら資本主義の全面的な復活へと道を開きかねない大きな落とし穴が待っているのである。

それでは、中国の社会の現状はどうかというと、かって全生産に占める国営企業の割合が8割を超えていた中国経済であったが、現在はその割合が3割弱に低下してしまったという。
中国の「高度経済成長」の原動力となったのは主には外国からの外資であり、また国内の私的資本であるということはまぎれもない現実であり、中国社会では資本の社会的な支配力が以前にも増して急速に強まっている。

だが、外国企業など資本の社会的支配の強まりに対抗すべき労働者階級のたたかいの現状に眼をむけると、国家によって労働組合の結成は禁止され、資本の支配と闘う労働者たちのたたかいは弾圧の対象にすらなっている。
ここには賃金の未払いや大規模なリストラにたいする中国での労働者のたたかいは共産党政府の弾圧を覚悟した非合法で命がけのものとならざるをえない現実がある。

また、市場経済を社会主義への前進のために上手に利用するためには労働者階級の国家による外国貿易の独占もまた必要であるが、現在の中国には国家による貿易の独占どころか外国からの何の制約もない自由な参入の可能な証券市場や金融市場が形成されており、それが巨大な規模にまで成長している。
また、自由貿易を促進するための国際機関であるWTOに中国が加盟してからは、以前にもまして外国資本の中国への自由な流入は促進され、労働者階級の国家による貿易の独占などはすでに影も形もない。

このように “自由”な活動が国家によってお墨付きを与えられた私的資本の支配がますます強まりつつあるというのが中国社会の実相であり、労働者階級の国家が市場経済をコントロールする方向からますます遠ざかっているのである。
また、強まる資本の支配に抵抗する労働者のたたかいを弾圧しているのが他ならぬ共産党国家であることはブラックユーモアというしかない。

不破氏の「社会主義観」とはなにか?
このような実態を踏まえると中国の自称する「社会主義市場経済」なるものは全面的な資本主義の復活にきわめて近いものであり、中国を「社会主義を目指す国」と規定した不破哲三氏の「社会主義観」はまったく理解しがたい。
ましてや、資本主義の全面復活へと道を急ぎつつある中国を社会主義の“エース”として褒め称え、これからが社会主義と資本主義の対決の本番だと言い放つ不破氏の「社会主義観」にはとてもついていけない。

資本主義の全面復活がいよいよ本格化した近未来の中国での「社会主義」とは何か。
そこには中国共産党の一党支配しか残っておらず、それは資本主義世界に完全に吸収され巨大資本の支配する中国経済のことでしかない。
不破氏の「理論的研鑽」の意義は認めるが、机の前で頭をひねって考えだした理論によって現実を裁断するのではなく、事実に基づいて、物事の真相・真理を求めながら、あらゆる思い込みや先入観を持たず真実を求めようとする姿勢、すなわち「実事求是」の精神を不破氏には望みたいところである。

そして、このような「社会主義観」をもとにして不破氏の語る「未来社会」論では本当に貧困や恐慌などを乗り越え、すべての人間が自分の能力を発揮できる未来社会を切り開くことができるかどうかはなはだ疑問である。

普天間基地問題は民主党中心の新政権の“チェンジ”が本物かどうかの重大な試金石だ。

1995年の米海兵隊員による沖縄での少女暴行事件をきっかけに「基地のない沖縄」を求める沖縄県民の声が爆発し、安保体制の存続の危機を感じた日米両政府が96年の4月に沖縄基地問題の象徴であった普天間基地の全面返還を発表した。
だが、いつのまにか同年の12月の「日米合意」で沖縄県内に「代替基地」を作ることが普天間基地返還の条件とされて、辺野古に新基地を作らないと返還しないことになってしまう。

これが今日の普天間基地問題の発端となった出来事であり、いわゆる「県内たらいまわし」と呼ばれるものだが、名護市の辺野古沖に海兵隊の最新鋭基地を建設し、基地の「県内たらいまわし」で普天間基地の問題の解決を図ろうとした米両国政府のもくろみは13年たった現在でも、辺野古沖に杭一本すら打たせなかった地元県民のたたかいによって破綻寸前の状態にまで追い込まれている。

