光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2005年07月

障害者自立支援法案は自立阻害法案です。

私ことシゲルは抑うつによって職場の休職を余儀なくされていたときに、このような時でなければ経験できず、そしてまた少しでも、暗く重い心の状態に前向きの変化をもたらそうと考えて、知的障害者の授産施設への長期間のボランティアを自ら志願しておこなったことがある。

ボランティアにいった場所は、千葉県旭市にあるロザリオ聖母園という社会福祉法人が経営している「みんなの家」という知的障害者のための授産施設であった。
いろいろな境遇を抱えた障害者が、それぞれの作業にそれなりに懸命に打ち込んでいる有り様は初めて知る世界であった。このように頑張って生きている人たちがたくさんいることを、直接の体験を通して知ることは、ありきたりの通常の生活の時間の流れの中にいる者にはまずないだろう。

ところで、彼らほど努力の報われない人たちはいないと思う。私もともに体験したのであったが、彼らは賢明に労働するが、何しろ作業単価が1円でしかないダイレクトメールの封筒づめや、同じく作業単価が3円でしかないジャガイモのダンボール箱詰めといった仕事しかないのである。彼らはせいぜい一月で平均の工賃が一万円前後にしかならない。それに2級の障害者で月およそ7万円、また、1級の障害者で月におよそ10万円の基礎障害年金をこの工賃に加えたものが彼らの生活費の全てなのである。

また、彼らの中には知的障害者のグループホームに住み、家族から離れて何とか自立しようとして頑張っていた人たちもいた。経済的に苦しい中でたいへんな頑張り屋さんもいるのである。

このような今の知的障害者の現状を、恥ずかしながらも、この時にはじめて知ったのであった。しかし、彼らはまだ恵まれているほうだ。このような施設にも入れずに、家に引きこもっている自立不可能な障害者がたくさんいるという重たい別の現実も存在しているからだ。
障害者自立支援
ところが今度、怒るべきことに、必死に生きようとしているロザリオの障害者も含めた全ての障害者の方々に対し、障害者自立支援法という重荷が課せられることとなった。
この法律によるとグループホームや共同作業所など施設の運営に必要なコストの一割を、入居者や通所者の一人一人が負担することとなるという。
グループホームから共同作業所に通う障害者の場合など、今の19倍に施設の利用料が一挙に膨れ上がってしまうことになる。
これでは障害者の自立どころか生存権すら危うくなってしまうだろう。国は障害者の自立支援に責任を持ってもっと財政的な支援をおこなうべきであり、そうすればこのようなことはおこりえないはずである。

かって、バブルの時代の乱脈経営により多額の不良債権を抱え、国民に対しては、今でも貸し渋りや貸しはがしをおこなっている大銀行に公的資金が30兆円も投入されていることを考えるとなんとも割り切れない事態である。

これが小泉首相のいう痛みをともなった”構造改革”なるもののほんの一面での出来事なのでしょうか。
障害者の自立を決定的に阻害するこの法案には断固反対である

「平頂山事件」について思う。

1931年の9月18日に柳条湖における関東軍の謀略によって「満州事変」がひきおこされ、これを機に日本の侵略が中国東北部全体に広がっていく。
そして、関東軍の侵攻は短期間のうちに東北部全体を制圧し、早くも翌年の3月1日には傀儡国家「満州国」の建国を宣言するにいたった。

だが、この事件をきっかけに中国軍民の抗日闘機運はいっきょに高まり、東北部の人民の間にも「抗日民衆義勇軍」が組織され、彼らが柳条湖事件の一周年を期して日本の満州支配の象徴であった憮順炭鉱を襲撃するという事件がおこる。

関東軍首脳部は憮順炭鉱を襲撃した「抗日民衆自衛軍」が炭鉱襲撃前に付近の平頂山村を通過したにもかかわらず、住民からは何の通報もなかったことを理由に村の住民のすべてを「匪賊」と一方的に断定した。
そのうえで平頂山村にたいする住民討伐をおこなって住民の全員を虐殺して村を焼き尽くした。
これが平頂山事件とよばれる惨劇であり、関東軍の手による住民全員に対するジェノサイド事件に他ならなかった。

