光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2009年12月

アレン・ネルソン氏の訴えと沖縄普天間基地、および海兵隊の実態

凄惨なベトナムの戦場でアレン氏の目を開かせたものとは!
images22元海兵隊員であり平和活動家でもあったアレン・ネルソン氏が今年の3月に血液のガンで逝去している。

アレン氏は1947年にニューヨーク・ブルックリン生まれのアフリカ系アメリカ人であり、海兵隊員として13ヶ月間ベトナム戦争の前線で従軍した経験を持つが、米国に帰還後に重度のPTSD に苦しみ、その治療に18年を要したという。
そして、1995年の沖縄での米兵による少女暴行事件をきっかけに日本を訪問し、日本国内で反戦平和活動に従事しながら数え切れないほどの講演を各地でおこなった。

彼は日本各地の講演で凄惨で迫力に満ちたベトナム従軍体験を数多く語っているが、その白眉はなんといっても凄惨な戦場で偶然に出くわした「新しい命の誕生」との出会いであろう。

アレン氏の属する海兵隊中隊がある時、村を攻撃中に激しい反撃にあい、彼の仲間が大勢死んでいったという。
彼も死に物狂いで逃げ回り、ある民家の防空壕に命からがら逃げ込んだ時のことである。
驚いたことに、そこには苦しげな荒い息遣いをした15歳ほどの少女がうずくまっており、しかも下半身は裸であった。
だが、少女はまるで怪物でも見たかのような驚きで恐怖に震えていたが、逃げ出すこともできなかったというのである。

彼は逃げ込んだ防空壕の中で何がおこったのか最初は理解できなかったそうであるが、このときすでに彼女の両足の間から赤ん坊の頭が出ていたことを目にした彼は、とっさに自分がこの少女の力になりたいと思ったという。

ところが、戦場の現実はそのような甘い“人道”の入り込む余地を許さない。
案の定、アレン氏がとっさに差し込んだ手の中に生れ落ち、まだ胎盤がつながりヌメヌメとした湯気の立ち上る赤ん坊をとっさに奪い返した彼女は自分の歯でへその緒を噛み切って壕を這い上がり、脱兎のごとくジャングルの中に逃げ去っていったのである。

だが、戦場の真っ只中で遭遇したこの「新しい命の誕生」はアレン氏の人間性を呼び覚ました。
軍隊とくに海兵隊は兵士の意識から攻撃する相手の人間性を取り去るが、訓練で「ベトナム人は人間ではない」と叩き込まれ、ベトナム人を「けだもの」、「共産主義者」と決め付けていた彼はこの出来事をきっかけとしてベトナム人が自分たちと同じ人間であったことに気づいたという。

ルールなき戦場で女性・こども・老人を見境もなく殺し、また、けもののような怒号をあげて「殺せ」と叫びながら、人を殺すあらゆる方法の訓練を兵士に強いる海兵隊の実態を暴露するアレン氏の話は、日本各地で大きな衝撃と感動を呼び起こした。
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抑止力ではなく「侵略力」である沖縄の海兵隊は米国に引き取って貰うべし!
ところで、今年8月の総選挙で海兵隊普天間基地の「県外、国外移設」を公約に掲げた鳩山首相が、米国の圧力と基地の「県内たらいまわし」を許さないという沖縄県民の世論との間に挟まれて立ち往生していることは読者の皆さんがご承知のことと思う。

普天間基地の即時返還について鳩山首相はこのように語っている。
「本来はそうしたいが、安保、抑止力があり、代替地が見つからない場合、普天間基地を閉鎖しておしまいというわけにはいかない」

だが、現実は鳩山首相のこの言に反して、海兵隊は「日本の平和と安全のため」を守るために必要な「抑止力」などではなく、必要でなくすわけにはいかないシロモノなどでもない。
ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン・イラク戦争などの米軍の戦争でつねに先陣を切って「殴りこみ」の任務を与えられてきたのが沖縄の海兵隊であり、最近ではイラクファルージャでの民間人の無差別大量殺戮に参加した前科を持つ。

すなわち、沖縄海兵隊はその手を血まみれにした軍隊であり、沖縄を足場に世界への殴り込みを任務とする究極の「侵略力」であるところにその正体がある。
それゆえ、非人道的な無差別殺戮部隊である海兵隊のための基地提供はきっぱり拒否することこそ世界と日本の平和に貢献することであり、必要のない軍隊であるならば「移設」する必要はさらさらなく、自公政権のいい続けた「海兵隊は抑止力として必要である」という立場から決別して「移設」抜きの無条件撤去の立場に立った対米交渉をおこなう必要がある。

米軍基地の閉鎖を訴え日本中を行脚したアレン・ネルソン氏
ところで、前述のアレン氏であるが彼も沖縄の米軍基地をすべて閉鎖しろと日本中で訴え続けた。

アレン氏は沖縄で最も残忍な地上戦がおこなわれたことや、その際にはベトナムの村での防空壕の少女のように、沖縄の多数の女性がガマ(洞窟)や川辺で出産を強いられたことも知っていた。
また、彼は沖縄が現在も米軍の占領下にあって多くの住民が恐怖の日々を強いられており、1995年の米兵による少女レイプ事件を初めとした米軍の暴行事件による被害者が第二次大戦以来数千人にも及んでいること、およびそれが隠され続けてきたことも知っていた。