そこに普天間基地の「県外移設・国外移設」を選挙公約とした鳩山政権が誕生し、この問題をめぐる新しい局面が開かれようとした矢先に米国の政府高官がやってきて旧政権時代どおりの計画実施を恫喝的態度で要求したところ、外務大臣や防衛大臣がこうべを垂れ、自党の選挙公約や連立政権の合意に反して「県内たらいまわし」容認へと転じてしまう。
さらに情けないことにはこの事態に対して鳩山首相はいっこうに明確な態度を示すことができない。

これが普天間基地問題をめぐる最新の情勢であり、日本国内では米国の応援団もどきの大マスコミや旧政権勢力を中心に「日米合意」を反故にすれば日米関係が険悪になり危うくなるとの言説が巾を利かせている。

images151

普天間基地問題は無条件の撤去しか“選択肢”がないこと
だが、12年前の新基地建設をめぐる名護市の住民投票では「基地は要らない」の圧倒的多数の住民の意思が示され、その後のあらゆる世論調査でも新基地建設反対が7〜8割を占め、最近では沖縄県議会で新基地建設反対の決議が可決されている。
また、「嘉手納基地への統合」という案が検討されているが、これは過去にも浮んできては住民の激しい反発で拒絶されてきたシロモノであり、沖縄の民意を最大限に尊重すれば移設なしの普天間基地無条件撤去の結論しかない。

なにより軍事的に見ても沖縄および日本に米国の海兵隊は必要なく、海兵隊は米国の他国への干渉と侵略のための“殴りこみ部隊”であり日本の防衛とはまったく無縁の存在であって、日本がいわゆる「思いやり予算」で駐留経費を肩代わりしているから居座り続けようとしているにすぎない。
日本政府はいわゆる「思いやり予算」で、米兵用の住宅から戦闘機の格納庫にいたるまで何でもつくってきているが、「ムダの削減」を言うなら条約上の根拠も義務もない「思いやり予算」こそ真っ先に見直しの対象とすべきであろう。

また、自民党や大マスコミが主張する「この問題で日米関係は悪くなる」という考えは事実と道理に反しており、イラク戦争に反対したドイツやフランスとの関係やクラーク空軍基地やスビック海軍基地という最大規模の基地の閉鎖を実行したフィリピン政府との関係をアメリカは切っていない。

米国独立革命の原点から沖縄の基地問題を見るべし!
ところで、米軍基地の問題を考えるにあたって思い起こすべきはイギリス軍の駐留に反対した植民地の叫びが米国の独立革命の原点であったことだ。
18世紀にフランスとの間で北米の覇権を競った7年戦争に勝利し、北米の支配権を獲得したイギリスは北米大陸にイギリス軍を駐留させ続け、そのうえに「お前たちを守ってやるから軍隊の駐留経費を払え」と一方的な植民地課税を押し付けてきたのである。

当時、北米の植民地からはイギリス本国の議会に代表を送っておらず、自分たちの代表が一人もいないところで一方的に決めた植民地課税の押し付けに反対した革命派は「代表なければ課税なし」と叫び、「平時における外国軍隊の駐留は人民の権利の侵害」を主張して独立戦争に立ち上がった。
そして、独立戦争に勝利した革命派は米国の建国を宣言したが、彼らの主張は独立宣言に盛り込まれ今もその生命力を放ち続けているのである。

米国建国の父たちが外国軍の駐留に反対して立ち上がったことが米国の独立革命の原点であったことを沖縄の基地問題に敷衍すれば、現在の米国政府の高官たちは“グウの音”も出ないのではないだろうか。
images222道理は「基地ノー」の立場に立つ沖縄県民や日本国民の側にあり、今こそ鳩山政権は腹をくくってトマス・ジェファーソンやジョージ・ワシントンにでもなったつもりで自主的な外交政策へと転換すべきときである。

この筆者の拙文を谷田川はじめ議員にも読んでいただきたいのだが!
読んでいただけるかな?