また、この住民虐殺はまれにみるおぞましいものであった。
関東軍は村を包囲して強制的に村民3,000人を一箇所に集めて機銃掃射によって皆殺しにし、さらに遺体をチェックして虫の息のあるものには銃剣でとどめをさした。
また、銃撃の翌日には住民殺害の証拠を隠滅するために死骸の山にガソリンをかけて焼却をおこない、さらには、村の上の山裾にダイナマイトをしかけ土砂によってて死体を埋めてしまった。

現在は事件現場の発掘がなされて「平頂山殉難同胞遺骨館」として保存されているが、訪れる人々はそこで累々と折り重なり、激しい苦悶の表情の残る人骨を目のあたりにする。

また、この事件は1971年に有名なジャーナリスト本多勝一の中国レポート「中国の旅」に取材掲載されたことで日本国内に初めて紹介されたが、残念ながら現在でもこの事件は加害国である日本ではほとんど知られていない。

筆者は思うのだが、小泉首相はあの戦争賛美神社である靖国神社に参拝するのではなく、この平頂山村の遺骨館を訪問すべきではなかろうか。
そして、この蛮行をこころから謝罪し、日本政府の資金で「平頂山犠牲者」の石碑を建立するのがよいだろう。
そうすれば、このことをきっかけとして中国政府も日本政府の対応に誠意と謝意を感じるだろうし、日本国民も中国侵略の実相を知り、歴史認識のギャップから生ずる軋轢と緊張に満ちた現在の両国関係が大きく変わる転機になるのではなかろうか。
殉難碑


横田夫婦発言「すでに覚悟はできている。」(早まらないでください)


横田夫婦が先日の参議院拉致問題特別委員会でこのような発言をされたという
ここでいうところの覚悟とは何だろう。それは、横田めぐみさんをはじめとした拉致被害者を取り戻すためには、北朝鮮に対する経済制裁だけが有効な方法であり、経済制裁への報復としてめぐみさんを含めた拉致被害者が犠牲になってもしかたがないということなのだろか。
私にはこのようにしか取れないのだが、これは二重の意味で誤っていると思う。
まず、拉致被害者の方々の命を何よりも大事にするという観点にたつべきである。そのうえで、ひとりの拉致被害者の命も失われることなく、この問題を解決するためには平和的交渉による方法しかないはずである。
そして、平和的な交渉による解決はその性質上、非常に長いスパンの上に立って取り組まないことには結果を実らすことができないのである。
とにかく、1人といえども拉致被害者の命が失われることなく、拉致問題を解決するためにはハッキリ言って、経済制裁はあまりにもリスクが大きい愚策のように思える。

そして、さらには、経済制裁がいわゆる圧力として北朝鮮という国家を変えていく手段にはなりえないということも御指摘したい。

わかりやすい話としてあの忌まわしい沖縄戦を思い出して見ましょう。このとき、沖縄周辺は米軍の制海権と制空権に取り囲まれており、日本の沖縄守備隊と沖縄の住民は情報が完全に遮断されていた。そして、いざ地上戦が始まった時に、追い詰められた日本軍人と沖縄住民は、沖縄の天然の地下壕ともいうべき”ガマ”というところに逃げ込んで、つぎつぎと集団自決を敢行していった。これは、軍による情報統制によって徹底された「アメリカ人は鬼畜だ。つかまったら殺される。」という誤った情報のために起こされた悲劇でありました。
しかし、例外もありました。それは”ガマ”に中に逃げ込んだ人々の中に、軍人軍属がおらず,その代わりにアメリカに出稼ぎにいった人たちがリーダーとなっていたグループでありました。彼らリーダーたちはアメリカをよく知っており、「アメリカ人は捕虜を殺さない」と事実と道理によって粘り強く住民たちを説得し、集団自決という悲劇を防いだのです。

