光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2010年03月

党勢拡大運動に日本共産党の未来があるか!(数十年来の党勢拡大運動の帰着点)

2000年代における国政選挙での日本共産党の低迷と停滞!
1996年の総選挙において日本共産党は比例で726万票という過去最高の得票を獲得し、それに続く1998年の参議院議員選挙ではその勢いを更にまして、比例で819万票を獲得した。
そして、この躍進を受けて当時の不破委員長は衆議院に100を越える議席、参議院に数十の議席を第一の目標として掲げ、21世紀の早い時期における無党派層との共同による「民主連合政府」の樹立を宣言する。

この当時はソ連崩壊や東欧の激動という世界史的な出来事を根拠に「社会主義・共産主義は敗北・終焉した。共産党は時代遅れの存在」という見方がメディアを中心に流布され、日本共産党の存在も近く終焉を迎えるかのごときキャンペーンもおこなわれていたが、この選挙結果はこのような見方をはねかえしたのかのように見えた。

だが、この現象も当時の社会党が安保堅持・自衛隊存続の運動方針を採用し、さらには自民党との連合に踏み出し村山連立政権を樹立させたこと、およびそれをきっかけとした大規模な党からの離脱などといった一連の社会党の解党現象と、共産党を除く「オール与党体制」が国政のなかでできあがったことなどで行き場を失った「革新支持票」が共産党に流れ込んだことからおきた一時的な現象にすぎなかったことが間もなく判明する。

すなわち21世紀を迎えるやいなや、党の指導部の思惑に反して日本共産党躍進の流れが大きく変わり始めたのである。
01年の参議院選挙で共産党は3年前の総選挙時での819万票から得票数を433万票へと半減させ、議席数でも改選前の8議席から5議席へと大きく後退させてしまった。
さらには03年の総選挙でも20議席から9議席に後退したことなどにより、2000年代前半の一連の国政選挙をとおして日本共産党の議席数は衆参両院とも一桁台へと落ち込んでしまったのである。

そして、この流れは現在も基本的に変わらず日本共産党は党勢の停滞状況から抜け出すきっかけを見いだせずに現在に至っており、政権への展望にいたっては事実上見失った状態にある。

日本共産党指導部による選挙総括の持つ問題点とは!
ところで、筆者はこの記事において、なぜ日本共産党の党勢が停滞するのかその原因の一端を突き止めるべく、この間の一連の国政選挙にたいする党指導部自身の選挙総括の問題点に絞り、きわめて簡単ながらも考察して見たいと思う。

images1146この間の国政選挙をめぐる党指導部の選挙総括に見られる顕著な特徴は「共産党の方針・政策や党中央の指導はいつでも正しい」という立場にたっていることであり、このことは「路線・方針が正しければ指導部の責任はない」という04年参議院選挙時における志位委員長発言が象徴している。
敗北の続く選挙総括でも「訴えの内容は国民の利益にかなったものであり、正しいものだった」とか「我が党の論戦の内容は国民の気持ちにかみあった的確なもの」と“自画自賛”を繰り返して指導部の路線や方針の正しさを強調するだけだ。

そして、議席を減らした場合には「小泉旋風」や「財界主導の二大政党体制づくり」などの困難な条件を強調して、その責任を他党派や財界・マスメディアをはじめとした他者に転嫁しながら、選挙総括の結論部分ではどんな情勢にも負けない強大な党を作るために党員と機関紙「赤旗」を増やし、さらには党員の水準を引き上げて党員の活動参加率を高めていく必要があるとして党員を叱咤激励する。

これが党指導部のおこなう選挙総括のいわば「定石」といってよいパターンであり、「中央の選挙方針も政策も正しいが敗北を喫するのは結局、党の組織の力が弱いからだ」と常に一般党員に選挙敗北の責任を押し付ける繰り返しだ。
それゆえ、ここから導き出される帰結としてはもっと党員を増やそう、もっと「赤旗」を増やそう、もっと活動に積極的に参加する党員になろうということになり、結局は「党員はもっと頑張れ」という結論とならざるを得ない。

このような党指導部の「無謬性」を動かぬ前提とした選挙総括においては党のトップが敗北の責任を負うことは有り得ず、党員のいっそうの頑張りによって党員と「赤旗」を増やすことが選挙での前進の「唯一の大道」というところに必然的に帰着する。

日本共産党の「党勢拡大運動」の抱える深刻な現状とは!
だが、この数十年来休むことなく継続してきた「党勢拡大運動」は前進を作り出すどころか、むしろ党勢の後退すらもたらしてきたことは否定しようのない現実だ。

たとえば共産党の機関紙「赤旗」であるが、最盛期には350万部の発行部数のあったものが半分以下の水準まで落ち込み、党員数も漸減傾向から抜け出すことに成功していない。
そこで、いきおい党勢の減退から増勢に転ずるために「党建設の根幹」と位置づける党員拡大と「党活動の中心」と位置づける「赤旗」の購読者拡大へと今まで以上に力を入れることになるが、いかんせん党員の内心に漂う無力感は払拭できない。

なぜなら「赤旗拡大運動」といっても「総選挙まで読んでください」、「参議院選挙まで読んでください」といって短期の読者を開拓しているのが現実であり、さらには短期読者の開拓ならぬ、過去に購読したことのある元の読者への短期購読依頼へと向かわざるをえないのが実態だからである。
こうして増やした読者は選挙が終わればただちに解約となり、第一線の地方議員や党員はこういった作業の繰り返しを数十年来続けているのだからマンネリ感無力感を感ずるのも無理はない。

何の展望も持ちえないこうした活動の連続で少なからぬ党員は心身ともに疲弊して活動から離れていき、残った党員の負担はそれに比例してさらに増していかざるをえない。
このように党勢拡大どころか、逆に「負の悪循環」によって党勢は落ち込むばかりというのが日本共産党のまぎれもない現状だ。

ここから抜け出してその流れを変えるためには、「党勢拡大運動」によるやりかたではもはや不可能であることはこの数十年の組織的経験から明らかであろう。
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いまこそ日本共産党の出番だが!(お呼びのかからない現状)
いまや民主党政権は部分的な前進はあるが、「政権交代」に託した国民の切実な要求に関しては肝心要の問題において公約違反や後退を繰り返しており、旧政権党である自民党も後ろ向きの姿勢に終始し、政治を後戻りさせようと虎視眈々と狙っている。

