光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2009年07月

都議選敗北と建設的野党とは(日本共産党について)

都議選での日本共産党の敗北について
この7月12日の都議選で日本共産党は13議席から8議席に後退するという敗北を喫してしまった。
同党はこの10年来における国政選挙での連続後退という流れを押し止めることができずにきたが、ダメを押すように今回の都議選でも議席の大幅な後退という惨敗を喫してしまったのである。

昨年秋の米国発の金融恐慌は全世界に急速に広まり、わが国もその例外ではなく、投機マネーの跳梁による世界的な恐慌の蔓延は「資本主義の限界」という言葉さえ生み出し、世間では小林多喜二の「蟹工船」がにわかにクローズアップされベストセラーに躍り出るという“蟹工船ブーム”が脚光を浴びた。

この本に描写された当時の残酷な資本の搾取に苦しむ蟹工船の労働者の姿は、現代の使い捨ての非正規労働者をめぐる非人間的な現実とも重なり会って、若者を中心に多くの読者をひきつけ、資本主義の実態をみごとに浮かび上がらせた。
そして、蟹工ブームと並行しながら、非正規労働者の若者を中心として毎月1000人前後の入党者が日本共産党に加わるという画期的な出来事がおこった。

また、恐慌の直前までは史上空前の収益を謳歌し巨大な内部留保をかかえていた大企業が、この恐慌を口実に横暴な「派遣切り」、「非正規切り」を大規模におこなっていることを同党の志位委員長が国会質問で取り上げ、雇用に対する大企業の社会的責任を舌鋒鋭く指摘したが、この志位氏の国会質問がインターネットの動画サイト「YouTube」にアップされると若者を中心に多数のアクセスが集中し、「志位グッドジョブ」と熱い書き込みがなされるほどに注目を浴び、一時若者の間で“共産党”は社会現象にまでなった。

また、同党はこの2年間にわたり党勢拡大の大運動をおこなってきたが、6月の赤旗誌上でも「わが党史上でも最大の画期的な取り組みとして発展している」と、この大運動の取り組みについて自信と確信に満ちて語っていた。

そして、これらに加えて麻生政権のテイタラクや与党への強烈な逆風も重なり負けるはずのないたたかいであり、最悪でも現状維持はできるはずの今回の都議選であったが、それにもかかわらず同党は大きな敗北を喫してしまったのである。

都議選における日本共産党の敗因とは!
だが、筆者は同党のこの敗北はおこるべくしておきたものという認識を持っている。
政治の現状の変革をもとめる多くの国民にとって目下の政治革新の焦点は「政権交代」の実現に他ならず、このことは一昨年の参議院選挙での自民党惨敗と民主党の躍進、および最近の地方選挙での民主党候補の相次ぐ勝利がそれを裏付けており、同時にそれらは、格差の空前の拡大と雇用の破壊をもたらし、社会保障をズダズダにして、庶民には重い負担増、大企業・大資産家には特権的な減税を推進した小泉政権以来の自公政治に対する国民の“NO”の意思表示でもあった。

しかし、この間も日本共産党は自民も民主も政治路線や政治体質において「同質・同類」の問題点をかかえているといった立場に固執し、「自民と民主の両党の共通部分(憲法改定や消費税増税など)こそ問題だ、ここにこそ危険があり、二大政党の競い合いによる暗黒政治への逆行を許してはならす、これを阻む最大の力は日本共産党を伸ばすことだ」との基本認識を何ひとつ変えることがなかった。

このことは同党が民主党中心の政権の誕生は暗黒政治への一里塚であり、日本共産党のみが自民党政治に苦しむ国民にとっての救世主(メシア)であるかのごとく主張しているとの印象を政権交代派の有権者に与え続けた。
そして、同党は総選挙で問われる争点は政権の担い手の選択ではなく、政治の中身の変革だとして、事実上政権交代を否定する立場をとり続け、民主党に政権交代しても意味がなく政治は変わらないと言い続けてきたのである。

この同党の立場が当面の政治革新の焦点である政権交代を望む有権者の反発を買い、政権交代を妨害する共産党というマイナスイメージが政権交代派有権者のなかに浸透していったことが都議選での同党の敗北の最大の原因であろうと筆者は結論づけるのである。

「建設的野党」ってなんだ!
都議選敗北の直後に日本共産党は新たな声明を発表して、自公政権の退場をはじめて要求し、民主党中心の政権の成立を前提に今までの民主党政権丸ごと否定の立場から、一致できる点では協力し危険な政策には反対するという「是々非々」の立場にたつ「建設的野党」に転換することをきめた。

