光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2008年11月

銚子市で働く皆さんへの手紙(自治体労働者とは)

拝啓、銚子市で働く皆様、もろもろの業務に追われ多忙な日々をお過ごしのことと存じます。
遺憾ながら、過日は公約を投げ出し突然の市立病院休止を強行した岡野市長により200人近い病院関係者が職場を奪われました。
許しがたい暴挙であることは、皆様方がいちばん痛切にお感じになっておられることと存じます。

さて、このような手紙をしたためましたのは、私が市長リコール運動に参加する中で、普通の勤労市民の目に銚子市で働く職員の皆様がどのように映っているのかというテーマについて、リコールという住民運動の現場で見聞したことにもとづいてご報告したいと思ったゆえであります。

お断り申し上げますが、私は市職員の皆様を俗に言う“お役人”とは見ていません。
雇い主である銚子市という自治体に雇用された労働者であると思っています。
そして、労働者であるかぎり労働組合を結成し、生活とくらしを守る権利を持っています。私はこのことを無条件で支持します。

ただ、自治体労働者には、自らの生活と権利にかんする要求をかかげて自治体労働者の運動が当局と激突する場合に、市民の世論がその動向を決するという特殊性があります。
自治体労組の運動、自治体当局、地域住民の世論という三つの要素が自治体労働者の生活と権利に関する要求の実現に影響を与えます。
最終的には地域住民の世論が当局と労組のどちらを支持するかによって運動の勝敗は決します。

別の表現で言えば地域の勤労者が自治体労働者の要求を理解し支持しえるかに、自治体労組の要求実現の帰趨がかかっています。
そして、これは自治体労働者の賃金の源泉が地域住民からの租税によってなりたっているゆえの宿命でもあります。

ところで、地域の勤労者の世論は率直に申し上げると自治体で働く皆さんにとってはけっして快いものではありません。
「市立病院が閉鎖されたら俺たちが困るから反対する。しかし、市役所の職員が日頃俺たちに何をしてくれているのか。
俺たちよりも給料の高い市役所の職員が首を切られても痛くもかゆくもない。市立病院を休止するのなら、市役所を休止して浮いたお金を病院存続のためにまわせ」
このような声が公然、かつあたりまえのようにリコールに参加する勤労市民の口をついて出てくるというのが“住民世論”の実態です。

いわゆる「構造改革」により格差と貧困が拡大し、雇用が不安定で低賃金の非正規労働者が住民の3分の1を超え、働くワーキングプアが増え続けていく現状の下ではこのような世論は強まるばかりです。
これは、銚子市で働く皆様にとっても、また地域の勤労住民にとってもたいへん不幸なことと感じざるをえません。

地域の勤労住民も、自治体労働者も同じ働く仲間として共同し、たんなる国家権力の末端機構としての地方自治体から、住民の命と暮らしを守る地域の砦としての役割をはたしえる民主的な地方自治体へと切り替えていかなくては、住民の切実な要求も実現できないし、自治体労働者の生活と権利も守れません。
職場における働くものの生活と権利を守る砦が労働組合だとすれば、地域にあって働くものの命と暮らしを守る砦となることが地方自治体本来の姿なのであります。

だが、現実にはマスコミと国家権力が一体となった執拗で長期にわたる「人件費攻撃」などの影響もあり、自治体で働く皆さんと地域の勤労住民の間には両者の共同を阻む高い壁が出来上がっています。
共同どころか“いがみ合い”が存在しているかのように思えますし、両者の間には抜き差しなら敵対的な矛盾が存在するような錯覚すらうけます。
しかし、これは作られた虚構の壁に過ぎません。
「分断して統治せよ」これが権力者の常套手段ではあり、この壁は権力者によって作り出されています。人件費攻撃はそのための武器に他なりません。

だが、重要なことはこの虚構の壁を破れるかどうかは、もっぱら自治体労働者の側の努力にかかっていることなのです。
もっと突き詰めて言います。

『自治体労働者は住民のために奉仕し、当局のために奉仕するのではない』と自治体労働者とその労働組合が真の“全体の奉仕者論”の立場に立ち、住民との共闘を軸に、住民要求の実現のための行政機構の民主化や、地域の勤労住民の自治体闘争(住民運動)の先頭にたつことが今切に求められます。
壁を敗れるかどうかは、このための一歩を踏み出そうとする自治体労働者側の努力いかんにかかっていると私は思っています。

