光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2009年01月

民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、お読みくだされば幸いです。その4(消費税増税をめぐって)

謹啓、民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、西岡三郎です。
麻生内閣が消費税の増税方針を決定しましたが、そのやり方に姑息さを強く感じます。
2009年度予算の関連法案の一つである同年度税制「改正」関連法案の付則に2011年度からの消費税増税を可能とするシナリオを明記するというものであります。
消費税の増税は国民の暮らしを直撃するものであり、国民の受ける痛みを考えるなら、少なくとも総選挙で消費税増税を公約にかかげ、選挙で国民の審判をあおいでからおこなうべき性質のものです。

自公の与党勢力は「消費税は社会保障を充実させるため」とのステレオタイプ化した口実を使いますが、これはゴマカシに他なりません。
思い起こすと消費税を導入する際にも「社会保障財源のため」、「高齢者介護のゴールドプランのため」との口実が使われましたし、同じく消費税を5%に引き上げたときも「高齢者介護の新ゴールドプランのため」という口実が使われました。
導入時と増税時、いずれの場合も「社会保障の充実」が増税の口実とされました。
それでは、その後に社会保障が充実したのでしょうか。
実際には社会保障の充実どころか、国民に「痛み」を押し付けたこの間の「小泉構造改革」の進展により、日本の社会保障は先進国のなかでも最低水準のものになってしまったのです
社会の高齢化にともない社会保障の水準を維持するためには社会保障費の自然増は避けられませんが、小泉内閣以来、自公政権は社会保障費の自然増分から2200億円の削減を毎年おこない、年金や介護・医療などの分野での制度改悪による負担増と給付削減が庶民の家計を襲いつづけました。

また、統計によると消費税による税収は導入いらい2006年度までに累計で175兆円にのぼるそうです。そして、この間に「法人税を下げて日本の国際競争力を強化することが必要」との経団連などの主張により、大企業中心に法人税の引き下げが続きました。
これまた、統計によりますと同時期の法人三税(法人税、法人事業税、法人住民税)の減収分の累計は約160兆円にものぼるそうであります。
ここから導き出されることは、消費税による税収分が大企業を中心とした法人減税の穴埋めに消えてしまったということにほかなりません。

また、消費税はその導入時、増税時ともに有権者の審判を受けないままに強行されてきました。
かっての中曽根政権は「大型間接税はやりません」という選挙公約を踏みにじり「売上税」の導入にまい進しました。しかし、1987年の統一地方選挙で自民党が大敗し、いったんは断念に追い込まれたにもかかわらず、竹下政権の時代に消費税と名前を変えて導入が強行されました。
また、村山政権の時代にその直前の総選挙で消費税増税の公約をかかげた政党は一つもなかったにもかかわらず、消費税率5%への引き上げ法案がここでもまた強行されました。
そして、実際に消費税が5%へと引き上げられたのは橋本内閣の時代でありましたが、その前年の総選挙でも消費税増税を公約した議員はほんの一握りにすぎず、ほとんどが増税反対や凍結を公約していたという事実があります。
このように消費税はその導入から今日まで一貫して、国民の信を問うことがないままに強行され国民の生活を苦しめてきております。

民主党は年金などの社会保障の財源として、現行消費税の「社会保障目的税化」をおこなったうえで消費税の増税を検討するとしております。
数年前に高額な保険料を負担しきれずに無年金者が大量に発生することを防止するために、すべての国民に基礎年金の受給権を保証する「最低保障年金」制度の創設を民主党は提唱しました。そして、この制度の財源に「年金目的消費税」を導入するという構想を提唱されました。

しかし、たとえ「社会保障目的税化」をおこなったうえで消費税を年金などの社会保障財源に充てるにしても、消費税の安易な増税には賛成できません。絶対反対です。
消費税の導入から今日までの消費税の莫大な税収が、大企業を中心とした法人税減税に消えてしまうような、今日の不透明な税財政構造の問題点を徹底的に洗いなおすことがなによりも必要でありましょう。

まずは、税の負担は担税能力に応じて負担するという「累進原則」や、最低限の生活費には課税しないという「生活費非課税原則」など、民主的な税制の原則にもとづいた真の民主的な税制改革に取り組んでくださることを、私は谷田川さまや民主党に切にお願いするものです。
本当の意味で公平で民主的な税制の導入が実現すれば、低所得者になるほど負担が重くなり、最低生活費にも容赦なくかかってくる最悪の不平等税制である消費税に頼らなくても社会保障の充実のための財源は捻出できるのではないでしょうか。

ところで、橋本内閣時代の1997年に消費税の増税が実施されておりますが、この増税は景気回復の流れにあった日本経済と国民の家計を直撃し、ふたたび深刻な不況の時代へと逆戻りさせてしまいました。
これは現在でも肝に銘ずるべき痛恨の教訓かと思われます。
日本は今未曾有の大不況下にありますし、景気後退期に大増税をすれば国民経済は崩壊するのは経済政策のイロハであります。
日銀が今後二年間の経済成長の予測を発表しておりますが、2009度も2010年度もいずれもマイナス成長が予測されるという近年にない深刻な経済状況にあります。
この深刻な不況を突破するためには政府はそのもてる力をすべて動員して不況克服の先頭にたつべき義務があります。

財政再建はひとまず保留にしてでも積極的な財政出動が必要であり、国民のフトコロを暖めて個人消費を拡大するためにも幅広い庶民減税が必要になります。
さて、いま国会論議の焦点になっている問題に2兆円の定額給付金をめぐる問題があります。
この定額給付金は生活支援としても役立たないし、景気対策としても役立たないシロモノであり、与党による選挙目当ての“ばらまき”であることは多くの論者の指摘するところであります。

ここから先は私の私見になりますが、同じ2兆円を使うにしても、もっと有効だと思われる使い方をおそれながら提案いたします。
これは少なくない方々からすでに提起されていることかとも存じますが、この2兆円を食料品などの生活必需品にかかる消費税の引き下げに使っていただきたいと思っております。
低所得世帯にあっては家計に占める食料費の割合が高いのが通常です。いわゆるエンゲル係数の高さが低所得世帯の特徴でありますが、食料品を中心とした消費税の引き下げは家計に占める食費の割合の高い低所得世帯にとって手厚い支援になりますし、同時に個人消費拡大への大きな刺激策にもなると思います。

国民の7割から8割が定額給付金には反対し、暮らしを守るためにももっと有効な使い道を考えてほしいという世論の現状をふまえれば、生活必需品にたいする消費税の引き下げは国民の声にこたえうる選択肢だと思いますし。緊急の経済対策としても最適な方法ではないでしょうか。
谷田川さまにおかれましてはぜひともご検討くださりますようお願い申し上げます。
謹白

追伸
ところで、国会議員定数の削減について自民党は検討を開始したとのことです。
私は国会議員定数の削減は現在社会における多様化した国民の民意を考えた場合に、主権者である国民の民意の削減に他ならず、国民の参政権を削減する議会制民主主義から逸脱した筋違いの暴挙にほかならないと考えます。
現在の衆議院の選挙制度から民意を比較的正確に反映する比例代表を廃止して、小選挙区制オンリーに変えてしまうような単純小選挙区制につながるような議員定数の削減は、現在でも4割台の得票率で自公の与党が衆議院の3分の2を占めるという不公正な選挙制度のいっそうの改悪につながります。
そして、このことは少数政党の議会からのいっそうのしめ出しにつながり、大政党の議席独占をもたらします。これは国民主権にもとづく議会制民主主義の形骸化と破壊につながりかねません。

