光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2009年04月

病院休止への道を自ら敷き詰めた岡野俊昭前市長(岡野氏の政治責任とは!)

岡野市政誕生からほぼ一年がたとうとしていた2007年(平成19年)の7月に、銚子市立病院ではほとんどの病院スタッフをして「今月で病院は閉鎖になってしまうのでは!」と思わせるほどの経営危機に直面していた。
これは、新臨床研修制度の導入と医療費削減を狙った厚労省の診療報酬の切り下げという背景のもと、野平元市長による病院長の給与削減をきっかけとして、医師の派遣元である日大が医師引き上げを始めたことに起因していた。

医師1人が1億円以上の医業収入をもたらしていた市立病院の台所事情からして、多数の医師の退職は病院存続にかかわるほどの危機的な状況をもたらすこととなる。
だが、岡野前市長を先頭にして、病院長や事務局長をはじめとした病院スタッフが懸命の努力で病院経営の再建に奔走し、1年間で常勤医5名、非常勤医6名を配置した。
これは全国的にも例のない医師の確保であり、医療専門誌などでは「経営危機から一転光明」と報道され、奇跡的ともいえる病院の再建が始まった。

閉鎖寸前の病院は立ち直り、経営の困難を抱える多くの自治体病院の関係者が視察に訪れるほどになる。
そして、2008年度(平成20年度)には「24時間救急の受入体制の確保」や「人間ドッグの再開」などを目標に持った「病院事業健全化計画」(2007.10月作成)が病院スタッフの手によって練り上げられ、病院再建はいよいよ軌道に乗り始めるかのように見えた。

だが、このころから岡野前市長の態度が変わり始め、 “病院潰し先にありき”の民間コンサルタントに「病院事業健全化計画」の調査(400万円)を依頼する。
この調査依頼に託した前市長の意図は病院復活を否定する調査結果を出させることにあり、期待どおりの調査結果を受け取った岡野前市長は、病院が市財政を悪化させている最大の原因と位置づけ、病院立て直しの中心であった事務局長を解任した。

このことは「私の片腕を取られた。病院は良くなったのに市長をはじめとした執行部は認めない。このような状況で私に何ができるか」と嘆く病院長をも2008年の3月に辞任へと追いやった。
この病院長の辞任はさらに波紋を広げ、前市長の態度に不信感を募らせた医師が連鎖的にやめていく事態にまで発展する。

病院が立ち直っては困るかのような岡野前市長の態度の豹変は不可解であり、コンサルタントの言い分を一方的に信用し、現場の実態を熟知した病院スタッフの作成した計画を否定した岡野前市長の振る舞いは、医師不足と財政難から復活を遂げようとした病院スタッフの懸命の努力を踏みにじるものであり、多くの人材の流出を招いた。
また、このことが必然的に4月以降の市立病院の経営危機の到来を招くこととなってしまう。

ところで、野平元市長の施策をきっかけとしてはじまった2006年度(平成18年度)における医師の大量退職は病院経営を大きく揺るがしたが、これを再生するには病院スタッフの懸命の再建努力とともに一定の資金と時間が当然に必要になる

事実、2006年度においては市から病院への規定の9億円の繰り入れ(資金投入)では足りず、さらに7億円(計16億円)の追加投入が必要となったし、2007年度には6億円(計15億円)の追加投入がおこなわれた。この市による財政投入はスタッフの懸命の再建努力もあり、市立病院の復活を支えた。
そして、2008年度には一定の資金投入さえあれば病院再建は本格化し、ほぼ完全に危機を乗り越える見通しが立つ状態にまで回復していた。

だが、ここでも岡野前市長の態度は不可解を極めた。

2008年3月の市議会で岡野前市長は2008年度における病院への繰り入れは規定の9億円以上は1円も出さないとの態度に終始したのである。
これは年度の途中で市立病院の運営資金の不足が生じても市としては支援せず、その時点で病院は“おつぶれ”でございますということを意味した。

岡野前市長は年度の途中で病院業務がストップしてしまう可能性をはらんだ2008年度予算をその危険性を十分に承知の上で強行したのであり、この理不尽な前市長の態度も病院長を辞職へと追いやるもう一つの大きな要因となる。

市立病院は守り充実させる」という選挙公約で登場した岡野前市長は、病院が立ち直り「病院経営健全化計画」が出来上がったころから態度が変わっていく。
まるで、病院が立ち直っては困るかのような不可解な態度へと豹変する。

コンサルタントを利用して「病院事業健全化計画」とスタッフの再建努力をつぶしたこと、および予算編成時における「9億円しか出せない」という岡野前市長の不可解で頑なな姿勢とが、4月以後における市立病院の経営危機と「9月末休止」という事態をつくりだしたそもそもの原因であり、その直接の当事者である岡野前市長の政治責任は重い。

医師の引き上げにより、入院、手術、救急の受け入れができなくなり、市立病院が公立病院としての機能が果たせなくなった事態を招いた責任は少なからず岡野前市長にある。
少なくとも、病院長の辞任により多数の医師が連鎖的に辞めていった2008年4月以降の病院経営破綻の責任はすべて岡野前市長が負わねばならないだろう。

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「野平劇場」の再演は御免こうむりたい!(野平市政の実相にせまる)

空前のブームを呼んだ「野平劇場」IN 2002
2005年の通常国会において、時の小泉首相は自らが「改革の本丸」と位置づけた郵政民営化関連法案の成立に政治生命を賭けていた。
だが、自民党内には亀井静香氏や平沼赳夫氏を筆頭に反対が続出し、法案を審理する党総務会は紛糾し、事態は郵政民営化関連法案をめぐる小泉と亀井・平沼らとの政争へと発展する。
この抗争は同法案をめぐる国会審議にも反映し、同年の8月8日の参議院本会議では自民党議員22人が反対票を投じ、郵政民営化関連法案は否決されたが、小泉首相は直ちに衆議院解散を強行した。
小泉首相は法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えずに、その選挙区には党公認の「刺客」候補を送り込む戦術を展開。そのうえで、小泉首相は郵政民営化を問う選挙とすることを明確にするため、この解散を自ら「郵政解散」と命名し、マスコミ報道をフルに利用しながら、反対派を「抵抗勢力」とするイメージ戦略を展開した。
そして、マスコミ報道を利用した劇場型選挙は都市部の大衆に受け、大量の無関心層をも投票場へと動員し、自民党だけで296議席、公明党も合わせると与党で327議席を獲得する圧倒的勝利をもたらすこととなる。

