光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2005年10月

国民投票法について

憲法9条について、それも9条改憲のための国民投票法について考えてみたのですが、最近、メールマガジンの「マガジン9条」に、改憲のための国民投票は制度としては価値中立的であり、まっとうなルールさえ整備されれば「改憲のための国民投票」にはならず、「主権者に改憲の是非を問う国民投票」となり、国民の主権者としての権利を保障するものになるというご意見が掲載されておりました。
そして、護憲勢力がなすべきことは、国会で改憲の発議をさせないことと、国民投票で改正反対が過半数を占めるように国民に対して啓発と宣伝をおこなうことであり、決して国民の主権者としての権利を保障する国民投票法そのものに反対すべきではないとの考え方が掲載されておりました。
私は最初、この見解に接した時、なるほどもっともなことであるという感想を持ちました。

国民投票法案たしかに、日本の国内における最近の住民投票の例からもわかりますが、たとえば新潟県の巻町の町民は原発の誘致という問題に対して、住民自身が放射性廃棄物の危険性についてみなで学び、みなで考え、みなで話し合い、最終的に原発ノーという賢明な判断を下しました。これは素晴らしい住民パワーの勝利であり、巻町の人々の英知と勇気を示すものとなりました。
また、沖縄県の名護市住民の米軍海上基地建設に対する住民投票での圧倒的な基地ノーの判断も同じように名護市住民の英知と勇気を示すものでありました。
しかし、これらの住民投票と今回、改憲勢力が画策している「国民投票」とを同列に比較できるものでしょうか。
私はこれらの住民投票と改憲勢力の目指している国民投票とを同列に見ることは非常に危険だと思います。
あらためて考えてみるに、今なぜ憲法改悪なのでしょうか。かねてより、米国が世界中に軍事同盟網を張り巡らし、軍事基地をおき、世界の憲兵として行動しておりますが、これは米国の帝国主義ブルジョアジーの世界中に張り巡らした権益を守るためであり、彼らのひきおこす各種の戦争や紛争は帝国主義ブルジョアジーの権益を守るためのものにほかなりません。
そして、日本の独占資本が米国の張り巡らしたこの軍事同盟網と世界中に展開してしている米軍の軍事力に守られ、世界中に権益の網の目を形成してきたことは紛れもない事実であります。
そして、いま日本の独占資本は米国の副官として、軍事面で積極的かつアグレッシブに、この帝国主義の軍事ネットワークを支える役割を担うべき段階にいたっています。
そのためには憲法9条が邪魔な存在となっており、それを葬り去るための憲法改悪策動であります。

いってみれば日本の独占資本、すなわち支配階級にとっては改憲が成功するかいなかは、現段階では死活問題というレベルの問題であるといっていいでしょう。
このような政治的背景の下で、支配層が”制度的には価値中立的”であり、”国民の主権者としての権利を保障”するような国民投票制度をつくるでしょうか。
いやそれどころか、日本の支配層は戒厳令に近い状態での国民投票の実施を狙ってくるでしょう。

改憲に反対するいっさいのデモや集会に参加するものを弾圧する仕組みを仕掛けるでありましょう。
また、マスコミなどは完全に統制され、政府の一方的な宣伝をすることが義務づけられるでしょう。

このような状況下では改憲反対闘争そのものが非常な困難がともなうものとなること必定でありましょうし、国民投票という土俵に上がってしまうこと自体が改憲勢力の勝利を意味するものとなってしまうでしょう。
このように考えるとやっぱり「国民投票法案」それ自体に反対することが改憲阻止のたたかいそのものであると思います。
すなわち、改憲阻止の最初にして最大のたたかいは「国民投票法案」を葬ることではないでしょうか。
しかし、現実には自公や民主の数の力で「国民投票法案」は内容がどんどん改悪され、ごり押しされることは避けられないのも現実でありますが!

