光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2009年09月

北朝鮮の個人崇拝体制と旧社会主義諸国の歴史的蛮行、および日本共産党

北朝鮮の個人崇拝と一人独裁体制が確立されるまでの経過とは
朝鮮民主主義人民共和国において金日成の個人崇拝体制が確立されるまでには、周到に準備された「政敵」にたいする大規模な“粛清劇”が数度にわたって繰り返された。
まずは朝鮮戦争直後に南朝鮮出身の革命家たちをアメリカ帝国主義の指示をうけた“スパイ”の濡れ衣を着せて朝鮮労働党から一掃した。

これは南朝鮮を解放できなかった朝鮮戦争の失敗の責任を南朝鮮の左翼に押し付けるという魂胆のもとに金日成によって画策され、党副委員長兼外相である朴憲永をはじめ、南朝鮮出身の9人の革命家たちが裁判とは名ばかりで、弁護士もなく支援者もいない暗黒裁判でアメリカのスパイとされて銃殺刑により処刑された。
この出来事がきっかけとなり軍隊、秘密警察、強制収容所を完備し,それを思い通りにあやつれる党が人民のうえに君臨し、党の決定だけが声高に叫ばれる一党独裁体制の恐怖が北社会を覆い始める。

一連の粛清劇のなかでその集大成といえるものが1967年の朝鮮労働党中央委員会の秘密会議であり、この秘密会議の場で最後に残っていた「政敵」たimages9ちが一掃され、金日成の「唯一思想体系」という個人崇拝と一人独裁体制が確立する。
これ以降、金日成の主体思想(チュチェ思想)が北社会の唯一の思想として崇めたてまつられることとなり、それ以外のいっさいのものが排除されはじめた。

また、北朝鮮の社会主義が確立して長い年月がたっており、旧搾取階級である地主や資本家はとうの昔に一掃されていたにもかかわらず、その残存分子と古い思想を制圧せよとの号令がこの秘密会議をきっかけとして全国に発せられる。
これは人民のなかからの「反動・反革命分子」の摘発の奨励となり、人々は言葉一つ間違っても妻子の手により密告され、強制収容所に送られるのではないかという恐怖におびえる日常生活を強いられることとなった。

また、古い思想を制圧せとの指令は金日成の主体思想(チュチェ思想)で全党や全人民を一色に染め上げることを意味するようになり、北の全土で膨大な量の書物が焼却され、油絵は切り裂かれ、彫刻は棍棒によってことごとく破壊されていった。
また、知識人は敵視され迫害の対象となり、自殺へと追い込まれていった知識人の数ははかり知れない。

そして、この文化や科学にたいする大規模な総攻撃により、北社会が「無知の王国」への道を歩みはじめたことで経済建設をはじめとした北社会の大幅な“遅れ”が生じていく。
これが「地上の楽園」と言われた北朝鮮社会の現実であり、極端な個人崇拝と一人独裁体制が横行する極端な統制社会であったが、このような実態は旧ソ連や東欧の旧社会主義諸国に共通することでもあり、北朝鮮の場合は他の社会主義諸国のそれを数十倍に増幅した暗黒社会であるところにその特徴があった。

北朝鮮の政権党と兄弟党であった日本共産党
さて、日本共産党はこのような北朝鮮の政権党であった朝鮮労働党と兄弟党としての関係を保っていた歴史を持つ。
70年代に朝鮮労働党が金日成の個人崇拝を外国の諸政党にも押しつけ始めたことがきっかけとなってこの兄弟党の関係に終焉がもたらされることとなるが、日本共産党が北朝鮮で金日成の個人崇拝と一人独裁体制が確立されていった50年代と60年代に一貫して朝鮮の党と兄弟党としての間柄を継続してきたことはまぎれもない事実である。

また、日本共産党は東欧社会主義諸国の崩壊にいたるまで北朝鮮と同じく個人崇拝と一人独裁体制のルーマニアのチャウシェスク政権と親密な関係を保っており、この親密な関係はチャウシェスクが民衆蜂起により銃殺される直前まで続いた。
さらに日本共産党は自らを旧ソ連や東欧の崩壊した旧政権党をその主要な構成員とした“世界の共産主義運動”の一員であることを自称し続けた長い歴史を持つ。

ゆえに日本国民は、それらの国々における人権侵害や民主主義の欠如、大量虐殺などの蛮行とともに、そうした惨事をひきおこした各地の“共産主義勢力”の思想と日本共産党の思想とがまったく無関係ではなく、それ相応の共通性があると見ているのである。
いわば日本共産党をソ連や東欧の旧政権党と「同質・同類」と見なすこの日本国民の見方の背景には、同党が長い間、北朝鮮の政権党と兄弟党であったことや“世界の共産主義運動”の一員であったことなどの歴史的な事実が裏づけとして存在しており、戦前からの根深い反共主義による偏見として簡単に解決できない理性的な根源をもっている。

ソ連共産党の崩壊を“歴史的巨悪”の崩壊として「もろ手を上げて歓迎」したり、ソ連社会を偽りの社会主義であると宣言すれば、それらの“共産主義勢力”と日本共産党とは無縁であることを証明したこととなり、それでも同党を旧ソ連や東欧の崩壊した旧政権党の同類として否定することは日本に根深い反共主義として片付けるわけにはいかないのである。

党名変更と民主集中制の放棄や大幅な見直しのすすめ!
これが日本共産党の党員や議員が末端で困っている庶民の生活相談や党勢拡大の「大運動」などをおこない、涙ぐましい努力を続けても同党の党勢が停滞や後退を続ける大きな要因のひとつであると筆者は考えている。
今日の日本共産党への国民の批判意識は戦前来の反共主義とは質を異にしており、歴史的な事実という裏づけをともなったより頑強なものとなっているのである。

日本共産党の躍進を願う筆者は崩壊したこれらの“共産主義勢力”と同党とが無縁であることを広く日本の有権者に証明するためには少なくとも、旧ソ連や東欧の旧政権党と共通する「民主集中制」という組織原則の放棄や大幅な見直し、さらには共産党という党名の変更が必要と考える。
日本共産党の党名問題について一言付言するが、日本のアジア・太平洋への侵略戦争の際に民政党や政友会、社会大衆党など自民党や旧社会党の先祖たちが大政翼賛会に合流してその後押しをしたなかで、ひとり同党のみが反戦と民主主義の旗を守り続けた誇りある歴史の象徴として、その党名を掲げ続けたい気持ちはわかる。images10

だが、「社会主義世界体制の崩壊」という世界史的な事実を経験し、人権侵害や民主主義の欠如、大量虐殺などの蛮行を重ねた旧ソ連や東欧などの旧政権党が消滅してこれらの“共産主義勢力”の実態が白日の下に晒された21世紀の今日、党名の変更は彼らと「同質・同類」でないことを鮮明にするためにも必要であると筆者は考える。

自公政権崩壊と鳩山新政権成立に不破・志位指導場は何の貢献をしたか!