ましてや、「増税するにはまず国会議員が身を削る姿勢を見せるべきだ」として自民党などがこの問題を消費税増税の口実として利用し、大増税に道を開くために議員定数の問題をもてあそぶことは論外だと思われます。
民主党も衆議院の比例定数の80削減を明記したマニフェストを2003年の総選挙でかかげたことがありますが、議員定数削減は国民主権の問題であり、民意を削ることにつながることを考慮していただき、この問題には慎重に対応していただきたいと思います。

谷田川さまにおかれましては安易に議員定数の削減に同調することのないように振る舞われますことを切にお願い申し上げます。

民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、お読みくだされば幸いです。その3(対米関係についての要望)

謹啓、民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、西岡三郎です。
3度目のお便りをさしあげます。選挙戦準備の超多忙の折にもかかわらず恐縮に存じます。
さて、私が谷田川さまの後援会資料であります「雄姿」を拝読させていただきますと、オバマ米国新大統領の誕生をたいへん評価されておられることが印象に残りました。
谷田川さまのおっしゃられるとおり、ブッシュ共和党政権がこの8年間推進してきた市場原理主義と規制緩和を柱とする「新自由主義」の経済政策が米国社会に未曾有の経済格差を広げました。
全国的な公的医療保険がなく、医療保険に入れず病気になっても医者にかかれない人々が数千万人も存在するという、先進国では考えられない現状にあるのが米国の実態であります。

また、極端な金融分野の規制緩和路線が過度に投機主義的な経済社会を生み出し、膨れ上がった金融バブルが崩壊したことで世界的な金融危機が生み出され、米国のみならず世界中の実体経済に深刻な打撃をあたえました。
米国民はこのような共和党政権下での経済政策を拒絶して、共和党政権の「小さな政府」路線からの転換を民主党のオバマ候補に託しました。
これによりオバマ候補の圧倒的勝利が実現し、この米国での政治の劇的な転換を象徴するものがオバマ氏のかかげた「チェンジ(変革)」でありました。

ところで、谷田川さまは米国の民主党を見習ってわが国においても政治の「チェンジ(変革)」を実現すべきことを強く訴えかけております。
谷田川さまは自民と民主による二大政党による政権交代可能な政治状況を作り出すことと、ブッシュ共和党政権の経済政策をまねた小泉構造改革路線からの政策転換を「チェンジ(変革)」の具体的な中身として提唱しておられます。
私は後者については大賛成でありますが、できますればもう一つ、「チェンジ(変革)」の具体的な中身として、現状の従属的な日米関係を対等・平等の日米関係に転換することを目標としていただきたいと思います。

8年前のブッシュ前大統領の就任式を思い出していただきたいのですが、今回のオバマ氏の就任式に200万人以上の国民が祝賀に集まったこととは対照的に、2001年のブッシュ氏の就任式は2万人にも及ぶ市民の抗議の声のなかで催されました。
そして、この雰囲気をいっそう厳しいものにしたのがブッシュ前大統領の就任演説でした。
「自由」と「自由の敵たち」という“善悪”二元論にたった軍事力優先主義の思想で就任演説は彩られました。
そして、このブッシュ氏の思想は9・11の同時テロをきっかけとしてアフガニスタンやイラクへの先制攻撃戦争へと米国と世界を導いたのであります。

ところが、この米国の軍事覇権主義はいまや完全に破綻し、イラクやアフガニスタンの戦争は泥沼化し、それにともないブッシュ前大統領の支持率は急落しました。
オバマ氏を大統領に押し上げたのがこうした路線を「チェンジ(変革)」して欲しいとの米国民の世論と願いでした。

さて、ここでオバマ新大統領の就任演説の内容に注目していただきたいと思います。

「米国は平和で尊厳ある未来を求めるすべての国の友人であり、もう一度指導力を発揮する用意がある・・・」
「先人は力だけではわれわれを守りきれないことと、それを好き勝手に使えないことを知っていた」


このようにブッシュ前大統領の就任演説とはうって変わって、オバマ新大統領は自分と米国は「平和の友人」であり、軍事覇権主義の路線とは一線を画することを就任演説において誓約しております。
就任式でのこれらの言説が本当にオバマ新大統領の誠実さを表わしているとすれば、いまが旧来の従属的な日米関係を転換すべき時でありましょう。

「日米同盟」の現状は、日米安保条約の枠組みを超えて地球規模の攻守同盟化という危険な方向に変質しつつあります。
この変質は米国の強い対日圧力のもとですすみました。
ブッシュ政権の時代に米国の強い圧力の下で「テロ特措法」や「周辺事態法」、「イラク特措」などの海外派兵法制が次々と作られ、米軍の後方支援部隊として自衛隊の海外派兵が米国の圧力のもとで次々と強行されました。
このどれもが日米安保条約の枠組みである「日本有事」の際の「日米共同行動」や、「極東有事」が日本に波及した際の「日米共同行動」という枠組みを逸脱したものであり、この間の一連の自衛隊海外派兵の強行は地球規模での日米の軍事行動に道を切り開きました。

しかし、これらの地球規模での日米の軍事行動の法的根拠を現在の政府は説明できないでいます。
どんな「軍事同盟」でも条約上の権利と義務にうえに立って組み立てられるものですが、それを逸脱して「日米同盟」のためという理由だけで米国の戦争に地球上のどこでも付き従っているのが残念ながらもわが国の現状です。
言い換えれば、「超安保」のうえにたった従属的な軍事同盟の強化の道をひたすらつきすすんでいるのが日米関係の原状であろうかと存じます。
この「日米同盟」の現状はわが国の米国への異常な従属の実態を端的に象徴するものに他ならず、かくのごとき日米関係がまともで民主的な主権国家間のあり方といえるでしょうか。

そして、これらの「日米同盟」の地球規模での攻守同盟化と並行しておこなわれたことが、憲法9条を標的とした米国からの改憲圧力であります。
その実例がブッシュ政権の2007年の「第二次アーミテージ報告」であり、わが国の集団的自衛権行使にむけて邪魔となる憲法9条の改憲を促すために強い圧力をかけ続けてきております。

また、谷田川さまは小泉内閣以来、毎年2200億円の社会保障費削減のシーリング(概算要求基準)により社会保障が削られ、医療崩壊がもたらされた現実を語っておられます。
この社会保障費2200億円のシーリング枠組みのままでは医療、年金、介護などのあらゆる国民サービスが破綻していくことは避けられません。
そこで、私はあの悪名高い在日米軍への「思いやり予算」を見直してこの社会保障削減のシーリングを廃止する「財源」を捻出すべきだと考えます。

在日米軍への「思いやり予算」は毎年2500億円にものぼり、おまけに条約上も提供する義務のないものであります。
日米地位協定を踏まえても「思いやり予算」を米国に差し出すべき義務はこれっぽっちもありません。
これをやめるという決断さえすれば、社会保障費2200億円削減のシーリング撤廃の財源はこれだけで捻出できて余りあります。
そして、「思いやり予算」をやめて、そのための財源を社会保障に振り向けることは政治の姿勢一つで実現できるはずです。

