光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2009年11月

「仕分け」というデフレ促進運動による「鳩山大不況」を避けるには!

今マスコミが檄賛しているものが鳩山内閣の「事業仕分け」であり、政治家やマスコミ、学者、経済界、官界などすべてが“ムダの削減”で足並みを揃えて、日本経済を「縮小」させようといっせいに突っ走っている。
これはまるでデフレ促進の「いっせいなだれ現象」ともいうべきで、デフレへの暴走であり、このままでは日本の経済社会が破滅してしまうのではないかと危惧する。
そして、このデフレへの「いっせいなだれ現象」は今のところ加速する一方であり沈静化する気配は感じられない。

世界金融危機という100年に一度の暴風雨のなかで今回の不況はその出口が見えず、さらに困ったことには政府は景気を悪くする政策を次々と打ち出している。
その代表的なものが「官僚のムダ遣い」の洗い出しを口実とした事業仕分けであるが、今は予算カットではなく大規模な景気対策をおこなうべき時であろう。

景気対策ではそこそこの成績を残した麻生政権
今は過去の人となってしまった麻生前首相は半年間あまりの間に景気対策を複数回おこなっており、2008年度中に二度の補正予算を組んで総額38兆円を超える景気対策を発動し、2009年度にも総額15兆円を超える補正予算を組んだ。
当初、これらは世界金融危機という暴風雨のなかにあって不十分と評価されてはいたものの、専門家の予想する以上の景気浮揚効果が上がったことが判明したが、鳩山政権の登場はこれに急ブレーキをかけ、麻生前政権の経済対策の中からまず3兆円をカットするという暴挙にふみだしたことをきっかけに経済をデフレに転落させてしまう

そして、鳩山政権発足後に最初にともった黄色信号が日本の株価の下落であり、諸外国の株価は軒並み上がり続けているなかで日本の株価だけは政権発足後に8%の下落を記録する。
麻生前政権の時代に日本の株価は上がっていたから、もし政権交代がなかったら株価はさらに上昇していたと想定することに不自然さはないだろう。とすると、麻生政権から鳩山政権に切り換わったことで株の時価総額にして数十兆円の差損が発生したこととなる。
これは国民一人当たりに換算すると数十万円という甚大な損失であり、景気に与えた悪影響は計り知れない。

images55また、麻生前政権は景気対策が大嫌いな財務大臣や財務官僚の抵抗を排除して景気対策を断行し、そこそこの効果を挙げていたのであり、皮肉なことにこれこそが鳩山民主党のトレードマーク「脱官僚」の名にふさわしかったのではなかろうか。
また、財政赤字が激増しつつある現状を重く受け止めるべきではあるが、短期の経済政策においては景気対策を発動することと、財政赤字拡大を阻止することとは正反対の方向を向く政策であることを押さえなければならない。

「財政収支悪化を防ぐために大不況をあえて受け入れる」か、「大不況を回避するためにさしあたって財政赤字は受け入れる」かの、いずれかの選択肢しかないのである
「景気をしっかり下支えしながら、財政収支を改善する」ということは、言葉のうえでしか成り立たないが、これが目下の鳩山民主党の大不況到来にむけての政策スタンスであって“底なしのデフレ”という禍につながりかねない大きなリスクをはらんでいる。

デフレの根本は庶民の購買力の弱さにある!(国民の懐を温める財政出動を)

ところで、デフレという現象はそもそもが庶民の購買力が弱っていることに起因して起こる。
庶民の消費が弱いから企業は製品の値段を下げてでも売ろうとする。そして、値下げしても利益が出るように企業はコスト削減のために賃金を下げる。すると、庶民の購買力はいっそう下がる。また、企業は製品の値段をさらに下げる。・・・・・・・

こうした悪循環(デフレスパイラル)がおこりつつあるのが今の経済情勢であり、いっそうの大不況到来の可能性が高まりつつある。
もはや、問題を解決するためには庶民の購買力を高める以外にはなく、賃金を上げればデフレは解消していく。
そして、賃金を上げるためには最低賃金を全国一律に時給千円以上にするしかなく、労働法制の規制緩和にストップをかけて正規雇用すなわち正社員を大幅に増やすしかない。