日本共産党の選挙総括と護憲方針について

日本共産党が十日に東京の党本部で第4回中央委員会総会を開き、総選挙の総括と教訓について中央の見解を発表しています。
それを読んでいつもながらがっかりすることは、この党が、原則としてすべての小選挙区に候補者を立ててたたかう意義についてコメントしている箇所に目を通すときです。
この党にとっての小選挙区での候補者擁立は比例代表選挙での議席獲得をいかにやり遂げるかという観点からのものに過ぎず、比例代表で議席を獲得するための手段でしかないことであります。
小選挙区で候補者を擁立しなかった場合、いかに選挙期間中の宣伝戦等が制約されたものとなり、比例で党をPRするための手段がいかに限定されることになるかについてのみ語ります。
すべての小選挙区での候補者擁立ということの党にとっての積極的意味は比例代表での議席獲得目標に結びつくことにのみにあるようです。
そして、党は比例選挙を正面にすえるという方針を選挙のたびに掲げますが、これは露骨な表現を使えば、志位委員長をはじめとした党の最高幹部の議席獲得が党の選挙戦の最優先の目的であるということにほかなりません。
本当に党を躍進させたかったら、志位氏自らが地元の千葉の小選挙区に立候補して、絶対に議席を獲得するというくらいのたたかいを展開しなくてはならないでしょうに、この党の最高幹部の議席だけは、なるべくリスクを最小限にして保全しようという姿勢には正直がっくりいたします。
そして、そのために全国の小選挙区に候補者を立てるために、13億円もの供託金を党員や大衆から募金として集めていることを思うと、この党に現状維持に汲々とした姿勢はあっても、未来の可能性があるのだろうかと首をかしげます。ましてや日本の近い将来に革新統一戦線政府(別名民主連合政府とも称します。)を樹立する気概があるのだろうかと疑問すら抱きます。
また、今後の憲法を守り抜くためのたたかいについての党の方針にも、今回に限りませんが正直がっかりさせるところがあります。党の憲法を守り抜くための今後の基本方針については4中総になかでこう語っています。
--「日本共産党が民主的諸団体と共同して、広い国民的共同を作り上げる一翼を担うとともに、独自の積極的な役割を果たすことが求められます。」---
ここで言う民主的諸団体とは民商や新婦人、平和委員会、原水協などの身内の団体であり、視野をその範囲に自ら限定していることです。
ましてや国会内での大異を捨てて護憲という大同につく護憲勢力の結集の呼びかけはこれっぽっちもありません。
党は国会という護憲のための第一戦線を最初から放棄して第二戦線に後退していいのでしょうか。
私の言う第二戦線とは国民投票がおこなわれた場合に、護憲派の国民を過半数獲得するたたかいのことですが、党の憲法を守りぬくための共同と称するものが本当に視野が狭く、セクト主義の色彩が濃厚なものですから、この党の方針では第二戦線も破られること必定でありましょう。

私は今回の日本共産党の選挙総括である4中総の文面を読んで正直なところこのように感じました。
私は個人的に思いますが、党外の市民がこの党の革新的・革命的伝統をよみがえらせるために多いにものを申していくべきではないのかということを痛切に感じます。
共産党ロゴ

石原都知事がまたまた問題発言!