お手紙が長く饒舌になってしまいますので、この辺で日米関係をめぐる具体的な事例の列挙はとどめますが、これらの事実だけでも現状の日米関係が支配と従属の関係であることが浮き彫りとなるに十分でありましょう。
オバマ新大統領が米国は平和を求める「すべての国の友人」であり、軍事力一辺倒では世界の問題は解決できないと言っています。
オバマ氏が就任演説でのこの誓約を誠実に守る人物であり、そして、彼が「チェンジ(変革)」をあらゆる領域に実行していく意思があるのなら、現状のような日米関係の現状を再検討し、変革していく絶好のチャンスかと思います。

この絶好のチャンスをいかして、これまでの支配と従属、軍事同盟強化の日米関係を、平和のパートナーとしての日米関係、対等と平等・互恵の日米関係に転換していくことに取り組んでくださるように民主党と谷田川さまにはご要望いたします。

お断りいたしますが、私はこのお手紙では日米安保条約の見直しや廃棄を提唱いたしません。
それは安保条約の廃棄はいまだに国民多数派の合意にいたっていないという現実をふまえるからです。
核兵器廃絶という課題には幅広い国民の合意がありますが、安保条約の廃棄はそうではありません
私と谷田川さまでは安保条約の評価ではおそらく180度違った立場にあるかと推測いたします。
しかし、現行の安保条約を所与の大前提としても、その気になれば平和的で対等で平等・互恵の日米関係構築へのアプローチは十分可能かと存じますし、私はそのことは政治に携わる方々のやる気一つにかかっていると確信しております。
                                   謹白

民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、お読みくだされば幸いです。その2

謹啓、民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、西岡三郎と申します。

2度目のお手紙をしたためます。
選挙実務に忙殺されておられるなか、手前勝手な手紙をネット上に投稿いたしますことをまことに申し訳なく思っております。
しかし、今年中にまちがいなく実施されます総選挙は、これからの政治の流れを大きく変える可能性をはらんだ政治決戦であります。
国の今後の進路や国民の暮らしや命にかかわる重大な事柄についてすべての論点を明確にしたうえで有権者に審判をあおぐべきだと存じます。
ゆえに、ネットという媒体を通じて、私の日頃感じております貴党にかんする疑問点等につきましてお手紙をしたためさせていただくことは、あって無きが如くのものかもしれませんが、けっして無意味なことではないと考えます。
それゆえこのようなぶしつけな書面をしたためさせていただくことにいたしました。
なにとぞ失礼の段をお許しください。

さて、「雄姿」という谷田川氏の後援会チラシのなかで谷田川さまは「二大政党による政権交代可能な政治状況を作り出し、役人ではなく国民のほうを向いた政策を実行すること」を強調されておられます。
また、「官僚組織は財政危機にあっても削減させるどころか増え続けるばかりだ。一方で国民は格差社会と貧困の増加で苦しんでいる。そこに官僚予算の一部を移すのが民主党の行財政改革だ。」との述べておられます。

日本の政治の最大の悪の根源は霞ヶ関の官僚だという議論がさかんに交わされております。
この論調はマスメディアで広く流布されており、民主党の皆様方も官僚批判をTVの討論番組や各地の街頭宣伝などでさかんに展開しておられます。
そして、この官僚批判は民主党にとどまることなく、少なくない自民党議員の口からも飛び出しております。

しかし、官僚批判をおこない「脱官僚支配」をめざすことが、真の意味で国民のほうに目をむいた政治をつくりだすことにつながっていくのでしょうか。
問題の根源にさかのぼって考えていただければ必ずしもそうではないことが見えてくるはずであります。

ここで、日本の政治構造の巨悪として従来から言われ続けてきた「政官財」の癒着、鉄の三角構造という問題を思いおこしていただきたいと思います。
この「政官財」癒着という構造は簡単に言いますと次のようなものになるかと存じます。

すなわち、財界・企業から政治献金を受け取っている政党や政治家が業界や企業の利益をはかるための政策の推進役となる。
そして、財界や企業をスポンサーとした政党や政治家の意向をうけて霞ヶ関の官僚群が予算や法案等をつくりあげ執行する。
最後にこのような政治プロセスの執行により利益を享受する財界や企業は、その見返りとして霞ヶ関の高級官僚のための天下り先の受け皿を用意する。

このような癒着の構造が、わが国の政治をかぎりなく大企業本位の方向へとゆがめてきた「政官財」癒着といわれるものの実態であり、これまで長きにわたってその是正と打破が国政上の大きな課題となってまいりました。

ところで、この「政官財」癒着の鉄の三角形のなかでその頂点に立ち、その司令塔となっているのは霞ヶ関の官僚群でしょうか。
実際には官僚群はこの三者のなかでは三番目の立ち位置にいます。
そして、この「政官財」癒着の実態をリアルに見つめていくと、その頂点に君臨しているのは財界大企業であることが見えてきます。
すなわち、財界大企業を司令塔として政党と政治家がそれに奉仕し、霞ヶ関の官僚群はその下請け機関となって動くのがこの「政官財」癒着のシステムであります。

それゆえ、財界、政治家および霞ヶ関官僚郡からなる「政官財」の癒着構造を批判し、その支配の打破をめざすことが真の意味で国民が主人公の政治を実現していくうえで必要なことであります。
とりわけ、この支配の頂点に君臨する財界や大企業を批判し、彼らの横暴を正していくことが国民が主人公の政治の実現にとって避けて通れないことではないでしょうか。

大企業中心主義のうえにかたちづくられた国の財政金融政策の体系にメスをいれるなかで、霞ヶ関官僚の既得権と特権を廃止・排除していくことが本当の意味で国民本位の行財政改革につながっていくと考えます。
貴党やメディアが展開する「最大の悪の根源は霞ヶ関の官僚」論は国民を苦しめる財界や大企業の横暴から有権者の目をそらすこととなり、むしろ有害な議論のように感じざるをえないのは私だけではないはずです。

大企業は今回の米国発の金融危機を源とした深刻な景気悪化の直前までは5年連続で史上最高の利益を上げ続けてきました。
この結果、溜め込んだ内部留保は資本金10億円以上の大企業だけでも230兆円の巨額に達しております。
2000年以降だけでも57兆円の内部留保の積み増しをおこなっていると聞きます。
これは働く人たちの雇用を守るためには十分な原資であり、強靭な体力を大企業は持っています。
しかるに大企業は雇用に対する社会的責任を投げ捨て、「非正規切り」や「雇い止め」を繰り返し、大量失業の引き金を引いています。
彼らの振る舞いは社会的にも道義的にも許されるべきものではありません。

「労働者の職業を安定させるための事業主の努力を助長するようにつとめる」(雇用対策法第1条)とあるように、危機を口実としてリストラを大規模に展開し、労働者をモノのように使い捨てにする大企業の横暴に毅然とした対応をすることが政府の責任であり、いま政治にもっとも求められることであろうかと存じます。
ゆえに、政権交代が実現し民主党政権が成立したときには、旧来の自民党政治の財界べったりの流れをきっぱりと絶ちきり、大企業に強力な行政指導をおこなうよう切望したしますし、必要であれば新たな立法措置を講ずるべきであると思います。