この努力こそ、自治体労働者が地域の勤労住民にとっていかほど信頼に値する仲間なのかを実証し、両者の間にある作りあげられた壁を取り払うことのできる唯一の手段であります
そして、自治体労働者と地域の勤労住民との間につくりあげられた虚構の壁がとりはらわれ、両者の共同が実現して、地域のすべての勤労者が地域社会や自治体の主人公になったときにはじめて、地域の勤労住民の「命と暮らしの危機」は解決しえる展望が切り開けるのではないでしょうか。

公立病院の問題をはじめ、地域の勤労住民の命と暮らしにたいしてのしかかっているすべての重苦しい課題を乗り越えるためには、このことは避けて通ることはできません。
銚子市で働く皆さん(自治体労働者)や労働組合の方々が勤労住民の痛みを自分の痛みとして受け取り、住民運動に積極的に参加することを通して痛みを住民とともに分かち合うことができるかどうかがまず問われるでしょう。

生活と権利をかけ、体を張ってたたかうものは、同様に体を張ってたたかうもののみを信頼するでしょうし、真の結びつきと共同はこのことを確かめ合うことからはじまると思います。
病院の突然の休止で作りあげられた医療の空白で投げ出された患者さんの苦しい思いや、理不尽にも職場を奪われたお仲間のことを想像してください。
その痛みや無念さを共有してください。

今からでも遅くはありませんので、銚子市ではたらく皆様や自治体労働組合が岡野市長のリコールをもとめる住民運動に参加されることをご要望いたします。
一職員が住民運動に参加したり、情報を「漏らしたり」、自治体交渉に参加したりすれば当局から狙い撃ちされることになります。
それゆえ、このとりくみは労働組合の運動として位置づけてください。
組織された労働者や労働組合が住民運動に参加することを通して、運動が大きく飛躍することは間違いありません。
なかでも、自治体労働者が参加することは住民運動の質的発展に寄与すること間違いありません。

書生論じみたことを申し上げますが、今は書生論こそ必要ではないでしょうか。
妙に物分りのよい“大人”から脱却してください。
当局ではなく住民に奉仕したいとの思いが皆様方の初心であるはずです。
失礼の段お許し下さい。
敬具

岡野市長とホッキョクグマ

札幌市の円山動物園で2003年に生まれ、05年に釧路市動物園にオスとして“婿入り”をしたホッキョクグマのツヨシがじつはメスだったことがわかったという。
ホッキョクグマは地球温暖化で絶滅の恐れのある地球上で最大の肉食獣である。
また、貴重な希少動物でもあるため、このツヨシには繁殖のためのオスとしての役割が期待されての婿入りであったらしい。

ところが、メスと同居させたツヨシの様子を観察していた釧路市動物園の飼育員が「オスとメスのじゃれあいとは違う」と感じたために、麻酔をかけて性別を調査したところメスとわかったという。
また、このツヨシと「兄弟」であるピリカも、昨年に帯広市動物園に繁殖用のオスとして貸し出されたが、DNA鑑定の結果、同じくメスであることが判明したという。

この2頭は生後間もないころに生殖器の外見から、ともにオスと判定されたというが、それにしてもどこをどう間違えたのであろうか。
この殺伐とした世の中にあっておかしみを感じるエピソードではある。
そして、勘違いは人間の世界でもよくあることだ。

銚子市の岡野市長の場合をみていただきたい。
前市長による市立病院の病院長の給与削減などにより、市立病院は医師の派遣元である日大から優先的に医師を配置するAランクの病院から、大学側の都合でいつでも医師を引揚げられるBランクの病院に格下げをされたしまった。
これが、市立病院の医師不足の大きな引き金となり市立病院は経営の危機を迎えることに・・・・

しかし、ここに「市立病院は守り充実させる」という選挙公約を掲げた岡野氏が2006年の市長選挙に登場・・・・
市民は岡野氏のこの公約に期待をかけて彼を市長へと押し上げたのであった。
ところが、今年(08年)の7月4日に岡野市長は県や病院の関係者にはいっさい相談せず突然に病院の休止を決めてしまったのである。
だが、後でわかったところによると昨年度の銚子市の決算は50億円の黒字であったという。

しかも、病院存続を求める市民署名が一ヶ月間で約5万筆も市長に提出されたにもかかわらず、これを無視して休止を強行するという反民主的な政治姿勢を示したことに市民の怒りは沸騰したにもかかわらず、「2年間努力した。市のバランスを考えて病院休止は『苦渋の選択』」であると、政治は結果責任であることもわきまえず言い訳に終始する始末・・・・