そして、この選挙がマスコミにより「小泉劇場」と呼ばれ、時の流行語ともなった。
さて、2002年の夏、銚子市においては「小泉劇場」を先取りするかのように、ミニ「劇場」が展開されていた。
この年の7月の市長選挙に、元自治官僚であり岡山県の副知事も歴任した野平匡邦氏が出馬し、人口減や地元商店街を中心とした市経済の停滞に悩む市民に対し、この現状を大学誘致で活性化してみせるとの公約を掲げ、鳴り物入りで華々しく登場した。

「だが、銚子市の財政事情は厳しく、大学への多額の補助金を支払う能力などないではないか。」……市の関係者や市民は誰しもそう思ったが、野平氏はそのような心配はいらないとばかりに持論を展開する。

“私には「打ち出の小づち」がある。広域市町村合併による30万人都市の実現、地方活性化事業債、千葉県からの45億円の補助金などを活用すればよい。そうすれば銚子市は大学に補助金を払って誘致を成功させることができるし、そのうえ毎年69億円の経済効果を生み出すことができる。市民は多少の負担だけ我慢すれば良いのだ。”

こうして、大々的なPRもあり野平氏の持論は市民の間に急速に浸透していき、「小泉旋風」以上の期待感とブームが銚子の街じゅうに広がっていった。
このブームは市長選挙の結果に反映し、現職の大川氏を2万7千票近いダブルスコアで圧倒し、野平氏は銚子市長に選出されたのである。
これが「野平劇場」であり、2002年の夏の銚子市長選挙であったことは記憶に新しいところである。

「野平劇場」のその後の顛末と結末!
さて、この「野平劇場」の顛末については周知のとおり、「野平劇場」の舞台装置の大部分が“見かけ倒し”であることが次々と判明していく。
広域合併は早々に破綻し、千葉県からの補助金も空手形であり、交付税還元つきの地方活性化事業債の活用も根拠のない話であったことが早晩に判明していき、また、市経済への毎年69億円の経済効果も机上の空論であり、誇大表示であったことが次第に市民の間に明らかとなっていく。

結局は野平氏が唱えた「打ち出の小づち」はなかったのであり、大学への補助金92億円は全額銚子市の負担となってしまい、銚子の市財政は史上空前の危機的状況を迎えてしまったのである。
この財政危機の帳尻を合わせるために、野平市長がとった手段は大幅な公共料金の値上げであり、市民サービスの切り捨て、異常なまでの職員人件費の削減、災害など緊急の出費に備えた各種基金(貯金)の取り崩しなどであった。

とくに公共料金の値上げはすさまじく、一世帯当たり平均3万1千円にも上る国民健康保険料の引き上げや4倍にも跳ね上がったゴミ袋代、下水道料金や保育料・学校給食費の値上げ等となって市民の家計を直撃したのである。
また、市職員の調整手当の廃止を巡っての野平市長のやり方は強引極まるものであった。

野平市長は職員組合との合意を無視して、調整手当廃止のための議案を議会に提出したが、これが議会で否決されると、市長自ら調整手当の「違法性」につき市の監査委員会に監査要求をおこなった。
だが、「違法でない」と判断されると、「見解の相違」と開き直り、この後2度にわたって、手を変え品を変えながら議会に提案したが、両者とも議会が否決したため、最後には野平市長が独断で「専決処分」により廃止を強行してしまったのである。
これは、議会の審議権を否定する暴挙でもあり、市財政窮迫の原因が大学誘致への寄付金にあることを「人件費問題」にすり替える仕掛けづくりの一端でもあった。

さらに、野平市長は「人件費非常事態宣言」なるものを発し、調整手当の廃止の強行を先頭にして次々と一般職員の削減と給料の引き下げをしていったが、この「人件費非常事態宣言」なるものは、あたかも市の自前のお金がすべて人件費に消えてしまい、それが市財政圧迫の原因であるかのように市民に思い込ませる仕掛けであり、市民の負担をできるだけ小さく見せかける誇大宣伝と虚偽表示により世論を誘導し、大学誘致を強行したことが市財政窮迫の本当の原因であることをごまかすための仕掛けでもあった。

これらが、「野平劇場」のもたらした顛末の一部であり、大学に熱中し暮らしや福祉にソッポを向きながら、市民いじめや職員いじめを繰り返した野平市政4年間の実相であった。
さて、岡野前市長のリコールを受けて2009年の市長選挙が間近に迫っているが、初演の顛末を見届けている市民にとっては、「野平劇場」の再演は御免こうむりたいものではなかろうか。

「野平劇場」初演時の主役は「大学誘致」であったが、今回の再演時には「銚子市民病院再生」という新しい主役を登場させている。
大学への90億円の寄付金が、今回は新病院の100億円以上の建設費に変わっており、“加計学園”という登場人物が、今回は“某医師集団と組織”に変わっただけであって、今回も単に、登場人物を差し替えただけの旧「野平劇場」の再演であることは多くの市民に見えやすくなっているのではなかろうか?


野平匡邦氏の銚子市長としての資質を疑う!(公私混同ぶりとマハリシ騒動)

野平元市長の場合に、市長という仕事にとりくむ姿勢の問題に関して、在任当時に厳しく指摘され続けた悪しき性癖がある。
それは公私混同ぶりが日常の職務の遂行のなかで際立っていたことである。

野平元市長の場合、日常の職務においてまず目を引くことは異常な主張ラッシュであった。
「行革」と称して市職員の主張旅費を削減しながら、自らは一年間の半分も銚子市を留守にして首都圏方面を中心に全国各地を飛び回っていたのである。

たしかに、補助金などのお金を獲得するために全国を走り回っていたのであり、銚子市のために東奔西走していたのだという言い訳が成り立たないわけでもない。
だが、この出張の中には政治家のパーティや近隣首長の親族の葬式などが含まれており、必ずしも公務のために東奔西走していたというわけでもないらしい。

だが、なによりも一地方都市である「銚子市」の市長がこんなに出張が必要なのかという疑問符がつくことは否定できない。

さて、野平氏は市長在任当時にみずからホームページを開設し、そのなかで2004年(平成16年)における氏の“舞台芸術鑑賞全記録”なるものを掲載していた。
それによると、同年の1月から12月までの一年間に65回の芸術鑑賞をしていたことが記録されている。

これだけを見るとさすが、東大を出て司法試験にも合格した元自治官僚のエリートだけあって、趣味のほうも極めて“高尚”だという印象だけが残るが、この野平元市長の鑑賞記録と市役所の秘書課における市長の出張伝票をつけ合せてみると、驚くべき事実が浮かび上がってくるのである。

ホームページに記載された65回の芸術鑑賞のうち、35回分が出張伝票の日付とぴたり重なっているのだ。

市長の出張は運転手つきの公用車によるものであり、公用の前後かは別にして、おそらくは公用車をどこかに待機させながらの野平元市長の芸術鑑賞だったのだろう。(さぞや、いずれの出張も芸術鑑賞の“感動”に浸っての有意義なものだったの違いない)