だが、それでも同党は自民も民主も同質・同類という従来の立場を変えたわけではなく、たとえ多くの場合にその相手が民主党候補であっても、同党候補のいない空白選挙区で他の野党の護憲派候補を支援するという姿勢はいささかもなく、日本共産党の議席増に“政治革新”のすべてがかかっているとの従来の立場に変化はない。

これでは、麻生政権の退陣=民主党中心の政権誕生という新しい政治情勢にむけた積極的な開拓者になれるわけはなく、政権交代派の有権者から見ると、同党が政権交代の「妨害者」からギアを「ニュートラル」に切り替えただけという印象に留まることは否定できない。

来たる8月30日の総選挙において、ふたたび日本共産党の後退、場合によっては無残な惨敗という局面が避けられないのではないかと筆者は危惧している。

野平市長が立ち上げる「銚子市立病院再生準備機構」なる組織の問題点とは!

医師紹介業界の現状(“医療マーケット”の実態)
秋田県にあるO市民病院は人口3万6千人あまりのO市における唯一の市民病院であるが、この病院も例にもれず医師不足は深刻であった。
05年度に10人いた常勤医師は06年からは6人に減ってしまい、O市の副市長は東京にいる秋田県出身者や親類などあらゆる“つて”を使って医師を探していた。

そこへ現れたのが東京の某医師紹介業者の自称「医療コンサルタント」のA氏であり、紹介料630万円と2年間にわたってコンサルタント料を毎月30万円払ってくれれば医師を連れてくると副市長に請け負った。
実際にそれから一ヶ月もたたないうちにA氏は1人の女医を連れてきたのだが、履歴書には「防衛医科大学出身、現在某大学病院付属病院で研修中」と記載されていた。

副市長はA氏と契約し、紹介料および2ヶ月分のコンサルタント料690万円を支払い、女医はO市民病院勤務を始めたが、直後に彼女がアルバイトを禁止された防衛医務官であることが発覚し、4日間で病院を去らねばならないはめとなったが、A氏は契約を盾に支払った金の返還には応じなかった。
さらに、悪いことにこのカネの支出は事を急ぐあまりに議会の承認を受けていなかったことから、副市長は自腹で市の病院会計に補填し、退職に追い込まれるはめとなる。

だが、副市長は自称「医療コンサルタント」のA氏をそれほど悪く思っていないという。
なぜなら、過去にもっとひどい「医療コンサルタント」にたくさん会っており、あるときは紹介された医師と会ってみると「開業に失敗したので、その借金1億5000万円を肩代わりしてください。そうすれば働きます」と言われたこともあり、今回は実際に医師が来てくれたのだからずっとましだとのことだ。

04年に研修医制度が変わり、大学の医局に残る医師が激減して医局に依存していた関連病院は医師の派遣を受けられなくなったため、各病院は独自に医師を探さねばならなくなったことが医師紹介業の激増の要因だが、問題は医療関係の人材紹介業にたいする法的規制が何もなく、悪質な業者の横行が野放し状態にあることだ。
そして、深刻な医師不足に悩む秋田県のO市民病院関係者のようなワラにもすがる思いの人たちの足元を見てつけこむ悪質業者はあとを断たない。

しかし、一般的に大学からも国からも県からも医師の派遣を期待できない状況では、人材紹介業者に頼みをつなげる他はないのも現実であり、それが“医療マーケット”の実態である。
(以上、医療財務協会のHP掲載記事をアレンジしました)

“医療マーケット”と「銚子市立病院再生準備機構」
さて、野平市長は「銚子市立病院再生準備機構」なる組織を立ち上げて全国の“医療マーケット”から医師などを調達する仕事を請け負わせ、さらにこの組織がそれらの人材をもとにして再開後の市立病院の運営を一手にひきうける医療法人をも立ち上げるという“構想”を公にした。
そして、野平市長ご自身や配偶者につながる人脈のなかから選びぬいた“専門家”を同機構に招聘し、“医療マーケット”から医師などの調達を始めるという。

だが、“医療マーケット”は前章で述べたとおり、法的規制がなく悪質業者が横行する大きなリスクを伴なった世界であり、このような世界で銚子市の地域医療の中核を担い市民の命と健康に責任を負えるモラルの高い医師を見出すことができるかは疑問だ。
これは同時に野平市長が医療スタッフの招聘を最初から人材紹介業界に頼らざるを得ないことを意味しており、選挙中の言明とは裏腹に野平市長が医師の世界でいかに人脈(人望か?)がなかったかを告白するものである。