しかし、札幌動物園と銚子市民とでは同じ勘違いでも悩みが異なるようである。
ホッキョクグマのツヨシは今ではすっかり動物園の人気者となりドル箱となったため、動物園では繁殖用のオスと取り替えるかどうか迷っているという。
病院を守り充実させるはずだった岡野市長は9月に市立病院を休止し、多くの患者さんを病院から追い出し、病院職員の職も奪った。
全国の医師からの信用も市民の信頼もがた落ちである。おまけに病院再開のメドもたっていない・・・・

市民は迷っている場合ではない!
岡野氏にはただちに市長のイスから自発的に降りていただくほかはない。
岡野氏が応じぬならば市民自らの手でリコールし、病院再建に向けた新しい市政に転換するほかはない。

裸の王様になってしまった岡野市長

ここで全国に知れわたっている巷の話題をとりあげます。
日本国の最高指導者であり、「ふしゅう(踏襲)」、「みぞゆう(未曾有)」、「はんざつ(頻繁)」など、意味不明の面白い言葉を連発している麻生太郎首相が、過日に全国知事会でとんでもない発言をしています。

「地方の病院での医師の確保という問題だが、自分で病院経営をしているから言うわけではないけど大変だ。社会的常識がかなり欠落している人(医者)が多いんで」と、医師不足という現状の中で長時間労働を強いられながら、懸命に患者の健康と生命を支えている真面目な医師の気持ちを踏みにじる心無い発言のことであります。

このような非常識な発言をする首相の元では、産科や小児科、地方の病院での医師不足問題の改善などはとてもお任せすることができるものではありません。
政府与党が作り出した医師不足に対する責任の自覚がなく、非常識な人が多いという言い方で医師に責任あるかのような発言をすることは、医師不足に対する政治の責任を受け止め打開しようという立場のないことの現われであり、このような発言をした首相を全国の医師は信用しないであろうし、地方の公立病院の再生をいっそう困難にしてしまうことでありましょう。
岡野市長による市立病院の閉鎖という政治的な災厄を体験している銚子市民にとっても、この首相の発言は他人ごとではないと思います。

さて、11月11日の朝日新聞につぎのようなエピソードが載っていました。
麻生首相が国会答弁で戦争責任に関する過去の政府答弁を「ふしゅう」するという答弁を重ねているといいます。
11月17日の参議院本会議の答弁のなかで、村山談話を「ふしゅう」するといい、10月15日の参院予算委員会でも、慰安婦問題での旧日本軍の関与を認めた93年の河野談話をも、やはり「ふしゅう」すると答えたといいます。
これは「とうしゅう(踏襲)」という漢字の誤読でありますが、問題は彼の周りの秘書官をはじめ、誰もこの読み間違いを指摘しないということであります。
驚くべきは麻生氏が外務大臣だった昨年にあっても、河野談話を「ふしゅう」と答弁していたといいます。

このことは周囲の誰もが、麻生首相や麻生外相に間違いを指摘することなく現在にいたっているということであります。
このエピソードはこの国の政府関係者が国家権力と権力者の前で何も言えずに沈黙したままであることをものがたっています。

別の表現を使えば、「定額給付金」をめぐる政策的な迷走、医者や母親にたいする心ない暴言、急激な内閣支持率の低下などによって、もはや「裸の王様」となってしまった麻生首相にたいして「あなたは裸だ」と言ってあげる人がおらず、権力者の誤りを正す勇気を持った政府関係者がいないということであります。
漢字の読み違いていどならまだしも、誤りが内政や外交などの重大事項に関することであったら、誤りを放置することにとって被る国民の損害や国益の損失は計り知れません。

ひるがえって、わが銚子市の現状を見ると似たような状況があります。
銚子市の昨年度の決算では50億円の黒字が計上されています。
「夕張になってしまう、銚子市の財政は風前の灯だ」などといって7月に突然の休止を決め、9月に休止してしまった市長の決断は重大な誤りであり、重大な医療空白を生んでしまいました。
そして、自らの肝いりで発足させ、今後の病院事業の運営について有識者によって討議するとした「銚子市立病院事業ありかた検討委員会」においてさえ、委員から「来年4月の病院再開はどんなにガンバっても無理」と宣告されてしまったのです。
そして、市民有志の間からはリコールの運動がはじまっており、受任者が1800人を数えるほどまでになっています

岡野市長はもはや完全なる「裸の王様」であります。
しかし、彼の周りには「あなたは裸だ」と言って、誤りを正そうとする勇気ある人がいません。
特に彼に最も近い市の執行部のなかには存在していません。
残念ながら、なみいる幹部のなかにはこのような勇気を持った人が一人もいないのです。