「構造改革」による貧困と格差の拡大と新政権の誕生
鳩山由紀夫氏は青森県に遊説に出向いた際に、つぎのような悲痛な叫びをある老婦人から訴えかけられたという。
「こういう政治、何とかなりませんか」
老婦人の話によれば30代の彼女の息子は数年前に東京で失業して再就職に失敗し実家へ帰ってきたが、この不況の世にあって生計の道を見いだすことができず、とうとう思い余って自殺してしまったというのである。

自公政権のもとで進められた「構造改革路線」によって弱肉強食の市場原理主義が徹底され貧困と格差が拡大し、年収200万円以下の低所得層の勤労者が1000万人を超える勢いである。
非正規の労働者は激増し、いまや青年労働者の2人に1人が派遣や臨時などの非正規労働者であり、彼らのことを一部の識者が“プレカリアート”(不安定な人々)と呼称していることをご存知の方は多いだろう。

膨大な数の青年が年収200万円以下であり、いつ職を失いかねない不安定雇用の身であれば老親と同居していかなければ暮らしが成り立たず、また老親が死亡したあとはその後を追って自殺するしか道がないように思えるし、まして自立して家庭を持つことなど夢物語にしか思えない。
就職の希望のない青年層の激増は膨大な自殺予備軍をどんどん作り出しおり、その勢いはとどまりそうにもない。

自公政権の「構造改革」路線によってこのような惨状が青年労働者の間だけにとどまらず、中高年労働者や高齢者、自営業者、母子家庭、障害者など社会のあらゆる領域や階層にまで広まっている。
2005年の「郵政選挙」の際には「自民党をぶっ壊す」という「小泉劇場」の壮大なペテンによってかろうじて延命した自民党であったが、国民の激しい批判と怨嗟の声が広がるなかで坂道を転がるように国民から見放され崩壊の道へとたどりはじめる。

この自民党政治の崩壊は2007年の参議院選挙で明確な形をとり始めており、国民は自公政権打倒の望みを民主党に託したことがこの選挙における民主党の大勝と自民党の惨敗という形となって現れた。
国民は政治の転換を求め自公政権打倒の望みを民主党に託したのであり、この流れは今回の総選挙での自公政権の崩壊と政権交代、鳩山新政権の誕生という政治状況をつくり出していった。

不破・志位指導部が同質・同類論に固執したこと
さて、この間に我が日本共産党(不破・志位指導部)は何をしていたかというと、自民と民主は同質・同類であり、財界が自民党政治の延命のためにつくり出した「二大政党」の枠組みのなかで民主党は自民党のパートナーにすぎず政権交代しても政治は変わらない、いやむしろ民主党の役割は財界の手のひらの上で自民党と「悪政の競い合い」をすることにあり、民主党政権の成立が暗黒政治への一里塚であるかのように言いながら政権交代の「妨害者」としての役回りを演じていたにすぎない。(筆者としてはきつい表現であり不本意だが事実である!)

それにもかかわらず国民は不破・志位指導部の主張には耳を貸さず民主党を政権へと押し上げたのであり、自公政権打倒の実現ににたいして不破・志位指導部は積極的な役回りをちっとも果たしていなかったというのがこの間の偽らざる現実である。

さて、志位委員長が党創立87周年記念講演会で今回の自公政権の崩壊と政権交代という選挙結果に関して次のように断言している。
「私はこれは、大局的・歴史的にみれば自民党政治の衰退と崩壊のもとで、何よりも国民の世論と運動、そして日本共産党のたたかいがつくり出した日本の政治の新しい一局面だということを強調したいと思います」
いくら大局的といっても、これではあまりにも身びいきであり、我田引水の度がすぎる。

この間に不破・志位指導部は同質・同類論にもとづき政権交代しても政治は変わらない、政権交代というのは巨大マスコミのつくり出したすり替えのキャンペーンであり、真の争点は日本共産党の躍進にあるとして政権交代の意義を“頑なに”否定し続けてきており、都議選敗北にあわてて「建設的野党」論により急ごしらえの「自公政権の退陣」を唱え始めたにすぎない。

民主党の出自が「二大政党」で自民党政治の延命をはかるための自民党のパートナー役であり、財界の手によって政界に送りだされたものであったとしても、「構造改革」路線による貧困と格差の拡大という惨状のもとにある国民は財界の思惑を乗り越えて民主党を自公政権打倒の“旗手”へと押し上げていったのであり、その明確な兆候は一昨年の参議院選挙での民主党の大勝と自民党の惨敗という結果に現れていた。
政治の変革を望むこの有権者の明確な意思表示とシグナルを長い期間にわたって読み取れず、政治の変革にたいする阻害者としての役回りを結果的に果たすこととなってしまったこの間の不破・志位指導部は前衛政党の指導者と言えるのか?筆者としては疑問符を付けざるをえない。

結果的に自民党政治の急激な崩壊による政治状況の激変を読みきれず、生起しつつある現実と自らの同質・同類論との狭間で揺れ動く“後衛”の姿を晒してしまったのが不破・志位指導部のこの間の偽らざる現実の姿ではなかっただろうか。(嘆息である!)
そして、この間の同質・同類論の果たした有害な役割を根本的に再検討する姿勢がいまのところ何も感じられないのもはなはだ残念である。
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野平市長様、市民病院再開の成功を願って思うところを述べます。(ご尽力ご苦労様です)その2

また、再生準備機構は“プロの集団”であり“高度な職業人の集団”であると言いますが、それではこの機構のなかに破綻の危機に陥った自治体病院の現場に出向き、現場のスタッフから事情を聴取しながら問題点を整理し、知恵も絞って汗もかきながら自治体病院再生の取り組みに実績を残しておられる人材がおられるのでしょうか。
私には準備機構にそのような方がおられるという情報は入っておりませんし、聞いたことがありません。