また、“身内”を集めて「銚子市立病院再生準備機構」の名で新たな医師紹介業組織を作ることは、この方たちへのおいしいビジネスチャンスの提供を意味する。
医師確保などに成功すれば同機構に億単位の報酬が市民の税金から支払われるのであり、これでは市民の病院再開といった切実な願いを利用して、“身内”にビジネスの場を提供する市行政の“私物化”といわれてもしかたがあるまい。

所詮、医師などの招聘を人材紹介業の世界に頼らざるを得ないのであれば、リクルートなど業界大手の老舗に委任すればよいのであり、リクルートに人材登録した医師の数は8千人にも上るという。

また、同機構が新しく立ち上げる医療法人には再開後の市立病院の指定管理者を予定しているらしいが、この法人のトップである理事長にも“身内”の就任を予定しており、市立病院が「野平ファミリー病院」となる恐れが大きい。(当然利権も発生しておかしくない)

銚子市議会の7月臨時議会について
去る7月の臨時議会において同機構を立ち上げるための予算措置が野平市長から提案されたが、共産党の市議3人を除く22名がこれに賛成してしまったようだ。
この予算措置に賛成した圧倒的多数の市議は野平構想の本質を理解したうえでこの予算措置に賛成しているのか。

旭中央病院を見ればわかるが、諸橋芳夫という1人の医師が東大から小さな寒村の診療所にやってきて一生懸命に地域医療に献身した。
そして、その志に共鳴した全国の医師が集まってきてあれだけの病院となったのであり、これこそが銚子市立病院再生のモデルにふさわしい。

また、最近では破綻した夕張市立病院に独自の地域医療に関する哲学を持った村上医師が赴任したことで、病院自体は診療所に格下げされたにもかかわらず、彼の哲学に共鳴する少なからぬ医師が参集して夕張の地域医療が守られたという事例もあるが、これも銚子市立病院再生のモデルとすべきだ。

前市長ではないが、この公立病院再生の分野でこそ銚子はすすんで「第二の夕張」となるべきだ。
市会議員はただ執行部の提案に賛否を表明するだけの存在に留まっていては、市民にたいする責任を果たしたことにはなるまい。(すべて賛成する方も多いと聞くが)
前向きで積極的な政策提案を市民にもわかるようにおこなうべきであり、そのためにも破綻した公立病院の再生に成功した各地の事例を調査研究するための視察を積極的におこなうべきだ。

公設民営こそが銚子市立病院を救えた!(突然死を阻止できた)

愛知県の過疎の町に公立病院を立派に立て直した事例がある!
愛知県の北東部に東栄町という人口4400人の小さな町があるが、この町は木曽山系の南端に位置し、町の総面積の90%以上が山林で占められ、人口の4割が65歳以上という高齢化のすすんだ過疎の町である。
ここに国保東栄病院という病床数70ほどの公立病院があり、同病院は病院内でおこなう医療だけではなく、医師不在の隣接する村々の患者に対して年間1000件以上の訪問診療をおこなうなど、愛知県のへき地医療を支える拠点病院の役割も果たしているという。

だが、この病院もかっては非常に苦しい状態が続き、02年度から04年度まで経常収支の赤字が連続した結果、04年度末には6億円近い累積赤字を抱え込むまでに財政状態が悪化していた。
東栄町は一般会計予算の総額が25億円ほどで財政基盤が弱体であり、すでにこの時点で町から病院赤字への補填は限界点にまで達しており、病院は破綻寸前の存続の危機に立たされていた。
そこで、医療スタッフは病院再生委員会を立ち上げ、重大な決断に踏み出す。
それは、病院を公設民営の運営に移行させることであり、同病院に勤務する病院職員を中心にして新たな医療法人を設立し、この法人が病院の運営を引き受けるというものであった。

このことは医療スタッフ全員が公務員の身分から離れ、給与も民間レベルに下がることを意味しており、病院長も当初は給与の低下は職員の退職と医療レベルの低下につながることを懸念したが、病院存続のためにはこれしかないとの判断から踏み出したという。
また、これは同時に、それまでは公務員定数や年功序列で機械的に上がっていく給与体系のために難しかった非正規職員(非常勤や委託職員)の正規職員化を可能にした。
病院の公設民営化は非正規職員でありながらも献身的に頑張っていた彼らや彼女らに正規職員化の道を開き、これまで以上の頑張りへと士気を高めた。

07年の4月には病院職員を中心として設立された医療法人「せせらぎ会」が東栄病院の運営受託を開始し、公設民営の病院がスタートしたが、現在では町の一般会計からの補助金の繰り入れがほとんどなくても病院の運営が可能となっているという。
これを可能としたのは機械的に年功序列で上がっていくかっての給与体系から開放されたことであり、硬直的な“人件費構造”を克服したことが補助金繰り入れの大幅な削減を可能にした大きな要因であることは事実だ。
こうして、破綻の瀬戸際にあった東栄病院は立ち直り、今では奥三河地方の医療・保健・福祉の中核的な病院として期待されるまでになっている。