客観的な政治情勢はいまこそ二大政党体制を打破する絶好のチャンスなのであるが日本共産党には国民からのお呼びがかからず、いっこうにその出番がまわってこない。
それどころか、昨年の総選挙で国民の厳しい審判を受けたはずの「小泉構造改革路線」のいっそうの徹底を主張する自民党分派の“みんなの党”が、民主も自民もだめという有権者の受け皿として、来るべき参議院選挙での躍進が予想される有様だ。

この状況を打ち破るには旧来の党勢拡大運動の内包する問題点の解明がキーポイントの一つとなると日本共産党サポーターである筆者は思う次第である。

全共闘とはなにか!(時代の英雄ではないニセ“左翼”集団)

全共闘暴力集団と「松田さん襲撃事件」!
法政大学には悲しい歴史が残されている。
images11771970年の1月21日に当時法政大学文学部に在籍していた松田恒彦さんが全共闘を名乗る暴力学生の襲撃を受けたことで瀕死の重傷を負い、今でも後遺症に悩まされ続けているというのだ。
そこで、この「松田さん襲撃事件」の具体的なイメージを思い描くことができるように以下にこの事件の概要を簡潔に描写してみたい。・・・・・

事件発生時、松田さんがいた大学の教室に廊下側の二つの入り口からと、窓側からは窓ガラスを鉄パイプで打ち壊して全共闘暴力学生が侵入した。
そして、松田さんをはじめとしてそこに居合わせた自治会委員や学生委員を指差して「あいつは民青だ、やれ、殺してしまえ」と雄たけびを上げながら全共闘暴力集団は鉄パイプ、角材、竹ざお、チューンを振り回し、殺意を持って無防備の学生に襲いかかり重軽傷を負わせた。

とくに松田さんに対しては言語に絶する蛮行ぶりで、廊下へと引きずり出しては頭部を中心に顔面、大腿部をメッタ撃ちにし、さらに凶器で打ち据えた。
このため、松田さんはその場で血だらけの意識不明の重態に陥ってしまった。

また、松田さんを襲撃した全共闘暴力集団はその後、大学内の各教室で蛮行を重ね、建物の入り口や構内各所に完全武装の集団を配置し威圧的な検閲を始めたのである。
そして、「民青はいないか」と構内を見回りながら、自治会に結集する学生を見るや鉄パイプで暴力を加え、さらには大学の診療所に乱入して頭部の裂傷を縫合中の一学生に対し看護婦の静止を振り切って鉄パイプで殴りつけた。

また、重態に陥った松田さんはあまりの傷のひどさに東京医科歯科大学に運び込まれ手術を受けたが、何度も危篤状態におちいり、その後も数回にわたって頭部の切開手術を繰り返した。
そして、この事件は松田さんを含む自治会の学生委員をはじめ50名以上の学生が重軽傷を負う大きな暴力事件となり、全共闘暴力集団の実態を告発し彼らの犯罪を断罪すべく、被害者の学生が中心となり「告訴・告発」へと踏み切っていく。

さらに、この事件の最大の被害者である松田さんはといえば、幸いにも命は取り留めたものの、その後40年たった今でも後遺症は残り不自由な体を抱えたままという。

権力を挑発し民主的な人士を襲う全共闘集団!
以上の「松田さん襲撃事件」のあらましは政治学者であり法政大学教授でもある五十嵐仁先生のブログに紹介されていたものを筆者がはしょったうえで転載したものだ。
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/archive/20100326

五十嵐仁先生も学生時代に都立大学において暴力学生の襲撃を受けて右目を失明しており、松田さんと同じく全共闘暴力集団の理不尽な支配から大学・学生の自治と学問の自由を守るために、身を危険にさらし体をはったのである。そして、その結果として松田さんは体の自由を奪われ、五十嵐先生は右目を失った。
さて、このお二人のエピソードから導き出される教訓とは何か。
それは大学・学生の自治や学問の自由とはこのように誰かしらが身を危険にさらし、さらには体をはってその一生をかけてでも守らねばならないものということだろう。

また、この松田さん襲撃事件をめぐる経緯は当時のマスメディアがあたかも全共闘暴力集団を学生運動の主流であるかのように持ち上げ、まるで時代の英雄であるかのごとく取り扱ったことがいかにウソと欺瞞に満ちたものであったかを明らかにしている。

60年安保闘争の渦中に全共闘暴力集団が国会突入を敢行し、東大の女子学生が犠牲になった事件は有名だが、この突入事件が右翼の大物で職業的反共主義者である田中清玄の指導の下で全共闘暴力集団がおこなった意図的な挑発行為であったことは、その後に彼ら自身がTBSラジオに出演し自ら告白したことで明らかになっている。

images1199その際に彼らが田中とともに警視総監や公安課長などと接触し、資金提供や戦術指導まで受けていたことも告白している。(1963年2月23日のTBSラジオ報道番組「歪んだ青春―全学連闘士その後」にて彼ら自信が告白した)

このように権力と内通し、買収された彼らの挑発行為が民主的な学生運動や国民の運動をぶち壊す役目を担ったことは記憶にとどめるべきであり、今でも勢力は衰えながらも彼らがマスコミにおだてられながら同じような社会的な役割を果たしていることは許されるべきではない。

革マル派暴力集団とたたかう強さも気概もなかった筆者のこと!
ところで、筆者の大学在学中にも全共闘とならぶ有力な革マル派暴力集団が学部の学生自治会を乗っ取り私物化し、そこを活動の拠点としながら民主的な学生にたいして暴力をふるう現実が日常茶飯のごとく存在していた。

当時筆者は民青に所属したのだが、先輩たちから大学と学生の自治を守るためにいっしょに闘って欲しいと数度にわたり説得されたことを思い出す。
だが、筆者は精神的にも身体的にもあまりにひ弱い人間であり、大学と学生の自治を守るために体をはり自分の一生をかける勇気などこれっぽちもなかった。
そして、この現実の前に躊躇しながら立ち尽くした後に最後には「逃走」し、下宿に閉じこもりがちとなって書物をむさぼるように読み始めた。(先輩たちの「不甲斐ない奴」とのつぶやきを想像しながら)

そのうえで、学生の本分は学ぶことにあると自分に言い聞かせながら自分の行動の合理化をおこない、これを繰り返し自分に言い聞かせていた。
また、このことは家族にもいっさい隠した。自分を大学にまで進学させてもらった両親の期待を裏切ることは忍びなかったのである。