さらには、ばらまかれたお金がどこに行ってしまうかわからない定額給付金などではなく、食料品にかかる消費税をゼロにすれば確実に消費が増えるし、食料品にかかる消費税をゼロにするのには2兆円もかからない。
こうして、鳩山内閣は政策の中身を「コンクリートから人」に変え、積極的な財政出動の中身を国民の懐を温める方向に転換し、雇用を守り、賃金を引き上げ、庶民減税で国民の購買力を高める政策にこそ、その持てる力を投入すべきである。

「小泉構造改革」の仕掛け人たちによって占拠された行政刷新会議の「事業仕分け」

全国の公立病院に深刻な経営危機をもたらしてきた要因の一つに、厚生労働省がもともと低く押さえ込んできた診療報酬をさらにマイナス改定したことを挙げる関係者は数多い。
だが、このことを知ってか知らずか、政権与党の民主党も公約していた診療報酬の引き上げを消費者物価との関連で低く押さえ込むことができると「仕分け人」が長広舌をふるい、司会者が「結論が出たようです」と議論を強引にまとめる。

そうかと思えば、医師不足や救急医療の充実を目的とした補助金制度の議論では「救急車の有料化、例えば1万円として、医師が入院を必要と判断した場合のみ払った人に返還してはどうか」と患者へのしわ寄せを当然とする意見が「仕分け人」から公然と飛びかう。

images44はたまた、日本科学未来館事業の「予算縮減」を求める財務官僚にたいして、「努力して努力して来館者はいま90万人です」と説明する館長で宇宙飛行士の毛利さんに「大変な御努力ですけどやっぱり赤字なんですね」と蓮舫参議院議員がたたみ掛ける。

これらはすべて国立印刷局市ヶ谷センターの体育館でおこなわれている行政刷新会議による「事業仕分け」の一幕であるが、これらの議論からは仕分けられていくのは「官僚のムダ遣い」ではなく、弱い立場の国民むけの社会保障政策であり、未来の技術立国のための先端教育であり開発投資であることがはっきりとうかがえる。
そして、このことは「官僚のムダ遣い」はあくまでも口実であり、実際にメスが入れられたのは社会保障や文教予算であって、明らかに空気(支配的思想潮流)が入れ替わったことを示している。

総選挙の際に全国の民主党の新人議員は格差の是正を訴え、行き過ぎた規制緩和路線の弊害を告発し、ワーキングプア(働く貧困層)の激増をもたらした構造改革に憤りを表明したが、その際の時代の空気は明らかに構造改革と規制緩和の否定にあり、これが巨大な国民世論となって列島全体を支配していたことは記憶に新しい。

そして、このたびの総選挙は弊害と痛みをもたらした「小泉構造改革」に対して国民の不満が爆発して、国民の最終的な審判が下った選挙であったはずだが、民主党中心の政権が発足して二ヶ月もたたないうちに、気がついてみると時代の空気はいつの間にか入れ替わってしまっていた。

財務省の手による「小泉構造改革」の仕掛け人たちの復権
権力を握った財務省は竹中平蔵の愛弟子である財務事務次官(丹呉泰健)の指揮のもとで小泉構造改革を推進した「改革」の仕掛け人たちを行政刷新会議による事業仕分けの「仕分け人」として大量に送り込んだ。
本来なら彼らは選挙で自民党が惨敗したことで、小泉純一郎や竹中平蔵などとともに消えていくべき運命にある人物たちであったが、それが「仕分け人」として財務省に任命されることにより息を吹き返し、再び日の当たる舞台に復権した。

また、今回仕分け人として売り出したメンバーは今後、大挙して政府の諮問機関の一員として続々と任命されることになろうし、テレビのワイドショーや政治番組に華々しく登場することにもなり、時代の空気の入れ替わりは本格化していくことだろう。

事業仕分けの会場となった体育館で「仕分け人」が盛んに「効率化」、「採算性」、「経営努力」、「民業圧迫」などの言葉を発している様を見ると、「官から民」を叫んだ「小泉改革」の復活を見るようであり、新自由主義の財務官僚やそれにつらなる御用学者、はたまた枝野氏をはじめとした財務省の族議員と化した民主党議員たちからの“政権交代しても何も代わりはしないのだ”という国民へのメッセージを見る思いである。

ここを支配する空気は民主党の「国民の生活が第一」という選挙マニフェストなど単なる選挙目当ての空文句に過ぎず、弱肉強食と格差拡大の冷酷な新自由主義こそ国のゆるぎない基本政策であり、新自由主義こそが絶対で「小泉構造改革」はそのままの形で確実に鳩山政権に受け継がれているのだというデモンストレーションそのものである。