06年度には公設民営化に踏み出すべきだった銚子市
さて、愛知県の東栄町とは対照的に、銚子市では前市長が選挙時の公設公営での病院存続という公約にこだわり、自分のメンツを保つことを第一に考えて、末期の進行ガンのように急速に悪化していた病院の状況を放置していたことが、08年の9月末の病院休止という突然死を招いた。
06年度の時点で医師の数が6年前のピーク時から10人も減少し、患者数も大幅に減少するなかで、市の財政から毎年9億円の補助を受けなければ経営を保つことが出来なくなり、同年度末ですでに20億円を超える累積債務を病院が抱えるまでにいたった。
また、医師の減少は病院の収入の大幅な減少につながり、収入に占める人件費比率が05年度末の時点ですでに70.5%にも達し、採算ラインといわれる50%はもちろん、公立病院の全国平均54.7%さえも大きく上回っていた。

これらの指標は前市長が就任した06年度前後のものであり、さらなる悪化が予想されるこれらの指標を踏まえながら、前市長がそのリーダーシップを発揮して、この時点で公設民営化による抜本的な病院立て直しに着手しておれば、医師の立ち去りも止めることができたし、休止という最悪の結果の招来を防ぐことができた。
どんなに遅くても、07年の10月に日大から医師の引き揚げ通告があった時点で抜本的な立て直しのための検討を直ちに始めるべきであった。
また、その際には先に紹介した愛知県の東栄病院立て直しの事例をそのモデルとすべきであったし、他にもモデルとする事例は夕張市民病院など複数存在した。

だが、前市長は状況を把握できず、公立病院として伝染病・精神科などの不採算医療を経営することを隠れ蓑にして銚子市からの補助金の投入を際限なく拡大し続けたが、この補助金は本来、不採算部門への繰り出しであり放漫経営を穴埋めするためのものではなかった。
また、状況を認識できない前市長は、根拠のない楽観論に立ってなんとかなると高をくくっていた節がある。
県知事に頼めば医師やお金をなんとかしてくれるし、また教え子にも医師がいるから声をかければ駆けつけてくれるだろうと能天気にも思い込んでいたようだ。

また、市の幹部職員は職員の非公務員化を意味する公設民営化を提案できずに市長の顔色を伺うのみに終始したため、大事な病院職場を失ってしまった。
また、議会議員も破綻寸前から立ち直った公立病院の先例を視察研究し、抜本的な提言をおこなうことで市民に対する責任を果たすべきであった。

今にして思えば、早い時点での公設民営化による抜本的な病院立て直しの実行こそが銚子市立病院を存続させるための最善の策であったし、当時の常識に反し、逆説的ではあるが「民営化」と「効率化」こそが公的医療を守る決め手であった。
だが、そのための最大のチャンスだった06年度や07年度に銚子市の関係者から公設民営化の提言がなされたとの記憶は私にはない。
銚子市立病院の再生にむけての取り組みや提言はこの教訓を踏まえなくてはならない。

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(写真は国保東栄病院)

なお、富山県の氷見市民病院での公設民営による自治体病院立て直しを取材した富山チューリップテレビによる追跡レポートが視聴できるサイトがあります。
下記にそのサイトのURLを貼り付けましたので、興味のある方はご高覧を!
http://video.google.com/videoplay?docid=5269470766964710255&hl=en

野平市長 深沢晟雄資料館(旧沢内村)を訪れる!

深沢晟雄その人について
読者は深沢晟雄という人物をご存知であろうか。
戦後復興がひと区切りついて、人々が都市部では豊かな暮らしを享受しはじめ、また月にロケットが飛ぶようになった昭和30年代にあっても、地方では生後間もない赤ちゃんがたくさん死んでいく現実が存在していた。

その当時、全国で乳児死亡率が最も高かったのが岩手県であったが、なかでも山村である沢内村では、100人の新生児のうち7人までもが1歳を迎える前に亡くなるほどの深刻な状態をかかえていた。
当時、高校教師であった深沢晟雄はこの状況を深く憂えて村長をこころざし、昭和32年(1957年)に村長に当選した深沢は状況を少しずつ打開し、現状を変えていく。

特に乳児医療費の無料化の導入は、治療に必要な費用の半分を患者が負担するとした国民健康法の条文に違反していることを岩手県から指摘され、待ったをかけられながらも深沢村長がその実現に尽力した結果、昭和36年(1961年)に実現し、さらに60歳以上の医療費の無料化にも踏みだした。
この深沢村長のたゆまぬ努力の結果、ついに昭和37年(1962年)に全国に先がけて沢内村では乳児死亡率ゼロが達成される。