かように状況を変えるものは、たとえ断片的なものであっても正しい情報なのであります。
北朝鮮問題においても同じことであります。北朝鮮という国家を変えていくのは正しい情報であり、これがあらゆる問題解決のキーとなりうると考えます。
そして。北朝鮮の情報統制を打ち破るには、まず国交を開いて、両国間の自由な経済交流と経済活動を勝ち取っていくことしかないでしょう。そうすることを通してのみ、モノの出入りとともに情報の出入が必ずそれにともなって起こってくるでしょう。

そして、「南朝鮮の人民は貧しくて、食うものも食えずにボロを着ている。」といまだに多数の北朝鮮の人々が信じている情報鎖国国家「北朝鮮」の風穴を開けることができます

さらには、外からの正しい情報が北に入っていくだけでなく、北の国内の情報も伝わりだすでしょう。このようなプロセスを通してのみ拉致被害者全員の安否や所在を把握することができると思います。

金死刑囚相手はかって1988年に韓国でオリンピックが開かれることを北の国民が知り、そのことを通して、南の経済的発展の事実が国民の間に広がることを恐れ、ソウルオリンピック開催阻止の目的で”大韓航空機爆破事件”という国家テロすら起こすほどに外からの正しい情報をなによりも恐れています。

まず、北朝鮮と国交を結び、自由な経済交流という扉をこじ開けなければ拉致問題ばかりでなく、北朝鮮の関わるあらゆる問題の解決の可能性は開かれないだろうと思います

拉致被害者がひとりも滅びることなく、いつかかならず日本の土を踏むためには”経済制裁の愚”は避けてください。私はそのように思います。

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daintyさん:ゾフィー・ショルをヒロインとした映画みられて良かったですね

daintyさんが何の予備知識をもたれずに「白バラ」抵抗運動を題材にしたドイツ映画を偶然ご覧になられたことは良かったと思います。
私は30年前に、この事実を岩波新書にあった古在由重氏の「思想とは何か」という書物の中で、そのエピソードともに知って以来、心の片隅で、この白バラの実態を深く知ろうと望んできました。
それが当時の資料を忠実に再現した秀逸な映画として来年見られるなんて、私にも良かったです。
振り返って日本にも、かっての侵略戦争の15年間に白バラと同じようにファシズムに抵抗をした有名・無名の闘士たちがたくさんいます。
しかし、彼らはいまだに一般の国民の意識の中で省みられることがありません。恥ずかしいことだと思います。daintyさんもいちど、山本宣治という人、また野呂栄太郎という人、はたまた戸坂潤や伊藤千代子という方々をお調べくださればと思います。きっと日本の白バラがたくさん見つけられるでしょう。

daintyさんのブログはこちらです

yama sen


このレトロな写真の方が山本宣冶さんであります。戦前の合法的無産政党の労農党から、京都大学の先生の職を辞して立候補当選されましたが、治安維持法の最高刑を死刑までにする改悪に議会の中でただひとり反対したため、右翼のテロリストに惨殺されました。

白バラは訴える(ドイツ国民の良心の証)

1942年中頃から翌年はじめにかけてドイツのミュンヘンには反ヒトラーのビラを配布したり、また深夜に街中の壁という壁に反ナチスのスローガンを書き続けるなど、ナチスに対する抵抗運動を続けた大学生を中心としたグループが存在した。そして、このグループは「白バラ」と呼ばれたという。
だが、命がけの抵抗もむなしく彼らは治秘密警察であるゲシュタポに逮捕され、拷問による取調べと弁護人抜きの一方的な裁判により処刑されてしまった。
特にこの中の6人の中心的なメンバー(女性一人を含む)はギロチンというもっとも残忍なやり方によって処刑されたことは知られている。