“裏切られた政権交代”と化しつつある鳩山政権
それにしてもこれら民間有識者として「仕分け人」に選出された56名の異様な顔ぶれたるやどうであろう。
その多くが程度の差はあれ醜悪で過激な新自由主義者たちであり、本来は「政権交代」によって政治の舞台から消え去っているはずの面々ばかりだ。
彼らの使命は「小泉構造改革」路線の公的な復活であり、小泉時代の「聖域なき構造改革」をスタイルを変えて民主党政権のもとで遂行することにある。

また、連日大騒ぎを演出して国民を面白がらせ、財務省に全面協力する「仕分け」キャンペーンで鳩山内閣の人気取りに血道を上げているマスメディアは危険であり、財務省とそれに連なる御用学者にコントロールされたマスメディアにより圧倒的多数の国民は踊らされ、猿芝居じみた[官僚叩き」に溜飲を下げながら賞賛と翼賛を続けている。

筆者はよもや二ヶ月あまりで空気がこれほどに変わるとは予想もできなかったことであり、もはや今回の「政権交代」は“裏切られた革命”ならぬ“裏切られた政権交代”に変容しつつあることを見ないわけにはいかない。
どこかの市長選挙のようにあの総選挙はなんだったのだろうかという多くの人々の嘆きが聞こえてくるようだし、復権への着実な一歩の踏み出しに成功したことでほくそえむ竹中平蔵のいやらしい顔が浮かび上がってくる。
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日本共産党と「暴力革命」をめぐる根深い偏見について

第二次大戦後直後、ナチスドイツを軍事的に打ち破ったソ連の勝利により、ソ連の最高指導者であるスターリンの権威と世界の共産主義運動におけるその圧倒的存在感はいやがうえにも増大していった。

この頃、世界の革命運動、共産党の運動にたいする指導権はソ連共産党に属するとするスターリンの覇権主義的戦略は、いかなる自主的な動きも許容せずにソ連への絶対服従の体制を東ヨーロッパで確立したことを柱にヨーロッパ方面でその足場を固めつつあったが、大戦が終わった時点でアジア方面にはソ連はほとんどその足場を持っていなかった。
すなわち、ソ連はアジア方面では東欧のような支配権も、他国の運動に影響を行使できるような従属的な人脈も持っていなかったのである。

そこで、スターリンは中国革命に勝利した中国共産党を引き入れてアジア方面の革命運動、共産党の運動を分担させ、この副官との協力のもとにアジアの共産党への影響力を広げ、自分の覇権主義的な支配の網の目をアジア方面に伸ばしていくという戦略を採用した。

ここに中国にアジアの民族解放運動や共産党の運動の担当はやらせるが、あくまでスターリンが全体の司令官につき、中国共産党をとおしてアジア諸国に武装闘争を呼びかけながら自分の影響力を拡げていくというスターリン覇権主義のアジア戦略が開始されたのである。

それに日本でこたえたのが野坂参三であり、彼は中国共産党の根拠地である延安から戦後日本に帰国する際にスターリンに呼び出され、秘密裏にモスクワを訪問し、そこでソ連の情報機関につながる秘密の工作者になることを誓約して日本に帰ってきたのであった。

ソ連・中国仕込みの武装闘争方針を持ち込んだ徳田・野坂分派
そして1950年1月のいわゆるコミンフォルムによる日本共産党批判をきっかけに、野坂参三は当時の党の代表者であった徳田球一らに働きかけ、党中央のなかに自分たちの仲間だけを秘密裏に集めて分派をつくり、密かにソ連や中国との連絡体制をかためながら非公然体制への準備を始めた。

さらに、彼らは同年の6月にアメリカ占領軍が日本共産党の中央委員全員の公職追放という暴挙をくわえてきた際には、その機会を利用して中央委員会や政治局といった正規の党の機関をいっさい無視して、勝手に自分たちだけで非公然体制に移行したことで、党の分裂という事態さえ生み出す。