これにより深沢晟雄の名前は「命はなにものにも優先する」という信念のもと、全国に先駆けて乳児死亡率ゼロを達成するという歴史的偉業とともに、歴史に刻まれることとなった。
以上が深沢晟雄という人物についてのごく大雑把な説明であり、ご存知の方も多いかと思う。

また、この深沢晟雄の業績を顕彰する「深沢晟雄資料館」が旧沢内村(現岩手県西和賀町沢内)に建てられ、この施設には「生命尊重こそ政治の基本」の信念のもとで、病や貧困から村民を守ることに命をかけた深沢晟雄の精神を学び伝えるという目的が込められているという。

野平氏の深沢晟雄資料館訪問とその後
さて、今年の3月2日にこの資料館にやってきたのが誰あろう、現銚子市長である野平匡邦氏であったことを最近になって筆者は知るにいたった。
野平市長は資料館に備えつけのノートに「一部の市民から出馬を要請されており、決断に当たり深沢晟雄氏のオーラの一部を浴びるべく思い立って本館を訪問した」と記していたそうである。
野平市長はこの資料館訪問で市長選出馬の決意を固めたらしく、この資料館の発行する「深沢晟雄の会ニュース 6・15号」では当選した野平市長を祝して、「生命尊重こそ政治の基本」という深沢精神が銚子市に輝いたとのエール文が記されている。

このことは、訪れたその地で市長選出馬を決意した野平氏の市長当選を、資料館の関係者が深沢晟雄の歴史的偉業と重ね合わせて見つめていることを意味しており、銚子市民のみならず旧沢内村の住民からもこれだけ期待されて市長に当選した野平市長であるから、ぜひとも深沢精神に恥じない形で市立病院再生を果たしてもらいたいと筆者は考える次第である。

ところで、深沢晟雄が村長に当選した後に力を注いだのが、母校である東北大学からの医師の招聘の実現であった。
深沢村長は文科系の学部出身であり医学部にコネがないにもかかわらず、助役とともに時の医学部長に日参し直訴を続けた結果、ついに学部長が折れ、優秀な医師の招聘に成功したのであった。
愚直一本やりの深沢村長の誠意が東北大学を動かしたのである。

では我が野平市長はどうしたかというと、ご自分の人脈につながる医師や弁護士ら“専門家”などで「(仮称)市立病院再生事業機構」を設置し、億位単位の報奨金をこの組織に支払って医師や看護師の確保をはじめとした病院の再生を委ねることにしたという。
このことは、医師のスカウトのためにブローカーまがいのことが同機構の名前のもとで行われることも意味している。

銚子市民の病院を再生してほしいという切実な願いを利用して、ご自分の人脈に属する方々に億単位のビジネスの場を提供しているというイメージや、「お金が問題解決の最善の手段」との価値観をここに感ずるのは私の偏見であろうか。
野平市長にしても、同じ「生命尊重こそ政治の基本」という“深沢精神”から出発しての医師招聘であろうが、深沢晟雄本人の手法と比較してこれほどにも好対照と落差が出るのはどうしてなのだろうか。

野平市長の病院再生に崇高な深沢精神を本当に生かすためには、違ったやり方のアプローチが必要ではと感じるのは私だけか。
もう一度、深沢精神に立ち返って病院再生の構想を再考する必要がありはしないか。
そう感じるのも私だけか。

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都議選および民主党の総選挙スローガン「税金の無駄使いにメス」に思うこと

“豪華海外視察”という無駄使いと民主党
マスメディアの世界ではここ数ヶ月間、いつ解散があるかに焦点が集中し、この問題をめぐる麻生首相やその周辺の言動ばかりがクローズアップされ、今後の東京都政を左右する重大な東京都議会議員選挙にいたっては“総選挙の前哨戦”として完全に「ショー」扱いした報道があふれかえっている。
メディアが「与野党逆転なるか」という虚構の「対決構図」を演出するなかで、都議選の真の争点が語られない現状はメディア報道の嘆かわしい現状を象徴するものであり、都議会の自民、公明、民主の3会派による豪華海外視察が都政の無駄遣いの象徴として大きな争点の一つになっている実態をメディアが触れることはない。