権力者の誤りが放置されることによって被る国民や市民の損失は計り知れないことは、麻生首相の場合でも岡野市長の場合でも全く変わりません。

銚子市の執行部の関係者の皆様にお願いします。
どうか、勇気を持って岡野市長に「あなたは裸だ」と真実のことを告げてあげてください。
勇気がいることと存じ上げますが、市民の切なる願いであります。
あなた様方の勇気によって事態がどれほど改善されるかを、どうかお考えなさってください。
岡野市長にたいして「あなたは裸だ」と勇気ある諫言をおこなった方は、後世において「銚子市史」のなかにその名が刻まれることでしょう。

南京大虐殺否定論のカラクリ!

南京大虐殺(以下南京事件と呼ぶ)は存在しなかったと主張する歴史修正主義の駆使する論理はそのすべてに共通する手法が存在する。
現存する人間がその目で直接見たものはいないところの過去の歴史的事実を確定するには、異なる立場をふくめて断片的であるが数多くの資料(証言・日記・写真・新聞記事・フイルム等)を発掘・収集し、さらにはそれらの膨大な資料群をふるいにかけ、それらのなかから信憑性の高い資料を選別・抽出して、あたかもモザイク絵を作成するかのように集成しながら実像にせまる歴史像を構成していくしかない。

もちろん、個人証言のような歴史資料には、「昂奮」や「偏見」、「誇張」、「歪曲」さらには一定の「虚偽」などがまざることは避けられない。
これは人間の記憶力は不完全であり、個々人は自分の置かれた立場から物事や自分の直面した事件を把握するのである以上避けられることではない。

また、多数の証言の間には様々な互いの齟齬や思い違いが避けられないし、なかったことを事実と錯覚したり、自分が直接体験していない伝聞を自分の体験と思い込んでいるケースさえ数多く存在する。
これらの個々の資料における誤認部分や不正確な部分を「玉石」混合の膨大な資料群からいわば「石」としてふるいにかけ、残った信憑性の高い資料をモザイク絵のピース(部品)として絵を完成させていく。

このようにして、南京事件というモザイク絵を膨大な資料群から浮かび上がらせて、作り上げていくのが歴史という学問の方法なのである。
「木を見て森を見ず」という格言があるが、南京事件の全体像が森であり、加害者や被害者、第三者をふくめた現場体験、目撃者の証言が木である。
かの東京裁判では裁判資料として膨大な「木」=証言・証拠を集成して南京事件という「森」を全体立証したのであった。

したがって、個々に「木」だけをみれば「錯覚」、「思い違い」、「誇張」、「思い込み」、「誇張」など様々な木があって不思議ではないが、否定論者はこの一本一本の「木」=証言をとりあげ、その木が「ニセモノ」あるいは「その森の木ではない」ことを証明することで、「森」=南京事件が否定できるかのごとき倒錯したトリックを使うのである。

否定派のトリックは証言、日記、写真、記事、フイルム等膨大な史料群のなかに一つでも矛盾や問題点を発見すれば、それだけを針小棒大に「ニセモノ」と繰り返し、「森」の「木」のすべてが「ニセモノ」からなり、「森」も「まぼろしの森」であるかのごとく錯覚させることにある。

否定論者は南京事件の中国人被害者の証言について、そのうちのほんの幾つかの証言のもつ矛盾点や、欠陥を摘発して「捏造」だとか「反日プロパガンダ」などとレッテルを貼りつけ、「そもそも中国人被害者の証言には信憑性がない」と批判攻撃し、南京事件そのものが真実性がないかのごとき錯覚をもちこむ。
個々の中国人被害者の証言にみられる欠陥や矛盾点を不当に中国人被害者一般のものへと意図的に拡大する。

有名な南京事件否定論者の使用する代表的なトリックのひとつに東京裁判に出廷したジョン・マギー牧師の証言を「伝聞の山、憶測ばかり」と決め付けてその信憑性を否定するというものがある。
マギー牧師は中国で宣教師として活動し、南京事件中は数少ない外国人として南京にとどまり、難民に安全な避難場所を提供する「南京安全区国際委員会」という救済機関の中心的な一人として活動した人物である。

マギー牧師は東京裁判での証言のなかで日本軍の暴行、強姦、虐殺など多くの事例を挙げたが、被告側弁護人ブルックスが反対尋問で日本兵による殺害の現場の瞬間を目撃したのは一人だけだという答えをマギー牧師から引き出したのである。
否定論者はこの部分だけを取り出して、証言はすべて伝聞証拠であり大虐殺などなかったと主張する。