彼らをめぐって敗戦後しばらくの期間は”祖国の裏切り者”との評価がなされたが、今ではドイツ人の良心の証”としてその評価も180度転換し、彼らの名を取った白バラ記念館も作られ、隣国ポーランドとの共同展示会や教師と生徒との交流の場としてさまざまに利用されているという。
なぜ、彼らへの評価がこのように180度転換したのか。
それは1960年代後半におけるナチスの犯罪を明るみにだす運動の高まりや、反ナチスのレジスタンスの闘士であった社会民主党のブラント氏が首相になったことが大きな転機となったことから始まっている。
しかし、決定的だったことは、米国レーガン大統領が両国の和解の証としてドイツ将兵の墓参をおこなった際に、それらの墓の中にナチスの親衛隊員の墓があったことであり、せっかくのレーガン氏の和解の墓参が戦犯の墓への墓参になってしまったことだ。
この問題は国民やユダヤ人団体の憤激を巻き起こし、その一方で「ナチスに対して立ち上がりたたかった抵抗者の記念碑や墓は何故ないのか」という歴史認識をめぐる大きな議論へと発展していった。
このような動きの中で、「白バラ」の生存者や家族、そして彼らを支持する政治家たちが集まり、基金を創設し、89年に記念館を建設したのである。
こうしてようやく「白バラ」の青年たちの抵抗運動に光が当てられ、歴史的に正当な評価が下される時代が到来したのであった。
また、ナチスの時代に彼らに下された不当な有罪判決は94年までは有効とされていたが、国会議員とも連携した市民の運動により、95年になってようやくナチスの時代の判決が無効とされて「白ばら」は名実共に復権した。

21世紀の現在、彼ら(白ばら)は歴史における勝利者として輝きを増している。
ところで翻って考えてみると、わが国において軍部ファシズムに抵抗し、たたかった幾多の有名・無名の抵抗者がこのような正当な評価を受けたことがあっただろうか。
白バラ


今後、白バラをテーマにした映画が公開されるという。

ドイツにおける戦後史(謝罪と和解:東方外交)

第二次大戦後におけるドイツの物質的及び精神的な状況は戦後の日本と比べても大差のない状況であったといえます。
すなわち、敗戦直後のドイツ国民が直面することとなったのは戦死者・行方不明者300万人以上の人的惨禍であり、主要都市の家屋の3分の2が連合軍の攻撃により破壊されてしまったという物質的惨禍でありました。

このような中でナチスの戦争犯罪を糾明しようという意思は国民の中にあってきわめて希薄であり、「ナチの戦争犯罪の糾明より今日のパンをくれ。」というのが国民一般の意識でありました。
また大戦中はドイツ国民の7%がナチスの党員であったためか、戦後のドイツ社会にあってもナチス支配の影響力は根強く残り、ナチスの影響力を多かれ少なかれ受けた人々が戦後も依然として社会の中で高い地歩を占め続けたのです。

しかし、このような時代も終焉を迎えます。
1960年代のドイツ社会ではアメリカのベトナム侵略戦争にドイツ政府が全面協力することに反対する運動が学生を中心として発展しましたが、そのなかで「父や祖父がナチスの時代に何をしたか、なぜナチスに抵抗しなかったのか。」という過去の責任を問う幅広い市民運動がおこりました。

さて、このような社会状況の中で有名な事件がおきます。
それは1968年に当時の与党のキリスト教民主同盟の党大会で当時の首相のキージンガーに対しある一人の女性が詰め寄り、「このナチめ!」と叫びながら平手打ちを食らわすという事件でありました。

この事件をきっかけとして、隠れた犯罪を明るみに出そうという機運がドイツ社会に高まり、恥ずべき過去に頬かむりして社会の中枢部にいる人々への批判の声が沸き起こります。
そして、その後にドイツの戦後史に劇的な変化が起こりました。

それは1968年の総選挙で元レジスタンスの闘士である社会民主党のブラント党首が首相に選出されたことであります。
ブラント首相はさっそく隣国のポーランドを訪問し、ワルシャワのユダヤ人ゲットーの犠牲者の碑の前にひざまずいて、祈りながら謝罪をしたのです。
元反ナチのレジスタンスの闘士がナチの犯罪にたいして謝罪をしたのでした。
また、謝罪と同時にポーランドとの相互不可侵や国境の現状維持を定めた条約の調印をおこなったのでした。