例えば、5月の市長選挙において松井稔候補の後見人となった元総務相公立病院改革懇談会座長であったO氏はその良い例であります。
O氏は最近では破綻しかけた富山県の氷見市民病院の再生を成功させ、また独立行政法人化による国保成東病院の存続に向けて尽力しております。
さらに、現在は長崎県の破綻しかけた壱岐市民病院の再建に尽力しており地元新聞では連日のように報道されています。

このO氏は自治体病院再建では日本一の実績を持っているといってよいでしょうが、O氏に限定せずとも自治体病院再建の実績を残しているスペシャリストは他にもおられます。
再生準備機構に自治体病院再生の実績を持ったスペシャリストをその一員として加え、このプロフェッショナルを中心にして運営されてこそ、再生準備機構が文字通り“プロの集団”であり“高度な職業人の集団”としての実質を持ちえるのではないでしょうか。

そして、再生準備機構の議論をオープンにして情報公開に努力しなくては全国の大学病院関係者をはじめとした医療関係者の信頼は得られないと思いますので、情報のデスクロージャにご尽力してください。
月に一回ぐらいは再生準備機構の会議を銚子市で公開のもとでおこなうことも必要ではないでしょうか。

また、市長自身も認識しておられますが、銚子市にたいして全国の医師の抱いているイメージは最悪なものがあります。
前市長が突然に市立病院を閉鎖したり、それにたいしてリコール運動がおこり政治闘争にあけくれた銚子市の印象は医師にとってけっして良いものではありません。
市民自身の選んだ市長が病院閉鎖を決めたのであり、それは市民の自己責任であるという受け止め方が一般的でありますし、この自己責任を棚上げして前市長にその責任のすべてをかぶせてリコール運動に“狂奔”した銚子市民の“身勝手さ”は、銚子の実情に疎い市外の医師の眼から見て許容範囲の限界を超えるものであったのでしょう。

また、自治体病院そのものについても一般の医師には良い職場とのイメージはありませんし、むしろ赴任したくない医療現場の代表格が自治体病院の現場であります。
全国の自治体病院には救急車をタクシー代わりに使う不心得物の住民の横行や、入院患者のケアや救急患者の搬入に備えた夜間当直の医師のもとに「昼間の診療は混むから」とか、「昼間は仕事だから」といって診療に訪れる“コンビニ医療”を平然とおこなう非常識な住民も後を絶ちません。

これが現場の医師を疲弊させ自治体病院の現場から立ち去らせる大きな要因となっており、医師の目線から見れば病院つぶしの責任の一端を住民自身もまた負うべきものと見えているのです。
そこに市立病院の閉鎖と“リコール騒動”ですから全国の医師の銚子市に抱く印象が最低ランクに落ちているのはまぎれもない現実であり、これが病院再開に当たっての大きな障害となっていることは間違いありません。

そこで、この問題を解決するためにも官民を挙げ、またリコール運動に賛成した市民も反対した市民もすべてを含めて銚子市のもてる総力を挙げて医師招聘キャンペーンに取り組んではいかがでしょう。
銚子市民がいかに医師を大切にするか、再開する銚子市民病院では医師の待遇を日本一にしたいとか、来てくれる医師を市民がいかに歓迎し、また感謝するかなどをマスコミも使ってフルにキャンペーンをおこなう必要があります。
また、市民が直接に全国の医療関係者に手紙などの方法で誠意を示すことも必要ではないかと思います。

とにかく早急に、市の行政や議会、そして病院再開を願うすべての市民が医師招聘キャンペーンに一丸となって取り組んで銚子市に対する全国の医師のマイナスイメージを払拭する必要があります。
そして、再開する銚子市民病院で働きたいと思う医師を掘り起こしていかなくては病院再開の展望は開けないのではありませんか。

以上は長文であり、はなはだお粗末ですが私の思うところを述べさせていただきました。
恐縮に存じますが失礼の段はご容赦下さい。
                              敬具

     西岡三郎 拝
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野平市長様、市民病院再開の成功を願って思うところを述べます。(ご尽力ご苦労様です)その1

拝啓、野平市長様
最近の市立病院再開をめぐっての野平市長様周辺の動きを見ますと、医師や看護師を確保する高度な“プロ集団”である「銚子市民病院再生準備機構」に医療スタッフの確保から市民病院の経営組織の組み上げにいたるまでのすべてが委ねられている印象があります。
このような状態を世間的な言い方で言えば「丸投げ」と言うのでしょうかよくわかりません。
そして、“死ぬ気”になって取り組むはずの野平市長ご自身の主体的な行動と実践はどこにいってしまうのか傍からはよく見えません。

なにしろ準備機構には医師や弁護士、公認会計士、大病院理事等といったそうそうたるお歴々が顔をそろえておりますし、その学歴や職歴を見ると超エリート階層に属するハイな“エグゼクチブ”ばかりであり、一介の銚子市民にすぎない私などはうっかり口をさしはさむ事もはばかれる有様です。

また、野平市長様が意図したところではないにせよ、“プロ集団”とか“高度な職業的専門家集団”とか“委任契約”といった言葉の“煙に巻かれ”て、市民の間での実質的な論議が停止状態になっているのが病院再開問題をめぐる現況ではなかろうかと思います。
さて、そのようななかで9月市議会が開かれ、病院再開問題について一定の議論が交わされましたが、大雑把に言うと9月市議会におけるこの問題をめぐっての議論は大別して2種類のそれに分けられると思います。

まずは、市長の再生準備機構による取り組みを是認したうえで「頑張ってくれ」のエールを送る“肯定派”のそれであり、つぎには市民の要望が反映されないことや市長自身の市民病院についてのビジョンも示さずに再生準備機構に丸投げであること、あるいは情報が非公開であることなどを指摘する“問題指摘派”のそれであります。
だが、後者の“問題指摘派”の議論にも再生準備機構という枠組みそのものに代わる対案の提起はありません。

私もこのような病院再開をめぐる議論の趨勢を踏まえ、再生準備機構による野平市長の取り組みに病院再開にむけての“さしあたっての希望”を託すという観点にたちながら、いくつかの疑問と愚案を投げかけてみたいと思います。