はなはだしきは、同年の1月18日には、ニューイヤーコンサート鑑賞のためだけに出張の伝票を切っていたことも明らかになっているのである。

また、2004年(平成16年)の2月にはオランダへと十日間の海外出張をおこなっているが、ここでも例の野平元市長の“舞台芸術鑑賞全記録”によれば、現地で七つの舞台芸術を“鑑賞”していたことが判明する。

ダッチ・フィルハーモニー管弦楽団コンサート、歌劇「ばらの騎士」、ワルトラウト・マイヤー・メゾソプラノリサイタルなど、綺羅星のごときアーチストの舞台芸術鑑賞のオンパレードぶりである。

また、このオランダ訪問では後半に例の「マハリシ本部」を訪れている。
聞くところによると、「マハリシ本部」からヘリコプターでの出迎えがあり、コテージに招待され豪華な食事の接待を受けたという。おまけに民間人(市長の有力後援者だったらしいが)が一緒に同行していたらしい。

この席で、国民宿舎廃止後の再利用という名目で野平元市長自身がマハリシの銚子市への進出を要請し、帰国後に「外資系大学の誘致に成功」とテレビの全国放送でPRをおこなった。

マハリシはたいへん謎めいた団体であったが、その後にようやく市民の手でその実態が突き止められたことは幸いであった。

そして、市民の手によって明らかになったマハリシの実態は驚くべきものであり、マハリシの実態をもろもろの情報から総合していくと、この団体の目的は「空中浮遊」により地上の楽園をつくりだすことであり、「空中浮遊」を習得する手段としての「超越瞑想」の普及を推進している団体であることが明らかにされたのである。

また、広く人を集めるために、入り口ではエステや健康法などを表看板として利用していることも判明したのであった。
それから時をおかずに、マハリシはまぎれもなく世界的規模の新興宗教団体であり、ことによるとカルト教団の一種かもしれないという実態があっというまに市民の間に知れ渡っていく。

そして、市民はすでに霊感商法の統一協会やサリン事件のオウム真理教などの事例によりカルト教団の危険性を十分に認識していたのだ。

市民の間に当然のごとく「マハリシグループ」の銚子市進出に反対する世論が高まり、紆余曲折の末にグループ自体が進出を辞退するという結末で“マハリシ騒動”は終結したが、「外資系の大学」と言い張り、マハリシグループの実態を市民に隠して銚子市に呼び込もうとした野平元市長の罪は重い。

当時は国民宿舎廃止後の再利用につき、市民から再利用をめぐってアイデアの公募が行われていたが、市民からのアイデアをまったく無視しながら「マハリシグループ」の招待に応じてオランダの本部を訪問し、市長自ら銚子市への進出を要請したという野平氏の独断専行ぶりにも目に余るものがあった。

さて、話をオランダ訪問にもどすと、この訪問には問題点が二つあった。
第一は、まぎれもなく市長としての海外出張であり、税金から高額の旅費が支給されるにもかかわらず、野平元市長は公私混同ぶりをいかんなく発揮して“高尚”な舞台芸術三昧の日々を過ごしていたことだ。

そして、第二は舞台芸術三昧のついでに世界的“カルト教団”の可能性の高い「マハリシグループ」にたいし、その実態を銚子市民には秘匿しながら、野平氏自らマハリシ本部に出向いて積極的な誘致活動をおこなっていたことである。

公私混同ぶりとカルトめいた巨大新興宗教団体とのコンタクトというこれらの事実は、野平氏の市長としての資質が根本的に問われかねない出来事であり、それに決定的な疑問符をつけざるをえない出来事であったと言えよう。




「大学誘致という名の大型開発」の損益勘定はどうだったか!(野平匡邦氏の市長在任当時をふりかえる)

高度経済成長の終えんにともなう名洗重要港湾化構想の自然消滅の後、1980年代の後半に浮上したものが「名洗マリンリゾート計画」である。

これは名洗開発にかんする「日本港湾協会」のレポート、およびこのレポートをアレンジした川崎製鉄・千葉銀行による「基本構想」なるものをベースに銚子市が「マリンリゾート構想」として推進したものであり、その内容は名洗港を千隻(ヨットなど)収容のマリーナとし、関連施設をつけて第三セクター(市と民間企業)が経営し、後背地となる埋め立て地は川崎製鉄と千葉銀行がリゾートマンションなどを建てて開発するというものであった。

だが、この計画は開発に着手する前にバブル経済が破綻してしまい、後背地開発から川鉄と千葉銀の両者が相ついで撤退したのちは、マリーナ建設だけが押しすすめられることとなってしまった。

この結果、大手開発業者に後背地を売却し、その金でマリーナ開発にともなう借金を支払うこととした「マリンリゾート構想」は大きく挫折し、70億円近い多額の借金と空き地の後背地が残されるという無残な失敗に終わってしまったのである。

当時の銚子市はバブル破たんの影響は受けないと強弁し、銚子市の負担、雇用や特産物の利用拡大、入り込み客数等の損益勘定さえ曖昧なままに突っ走ったのであり、市場経済には好不況の波がつきものという経済のイロハすらわきまえぬ銚子市の「名洗リゾート計画」の失敗は当然の帰結であったと言えよう。

また、この「名洗リゾート計画」は市内主要団体挙げての「名洗マリーンリゾート促進・市民会議」なる官製の組織が“市政振興”をかかげ応援団の役割を果たし、議会の多数の議員も“地域経済の活性化”などを理由にこれを後押ししたことも付け加えたい。

これらの推進派は銚子市の地域振興という重大な課題を、企業誘致という「他力本願」に頼む“棚ぼた待望勢力”であり、自分たちの流す汗で地域の活性化を図ろうという考えに欠けていた。

高度成長や列島改造論に便乗した東電火力誘致や名洗重港化、そして、バブル経済終焉後のリゾート開発等、度重なる失敗は企業誘致という「他力本願」に頼る地域振興の限界を余すところなく露呈しており、企業誘致による大型開発路線に総括と反省をせまるものであった。

旧西ドイツのワイツゼッカー大統領はその演説の中で「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」という有名な言葉を残していることは知られている。

だが、この有名な言葉を知ってか知らずか、「マリンリゾート構想」の破綻と失敗という過去の教訓に目を閉ざし、企業誘致による大規模開発に銚子市の命運をかけようという動きが再び始まったのである。