もし、あの時に革マル暴力集団にたいし先輩たちといっしょに立ち上がる勇気と強さと剛毅さが当時の自分にあったとしたら、そして人生をその方向に踏み出していたなら、その後の自分の人生はいかに様相の異なったものとなっていたかを思うときに複雑な思いにとらわれる。
今思えば人生最大の分岐点で勇気ある一歩を踏み出せなかった自分にこだわり続ける気持ちは数十年の経過した今日にも、心の奥底に間違いなく沈殿している。


治安維持法等被告事件と宮本顕治氏(いわゆる共産党リンチ殺人事件について)

治安維持法下における特高警察の弾圧とスパイ・挑発策動の猛威!
1925年に普通選挙法と抱き合わせの形で成立した治安維持法は日本共産党を壊滅させるための最大の武器として利用された。
images21141931年から33年にかけて同法による検挙者は3万8千人を大きく上回り、さらに起訴者の数は2千2百人を超えたが、くわえて特高警察を中心とした野蛮な迫害と攻撃がその時期にさらに残虐さを増した。

・党中央委員の上田茂樹の場合(31歳):スパイの手引きで32年の4月に逮捕され、その後は行方不明(すなわち闇へと消されてしまう)
・党中央委員の岩田義道の場合(34歳):32年の10月に逮捕され拷問でその4日後に虐殺される。
・党員作家小林多喜二の場合(29歳):岩田義道の4ヵ月後に同じく拷問によって虐殺される。

当時の共産党の幹部がかくのごとく次々と逮捕される背景には特高警察が送り込んだスパイの策動があり、党の中心部に大物のスパイを送りこみ、さらにその手引きにより党の各所にスパイが入り込んだ。
そして、特高警察は32年の10月には熱海での共産党の全国代表者会議を襲って主な幹部を“一網打尽”にし、併せて全国各所でいっせい弾圧を強行したが、この会議の準備をおこなったのが党中央に入り込んだ大物スパイであり、事前に党内の情報がすべて特高警察に筒抜けであったことは後日に判明する。

だが、特高警察はただの弾圧だけですべてのことがすむとは思ってはいなかった。
なぜなら、弾圧に抗して反戦平和と主権在民の主張を貫く日本共産党の姿は日本社会の中に、特に知識人を中心として少なからぬ社会的信頼を築いており、この社会的な信頼をたんなる弾圧の繰り返しだけではくつがえせないことは特高側も充分に認識していたのである。

そこで日本共産党への社会的信頼をぶちこわそうと特高警察が企てたことが、共産党に社会的道義に反する破廉恥な犯罪行為をおこなわせることであった。
32年の10月6日に東京大森の第百銀行を3人のギャングが襲い、三万一千円余の大金を持ち去るという事件がおこるが、この数週間後に警察が「実はあの時の銀行ギャング事件は資金に困った共産党がやった事件だった」と発表したのである。

だが、これは当時、党中央の資金面を握っていた松村というペンネームのスパイが警視庁特高課の指示のもとに、彼らとの連絡のもとで計画実行した事件であり、共産党は犯罪集団だとの既成事実をつくりあげ、社会的な道義の面からも共産党に壊滅的な打撃を与えようとした企てでもあった。

また、この事件の首魁となったスパイMこと松村という人物は本名を飯塚盈延と言い、愛媛県が本籍地であることが後に判明する。
そして、この男がその後に名前を変え戸籍を偽り、非常に暗い逃走者としての生活を世間の陰でどのように送ったかは戦後の文芸雑誌などに載ったことで世間に広く知られようになる。

特高警察によるスパイ・挑発策動から党を防衛しようとした宮本顕治氏とスパイ小畑の不幸な急死!
さて、激しい弾圧のなか、日本共産党が次々と党の中心幹部を失うなかで、33年の11月には宮本顕治氏を中心とした新しい指導部が再編成された。そして、新指導部の直面した問題は弾圧とスパイ・挑発者の策動から党を防衛することであった。

なかでも、党の内部に潜入したスパイを摘発して党内から追放する闘争に取り組むことは急務となり、客観的な証拠からスパイの容疑者を見つけ出し、理詰めで攻めてスパイを追いつめるという手段が採用される。
そして、このような態度で過去の検挙の経過などを調査した結果、2人のスパイが浮かび上がり、それが党の中央にいた大泉小畑という2人の人物であったことが判明する。

そこで、この2人の容疑を確かめるために「査問」という調査のための会議が開かれたが、まず大泉の容疑に関してまぎれもない証拠が出てきた。
党の指導者の野呂栄太郎が逮捕された日に大泉の家に電報が届いており、地下活動をおこなっている幹部は誰にも住所を教えていないはずで他所から電報が届くことなどありえず、それが特高警察からの「野呂逮捕」を知らせる電報であったことを大泉自身が認めたのである。

そして、小畑の場合もスパイでなければ考えられないような不審な行動がいくつも出てきたことから調査をさらにすすめようとしたときに、その途中で小畑が心臓発作を起こして急死してしまう。(特異体質にもとづくショック死か、内因性急死としての心臓死と推定されている)

この後、党はこの調査にもとづいて2人がスパイであったことを「赤旗」に公表し、党からの除名追放という処置をとったが、宮本氏がその直後に別のスパイの手引きで逮捕されてしまった。
また、最後に残った党の幹部である袴田里見も35年の3月に逮捕され、党中央の組織的な活動は袴田里見の逮捕を持って中断させられてしまう。(党の再建は終戦の年(1945年)にまで待たねばならない)

日本共産党の社会的な信頼をくつがえそうとした特高警察の目論見の破綻!
ところで、小畑急死の事実を知った特高警察は「銀行ギャング事件」に続く共産党攻撃の格好の材料だといって喜び、「権力争いからのリンチ殺人事件」といった逆宣伝を大々的に展開していく。
そして、それが共産党の社会的信頼を崩そうとした特高警察の「銀行ギャング事件」につぐ第二の作戦となった。

これが、いわゆる「共産党リンチ殺人事件」、正しくは「治安維持法等被告事件」にかかる事実経過の全体像であるが、急死したスパイをつかって「リンチ殺人事件」をでっち上げようとした特高警察のシナリオも、戦時中の反動法廷における宮本顕治氏の緻密な法廷闘争によって打ち破られる。

戦時下の暗黒の法廷をもってしても「殺人」との認定はできず、日本共産党に「殺人」の罪をなすりつけようとした特高警察の陰謀は崩れ去っていった。

日本共産党の持つ社会的信頼と道徳的権威について(鶴見俊輔氏と自民党の共通点)

戦後日本を代表する知識人の一人でもある鶴見俊輔氏の日本共産党への評価について!