しかし、おびただしい数のけが人や被害者の救済に忙殺されたマギー牧師が殺害現場に立ち会わなかったことはむしろ当然というべきであり、マギー牧師の証言の意義は、おびただしい数の被害者と直接に接していたことにあり、また集団虐殺の現場から奇跡的に逃げ帰った知り合いの中国人から具体的な殺害状況を聞き取り、かつ自分でそのような虐殺現場にでむき多数の中国人の死体が放置されていたところを多数目撃しているところにある。

たしかに殺害場面だけは伝聞であるが、証言内容が具体的であり、直接に被害者が目撃した事実とマギー氏の証言内容が符合すればマギー証言の信憑性は高いのである。

殺害する瞬間を目撃しなければ、それはすべて信憑性にとぼしい「伝聞」ということであれば、あの1970年代にカンボジアのポルポト派のおこなった自国民に対する大虐殺もほとんどが「伝聞」ということとなり、大虐殺はなかったということとなる。

また、マギー牧師以外にも事件当時に南京にとどまった多くの外国人ジャーナリストなどの証言や多数の中国人被害者の証言、および米国やドイツの大使館員報告など東京裁判での数多くの証拠資料と比較照合しても、マギー牧師の証言は一致符合するものであり信憑性の高い証言であることが裏付けられている。

しかし、否定論者は証言の断片だけ(殺害現場を直接目撃したのは一人だけ)を切り取って、虐殺や強姦の現場を直接目撃していなければ、死体があっても、被害者女性がいても「伝聞」であり、事実として認定できないという暴論を主張するのである。
個々の「木」=証言の信憑性が否定できれば、全体の」森」=南京事件も「まぼろし」「虚構」として錯覚させるのが否定論者の使うトリックであり手法である。

1998年にいわゆる“極東裁判史観”を批判する目的で作られた映画に「プライド」がある。
これは東条英機を主人公としたものであったが、この作品でも東京裁判におけるマギー証言にたいするブルックス弁護人の反対尋問だけを特に詳細に描き、登場人物の東条英機をして「みな伝聞だ」と言わしめている。
裁判に提出された南京における残虐行為の膨大で圧倒的な証拠群にたいして、弁護側の証拠はあまりに弱く貧しいものであり、弁護側証人はわずかに3人、書証は3通にすぎなかったという裁判をめぐる重大な事実には映画はいっさい触れない。

このように否定論者の手法は人間の認識能力の限界(事物の全体を個々人は認識が不可能)を巧みに利用し、個(部分)の欠陥や弱点を全体(モザイク絵)へと不当に拡大し、歴史の真実を否定するのである。


「歴史修正主義」と南京大虐殺

元航空自衛隊幕僚長田母神俊雄氏はホテルチェーン・アパグループの主催する懸賞論文で「わが国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と日本軍国主義の侵略戦争を美化する暴論を展開し、侵略と植民地支配への「反省」を表明した1995年の村山首相談話をも「検証してしかるべきである」として政府見解の変更を要求したという。
しかるに田母神氏はなんらの処分を受けずに「定年退職」扱いとされたうえに、6000万円の退職金をうけとったともいう。

文民統制を逸脱した「文字によるクーデター」とも言うべき今回の行為が懲戒処分の対象にならずに「許される」という悪しき前例を残すことは、自衛隊という実力組織(現代の軍部)のトップが政府見解を覆そうとしたことの重大性からしても認めがたい。

また、田母神俊雄氏は03年から04年にかけて、航空自衛隊の隊内誌「朋友」に「航空自衛隊を元気にする10の提言」を掲載し「東京裁判は誤り」、「南京大虐殺はなかった」などと侵略戦争美化論を述べたという。
重大なのはこういった事実を知りながら07年の3月に田母神氏を航空自衛隊幕僚長に任命した安倍内閣と、それをそのまま引きずってきた歴代内閣の任命責任である。

ところで、田母神氏の主張は「歴史修正主義」そのものであり、氏の「東京裁判は誤り」とか「南京大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦は公娼だった」などという主張はとっくの昔に破綻したものにすぎない。
しかし、憲法を改定して本格的な戦争のできる国家体制づくりを推進する勢力の動きと深い関係を持った「歴史修正主義」の議論は、政治的な基盤を持った持った戦争賛美のイデオロギーとしてやむことなく繰り返される。
そして、ウソやデマでもたびたび繰り返されれば無視しえない影響力を持つ。