そして、彼は子供を持つ父親として暴力に囲まれて生活している多くの沖縄の子どもたちにも思いを馳せ、学校や家にいつ軍用ヘリコプターが墜落するかわからず、マシンガンや砲弾の音を絶えず耳にせざるをえない沖縄の子どもたちの現状に心を痛めていた。

それゆえ、彼はすべての沖縄の子どもたちが平和の内に育てられるように、アメリカは占領を終わらせ米軍は国に帰るべき時が来たとのメッセージを生前に日本中で発信し続けたのである。
沖縄県民の圧倒的多数の声がそうであり、アレン氏も訴え続けたように普天間基地は即時閉鎖とし、米国との間で無条件撤去を前提とした交渉をおこなうべき時が来ている。
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本当に「みんなで話し合う」、「多数決で決定」、「みんなで実行」、「指導機関は選挙で選ぶ」などが「民主集中制」の中身か(日本共産党の現実)

現在の日本共産党の組織的な意思決定の方法を簡単に言うとこうだ。

“数十万人の構成員を抱える大きな組織であるから、意見の違いが出てくるのは避けられません。
また、日本共産党はその内部にいろいろな意見の違いが出てくるのを恐れません。
むしろ、いろいろな意見が出され、それが正しく解決されることを通じてこそ党の統一と団結がいっそうと強まります。”

“党内でいろいろと意見の違いが出た場合には、まずその意見を党の会議で討議します。
そして、討議を通じてお互いの認識を深めて意見の違いを解決します。
しかし、人間の認識の問題でありますから討議を充分にやってもすぐには解決しない場合があります。
そのときには、一定のところで討議を打ち切って、どういう方針で活動するかを民主的に多数で決めます。
そして、そこで決まった方針は意見の違う人も含めてみんなで実行します。
そのうえで実践の結果が方針を決めた時に予定した結果になっているか点検しますが、
予定した結果になっていればその方針は正しかったのであり、最終的には団結した実践によって検証し、意見の違いを解決してゆきます。

民主的な討議と団結した実践との結合・・・・これこそが共産党の内部での意見の違いを解決するルールであります。“
(「科学的社会主義 下巻 その歴史と理論 小林栄三監修372ページ)

長々と引用したが、ようするに党内で意見の違いのある問題は多数決で決定して意見の違う人も含めてみんなで実行し、実践した結果により多数意見が正しかったか、少数意見が正しかったかを検証しようということであり、これが「民主集中制」の真髄だというのである。

たしかに、このルールにもとづいて意見の違いを処理していけば意見のどのような相違であっても解決できないものはないだろうし、少数意見が正しいことが実証された場合にも、それが多数意見となることを制度的に保証しうるだろう。

民主集中制の建前とその実態の大きな乖離
だが、この「民主集中制」にかんする簡素な正論も十数人の小規模サークルには文字通りの適用も可能かもしれないが、現実には日本共産党は数十万人の構成員からなる巨大組織であり、上は中央の常任幹部会から下は支部や一般の党員にいたるまでの多数のヒエラルキーが組織内に厳然として存在する。

それゆえ、みんなで民主的に話し合って多数決で決めるとはいっても“雲の上”の「常任幹部会」での多数決に一般の党員がいかなる意味でも参画することはかなわないのだ。
一般党員は常任幹部会を傍聴することも、その議事録を閲覧することもできず、その人事についても発言はできない。
また、党の幹部はいつでも横の連絡をとって全国的に行動するが、一般党員は原則的に自分の所属する支部の範囲内でしか行動することも発言することもできないこととなっている。

このような階層的な巨大組織であり、上級機関に所属する人間ほど大きな権限を持ち「上下関係」のはっきりしている日本共産党の現状を踏まえれば、「みんなで討議する」とか、「多数決で決定する」とか、「みんなで実行する」などの「党内民主主義」の内容をどのように保障しうるかという問題に関しては、少数の小規模サークルとは違ったアプローチが必要になってくることは論を待たないだろう。

すなわち、日本共産党という巨大組織の中における現実の上下関係や権力関係を踏まえ、上級機関が誤りを犯した場合には下級からでもそれを是正する権利を保障し、必要とあれば役職を解任することのできる仕組みをきちんと整備することが必要となる。
また、そのためにも下級組織や一般党員の権利を保障した規定を充実させることが必要となるし、党内における少数派が多数派に転化しうる民主的なルールを制度的に整えることも必要になってくる。

現在のブルジョア民主主義憲法は社会に存在する権力を民主的に制約し、権力を持たない個人の権利を保護するという仕組み(立憲主義)になっているが、スターリン以来の共産党の規約はそれとは反対に上級の権限を最大化し、下級は上級にいかなる場合も従うように構成されてきた。

また、現在のブルジョア民主主義憲法は政治的少数派の活動を保障しながら、「政権交代」のための民主的なルールも整備しているのだが、スターリン以来の共産党の規約には党内の民主的手続によって少数派が多数派となる可能性を排除してきており、一般党員が規約上の権利を行使して誤った指導部を解任し、「政権交代」を実現することは事実上不可能だ。

そして、残念ながら曇りのない眼で見ると、これと同じことが現在の日本共産党の組織路線にも当てはまる。(まことに遺憾ではあるが)

共産党は未来社会における高度な民主主義を先取りせねばならない。
共産党は強力な階級敵と戦う自覚した共産主義者の統一した組織であり、より高度な社会の実現を目指す組織であるからこそ、共産党の「党内民主主義」はその敵や既存国家権力内部の民主主義よりも高度なものでなければならず、その他のブルジョア政党よりも群を抜いて民主的でなければならない。