都議会は都民からの「大名旅行」との批判を受け、1997年から2000年の4年間の間は海外視察を中止していたが、2001年にはいり都議会の自民、公明、民主の3会派が、それまでの超党派による視察から会派ごとの視察にと形を変えて復活させた。
前回の都議選(05年7月)からの4年間で、自民、公明、民主の3会派は6回(15カ国23都市)の海外視察をおこない延べで31人が参加したが、その経費の全体は5800万円を超えている。
とくに、東京都議会の場合に問題なのは、議員一人当たりの視察経費が他の府県議会と比べて突出していることであり、東京を除く全国平均が82万円なのに比べ、東京の場合は189万円と全国平均の2倍以上に達する。

この6回の海外視察のなかで際立つのは自民、公明の9議員が参加し、1275万円を使ったとされる米国視察だが、その視察費用の額もさることながら、それ以上に問題とされたことは視察報告書の盗用の問題だ。
この視察に参加した自民、公明両会派の都議が視察報告書の作成に日本都市計画学界の研究者の論文を筆者に無断で盗用したことが判明しても、両党の都議が「盗用ではなく引用だ」と開き直ったことに都民の厳しい批判が集中した。

また、民主党も海外視察の問題では自民、公明の両者に引けをとらず、民主党の都議4人が参加し、世界的に有名な観光スポットであるイグアスの滝巡りをおこなったブラジル視察は一人当たりの視察費用が191万円という豪華さであった。
そして、ここでも日本貿易振興機構(JETRO)職員やサンパウロの農場主の論文を丸写しした盗作報告書が問題となり、民主党は「結果的に盗作と指摘されてもやむをえない報告書を作成してしまった。都民にお詫びします」と詫びを入れる始末となった。

だが、このような不始末をたび重ねながらも今回の都議選のマニフェストにおいては自民、公明、民主の3党ともに海外視察の中止にはふれていない。
都議会の一部からの「報告書の盗用は都民を裏切る行為であり、都民に謝罪して費用を全額都に返還すべきだ」との手厳しい批判もどこ吹く風である。

東京外かく環状道路計画と民主党
都政における無駄なコンクリート・ハコモノ作りの象徴とされる東京外かく環状道路の建設に、民主党は一貫して推進の立場に立っているが、このことはあまり知られていない。

この道路は練馬区から世田谷区までの約16kmを結び、地下40mもの深さに直径16mものトンネルを上下線で二本掘りぬく史上最大のトンネル計画であり、総工費は推定で1兆8千億円に達するという。
また、トンネルの直径の16mは五階建てのマンションがそのなかにすっぽりおさまる大きさであり、16kmで総工費1兆8千億円というと1m当たり1億円以上という高コストだ。
住民を立ち退かせ、地下水脈や農地、緑地を壊し巨大ゼネコンのみが潤うこのような無謀な計画にたいし、民主党は「ヒト、モノ、カネを集中して優先的に整備すべきである」と推進の姿勢を一貫して示しており、そのうえに自公都議らと「建設促進議員連盟」を立ち上げて早期着工を求める緊急決議(08年12月)まであげている。

このように都政の場では、自公とともに税金で豪華海外旅行をおこない、無謀な巨大道路建設を推進している民主党が、国政の場で税金の無駄使いにメスを入れ国民の暮らしや福祉を守ることができるか、次の総選挙がその試金石となるだろう。
民主党の政党ポスターに刻まれた「税金の無駄使いにメス」のスローガンが本物であるのか、あるいは虚しい口先だけのものであるのかが判明する。

「私たちは変えます!まともな政治にいま変えないでいつ変えますか?」
この言葉が本物かどうか試される時が近い。

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共立湊病院と地域医療振興協会について(てらじい様のコメントへのご返事)

ここ数日間、PCから離れる生活を送っていましたが、今朝自分のブログを開いてみたところ、筆者の共立湊病院に関する記事にたいして“てらじい様”からの手厳しいコメントがありました。
コメントにはコメントの欄でお答えしようと思いましたが、筆者の文が長くなってしまったのであえてブログ本文に記載いたします。

“てらじい様”がおっしゃるには、共立湊病院は現在、南伊豆町という地域をこえて南伊豆地域全体の中核病院としての役割をはたしているのだから、下田市への移転新築は合理的であり、南伊豆町の行政や住民の多くが移転に反対するのは地域エゴに他ならないということです。(文末にてらじい様のコメントを転載しました)

ところで、最近になって南伊豆町関係者をふくめた共立湊病院事務組合(周辺1市5町からなる)が、撤退を表明している地域医療振興協会の要望を取り入れ、下田市への移転新築を決定したことは周知の事実であります。
同事務組合の決定などをふまえれば、同病院の移転に反対した南伊豆町の関係者の声は“地域エゴ”であるという見方が成り立たないわけではありません。