また、このようなきっぱりとした政治的立場にたたない限りは、谷田川さまの提唱しておられるもろもろの雇用対策も実効あるものとすることができないのではないでしょうか。

また、私がとくに谷田川さまや民主党にお願いしたいことはサービス残業の根絶であります。
労働総合研究所の調査によれば、労働者一人当たり年間に平均でサービス残業が120時間以上にのぼっている実態があるように聞きます。
そしてこの調査によれば、サービス残業をきっちりと根絶すればあらたに110万人以上の新たな雇用が生み出せると聞きます。
サービス残業はもともと違法行為であり、これを根絶するためには新たな立法はいりません。
現行法を活用し企業に責任を持ってルールを守らせることで可能となります。

また、サービス残業の根絶は雇用の確保と拡大に大きな効果をもたらし、大失業時代への対策としても非常に有効な方法ではないかと思います。
「国際競争力の確保」、「海外へ企業が逃避する」という財界側の言い訳はもう通用しません。
日本の企業は今でも大規模に海外に生産拠点を移しているし、日本企業のテクノロジーがなければ世界の産業界は成り立っていかないほど日本企業は競争力を持っています。

そして、経団連のいうワークシェアリングはゴマカシです。
このシロモノによれば大企業は自分の身銭をいっさい切らないし、賃金切り下げの口実にも利用されかねません。
サービス残業の根絶こそが最大のワークシェアリングであり、賃金の引き下げという労働者の犠牲をともなわない最上のワークシェアリングであります。

谷田川さまや民主党には是非この問題に取り組んでいただきたいと存じますし、この問題は日本中の働くものの長年にわたる最大の願いでもあります。
長文となってしまい恐縮ですが、お読みいただければ幸いです。
また、機会があればまたお手紙をしたためたいと思っております
                               謹白
西岡三郎

民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、お読みくだされば幸いです。(民主党の外交政策について)

謹啓、民主党千葉県第10区総支部長 谷田川はじめ様、西岡三郎と申します。
先ごろ、私の家のポストに「雄姿」という見出しのついた谷田川氏の後援会チラシが入っておりました。
そのチラシを手に取り拝見しましたところ、谷田川はじめ様の来るべき総選挙に向けた政策が載っておりましたので拝読させていただきました。
個々の政策については、失業者に生活資金や住宅資金を貸し付ける非正規労働者向けの雇用対策や、公立高校の授業料の無料化、子ども手当ての創設、農産物の自給率アップのための戸別所得保障など国民生活に必要なきめ細かい対策を提唱されておられることに一定の共感を感じるところであります。ぜひ、民主党政権誕生の折には実現させていただきたいと思っております。

しかし、同時に残念ながら、このチラシには私が民主党にたいして抱いております最大の問題点についてのコメントはありませんでした。
そこで、たいへん恐縮ですが私が民主党に抱いている最大の問題点について率直に拙文にしたためさせていただきますので、お読みくださるだけでも幸いに存じ上げます。
付け加えさせていただきますと、この私の感じていることは少なくない有権者の感じているところと共通すると考えます。

さて、私が民主党に抱いている最大の問題点とは、貴党の小沢代表が2007年の10月に岩波書店の総合雑誌である「世界」11月号に掲載した論文の中身であります。
小沢代表はこの論文のなかで下記のように明言されておりました。

今日のアフガニスタンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。」

ISAFとは独仏などNATO軍が中心となった国際治安部隊であり、国連主導のもと国連安保理決議によって創設され、初期の段階では首都とその周辺の治安維持にあたっていました。
ところがその後にタリバン掃討作戦をおこなっていた米軍も参加し、現在ではアフガン全土で米軍とともに掃討作戦や民間人にたいする無差別空爆を展開しております。
これらの事実と歴史的経過は、ISAFの現状は米軍と完全に一体化しており、当初の治安部隊という性格から大きく逸脱したものとなっているということを示しています。
現状ではISAFはイスラム諸国から米軍ともに「新十字軍」とみなされているれっきとした戦闘部隊といっても過言ではないでしょう。

また、小沢代表は国連決議にしたがって国連の活動に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものとなってもなんら憲法に抵触しないばかりか、むしろ憲法の理念に合致するものであると主張されておられます。
ISAFの実態や小沢代表の国連至上主義などから総合的に考えますと、小沢代表の構想は陸上自衛隊をアフガニスタンに送り、米国の泥沼の「対テロ戦争」にわが国が参加することに帰着せざるをえないのではと危惧いたします。
私はアフガニスタンの現実を考えると、軍事的手段による紛争解決へのアプローチはアフガン国民の憎悪をたかめるだけであり、「テロ」の土壌をいっそう根深くするだけだと考えます。
戦争によって「テロ」の根絶はできないことは、今までのアフガンの現実が何よりも雄弁に証明しております。
空爆や掃討作戦による民間人犠牲者は増える一方であり、外国軍の戦死者は増大する一方です。
そして、軍事行動による民間人の犠牲が増大すれば、国民の間に外国軍にたいする憎悪がひろがり、報復と憎悪がエスカレートするという悪循環がおこっています。

それゆえ、緊急に必要なことはカイザル現政権とタリバンという紛争の当事者同士が和平をめざした政治的対話のテーブルにつくことであり、アフガン問題の政治的解決の方向に一刻も早く流れを変えることであると思います。
そして、民主党政権誕生の際には、日本がインド洋から海上自衛隊を一刻も早く撤収して軍事的中立性を確立し、紛争当事者同士が政治的対話をはじめることができるように調停作業に乗り出すことがアジアや世界の平和にとって必要であり、それが日本の国益にもかなうことであるし、憲法の平和主義にそった国際貢献でもあると考えます。
また、米国のオバマ新大統領がイラクから戦闘部隊を撤収する代わりに、アフガニスタンを「対テロ戦争」の主戦場として米軍を増派することを公約しています。
このオバマ新大統領の方針のもとで、米国のアフガンでの軍事行動のエスカレートが予想される現状では、わが国がアフガンでの和平実現のために、当事者同士の対話による紛争の政治的解決をわが国の外交戦略の重点課題に位置付け、調停に乗り出すことは国際社会においても切に求められることであると思えます。

それゆえに民主党の小沢代表の「アフガニスタン戦争参加論」とでも言うべきISAFへの自衛隊の参加と国連決議のもとでの自衛隊の武力行使容認の構想には、大きな危惧の念を感じざるをえないのは私一人だけではないはずであります。

さて、この小沢代表の「アフガン戦争参加論」にたいして民主党内で反対する議論がおこらないように見えるのは私だけの思い込みでしょうか。
いまのまま、小沢民主党政権が誕生したら小沢民主党政権は陸上自衛隊をアフガニスタンに送り戦争に参加する危険性があるのに、この事態にたいして民主党内からなんらの批判の声もでない。率直に言ってこれが民主党の党内民主主義の現状に見えるのであります。
このことは民主党がその内部で自由な相互批判が交わされない非民主的な政党に変わってしまったことの象徴のように私には思えます。