2002年の市長選挙で「大学誘致」を公約に掲げた野平匡邦氏がその動きの火付け役となり、大学という名の企業誘致に銚子市の命運をかけようとした多数の市民が野平氏を銚子市長に押し上げることとなった。

野平氏は市長選挙出馬以来、「大学誘致にともなう財政負担は県と市で」と吹聴し、大学への寄付金負担は県で45億円、市で45億円と宣伝した。
また、起債(借金)活用でも地域活性化事業債で24億円の国の交付税還元があるとして、市の負担を極力小さく見せかけようとPRにつとめた。

しかし、野平氏が吹聴した県負担や交付税還元は根拠のないことが直後に判明し、結局は92億円全額が銚子市の負担となってしまったのである。

市民を苦しめるようなお金をいただくわけにはいかない」と、巨額な寄付金負担を見かねた加計学園理事長の一言により、一部の負担金を大学側が辞退したことで市の負担は最終的には77億5千万円となりはしたが、この莫大なツケは市財政と市民生活に深刻な影響を及ぼした。

加計が家計を圧迫する」との新聞報道は、大学のために市財政が食い物とされ、市民負担は増え、しわ寄せが市民生活に覆いかぶさっていく状況を象徴した。

また、当時の野平市長は大学誘致にともなう経済効果を「毎年69億円」と試算し、その算出根拠を「新入生全員が30万円の電化製品と家具を、7割が15万円のバイクを、3割が150万円の自動車を銚子市内で現金購入」などと説明した。

この年間69億円という数字をもとに試算してみると、銚子市の人口が約7万人とした場合に、生まれたばかりの赤ん坊から100歳のお年寄りにいたるすべての市民ひとりひとりに、年間で約10万円の経済的な恩恵が及ぶことなる。

いま麻生政権が「景気対策」と称して予算規模2兆円の特別給付金のバラマキをおこなっているが、この給付金額が国民1人あたり1万2千円(高齢者と子供は2万円)であることを考えるとき、当時の野平市長の試算通りのものであるならば、大学誘致にともなう経済効果は非常に大きなインパクトと活力を地元経済に与えたはずである。

だが、銚子市内は不況の波が押し寄せ、商店街のシャッター通り化は進む一方であり、大学誘致にともなう経済効果なるものはきわめて疑わしく、一部の不動産業者などが潤っているだけだ。

野平氏は市の負担を極力小さく見せかけながら、経済効果をあやしげな算出根拠にもとづき誇大宣伝し、大学誘致にともなう損益勘定を人為的にゆがめることを通して、「市の負担は小さく、経済効果は莫大」と誘致賛成の世論誘導をおこなったのである。

大学誘致にともなう真の損益勘定を私などが厳密には算定できるものではないが、生活実感としては大きなマイナス勘定であり、今後長きにわたってその清算が銚子市の大きな課題となるであろうことを強く実感する。

野平氏は今回の市長選挙再出馬にあたり、過去の“大學という名の企業誘致による大型開発”という“失政”を反省したうえで、真摯に自己検証をおこない、その教訓と総括を明らかにしているだろうか。

また、同じ轍を2度と踏まないという強い決意を見せているだろうか。
私の見る限り、現在の野平氏にそのような姿勢を見出すことはできない。

市立病院の再建に100億円以上の市財政投入を言い、現在の銚子市の借金はけっして多くないなどと言っているようでは過去の誤りに無反省な野平氏と言わざるをえない。

野平匡邦氏は次期市長にふさわしいか。(副題:岡野俊昭氏と野平匡邦氏には「NO」の審判をくだせ)

野平匡邦氏の市長時代における政治手法を振り返ると、市民世論や議会を無視した独善的な言動や行動ぶりが突出していることが大きな特徴である。

前々回の市長選挙に際して、大学の誘致を最大の公約として掲げた野平氏は、市長当選の翌日に加計学園理事長とともに記者会見をおこなった後、次から次へと市長の独断専行で大学側との「誘致交渉」を推し進め、大学側への92億円の寄付金も勝手にきめてしまった。

この間の野平市長の大学誘致にたいするスタンスは、野平氏が加計学園の経営する岡山理大の講義をやらない“客員教授”という位置にあったことも加わって、全く加計学園の代弁者であり、学園側の言いなりの姿勢に終始したといってもよい。

しかも、議会の存在を無視して市長になる前から大学誘致を表明し、市長就任後も議会に何の説明もなく独断専行で事にあたった。

やっと市長就任直後の9月議会で開会日に説明らしきものをおこなったが、その説明の実態たるや“私は市長だから何でもできる。加計学園誘致はすでに銚子市として既定の方針であり、黙って協力すべきだ”という態度を強く押し出したものであったという。

また、議会側が市民への責任からも慎重に事前調査をおこなうべきとの判断で、9月議会に委員12名からなる「大学問題等調査特別委員会」を設置し、調査活動を始めようとした矢先に、野平市長は正式な文書を持参して加計学園に出向いて大学の銚子市進出の要請をおこなった。

市長を先頭とする執行部だけではなく、市民に選ばれた議会が進出を求めたときに初めて銚子市が要請したこととなろうが、議会が誘致の是非を判断する上で必要な調査を始めようとした矢先に、市長が独断で行動して大学側に正式に銚子進出を要請したのである。

この加計学園の銚子進出をめぐる野平市長の初期の行動は独断専行というほかはなく、その後の野平市政4年間における議会の議決を覆す“専決処分”の乱発など、議会の審議権に対しての挑戦を繰り返し、議会制民主主義をないがしろにした野平市長の政治姿勢が露骨に表れた最初の出来事であった。

また、大学誘致は市がマリーナの後背地15ha(市有地)を提供し、92億円(利子合計で102億円)もの巨額の寄付をおこなうものであり、いわば銚子市の「命運」をかける大事業であったにもかかわらず、野平市長はきちっとした政策の事前調査もおこなわず問答無用とばかりに、住民の疑問や批判にもほとんど耳を貸さずに「はじめに大学誘致ありき」の姿勢で暴走したことも忘れてはならない。

巨額な市民負担が予想され、大学誘致にともなう“経済効果”に関しての説明もあやふやな野平市長の政治姿勢に不信を募らせた多数の市民有志が、「大学問題を考える会」を立ち上げ、大学誘致に関しての住民投票を求める直接請求運動を繰り広げたことがある。

この住民投票を求める運動は「議会の承認を受けており、住民投票の必要性は認められない」とした野平市長の頑なな姿勢を崩すことはできなかったが、当時、市民の間に野平市長の大学誘致の手法に疑問や批判が広がり、市民多数の支持を受けているとはとても言い難い状況が存在したことは事実である。