政治を変える要の問題に答えられない理念倒れの鳩山首相

友愛政治」、「人間のための経済」、「地域の絆(きずな)」、「架け橋としての日本

images23これらは鳩山首相が臨時国会の冒頭の所信表明演説にちりばめた数々の理念の一部であるが、首相はさらに「医療費や介護費をひたすら抑制してきたこれまでの方針を転換する」ことを明言し、「強いものだけが生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性を追求するという発想がもはや成り立たないことも明らかになった」と踏み込んだ発言をおこなった。

これらの発言には政治を変えたいというやむにやまれぬ国民の思いが込められており、この思いが現実政治を少しずつ動かし始めていることの証しともなっている。
だが、「いまこそ日本の歴史を変えるとの意気込みで政治を変える」との鳩山首相の意気込みとは裏腹に、旧自公政権からの転換にあたって最も肝心の「要」となるべき問題については、どのように変えていくのかについての具体的な方策を語っていない。

特に後期高齢者医療制度の廃止、労働者派遣法の抜本改正、沖縄の米軍新基地建設計画の撤回など国の基本的なあり方にかかわり、それだけに財界や米国といった妨害勢力の抵抗が最も激しい分野では民主党の選挙中のマニフェストからも明らかに後退した発言を繰り返している。

沖縄の米軍基地問題では新基地建設の白紙撤回しかない
沖縄米軍基地の問題で鳩山首相は選挙中に沖縄・普天間基地の「県外・国外移設」を表明していたにもかかわらず、所信表明演説では「真剣に取り組む」というだけで、在日米軍基地のあり方については「見直し」の文言さえも消えてしまった。

この問題での沖縄の民意ははっきりしており、過去には新基地建設をめぐる名護市の住民投票で「基地建設反対」が圧倒的多数を占め、また、直近の沖縄県議会選挙では新基地建設反対の議席が多数を占めている。
さらには、そこにダメを押すように今回の総選挙でも新基地を容認する議席はゼロとなった。
基地の「県内たらいまわし」はダメだというのが沖縄県民のこの間の一貫した意思表示でもあり、鳩山首相はこの痛切な県民の思いを背負って米国と堂々とわたり合うべきである。

鳩山首相は「後世の歴史家から『21世紀の最初の10年が過ぎようとしたあの時に、30年後、50年後の日本を見据えた改革が断行された』と評価されるような強く大きな志を持った政権を目指したい」と所信表明演説のなかで語っているが、ここで沖縄の米軍基地をめぐる米国の恫喝に屈服してこうべを垂れてしまったら、歴史的なチャンスを逃してしまい、逆に将来に重大な禍根を残すこととなってしまうだろう。
これでは自公政権の従属的な態度となんら変わるところがない

後期高齢者医療制度廃止は先送りし労働者派遣法の問題は避けた鳩山首相
また、多くの国民が廃止を求めている後期高齢者医療制度についても、新しい医療保険制度ができるまで廃止を先送りする姿勢が首相演説のなかにうかがえる。
だが、この制度については速やかな廃止が民意であり、ただちにもとの老人保険制度に戻したうえで新しい医療保険制度をじっくりと時間をかけて検討すべきである。

さらに首相は働くことの尊さを演説で述べたが、いま働くことの尊さを壊しているのが派遣労働に代表される「使い捨て労働」の問題であり、派遣労働を製造現場にまで全面的に解禁したことが非正規労働者を急増させ、最低賃金の水準の低さとあいまって大量のワーキングプアを生み出す元となった。

だが、首相のその長い演説のなかには労働者派遣法の抜本改正という言葉は一言もなく、「企業の国際競争力をそぐ」と財界が抵抗する派遣法改正という核心の問題を避けている。
これでは労働者派遣法の改正という民主党のマニフェストにも反し、国民の不安にもこたえることはできず、失業率と有効求人倍率が戦後最悪の水準となった現在、昨年以上の規模で「年越し派遣村」ができるとの危惧の声にもこたえられない。

鳩山政権の成立は今後の政治的激動の始まりか!
「政治を変える」および「歴史を変える」と繰り返した鳩山首相ではあるが、新政権として喫緊の課題であるこれらの問題については一番転換が求められるにもかかわらず答えを出すことができずにいる。
これらの問題の根本的な解決には日本社会を根本からゆがめている「財界中心」「米国言いなり」の政治を真正面から正す強い志が求められるだろうが、それには日本の政治が民主党中心の政権にとどまらずに、さらにもっと前に前進することが必要だ。