また、民主党が小沢代表にたいして批判を許さない閉鎖的な政党になっているような印象を強く持っている有権者は少なくないように思えます
これがマスコミ等で、次の首相に麻生首相と小沢代表とどちらがふさわしいか国民の意識調査をおこなっても、麻生氏にたいする「NO」の声が多いのと同じくらいに、小沢代表にたいする「NO」の声があがるという現象の一因であろうかと思います。

そこで、谷田川さまにおかれましては、貴党の小沢代表が雑誌「世界」誌上で展開した持論、すなわち民主党政権樹立後に自衛隊をISAFに参加させるというこの構想にたいして、どのようなお考えをお持ちになっておられるのでしょうか。これは私のみならず多くの有権者にとってたいへん気になるポイントであります。
この構想が真の国際貢献でありアフガニスタンの和平を実現することにつながるとお考えでしょうか。世界平和への貢献よりも「日米同盟」を優先する構想とは思えませんか
そして、この小沢代表の構想に心の底から賛同されておられるのでしょうか。
小沢代表のこの構想はアフガン問題の解決に貢献するどころか、かえってアフガン国民にたいする外国軍の軍事行動のエスカレートと、それにたいするアフガン国民の報復と抵抗の増大という悪循環をもたらすだけと私には思えます。

戦争の泥沼化につながるでしょうし、知らないうちにわが国が戦争の当事者となる危険性をはらんでいると思います。
この拙文をお読みくださることを期待しております。

また、近いうちに民主党の国内政策についてもお手紙させていただきたいと考えております。

謹白

トヨタに代表される財界勢力の欺瞞

トヨタ自動車は昨年の12月22日において今年3月末における連結決算業績予想を発表して、本業のもうけを示す営業損益が今までの6千億円の黒字から1千5百億円の赤字に転落すると発表したという。
そして、トヨタが営業レベルで赤字になるのは決算数字の公表をはじめた1941年以来はじめてのことであるらしい。
また、この業績見通しを発表した同じ日に、トヨタの渡辺捷昭社長は「世界は激変しており、トヨタを取りまく環境はかってなくきびしい緊急事態に直面している」と“苦渋の表情”でトヨタの現状について語ったと聞く。

世界的不況のなか、とくに北米における自動車販売の業績悪化と急激な円高による為替差損により、当初の業績見込みに7千5百億円相当のマイナス要因が発生したことが、このかってなくきびしい環境ということの具体的な中身であるらしい。
この業績見通しを受けてトヨタ経営陣は「緊急事態と呼ぶべき厳しい状況」、「非常事態」として、工場の稼動停止をふくむ操業縮小をトヨタ労組にたいして明らかにしたという。

さて、これらの報道だけをみるとトヨタが深刻な経営難におちいっているように思えてくるが、本当にそうなのかと思うのは私だけではないだろう。
まず、「赤字」といっても業績見通しは営業収益についてのみふれているにすぎず、営業外の収益を含めた経常収益は連結ベースで5百億円、単独ベースではさらに黒字幅が2千2百億円にまで増えるという事実にはふれていないことだ。

海の向こうの米国ではいわゆるビッグスリーが企業の存続があやぶまれる状況にあり、連邦政府の公的資金による救済を求めているというニュースがとびかっているが、トヨタはそのような状況からはほど遠いのである。
このトヨタ経営陣による「赤字」宣伝に胡散臭さを感じるのを禁じえないのは、大量の非正規労働者にたいする「首切り」で多くの人が職も住まいも失い、真冬の寒空に下にほうりだされるという、いわゆる「非正規切り」が社会問題化しているなかで、「期間工切り」や「派遣切り」を最初に大規模におこなったのがトヨタであるからだ。
さらにトヨタは3月の年度末に契約期間の切れる1万人の期間労働者の契約打ち切りによる整理解雇を予定しているのである。
ゆえに、この宣伝のなかに「非正規切り」の引き金を引き、この面でのリーデングカンパニーとなったことからくる世論の批判をかわし、派遣労働者などにたいするリストラを合理化したいとの思惑を感じるのである。

トヨタが米国での自動車販売を戦略的重点として売り上げを顕著に伸ばしはじめたのが2002年であるが、それ以降の5年間でトヨタ全体の売り上げは10兆円増加し、26兆円をこえる規模にまで増加した。
それと並行して利益から法人税を差し引いて会社のなかに溜め込んでいく“内部留保”も5兆円以上増やし、14兆円にもせまろうとしている。
ここで、注目すべきはこの5年間にトヨタでは派遣工や期間工などの非正規労働者が5万7千人も増えており8万8千人にまでふくれあがっていることである。

ちなみにトヨタの正社員の平均年収は8百万円であり、非正規労働者のほうの平均年収は3百万円であるらしいので、この5年間の売り上げ増加にたいし、生産ラインでは非正規労働者の人員増加のみで対応したとすれば人件費削減効果は巨大なものとなる。

きわめて粗雑な算出となるが、この5年間にトヨタは内部留保を5兆円以上増やし、非正規労働者を5万7千人増やしていることから計算すると、非正規労働者を1万人増やすごとに1兆円に近い内部留保を溜め込んだこととなり、非正規労働者1人あたり年間で2千万円に達しかねない資本主義的な搾取をおこなったこととなるのである。
このように内部留保の大幅な増加は、文字通りの非正規労働者の血と汗と涙の結晶であるといってよい。

かって、トヨタ自動車の会長であり経団連の会長でもあった奥田碩氏は、「経営者たるもの、首を切るなら、腹を切れ」と言ったが、そのトヨタがここまで働くものに対して冷酷な経営体質に転換しているのである。
トヨタのこの経営体質転換の背景には2000年代に入ってトヨタがアメリカ市場に進出して収益を拡大し、世界一の自動車メーカーになっていったことが大きな要因として働いている。
当時のアメリカ市場は金融・住宅バブルにおどっていたが、このアメリカ市場に進出して収益を上げるためには“アメリカ型経営”をとることをよぎなくされたのであった。
“アメリカ型経営”の特徴は利益を株主と経営者に厚く配当することにあり、トヨタもアメリカ企業並みに株主配当と役員報酬を増やしていったのである。

最近の5年間でトヨタは株主配当金を急速に増やし、配当金総額を約1千5百億円から約4千4百億円へとほぼ3倍に増やした。
また、この間に役員報酬も1人あたり5千万円以上も増やしているのであるが、けっして見落としてはならないことは、その裏ではトヨタの正規労働者の賃金は低迷し、横ばい状態が続いてきたことであろう。
このように、トヨタは正規と非正規とを問わずに労働者を踏みつけにして、株主や役員を重視する企業へと企業体質が変わり、この面でも日本のリーディングカンパニーとなったのである。

しかし、この不況のなかで働くものの雇用を守り、庶民のフトコロをあたためて景気回復を実現するには労働者の雇用に対する大企業の社会的責任を果たさせることが必要である。
トヨタは今年の3月末までに契約満了で1万人の「非正規切り」をおこなおうとしているが、非正規労働者の賃金を年間3百万円として、1万人の非正規労働者の雇用を維持するのは3百億円の財源があればよい。