『多くの転向者を出しながらも、日本共産党がほかの諸政党に比べられるとき、その特徴となるのは非転向性である。日本の思想は実にぐらりぐらりと外的な刺激に応じて「移動」してゆく。・・・・・すべての陣営が大勢に順応して、右に左に移動して歩く中で、日本共産党だけは創立以来、動かぬ一点を守り続けてきた。それは北斗七星のようにそれを見ることによって自分がどの程度時流に流されたか、自分がどれほどダメな人間になってしまったかを計ることのできる尺度として1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられてきた。』
岩波新書:久野収・鶴見俊輔共著 「現代日本の思想」(1956年刊行)より抜粋

この一節は戦後日本の代表的な知識人の1人である鶴見俊輔氏が戦前の日本社会でマルクス主義が果たした役割について評価を与えたものであり、この一節を含んだ岩波新書「現代日本の思想」は有識者を中心に長い間読み継がれてきており、今でも名著とされている。

images1244はたして鶴見俊輔氏は非マルクス主義の立場に立つ哲学者であり、マルクス主義や日本共産党にたいしても辛い立場にたつ採点者であったにもかかわらず、この一節においては戦前の日本社会における日本共産党の役割につき、実に意味深い評価を下していることが読み取れるだろう。
また、付言するならば鶴見氏はこの一節において戦前から戦中にかけての日本共産党の存在と活動が社会に与えた影響がどのようなものであったのか、その具体的なイメージをも浮き彫りにしている。

すなわち、軍国主義の深まりと侵略戦争の推進、そしてそれにともなう社会の右傾化によって日本のほとんどの知識人が時勢に流され、また自ら時流におもねり右へ右へ「移動」していくなかで、日本共産党だけはそのような反動的な時流に流されずに動かぬ一点を守って立っていたというのである。
そして、日本の多くの知識人が時流に流されずに一点を守り続ける日本共産党を仰ぎ見ることで、自分はこれだけ間違った方向へ流されたんだな、あるいはこれだけダメな人間になってしまったんだなということがわかる尺度としての役割を同党の存在が果たしてきたというのである。

すなわち、かの時代の多くの知識人にとって、日本共産党はいわば自分の良心や良識がよるべき本来の位置とは何かを指し示す存在だったのであり、このような意味で同党は日本の多くの知識人にとって『北斗七星』の役割を果たしきたのであった。

名著「現代日本の思想」における鶴見氏のこの評価が戦後にマルクス主義の立場とは異なった思想家から戦前・戦中の日本共産党に与えられた幾多の評価の内でも、もっとも代表的なものであり、実際に同党は鶴見氏のこの言葉に表現されるほどの影響力を戦前の活動の時期に社会へと与え続けていた。

このように戦争と軍国主義の時流に流されずにそれに抗し、権力のすさまじい弾圧にもめげずに反戦平和と主権在民の主張をつらぬく日本共産党の姿は知識人層を中心に日本社会のなかに少なからぬ社会的信頼道徳的権威を築いていったのである。
そして、激しい迫害と困難の中で動かぬ一点を守り通した日本共産党の存在は暗い時代においても民主主義の流れ、平和の流れのともし火を絶やすことなく守り通して、それを戦後の民主主義と平和の流れへと脈々とつないでいく役割をも果たした。

自由民主党の党内研修用教科書における日本共産党評価とは!
このことについては同党が嫌いで嫌いでしかたがなく、できればこのような政党は消えて無くなればよいと思っている政治勢力の代表である自由民主党でさえも認めざるをえなかった事実が存在する。

自民党が党内で勉強する際に使用する「研修叢書」と呼ばれる教科書の一冊に「日本の政党」という冊子があり、このなかに日本共産党についての一節があるが、そこで同党につきこのように述べているのである。
「社会党を含めてほかの政党が何らかの形で戦争に協力したのにたいし、ひとり共産党は終始一貫して戦争に反対してきた。従って共産党は他党にはない道徳的権威を持っていた。」

このように自民党の党内むけの研修冊子でさえも認めざるをえなかったように、戦前から戦中にかけて日本共産党は知識人を中心に日本社会のなかで少なからぬ社会的信頼を築き上げていたのであり、大きな道徳的な権威さえも獲得していた事実はなんびとも否定しえない。
そして、「宿敵」である自由民主党による日本共産党へのこのような評価は「現代日本の思想」誌上における鶴見俊輔氏による同党評価の“公平さ”と客観性を保証するのに充分な材料となっているだろう。

日本共産党サポーターである筆者も鶴見氏などが指摘する同党の社会的信頼と道徳的権威を認めており、ソ連や東欧を中心とした「社会主義世界体制」(スターリン・ブレジネフ体制)が崩壊したにもかかわらず、スターリン・ブレジネフ的な「民主集中制」という反民主的な組織原則に同党がいまだ固執し、長期間にわたって国民の支持を失い続けている現状があってもこれだけは基本的に揺らぐことがない。

そして、できれば21世紀の民主主義のレベルにふさわしい民主的な組織原則を持った政党へと日本共産党が脱皮し、幅広い国民各層からも認知されて政治的な影響力を飛躍的に増大していくことを願っている。

「高校無償化」からの朝鮮学校の排除はなにが問題か!

脱北した元朝鮮労働党幹部が日本の朝鮮学校の実体を“暴露”か!
元朝鮮労働党統一戦線部幹部であり、今は脱北した張真晟なる人物が韓国のインターネットニュースで朝鮮学校の“驚くべき実体”を公表したとの情報が、拉致問題に取り組む「救う会全国協議会」のニュース報道などを通して伝えられたという。

それによると、朝鮮学校は通常の外国人学校と異なり、北朝鮮教育省の下ではなく朝鮮労働党の対外工作部門である統一戦線部の管轄にあり、その性格としては教育機関というよりは「対外工作機関」に近いというのである。
また、朝鮮学校で使用される教科書も朝鮮学校の教員が自前で作るのではなく、朝鮮大学校で作られた教科書の草案が北朝鮮に送られて修正され、金正日の決済を受けてから作成されるのだそうだ。

images1155北朝鮮イデオロギーに服従する人材とマンパワーの養成期間であり、だから、朝鮮学校の教育費も当然金正日が責任を負うべきで、「高校無償化」の対象として日本政府が負担すべきではないというのである。

(救う会全国協議会HPを参照のこと)
http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=2106

日本社会での現実の朝鮮学校の姿とは!
だが、日本国内における実際の朝鮮学校の様相はこの元労働党幹部氏の言うようなおどろおどろしいイメージとはだいぶ異なっている。
日本の多くの国公立・私立の大学では「高等学校を卒業したものと同等の学力がある」として朝鮮高校の卒業生に入学資格を認めており、その数も増え続けている。