また、この直後に徳田と野坂は北京に亡命し、そこで「北京機関」という自分たちの分派の指導機関をつくってソ連・中国仕込みの武装闘争路線の日本国内への持ち込みを始めるが、この「北京機関」の実態はソ連の出先機関であり、スターリン列席のもとにモスクワで「北京機関」のメンバーも加わって会議をやったり、そこで「軍事方針」という名の武装闘争方針の文書を作るとかそういうことをさんざんおこなった。
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「暴力革命」と日本共産党について
日本共産党がコミンフォルムから批判を受け「日本の変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのは間違いだ」とするいわゆる「51年綱領」や、「我々は武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を1951年の「第5回全国協議会」で決定し、この方針にもとづいて全国的に騒擾事件などの破壊活動を繰り広げたという反共派の指摘は、他ならないこの時期の徳田・野坂分派による行動や会議のことを指す。

すなわち、反共派がこれこそが日本共産党の暴力的破壊活動だと指摘していることは、スターリンや中国の党の言いなりになって日本共産党を分裂させ、北京に拠点を構えた徳田・野坂分派が党大会の決定にそむいておこなった一連の極左冒険主義(武装闘争方針)による分派活動のことに他ならず、日本共産党の正規の機関(党大会や中央委員会総会など)が武装闘争や暴力革命などの方針を決めたことは一度もない。

また、現在の日本共産党がこの分派の跡継ぎであり、「暴力革命」の方針を持っているかのように言う反共派の主張は党の歴史を無視したものであり、強い表現であるが“いいがかり”であると筆者は理解をしている。
なお、この時期に党の分裂や徳田・野坂の分派活動に反対し、彼らが持ち込んだ武装闘争の方針に真っ向から反対した中心人物は故人となった当時の政治局員の宮本顕治氏に他ならず、干渉による党の分裂の問題に決着をつけて困難な党再建の仕事の中心となったのも宮本氏であった。

徳田・野坂分派による誤った武装闘争の方針は党に深刻な打撃を与え、1949年の総選挙での党への支持298万票が、53年の総選挙では65万票へと激減し、49年総選挙当時は36人を数えた党の衆議院議員も、52年の総選挙では1人もいなくなってしまう。
この間の党の分裂や分派による武装闘争の持ち込みに反対した宮本氏の一連の活動がなければ、日本共産党は国民からの信頼を決定的に失い、党組織は破壊され、反動勢力の弾圧とあいまって政治勢力としては壊滅してしまったかもしれない。

この点でたとえ世間での毀誉褒貶は多くとも、故宮本顕治氏を高く評価すべきであると筆者は考えている。

なお、これらの一連の出来事を「50年問題」という。

鳩山政権の「無駄洗い出し」、「事業仕分け」の実態とはなにか!

民主党には不況対策がない!
鳩山政権が2010年度予算の概算要求額が過去最大の95兆円となったことから、藤井財務大臣は「断固査定する」と予算規模の圧縮を宣言した。
概算要求とは各省庁が財務省に提出した予算原案のことを指すが、仙石行政刷新相は「92兆円ぐらいにおさめたい」と語って、事業仕分けや査定作業で3兆円以上削減する考えを示したという。

だが、筆者は鳩山政権がこれだけ景気が悪化しているなかで、なぜ歳出削減のことばかりを考えているのか理解しがたい。
最近の株価を見ても世界的に上昇機運が高まっているなかで、民主党政権成立後の日本株だけが上がらなくなっている。

いまではすっかり嫌われ者となり、負のイメージの代表になった自民党の麻生政権が2009年度に14兆円もの巨額な補正予算を組んで景気対策をおこなったが、このなかに選挙目当てのバラマキの典型である定額給付金や、自動車や家電などの輸出大企業がもっぱら潤うだけのエコポイント制など国民の不評を買うものが少なからず混じっていたために、麻生政権の景気対策はほとんど国民の間では評価されず、8月の総選挙でも自民党の大敗を食い止めることができなかった。

だが、ここにきて不評であったはずの麻生政権の景気対策が結果的に利いてきて、景気は少しずつではあるが上向いていたことが次第に明らかになっている。
しかし、これからは鳩山政権が景気対策のための補正予算を“執行停止”と称して3兆円削減したことや、景気対策を止めたこととが効いてきそうで先行きが不透明であり暗い。

さらに、国民の暮らしのことなどまるでわかっていない無責任なマスコミと二人三脚を組んだ鳩山政権は「事業仕分け」と称して、来年度予算の削減額を少しでも増やすことに熱中しているが、これだけ景気が悪いなかで歳出削減を強行し、強度のデフレ予算を編成すれば日本経済の再度の悪化の引き金を引くこととなるだけである。
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「事業仕分け」は自民党政治のしがらみを断ち切るものではないこと!