このことは旧東欧諸国や旧ソ連との和解の大きなきっかけとなり、ドイツが侵略した国々との信頼関係が発展し始めました。
そして、今ではこれらの一連の出来事は(東方外交)と呼ばれています。

現在のドイツはEUのなかでフランスと共にリーダーとなっており、周辺諸国との厚い信頼関係の中で欧州の政治的な中核となっています。
ところで日本の戦後史においては周辺諸国との真の和解がいまだに成立していません。
ドイツのこの戦後史は歴史認識の問題や首相の靖国参拝問題で周辺諸国との軋轢と緊張を絶えずかもし出している日本の現状とは好対象であります。
謝罪

拉致問題をめぐる”経済制裁論”について

朝鮮戦争今、「救う会」「拉致議連」の人々がメティアを発信源として、「北朝鮮に対する経済制裁を実行しろ。拉致問題に対する唯一の解決策はもはやこれしかない。」という主張をたいへんな勢いでキャンペーンなされていることは、皆さんがご存知のことであると思います。
しかし、ここでたちどまって、もう少しこの経済制裁論について冷静に分析をしてみたいと思います。
この経済制裁をもとめる運動の発信源をたとっでいきますと「現代コリア研究所」という団体に行き着きます。
この団体が、もともとは日本人拉致問題とは関係なく「北朝鮮打倒」を目的に設立された団体であり、この団体の代表が「救う会」会長の佐藤勝巳氏なのであります。
彼はすでに十数年前以上に「崩壊する北朝鮮」なる書を世に出し、金日成死去後の北朝鮮の崩壊を予言した人でありました。しかし、この予言はものの見事にはずれ、金日成死去後も北朝鮮は存続し続けているのが現実であることは、なんびとの目にも明白でありましょう。
このようなニセ予言者の言うことを信じ、安易に経済制裁などにふみきったら、拉致問題の解決はおろか、戦後補償と植民地支配の清算の問題、日本人妻帰国問題、ミサイル開発問題など山積みする日朝間の諸問題すべての解決の芽をつぶしてしまうこと必定とあいなることでしょう。
また、佐藤氏の発言録を見ると見過ごすことのできない驚くべき発言をしています。わが国が経済制裁にふみきることを想定したつぎのような発言です。「向こう(北朝鮮)は経済制裁を宣戦布告とみなし、必ずミサイルを撃ち込むこととなろう。その時には『日本は日米安保条約を発動して対応する。』と首相は明言すべきだ。戦争を恐れてはならない。」(朝日新聞2003年2.19)と語っています。
このように「救う会」代表の佐藤氏は驚くべき明確さにて、戦争を前提として経済制裁を主張しているのであります。今も、日米の支配層は北朝鮮を侵略する体制を着々と整備しつつあります。日本の有事法制もその一環でありましょう。
そして、経済制裁は軍事侵攻へと紙一重の差でつながっていきます。
ここに「救う会」とそれにつながる「拉致議連」の議員を始め、自民党内の「北朝鮮強硬派」、極右派議員たちが経済制裁を主張する本当の目的があります。
そして、これらの構図から考えてみると、「日本人拉致問題」は彼ら(北朝鮮強硬派)が経済制裁を持ち出すさいの”錦の御旗”として利用しているにすぎないことが事態の本質として浮かび上がってくるでしょう。そして、家族会の人々は拉致被害当事者としての感情と思いから、この事態の本質を見分けることができません。
もし、戦争になったら北朝鮮に生存している拉致被害者やその家族は米軍の攻撃によって死んでしまうかもしれないのにです。
ここに「日本人拉致問題」をめぐる今の時点での最大の欺瞞があるような気がしてなりません

再び拉致事件について(歴史をさかのっぼて)