また、高野連や高体連、日本サッカー協会などが全国高校野球選手権大会やインターハイ、全日本高校サッカー選手権大会への朝鮮高校の参加を認めており、2009年度の全国高校ラグビー選手権では大阪朝鮮高校が3位に入るというみごとな成績を残していることも広く知られた周知の事実だ。

このような朝鮮高校をめぐる現在の社会・教育環境は日本社会が朝鮮高校を日本の高等学校に準ずる教育機関として認知していることを示しており、現実の姿は元労働党幹部氏の言うようなイメージとは程遠い。

また、東京の朝鮮中高級学校の事例によると同校の在校生は朝鮮籍と韓国籍の生徒がほぼ半分ずつを占め、わずかに日本国籍の生徒も在籍しており、日本の大学や専門学校に進学する生徒も多いという。
そして、生徒たちはすべてが在日コリアンの3世や4世であり日本の社会に根をはり生きていこうとする生徒たちばかりなのだが、ここにも元労働党幹部氏の言うようなイメージとはかけ離れた朝鮮学校の現実の姿がある。

(なおしんぶん「赤旗」に東京朝鮮中高級学校への取材記事あり)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-10/2010031014_02_1.html

国際条約や憲法などは在日コリアンの学習権を保障している!
ところで、朝鮮学校は第二次大戦後、日本の植民地支配から解放された直後に戦時中に奪われた自国の言語や歴史を取り戻そうとの目的でつくられており、日本政府の批准した子どもの権利条約では出身国の言語や価値観を伝える教育を保障し、また自分の文明と異なる文明に対する尊重を育成すべきことが規定されている。

また、日本国憲法にも教育を受ける権利や法の下の平等などの原則が掲げられており、法制度のうえでは在日コリアンの子弟にも普通教育とマイノリティー教育(民族教育)を受ける学習権が保障されていると言ってよい。

このように、法制上からも、現実の教育内容のうえからも朝鮮学校は「高校無償化」の適用対象としての要件を充分に満たしており、この「無償化」制度から朝鮮学校を除外しようという鳩山政権内の中井拉致問題担当大臣など一部閣僚の動きには道理もなく説得力に欠ける。

たしかに、元労働党幹部氏や大阪府知事の橋下などが言うように朝鮮学校の現場には金日成・金正日父子の肖像画が掲げられ、世界で最も国の建設に失敗した金親子と北朝鮮を称賛・崇拝する教育もおこなわれていることも事実だが、これは北朝鮮の現政権の金父子神格化教育が直接に朝鮮学校の民族教育に持ち込まれたことから起こる歪みに他ならない。

だが、これを理由として在日コリアンの子弟に対するマイノリティー教育(民族教育)を否定し「高校無償化」の対象から朝鮮学校を排除することは、北朝鮮の現政権が未来永劫に渡って存続することなどありえない以上は、マイノリティー教育(民族教育)を保障した子どもの権利条約や何人にも学ぶ権利を保障する日本国憲法の趣旨に照らしても道理がないと筆者は思う次第だ。

この問題をめぐる長期的な「国益」とはなにか!
また、拉致問題の解決が喫緊の課題であることは言うまでもないが、だからといって「拉致問題が進展していないから、朝鮮学校に援助の手を差し延べるなどけしからん」という感情的反発も賢明ではない。

もっと長い目で物事を考えるべきであり、将来において在日コリアンの子弟が成人して日本社会の有力な構成員となった時に、彼らが日本と母国との関係が険悪な時でも日本政府は自分たちの教育に援助の手を差し伸べてくれたという記憶とともに生きていくか、あるいは拉致問題などという自分たちに直接責任のない事柄で理不尽な差別を受けたという記憶を背負って生きていくかでは、将来の「国民の利益」という立場から考えた場合にどちらが理性的な対応であるかは自明であり、火を見るよりも明らかだ。

それゆえ、鳩山政権の一部の閣僚が朝鮮学校を「高校無償化」の対象からはずそうとの「朝鮮学校はずし」の動きにはこの点でも道理がなくとても賛同できない。

銚子市立病院再開をめぐる問題点について(“怪しい”市有地売却問題など)その

大学キャンパス前の市有地売却話は大学側への第二の利益供与となりかねないこと!

ところで、例の「病院再生準備機構」から病院再開のためには老朽化した病院のリニューアルをおこなって欲しいとの要請があったという。
そのために銚子市は急きょ、病院の外壁等の修繕工事費1億5千8百万円を3月の補正予算に計上し、その財源を大学キャンパス前の市有地を大学側へ売却した土地代金で賄うことにしたようだ。

だが、大学側と銚子市との間には大学側への当初の寄付金からその一部である22億5870万円の返還をおこなうことが合意されており、さらにそのうちの7億4300万円分は「文化施設」という形での間接的な還元をおこなうとの協定が存在している。
この協定は04年(平成16年)に取り交わされ、それにもとづき当時の市長(野平氏であるが)が市議会にて「加計学園は7.43億円を財源として平成20年度(08年)に美術館・博物館等の文化施設を建設することを約束」と公式に表明していることは周知の事実だ。

だが、この約束はその期限がとうに過ぎているにもかかわらず現在に至るも実現しておらず、文化施設建設の気配もいまだにない。それゆえ、この協定がうやむやのうちに約束不履行となるのではとの懸念は今でも払拭されていない。

しかるに、この協定の履行のないまま、大学前の市有地購入代金の支払いに先の文化施設建設にかかる還元金の一部を大学側が流用することを市長が認めたというのである。
還元金はその原資が銚子市からの大学側への巨額寄付の一部であり、そのもとをただせば市民の税金に他ならない。

それゆえに約束のあった文化施設の建設がうやむやとなり、そのための財源の一部が大学側の市有地購入の原資として流用される事態となれば、大学側は実質的に自らの懐を痛めることなく大学キャンパス前の市有地を取得することとなり、過去の巨額寄付などに続く大学側への第二の利益給与となる可能性がきわめて濃厚となる。

ところで、今回の場合は市立病院の外壁などの修繕工事は病院再開のための必須事項であるとされ、この財源を捻出するための大学前の市有地売却であるとの位置づけがされている。
このことは大学側への利益供与の可能性をはらんだ市有地売却反対の市民の声がその意に反して、即病院再開反対の声となるべくリンケージされていることを意味しており、病院の再開を人質に取った巧妙な利益供与となるようにあらかじめ仕組まれたものと疑うことはあながち理由のないことではない。