直近のトヨタの株主配当金総額は4千4百億円であるから、そのわずか6.7%を雇用にまわせばよいのである。
また、14兆円近い内部留保のうちわずか0.2%を取り崩せば「非正規切り」を中止することができる。
トヨタをはじめとした大企業は働くものの雇用に対する社会的責任を果たすべきであり、そのためには膨大な内部留保を活用すべきなのである。
また、「赤字宣伝」というパフォーマンスで、強靭な企業体力を隠し、「非正規切り」などの非道なリストラを正当化すべきではない。

さて、「柔軟な雇用の仕組みがなければ製造業は海外へ逃避する」、「日本の国際競争力の低下を避けねばならない」などと日本を代表する企業のトップが,製造業への派遣労働の規制強化についてマスコミの記者に問われた際に発言したという話も聞いた。
十年一日のごとく繰り返されるたわ言であり、「三百代言」である。考えてもみるがよい。
トヨタやソニーをはじめとした大企業はその生産拠点を中国をはじめとしたアジア各地に進出させており、遠くは北米や南米、ヨーロッパ諸国にまで広く展開しているのである。これほどまでに生産拠点を海外にシフトし日本国内の産業空洞化を促進しているのである。

また、船舶や航空機の部品や産業用ロボットなど日本のテクノロジーを抜きにして世界の工場は動きはしないし、ロケットも航空機も自動車も飛ばないし走らないのが世界の現実である。
これほどまでに日本のテクノロジーと製品は世界を席巻しており圧倒的な競争力を誇っているのである。
財界人は海外逃避も国際競争力もどちらも、派遣などの使い捨て労働やリストラの言い訳にはもはやなるものではないことを知るべきであろう。

また、経団連の御手洗会長が「雇用を守るためにワークシェアリングを」と提唱し、それにともなってメディアもこれを盛んに持ち上げて報道している。しかし、経団連の提唱するワークシェアリングはゴマカシである。
財界指導部は現在のところ、大企業の膨大な内部留保を吐き出す意思などはないし、増大させた株主配当を減らす意思もこれまたもっていない。
いわば、みずからの身銭はいっさいに切らずに、労働の分かち合いだとか、仕事の分かち合いだとかもっともらしい言い分をならべて、働くものの賃金を減らすことの口実としてワークシェアリングを用いているだけである。

財界大企業がまずなすべきことはワークシェアリングではなく、一にも二にも内部留保を吐き出し、株主配当を減らして、率先して非正規労働者の「首切り」をやめることであり、正社員とすることで安定した雇用を実現することである。

大企業の横暴にもの申すべき時代では!(資本の横暴にもの言えない「二大政党」)

1960年代から70年代は、いわゆる高度成長の真っ只中にあった時代であり、地域開発や成長路線をひたすら追い求めたために全国的に環境汚染が広がった時代であった。
水質汚染や大気汚染、土壌汚染など生産の拡大や高度化のもたらす環境汚染が日本列島全域で噴出したのである。
そして、住民たちも公害をひきおこした企業に押しかける、大きなデモをおこなうなどといった激しい紛争があちこちでおきた。
カラスの鳴かない日はあっても公害問題が新聞の一面に載らない日はないといわれるような状況にあった。

不知火海に面した水俣市ではチッソ水俣工場から垂れ流された有機水銀を原因とする“奇病”熊本水俣病が発生し、同じく新潟県の阿賀野川流域における昭和電工鹿瀬工場からの有機水銀は新潟水俣病を生み出した。
さらには富山県神通川下流域には神岡鉱山から流出するカドミニュウムが原因と特定されたイタイイタイ病が発生し、三重県四日市市におけるコンビナート工場群から吐き出される硫黄酸化物による大気汚染は四日市ぜんそくをひきおこした。

これらは四大公害とよばれ、あくまでも発生源であることを否定する企業にたいして被害者たちはあいついで裁判を起こし、責任を追及し補償を迫った。
そして、これら四大公害訴訟をめぐり、70年代初頭にはいずれもが汚染と企業活動との因果関係が認定され、原告側の損害賠償の請求を認める判決があいついでくだされた。

また、高度成長の中心に位置してきた東京では生活環境の悪化が際だっていた。
隅田川は産業排水などによって「死の川」と呼ばれるようになり、空にはスモッグが立ち込め、汚染された川の水の流れ込む東京湾は生き物が住む環境ではなくなっていた。
東京湾の内湾漁業は見捨てられ、近世以来の江戸前の漁業は幕を閉じたのである。

このような状況下で都政の転換を求める都民は「明るい革新都政をつくる会」を結成し、経済学者の美濃部亮吉氏を都知事候補に擁立した。
美濃部陣営は選挙シンボルに「青空」を選び、東京からの政治の転換を訴えて都知事選に勝利し、「東京に青空を取り戻す」ために経済発展に優先する環境権を認め、国の公害対策基本法よりきびしい基準を持つ東京都公害防止条例をつくりだした。

当時の政府は美濃部都知事の環境対策を行き過ぎとして、都の公害防止条例を違法としたのだが、逆にそのころから世界的に公害反対の運動が盛り上がり、東京は代表的な公害都市として「NO MORE TOKYO」と名指しされた。
そして、国民の公害反対の声を背景として、70年11月の「公害国会」において公害規制の法律が14本も成立し、翌年には環境庁も発足するにいたった。
こうして美濃部都政における環境対策は「開発」よりは「環境」をという人々の考え方の転換の契機をつくりだしたのである。

このように全国いたるところで産業公害や都市公害をもたらした大企業の横暴に当時の国民は異議の申し立てをおこない、国会の衆参両院とも自民党が絶対多数を占めるなかでも、日本国民は数多くの公害防除の戦闘を闘いとった。
そして、これと時を同じくして大企業のひきおこす企業悪にたいする警戒と批判が日本社会に大きく広がっていった。

それでは現代における大企業の横暴と企業悪は、どんな分野にどのような形であらわれているのか。
その典型は人間らしい労働のルールを破壊したことだ。
労働法制のいわゆる規制緩和によって非正規労働者を急増させ、大企業が「派遣切り」、「期間工切り」を先を争うようにおこない、雇用悪化と景気悪化の悪循環をつくりだしている。
そして、大企業は史上空前の収益を更新し続けたことにより溜め込んだ膨大な内部留保にはいっさい手をつけず、労働者から職も生活も住まいも奪い、真冬の巷にほおりだしている。
このような自分たちの社会的責任を無視した横暴勝手な大企業の行動が大手を振ってまかりとおっている現実が存在する。

また、いわゆる金融ビッグバン(規制緩和)により、東京証券取引所における株の売買の三分の二を外資(外国人投資家))がしめるようになった。
この外資の実態は投機マネーであり、この勢力は短期的な株の売買が目的である。
彼らは日本の個々の企業に目先の利益の確保のために人件費削減をせまり、「リストラ競争」に企業を追い立てる圧力として猛威を振るっている。
さらに、この勢力は今回の金融危機に際して、手持ちの株を問答無用で投げ売りして株の大暴落をひきおこしている。
外資すなわち投機マネーが日本経済と国民生活に甚大な被害をあたえた真犯人だ。