いま北朝鮮による拉致事件が大きな政治問題・国際問題となっている。そして、いまこの問題は膠着状態となっており一歩も前進していない。
この問題がこのような膠着状態となってしまった大きな歴史的要素はありはしないか。このよう問題意識を持って調べてみたところ、それが存在したのである。
それは、1973年の8月8日の白昼に東京都内のホテルから、金大中前大統領(当時は独裁者朴大統領の最大の政敵で野党の大統領候補者であった)が何者かによって連れ去られ姿を消すという奇怪な事件(金大中氏拉致事件)である。
金大中氏本人は拉致から数日後に、目隠しをされたまま、ソウルの自宅に突然現れることとなったが、この拉致事件には当時の韓国の大統領直属の諜報機関である”KCIA”が関与していたとされている。
さらに、金大中氏が拉致されたホテルの現場には、当時の駐日韓国大使館一等書記官である金東雲の指紋という動かぬ証拠が残されていたのであった。しかしである。ここまで犯罪を立証する物証が発見されていたにもかかわらず、結局は日韓両国が政治的に妥協して、事件そのものをうやむやにしてしまったのである。いわゆる金大中拉致事件の「政治決着」である。
そして、この犯罪は実行犯の金東雲の個人的犯行とされ、拉致事件そのものも証拠不十分で金東雲本人も不起訴処分とされるにいたる。(まことに解せない思いを多くの人たちがしたものであったが。)
さて、この事件がおこったのは1973年であるが、奇妙なことに北朝鮮による拉致事件が頻発し始めるがこの事件から数年後のことなのである。
金大中拉致事件で日本政府は政治的圧力を加えさえすれば、拉致を黙認し見過ごすことを見た金正日は日本人拉致を本格化させたとみなすのが自然な解釈であろう。
金大中氏拉致事件の際に日本の司直が徹底的に捜査をおこない、事件の全容を解明していたとしたら金正日が拉致事件へと動き始めただろうか。
いまからでも遅くはないと思う。この金大中氏拉致事件の政治決着を見直し、事件の全容を解明すべきだと思う。そうすれば北朝鮮側が日本人拉致事件をうやむやなかたちでの政治決着へ持ちこもうとする際の「悪しき前例」としてこの事件を利用することを封ずることができる。
そして、北朝鮮による拉致事件の解明にもまわりまわって大きな寄与をすることとなろう

金大中氏拉致事件と北朝鮮による日本人拉致事件の関わりについてはこのWebサイトへ。

再び「家族会」について

ふたたび「拉致被害者家族会」のことについてコメントさせていただきます。
なぜなら、この「拉致被害者家族会」をめぐる状況に本当に危惧の念を持たざるを得ないからであります。
家族会の現状を見ていると、横田滋氏ほか数人の方たちによる報復的感情に満ち満ちた声高な発言がマスコミに頻繁に登場しているという現状がまずあります。
しかしその反面、あとの残りの拉致被害者やその家族は沈黙を守るか、はたまた、たまにマスコミに登場する時など、日本政府か、例の「救う会」の面々が作成したと思われるシナリオのようなセリフを政府管制下の記者会見で遠慮がちにのべるにとどまるという現状が一方にあります。
総体として見ると、報復主義的な感情を日本国中に巨大メディアを通して、発信し続けている「家族会」という社会的な構図が浮かび上がってきます。そしてこれは客観的には偏狭なナショナリズムを広めることになるのです
「家族会」の方たちに声を大にして言いたい。
今の日本の政治状況を冷静になって考えてみてください。
世界第2位の軍事費大国、有事法制の不気味な整備、インド洋やイラクへの自衛隊の海外派兵、憲法9条の戦力不保持の規定を葬ろうとする動き、戦争神社たる靖国神社への公然たる首相参拝、自衛隊派兵反対のビラを配る市民運動の活動家を違法に逮捕し、表現の自由を公然とふみにじりはじめた警察権力の動向などなど、日本はいま、軍事大国化の完成に向かって怒涛の勢いですすんでいるのです。
この流れにストップをかけるか、あるいはこの流れに加担するかが、いま一人一人に鋭く問われているのが今の私たちをめぐる状況なのであります。
はっきりいいますが、間違っても個人的な感情や狭量な見識で日本の進路を誤り導いてほしくないと思うのです。
たんなる個人的な報復感情の発露で拉致問題が解決できるのでしょうか。答えは断じて否であります。理性的で粘り強い対話と交渉のみが問題の扉をこじ開けます。これは時間がかかりますが、この道しかありません。
さらに言えば家族会の方々に軍事大国化を勧める日本の闇の勢力の手中のコマとしての役割を果たしてもらいたくありません。北朝鮮による拉致という被害をこうむった方々によって、軍事大国化への歯車が回っていくという大きな悲痛と矛盾に満ちた悲劇をこれ以上見たくありません。