だが、国民が遅かれ早かれ自らの体験を通して認識を深めることで新しい政治を求める探求の時代はさらにすすんでいくだろうし、新しい激動の時代を迎える可能性が生まれていくだろう。

沖縄の基地問題や小沢氏流の「国会改革」について(鳩山政権への疑問符)

沖縄の基地問題をめぐる鳩山政権の立ち往生ぶりが最近目立っている。
旧政権が市街地のど真ん中にあって危険な在沖縄海兵隊の普天間基地に代わる新しい基地を同県の名護市の辺野古に建設することを含んだ日米合意(SACO合意)を取り交わして早くも13年が過ぎた。

images114しかし、この間の沖縄県民の基地「県内たらいまわし」反対の意思は強く、辺野古の地元住民による現地での昼夜を分かたぬ監視活動により新基地建設のための杭一本さえ打つことができず、辺野古での新基地建設の計画は一歩もすすんでいない。

この事態に米国政府高官のいらだちが昂じ、沖縄県民の基地反対の意思との板ばさみ状態に置かれた鳩山政権は対応を定めることできないで揺れているという。
だが、もともと沖縄の米軍基地は沖縄を占領した米軍が住民を強制収容所に入れ、農耕や住居に適した県民の広大な土地を軍用地として接収し、これを現在にいたるまで自らは一銭の地代も払わずに基地として使用してきたものに他ならない。

さらに戦後においても米軍は「土地収用令」を発して基地の拡張のために強制的な土地接収をおこなっている。
武器を持たずに必死に先祖伝来の自分の土地を守ろうと訴える住民に向かって米軍兵士は銃剣で脅し、ブルドーザーを使って家屋を押しつぶし、また耕作地を敷きならして米軍の囲い込む土地を接収したため、多くの県民は乞食となって流浪の生活を余儀なくされた。

また、長年にわたり日本政府が米国の国債(債権)を買い続けることをとおして膨大な軍事費などによる慢性的な米国の赤字家計を援けてきたことも忘れてはいけない。
「日米で合意したことは重い。新基地建設なしに兵員の縮小や土地の返還もない」とか「新しい基地を50メートルほど沖合いへ移動するくらいなら認めてあげますが、国外や沖縄県外への移設は絶対に認めません」などと高飛車な態度で米国政府高官が圧力をかけてきているが、日米関係の現状や広大な沖縄の米軍基地をめぐる歴史的経過を踏まえれば「そのわりには、おたくの態度デカ過ぎやしませんか」と言いたくなろうというものだ。

鳩山政権の関係者には「広大な米軍基地を抱える沖縄県民の負担を軽減してあげないと日本の国民世論が納得できませんよ」と米国に進言し、普天間基地の即時閉鎖・返還および新基地建設の白紙撤回をめざして本腰をすえて堂々と米国と交渉する胆力を求めたいものである。

小沢氏のいう「官僚答弁禁止」の持つ意味とは!
さて、鳩山政権の最高の実力者であり最高権力者である小沢一郎氏が「官僚答弁禁止」などを提唱し小沢流の「国会改革」の目玉にしようとしている。
かっては各省の局長などの高級官僚が「政府委員」として国会の各種委員会に大臣とともに出席して委員長の指名さえあれば大臣と同じように答弁をおこない、野党議員などの質問に大臣が「大事な問題だから事務方から答弁させます」と言って失笑を買っていたことは記憶に新しい。

だが、現行の制度でもすでに官僚答弁は禁止されており、1999年の国会審議活性法で官僚は「政府参考人」として国会が認める場合に限って出席して発言できることとされた。
今では質問する議員が要求し、なおかつ国会の委員会が認めなければ官僚答弁はできず、すでに官僚答弁は原則禁止されているのである。
あとは政策に精通した政治家を大臣に任命すれば官僚答弁は不要となり、あえて新たな法律で官僚答弁を禁止する理由も必要性もない。

もし、官僚による国会答弁をいっさい禁じてしまったら、防衛省の事務次官の接待問題や年金記録問題などの事件のたびに官僚を国会に呼んで官僚機構の問題点を国会が正すことができなくなり、憲法で保障された国会の持つ「行政監督権」や「国政調査権」を発揮するうえで大きな障害をつくることとなる。