その歴史的実例はロシア革命時のボルシェビキ(ロシア共産党)である。
レーニンを指導者としたボルシェビキの「党内民主主義」は、帝政ロシアが当時のロシア国民に許していた「民主主義」よりも高度なものであったからこそ、ボルシェビキは当時のロシア国民の中で道義的権威を持ちえたのであり,ロシア革命を成功へと導くことが可能となったのである。
少なくても1921年のロシア共産党第10回大会で「分派禁止規定」を導入するまでは、ボルシェビキ内部の民主主義はロシア帝国の民主主義よりも百万倍も民主的なものであった。
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第一次世界大戦による国民の疲弊と厭戦気分や飢餓の蔓延、およびロシア帝国のもとでの専制政治という条件のもとでもそうであったならば、国民多数の支持による社会の根本的変革を目標とする日本共産党であればなおさらのこと、日本国憲法のもとでの民主主義よりも充実した時代先取りの党内民主主義の実現につとめねばならない。
また、そうしなければ日本共産党が現代民主主義のもとでメジャーな国民的な政党へと飛躍することはできないだろう。

ふたたび日本共産党の民主集中制について(異論を分割統治する民主集中制)

西暦2000年の日本共産党大会において採択された「党規約改定案についての報告」という文書は不破哲三氏が直々に日本共産党の民主集中制の“価値”を語った代表的なものであるが、このなかに同党の党大会のありかたをめぐって以下のように語った一節がある。

「党大会というものは民主主義のうえでも全党的な統一のうえでも、要をなす問題であります。
だから。私たちは今回の党大会でも大会の議案を発表してから大会を開くまでの二ヶ月間にわたる全党的な討論をおこないました。すべての党の支部、すべての地区委員会、すべての都道府県の委員会が党の会議を開いて討論を尽くしました。
そしてまた、「しんぶん赤旗」の特集号を発行し、党の会議では多数にならず、大きな流れの中では現れてこない少数意見を含めて349通の個人意見を発表しました。
このようにあらゆる手だての討論をつくすものであります。・・・・・・・・・つまり、民主集中制の党として一番大事な、党大会での意思決定をおこなうためには、それだけの全党的な討論をつくすのが私たちのやり方であります。」

このように日本共産党の「最高頭脳」である不破氏は、基礎組織である全国の2万2千の党支部での党大会議案をめぐるいっせい討議からはじまり、地区党会議や都道府県党会議でさらに討議を重ねられる様など、党大会での意思決定に全党員の討論内容がすべからく反映されていく同党の党内討論の徹底振りについて誇らしげに語るのである。

自民党の党大会の“非民主制”を批判して自党の民主集中制を自画自賛する不破氏
さて、党内での民主的討論の徹底振りを自画自賛した不破氏は返す刀で自民党の党大会を批判し、自民党における執行部専横ぶりと党員の無権利ぶりを暴露している。

images17「聞くところによると自民党の党大会では大会議案である運動方針は事前に発表されておらず、しかも一日だけの党大会で運動方針を決定するというではないか。
おまけにその大会は午前十時に始まり、正午には閉会しているというのだ。
我が共産党は党大会そのものについてさえ五日間の日程を割いているというのに、いったいあの党はどこで党員の討論をやり、どこでそれを集約しているというのか?驚くほど非民主的であり、まことにけしからん話だ。」

このようにして不破氏は日本共産党と自民党とを比較しながら、民主集中制という組織原則を持った日本共産党がいかに党内での民主的討論を尽くす政党であるのかをめぐり、いくつもの事実を持って徹底的に論証するのである。

そして、我が不破氏は宣言する。
「わが党が民主集中制の組織原則を持った政党であることの値打ちを国民の皆様に大いにわかってもらうために、誇りを持って活動しようではないか」

だが、我が不破氏の自信たっぷりの宣言に反し、世論調査をおこなうたびに日本共産党は絶対に支持したくない政党のトップの座を公明党とつねに争っている現実が突きつけられる。
さて、筆者の想像だが、この“不都合な真実”ともいうべき世論調査の結果にたいしての不破氏の胸の内の考え方はこのようなものではなかろうか。

「わが党の徹底した党内討論振りは世間に広く公表しているはずであるのに、何の討論もしない自民党より嫌われているとはどういうことか。
それはたぶんブルジョアマスコミの偏見に満ちた報道というフィルターを通してしか、多くの国民は我が民主集中制について知ることがないからだ。
時が満ちてわが党の出番の情勢になり、国民が本当のことを知れば必ず日本共産党への支持はいやがうえでも高まるはずだ・・・・・・」

不破氏が理解できない民主集中制が国民に忌避される理由
だが、日本共産党の「最高頭脳」である不破氏には理解できないことであっても、国民が日本共産党の民主集中制について忌避する理由はそれほど難しいことではない。

それは一言でいえば、日本共産党が世間の常識に反して数十万人の構成員によって組織された巨大な人間集団であるにもかかわらず、党内には異論にもとづくグループや潮流が存在しない奇妙な“一枚岩集団”に見えることであり、それとは対照的に自民党には異論にもとづく自由なグループの活動が存在しており、さらには党外にむけての執行部批判さえも公然と認められことだ。

たしかに、日本共産党の党内にも執行部の意見にたいして異論を持つ個人が存在することは疑いのない事実である。
だが、党内の重大問題についてかなり多くの異論者がいる場合でも、その間の交流は「分派活動」としてご法度であり、これらが一つにまとまる可能性は最初から排除される。