軍事大国

拉致の問題に関して(とくに家族会の方々について)

北朝鮮による拉致問題というと、あの「ブルーリボンの祈り」で有名な横田早紀江さんを思い出すが、この方の所属する「拉致被害者家族会」が日本政府に経済制裁の発動を求める声明を昨年の11月に発表している。だが、待ってほしい。
私としてはこの声明には大きな疑問を抱かざるを得ない。家族会の方々の感情論としては、遅々としてすすまない拉致問題の解決に業を煮やしてのことであろうし、私がその立場だったら共鳴するであろう。
しかし、本当に経済制裁が問題のカギをこじ開けるのだろうか。いくつか疑問点を挙げてみたい。

1、経済制裁で苦しめられるのは権力者ではなく一般民衆である。あの湾岸戦争を起点にはじめられたイラクへの経済制裁を見ればわかるが、イラクでは経済制裁による医薬品の極端な欠乏によって、数知れない子供たちの命が失われているのである。
この状況は今ではさらにひどくなっているであろうことは想像に難くない。
ことに北朝鮮の場合は、過去の日本の植民地支配により民衆が苦難をしいられた過去があり、今でもたくさんの人が飢餓で苦しんでいる朝鮮の民衆に、また苦難を強いることになってしまうであろう。これは大きな罪でなくしてなんでありましょう。

2、いま韓国では2000年の南北共同宣言以来、数十万人の規模の人士の往来がおこなわれ、また南北両政府間のいろいろなレベルでの会議や大規模な経済援助がおこなわれてきている。
これは「北風は太陽に勝る」という趣旨で”太陽政策”とよばれるが、この政策が始まってからというもの、たくさんの南北間の懸案事項や問題が取り除かれて軍事的な緊張がやわらいできた。
この韓国の経験からも、軍事的緊張を高める経済制裁ではなく、対話交流を推し進めていくなかでの粘り強い交渉以外に拉致問題の解決の道はないように思える。(これはいまの家族会の方々の感情論には沿わないだろうが正論であると思っている。)

ほかにも経済制裁への疑問点はあるが、このくらいにとどめておく。
また、家族会といつも行動をともにしているのが「北朝鮮拉致家族を救う会」という団体である。
この「救う会」という団体がどのような団体であるか説明すると長くなるので、下段の行をクリックしてもらえばこの「救う会」の実態がわかっていただけると思う。

「北朝鮮拉致家族を救う会」をサポートしている「日本会議」とは

ありのままにみれば、日本の政治の反動化・右傾化を強力に推進している「日本会議」の運動のペースに完全に乗せられてしまっている「家族会」の現在の実態が浮かび上げって来る。
このことにこころから痛々しい感じを抱くのは私だけであろうか
残念ながらこれは事実であり、どこからこんな方向に拉致被害者のご家族の方がいってしまったのか残念でならない。
個人的には横田早紀江さんにはこの実態を理解してほしいと思っている。(もっとも感情的には私の考えるような立脚点に立つことは不可能に近いことは重々承知していますが。)

家族会
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