では、同病院の移転新築にともない、新病院にかかる指定管理者の公募がおこなわれましたが、地域医療振興協会がこれに応じなかったことをどのように評価したらよろしいのでしょうか。
同協会から「一年以内に移転新築を決めなければ撤退する」との突然の表明をうけ、南伊豆町の関係者が譲歩し、同事務組合の審議を通して下田市への新築移転を計画実行したにもかかわらず、同協会は新病院の指定管理者の公募に応じませんでした。
ちなみに、指定管理者の公募には二つの医療法人からの応募があり、管理者として下田市内に2診療所と1病院を運営する医療法人社団聖勝会(下田市)が選定されています。
http://www.izai2.net/doryou.html

さて、話を本論に戻すと、同協会からの要望にこたえて下田市への移転新築を決定した同事務組合関係者の努力に報いようとせずに、新病院の指定管理者の公募にも応じなかった同協会の行為は同事務組合と地域住民にたいする裏切りに他ならないように見えます。
要望どおりに病院の移転新築が実現することになった以上、同協会がこの病院から撤退する積極的理由はなくなったはずであり、それでも新病院にかかる指定管理者の公募に応じなかったのは、結局この地域では利益が上がらず採算が取れないからということ以外に理由がないように思えます。

これは過疎地医療を標榜し、国からも手厚い援助をうけた同協会にそぐわない行為であり、公益法人としての資格を疑わせるものに見えます。
同協会は最近では都心に近い市川浦安市民病院(400床)に進出し、都市医療の体質へと変化しているようであり、営利主義の方向にシフトをしていると聞いています。
このような同協会にもっぱら依存して銚子市民病院再生をめざす野平銚子市長の手法に危惧を抱いたがゆえに、あえて当ブログで共立湊病院の事例を挙げさせていただきました。
千葉県銚子市の住人であり、南伊豆地域の事情に疎い筆者ですから記事の記載の一部に不正確な点がありましたらご容赦をお願いします

ところで、最近になって銚子市長の市民病院再生“構想”が変わり、東大法学部卒であり旧自治省キャリア官僚であったご自分の人脈に連なる弁護士や医師、会計士などに声をかけ、“市民病院再生事業機構”なる性格の不明な組織を立ち上げ、医療マーケットにて医師のリクルートをおこない、かつ地域医療振興協会にも医師の派遣を依頼しながら新たな医療法人をたちあげることになったそうです。

同協会にもっぱら依存していた銚子市長の手法に危惧を覚えましたが、新しい手法にはさらなる危惧を覚えます。
地域医療に対する理念も明確でなく医師の世界での人脈も乏しきなか、自分の人脈のみにたよる手法は、全国的な医師不足の偏在化と、それによる病院経営の危機が広がろうとしている昨今では成功はおぼつかないと考えます。


てらじい様のコメントより(一部)
http://www.izai2.net/kyoritu.html
上記にもあるとおり、圏域の中央に医療設備の充実した、そして、実績のある湊病院を移して欲しい、というのが、多数の希望でしょう。
今の働き盛りで、かつ、真面目な素晴らしい連中(医学的にも人間的にも)のパワーを活かして、下田市に拠点を置いて、あの地域を広く守ってもらうのがベストの選択でしょう。南伊豆町の町長が、自分の所から出て行ってもらっては困る、と主張するのも、理解出来ますが、それでは、医療は改善しないでしょうね。

野平市長の「市民病院再生」は早くも大幅後退か?

選挙期間前後における市長の病院再生構想
経営協力(銚子市立病院再生に向けての)を依頼する可能性のある特定の医師集団・組織のお名前は公表できませんが、これまですでに意見交換をお願いした結果、全責任を負えるかどうかは留保するとの条件付きながら「好意的な意欲あり」と受け止めています。相手方のお名前の公表は、その組織的決定をいただいた上で選挙後におこないます。
野平市長の出馬表明より

まず、病院の再建ができるような力のある医師集団・医療組織と私は話をしている。大半は出せるけれども全部は出せないかもしれないという意見をいただいているので、一部足りない部分は私の個人的ネットワークなり、医師を招く仕組みを作って全国からお医者さんを招いて、全体として必要な医者の数を達成していく。経営者は呼んでくる。そういう形がいいと思う。
青年会議所主催による銚子市長選の公開討論会での野平氏の発言

医科大学系の法人の理事長が「医者を全部期待しても厳しい」と言っている。医者が20人必要だとすれば、20人全部出すことは厳しい。
「野平さんのほうでも人脈を使って足りないところを補って、全体で100%の医師を確保するという枠組みなら大丈夫だろう」と言われた。
全国の医療マーケットから医者を調達する仕事をやらねばならない。市民病院再生監理委員会(仮称)が医者を5〜6人は集めてくるというというイメージで同委員会を作った。
野平市長の就任記者会見より