小沢氏は「国会議員同士の議論」を活発化することを官僚答弁の禁止を持ち出す理由としているが、過去に小沢氏のとってきた態度を考えるとはなはだ説得力が乏しい。
99年の国会審議活性化法制定の際に「国会議員同士の議論」を目玉として導入されたものに党首討論の制度があるが、小沢氏は06年の4月から09年の5月まで民主党の党首を務めていたものの、党首討論への登場はわずか8回にすぎず、毎週開かれるはずの党首討論は小沢氏が民主党の党首であった期間にはめったにおこなわれていない。
このような小沢氏が「国会議員同士の議論」を理由として官僚答弁の禁止を言い出すとはなんとも説明がつかない行動である。

小沢氏をめぐる最近の「異常現象」について
また、長い選挙活動の結果ようやく議席を手にした自党の新人議員に向かって小沢氏が「次の選挙に向かって地盤固めを始めよ」と号令し、新人議員には国会と政府の仕事を与えないという新聞報道が一部にある。
せっかく有権者が一票を投じて国会に送り出した議員が国会に行かずに次の選挙のための選挙活動に励んでいるとはこんなに有権者をないがしろにした話はない。

images113さらに小沢氏は「政策決定の一元化」との理由で議員による議員立法を認めずこれを禁止するという通達を出したが、議員による自由な立法活動を禁止することは憲法違反であり、このような小沢氏の仕打ちに黙々と従っている民主党議員も民主党議員だが、小沢氏の独裁者ぶりは目にあまる。

谷田川議員をはじめ民主党の小沢チャイルドレンはなぜ小沢氏の議会政治をないがしろにする斯くのごとき振る舞いを黙認するのか!
谷田川議員をはじめ民主党議員諸氏の批判精神はどうなってしまったのか!

なお、沖縄の基地問題についての歴史は下記の沖縄県読谷村のHPがかなり詳しい。

http://heiwa.yomitan.jp/index.html

国民経済を「どん底」へと押しやろうとしている鳩山民主党政権

民主党政権発足前の榊原英資早大教授の提言と警告
さる9月のはじめに榊原英資早大教授が日本記者クラブの講演で、日本の経済は今年の年末から来年の初めにかけて「二番底」を打つ可能性があると述べていたという。
昨年秋のリーマンショックをきっかけにはじまった米国の金融危機を震源とする世界的な景気後退の大波が日本経済を直撃した記憶はまだ新しいところであるが、この榊原教授の発言はこの大波に続く景気後退の第2波がまもなくやってくる可能性を示唆したものであり、近く発足する鳩山政権に対して「そう遠くない時期、この一ヶ月くらいの内に景気対策を打つべきだ」と提言している。

そして、榊原教授は当時の麻生政権が実施したエコポイントやエコ減税などを継続し、民主党がかかげる「子ども手当て」や高速道路の無料化、ガソリン税の暫定税率の廃止などを景気対策としていちはやく実施すべきであると具体的に提言もしていたというのだ。

images105さらに、「予算の執行をとめれば経済が無茶苦茶になる。不況の時は国債を新規発行しなければ景気対策にならない。当面は財源問題に配慮せず、大胆な景気対策を打つことが大事だ」と、鳩山政権の発足する直前に民主党が表明していた予算の執行停止や組み換えによる財源確保にたいして、きわめて否定的な見解を表明し警告を発していたらしい。

だが、鳩山政権が発足し実際におこなったことは今年度の補正予算の見直しと執行停止であり、「ムダ根絶」の美名のもとに補正予算の中身を見直して予算を減額することであり、景気を支えるためにいまもっとも大事な内需拡大の努力にストップをかけたことであった。

ムダ削減」という誤りと民主党の「マニフェスト絶対主義」
鳩山政権は前内閣のもとで決定した補正予算をムダだと主張し、自らの任命した閣僚や副大臣にムダをあぶりださせ、予算を削減させた。
この結果、補正予算から削減した3兆円前後を今年使うことをやめて来年以降に先延ばしし、今ただちにおこなうべき内需拡大の努力を事実上放棄した。
「ムダの削減」という民主党のマニフェストのためには景気がさらに悪化しても事実上かまわぬという「マニフェスト絶対主義」により、日本経済の落ち込みはいっそう深刻化しようとしている。