さて、一般的に自治体病院に医師を招聘するルートとして三つのルートが考えられます。
まずは大学の医局にお願いするルートがあり、さらには国や県の公的病院から医師の派遣を受けるルートがあります。
また、最近では“医療マーケット”なる医師の人材紹介業界の世界からの斡旋というルートが有力な医師招聘の手段として脚光を浴びております。
ただ、医師の人材紹介業界からの斡旋には法的な規制がなく悪質な業者が横行しているのが実態であり、このルートに依存するには不確実性と危険が伴います。

市立病院は大学の医局による医師の引き揚げにより深刻な医師不足に陥り、県からも人材面での支援が受けられずに窮地に陥ったことが病院休止の最大の要因になりました。
それゆえ、今後において大学の医局、または国や県からの医師招聘によって再開する市民病院の核となる医療スタッフを確保する見通しがたてられるのでしょうか。
また、リスクの高い医師の人材紹介業界から再開病院の核となる医療スタッフを確保することも現実的な方法ではないと思います。

また、前市長が市立病院再開のために指定管理者の公募をおこなったにもかかわらず、歯科を営む営利企業以外にはどこも引き受ける意思を示しませんでしたし、野平市長が交渉のお相手としている地域医療振興協会も市民病院の指定管理者を引き受けることには否定的であります。
このように市外の医療法人に医療スタッフの提供を期待することはまことに厳しいものがあると思います。

かくなる現状のなかで再生準備機構としてはどのような分野に、どのような見通しを持って医療スタッフの確保に取り組もうとしているのかその方向性が垣間見えません

*その2に続く

鳩山連立政権とはなにか(日本共産党の見誤り)

今回の鳩山新政権と過去の細川非自民政権との違い
今をさかのぼる16年前、1993年の総選挙で生まれたのがいわゆる非自民政権であり、日本新党や社会党、新生党、公明党、民社党など非自民8党が細川首相を担いで成立させました。
実はこの選挙で自民党は第一党の座の確保には成功しましたが過半数には及ばず、さらに同党にとって痛手であったことは同党と連立を組む政党がとうとう現れなかったことであります。

そのため、その間隙をついだ非自民8党による連立工作が功を奏し、それまでの自民党政権に変わって成立したのが細川連立政権でありました。
しかし、自民党政権から政権を引き継いだ細川政権でありましたが、政権成立に当たって8党間で合意した内容は「自民党政治の継承」であり、当時自民党政権がもたついていた“3悪”を実行に移すことにありました。

その“3悪”とは日本国内のコメ市場の開放を狙う米国の穀物メジャーの要求する米の輸入自由化であり、また、多数党が国会の議席を独占し少数政党を国会から締め出す小選挙区制の導入であり、「国民福祉税」という名前で偽装した消費税の増税の企てでありました。

こうしてスタートしたのが細川連立政権であり、目標とした“3悪”のうち消費税増税の企てには失敗したものの、米の輸入自由化と小選挙区制の導入に強引に道を開いた同政権に良い思い出はなく、また同政権自体も首相の細川氏にかかわる佐川急便からの不正献金が発覚したことをきっかけに短期間のうちに瓦解してしまいます。

さて、今回の総選挙で自公政権を倒して成立した民主党を中心とする民主・社民・国民新3党の連立政権でありますが、消費税増税の含みを残していたり、とことん米輸入を自由化させる日米FTA(自由貿易協定)の交渉促進の公約を民主党が掲げていたりと、問題点は少なからず抱えてはいるものの過去の細川非自民政権と決定的に違っていることがあります。
それは「(今回の国民の選択は)自民党政治を根底から転換し、政策を根本から改めることを求めるものである」との確認を民社国の3党による政権合意の基礎においていることであり、これが「自民党政治の継承」を掲げた細川連立政権との決定的な違いといえるでしょう。

労働法制の規制緩和の名で使い捨ての非正規労働者を激増させ、「改革」の名で社会保障をズダズダにし、弱肉強食の過酷な格差社会を生み出した自公政権にたいする国民のノーの審判にうえに成立した鳩山政権にとって、このことは当然の前提であり土台となりました。
鳩山政権は温室効果ガスの中期削減目標25%を宣言して麻生政権時代の財界寄りで後ろ向きな姿勢とは決別し、また核兵器持ち込みに関する日米間の核密約の問題についても真相の解明への積極的な姿勢を示しおり、さらには無駄な大規模公共事業の代表格である八ツ場ダムの中止も言明しています。

こうして鳩山政権は多くの課題で国民の利益から見てまともな方向へと踏み出しつつあり、「(今回の国民の選択は)自民党政治を根底から転換し、政策を根本から改めることを求めるものである」という政権合意のうえに成立した新政権の基本的な性格を遺憾なく発揮しつつあります。

総選挙の結果によって覆された日本共産党の「民主は自民と同質・同類」論
だが、ここで問題としなくてはならないことがあります。それはここ数年における日本共産党の民主党にたいするスタンスです。
日本共産党は総選挙直前まで自民も民主も同質・同類であり、政治の中身では自民党との違いが見えず、「自民か、民主化」のどちらかを選べと言われても選びようがないとの立場にたっていました。
また、同党は民主党が同じ政治の枠組みのなかで自民党と競いあって悪政をすすめているところに日本の政治の最大の危険があるとも言明していました。

この民主党への“敵対的”なスタンスが選挙前までの日本共産党の特徴であり、民主党への政権交代を否定する同党の立場が政治の変革の望みを民主党への政権交代に託す多くの国民の目には“政権交代への妨害者”と写ってきたことは否めません。
しかし、総選挙の結果は「民主党は自民党の同質・同類であり、政治の中身では違いがない」との日本共産党の主張を事実によって覆してしまったのです。

選挙後に志位委員長は「鳩山政権は財界中心・アメリカ言いなりという古い政治の枠組みから抜け出すにいたっていないものの、国民の要求を反映した積極的な政策も掲げており、国民が古い自公政治から決別し、それに代わる新しい政治の中身を探求する新しい時代の「過度的」の政権である」との趣旨の言明をしていますが、この言明には総選挙の結果という事実の前に「同質同類論」が破綻してしまったことがくっきりと反映しています。

はっきりいって、この間の日本共産党の民主党への敵対的なスタンスが一昨年の参議院選挙や7月の都議選、および今回の総選挙での同党の党勢後退の主な原因といって間違いありません。
また、都議選の結果にあわてて「建設的野党論」を提起し、是々非々論の立場に移行して民主党への“敵対的”なスタンスを取り下げては見たものの後の祭りに終わってしまっています。

今、総選挙直前まで「同質同類論」や「悪政競い合い論」にたって民主党への敵対的なスタンスをとっていた日本共産党の政策や選挙戦術に関して、その誤りの根源までさかのぼって徹底的に総括することが求められるでしょう。
この問題をやり過ごしスルーしながら新しい政策や方針を打ち出すことは日本共産党の誠実さを国民から問われかねないでしょうし、誤りの根を発見しそれを教訓として今後に生かすことなくして同党の再生と新たな躍進は有り得ません。

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日朝国交正常化は金正日政権との間でおこなうべきでないこと!