とすれば、この問題に対しての説明責任をきっちり果たすことで市民の間にあるいろいろな疑問を解消し、あらためて市民の合意を図ったうえで大学誘致という事業に取りかかるのが筋であったし、それが民主的なやり方であったと言えよう。

にもかかわらず、市民の間に存在する疑問や批判を無視し、「時間がない」とばかりに大学側の「急ぎ」の都合にあわせて大学誘致を強行した野平市長の手法は、まさしく独断専行の政治手法であり、市民の声を無視した「市民不在」の市政にほかならなかった。

また、2004年の4月に大学の開学をめざしていた野平市長と加計学園の思惑に大きな壁が立ちはだかったことがある。

それは、建設予定地域であったマリーナの後背地が環境アセスの必要な国定公園地域であり、1年かけての環境アセス実施が避けられないことが2003年の半ばになってから判明したことである。

これでは、翌年の開学に間に合わないと知った野平市長は急きょ、隣接するアセス不要の水産加工団地内の工業用地を大学側に紹介し、そこに仮校舎を建設することで開学を間に合わせようとしたのであった。

水産加工団地の一角の土地に大学の校舎ができることに操業上の「死活問題」を感じた水産加工業の経営者たちは反対を表明したが、野平市長はこれにも耳を貸さずに仮校舎建設と2004年4月開学を強行し、経営者たちとのトラブルと軋轢は長期間にわたって尾を引き続けたのである。

これらは一部の事例にすぎないが、野平市政のもとでの市民の声や疑問に背を向けた独断専行の政治手法の横行を物語るものだ。

だが、注目すべきはこれらの中に岡野前市長の政治手法との共通点が見出せることだ。

「ない袖はふれない」、「夕張になる」という虚構の理由をもちだし、「市立病院は守り発展させる」という自らの公約を踏みにじり、市民には事前に一言も相談せずに市立病院の一方的な休止を決定したこと。

市長の突然の病院休止決定後に、「病院の存続」を求める市民の署名が1ヶ月で5万筆も市長に提出されたにもかかわらず、これを無視して病院の休止を強行したこと。

これらの出来事に見られる岡野市長の政治姿勢は独断的で独善そのものである。
そして、病院休止をめぐる政治責任を市民に問われた岡野前市長はリコールによって市長職を解職されてしまったが、岡野前市長はこの市民の審判に挑戦するかのように出直し市長選挙に再出馬するという。

なぜ、銚子市では市民の声に耳を貸さない独善的な地方政治家が次々と排出しつづけるのであろうか。

今回の市長選において銚子市民は断固として岡野氏と野平氏に再度「ノー」の審判を下すべきだ。
そして、今度こそ市民の声に耳を傾ける民主的で市民本位の首長が銚子市のトップの座につかなくてはならない。

「地方独立行政法人」方式による市立病院再建に対する疑問!(あえて松井氏に提起します)

自らの公約を踏みにじり市立病院を一方的に休止に追い込んだ前岡野市長が、住民投票により解職されたことを受け、来る5月17日におこなわれる銚子市長選挙に成東病院医師で千葉科学大学準教授の松井稔医師が立候補を表明された。

昨年の9月末の病院休止まで市立病院の勤務医であった松井氏によれば、元市立病院の患者や患者家族と何度も話し合いをおこなったうえでの決断であるという。

そして、松井氏の立候補表明に際し銚子市役所でおこなわれた記者会見では、公設公営による「地方独立行政法人」方式での市立病院再開の構想を語り、自身が地域医療に携わっていた経験を生かして医師の招聘に努力したいとも語っている。

松井氏の地域医療と市立病院再開に向けた熱意は素晴らしく、銚子市の医療を少しでも良い方向に導いていきたいとする氏の“志”は称賛に値しよう。

だが、ここで腑に落ちないことがある。
それは、「地方独立行政法人」方式で市立病院の再建を目指そうという点である。
この方式は公設公営であっても、病院の運営では強く独立採算制が求められ、赤字を生み出さないことを至上命題とし、成績業務主義にのっとって仕事をすることとなり、限りなく儲ける医療にシフトしていくこととならざるをえない

そもそもからして公的医療に期待されることは何か。
それは、小児・救命救急・難病など民間では採算が取れない不採算高度医療や、精神科医療や災害医療などの政策医療を行政部門と連携し住民に提供することであり、それらは再建される市立病院に銚子市民が期待するものでもある。

だが、市立病院が「地方独立行政法人」となり、採算と利益を考えた治療と看護にシフトしていくとなると、「儲からない診療科は縮小・閉鎖する」ことが当然となろう。
また、収益を上げるためには差額ベット代を徴収することは常識となり、保険で認められない材料費や薬品もどんどん患者さんから徴収することも日常化する。

技術を要し手間暇もかかるが、診療報酬が安く廉価な医療行為を公立病院に期待した患者さんは裏切られ、窓口で割高な医療費を請求されることとなるだろう。

これまで、保険証一枚で受けられた検査や治療が、お金の有る無しで受けられる医療内容に格差が生じ、公立病院の公共性・公平性が大きく崩れていくこととなりかねない。

また、コスト削減(特に人件費)は常識となり、現に、「独立行政法人」に移行した「旧国立病院」では、外来では短期のパート看護師や病室からの応援看護師しかいなくなり患者さんとのトラブルが絶えないし、病室では「ナースコールを押しても看護師が来てくれない」、「入浴回数が減らされた」など患者サービスに大きな影響が出ている。

そして、疲れ切った医療スタッフは「もう働き続けられない」と退職するケースが後を絶たず、医療サービスの提供に支障が生じている。
これらは同時に、「地方独立行政法人」に移行した公立病院でもおきうることであり、公的医療の充実をもとめる住民の願いに逆行する事態となりかねない

また、「地方独立行政法人」においては、病院の経営は市長から任命された理事長がおこなうが、人事などをはじめとして、病院にたいする住民の代表機関である議会の関与が大幅に後退させられることとなり、情報公開も住民監査も保障されず、公立病院をめぐる住民自治と住民参加が大きく後退する。

情報開示は義務付けられておらず、住民監査請求もおこなえないなど、「密室」で理事長や任命者の市長が「なんでも好き放題」できることとなりかねない
こうした、住民不在の「経営」は新たな癒着と利権構造の温床となりかねず、公立病院の公共性や公平性、安定性を損なう恐れが大きい。

以上に「地方独立行政法人」のもとでの公立病院経営の問題点をきわめて大雑把に列挙したが、これだけでも、この方式が再建される銚子市立病院にふさわしいかは疑問とせざるをえない。

やはり、再建される市立病院は「住民の命と健康」にたいし行政が直接に責任を負い、情報などの面で住民に対して開かれた銚子市直営の公立病院とすることが、ベストな選択ではないだろうか。