また鳩山政権は来年度予算の規模が拡大し、税収の不足を国債の発行で賄う事態をさけるために超緊縮財政を強行しようとしているようだが、現在の景気悪化局面で財政赤字の増大を嫌って緊縮財政をおこなっても財政収支は良くならず、逆に景気が厳しい段階で緊縮財政を強行した過去のケースでは景気のさらなる悪化によって財政赤字をも急速に拡大させてしまった苦い経験を過去の橋本政権や小泉政権のもとで我々は味わっている。

いまの低迷する日本経済も個人消費や企業活動が冷え込んでいるもとでは、政府の財政活動が景気を下支えしていることは否定できない事実であり、補正予算を加えれば100兆円以上に拡大した麻生政権下での政府の財政支出が景気の現状を支えてきたといっても言い過ぎではない。

そこへ、鳩山政権が超緊縮財政の名目のもとに来年度の政府の財政支出をいっきょに90兆円以下の水準まで抑制してしまったら、10兆円以上の内需が消失して来年の4月以降の日本経済には強烈なデフレ圧力が生じ、「鳩山不況」とでも呼ぶべき不況のどん底に日本経済を導いて国民経済を破綻へと追い込んでいくことは避けられない。

images108また、補正予算を減額し内需拡大の努力を途中で止めたり、超緊縮財政の名目で来年度の予算規模をいっきょに圧縮し、経済の着実な改善を後回しにして「拙速」な財政収支の改善をはかろうとしている鳩山内閣をマスコミは「ムダ削減」内閣として賛美しているが、ここに鳩山政権がマスコミと一体となって国民経済を破綻へと導いてく構図が見え隠れしている。
どうやら民主党にはマクロ経済に対する視点がなく、経済政策の司令塔が存在しないらしい。

消費税の減税こそ最大の内需拡大であり景気対策である!
このように発足して一ヶ月あまりの鳩山民主党政権の問題点の一部が早くも露呈しだしたが、この局面で日本共産党は何をしているのかその存在感が見えない。
総選挙前に食料品にたいする消費税の非課税化を提案し、消費税の軽減によって国民の消費を直接刺激することによる景気対策を主張していた時期があったが、この主張はいつのまにか立ち消えになってしまったのだろうか。

雇用の破壊により不安定雇用の労働者が増え、年間を通して収入200万円以下という世帯に属する人々が1000万人を超えているが、これは人間らしい働き方のルールが壊されていることがその根底にある。
ここに雇用不安の根源があり、ここにメスを入れることこそ根本的な景気対策だが、これには時間がかかることは否定できず、また民主党は財界ときわめて親和的であり、この問題の根本的な解決を鳩山政権に求めることは「木にあって魚を求める」に等しい。

それならば勤労世帯の消費支出が長きにわたって減少し続けている昨今、消費税の減税こそがもっとも確かな内需の拡大であり、もっとも即効性のある緊急の景気対策となりえるはずである。
そして、この10年間にわたる大企業や大資産家にたいする特権的な減税措置を見直せば年間7兆円近い税収が確保できるはずであり、これを消費税減税の財源とすれば国債を増発することなく消費税の減税は実行可能となり、財政赤字の増大は防止可能だ。

もっとも、これだって基本的には消費税増税推進勢力である民主党政権に求めることは「木にあって魚を求める」に等しいことかもしれないが、それゆえに、いまこそ財界や民主党政権にきっちりとものが言える「建設的野党」の日本共産党が登場すべき場面なのである。

images111鳩山政権が誤った「マニフェスト絶対主義」で景気対策を投げ捨て国民経済を破綻の淵へと導こうとしている兆候が顕著な今こそ、日本共産党は真に国民の立場にたった景気対策である消費税の減税を日本中のいたるところで国民に訴えて“共産党ならではの風”を全国にふかすべきである。