すなわち、民主集中制は古代ローマ帝国における植民地統治の俚諺のごとく、異論を「分割して統治」することで、異論者である党員を自分の所属する支部の外側にあるいっさいの意見から遮断してしまうところの組織原則なのであり、党内から異論をきれいにスクリーンアウトする機能を持つ。
そして、異論者である個別の党員は自分の所属する支部でしか自分の意見を語る党的な権利しか持ちえないし、この異論を党中央に提出することはできても、党中央はそれに何の留意もしないのが通常である。

いわば、異論者である党員は自分の意見を「留保」という形で、自分の胸の内に半ば隠し持つ権利と自由しかないのである。(極論であろうか。)
これは日本共産党の「最高頭脳」である不破氏や志位氏が幹部会への問題提起、幹部会での討論のリードやあらゆる党的問題に関する解明の権利、党の出版物での自由な意見表明などの絶大な権利を有していることと比較し、党員としての権利の点においてなんという格差であろうか。
すべてに党員に不破氏や志位氏に準ずる党的な権利を保障すべきだ

いずれにしても、民主集中制による異論の外部公表禁止、および分派禁止が日本共産党の党内に異論にもとづくグループの存在の余地を許さない理由であり、外側の国民から見ると“奇妙にして気味の悪い組織”としてその眼に映る最大の理由なのである。
そして、これは日本共産党がフランスでカルトと認定された巨大宗教団体である創価学会と事実上一体である公明党と、国民の中でその“嫌われぶり”を競い合っている最大の理由でもある。

「民主主義の社会では政党そのものが民主主義のもっとも高度で徹底した形態の表現であり、社会全体の民主主義発展の模範とならなければならない・・・・・」(ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連共産党書記長)

民主主義が国民の意識に高度に浸透したわが国で日本共産党が国民の支持を得て、一大国民政党に成長発展し、民主連合政府を樹立していくためには「民主集中制の抜本的な見直し」は避けて通れないと筆者は思う。
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東欧やソ連の激動から日本共産党はなにを学んだというのか(民主集中制に関して)

かって故宮本議長はソ連や東欧をめぐる歴史的激動について語り、これらの問題にかんする同党の立場につき多くの発言を残した。

東欧の事態についても宮本氏は数多くの論及を残しており「これはけっして社会主義の破綻ということではなく、文字通り社会主義をゆがめたスターリン、フルシチョフ、ブレジネフらの流儀の“ソ連型社会主義”の破綻である」との立場を一貫して語っていた。
さらにソ連共産党の解体をめぐっても「覇権主義は科学的社会主義とは無縁であり、日本共産党の立場とソ連の党のあいだには何の同根も、共通の理念もない・・・・」と語り、ソ連共産党の解体と日本共産党とを結び付けようとする当時のマスコミなどの論調にたいし真正面からの反論をおこなっている。

ところで、このゆがんだ“ソ連型社会主義”なるものがいかにして形成されたのかという問題を考えた場合に、スターリン・ブレジネフ流のゆがんだソ連型社会主義”には、やはりスターリン・ブレジネフ流のゆがんだ党が対応して存在したという事実を指摘せざるをえない。

いやもっとはっきり言えばスターリン・ブレジネフ流のゆがんだ党であったからこそ、社会主義を変質させて歪め、そのあげくにソ連や東欧の人民にも労働者階級にも見放されてしまったと結論付けることこそが適切であろうと筆者は考えるのである。

それゆえ、かっての政権党であった東欧諸国やソ連の共産党は社会主義のペレストロイカを進めるためにはなによりも自らの党の民主的再生と根本的変革が必要であり、そのためにはスターリン型の党の組織原則や活動形態との絶縁が不可欠であると考えて自国と自党の再生のための仕事にとりくんだのである。

旧東独の政権党であったPDSの党改革の成功例とドイツ「左翼党」の躍進
この東欧の旧政権党による民主的再生のための取り組みの中で特筆すべきは東ドイツでの旧政権党であったPDS(ドイツ民主的社会主義党)の事例であろう。

かっての共産党の独裁的権力の根源には「民主集中制」による中央集権型の組織形態があったとしたPDSは180度の方向転換をはかり、いわゆる一枚岩の名による下部組織からの党指導部批判の抑圧、党防衛の名による秘密主義(グラスノスチの排除)、革命的規律の名による軍隊型の上位下達体制などが歪んだ“ソ連型社会主義”を生み出した原因としてこれらの排除を断行し、そのうえで党内分派(フラクション)を奨励して党内討論の活性化の試みに踏み出した。

その後にPDS指導部はベルリンの壁崩壊から十数年たった2001年に党の綱領改正作業にとりかかったが、指導部の提出した綱領草案にたいして、ただちに二つの対案が出され、また七つの党内グループやフラクションから長大な意見が寄せられたというのである。
そして、最終的には三つの草案に絞られたうえで、全面公開のもとでの民主的討論により新綱領の確定の作業がすすめられている。(綱領が最終的に確定したかは恥ずかしながら筆者は知らない)