松井氏はどのような根拠で、「地方独立行政法人」方式による市立病院の再開が望ましいとお考えになるのかわからないが、仮に、病院スタッフが自分で考えたことが生かされ実現することを通して現場のモチベーションを高められるメリットを、この方式の導入の最大の根拠とするならば、これは直営病院であっても組織の民主的運営を実現することで十分可能である。

それゆえ、私はあえて、この方式にこだわる理由などないと思うし、「市民の会」に結集し、市立病院の再開を願って岡野市長リコールまで頑張りぬいた患者・家族や市民の願いにこたえる道でもないように思う。


銚子市政改革会議が元市長野平匡邦氏へ出馬要請?(過去の教訓から学ぶことの重要さ)

     公立病院の現状と銚子市立病院の再建

公立病院は、いわゆる不採算医療を担っているために、もともとから赤字の病院が三分の二を占めていたという。
それは、へき地医療や救急・救命、精神医療、感染症など民間病院では提供しえない医療サービスを行政が主体となって提供しているからだ。

ところが、最近、全国の公立病院をめぐる経営状況が著しく悪化し、2003年度から2007年度の5年間で赤字が2倍(全国の公立病院全体で2000億円、累積債務約2兆円)に膨らむなど財政的な危機が急速に広がっている。

この公立病院をめぐる財政危機の原因は国の政治によるものであり、それは総務省自身も認めている。

…糠にわたり医師の数を抑制してきたことに起因した医師不足による患者数の減少。

⊃芭妬鷭靴離泪ぅ淵慌定による医療収益の悪化。

いわゆる「三位一体の改革」により、地方財政全体で5兆円以上も地方交付税が削減されたことにともなう地方財政の悪化の直接的な影響

このうち、医師不足と診療報酬の減額は小泉内閣以来、高齢化にともなう社会保障費の自然増を毎年2200億円削減してきたことが背景にある。

このように全国の公立病院の経営悪化の原因は国の医療政策によるものであり、いわば国の政治が引き起こしたものである。
だんじて公立病院の医師や看護師など医療従事者の高額の“人件費”のせいではないし、これは銚子市立病院の場合でも例外ではない。

さて、この公立病院の経営危機をめぐる国の対応であるが、一言でいえば、この機に乗じた「公立病院潰し」をおこなっているといっても過言ではない。

『医療サービスの質を落としてよいからとにかく赤字を減らせ、そのためには採算性のとれない病院は主な病院の機能を近隣の大病院に明け渡して身軽な“診療所”に変えろ、そして、場合によっては民営化や売却なども視野に入れろ。』

これが、現在の公立病院の経営危機にたいする国の対応であり、これにたいして全国で住民や自治体、医療関係者が「公立病院」を守れと共同の運動が広がっているのである

昨年の岡野市長による突然の市立病院の休止は、このような国の「公立病院潰し」政策という背景に便乗しておこった出来事であり、それにより、長年にわたり地域医療を支えてきた市立病院の突然の閉鎖という事態に驚き、怒った市民が岡野市長をリコールしたのである。

さて、新しい市政のもとでは当然のごとく「病院の再建」が最大の政治課題となるが、そのためには国の「公立病院潰し」ともいうべき医療政策と対峙し、住民と銚子市、および医療関係者の三者が共同しての粘り強く息の長い取り組みが必要だ。

これは、どなたかが「病院の再建はゼロではなくマイナスからの出発だ」と評されたように、多くの困難を極める課題であり、本当の試練はこれから待ち受けているといってよい。

     野平匡邦氏は新しい市長にふさわしいか

ところで、先日、銚子市政改革会議の方々が、「病院再建問題」という市民の命と健康のかかった緊急を要する難問に解決策を示せるのは、“地方財政”に精通している元市長の野平匡邦氏をおいて他に見当たらないという理由により、野平氏へ再出馬要請をおこなったという話を聞いた。

だが、「市民にしわ寄せを与えない」と言いながら、多額の借金(元利合計で84億円)による大学誘致を強行した結果、まず市の財政が“火の車”となり、そのツケ回しが国保料などの公共料金の値上げやあいつぐ市民サービスの切り捨てとなり、市民の暮らしをも“火の車”にしてしまったのが野平市政4年間の実相だ。

大学誘致に熱中して、市民の暮らしや福祉をないがしろにし、銚子市の財政危機をもいよいよ深刻化させたというのが“地方財政”のプロでもあった野平氏のもとでの市政である。

このような“実績”を残している野平氏が、はたして、「市民の命のとりで」とも言うべき市立病院の再建にふさわしい人物といえるかどうかはなはだ疑問である。

また、現在の国の医療政策は実質的に「公立病院潰し」の促進であり、この背景には住民医療費にたいする敵視が存在している。

野平氏はかって自治省の一員であり、自らも「官僚」と自負しておられるが、「公立病院潰し」をすすめる国の側に属していたのが野平氏であり、市長在任当時も公共料金 の値上げや市民サービス切り捨てに悲鳴を上げる市民への負担軽減には無関心で、高齢者や障害者にたいしての福祉施策を次々と切り捨てていったのも野平氏なのである。

住民の福祉の増進」と「住民の命と健康を守る」ことが地方政治家の最大の使命であるし、このような信条を抱いた地方政治家でないと病院再建はおぼつかないだろう。
しかし、残念ながら、過去の野平市政の4年間の歩みを振り返ると、野平氏がとてもこのような信条を抱いている地方政治家には思えないのである。

銚子市政改革会議の方々の善意は疑わないし、真摯に銚子市政や病院再建のことを憂えるお気持ちは痛感するのであるが、残念ながら私が述べたことは動かしがたい客観的事実でもある。

それゆえ、改革会議の方々の人選が適切であるとはとても思えないし、失礼ながら過去の事実や教訓から学んだ結論とはとても言い難いのである。

野平氏の過去の経歴や市長としての実績を考えると、「病院再建」を第一の課題とする新しい市政を担うリーダーとしてはそぐわない。

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「さらば!知事と言おう」森田知事は早々に辞任すべし!