また、中曽根内閣の時代から「構造改革論者」は企業の国際競争力を強化しろ、そして強い企業が増えれば増えるほど日本経済は強くなると主張してきた。
この結果、一握りの輸出大企業が史上空前の収益を達成したが、労働者の賃金は引き下げられ非正規雇用への置き換えがすすんだ。
結果として日本社会は空前の格差社会となり、空前の規模で貧困が広がった。
そこへ、「財政再建至上主義」による庶民増税と社会保障費の切り捨てが重なり、庶民の被害を増幅しているのである。

簡単に俯瞰すれば、これらが現代における大企業の横暴と企業悪であり、1960年代から70年代にかけて全国に環境汚染をまきちらした当時の大企業の横暴と肩を並べるほどの横暴ぶりである。
こんな財界・大企業の冷酷非常なやり方に国民的な批判がひろがっており、財界・大企業の企業悪が社会問題化しつつある。

しかるに「二大政党」といわれる自民・民主の大企業にたいするスタンスはどうか。
まことに残念ながら、彼らは大企業の横暴にたいして事実上もの一ついえない。
麻生首相が経団連会長の御手洗氏に雇用の確保の“要請”をおこなった直後に、御手洗氏が会長をつとめるキャノンが、非正規労働者の大規模な切り捨て計画を平然と発表する体たらくぶりがこのことを象徴している。

1960年代から70年代にかけて、当時の野党のすべてが大企業の社会悪と横暴に程度の差はあれ批判をおこなっていた。
そして、特筆すべきは政権与党であった自民党でさえ政策文書のうえでは「大企業中心主義の克服」を述べていたことだ。
しかるに、現在の「二大政党」は逆に大企業にいろいろと指図され、通信簿を財界につけられて、その査定に応じて献金を斡旋してもらっている。

これがいわゆる「二大政党」の実態であり、自民か民主かの選択など不毛の選択であり、欺瞞的なスローガンでしかない。
大企業の横暴勝手にたいする国民の異議申し立てが始まった現在、この「二大政党」の枠を超えたあらたな政治的な選択肢とフレームが必要である。
自民か民主かいった「二大政党」を乗り越えた第三の選択肢である。

また、経団連はワークシェアリングを提唱し、雇用の維持を言いだしている。
しかし、ワークシェアリングの本質は雇用の維持を大義名分としながら労働者のいっそうの賃金切り下げを狙うところにある。
今おこなうべきは、いままでに大企業が溜め込んだ膨大な内部留保をとりくずすことによる雇用と賃金水準の確保と拡充であり、大企業には雇用と賃金水準を維持するのに十分な体力がある。
なにしろ資本金10億円以上の大企業は総体でこの10年間に32兆円の内部留保を積み増ししており、今後はこれを10年間かけて取り崩すだけでも雇用と賃金水準の維持には十分である。

また、景気回復が実現するまでの間に、生活必需品を中心として消費税の減税ないし非課税化をおこなう必要がある
これは国民の購買力を高め、内需の回復に貢献するはずだ。
百年に一度の大不況の克服のためには、そしてこの困難な状況のもとで国民の雇用と暮らしを守るためには、この二つは最低限必要なことではないか。

地方公務員への人件費攻撃をおそれるな(人件費攻撃の根っことは!)(その2)

人件費攻撃に背後にあるイデオロギーはいわゆる「小さな政府」とよばれる考え方です。
この「小さな政府」という考え方は経済財政諮問会議という国の機関が提唱しだしたものです。
この機関は経済財政政策に関し「有識者」の意見を十分に反映させ首相がトップダウンで政策を決めるために設置されました。また、「有識者」といっても日本経団連会長をはじめとした財界の方々が中心となっています。

さて、この機関が作成した文書のなかに「21世紀ビジョン」とよばれるものがあり、その文書の中に「豊かな公、小さな官」という表現がみられます。
一昔前は“公”と“官”が一致していました。すなわち公共サービスは“官”(公務員)が担っていましたが、これからは公務員を削減するなかで、小さな“官”すなわち「小さな政府」をめざしながら、公共サーブスの提供を充実させようということであります。
この考え方が「小さな政府」論のもととなりました。

では公務員を削減したなかで、それまでに公務員が担ってきた公共サービスを誰が提供していくのでしょうか。
これにこたえたものが2004年度に総務省が作成した地方公務員の削減計画である「新地方行政改革指針」であり、このなかで政府は今後市町村は企画部門を担うだけで、サービスの実施は営利企業と住民自身がおこなっていくことを明確にしました。
そして、営利企業への業務委託と地域住民のおこなう地域協働で5年間に地方公務員の20万人削減を目標としました。
いままでに、自治体の業務委託の受け皿として第三セクターなどがありましたが、今後は営利企業の公共サービス分野への直接参入の道を大きく開くものとなりました。

これに呼応して経済界でも「規制改革・民間解放で50兆円のビジネスチャンス」というスローガンがならび、保育所や老人ホームなどの社会福祉施設、図書館などの社会教育施設、体育館などのスポーツ施設などの公共サービス分野が営利企業の活動分野として広がっていくようになりました。

それでは営利企業が公共サービスを担うとどのような変化が現われるのでしょうか。

最近の事例として、07年の6月に訪問介護大手だった「コムスン」をめぐる不正事件があります。
それまでは自治体や社会福祉協議会などが担ってきた介護サービスは、介護保険制度の導入にともない営利企業もおこなえるように変わりましたが、「コムスン」は介護分野に参入した最大手の営利企業だったのです。
ところが、「コムスン」は新しい訪問介護の事業所を開設する際に、実体のないヘルパーを届け出るなど偽りの申請をしていたのです。
そして、これらの事業所が取り消し処分になる前に、みずから事業所の廃止届けをして「処分逃れ」を図ったという不正が発覚し、とうとう同社の事業所すべての更新と新規開設が厚生労働省の手によって封印されてしまったのです。

このため同社の訪問介護サービスを利用していた7万人の高齢者が介護不安にさらされるという深刻な事態におちいりました。
この事件は介護という公共サービスの一分野に規制緩和と民間活力の導入をはかり、営利企業に依存し介護サービスへの公的責任を後退させてきた介護保険の民活路線の問題点をうきぼりにしました。

また、東京都は認証保育所制度という独自の制度をつくり、認可保育所の設置基準を緩和し営利企業の保育所への参入を促進していました。
ところが、東京都の株式会社エムケーグループが設置していた東京都の認証保育所「ハッピースマイル東中野駅前園」をめぐって08年の12月に不正事件がおこってしまったのです。

事件の概要は開設申請の際に提出した事業計画書にあって確保済みとしていた8人の保育士の勤務実態がなく、虚偽申請による補助金の不正受給の疑惑が明るみになるというものでした。(補足をするとこの保育所は10月の末に経営難を理由に突然閉園をしていたのです)
この出来事は営利企業が設置した都の認証保育所をめぐって園料が高い、運動場がない、職員の待遇が低いなど保育の質の低下に保護者の不安の声が上がっているなかでおこりました。

このように公共サービスの分野に営利企業が参入することによる多くの問題点が次から次へと表面化しています。

ところで、自治体のおこなう公共サービスを考えるうえで大事なことは憲法25条であると私は考えます。
「すべの国民は健康で文化的で最低限の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部門について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進につとめなければならない。」