isihara最近、責任ある立場の人間が戦後の国際平和秩序を公然と揶揄する発言を公の場でおこなったが、商業ジャーナリズムやテレビなどは、それをほとんど報道せずに終わってしまったという事態がおきた。
その発言主は、かの有名な一週間に3〜4日しか都庁に登庁せず、彼の側近に都政に関する権限をすべて任せていたということから、都政に大混乱を招いたあの”非常勤都知事”の石原慎太郎氏である。
そして、「国連憲章なんて、まともに信じている馬鹿はいませんよ。」という内容の発言を都議会という公の場で述べたいう。
たしかに、現在の国連には歴史的に見ても、たくさんの弱点があるが、20世紀の二度にわたる世界大戦で膨大な人命が犠牲になったことから出発し、国家間の争いやもめごとを平和的な手段と国際法で解決することを大原則としたのが国連憲章の真髄である。
そして、国連憲章の原則は、第一次大戦後に「パリ不戦条約」などから始まった戦争の「非合法化」の流れから発展したもので、これからの国際社会がめざすべき理念としてはこれにとって変わるべきものなど無いだろう。
また、石原都知事はこれにも飽き足らず、さらに加えてこうも言っている。「そろそろ国連信仰をお捨てになったほうがいいんじゃないでしょうか。」
この発言は百年以上前の世界で、帝国主義列強が世界中で土地の剥ぎ取り合戦を激しく競い、国際社会を世界大戦へと導いた世界へと、再び逆戻りしろという趣旨の発言と受け取れよう。これらが石原氏の個人的見解であろうが、しかし彼がいかに否定し、なおかつ揶揄し続けても、国連憲章の精神は今後の世界平和構築への指針となる唯一のものである。

そして、これも大事なことであるが、国連憲章の精神は日本国憲法にも受け継がれていることである。
すなわち、憲法9条は国連憲章よりもさらに発展して、国際紛争の平和的解決のためにはその担保として「戦力の不保持」すら掲げている。すなわち、国家間の紛争を解決する手段としての軍事力を一切認めないという点において、国連憲章よりも一歩時代を先んじているのが憲法9条なのである。ここから言えることは、今後の平和な世界を目指す国際社会が指針とすべきは国連憲章と、それをさらに発展させた憲法9条以外には無いということだろう。


このような平和な世界の建設をめざしている世界中の人々のめざすべき理念を嘲笑したのが今回の石原発言であり、本来なら首が飛ぶような問題発言であって、石原氏は「平和国家日本」の首都東京の首長としてもっともふさわしくない人物である。
もっとも、この人の問題発言はこれが最初ではなく「三国人」発言などから始まり、枚挙にいとまがないが、なぜこのような問題発言の連続を現在のジャーナリズムは問題としないのか、その堕落振りは目を覆うばかりである。
そして、都議会においてなされたこの発言の撤回をもとめ、都議会に提出された決議案に自民・公明・民主の三党はこぞって反対し葬り去ってしまったという。この三党の堕落ぶりにも本当に目を覆いたくなるものがある。
石原氏に見られるようなトップの権力者の横暴ぶりが、巨大与党の出現によって、国政における小泉順一郎というトップの権力者にも拡大しつつあることを危惧する

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小泉自民党のいう小さな政府とは!

小さな政府小さな政府について、小泉首相や自民党が言及している「小さな政府論」に即して、再度考えてみたいと思います。
衆議院選挙中に自民党が作成した法廷ビラのなかで「小さな政府」について簡単に説明した一節が載っていました。
その説明によると「官が民の邪魔をしない政府」であるとのことです。この意味合いからすると「小さな政府」=国民の負担の少ない効率的な政府という意味合いではなさそうです。
では「官が民の邪魔をしない」とはどういうことをさしているのでしょうか。この言葉の意味合いを端的に示している事例が郵政民営化であるとおもいます。
「郵貯・簡保が、日本国民一般にユニバーサルサービス(全国一律サービス)を提供し続ける必要は無く、本来廃止させるべきである。」・・・このような共同声明を出したのが、昨年の11月の日米財界人会議という日本の大銀行や生保業界、および米国の大手保険業界などの代表者たちが参加して開かれた会議でありました。
この共同声明は、日米の銀行や生保業界などの日本での活動の邪魔にならないように、国民生活にとって必須のサービス機関である郵便局をなくし、さらには郵便局のおこなってきた事業を奪おうという巨大企業の宣言書であり、同時に日本政府への要求書とでもいうべき代物であります。
すなわち、小泉政権や自民党の言う「小さな政府」とは、この文書が端的に示しているように、官(郵政公社などの公的部門)が民(民間大手銀行や民間大企業)の事業の展開と利潤の追求の邪魔にならないように、郵便局を切り縮めていく政府にほかなりません。
一言でいうと、小泉自公政権のスポンサーである財界や米国企業の最大利潤追求という横暴の妨げに小泉政権自体がならないような”環境整備”をしょうというのが、彼らの「小さな政府」論であります。