朝鮮半島の核問題やミサイル問題、拉致問題、過去の植民地支配の清算の問題など、日本と北朝鮮との間に横たわる諸々の問題の一括解決に努力を尽くし、両国の国交正常化への道筋を開くことが東アジアの平和と繁栄・友好に大きな展望を開く。
それゆえ、両国の間に存在する諸懸案を解決して、一刻も早く日本と金正日政権下の北朝鮮との国交正常化を実現すべきだ。

このような考え方を根拠に日朝国交正常化を急ぐべしと主張する論者や政治勢力は数多いが、はたして、現在の日朝関係をめぐる複雑な国際環境の下で両国の国交正常化が実行可能であり、なおかつ現実的な選択したり得るのか?

日朝間の国交正常化を急ぐべきでない理由
筆者は現在の国際環境のもとでの日朝国交正常化は現実的でないと思うが、その理由として次にかかげる二つの問題の存在を挙げたい。

第一に米国と北朝鮮との間で朝鮮戦争は終結しておらず、たんなる休戦状態に留まり法的には戦争状態の真っ只中にあるため、このなかに日本がノコノコ入っていき一方の当事国である北朝鮮に植民地支配の賠償金として多額の金を渡すことをアメリカが見過ごすはずもなく、韓国も穏やかならぬ話として猛烈に反対することだ。

ましてや、日本は安保条約によって外交と軍事という国の根幹を米国に握られた自主外交のできない半従属国にすぎず、朝鮮半島での日本の自主的な判断や行動は事実上不可能な状態におかれている。
それゆえ、従属的な日米安保条約を破棄して日本の自主性を確立し、そのうえでアメリカと北朝鮮を説得して朝鮮戦争を終わらせる平和条約を締結する橋渡し役を果たし、その後に日朝国交正常化をおこない南北と等距離の関係を作っていく。
この方向にしか打開の道はなく、現状の日米関係と米国の朝鮮政策を前提にするかぎりは日朝国交正常化は“砂上の楼閣”である。

第二は、かりそめにも国交正常化という大問題をうんぬんする以上は相手を良く見きわめねばならず、仮に対米従属という障害がなくても、金正日政権が相手では相手が悪すぎるということだ。

1989年に東欧の旧社会主義諸国が長年にわたり反国民的な悪政を積み重ねてきた報いから次々と崩壊していった。
まずポーランドで反政府組織「連帯」が勝利し、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁は取り壊され、同年の12月25日にはルーマニアの独裁者チャウシェスクが蜂起した民衆によって逮捕され翌日に銃殺されるが、このことが金正日に自国の崩壊も間近なことを予感させ、金日成・金正日親子をはじめとした北朝鮮社会の特権階層たちは民衆蜂起による報復の恐怖に怯えはじめる。

なぜなら、北朝鮮社会は人間の尊厳や自由や権利はおろか、一番基本的な衣食住さえ保障されない未開社会であり、民衆弾圧により数十万の政治囚が強制収容所にとじこめられた暗黒社会であって、それを作り出したのが金日成・金正日親子による比類のない独裁と圧制だったからである。
また、ソ連の崩壊により北朝鮮にとって生命線であった大量の食料とエネルギーの供給がストップしたことも彼らの懸念と恐怖に拍車をかけた.

とくに小心な金正日はチャウシェスク型の処刑の恐怖に怯え、生き残りのために彼に反感を持つ大量の人民の殲滅(抹殺)を計り、彼らへの食糧配給の全面中断を断行して民衆反乱の温床となる人々を根絶やししようとした疑惑がぬぐえない。

こうして金正日が食料の配給停止という手段を使い、“敵対階層”抹殺を狙った“銃弾なき戦争”を人民に仕掛けたことが三百万人以上ともいわれる北朝鮮の大量餓死の本当の原因であり、北朝鮮の大飢饉は自然災害によるものではなく金正日による大量殺人の結果として意図的につくられたものであるという説が有力なものとなっている。

また、北朝鮮では人民のいっさいの食糧が政府の配給に依存しており、人民は移動の自由までも奪われ、戦時中の日本のように都市住民が衣類などを背負って農村を回り食料の買出しをするといった自給策も封じられた社会だったことが金正日の餓死による大量殺人を可能にしたという。

カンボジアのポルポトは何百万人の人民を鍬や鉄パイプなどで撲殺したが、このようなやり方ではたちまち明るみに出て国際社会の強い非難を受けるために、いっさいの武器を使わず音も無く何百万人の人民を抹殺する方法として食料の配給停止というきわめて巧妙な手段を思いついたのが金正日であり、このことは彼の狡猾さと残虐さを物語っている。

このように金正日は自分の身の安全と体制の維持のために数百万もの自国人民を殺した殺人者であって、ジェノサイド条約により国際法廷に引き出されるべき大量殺人犯である可能性が極めて高く、さらには自分で作り出した飢餓を口実にして国際社会から人道援助の食料をだまし取っては換金し、核兵器とミサイルの開発につぎ込んでいた人物である。
自国の大量の人民を平気で殺害し、虚偽宣伝で国際社会からモノとカネをだましとる金正日政権にたいし、国交正常化により巨額の賠償金を渡せばどのような結果となるかは火を見るよりも明らかだ。

日本人拉致問題解決と60年代に北へ渡った在日同胞の帰国実現を急ぐべきこと
以上の二つの理由により、日朝国交正常化は少なくとも金正日政権が存続する限りは急いでおこなうべきではなく、現状ではポスト金正日における民主的な政権の成立を待つべきであり、さらには日米安保条約に縛られた日本が“宗主国”であるアメリカの意に反する日朝国交正常化をすんなりおこなえると考えることは幻想であり、米国の北朝鮮政策に劇的な変化がないかぎりは国交正常化は机上の空論でしかない。