そして、市側が算出した大学キャンパス前の市有地の鑑定価格が1億5800万円であり、補正予算に計上された病院の修繕工事費も1億5800万円であることは偶然ではなく、金額の面でも両者のリンケージをことさら打ち出したものとなっているのである。

さすがに、野平市長も大学側に土地購入代金への還元金の100%流用を認めることは露骨過ぎると考えたのか知らないが、今では土地購入代金への還元金の流用はその金額の50%までへとトーンダウンする有様である。
病院再開は市民の切実な願いであるが、これを逆手にとった不明朗な一連の動きなどは警戒しなければなるまい。
images1187続きを読む

銚子市立病院再開をめぐる問題点について(“怪しい”市有地売却問題など)その

病院再開は新医療法人による公設民営で本当にいいのですか?
銚子市立病院を公約に反して全面休止し、銚子市民の「病院存続」の願いを無視した岡野前市長のリコール成立から早一年が過ぎ去ろうとしているが、ここへ来てようやく銚子市立病院は常勤医師2名からなる新医療法人のもとで5月1日に再開の運びとなった

images1166スタートは最低でも市の特別参与でもある笠井医師の内科外来から始めて、翌年3月末までには7名以上の常勤医師を確保し、5年後には10診療科、常勤医師30名、200床の完成形の病院を目指すという構想のもとでの再開となる模様だ。
また、2月下旬には公設民営で再開することとなった市立病院の受け皿(指定管理者)となる「医療法人財団銚子市立病院再生機構」の設立がおこなわれ、笠井氏を含む医師2名がこの新医療法人の立ち上げに参加したという。

さて、新医療法人を設立し公設民営での病院再開の運びとはなったもの、この新医療法人は資金の面では銚子市からの3200万円の出資金しかなく、スタッフも医師は2名にすぎない。
このように資金面でも人材面でもきわめて乏しく、また実績もない“弱小な医療法人”に銚子市民の願いである市立病院の再建を託すことに筆者はきわめて心もとない思いを禁じえない。

一昨年の市立病院の休止により旧医療スタッフは胡散霧消し、長期の医療空白も生じている。
このような困難で不透明な条件下に常勤医師わずか1名の「病院」を船出させることを想定すればそのリスクはきわめて大きく、再開後に赤字が出た場合の負担は誰がおこなうのか疑問も尽きない。

ここは銚子市が直接に病院経営に乗り出し、公設公営の病院としてその開設に伴うリスクをすべて引き受けることにすべきではないだろうか。
いわんや、5年後に10診療科、常勤医師30名、200床という病院の完成形を目指すのであればなおさら、銚子市が直接に乗り出さなくてはその実現はきわめて困難だろう。

聞くところによると、再開後の病院には老朽化した病院の外壁工事などに1億5800万円、および新法人への指定管理委託料2億円をそれぞれ5年間にわたって支出することが決まっているようだが、これだけのコストをかけるのであれば公設公営での病院再開が十分可能である。
現状では公設民営での再開はコストの面でのメリットもなく、なぜ病院再開にあたってこの方式にこだわるのか充分納得のいく説明を聞きたい。

「北教祖事件」に見る「特定政党支持」押し付け路線の害悪とはなにか!

民主党にまたぞろ「政治とカネ」の問題が持ち上がっている。
images1235それは小林千代美衆議院議員(北海道5区)陣営が北海道教職員組合(北教祖・日教組加盟)から違法献金を受け取っていたという問題であり、小林千代美衆議院議員側が北教祖から違法な選挙資金1600万円を受け取っていたという疑いで同教祖幹部3人と自治労北海道本部財政局長ら4人が政治資金規正法違反容疑で逮捕されたというのである。

最近の一連の事件は鳩山政権失脚を狙った「政治的謀略」か?
さて、この事件をめぐってネットの世界では「謀略論」が流布しており、それらによると、この1年の間に民主党国会議員の失脚を狙った大掛かりな事件が4件も発生しているという。

2009年3月におきた「西松建設違法献金疑惑」で小沢幹事長失脚を狙った謀略:
東京地検特捜部が小沢幹事長の公設第一秘書を逮捕(現在公判中だが無罪の可能性あり)

2009年6月に石井一民主党議員の失脚を狙った「口利き疑惑」の謀略:
大阪地検特捜部が石井議員からの「口利き」で偽装障害者団体に日本郵政の第三種郵便認可の便宜を図ったとする容疑で村木厚子厚生労働省元局長を逮捕(この事件は現在公判中であるが冤罪の可能性が大きいらしい)

2009年9月に鳩山首相失脚を狙い東京地検特捜部が「母親からの政治献金問題」で元秘書を在宅起訴(直後に鳩山首相は“納税漏れ”となった贈与税6億円を納付)

2010年1月に再度小沢民主党幹事長の失脚を狙い東京地検特捜部が「陸山会土地資金購入疑惑」で元秘書の衆議院議員他2名を逮捕

さて先の「謀略論」によると、これらの事件は戦後55年にわたって権力の座にあった自民党や霞ヶ関官僚、財界主流、大メディアなどの旧体制派が昨年の総選挙で誕生した鳩山民主党政権を攻撃して旧体制に引き戻すことを狙った「検察の摘発」という形での「謀略」であり、今回の「北教祖違法献金問題」も旧体制派によってひきおこされた五つ目の「謀略」だというのである。

そして先の「謀略論」によると、これらの一連の「謀略」の裏には大きな政治的背後関係がうごめいているらしいのだが、筆者はそもそも確たる証拠のない「謀略論」に信頼を置くべきではないと思うのでここから先のストーリーには興味はなく深追いする気もない。

だが、旧体制派が自らの復権をかけ権力中枢の尖兵である検察をどのような手を使ってでも用いる可能性は否定できず、また大手マスコミが検察からの情報をリークして関係者をあたかも犯罪者のように報道することでそれに加担することもありうることと思っている。

それゆえに「謀略論者」の主張していることも一概に否定すべきではなく、今回の「北教祖事件」も小沢・鳩山民主党政権つぶしを狙った政治的色彩の強い「国策捜査」であり「闘う組合である北教祖への狙い撃ち弾圧」だとの主張も理解できないわけでもない。

「北教祖事件」が浮き彫りにした特定政党支持路線の害悪について!
だが、今回の「北教祖事件」にはたとえそれが旧体制派による「謀略」であったとしても、それによって「免責」することのできない大きな問題がその背景にあることを指摘しなければならない。