自党の民主的再生をすすめるPDSはその後もその歩みを加速させ、SPD(ドイツ社会民主党)から執行部の新自由主義路線を嫌った同党の最左派がいっせい離党して組織した政党「WASG」と合流して政党連合「左翼党」を結成し、2009年9月のドイツ連邦議会選挙では「左翼党」は支持を伸ばし、議席数で前回選挙を22議席も上回る76議席を獲得して勝利を収めるにいたった。
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日本共産党にとってスターリン主義的な民主集中制の見直しは避けて通れないのでは
ところで、わが日本共産党はソ連や東欧の事態が共産党のありかた、とりわけ民主集中制という組織原理とはいささかの関係もないとの立場をとっており、あくまでも民主集中制は自党の内部の問題であり、この党の内部規律を一般の社会に押し付けるつもりは微塵もないと強調するにとどまっている。

以前から「自由と民主主義の宣言」を発表し、自由と民主主義にのっとった社会主義を掲げる日本共産党であるにもかかわらず、東欧やソ連でのこうした党変革の動向にたいしてはあたかも他人事であるかのような振る舞いに終始しており、むしろ筆者にはその火の粉が自分の所に降りかかってこないように意図的に等閑視しているように見えるのであるが、これは筆者のうがった見方なのであろうか。

日本共産党が東欧などの旧共産党に先駆けて自由で民主的な社会主義を目指すにふさわしい党改革をおこなっているのならば、筆者にとっても同党のこのスタンスはわからなくもない。
だが、日本共産党の現行規約の原型は1950年代にスターリン時代に制定されたソ連共産党の規約と毛沢東時代の中国共産党の規約にならって制定されたものであり、2000年にだいぶ改定されたとはいえ、スターリン主義的な“掟”はなお色濃く残存し生き残っているのである。

日本共産党はこれまで社会の民主主義と党内の民主主義とは直接の関係はないとして、スターリン型の民主集中制を根本的に見直す試みをおこなっておらず、来年の1月に予定されている同党の党大会に提出される執行部議案でもこの問題にはいっさいふれようとしないが、それで本当に自由で民主的な社会主義がつくれるのか、いささかの疑問を筆者は持つ。

また、国民は政党内の民主主義と社会の民主主義とは関係ないとする日本共産党の考え方とは異なり、ソ連や東欧など旧社会主義国の経験などから、政党とくに政権党内部における民主主義のあり方と一般社会での民主主義のありかたとは深く結びついており、政権党内部の民主主義のあり方が社会に深く浸透して大きな影響力を与えることを経験知として知り抜いている。

それゆえ一般論としては政党が民主主義的な社会で国民の支持を得ようとすれば、政党そのものが民主主義のもっとも高度の形を体現しなければならず、社会の民主主義的な発展の模範とならなければならないのである。
また、世論調査をおこなうと絶対に支持したくない政党のトップに公明党と並んで日本共産党の名がいつも挙がることの背景にはかくのごとき事情が存在する。

結論から言うと民主集中制という組織形態をめぐる日本共産党の現在のスタンスが、社会主義世界体制の崩壊後、この十数年来の同党の国政選挙での連続後退や停滞の根底的な要因となっていると筆者は考えるのであるが、この見方は的外れであろうか。

日本共産党がスターリン的な民主集中制を根底から見直すことはスターリンの誤りを起源とした社会主義からの逸脱を復元して、本来の社会主義の生命力を発揮するためにも避けて通れない宿命的な課題であると筆者は思う。

社民党は武力行使のための法整備に踏みこもうとしている小沢民主党に屈服するのか!(社民党関係者に問う)

社民党の突然の態度豹変(党のレーゾン・デートルの危機!)
社民党が民主党の小沢幹事長の“恫喝”によって民主党がまとめた官僚答弁を禁止する「国会改革」案を了承したという話が漏れ伝わっている。
社民党の福島党首は官僚答弁禁止について「国会議員は調査権を持っている。法改定はきわめて重要だ」と疑問を示しており、とくに内閣法制局長官の答弁禁止をめぐっては、憲法の解釈を時々の政治家の都合のいいように捻じ曲げる危険性をはらむものであり「憲法解釈の変更につながりかねない」と強い批判をおこなっていた。

ところが小沢氏が「参議院、衆議院という二つの大きな選挙を担当し、特に社民党には選挙区の割り当てやらいろんなところで協力してきたつもりだ」と恫喝まがいの発言をすると社民党は態度を一変し、社民党側から要請をおこなって官僚答弁を禁止する「国会改革」案を受け入れ、年明けの国会での国会法改定案の提出と成立にまで合意したという。
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官僚答弁の禁止は「政治主導」の名で解釈改憲をすすめることに狙いがある!
民主党の「国会改革」案に含まれる官僚答弁禁止、なかでも内閣法制局長官の答弁禁止は重大な内容を含んでいる。

これまで内閣法制局の憲法解釈が一方では際限のない軍備拡大や自衛隊の海外派兵を合憲としながらも、「海外での武力行使は禁止」という最後の一線では一定の歯止めとして機能してきた。
だが、この歯止めまで取り払われることは政権政治家の都合に合わせたご都合主義的な憲法解釈の横行という危険性を生じさせるだろう。
そして、内閣法制局が従来より違憲であると解釈してきたもの(集団的自衛権行使や国連決議がある場合の自衛隊の海外での武力行使)が「政治主導」によりつぎつぎと見直されていくこととなりかねないだろう。