ゆえに、いま日本国民が政府に要求すべきことは国交正常化ではなく日本人拉致問題の全面解決であり、拉致被害者の全員送還と拉致実行者やその責任者への厳しい処罰、および遺族への賠償と遺骨や遺品の返還であり、遺族による自由な墓参の保証である。

また、1960年代に北朝鮮当局と朝鮮総連による「地上の楽園」という甘言にだまされて北に渡った在日朝鮮人帰国者10万人とそれに従った日本人妻1300人余の日本への里帰りと永住帰国への道を開くことであり、将来の国交正常化に向けて対米従属から抜け出して、自主自立の日本外交へと転換するために努力を払うことである。

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総選挙における日本共産党の「善戦・健闘」をどう見るか!

日本共産党の「善戦・健闘」と自公政権の敗北
8月30日に投開票がおこなわれた衆議院選挙において、長年にわたって国民の暮らしや平和を脅かしてきた自公政権が国民の厳しい審判を受けて歴史的惨敗を喫し、自公政権は退場へと追い込まれた。
この選挙戦で湧き起こった「自公政権ノー」の風はすさまじく、民主党を308議席の大勢力へと押し上げるとともに、自民党を119議席へと公示前の勢力をほぼ三分の一へと激減させ、また自公連立のパートナーである公明党をも31議席から21議席へと大幅な後退へと追い込んだ。

この風は「財界・大企業中心」および「アメリカいいなり」という二つの政治悪を根源に持った自民党政治が崩壊していく過程でおこったものであり、日本の政治を前に進める風であったことは疑いのない。

さて、焦点をこの総選挙における日本共産党の消長へと目を向けると、この自公政権ノーの強い風を同党への順風とすることに失敗したことが浮かび上がる。
同党は議席の点では公示前の現有9議席を維持したが、得票の点では得票率を前回総選挙の7.25%から7.03%へと減らし、全体的に投票率が上がるなかで得票数を前回総選挙時の491万9千票から494万4千票へとかろうじて微増させたにとどまった。

さて、この同党をめぐる総選挙結果について同党指導部は声明を発表し自己評価を公表したが、それによると、「二大政党」の「政権選択」という大キャンペーンのもとで民主党支持の大きな流れが作り出さるという困難な条件の下にありながら、同党が現有議席を維持し、得票数で前進したことは善戦・健闘であったというのである。

自民党政権打倒の主役に民主党が躍り出るという歴史のアイロニー
ところで、自民党政権を打倒する展望は40年近く前の日本共産党の国政選挙での前進によって切り開かれ、そう遠くない将来に大企業中心の政治から国民中心の政治への転換、および日米軍事同盟をやめ独立・平和・中立の安保外交政策への転換といった革新的なスローガンの下に結集した統一戦線政府が自民党政権を打倒するはずであった。
また、そのなかで日本共産党は革新統一戦線の推進力として中心的な役割をはたすことが当然視されていたのであり、筆者もそのような日本共産党の役割を信じ、政治革新の展望を思い描いてこの国の未来に希望を見いだしていた。

だが、現実の政治の流れはこのような筆者の思い描いたビジョンとは大きく異なり、非常に屈折した形で進行し、なおかつそのプロセスは矛盾に満ち溢れていた。
40年前に思い描いた自民党政権の打倒劇の主役は思いもかけないことに、保守政党であり小沢・鳩山執行部を頂いた民主党にその役割がめぐってきたのである。

そして、自民党政権打倒劇の主役となるはずであった日本共産党はといえば、自民党も民主党も基本政策は変わらない同質・同類の存在であり、民主党に政権交代しても政治の中身は変わらず、自民党政権の打倒=民主党への政権交代は意味がないとして政権交代に一役買うことを拒否し続けたのである。

政治の変革を願う国民は民主党を押し上げているのであり、この政治の変革によせる国民の期待を見誤ってしまった日本共産党は多くの国民の目には政権交代への障害として写った。
この結果、日本共産党は都議選までは“政権交代の妨害者”という不評を買ってでることとなり、一昨年の参議院選挙および今回の都議選においては手痛い敗北を喫することとなる。

“建設的野党”および大順風のもとでも勝てない日本共産党
その後、都議選の敗北を受けて日本共産党指導部は民主党中心の政権が成立した場合に、「良いことには協力、悪いことにはきっぱり反対、問題点は正す」という“建設的野党”の立場に立つことを表明し、民主党政権に敵対的ではないというスタンスに変わったが、それは都議選の敗北という事実に強制されたやむなしの方針変更であり、政治闘争はあくまでも自共対決が軸であり、民主党は自民党と同質・同類といった基本的な認識を変えることはなかった。

この結果、今回の総選挙で議席のうえでは現状維持の9議席を得たものの比例の得票率では前回総選挙時の7.25%から7.03%へと減らし、前回の小泉旋風という逆風、および今回の自公政権ノーの突風のもとでその急先鋒である日本共産党が躍進してしかるべきであったことなどを考え合わせると、「善戦・健闘」などと肯定的に評価できるものではないことは明白である。

さらに比例での今回の得票率7.03%は1989年に中国の天安門事件がおこり、公明党などが「共産党の宣伝カーがきたら天安門の戦車を思い出せ」と演説するなど、天安門事件を利用した各党の反共攻撃が吹きすさぶ渦中でおこなわれた同年の参議院選挙での比例得票率7.04%さえも下回っているのである。
本来、日本共産党にとっては大順風であるはずの自公政権ノーの風が吹き荒れた今回の総選挙で「建設的野党論」をもってしても、なにゆえ20年前の天安門事件直後の大逆風という状況下における参議院選挙の得票率を下回ってしまうのか、その根源にさかのぼって考えてみる必要があるのではないか。

党の政策は正しかったことを前提に、議席を減らした場合はいかに外的な条件が困難であったかを強調してその責任をメディアや他党に転嫁し、さらには得票率や得票数など部分的な良い指標を探してそれを強調し、最後にどんな情勢下にあっても負けない大きな党を作るために今後の党勢拡大を強調し党員を叱咤激励する。
このようなパターンが最近の日本共産党指導部の選挙総括における定石となっているが、もはやこのような総括や分析でお茶を濁してはいられない現状にあると筆者は思う。