ところで、行政刷新会議(議長 鳩山首相)は“ムダ洗い出し”をかかげ「事業仕分け」と称し、インターネット中継も含む公開の場で来年度予算の査定作業をはじめたが、介護や保育など国民生活に関連した予算も対象とされ、民主党のマニフェストにある医療現場の崩壊を食い止めるための診療報酬の引き上げもたった一時間あまりの粗雑な論議で待ったをかけられてしまった。

このように行政刷新会議による“ムダの洗い出し”はよくよく注意して見ていかないと、自民党政治のしがらみを断ち切るどころか、国民の生活に大切な事業まで廃止とされてしまいかねない。

そして、行政刷新会議による「事業仕分け」の最大の問題点は5兆円規模にのぼる防衛費(軍事費)がその対象になっていないことにある
防衛省の守屋武昌前事務次官と軍需専門商社「山田洋行」元専務とのゴルフ接待などを通した癒着が表面化したことで、巨額な軍事予算をめぐる「政軍財」の利権構造の一角が明らかになったのは一昨年のことであった。
ここは行政刷新会議として「軍事機密」に守られた「政軍財」の利権構図にも断固としてメスを入れるべき絶好の機会であろうが、不思議なことにここだけは“アンタッチャブル”とされ「事業仕分け」の対象外である。

また、スーパー中枢港湾などゼネコンむけの大型公共事業や国民の税金を原資とした政党助成金も仕分けの対象には入っておらず、軍事費とならんで大型プロジェクトなども「聖域」とされ、鳩山政権にはメスを入れる意思がみられない。
さらに欧米では富裕層への増税による景気対策や社会保障のための財源作りが大きな流れとなっているが、鳩山政権には自公政権の負の遺産である特権的な大企業・大資産家優遇税制を見直す意思などはさらさらないようだ。

軍事費、大型プロジェクト、大金持ち・大企業優遇という「聖域」には触れず、国民生活に大事な事業には大ナタがふられ、そのうえで日本経済を再度どん底に落とし込む強度のデフレ予算を編成する。
ここに鳩山政治の全体像が見えてきたような気がする。



ところで、行政刷新会議による「事業仕分け」だが、「事業仕分け人」に民間有識者としてまぎれこんでいる面々には小泉「構造改革」の請負人だった御用学者や評論家らしき人々の顔ぶれが多数見受けられる。
これは、国民生活や景気対策などに必要な事業を民主党と財務省官僚、および小泉改革請負人らによる乱暴な公開裁判によって「仕分け」をして血祭りに上げようということなのか。

images224テレビニュースなど「事業仕分け」のヒアリングの有様を報道しているが、こんなおぞましい場面など見ると気色が悪くなるだけである。
誰かが「公開処刑」と表現されたそうだが当を得た表現ではある。

植草元教授の主張する普天間基地の変種の「県内たらいまわし」論を批判する!

植草元教授の主張は形を変えた基地の「県内たらいまわし」にすぎない
さて、あまた存在する政治ブログのなかでもっとも有名なもののひとつが植草一秀元教授による“植草一秀の「知られざる真実」”であるが、筆者は偶然にも同氏が最近の同ブログ記事のなかで普天間基地の問題をテーマに取り上げていることに目が留まった。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6cf7.html

植草氏は普天間基地の「代替」として、ジュゴンやサンゴ礁などの生息する辺野古沖を埋め立てて大型滑走路を建設する現行計画を変更し、大型滑走路の要らない単なるヘリコプター離着陸施設をキャンプシュワブ地区に建設する方向に変更すれば、かけがいのない自然を大型滑走路建設による破壊から守ることができると提案している。
そして、この方向で日米協議をおこない新たな合意を成立させるべきであると主張しているのであるが、植草氏のこの提案は形を変えた米軍基地の県内たらいまわしである点は旧来の計画となんら変わるものではない。

だが、危険きわまりない普天間基地は即時に閉鎖する、美しいサンゴとジュゴンの海である辺野古沖には基地はつくらせない、いかなる形でも基地の県内たらいまわしは許さない。これが沖縄県民の圧倒的多数の声であり、21000人の沖縄県民が11月8日に宜野湾市で開かれた「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」に参加し、普天基地返還と県内に新しい基地をつくらせない固くて強い意思を改めて示したことがそのことを雄弁に照明している。