れっきとした自民党の支部長であり、自らが代表を務める支部に入った企業・団体献金1憶6千万円のうち、9割以上の1億5千万円を自身の資金管理団体に流し、政党支部をダミーのトンネル団体として利用していたことが判明した森田千葉県知事がピンチに立たされている。

千葉県議らで作る市民団体「森田健作を告発する会」が、4月15日にも公選法違反の疑いで千葉地検に森田知事を告発するという。

「告発する会」によると、森田知事は現在でも自民党の「東京都衆議院選挙区第2支部」の支部長であり、同支部が多額の企業・団体献金を受け取っていながら、法廷ビラに完全無所属と記載し、千葉県知事選挙に当選する目的で県民をだます虚偽公表をしたことが、公職選挙法235条の「身分の虚偽事項の公表」に当たるという。

また、日本共産党千葉県委員会も「完全無所属」を名乗って当選した森田知事が自民党支部長を務め、違法献金を受け取っていた問題を重視。その全容を公表し政治的・道義的責任を明らかにするように知事に申し入れた。

なかでも、外国人・外国法人の持ち株比率が50%を超える企業(ドン・キホーテ)から、2005年、2006年の2年間に1千万円以上の献金を受け取ったのは、当時の政治資金規正法に明確に違反することを強調している。

森田氏が「支部長をやめる」、「違法献金は知らなかった」では済まされず、県民を欺いた責任は重大であり、22日に開会される予定の臨時県議会で、共産党県議団が他会派と連携して真相究明のための百条委員会の設置を目指し、県民世論を起こしていくという。

ところが、問題はこれにとどまらず、またまた森田知事の周辺にはあらたに“脱税疑惑”が浮上した。

螢后璽僉璽泪奪スUSAという「マルチ企業」に近い企業から、自動車コーティング剤のテレビショッピングのCMに出演した際、750万円近い政治献金を受け取ったが、この金が本当はCM出演料ではなかったかという疑惑である。

政治資金は非課税であり税金がかからないが、CM出演料なら森田知事個人の所得として課税される。
そこで、知事は自民党の支部長という地位を利用し、CM出演料を脱税目的で政治献金として処理したのではなかろうかという疑惑だ。

そしてさらに、だめ押しと追い打ちを同時にかけるように“裏金疑惑”までもが知事の周辺に浮上してきた。

甘利明大臣の資金管理団体「甘山会」の2005年分の政治資金収支報告書には、同年の2月24日に森田知事個人の資金管理団体「森田健作政経懇話会」に対して100万円の寄付をしていたことが記載されているが、森田知事側の資金管理団体の同年分の収支報告書には、「甘山会」からの寄付100万円についての記載がどこにもないという。

甘利大臣側からの100万円が森田知事側に渡っているはずなのに、どこへ消えてしまったのかわからないのだ。
政治資金収支報告書に記載されるべき「表金」が「裏金」として処理された疑いが濃厚である。

知事当選前後から森田知事をめぐって政治資金に関する疑惑が次々と噴出しており、この先さらに新たな疑惑が発覚する可能性は否定できない。

森田知事は“千葉県を日本一にする”と言ったが、こんなことでは“汚れた政治日本一の千葉県”になりかねないだろう。
それゆえ、当選無効にして知事を1日も早く交代させるべきである。

また、共同通信などの報道によると、千葉市の鶴岡市長は定例会見で、成田、羽田をリニアモーターカーで結ぶという森田知事の公約について酷評し、『東京湾は軟弱な地盤。全部トンネルでいくしかないが、それだけのことをやるには「元気がいいから」でできることではない』と批判したという。

森田知事が公約したように、「羽田と成田の間を15分で結ぶ」ためには東京湾を一直線で掘るしかなく、国土交通省の見積もりでは3兆円の事業費がかかるという
同じ東京湾のトンネルではアクアラインが有名だが、アクアラインは川崎と「海ほたる」までだけが海底トンネルでも、その総事業費が1兆5千億円に近い。これでこの“お値段”であるから、全部トンネルのリニアモーターカーだと3兆円で納まるかどうか、はなはだ疑問であろう。

財政危機に直面している千葉県の現状をどれだけ認識しているか、「おバカキャラ」の森田知事だからではもはや済まないだろう。
それと同時に、汚れた政治資金にまみれた森田知事が巨大な公共事業を推し進めることは、薄汚れた利権政治の横行につながりかねない。

そもそも、ダーティな森田知事が利権の温床になりかねない巨大公共事業を推進する資格はない。
リニアで「羽田と成田の間を15分で結ぶ」という公約とともに、森田知事には1日も早く辞任してもらいたい。

「さらば!知事と言おう」

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核兵器の廃絶を米国の指導者が言い出した!(すごいチェンジだ)

米国のオバマ大統領は4月5日、チェコのプラハで核兵器に関する演説をおこない、「核兵器のない世界」の実現をめざし、行動を起こすことを米国の現職大統領としてはじめて公式に表明した。

オバマ氏は「核兵器の拡散は防ぎきれない、チェックしきれない、我々は究極的な破壊兵器をますます多くの国と人々が保有するような世界に住む運命にある」という悲観論、敗北主義にたいし手厳しい批判をおこない、「そうした宿命論こそが、生かしてはおけない敵なのだ。なぜならば、もし核兵器の拡散を不可避と考えれば、結果として、核兵器の使用も不可避だと認めることになるからだ」とまで言い切り、核兵器をなくす強い意志を強烈に印象づけた。

「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動すべき道義的責任がある」

「核兵器のない平和で安全な世界を追求する責務を負っていることを、私は明確に宣言する」


さらにオバマ氏はプラハでの演説においてこのように語り、核兵器廃絶に向けた戦略的ビジョンを示したうえで、第二次大戦で広島、長崎において核兵器を使用した国としての道義的責任について初めて公式に言明した。

従来の米国の政権が広島、長崎への原爆投下は第二次大戦を早期に終了させ、日本本土決戦で失われるであろう米国の若者数百万人の命を救ったと言い張り、その正当化を公然とおこなってきたこと比べ大きく踏み込んだ発言であり、一万一千発の核兵器を保有し続ける世界最大の核兵器大国である米国の指導者が核兵器廃絶の意思を表明したことと併せ、過去に例のない画期的な出来事だ。

核兵器の先制使用を公然とかかげ、国際政治の場では核兵器の廃絶論を敵視してきたブッシュ前政権と比較し、オバマ政権のこの分野での“変化”には目を見張るばかりである。

「しかし、私たちは世界を変えられないという声を無視しなければならない。私たちは「イエス・ウィ・キャン」(そうだ、やればできる)と主張せねばならない」

このように結んだオバマ氏のプラハでの演説は、数十年後あるいは百年後に「核のない世界」が実現した未来の世界で、かって米国の指導者が演説したことがすべての始まりであったと振り返られる時に、きっと思い起こされるのではないだろうか。大歓迎のオバマ演説である。

ところで、この「核兵器のない世界」というビジョンにもとづき、オバマ演説では核兵器のない世界に向けての幾つかの具体的な措置が提起されている。
このなかで、いっそうの戦略核の削減に向けて、米国・ロシア間であらたな話し合いをおこなうという構想が示された。