自民も民主も同質・同類と言い、政権交代しても政治は変わらないと言ってきた最近の方針の誤りの検討から始まり、それらを支える政治情勢認識や選挙戦術および党組織の問題など根源までさかのぼった議論が必要ではないだろうか。

そうでもしなければ、ここ10年来の国政選挙での連続後退という基本的な流れにストップをかけることは不可能と考える次第である。

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朝鮮戦争の開戦責任と惨禍、および武力統一方式と金日成

朝鮮戦争の開戦責任と米国立公文書館の「奪取文書」
1950年6月25日は数百万人もの人命を犠牲にした朝鮮戦争の開戦日であり、この大戦争の開戦責任者すなわち放火者が誰であるかをめぐり、80年代の後半まで南北朝鮮をはじめ各国の専門家の間で論争が続いた。

朝鮮戦争はどういう形で勃発したのか、南から攻め込んだのか、北からの先制攻撃があったのか?
このような初歩的な問題についても膨大な量の研究書などが出されてきたにもかかわらず、はっきりとした結論を出すことができなかった。
だが、この問題に解明の手がかりを与えたのが米国の国立公文書館にある北朝鮮からの「奪取文書」である。

これは1950年の10月から12月にかけて朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌を一時的に占領した米軍が政府や軍、党の本部から奪ってきた部隊の指令書、会議録、兵士の日記、図書、雑誌、新聞など百六十万ページにのぼる資料群のことを指し、段ボール箱にして千箱を超える膨大なものだが、この資料群から朝鮮人民革命軍の機密文書が見つかったのである。

この機密文書には五つの段階をふんで南に突入し、戦闘に勝利し、占領するまでのプロセスが明記され、北の人民軍七個の師団にうちの五つの師団が1950年の6月24日の深夜までに38度線の五百メートルから数キロの間に集結し、かたずを呑んで進攻命令を待っていたという重大な事実が判明する。

また、これらの傘下の部隊が6月24日の深夜から先制的に南進した事実を記載した文書も見つかり、朝鮮戦争の開戦責任という問題の解明に大きな光がさしこんだのである。

さらに、同じ文書から中国の国共内戦に参加した中国在住朝鮮人の三個師団が故国に帰国し、毛沢東や朱徳・林彪ら中国指導部がこれらの部隊が何に使われるかを認識したうえで、北の主力部隊として再編成されていった経過も明らかになり、朝鮮戦争における中国の戦争責任の解明もすすんだ。

「武力統一方式」と朝鮮戦争の惨劇
金日成はこの戦争が祖国統一と人民解放のための正義の戦争であることを主張し、「人民軍が進軍すれば南の人民はこぞって立ち上がり、戦争は三日で勝利にうちに終わるだろう。そうすれば南半分は解放され輝かしい祖国統一が成就されるだろう。」と宣伝したが、現実は正反対であり南の人民は北の人民軍を恐れて逃げまわり、逆に武器を取って人民軍に立ち向かってきた。

これが金日成の宣伝とかけ離れた朝鮮戦争の真の姿であり、この戦争はその後における南北分断を決定的なものとし、南北の間における肉親どおしの手紙のやりとりさえ途絶させてしまう。

このように朝鮮戦争は北からの武力統一を目的として金日成により惹き起こされた戦争であり、武力で南進して南朝鮮の政権を打倒し、金日成ら北の指導部の意にかなった政権を作って、それと南北統一の作業を進めるという金日成の「武力統一方式」を基調としたものに他ならなかった。

これこそが朝鮮戦争を惹き起こし、甚大な民族的惨禍をもたらしたのであり、この歴史の教訓に学んで武力の行使は放棄し、平和的な統一へと方針を切り替えるべきであったにもかかわらず金日成は再度同じ過ちを繰り返す。
それが1967年から1969年の間に実行に移された武力南進政策だ。

武力南進政策という冒険主義を再び繰り返した金日成
1967年に金日成一派は軍の力を背景にしたクーデターによってすべての権力を握り、金日成の武力南進という冒険主義に反対する朝鮮労働党内のすべての勢力を追放したうえで、「南朝鮮武装遊撃隊」という武装闘争をこととする小集団を次々と南へと送りこんでいく。

だが、これらの小集団は北からの工作員がほとんどで南には基盤はなく、北からの特攻隊を南進させ人為的に「革命的情勢」を作り出し、南の人民からの「支援要請」という名目で北の人民軍を南進させるためのものに他ならなかった。

南朝鮮武装遊撃隊は韓国の各地に出没して貨物列車をひっくり返すなどの不穏な動きを各地で惹き起こし、なかでも、1968年1月21日における韓国の大統領府青瓦台襲撃は31人の特攻部隊が官邸に五百メートルの至近距離まで接近しながらも、ただ1人を除く全員の射殺という惨憺たる結果に終わってしまう。

金日成のこの計画は彼の意図とは逆に、200万人の予備役(民兵)創設など南の急速な軍事化を促すなど、かえって朴軍事独裁政権の基盤を強化し、金日成の武力南進政策を再度の破綻へと導いていく。

また、この愚行は南のファッショ体制のいっそうの強化のみならず、戦争勃発の際には日本を韓国の軍事基地にしようとする日本の右傾化や軍事化の試みに絶好の口実を与え、当時の佐藤首相が「韓国への武力攻撃の際」は在日米軍にたいし「事前協議に前向きかつすみやかに態度を決定する」と言明するなど、日米韓の軍事一体化を促した。

このように、金日成の武力南進政策は朝鮮戦争で長期にわたって消し去ることのできない深い傷跡を残したのみならず、周辺の国々における政治の反動化や軍事化までもエスカレートさせた。

だが、これだけの手痛い失敗にもかかわらず北朝鮮指導部はなおも武力南進政策を捨てず、最終的にソウルオリンピックにソ連や中国、東ドイツなどが参加したことをきっかけに韓国が社会主義諸国と国交を樹立するまで続くこととなる。
なぜなら、社会主義国から給与された武器で社会主義国の承認する国を武力攻撃することは不可能だからである。
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北朝鮮の「神聖家族」金一族をめぐる“国家的虚偽”について