それでは、「歴史修正主義」の主張は過去にどのようにして破綻したのか。その実例を「南京大虐殺否定論」をめぐってふりかえってみたい。

80年代の教科書検定で南京大虐殺などの記述が修正されたことをきっかけに、国内のみならず中国や韓国からも“歴史改竄”だとして日本政府に激しい抗議が集中した。
これにより教科書問題は国際化したが、日本政府は官房長官談話を発表して日本の侵略と南京大虐殺を認めているとする政府方針を再確認することで一応の決着をはかった。
しかし、この政府の対応は右翼や自民党のタカ派から内政干渉への屈服だとの反発を呼び起こし、これらの勢力を背景として「南京大虐殺否定論」が再び登場する。

しかし、鳴り物入りで登場した否定論はまもなく破綻してしまい、南京大虐殺をめぐる論争はもはやこの時点で基本的に決着した。
否定論の代表的論客であり、南京港攻略戦を指揮した松井石根大将の秘書であった田中正明氏はこの頃に「松井石根大将の陣中日記」を刊行した。
しかし、こともあろうに大虐殺を否定するために全文中の300箇所以上にもわたって原文を改竄していたことが暴露されてしまった。

また、旧陸軍将校の親睦団体である偕行社は月刊の機関紙「偕行」に、84年の4月から85年の2月まで「証言による“南京戦史”」を掲載した。
これは会員の南京戦参加者の証言を集め、事実を持って大虐殺という「冤罪」を晴らそうという野心的な企画でもあった。

しかし、南京戦参加者の証言が集まってくると、企画者の意図に反して「たしかに虐殺はあった」、「何千という捕虜を命令で殺した」などという証言が続々と寄せられたという。
だが、編集者側では事実を明らかにするという立場で、否定のみならず、肯定の証言をもあえて掲載したのである。

そして、編集者は連載の最後に「その総括的考察」と言う文章を掲載する。
そこで遺憾ながら日本軍はクロであったし、大量の不法殺害があったことは動かしがたい事実と認め、「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民にわびるしかない。実に相すまぬこと、むごいことであった」と謝罪したのであった。
「偕行」編集部がこのような態度をとったことで事実上「南京大虐殺否定論」は完全に崩壊する。

また、司法の場でも否定論は敗北した。
93年の家永教科書裁判にかんする東京高裁の判決は南京大虐殺の存在とその際の強姦の多発をも認定し、その歴史的事実の記述の削除を要求した文部省の教科書検定を違法と断定した。
さらに、97年の最高裁判決がこの高裁判決を支持したことで、司法の場においてもこの問題についての決着をみた。

このように現在の「南京大虐殺否定論」をはじめとした「歴史修正主義」のもろもろの議論は、とうの昔に決着したことを蒸し返しているだけで、学問的な主張とは到底呼びえないシロモノにすぎない。
21世紀のアジアで日本が真に愛され尊敬される国として歩んでいくためにも、歴史の改竄は認めてはならない。
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歴史修正主義と「希望は戦争」

先日、航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「わが国が侵略国家だったというのはまさに濡れ衣である」と述べ、戦前の中国侵略を否定した論文を発表したという。

imagesCACNWVDYまた、この論文は耐震偽装疑惑がもたれているホテルチェーンのアパグループが主催した懸賞論文の応募に呼応して投稿したものであり、選考による結果は最優秀賞とされ、おまけに三百万円の懸賞金も獲得したというのである。

論文の基調には旧日本軍の中国侵略はコミンテルンと中国の蒋介石が仕組んだものであり、日本は中国やソ連などが仕組んだ日中戦争に引きずり込まれた被害者であり、悪いのは日本を戦争に引きずり込んだ中国やソ連だという特殊な歴史観があるという。
また、かっての米国のルーズベルト政権に300人のコミンテルンのスパイがいたと主張。
日米戦争はコミンテルンに動かされた米国が仕掛けた戦争であり、当時の日本はこれに引きずり込まれたにすぎないとも述べている。
日中戦争およびその延長線としてアジア太平洋戦争は日本の侵略戦争であり、日本は侵略国家であったというサンフランシスコ条約の規定を受け入れて日本は戦後の国際社会に復帰したのであり、この論文の中身は戦後政治の出発点を頭から否定したものにほかならない。