鳩山首相は選挙期間中に普天間基地は「県外・国外」に移設すると明言しており、公約を守り、沖縄県民の圧倒的多数の声を代弁して本腰を入れた交渉を米国とおこなうことこそ沖縄県民や国民の声に沿った正しい選択肢である。

それゆえ、植草氏の主張するようにキャンプシュワブ地区に大型滑走路を伴わないヘリコプター離着陸施設を建設する方向で新たな計画を描きなおすことに、この問題の解決の方向を求めるべきではなく、これは形を変えた基地の県内たらいまわし以外何者でもない。

植草元教授は小泉首相在任中に小泉・竹中「構造改革」路線を真正面から批判した在野の気骨ある超一流のエコノミストではあるが、普天間基地の問題に関する氏の提案は県外移設や国外移設の選択肢を排除したものであり、民主党支持ブログの筆頭である植草氏の立場から見ても論旨が一貫していないことは明白である。

植草元教授の主張する外交の継続性について!
さて、普天間基地をめぐって、新基地建設推進派が唱える推進理由のなかでもっとも有力なものが「外交の継続性を重視すべきだ」という主張であり、自民党政権が合意してしまった名護市辺野古沖での新基地建設計画をふくんだ日米政府間合意を挙げ、外交の継続性を根拠に政権交代しても国際約束は変えてはならないという。
ところが、植草元教授は氏のブログの中で新基地建設推進派の唱えるこの主張に一定の理解を示しながらこう述べている。

「外交は国と国の関係であるから「継続性」を重視する必要がある。政権交代が実現しても過去の外交交渉は消滅しない。明治時代には江戸末期に締結された不平等条約の改正が明治新政府の重い政策課題になった。
自民党政権がキャンプシュワブへの移転で米国と合意を成立させてしまった現実が存在する以上、この点を踏まえない訳にはいかない。」

これは、西欧列強の横暴がまかりとおっていた19世紀中葉の国際社会の現状と、対等・平等・主権尊重・内政不干渉の民主的諸原則が曲りなりにも確立した現代の国際社会をごっちゃにした粗雑な論法である。
現代の世界では国民世論を背景にした政権交代で政府間の合意を変更した例は少なくないのであり、政権交代の結果として外交面で政策を再検討すること自体は米国の当局者であっても否定することはできない。

2006年の大統領選挙で対米自立外交を掲げるコレア政権が誕生したエクアドルでは親米の旧政権が締結した米国との基地貸与協定を継続しない方針を米国に通告し、外交交渉の末に米軍の完全撤退が今年になって実現している。

また、1984年の総選挙で成立したニュージーランドの労働党政権は選挙公約にもとづき核兵器を搭載した米国の艦船や航空機の寄港・着陸を禁止した結果、同国と豪州および米国の三国間で締結した軍事同盟が機能停止におちいったが、同国はこの政策を貫き、現在にいたっても非核政策を堅持している。

だが、これら両者の事例にあっても米国との政府間合意を変更したことで米国との関係が悪化したとの事実はないし、選挙公約を実現することは民主国家にあっては当然のこととされている。
外交の継続性を過大に重視する植草元教授の論拠は現実の世界の動向から見ても成り立たないものではあるまいか。
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資本主義の全面的復活へとすすむ中国と不破哲三氏の中国理解

日本共産党の不破哲三社会科学研究所長が東京大学の学生を対象に「マルクスは生きている」と銘打った2回目のセミナーを開催したという。

テーマは「マルクスの眼で見た21世紀の日本と世界」だったそうであるが、ここで不破氏はここ500年間の米国、ドイツ、日本、中国の国内総生産の変化をグラフで掲示し、かって(500年前)1位であった中国が20世紀初頭に各国に抜かれたあとに、「社会主義市場経済」への路線に転換してから急速に世界の第2位に再浮上していった歴史的な経過をたどって、さらに中国が発展の軌道に乗って21世紀の世界により大きな影響力をおよぼす力となりつつあることを力説したという。

そして、ベトナムやキューバとともに中国を「社会主義を目標にしている発展途上の国」の段階にあり、21世紀の近未来のなかでこそ資本主義と社会主義の競争の本番の時代が到来するという見通しを語ったというのだ。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-11-07/2009110701_02_1.html

ところで「社会主義市場経済」といわれる路線に中国が転換して以来、中国が急速な経済成長をとげていることは事実だが、このことが市場経済を社会主義への前進のために上手に活用し、中国での社会主義が力強く前進しつつあることを証明するものかどうかは検討を要する。