さて、以下の一節にご注目いただきたい。

自衛隊の海外派遣に絡み、民主党の小沢一郎代表が「国連決議があれば海外での武力行使は可能だ」と主張していることに関し、同党の直嶋正行政調会長は20日の衆院テロ防止・イラク支援特別委員会で「民主党が政権を取ればそういう方針で作業に着手する」と述べ、政権交代後に必要な法整備をすることにより、政府の現在の憲法解釈を実質的に変更する考えを示した。・・・・・直嶋氏は「世論の支持や近隣諸国の理解が必要で(実際に派遣するかは)総合的に判断する」とも述べた。
(毎日新聞2007年10月21日付朝刊より引用)
小沢政権ができたら自公連立政権すらやらなかった武力行使のための法整備に踏み込むという。
小沢政権になれば日本は武力行使をやる。そんな戦争の好きな小沢民主党政権ができても、それでも政権交代がよいのか――この選択を、日本国民は問われている。
私は「小沢」より「平和」を選ぶ。
自民党以上のタカ派政権の登場を許してよいのか!! 小沢代表と直嶋政調会長は考えを改めるべきである。 

これはいまから2年ほど前の政治評論家森田実氏による評論の一説の引用であるが、すでにこの時点で森田氏は現在の小沢民主党の狙う内閣法制局長官の答弁禁止の真の目的をずばりと言い当てている。

また、以下の一説にもご注目いただきたい。
国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法には抵触しないというのが私の憲法解釈です」
これは小沢氏が2年前に総合雑誌「世界」に寄せた寄稿文の一説であり、アフガニスタンにおけるISAF(国際治安支援部隊)への自衛隊の参加を主張しながら小沢氏が自身の特異な憲法解釈を誇らしげに述べている。

これらのことは小沢氏のすすめる内閣法制局長官の答弁禁止が内閣法制局による従来の憲法解釈を「政治家主導」の名で勝手に変えて、小沢氏の特異で危険な憲法解釈を国民に押し付けることを狙ったきわめて危険なものに他ならないことを物語っている。

社民党の党員や支持者の皆様へ
社民党は小沢氏の“恫喝”の直前までは「憲法を大事にするわが党からすれば、政府から独立して憲法観を表現する法制局長官の答弁は必要だ」などとして、官僚答弁禁止を目玉とした小沢氏主導による民主党の「国会改革」案には反対の立場をとってきたはずである。
それがどうして小沢氏の“恫喝”によって自らの政治理念さえいとも簡単に投げ捨て、左から右へと態度を豹変させるのか?

自らの政治的節操を堅守するよりも、与党の一員となって権力集団に属することによるメリット、すなわち利権の配分に食い込むことのほうを選択するようでは、かっての村山社会党の時代の苦々しい体験をまた再び性懲りもなく繰り返すこととなるのではなかろうか。
社民党関係者の方々はどうお思いか?
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米国の脅しに右顧左眄する鳩山政権と米軍基地を撤去させたフィリピンの経験

1986年にフィリピンではマルコス大統領の独裁政治を打倒する国民のたたかいの高まりにより同政権が崩壊し、その後にアキノ政権が誕生する。
そして、この間のフィリピン国民の政治的経験は米国がフィリピンの米軍基地を維持する目的でマルコス政権の独裁政治を支えるためにフィリピンの内政に謀略的に介入しており、米軍基地がある限りは自国の本当の意味での独立と自由がないことをフィリピン国民自身が身にしみて知るには充分なものであった。

当時のアキノ新政権を支えたグループやフィリピン国会の上院議長は「米軍基地がある限り、我々の対米関係は健全で正常なものにはならない」と考え、新政権発足の政治目標の一つに「米軍基地の撤去」を掲げるにいたったのである。
だが、このようにスタートしたアキノ政権であったが米国の公然および隠然たる政治的圧力のなかで次第に米軍基地容認派へと変容していき、フィリピン国民からは「公約違反」との政権批判の声が上がりはじめる。

当時におけるフィリピンでのこれらの出来事は、総選挙中に民主党党首の鳩山氏が普天間基地の「国外・県外」移設を明言したにもかかわらず米国の高官の恫喝によって選挙中の公約を簡単に覆し、普天間基地の「県内たらいまわし」を沖縄県民に押し付ける態度へと一変した日本の新政権のケースときわめて酷似していよう。

だが、マルコス独裁打倒を実現した政治勢力やフィリピンでの基地撤去を求める世論はこの米国の圧力に屈することはなく断固としてその意志を貫いた。
とくに米軍基地撤去を実現させる中心勢力となったフィリピンの多くの上院議員は国民の「外国基地の撤去」の悲願を貫き、基地存続を狙う米国との交渉でアーミテージ交渉代表との丁々発止のやりとりをたたかわす。

フィリピン側が米軍基地の撤退を求めるのにたいして、アーミテージ氏は「これでわが国とフィリピンとの関係は終わりだ」と激怒し交渉を決裂させ、もの凄い剣幕でフィリピン側を恫喝したという。
「米国の抑止力がなければ外国に攻め込まれるぞ」
「米軍基地がなければ経済的関係は終わり、経済は破綻する」


だが、基地撤去を目指す上院議員が過半数を占める当時のフィリピン上院は米国の恫喝に頑として屈せずに基地反対を貫き、米軍基地存続を目的とした新しい条約を否決したためにクラーク海軍基地とスビック空軍基地のフィリピンへの返還が実現したのである。1992年の出来事であった。