このような歴史認識をいだく人物が航空自衛隊のトップについていたこと自体が驚きであるが、似たような歴史認識を持つ少なからぬ極右政治家が政権の中枢に位置しているのも日本の現状だ。
そして麻生政権のホンネは個人的には田母神氏の主張は正しいと考えており、問題とすべきはこれを公にしたことであると考えているふしがみられる。

この最高司令官の主張は自衛隊の公式な機関紙に従来から発表され続けており、自衛隊のトップクラスレベルではなんら問題とされなかったらしい。
さらには田母神氏は扶桑社の「新しい歴史教科書」は歓迎すべきものであり「自衛隊も国の機関として国民が正しい歴史認識(修正された歴史)を持つためにやれることがあるのではないか」と幹部自衛官を教育すらしていたともいう。

これらの一連の事実は日本の軍部指導者の間に事実をねじ曲げる歴史修正主義を信奉するグループがゆるぎない存在として根を下ろしており、戦前型の政治体制を指向する流れの抜き差しならぬ胎動が存在することを示している。
また、文民統制(シビリアンコントロール)が形骸化しつつあるなかで、極右政治家の権力中枢への進出とあいまって憲法の平和的原則と戦後政治の原点が危機に瀕し無力化しかねない危険性への警告でもある。

さて、このような政権中枢と軍部の極右化の一方で気になることが別に存在する。
それは、自己責任論の呪縛により打ちのめされている青年層の少なからぬ部分に過去の侵略戦争への真摯な反省を「自虐史観」として拒絶し、貧困に突き落とされ苦しんでいる閉塞した現状からの突破口として戦争を望む思いが醸成されつつあるという現実である。

バブル経済の崩壊後に就職氷河期が到来した。
この時期に社会に出た若者たちの多くが安定した仕事に就けず、現在でも不安定雇用とワーキングプアの論理のなかでもがき苦しんでいる。
彼らは恐ろしく低賃金であり年収百万円台がふつうである。
また、一人暮らしの若者の一部には、普段はネットカフェに住んでおりお金のないときは夜中じゆう歩き回り、始発の電車で仮眠をとるものもいるという。
さらには親の実家に住んでいる若者でも低賃金と不安定雇用のために自立することができず、親が生きている間はまだいいが、父親が死んだり病気で働けなくなったら自分も寿命と考えているものが多いという。
親の死とともに自殺するか一家心中かという思いつめた状況で暮らしているのである。

彼らの目には団塊の世代を中心とした世代が高度成長化での終身雇用と年功序列という世界で家族やマイホームを持つことができた報われた特権層とすら映るのである。
だが、それに比べて彼らはいつまでたっても正社員にはなれず、妻や子供を持つことすらかなわない。
彼らには今の社会は流動性のない固定化した格差社会であり、“平和”が続けばこの格差と不平等が一生涯続かざるをえないものにさえ見えるのである。

それゆえ、この窮状から脱出し、社会的な地位を得て、家族を持ち一人前の人間の尊厳を得るためにはこのような“平和”な閉塞状況を打破し社会に流動性を生み出してくれるものを彼らは求める。
そして、彼らにとってこの閉塞した社会を打破し貧困から抜け出すための最大のチャンスを与えてくれる究極のものが戦争なのである。

持つものは戦争で失うものがあり戦争をおびえるが、持たざるものは戦争によって何かを得ることができる。
流動性が存在しない固定した格差社会の底辺に位置するものにとって戦争はもはやタブーではない。
軍隊に入ればいろいろと資格が取れるし、給料も保障される。
また、戦争にいって死んだら名誉と恩恵が得られるが、このままフリーター生活をしていても親が死んだら自分は首をくくって自殺するしかない。
どちらの道が人間の尊厳を回復する道であるか彼らには自明に見える。


格差社会の底辺で生きるか死ぬかの生存競争を一生涯にわたって強いられる若者には今ここが「戦場」に他ならず、自分たちを最底辺に閉じ込めたうえで“平和”が続いていくよりは、自分たちにチャンスが訪れる戦争は現状からの突破口であり“希望”ですらある。

このように現代日本の軍部指導者のなかに胎動しつつある歴史修正主義と、格差社会の底辺で貧困にあえいでいる青年層のなかに広まりつつある“突破口”としての「希望は戦争」という強力なナショナルな心性は、現代の日本社会において軍国主義を醸成する精神的・イデオロギー的な面での二大原動力ではなかろうか。

ところで、“平和勢力”はこの格差社会の底辺であえぐ若者の心情に接近することができるのだろうか。
戦争の“真実”を語りかけることができるのであろうか。
戦争によって庶民の生活がよくなったことが一度でもあったか。いやそのような事実は一度ですらない。
庶民の生活を守るのは平和を守ることにほかならない。
この普遍的な事実を語ることができるのだろうか。悲観的な見通しを禁じえないが、これは小生の個人的なものであって欲しい。

下記写真は赤木智弘氏(論座に掲載された「希望は戦争」の筆者)
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東電火力銚子進出計画の損益勘定はどうなっていたか!