「社会主義市場経済」なる中国の現状とは
市場経済を社会主義への道を切り開くために上手に利用するためには、労働者階級が主人公となった国家が工業や鉄道などの重要な部門を握ったうえで、さらに外国貿易を独占して経済過程をきちんとコントロールできるかが重要なキーポイントとなってくる。
言い換えれば労働者の国家が市場経済をコントロールできるかどうかが決定的に重要なファクターとなってくるのであり、この条件がなかったら資本主義の全面的な復活へと道を開きかねない大きな落とし穴が待っているのである。

それでは、中国の社会の現状はどうかというと、かって全生産に占める国営企業の割合が8割を超えていた中国経済であったが、現在はその割合が3割弱に低下してしまったという。
中国の「高度経済成長」の原動力となったのは主には外国からの外資であり、また国内の私的資本であるということはまぎれもない現実であり、中国社会では資本の社会的な支配力が以前にも増して急速に強まっている。

だが、外国企業など資本の社会的支配の強まりに対抗すべき労働者階級のたたかいの現状に眼をむけると、国家によって労働組合の結成は禁止され、資本の支配と闘う労働者たちのたたかいは弾圧の対象にすらなっている。
ここには賃金の未払いや大規模なリストラにたいする中国での労働者のたたかいは共産党政府の弾圧を覚悟した非合法で命がけのものとならざるをえない現実がある。

また、市場経済を社会主義への前進のために上手に利用するためには労働者階級の国家による外国貿易の独占もまた必要であるが、現在の中国には国家による貿易の独占どころか外国からの何の制約もない自由な参入の可能な証券市場や金融市場が形成されており、それが巨大な規模にまで成長している。
また、自由貿易を促進するための国際機関であるWTOに中国が加盟してからは、以前にもまして外国資本の中国への自由な流入は促進され、労働者階級の国家による貿易の独占などはすでに影も形もない。

このように “自由”な活動が国家によってお墨付きを与えられた私的資本の支配がますます強まりつつあるというのが中国社会の実相であり、労働者階級の国家が市場経済をコントロールする方向からますます遠ざかっているのである。
また、強まる資本の支配に抵抗する労働者のたたかいを弾圧しているのが他ならぬ共産党国家であることはブラックユーモアというしかない。

不破氏の「社会主義観」とはなにか?
このような実態を踏まえると中国の自称する「社会主義市場経済」なるものは全面的な資本主義の復活にきわめて近いものであり、中国を「社会主義を目指す国」と規定した不破哲三氏の「社会主義観」はまったく理解しがたい。
ましてや、資本主義の全面復活へと道を急ぎつつある中国を社会主義の“エース”として褒め称え、これからが社会主義と資本主義の対決の本番だと言い放つ不破氏の「社会主義観」にはとてもついていけない。

資本主義の全面復活がいよいよ本格化した近未来の中国での「社会主義」とは何か。
そこには中国共産党の一党支配しか残っておらず、それは資本主義世界に完全に吸収され巨大資本の支配する中国経済のことでしかない。
不破氏の「理論的研鑽」の意義は認めるが、机の前で頭をひねって考えだした理論によって現実を裁断するのではなく、事実に基づいて、物事の真相・真理を求めながら、あらゆる思い込みや先入観を持たず真実を求めようとする姿勢、すなわち「実事求是」の精神を不破氏には望みたいところである。

そして、このような「社会主義観」をもとにして不破氏の語る「未来社会」論では本当に貧困や恐慌などを乗り越え、すべての人間が自分の能力を発揮できる未来社会を切り開くことができるかどうかはなはだ疑問である。

普天間基地問題は民主党中心の新政権の“チェンジ”が本物かどうかの重大な試金石だ。

1995年の米海兵隊員による沖縄での少女暴行事件をきっかけに「基地のない沖縄」を求める沖縄県民の声が爆発し、安保体制の存続の危機を感じた日米両政府が96年の4月に沖縄基地問題の象徴であった普天間基地の全面返還を発表した。
だが、いつのまにか同年の12月の「日米合意」で沖縄県内に「代替基地」を作ることが普天間基地返還の条件とされて、辺野古に新基地を作らないと返還しないことになってしまう。