それは労働組合が機関決定で特定政党(この場合だと民主党)の支持を決め、思想信条の違いのある組合員に選挙カンパや特定候補の選挙運動を押し付ける連合系労組の特定政党支持路線の誤りであり、そこに潜む大きな害悪の問題である。

そもそも労働組合は政党・政派の支持や思想・信条の違いを超えて構成員である組合員の切実な要求を実現するために団結する組織であり、特定政党支持を構成員に押し付けることは憲法で保障された思想・信条の自由を侵害するものであり、労働組合本来の性格を大きく歪めるものに他ならず、このようなことはただちにやめるべきである。

また、現在は労働組合内にあっても支持政党なしの無党派の構成員が増えており、このような構成員を機関決定により特定政党の候補者への選挙運動に動員したり、選挙カンパを強要することは常識外れの強制行為以外何者でもない。

そして、このような誤りが民主党が金も票も労組に頼りきりの丸抱え選挙をおこなっている現状の背後にあり、また労組からのヤミ献金という今回の事態の根っこにある。

images1366それゆえ、このような「北教祖事件」の背景にあるものを考えると、たとえ同事件が旧体制派による「闘う組合である北教祖への狙い撃ち弾圧」であったとしても弁解の余地はなく、今回の問題に関しては組合員が特定政党支持押し付けの機関決定をした北教祖幹部の責任を追及してその罷免や交代を要求すべきであり、少なくとも特定政党支持路線を清算して組合の選挙からの中立をはかり、労働組合員に政党支持の自由を保障する当たり前の民主主義を組織内に実現するべきだ。

連合指導部はいまこそ「特定政党支持」と「労資協調路線」を見直しすべきだ!
また、現在の民主党政権がさらに広範な国民の支持を得てその政権基盤を強めるためには、その「支持基盤」である連合労組が「特定政党支持路線」と「労資協調主義」といった二つの弱点を乗り越える必要があることを指摘したい。

連合指導部が特定政党支持の誤りを清算して組織内に当たり前の民主主義を実現し、さらには現在の退嬰的な「労資協調路線」を克服して組合員の切実な要求実現のために徹底的にたたかう組織に転換していってこそ、組合意の政治的な自覚が高まっていく。

こうしてこそ国民の中に旧体制派の策動を封ずる力が強まるのであり、国民が政権交代に託した切実な要求を実現する力が強まるのである。


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問題を抱えた国民投票法の5月18日施行は無期限で先延ばしとすべきだ。

憲法改定を目的として旧政権時に成立した国民投票法がこの5月18日に施行期日を迎えようとしているが、必要な法整備はまったく進んでおらず、国民投票法は形式的には施行されるが、事実上その発動が不可能な事態となりそうだ。

必要な法整備がまったく進んでいない国民投票法は重大な矛盾に直面しようとしているが、この現状を振り返ってみたい。

成立以来施行に必要な国会審議がいっさい進んでいない国民投票法!
来る5月18日に憲法改定を狙い旧政権与党が2007年5月に強行採決によって成立させた国民投票法がいよいよ施行期日を迎えることになる。

だが、この法律自体が宿題のついた「未完成」の法律であり、「18歳」とされた国民投票年齢をめぐって、民法や公職選挙法などの関連法制の整備を成立から3年の間に進めることが必要だったにもかかわらず、現在に至るもこれらの問題をめぐる国会審議が一切進んでいないという。

そして、今からでは関連法の整備を5月18日までおこなうことは事実上不可能であり、このままではたとえ法律が施行されても憲法改定を目指した改憲発動をおこなうことができず、改憲勢力による強引な改憲策動は思っても見ない「暗礁」へと乗り上げることとなりそうだ。

さて、こんな重大な欠陥を持った法律が成立した経過を振り返ると、そこには「憲法を頂点とした・・・戦後レジームを大胆に見直す」と宣言した当時の安倍政権が「自分の任期中」と期限を区切っての改憲を掲げていたという政治的背景がある。
images1114そして、「任期中の改憲」を急いだ安倍政権は2011年までに国民投票を実施するという「工程表」までつくり、「逆算」で強引に同法を自公両党の数の多数で押し切ったのであり、このことが宿題つきの未完成な法律を生む最大の要因ともなった。

また、5月18日という法律の施行日が間近に迫っているにもかかわらず関連法の整備という宿題がまったく進んでいない事態の背景には、「九条の会」の広がりに見られる「憲法を守れ」という広範な国民世論があり、また深刻な格差と貧困をもたらした「自公政治ストップ」の国民の怒りの広がりがある。

「任期中の改憲」を目指した安倍政権の参議選敗北を契機とした早々の退陣、および、政権交代を実現した昨年の衆議院選挙で「改憲勢力」の民主党が憲法改定をマニフェストのなかに掲げることができなかったことなどがこのことを象徴的に示しているだろう。

また、国民投票法が本当に必要な法律であるならば、この3年間に審議されずに放置されてきた状況は有りうべからざることであり、このことは国民が改憲そのものも、そのための手続き整備も要求しておらず、まさに同法が「必要のない法律」であることの証明であり改憲策動の重大な破綻でもある。

そして、かかる現状にあっては国民投票法の必要性を正面から問い直すべきであり、改憲反対の立場から「法律そのものの廃止」という主張が出てくることは避けられず、少なくても国民投票法の施行は無期限で延期とすべきであろう。

国民投票法自体の持つ不公平で非民主的な問題点について!
さて、関連する法整備がまったく進んでいないという問題に加え、国民投票法自体の持つ重大な問題点をもこの際に指摘しないわけにはいかない。

この法律はそもそもが中立・公平な手続きを定めたものではなく、改憲案を通すためのカラクリが潜んだものであり、当時の自公与党と民主党の合計議席が国会の総議席の95%を超えるもとで、この圧倒的多数による改憲発議が投票で否決されると国会が国民の多数の意思を代表していないということが明らかになるため、法律には改憲案を絶対に通すための工夫がちりばめられている。

特に問題なのは巨額な資金が必要なテレビや新聞での有料の意見広告が投票日の二週間前までは自由にできることだ。
日本経団連は2010年代初頭までの改憲を目指しており、資金力のある財界や政党助成金などを山分けしている改憲政党などが金にあかせてテレビCMを展開することで「財界の資金でテレビが改憲派のCMで埋め尽くされる」事態の招来は避けられず、マスメディアの巨大な影響力を考えると改憲派と護憲派の真の公平を保つことは事実上不可能だ。