筆者もまことに「九牛の一毛」であり「蟷螂の斧」に過ぎないが、この文面で消費税の減税を緊急の景気対策として鳩山民主党政権に要求する次第である。


崩壊した旧ソ連社会は社会主義社会であったか?(社会主義の事業の終焉?)その2

結論:旧ソ連は社会主義社会ではない
社会主義とはあらゆる抑圧や搾取、暴力からの人間の解放を目的としており、人民が主人公となる社会をめざす事業であるところに本来の存在意義がある。
だが、人民が農業でも工業でも経済の管理から閉め出されて抑圧の対象となった社会、それを数百万人といった囚人労働が支えている社会が本来の社会主義社会でないことはもちろん、資本主義社会から社会主義社会へと移行するにあたり、不可避的に避けられない“過渡的な社会”でもないことは明白であると筆者は考える。

images102このようにスターリンは社会主義とは無縁な社会への転落と逸脱の道につきすすみ、それをその後のフルシチョフやブレジネフ、ゴルバチョフなどといった歴代のソ連指導部が強制収容所の廃止や縮小といった一連の「緩和策」を講じたものの、スターリンの転落と逸脱の道に根本的なメスを入れることをせずに、そこから抜け出す努力を怠ってきたところに旧ソ連崩壊の根本の原因があったと筆者は考えている。

また旧ソ連は第二次大戦前後にバルト三国やポーランドの併合等といった領土拡張を公然とおこない、大戦後もチェコスロバキアへの軍事侵攻やアフガニスタンへの侵略戦争など覇権主義の害毒を撒き散らしながら国際社会に戦争の火種と緊張をもたらしてきたことなどを考え合わせると、ソ連の崩壊は長い目で見れば、世界中の社会主義や平和、進歩を目指す人々にとって、まさしく新しい世界と21世紀の社会主義の展開の可能性を開く端緒となる出来事となったのではと筆者は考える。

追伸
以下は今年度の国連総会での各国代表による一般討論でもっとも異彩を放ったベネズエラのチャベス大統領の演説であり、ここに21世紀の社会主義の萌芽を感じるのだが、同時にチャベス大統領は年々強権的な政治家へと変貌していることも事実として指摘しておかねば公正さに欠くこととなろう。

「いま地政学的な革命がすすんでいる。道徳的、精神的、包括的、そして不可欠の革命だ。
数世紀に渡る中南米カリブ海の無数の人々の苦しみを経て、世界はこの瞬間に到着した。この革命の結果、21世紀は社会主義の世紀となるだろう。
資本主義は変革を許さずに破滅へと進む道だ。故ケネデイは暗殺の数日前に、飢餓が南の革命の主な原因だと述べたが、彼は革命家ではなかったが知的であった。

おなじようにオバマ氏も知的であり、前日に彼が話したこのテーブルには、もう硝煙の匂いはなく、希望の香りがする。
いま進んでいる革命は、山中にいるゲリラからあらわれた革命ではなく、むしろ平和的であろうとする民主革命だ。
この世紀はわれわれの世紀であり、われわれ自身が道を切りひらく。だれもわれわれをとめられない。帝国主義は終わる。米国が核不拡散を追求するなら、自らの核兵器を破壊し、気候変動問題に取り組みたいなら言葉を行動に移さねばならない。

長い間だれもが、新しい世界秩序について耳にしてきた。新しい機構、新しい経済をもつ新しい枠組みが必要だ。その世界はもう生まれはじめている。」

images103

崩壊した旧ソ連社会は社会主義社会であったか?(社会主義の事業の終焉?)その1

旧ソ連や東欧の「社会主義諸国」の劇的な崩壊
1989年の夏に東ヨーロッパで政治的な激変がおこった。
同年の8月にはポーランドでソ連に従属した政権が倒れ、自主性を旗印にした「連帯」系のマゾビエツキ政権が誕生したことをきっかけに、11月には「ベルリンの壁」の崩壊、12月にはルーマニアのチャウシェスク政権の瓦解と続き、翌1990年には「社会主義諸国」の崩壊は東ヨーロッパの全域とバルト三国へと拡がっていった。

社会主義・共産主義は崩壊しつつある。資本主義か社会主義かの体制選択の勝負はついた」
当時はこのような宣伝が日本国内の反共政党や商業マスコミにととまらず世界中で洪水のようにあふれかえっていた。