さらには、これにとどまらず、財界などの横暴ぶりを妨げないどころか、さらにはすすんで応援すらしていることが彼らの「小さな政府」の特徴ですらあるように思えます。
その例の一つは2003年に大企業のリストラを応援するために労働者派遣法を改悪し、製造業にも拡大したことにみうけられます。その結果として、いまでは、正社員が派遣労働者や請負労働者、あるいはパート労働者などのいわゆる非正規社員にどんどん置き換えられ、非正規社員が全労働者の3分の1をしめるにいたっています。
日立や松下、東芝などの大工場からは中高年の労働者が片っ端から追い出され、時給千百円の請負労働者が生産の中心的な担い手となっているのが、今の日本の大企業の生産現場の現実にほかなりません。

このような現実の上に立って考えると、小泉首相や自民党の言う「小さな政府」が、「官が民の邪魔をしない政府」であるという、例の選挙中の自民党のビラの一説の意味がはっきりと理解できると思います。
端的に言うと非常にえげつない大資本への応援政府であるのが小泉流の「小さな政府」の本質であるように思います。

再度、障害者「自立支援法」案について

ziritu障害者へのすべての福祉と医療のサービスに一割の負担を強いる障害者「自立支援法」案は、先の衆議院の解散のともない一度廃案へとおいこまれたが、またも郵政民営化法案とともに小泉内閣の手によって復活し再提出され、早期の成立が強行されようとしている。
障害の重い障害者ほど、より重い負担を強いる法案に障害者やご家族の怒りが再燃しているが、この法案がいかに弱いものいじめの内容を持つものであるか、在宅の介護サービスを受ける重度の障害者の事例で具体的に浮かび上がらせてみたいと思う。
それでは在宅の重度の障害者の場合に、この法案はどんな影響を及ぼすのであろうか、事例として脳性まひによって首から下が完全に麻痺している在宅のAさんという重度障害者を想定してみる。
このAさんは常時、車椅子上の生活を強いられ、食事や着替え、おむつ交換や入浴にいたるまで、すべて在宅でのヘルパーの介護が必要な人だとする。
そして、このAさんの場合も、通常の障害者と同じく基礎障害年金(月八万円ほど)と障害者特別手当(二万六千円)が収入のすべてであって、同居の家族はAさんの介護のためにほとんど外に働きに出られず、きわめて収入が少ないものとする。
今までは、このAさんの世帯は低所得のため、住民税の非課税世帯であり、ヘルパーは無料で利用できたのであったが、この障害者「自立支援法」案が成立すると、ヘルパーによる在宅サービスすべてに一割の負担が強いられることとなる。
通常、在宅の重度障害者1人にかかるヘルパー派遣の費用は70万円前後だそうなので、Aさんにはその一割の七万円がかかることになってしまう。しかし、所得の低い世帯には減免の措置があるようなのだが、それでも月三万前後の負担は避けられない。
そうなると、今まで無料で在宅介護サービスを受けていたAさんは、いっきょに基礎障害年金の3分の1に当たる負担を負わねばならなくなってしまうことになり、大変な負担増に見舞われることとなってしまう。
このAさんの事例をご覧いただければ、この法案が以下に弱いものを切り捨てるものであるかがご理解できよう。そして、小泉「改革」の弱いものの切捨てという本質をよく理解できるのが、この障害者「自立支援法」案であることがお分かりいただけると思う。
障害者も”金を払うのが当たり前”と言い放つ自民党や公明党の議員の人権感覚がどのようになっているか疑ってしまう.

障害者「自立支援法」案の概要については下記のURLをクリックしてください
      http://hodanren.doc-net.or.jp/iryoukankei/seisaku-kaisetu/050324syougai.html
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