初っ端から唐突ではあったが、野平市長が選挙期間中から市長当選までに語ったことのなかから、病院再建とその問題に大きく関わってくる医師招聘に関する部分を抜きだしてみた。

6月議会における所信表明で「市民病院の再生を私が取り組む最優先かつ最大の課題」と位置づけた野平市長だが、上記の三つをはじめとしたこの間の市長の諸々のコメントや所信表明の中身などを全部総合してみると、地域医療振興協会との積極的な連携により、市民病院の運営を協会に全面的に委託(指定管理者制度による)するが、協会単独では市民病院再生に必要な医師数を充足することが難しいので、市として独自に医師の招聘活動を担う“高度の専門職業人の集団”を立ち上げて、足りない医師数の充足をおこなうというところに、病院の再生に向けての当初の市長構想があったように思えた。

このイメージは私ばかりでなく、選挙中からの野平市長のこの間の諸々の発言をフォローしてきた方は、ほとんどがそのようなイメージを抱いたことと思う。

最近の市長の病院再生構想(早くも後退)
だが、6月議会が終わった現在の時点において、野平市長のいままでの“構想”に大幅な修正が加えられることが判明した。
野平市長は7月1日に臨時記者会見を開いて「(仮称)銚子市民病院再生事業機構」を立ち上げることを発表し、この組織が東京を拠点に医科大学等と交渉し医療資源(医師・看護師など)を“確保”すること、および“確保”した医療資源(医師・看護師など)をもとにして市民病院の経営母体となる医療法人(銚子市立病院経営組織)を立ち上げるという“構想”を発表したのである。

これまでは地域医療振興協会が経営母体(指定管理者制度による)として市民病院再建の中核となり、不足する医師の補充という補助的な仕事を市長が新たに立ち上げる組織がおこなうというイメージがあったのが、こんどは新たに市長の立ち上げる組織が、再生市民病院の経営母体となる新しい医療法人をも設立し、そのために必要な医療スタッフも全部揃えるという枠組みに変わったのだ。

そして、この枠組みの中では、それまでは主役であったはずの地域医療振興協会も、ただ単に市長の立ち上げた組織に協力して医師などを派遣する医科大学等のひとつに「格下げ」をされてしまっている。

また、この新たに立ち上げられる組織のトップには、野平市長が市長就任前に所属していた真和総合法律事務所(弁護士事務所)の所長である東谷隆夫弁護士が就任することとなったらしい。
こうなると選挙期間中に野平市長が有権者に説明していた病院再開構想に大幅な変更が加えられることとなり、以前と比べるとかなりスケールの小粒なものとなってしまった印象は避けがたい。

野平市長は選挙期間中の後援会報などで「市民病院再生に自信あり」と宣言し、「数千人の医師を抱えて、全国の公立病院の再建を請け負っている実績のある団体や、大きな大学病院と交渉中です」と大風呂敷を広げていたが、ここにきて大幅なトーンダウンとあいなってしまった。
これでは、来年の4月に“病院再開”に成功したとしても、医師の数が2〜3人で、かつ入院ベッドのない無床診療所の開業となりかねず、市民が野平市長に期待した“病院”のイメージとはかけ離れたものとなってしまう可能性が大きい。

また、医療法などによると医療法人の設立には診療実績が最低でも2年間必要とされるが、市立病院は昨年の9月末に休止しており診療実績の期間はそれ以降には存在しない。
それゆえ、医療法人の設立は法律的にも一筋縄にはいかないことも大きな問題となってくる。

私がとくに疑問に思うのは、なぜ医師の招聘をおこなうはずの新しく立ち上げられる組織のトップに市長の所属していた弁護士事務所の所長が就任するのかである。
この事務所のホームページを見ても医療や病院関係の分野の仕事を手がけた実績はないようだし、医師の世界に強力な人脈を持っている気配も感じられない。
http://www.shinwa-law.jp/bunya.html

医師のリクルートは医師の世界での人脈の掘り起こしがカギとなるが、市長の所属していた弁護士事務所の所長が医師の世界にどんな人脈を持っているのか疑問だ。
このままでは、野平市長が選挙期間中に自信ありげに宣伝した「市民病院再生」は看板倒れとなる可能性が大きい。

今からでも遅くはないので、全国の公立病院立て直しの事例から謙虚に学び、必要なら現地視察もおこなって先人の知恵も借りながら、早急に病院再生の構想を練り直したほうがよい。

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西岡三郎
千葉県銚子市に在住
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