だが、東欧ではじまった旧体制の解体現象は東ヨーロッパにとどまらず、1991年には「旧社会主義諸国」の宗主であり本家であるソ連を直撃し、同年の8月にはソ連共産党が党の解散へと追い込まれていく。
そして、間髪をおかずに共産党の解散からわずか半月後にはソ連国家そのものも連邦の解散を決定し、ここにおいて文字通り旧ソ連は解体してしまう。

アメリカを中心とした資本主義世界はソ連の崩壊を社会主義・共産主義の事業の崩壊と見立て、「資本主義が勝った」と勝利の凱歌をあげ、世界の社会進歩をめざす勢力の間にもソ連の崩壊を社会主義の事業の敗北と受け止め、その後の世界に対して悲観的な見通しに落ち込む傾向が全世界的な規模で生じた。
そして、この出来事から10数年が経過した現在にいたっても、なおこのような考え方が社会の隅々に根強く存在していることは否定すべくもない。

だが、あらためてふり返って見て、ソ連の崩壊という現象が果たして社会主義・共産主義の事業の崩壊であり、社会主義が歴史的に敗北したことを意味するのであろうか。筆者は大いに異論をいだいている。

社会主義とソ連社会の実相
社会主義とは一言でいえば「生産手段の社会化」を意味し、生産手段とは極端にアバウトな表現を使えば全産業における主要な生産設備のことであって、これらを「社会化」、すなわち大資本家から働く人民の手に移すことであり、これによって労働の搾取を廃止し、人民が社会生活の隅々にわたって経済の管理に参加することを通して社会の主人公となる世の中のことである。

だが、ロシア革命とソビエト政権の最初の指導者レーニンが逝去した後、1930年代にはいりスターリンの実行したことはこれに著しく逆行したものであった。
スターリンは農業の「集団化」という名目のもとに農民を強制的にコルホーズなどの集団農場へと追い立て、国内の移動や旅行の自由さへも奪われた農民は極端な隷属的な条件のもとに置かれたうえ、強制的な集団化に反抗する数百万の農民はシベリアその他への収容所へと追放された。

images101本来は農業分野での主人公であるべき農民が実生活の中で協同化のメリットを学び、彼らの自発性を尊重しながらの協同組合化こそが農業の社会主義化の王道であるが、スターリンはこの方針をいとも簡単に投げ捨ててしまった。

また、スターリンの時代には工業の面でも、経済管理への労働者や労働組合の参加はまったく顧みられなくなり、労働者は賃金や労働時間などの労働条件の問題について交渉する権利さえもが奪われ、人権を蹂躙する過酷な労働制度が強権的な手法によりソ連全土のあらゆる階層の労働者に強引に押し付けられていく。

たしかに当時のソ連にあって、形のうえでは生産手段の「国有化」や「集団化」が推し進められていくが、それらは生産手段を人民の手に移すことを意味しておらず、人民が社会の主人公となるどころか、逆に人民を経済の管理からしめだして、スターリンなどの専制的な指導部が経済の面でも全権限を握る専制主義と官僚主義の体制の完成をすすめる手段となったところに旧ソ連の特異性があり、スターリン治下のこれらの「国有化」や「集団化」はかえって旧ソ連社会の反人民的・反社会主義的な性格を強めていった。

そして、このようなスターリン型体制のきわめ付きは広範な囚人労働の存在である。
囚人たちの人的供給源は農村から追放された農民や政治囚、および大量弾圧の犠牲者などであり、強制収容所の囚人労働は毎年何百万という規模で、1930年代から50年代のフルシチョフによるスターリン批判前後にいたるまで続いたという。

そして、この強制労働の制度は零下50度というシベリアの極寒の条件での休日も休息もない長時間労働など、普通なら不可能な過酷な条件での労働の存在を可能にし、スターリンが誇った多くの巨大建造物や巨大工業群の建設の基盤となり人柱ともなっていった。

また、囚人労働の存在は当局から「社会主義の敵」や「スパイ」などの烙印を押されてしまえば誰もがそこへ転落するといった恐怖心で国民をしめつけ、旧ソ連での恐怖政治の社会的な支柱の役割を果たしたのである。

<<  2009年11月  
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
Profile
西岡三郎
千葉県銚子市に在住
<<  November,2009  
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
QRコード
QRコード
  • livedoor Readerに登録
  • RSS
  • livedoor Blog(ブログ)