1970年(昭和45年)当時、銚子市においてはいままでにない財政の悪化がおこっていた。
それは食品コンビナートをつくるという名目で1965年(昭和40年)からはじまった名洗十万坪埋め立て事業の失敗に起因したものであった。
70年の時点になってもめぼしい進出企業はほとんど現われず、島田市長の意を受けて東電誘致に動いていた誘致派の人々ですら「市財政の極度の悪化がおこっているが、それは名洗の埋立地での企業誘致が進展しないからだ」といわざるを得ない状況にあった。

そして、この失敗の穴埋めのために最大の公害源であり、通産省ですら「火力発電所は他産業に比べて単価や発注など地元経済への波及効果は少ない」と認めた東電火力を誘致しようとしたのが東電誘致話の発端であった。
事実、進出企業が現われずに埋め立て費用を回収できない市は、埋め立ての施工業者である国土総合開発K.Kに支払うべき10億円の捻出に汲々としていたのである。

さて、誘致派の最大の宣伝スローガンは東電火力進出にともなう交付金や固定資産税の増収による「市の財政の立て直し」にあった。
だが、当時の嶋田市長も「10年間で60億円の交付金および固定資産税の増収を見込めるが、それにともなう地方交付税の減額(75%)もあるので純増は15億円(10年)程度」と説明しており、誘致派のスロ―ガンは過大見積もりでしかなかったのである。

すなわち、東電誘致は年にたかだか1億5千万円の増収しかもたらさず、固定資産税などは10年以上が過ぎて償却が進めば税収は減る一方となり、しかも東電誘致にともなうコストでこの交付金や税収の純増も帳消しとなってしまうのであった。

また、520万kwという世界最大の発電所には一日に1万5千トンものあらたな上水が必要になるが、この上水を賄うための水道拡張工事などには少なく見積もっても数十億円のコストが見込まれており、この費用は最終的には市民の負担する水道料金の値上げとなってこざるをえなかった。

そして、ものごとには必ず負の側面がつきものであり、公害による銚子の観光資源である自然の破壊、漁業や農業の被害、市民の健康やいのちへの被害など、お金には換算しきれない半永久的なマイナスが莫大なものとなったはずである。
これらのものを10年で15億円という目先のカネと引き換えにして永久に失ってしまうことは取り返しのつかない大きな損失となっただろう。

当時、推進派は「東電火力は年10億円の持参金つきの花嫁だ。指をくわえているのは馬鹿げている」と宣伝したが、この花嫁の正体は夜中になると首を伸ばして油をペロペロとなめる「ロクロ首」のお化けにたとえることがふさわしかったのではあるまいか。
公害企業の通例であるが、昼の間は煙の排出を抑え、人々の寝静まる夜になると長い煙突(ロクロ首)から大量に有毒ガスを吐き出してその正体を現すのである。

東電火力を持参金付の「ロクロ首」のお化け花嫁とすると、さしずめ市民は嫁をもらう「息子」であり、誘致をはかろうとする銚子市は「親」であっただろう。
また、東電火力誘致の仲介に入る県は「仲人」に相当し「嫁の実家」は東電であっただろう。
こうして銚子市(親)は十万坪名洗埋め立て事業の失敗という自分の不始末を、東電(嫁の実家)や県(仲人)の言い分だけで、お化け花嫁に関する身元調査(公正な事前調査や公害発生地の視察など)もやらずに市民(息子)にむりやり押し付けることで尻拭いをしようとしたのである。

ここでさらに困ったことには市民(息子)の味方であるべき市議会までもが、銚子市(親)の尻馬に乗ってお化け花嫁の押し付けをはかったのであった。

追伸
ここで、東電火力反対の住民運動の性格をあえて短く表現してみたい。
簡潔にいうと銚子の美しい海や空などの自然、美しい景観を壊さずになんとかして自分たちの子孫に残し、伝えたいという本当の意味での「愛国的な運動」であったと思う。
それは当時の佐藤栄作首相の言うような「電気は欲しいが、発電所は要らない」という「地域エゴ」ではけっしてなかっだろう。
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西岡三郎
千葉県銚子市に在住
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