また、この一連の動きは「米国との友好や協力、貿易は望むが、服従は真っ平ごめんである」とのフィリピン国民の世論が米国の圧力を押し返したことを意味する。

米軍とくに海兵隊は抑止力としても不必要である
さて、米国の「抑止力」という後ろ盾を失ったフィリピンであり、その後は米国の言うとおりに他国の侵食や脅威に悩まされてきたかというとまったくそんなことはない。
近隣諸国との友好関係はその後も広まり、フィリピンの加入するASEAN(東南アジア諸国連合)は加盟国間の紛争の話し合いでの解決を目的とした地域協力組織(TAC)をユーラシア大陸全体に大きく広め、ついには米国もこの地域協力組織の一員として加入するにいたっている。

また、基地の跡地は積極的に活用され、今では多くの雇用を生み出すほどになっており、米国と関係でも非軍事面での協力関係がますます発展しているというのが皮肉にも今日の現実だ。

さて、民主党を中心とした鳩山政権は海兵隊は「日本の平和と安全のために必要」という立場にたっており、必要なものならなくすわけにはいかず、「移転先」や「代替基地」を提供しなければ普天間基地の問題の解決はないとしている。
だが、問題となっている普天間の海兵隊はアフガンやイラクの戦争で真っ先に駆けつけて奇襲攻撃の尖兵となった「殴りこみ専門」の部隊であり、平和のための抑止力とはお世辞にも言いえないシロモノである。

2003年のイラク開戦には沖縄の海兵隊をはじめとして横須賀の空母機動部隊なども加えると在日米軍1万人がイラクに派兵され、普天間基地のヘリ部隊は04年のイラクファルージャにおける劣化ウラン弾を大量に使用した民間人の無差別殺戮にも公然と参加している。

政局的な思惑で問題の先送りをおこない「新しい移設先」を探すという、今の鳩山政権のやり方では普天間基地問題の解決ははかれない。
自公政権以来の「海兵隊は抑止力として必要」との立場から袂を分かち、普天間基地は無条件に撤去という立場で米国との交渉に腰をすえてあたってこそ普天間問題の打開の道が開かれるのではなかろうか。

その際には、フィリピン国民のたたかいで米軍基地を撤去させた国際的な先例こそ見習うべきものとなるはずである。
フィリピンの先例を振り返ると、在日米軍基地をめぐる旧政権や米国の言い分がただの脅かしにすぎないものであることが歴史的な事実をもって裏付けられるのではなかろうか。
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日本共産党の民主集中制は本来の社会主義ではない その2(その歴史的起源とは)

レーニンとソビエト政権を起源とし、さらにはスターリンによって共産主義運動に不当に押し付けられた民主集中制!
かって、ソ連の崩壊に際して日本共産党指導部は見解を発表し、ソ連の解体とともに崩壊したのは対外的には覇権主義、国内的には官僚主義と専制政治を特徴とした本来の社会主義から逸脱したスターリンの誤りを根源としたゆがんだ体制であり,事態はいかなる意味でも本来の社会主義(科学的社会主義)の破綻を意味するものではないと強調しました。

だが、現在の日本共産党にはスターリン以来のゆがんだ体制を起源とする政治的・組織的ファクターがまったく存在しないのでしょうか。
私にはその最後にして最大の残滓がいわゆる民主集中制にあるように思えてなりません。

かってロシア革命を成功に導いたレーニンを指導者としたボルシェビキ(ロシア共産党)には民主集中制はありませんでしたし、当時のボルシェビキはいわゆる一枚岩ではなく、党内には意見を異にする多くのグループや集団が数多く存在していました。
いわば当時の共産党にはおのおの異なった政治綱領を持った複数の派閥やグループが存在し、党内でこれらのグループが党の政治路線をめぐって喧々がくがくの論争を繰り広げていたのであります。

だが、革命後の情勢は困難に満ち溢れており、ソビエト政権打倒を目的とした外国軍の干渉や反革命勢力の全国的な蜂起、またソビエト政権自身の食料政策の誤りなどにより食糧危機と飢餓が発生し、ソビエト政権は事態打開にために農民の手元からの強制的な食糧徴発へとふみだします。

武装した労働者からなる食糧徴発隊が農民から「余剰穀物」を没収し、富農からはその財産を没収するといった手荒なことを各地で大規模に展開します。
これが、結果的に農村の飢餓をひきおこし全国的な反ボルシェビキ機運を高め、当時のロシア共産党とソビエト政権は経済危機に触発され、不満と暴動でブルジョア勢力のほうに動揺する農民の大海の中に浮んだ中洲か小島のような状態となってしまったのであります。
なにかのきっかけで農民の不満が爆発して全国的に波及すれば、ソビエト政権はまたたくまに農民暴動の大波に飲み込まれて海の藻屑と消え去ってしまう危機的な政治情勢が出現したのです。
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1921年のロシア共産党(ボルシェビキ)第10回大会における分派禁止の決定とはなにか
この危機的な事態に対応して開かれたのが1921年のロシア共産党(ボルシェビキ)第10回大会であり、そこでレーニンは食糧徴発制を廃止して穀物の余剰を農民が商品として自由に販売できるとした新経済政策(ネップ)に転換し、農民の要求(余剰穀物の自由販売)に譲歩しながら経済の再建を目指す路線への転換を決定します。

そして、同時にレーニンはある重大な事項を党大会に提案したのであります。
それが党内での分派の禁止であり、農民暴動とブルジョア勢力の反乱の猛威に対抗するためには「党の隊列の統一と団結」がなによりも優先されるべきであり、党内の意思統一がないと資本家や地主の権力の復活以外にはなにもおこりえないとして党内の政治的な反対派の活動を禁じました