また、その一方でこの法律は五百万人といわれる公務員・教員には重大な規制を設けており、公務員・教員は「その地位を利用して国民投票運動をおこなってはならない」という規定を盛り込んでいる。

これは自分が憲法改正に賛成か反対かを表明する自由でさえも「国民投票運動」という名目で規制することにつながりかねず、その萎縮効果から公務員・教員の主権者としての自由を奪うことにもなり、強いては国民投票の公正さそのものをも破壊しかねない。

このように公務員や教員には重大な規制をかける一方で、改憲勢力には「金の力」で宣伝行動を独占することを許すなどの重大な問題点を国民投票法は孕んでおり、この法律には改憲案を通しやすくするための不公正で非民主的な仕掛けがたくさん盛り込まれていることは否定しがたい。

憲法9条改悪と一体で改憲派に有利な仕組みとなっている国民投票法の5月18日の施行は必要な法整備がまったく進んでいないということと併せて見送るべきであり、根本的な見直しの議論をおこなわずに“なし崩し的”に法を施行することは認められないだろう。
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自民党内の9条改憲による徴兵制導入に向けた議論の存在について

憲法改定で徴兵制の導入を検討しているらしい自民党!
日本経済新聞のWeb版であるNIKKEINETなど一部マスコミの報道によると自民党の改憲案検討機関である憲法改正推進本部において、徴兵制の導入を含んだ方向での改憲案の検討が進んでいるらしいことが報道された。

ただ、この一部メディアの報道を受けて自民幹事長の大島氏は「自民党が徴兵制の導入を検討することはありえない」との否定の談話をあわてて発表したという。
(下段にNIKKEINET報道の本文を転載)

「自民党の憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)は4日、集団的自衛権の再検討などを柱とする論点整理をまとめた。
「兵役義務について詰めた検討を行う必要がある」と徴兵制の検討を示唆する表現も盛り込んだが、大島理森幹事長は同日夜、「他の民主主義国家の現状を整理したにすぎず、わが党が徴兵制を検討することはない」との談話を発表した。」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100304NT001000504032010.html

論点整理というのは大雑把に言えば、今こんなことを検討中ですよということを公表したものであり中間報告のようなものであるが、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係についてさらに詰めた検討をおこなう必要がある」と意味深な内容を含んでおり、改憲案の作成に当たってドイツ憲法に国民の兵役義務が定められている事例などを参考にして議論を進めるというのである。

images2323自民党の大島幹事長は「わが党が徴兵制の導入を検討することはない」と懸命に火消しのコメントをしているが、同党内での議論のベクトルの方向は徴兵制導入に向かっていることは否定しようがないだろう。

9条改憲と徴兵制を結びつける議論の持つ脆弱性について!
選挙で大敗してその本性がむき出しになったかのごとき自民党内でのこの危険な火遊びの議論を聞いて思い浮かぶことは、護憲派がつねに口癖のように繰り返している次の決まり文句だ。

「憲法9条がなくなれば徴兵制が導入される」
日教組なども昔から「教え子を戦場に送るな」を運動の原点として、ことあるごとにこのスローガンを世に発し続けているが、これも間接的には9条がなくなれば徴兵制がくるということを表現したものであり、先の決まり文句と同じ地平の上にあるといってよい。

だが、筆者はこの決まり文句には大きな“落とし穴”があることを指摘しないわけにはいかないのである。
なぜなら、このスローガンにもとづき9条改憲反対を主張するかぎり、仮に9条をなくしても徴兵制の導入がなければ改憲への障害はぐっと低いものとならざるを得ず、ある意味でこれが危険なスローガンとなる可能性が秘められているからである。

images2324今年の5月には国民投票法の施行が予定されており、これが実施されれば9条をなくすかどうかの国民投票が現実の日程に上ってくる可能性は否定できず、もしも9条をなくしたい改憲派が今回の自民党の大島幹事長のように「私たちは徴兵制など考えておりません。なぜならハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに不慣れな徴兵された素人を戦闘員として参加させた場合に、そのデメリットのほうがはるかに大きいからです。」と理路整然とした理由をもちだして、テレビCMなどで大々的に“徴兵制は考えていませんキャンペーン”を展開し始めたらどうだろうか。

このキャンペーンによって「9条の廃止イコール徴兵制の導入」という立場にたった9条擁護論は容易に破られることは想像に難くなく、9条の廃止を自分の身に降りかかる大きな災いであると認識できない国民が続出することは避けられない。

国旗・国歌法の導入時に見る巧みな戦略とは!(迂回戦法の巧みさ)
だが、改憲派のこのようなキャンペーンが巧妙に仕組まれた迂回戦術であることを国民はまもなく思い知らされることになるだろう。
1999年に成立した国旗・国歌法は当初、教育現場には強制しないことを理由に法制化が実現したのであるが、この後、しばらくすると実質的な強制色がどんどんと強まり、石原都政のもとで東京都の公立学校では君が代と日の丸を起立・斉唱せざるをえなくなった。

一部の都議らが尖兵となり教育現場での国旗・国歌強制がおしすすめられ、とうとう東京都教育委員会の2003年における日の丸・君が代通達(10.23通達)により教育現場での日の丸・君が代の全面的な強制が始まり、それ以来毎年のように数多くの“違反者”への過酷な懲戒処分が繰り返されることになってしまったのである。

ここに至っては「まったくもって話が違う」といっても後の祭りなのであり、巧妙な迂回戦術の成功の典型例がここに存在する。

もし、改憲派が9条廃止と同時に徴兵制の導入を企てれば国民の猛反発は避けられず、そのような改憲案は国民投票というハードルを越えることはできないだろう。
だが、国旗・国歌法の事例に習い、改憲派がいったん徴兵制を否定する素振りをしながら棚上げした場合には様相が変わってくる。

9条廃止に成功しさえすれば、改憲派は国際情勢の変化につけこみながら次第に憲法の解釈変更などを積み重ね、徴兵制の導入を企てることは必定だ。
徴兵制が導入されてしまってから「話が違う」といっても、後の祭りであることは国旗・国歌法の場合とまったく同じなのである。

さて、筆者は自民党による徴兵制導入の含みを持った改憲案報道を聞いて、これは改憲派による知恵にたけた巧妙な高等戦術のような気がしてならない。
徴兵制導入のアドバルーンを一度揚げては引っ込めて、国民世論を安心させておきながら改憲のハードルを乗り越えた暁に、それ(徴兵制導入)を国際情勢の変化などを理由に公然と持ち出す。

改憲派の迂回戦法には気をつけたい!

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