北朝鮮の最高指導者であった故金日成主席が祖国の解放と朝鮮民主主義人民共和国建国にあたり、いかに偉大な業績を残したかをめぐっての朝鮮労働党当局の公式の説明はこうだ。

「主席は旧満州(中国東北部)に1945年8月15日の日本帝国主義の敗北にいたるまで踏みとどまり、指導者として抗日遊撃隊活動を展開した。
やがて時がいたり、1945年8月9日のソ連軍の対日参戦をきっかけにして主席は朝鮮人民革命軍の全部隊に祖国解放の最終攻撃命令を下した。主席の命令に接した人民革命軍は総攻撃を開始し、対日戦争に参加したソ連軍との緊密な連携の下に怒涛の勢いで進軍。そして、部隊の猛攻撃と人民の果敢な反日抗戦によって致命的な打撃を受けた日本帝国主義は祖国解放戦争を開始したわずか一週間後の8月15日についに無条件降伏へと追い込まれ、主席は勝利して祖国へ凱旋した。」

金日成の率いる“人民革命軍”という軍隊がソ連軍を従えた破竹の進撃で日本軍を打ち破り平壌に凱旋したことで祖国解放が実現したというのだが、北朝鮮当局が公式に説明してきたこの逸話が虚構であるというのだ。

金日成は1945年8月15日にハバロフスクで“無為”の日々をすごしていた。
祖父の代にソ連に移住した3世であり朝鮮戦争で人民軍の中将として参加。その後に金日成の片腕として活躍したが、金日成の粛清から逃れ一家でソ連に亡命した元・朝鮮人民軍作戦局長喩成哲(ユソンチョル)氏の証言によると、金日成が率いた満州の抗日遊撃隊は少数の集団にすぎず、1941年ごろには日本軍に敗北してソ連領に逃げ込んでソ連軍の保護下に入ったという。

その後に金日成は対日戦争に備え中国人や朝鮮人を中心に組織した諜報部隊であるハバロフスクのソ連軍第88旅団に配属されソ連の軍人の一員となったが、1945年8月9日のソ連軍の対日参戦で無敵を誇った関東軍はあえなく瓦解し、金日成には何の出番もないまま朝鮮は日本の植民地からの解放の日を迎えた。
そのため、金日成ら数十人の朝鮮人隊員、すなわち「朝鮮人民革命軍」はハバロフスクにおいてソ連軍当局の指示を待ちながら9月の初めまで無為の日々をすごした後に、9月の末にこっそりとソ連軍当局により平壌に送り込まれた。

これが金日成の祖国への“凱旋帰国”をめぐる真相についての喩成哲(ユソンチョル)氏の証言であり、北当局の公式の説明と180度異なっている。

抗日英雄「金日成将軍」にすり替わったソ連軍人金成桂(仮名キムイルソン)
さらに、喩成哲(ユソンチョル)氏によると、北朝鮮を占領したソ連軍当局が支配をスムーズにおこなうためにハバロフスクから連れてきたソ連軍人の金日成を伝説的な抗日英雄の「金日成将軍」にすりかえたのではないかという重大な疑惑があるという。

金日成は実は本名を金成桂(キムソンジュ)と言い、幼少のころから中国に移住し、日本の満州侵略で高まった中国人の抗日闘争に参加した頃に金一星(キムイルソン)という仮名を使い始めたという。
漢字の同音異義語であり発音すると金日成とおなじキムイルソンとなり、金成桂は民族的英雄である「金日成将軍」にあやかりたいという一心で、同じひびきを持つ金一星の仮名を得意になって使っていたことが伝わっている。

北朝鮮を占領したソ連軍はこれに着眼し、占領支配をスムーズにおこなうためにソ連軍大尉である金成桂(仮名キムイルソン)を伝説的な抗日英雄である「金日成将軍」にすりかえ、占領行政を執行する現地の代理人として朝鮮人民に彼らの指導者としておしつけた。
これはソ連軍の一員として金日成のハバロフスク滞在当時から彼と行動をともにした喩成哲(ユソンチョル)氏の証言であるが、残念ながらこのことは現在では疑惑にすぎず、これを裏付ける確たる証拠が存在するわけではない。
だが、いずれ時の流れがすべての真相を明らかにするはずだ。

当時、ソ連軍当局にとって日露戦争以来ずっと日本軍国主義の侵略の足場であり兵站基地であり、わき腹に突きつけられた短刀のような朝鮮半島で北朝鮮を自分たちの「衛星国」に仕立てソ連の安全をはかることは喫緊の課題であった。

そのため、ソ連軍当局は日本軍国主義の社会的支柱であった地主と資本家を解体するための「土地改革」と「重要産業の国有化」に占領後直ちに着手し、日本の植民地支配の手先となっていた親日分子を粛清していったが、これらの措置をスムーズに執行するためにソ連の軍人である金成桂(仮名キムイルソン)を民族的英雄「金日成将軍」にすりかえて朝鮮人民に指導者として押し付ける必要があった。
このシナリオが歴史の真相に一番近いのではなかろうか。

1945年8月15日の日本帝国主義の敗北により35年間の日本の植民地支配から解放された朝鮮人民であるが、南にはアメリカの傀儡である李承晩、北にはソ連軍子飼いの人物がそれぞれに連れてこられ指導者として押し付けられたことが不幸な朝鮮半島の戦後史の基点となる。

金日成・金正日一族をめぐる国家的虚偽の崩壊は近い!
なお、現在の北朝鮮の最高指導者である金正日は金日成がソ連の軍人としてハバロフスクに滞在中に最初の妻との間に生まれた子どもであるという。
これについては金正日の乳母として彼にお乳を与えた女性からの証言もある。

だが、北朝鮮当局は金日成がソ連から連れてこられたことを隠蔽するために、金正日の出生の地を中国と北朝鮮の国境にまたがり抗日遊撃戦の根拠地でもあった雄峰白頭山の密営としたうえで、これを疑うべからざる公式見解としている。
金日成・金正日という神聖家族の存在、唯一思想体系(チュチェ思想)という唯一絶対の教義体系、これらの“金一族神話”を支える北朝鮮の国家的虚偽が白日のもとに晒される日はそう遠くない。

なお、金日成などの出自をめぐってはフリージャーナリスト萩原遼氏の「朝鮮戦争取材ノート」(かもがわ出版)が詳しい。
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