現在の核拡散防止条約(NPT)のもとで、核保有国の核武装を認める一方で、非保有国(持たざる国)の新たな核の保有は認めないという枠組みは大きな矛盾を抱えるようになって久しい。

イスラエル、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮など、地球的規模の不拡散体制という枠組みに挑戦する国々が増え続け、NPT体制は持ちこたえられないところまできている。

それゆえ、北朝鮮など新たな核兵器保有国の出現といった脅威の出現を阻むためには、まず、NPTで核保有国に義務付けられている核兵器の削減への努力を具体的な行動で示すことが最も効果的であり、米国の指導者も遅まきながらこのことを自覚し始めている。この現実をオバマ演説は色濃く反映しているのだ。

また、オバマ演説では、核兵器をこれ以上生産できないように、兵器用の核物質の生産を禁止する条約(カットオフ条約)の締結に向けた交渉の開始も提起された。

さて、日本政府はオバマ氏の核兵器廃絶に向けた決意の表明と幾つかの具体的な提案に対し、いち早く支持を表明したというが、唯一の被爆国である日本としてはもっと踏む込んだ対応をすべきではないかと思う。

米国とロシアの指導者を日本政府が招待し、広島や長崎で核軍縮と廃絶に向けた米ロ首脳会談をセッティングしてはどうか。

そして、会談の前には核大国の指導者に広島と長崎の被爆の実相をいろいろと学んでもらい、しっかりと核兵器の悲惨さと残虐さを認識してもらうのだ。
そして、その“学習”の成果の上に立って交渉の場に臨んでもらうのである。

日本の仲介で米国とロシアの首脳会談が広島と長崎でおこなわれ、その場で核兵器廃絶に向けてのロードマップ(核兵器廃絶協定)が合意される。
これは、被爆国の日本でなければできない真の意味の国際貢献であり、非戦・平和の憲法を持つ日本の本領がここでこそ発揮されるに違いない

近いうちに予想される総選挙後に成立する日本の新政権が、核兵器廃絶の面でリーダーシップをとり、核廃絶と軍縮にむけた被爆地広島・長崎での米ロ首脳会談の実現のために尽力する。
新しい日本の政治指導者には、被爆国日本にこそふさわしい、核兵器廃絶に向けた大いなる取り込みにチャレンジしてもらいたい。

北朝鮮の「ミサイル」発射という機会を利用し、それをやめさせるための外交的な努力や話し合いを一切おこなわず、早々と公然と“迎撃”を表明し、北朝鮮を挑発して国民の不安や危機感を煽り、政権への支持率アップに利用しようとした政局的な思惑のみの現在の麻生政権には、このような役割を期待できないことは明白だ。
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異様な教育行政を予感させる森田千葉県知事!(一刻も早い退陣をお願いします)

ここ5〜6年の間、春になると都立の学校では恒例のように異様な光景が繰り広げられる。
都立の学校においては卒業式および入学式の直前に校長が、全職員にたいして文書による職務命令を手渡すのである。

職務命令文書にはこのように書かれている
「式において、国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」

東京都教育委員会は2003年(平成15年)10月23日付で、都立学校の入学式・卒業式などにおける国旗掲揚・国歌斉唱の実施については、教職員は国旗に向かって起立し国歌を斉唱すべきこと、国旗掲揚・国歌斉唱の実施に当たり、校長の職務命令に従わない教職員は服務上の責任を問われることを周知すべきことを通達した。

これが世にいう悪名高い「10.23通達」であり、この出来事以来、さきほどの職務命令文書が卒業式や入学式の直前に全教職員に手渡しされているのである。
そして、毎年のごとく職務命令違反者には過酷な懲戒処分が発令され続けており、処分者は2008年(平成20年)末までに420名にのぼっているという。

かっての学校現場においては軍国主義日本の象徴であった「日の丸・君が代」を受け入れがたいとする気持ちが強く、学校現場での「日の丸・君が代」はなかった。
しかし、1989年の学習指導要領の改訂から「日の丸・君が代」の強制はじわじわと浸透し始めていく。

そして、学校現場では教職員の間で起立・斉唱するかで分裂がはじまり、広島県では一校長が現場と教育委員会の板挟みを苦に自殺するという事件が起こる。
これをきっかけとして1999年には国旗国歌法が成立するが、その際には強制はしないことを理由に法制化が実現した。

この後、しばらくは起立・斉唱は内心の自由として教職員個人の判断でおこなうこととされたが、実質的には強制色がどんどんと強まり、東京都立学校では起立・斉唱せざるをえなくなった。だが、強制でないことを理由に少数の教師は起立・斉唱を拒絶し続けていた。

2003年(平成15年)の都知事選挙において、石原都知事が再選してから、「やりたいようにやる」、「内心の自由で歌わない、起立しないはけしからん」とし、同年の7月に東京都教育員会が「都立学校卒業式・入学式対策本部」を立ち上げたのを機に、同年の10月23日に日の丸・君が代通達(10.23通達)が出された。

これが石原教育行政であり、それ以来違反者への過酷な懲戒処分が繰り返されることになる。

また、それに対抗するかのように「教育行政は教育条件の整備のみに携わるものであり、教育内容に立ち入るものであってはならない」という憲法常識に基づいて、日の丸・君が代通達(10.23通達)を違憲違法とする法廷闘争が現場教職員よりいくつも重ねられている。

ところで、長々とこのような東京都の教育行政の実態を引用したのは他でもない。

我が森田千葉県知事の手で同じような教育行政が強行される恐れが非常に強いからだ、というより必ず石原慎太郎のマネをして強行してくるだろう。
森田知事のマニフェストを見ると、ドーンとどでかい日の丸がでてくるが、「重点政策」とされた教育政策はとくにひどい内容である。

森田健作の輝け千葉・日本一
<「心を育てる教育」の全力投球>

高校での「道徳」を正式教科化(教科書作成・研修導入)、生活指導の強化、夢を語る進路指導改革、「親学」導入による家庭力の再生、行き過ぎたジェンダーフリー教育、過激な性教育の見直し、教育現場での国旗掲揚・国歌斉唱の徹底化、日本を嫌いになるような歴史教育(いわゆる“反日教育”のことか?)の見直し、武道や伝統教育の奨励、国語教育の強化など。
(以下略)

このように森田健作のマニフェストを読むと、彼が石原教育行政を上回るような「バックラッシュ政策」(いわゆる反動政策)を行うことを高らかに宣言しており、「さらば!右翼と言おう」という森田健作の「本領」がいかんなく発揮されることが予想される分野の一つが教育行政の分野なのである。

公職選挙法や政治資金規正法に違反した森田健作の当選を無効とし、一刻も早く知事の座から退いてもらわねばならない理由の一つがここにある。

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