しかし、この提案の大事な点は以下にありました。
それは分派の禁止は農民の自然発生的運動が暴動となりソビエト政権の倒壊の危機が発生したいわば“有事”に限定した臨時的措置であり、経済危機が克服され社会に一定の安定がもたらされれば、この分派の禁止といった措置は解除されるべきものとして提案されたということです。
そして、レーニンはこの党内の反対派の禁止(分派の禁止)といった措置について大会以外には公にすることを禁止し、「秘密条項」として社会に安定が回復した暁には封印すべきことを決めたのであります。

だが、スターリンはレーニン死後にこの封印された「秘密条項」を持ち出し、さらにこの規定を公然とした「恒常的な規定」にまつりあげて政敵排除に活用し、あげくにはスターリン支配下の書記局にすべての権力を集中するための口実として利用しました。

さて、このような歴史的な経過をたどるといわゆる民主集中制は社会主義の本来の姿ではなさそうだということが浮びあがってくるのではないでしょうか。
すなわち、党内における反対派の活動の禁止といった民主集中制と分派禁止は社会主義本来のものではなく、またマルクスやエンゲルスにもなく、レーニンとボルシェビキを起源とし、スターリンにより不当にも世界中のコミンテルン型の共産党に押し付けられたものに過ぎないということです。

ゆえに日本共産党も21世紀の今日、本来の社会主義に立ち返り、党内の反対派の言論活動を許容し、党内に一般社会並みの意見の多元主義を実行することが社会主義の生命力の回復へとつながっていくのではないでしょうか。
そして、日本社会における日本共産党の政治的・組織的比重を高めていくには現行の民主集中制の見直しをおこない、日本社会の一般的な民主主義のレベルに党内の民主主義を高めていくこと以外には選択肢はないでしょう。

こうして本来の社会主義を日本共産党のなかに実現することなくしては、日本社会における党の政治的影響力の増大への道は切り開かれることはないと思います。

日本共産党の民主集中制は本来の社会主義ではない その1(その歴史的起源とは)

2009年の総選挙での国民の審判は単なる政権交代にとどまらない日本政治の新しい時代を開くものとなりました。
国民が総選挙の審判にかけた思いは自公政権によってもたらされた暮らしの苦難と平和の危機をとりのぞいて「政治を変えたい」という強い願いであり、これが自公政権の退場という結果をもたらしました。

しかし、「自公政権ノー」の審判をくだした国民は自公政治に代わる新しい政治とは何かについて答えを見いだしたわけではなく、多くの国民は民主党の政策や路線を支持したわけでもありません。
多くの国民は暮らしの困難や平和の危機をもたらした政治の根源にはなにがあるか、新しい政治の中身はどうあるべきかについて模索の途上にあり、民主党中心の政権はこの政治状況の最初の局面で過度的に成立したものでしかないと筆者は考えます。

また、今回の「政権交代」は「構造改革」によりもたらされた貧困と格差がきわめて深刻となり、その打開を求める国民の世論と運動がつくりだしたものですが、いまだに多くの国民はこれらの事態の根本にある「アメリカ言いなり」、「財界・大企業の横暴な支配」からいかに抜け出すのかという方向を見定めるにはいたっていない現状にあります。

ゆえに国民が暮らしと平和にかかわる自らの切実な要求を実現するためには、日本の政治が「アメリカ言いなり」、「財界・大企業の横暴な支配」という二つの異常から抜け出して、「国民が主人公」となる民主的な政権の樹立にすすむ必要があるという方向に多くの国民の認識を高めていかなければなりません。
そして、このためには米国と財界という二大支配勢力の政治支配をうちやぶり、「国民が主人公」の新しい日本にすすむべきことを掲げる唯一の政治勢力である日本共産党の躍進を期待したいと思っています。

だが、日本共産党をめぐる社会の現状はどうでしょうか。
日本生産性本部の長期の世論調査では1970年代に国の将来の政治制度にかんして「社会主義」を志向する人々が10%のピークに達して以来、経済大国となった80年代には「社会主義」志向が4%へと後退し、ベルリンの壁崩壊やソ連の解体という世界史的な出来事を経験した90年代には「社会主義」志向はわずか1%へと激減しています。
いわゆる「生活保守主義」が跋扈し、若年層のなかでは「社会主義・共産主義離れ」が加速化しており、将来にわたって「社会主義」や「共産党」が国民に受け入れられる可能性はほとんど存在する余地がないように思われてなりません。

また、ベルリンの壁崩壊とソ連解体を契機として、かってのコミンテルンやコミンフォルムの流れを引いた国際共産主義運動は消滅しました。
イタリア共産党は社会民主主義政党に転進し、フランス共産党も過去に対する自己批判をおこない政治的・組織的存続をはかろうと努力していますが、党員の3分の2を失い大幅に弱体化しました。また、アフリカ大陸では共産党のほとんどはソ連の援助で作られましたが、その多くが消失しています。

社会主義世界体制の崩壊」という世界史的な事実を経験し、人権侵害や民主主義の欠如、大量虐殺などの蛮行を重ねた旧ソ連や東欧などの旧政権党が消滅してこれらの“共産主義勢力”の実態が白日の下にさらされた21世紀の今日、日本共産党がしぶとく生き残り、なおかつ「国民が主人公」となる民主的政権の樹立の推進者にふさわしい強大な組織力と政治的影響力を築き上げていくためにはどうしたらいいのでしょうか。
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