この憲法25条の条文は前段では国民の健康で文化的な生活を営む権利を宣言し、後段ではそのための国の義務を定めています。
憲法では国民の権利を守るために行政は努力しなければならないとされているのに、公共サービスの提供を営利企業がおこなうようになると、それがサービスをお金で買うことにおきかわっていきます。

権利として保障された公共サービスからお金で買う公共サービスへと変質していきます。
お金のある人はよいサービス、ない人はそれなりのサービスということに事実上なっていってしまいます。

自治体は「住民福祉の増進」に責任を負っています。
そのなかにあってはすべての住民を公平に扱うことが必要であり、お金持ちのためのサービスであってはなりません。
また、儲からないといって撤退をせずに責任を持って公共サービスを提供し続けることが必要です。

このような理由によって他の先進国では公共サービスは公共機関が提供するの鉄則となっており、公共サービスの民営化がすすんだ国でも民間から公共へと回帰していく流れがおこっています。
数年前の資料によると、他の先進国では人口1000人あたりの公務員数がフランスは96.3人、米国は80.6人、サッチャー行革のすすんだ英国でさえ73.0人であるのに、日本の場合は35.1人にすぎません。

人件費攻撃や公務員削減路線の根本にある「小さな政府」論はこのような問題点を抱えており、公共サービスに対する公共的責任の放棄と表裏一体の公共サービス分野での営利企業依存は自治体のあり方を変質させるものです。

地方公務員への人件費攻撃をおそれるな(人件費攻撃の根っことは!)

最近の人件費攻撃はマスメディアがごとあるごとに地方公務員をバッシングしているためか、とみに一般の庶民の間にも強まってきている。
この地方公務員パッシングの背後には自公政府がおり、このような政府の代弁者となったマスメディアがこれを強めるという構図が存在している。

小泉構造改革は弱肉強食の市場原理の徹底を社会の隅々にまで広げた。
その顕著な事例は、働くものの暮らしと権利を資本の横暴からまもる労働法制の解体を規制緩和の名のもとにすすめたことである。
また、財政再建至上主義をかかげながら「骨太の方針」と称し、財政赤字の圧縮を旗印に社会保障の削減をおしすすめ、いちだんとコストカットをすすめた。
この結果、社会はいわゆる「勝ち組」と「負け組」に二極化し、「勝ち組」は社会全体の所得水準を低くし、富の少数者でのいっそうの独占をはかろうとするようになった。
この「勝ち組」には自公政府や財界、御用学者、マスメディアなどが含まれることはいうまでもない。

また、「勝ち組」の代弁者は構造改革論者とよばれた。
彼らは富の少数者での独占のための長期的なプランニングをつくり、それを民間の弱者を切り捨てることからはじめたのである。
1980年代に日本市場の“開放”を求める米国の横車により「大規模小売店舗法(大店法)」が導入され、零細商店や個人商店の多くが廃業に追い込まれるようになった。
そして、スーパーマーケットや大手流通資本の進出が容易になり、全国各地で家族だけで営んでいる店舗のほとんどがなりたたなくなってしまった。
とくに地方の地域社会にとってはこの「大店法」の導入は大打撃であった。

また、大企業にたいしてはリストラを奨励し、首切り自由の権限を企業に与え、労働者の給料を下げた。
さらにリストラを推進した企業には補助金をだしてそれを奨励するための法的なレジームの整備すらつくられたのである。
これらの「構造改革」の波は1970年代末から80年代にかけて、イギリスや米国の一部富裕層や大企業の支持のもとでの「サッチャー革命」や「レーガノミックス」としてはじまるが、このうねりは「格差社会」という悲惨な現実をつくりだしながら、ブッシュ政治や小泉構造改革によって繰り返された。すなわち同じあやまちは二度繰り返されたのである。

この結果、民間の労働者の給与は切り下げられ、以前は民間の労働者よりも低かった地方公務員の給与が相対的に民間よりも高くなったのである。
ここにいわゆる「官民格差」が生じ、それと時を同じくして政府とマスコミも地方公務員の給与は高いといいはじめた。

これは社会全体の所得水準を低くして、少数者による富の独占をねらう、構造改革論者による一種の時間差攻撃であった。
まず、民間の弱者を切り捨てることで一歩先に生活水準を落とされた層と、後に回された地方公務員などの層との間に格差を生じさせ、そこに分断と反目をつくりだしたのであった。
そして、政府財界やマスメディア、御用学者はここに狙いをつけた。
これが地方公務員バッシングの構造である。

くわえて、昔から庶民のなかに刷り込まれた「官尊民卑」の風潮のなかでの公務員にたいするある種のコンプレックスの反動が、この地方公務員パッシングを増幅した。

だが、この問題の正しい解決方法は地方公務員を攻撃することにはなく、「構造改革」により崩壊したいわゆる“一億総中流社会”を復元することにあると私は思う。
過去の高度成長によりいったんは実現した“一億総中流社会”の復元のためには「格差社会」にメスを入れて、民間の人々、特に弱者の生活水準を引き上げていくことが何よりも求められるだろう。

また、この公務員バッシングと同時にすすめられたのが「生活保護費の支給水準の見直し」であり、生活保護世帯へのバッシングだ。

これは生活保護世帯への支給額が高すぎて国民の間の公平感が損なわれているとの口実により、生活保護世帯への支給額を低所得世帯の水準にまで切り下げるべきだという主張である。
このため70歳以上の生活保護世帯に支給されていた月額18000円の老齢加算が2006年度に廃止され、さらには15歳以下の子どもがいる一人親世帯に支給されていた月額2万数千円の母子加算が、2007年度から段階的に撤廃されつつある。

だが、この論理もおかしいし血も涙もない。
なぜ生活保護世帯以下の低所得層が増大したのか、その理由を考えるべきである。
それは、小泉構造改革が米国の圧力により完全雇用政策を放棄し、いわゆる派遣や契約社員、パート・アルバイトなど使い捨ての就業形態を増やすことで、若者をはじめとした多くの人々の就職の道を閉ざしたからである。
この結果、勤労世帯における生活水準の切り下げが横行し、生活保護基準以下の低所得層が増大してしまったのである。
いわば、政府の弱者切り捨て政策によってつくりだされた極端な低所得層の所得水準に比べて、生活保護基準のほうが相対的に高くなったにすぎない。
そじて、これほど非人道的なやり方はなく、また底辺の貧しい人々の人権を無視した非情なやり方はない。

ここでも、問題の解決の方向は恵まれざる層の所得水準を引き上げることにある。
低所得者の賃金を生活保護基準以上にしていくことに政策の方向が切り替えられねばならないだろう。
最低賃金制度を改善し、現行の全国平均1時間687円を全国一律の1時間千円以上に引き上げる必要がある。
しかし、ここまで引き上げてもイギリスの最低賃金の水準である1時間1250円前後と比較してもはるかに少ないのである。

地方公務員バッシングと生活保護世帯バッシングの両者は弱肉強食主義と市場原理主義にもとづき、「勝ち組」による富のいっそうの独占をすすめる構造改革路線を推進する強力なテコの役割をはたしているのである。

ここに人件費攻撃の根っこがあると私は考えている。
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