これが今日の普天間基地問題の発端となった出来事であり、いわゆる「県内たらいまわし」と呼ばれるものだが、名護市の辺野古沖に海兵隊の最新鋭基地を建設し、基地の「県内たらいまわし」で普天間基地の問題の解決を図ろうとした米両国政府のもくろみは13年たった現在でも、辺野古沖に杭一本すら打たせなかった地元県民のたたかいによって破綻寸前の状態にまで追い込まれている。

そこに普天間基地の「県外移設・国外移設」を選挙公約とした鳩山政権が誕生し、この問題をめぐる新しい局面が開かれようとした矢先に米国の政府高官がやってきて旧政権時代どおりの計画実施を恫喝的態度で要求したところ、外務大臣や防衛大臣がこうべを垂れ、自党の選挙公約や連立政権の合意に反して「県内たらいまわし」容認へと転じてしまう。
さらに情けないことにはこの事態に対して鳩山首相はいっこうに明確な態度を示すことができない。

これが普天間基地問題をめぐる最新の情勢であり、日本国内では米国の応援団もどきの大マスコミや旧政権勢力を中心に「日米合意」を反故にすれば日米関係が険悪になり危うくなるとの言説が巾を利かせている。

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普天間基地問題は無条件の撤去しか“選択肢”がないこと
だが、12年前の新基地建設をめぐる名護市の住民投票では「基地は要らない」の圧倒的多数の住民の意思が示され、その後のあらゆる世論調査でも新基地建設反対が7〜8割を占め、最近では沖縄県議会で新基地建設反対の決議が可決されている。
また、「嘉手納基地への統合」という案が検討されているが、これは過去にも浮んできては住民の激しい反発で拒絶されてきたシロモノであり、沖縄の民意を最大限に尊重すれば移設なしの普天間基地無条件撤去の結論しかない。

なにより軍事的に見ても沖縄および日本に米国の海兵隊は必要なく、海兵隊は米国の他国への干渉と侵略のための“殴りこみ部隊”であり日本の防衛とはまったく無縁の存在であって、日本がいわゆる「思いやり予算」で駐留経費を肩代わりしているから居座り続けようとしているにすぎない。
日本政府はいわゆる「思いやり予算」で、米兵用の住宅から戦闘機の格納庫にいたるまで何でもつくってきているが、「ムダの削減」を言うなら条約上の根拠も義務もない「思いやり予算」こそ真っ先に見直しの対象とすべきであろう。

また、自民党や大マスコミが主張する「この問題で日米関係は悪くなる」という考えは事実と道理に反しており、イラク戦争に反対したドイツやフランスとの関係やクラーク空軍基地やスビック海軍基地という最大規模の基地の閉鎖を実行したフィリピン政府との関係をアメリカは切っていない。

米国独立革命の原点から沖縄の基地問題を見るべし!
ところで、米軍基地の問題を考えるにあたって思い起こすべきはイギリス軍の駐留に反対した植民地の叫びが米国の独立革命の原点であったことだ。
18世紀にフランスとの間で北米の覇権を競った7年戦争に勝利し、北米の支配権を獲得したイギリスは北米大陸にイギリス軍を駐留させ続け、そのうえに「お前たちを守ってやるから軍隊の駐留経費を払え」と一方的な植民地課税を押し付けてきたのである。

当時、北米の植民地からはイギリス本国の議会に代表を送っておらず、自分たちの代表が一人もいないところで一方的に決めた植民地課税の押し付けに反対した革命派は「代表なければ課税なし」と叫び、「平時における外国軍隊の駐留は人民の権利の侵害」を主張して独立戦争に立ち上がった。
そして、独立戦争に勝利した革命派は米国の建国を宣言したが、彼らの主張は独立宣言に盛り込まれ今もその生命力を放ち続けているのである。

米国建国の父たちが外国軍の駐留に反対して立ち上がったことが米国の独立革命の原点であったことを沖縄の基地問題に敷衍すれば、現在の米国政府の高官たちは“グウの音”も出ないのではないだろうか。
images222道理は「基地ノー」の立場に立つ沖縄県民や日本国民の側にあり、今こそ鳩山政権は腹をくくってトマス・ジェファーソンやジョージ・ワシントンにでもなったつもりで自主的な外交政策へと転換すべきときである。

この筆者の拙文を谷田川はじめ議員にも読んでいただきたいのだが!
読んでいただけるかな?
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西岡三郎
千葉県銚子市に在住
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