光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2010年04月

普天間問題の解決の選択肢としては国外移設が適切であること(テニアンへの移設)その

政権交代によって普天間基地の国外移設という展望が開けたこと!
だが、昨年の総選挙で「最低でも県外移設」を掲げた鳩山政権が登場したことで、これ以上基地による苦しみは受忍し難いという沖縄の人々のなかに溜まっていた深い思いがマグマのように噴出しはじめるきっかけが作り出され、それが歴史を動かす力として浮上してきたのである。

そして、米軍の「抑止力」という枠組みから抜け出すことのできない鳩山政権のこの半年間にも及ぶ移設先探しをめぐる「迷走」は、幾多の県内や国内の移設候補地での反対世論を高めることで、県内・国内移設の可能性をおしなべて潰してしまった。
また、鳩山首相本人が辺野古沖の埋め立てに反対しており、社民党の福島党首も連立離脱をちらつかせているなかで、もはや辺野古沖に基地を造ることも事実上不可能な状況となっている。

images2248このような中で、北マリアナ連邦議会の上院が誘致決議をあげたことで、普天間の移設先としてテニアン島が急浮上し始めており、こうして、米国の「抑止力」の枠組みから抜け出せない鳩山政権にとっては唯一の解決策として国外移設しかないという状況が生まれつつある。

また、地元で誘致決議のあがったテニアン島への移設であるならば軋轢も少なく、かつ世論の一致も得やすいはずであり、後は内閣や国会がこの方向で意思決定しさえすればよく、残った問題は米国の受け入れだけとなるだろう。

こうしてテニアンへの国外移設が実現できたならば、普天間基地の無条件撤去をめざす人々に不満は残るものの、現状では非常に有力な普天間問題の解決策になることは間違いないだろう。
鳩山内閣は5月末までに普天間問題の決着をつけることとなっており、また「迷走」が繰り広げられる可能性は否定できないが、国民の世論と運動により国外移設を実現させる展望は大きく広がってきている。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161169-storytopic-3.html(北マリアナ連邦議会上院での誘致決議関連記事:琉球新報)

普天間問題から政権交代の意義を考える!
さて、普天間問題をめぐるこのような事態の展開を作り出すきっかけとはなんであったかを振り返ると、それは昨年の9月の総選挙であり、自公政権から「普天間基地の県外・国外移設」を公約する鳩山民主党政権への政権交代であった。

たしかにこの間に、鳩山政権が国民がここを変えて欲しいと願っている肝心要の多くの問題で後退と裏切りを重ねてきたことは事実であり、「民主党には失望した、しかし、自民党への逆戻りもごめん」との世論が広がっていることは否定できない。
だが、普天間問題に焦点を当てて考えた場合に、昨年の政権交代の意義を否定したうえで、現在を国民が「二大政党」にまるごと不信を突きつけている政治情勢と断定することは表面的で皮相な分析と言わざるをえないだろう。

普天間問題で自らの力と声が政治を動かしうることを国民が学ぶことになれば、基地問題にかぎらず多くの分野で政治の前向きの流れが作りだされていくことだろうし、その力が民主党政権に国民の要求の実現に正面から取り組むことを「強制」するだろう。
だが、自民党政治の復活を許してしまったらこの流れの芽は確実に摘み取られていくことになるだろうし、現在の二大保守政党の圧倒的優位という国政上における力関係のもとでの「民主党ノー」は自民党政治の復活とイコールに他ならない。

当面の国政をめぐるたたかいの焦点は、自民党とその悪政に加担し続けてきた公明党、および雨後のタケノコのごとく乱立しているが自民党の別働隊に他ならない“みんなの党”などの「新党」群、これらを総体として国民のなかにおいて少数派に追い込んでいくことであり、そのために参議院選挙において反自公勢力が幅広い選挙共闘と協力をおこなうことである

そして、そうすることで昨年の政権交代によって生まれた政治の前向きの流れを絶やさないことであり、けっして自民・民主以外の第三極の形成に力を注ぐことでもないし、“確かな野党”の躍進に全力を注ぐというセクト的な対応でもない。
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普天間問題の解決の選択肢としては国外移設が適切であること(テニアンへの移設)その

沖縄の米軍用地使用問題をめぐっておこった代理許可拒否の問題!
1990年代の後半、沖縄県の米軍基地の問題をめぐって大きな事件がおこった。
米軍の軍用地は米軍が沖縄の住民から強制的に取り上げたものがほとんどであるが、この無法行為に合法的な体裁を取り繕わせるための法律がある。

それは「駐留軍用地特別措置法」と言い、地主が米軍に軍用地として提供を拒否しても、市町村長や沖縄県知事が地主の代理で許可をすれば地主の意向に反しても合法的に軍用地として使用できるというものだ。
そして、この法律では軍用地にたいする一定の使用期間が定められており、その期限が切れるごとにあらためて代理許可の更新を繰り返す仕組みになっているのである。

images2216さて、90年代の後半に「象のオリ」と呼ばれた読谷村の米軍通信施設にかかる土地の使用期限が切れようとしていたなかで、いわゆる反戦地主が米軍に土地の提供を拒むという“事件”がおこった。
だが、この事件の発生時には地主の代理で許可をだせる読谷村長も土地の提供を拒否し、困り果てた当時の村山政権が大田沖縄県知事に「代理許可」をおこなうように要請してきたのである。

しかし、米軍基地の実態を知り尽くしていた太田知事がこの日本政府の要請を拒否したために、米軍がその土地を使用する法的な根拠を一時的に失うという事態へと展開していった。
そして、しばらくはこう着状態が続いたが、時の政権が「自社さ」連立の村山政権から自民党の橋本政権に変わってから事態が動き出す。

橋本政権は「駐留軍用地特別措置法」を突然に改めて、市町村長や知事が土地の提供を拒否しても、大臣や首相が許可を出せばその土地を米軍が合法的に使用できるようにと法律を大幅に改悪したのである。
そして、このことは市町村長や知事の権限を国が取り上げることで、憲法で保障された地方自治を侵害する最悪の行為でもあった。

現在でも自公政権が存続していた場合の普天間問題を想定してみた!
さて、現在熱い焦点となっている普天間基地の問題であるが、仮に自公勢力が現在でも政権の座にとどまっていたと仮定したならば、この普天間基地の問題はどう展開していただろうか。

images2238自民党の谷垣総裁や石破政調会長などは現在でも14年前の日米合意どおりに辺野古の海を埋め立てて、そこに新しい代替基地を建設することがこの問題の正しい解決の仕方であると主張しており、今でも辺野古の海への基地移設が焦点となっていたことだろう。
そして、辺野古のおじいやおばあがこの14年間の間に体を張って座り込みを続けて、基地受け入れを許さなかった事態を打開するために強権的な手法を採用していただろう。

橋本政権の時代に基地への土地の提供をめぐって法律を改悪し、知事などの自治体首長の権限を取り上げてまで政府が軍用地への土地の提供を強行したように、地元住民の意向を踏みにじって辺野古の海での新基地建設を強行したことであろうことは想像に難くない。
その△紡海

現代日本の抱える「成長の止まった国」、「国民の貧しくなる国」という異常事態とはなにか!その

日本経済の健全な成長のためには“革命的な経済成長戦略”への転換が必要だ!

今、民主党と自民党の間でお互いに「成長戦略」を持っていないとの非難合戦がおこなわれているが、「構造改革」や「新自由主義」、あるいは「トリクルダウン理論」という枠組みから抜け出すことのできない両党の「成長戦略」では、日本経済が直面する深刻な危機を打開していくための効果的な“処方箋”を示すことができない。

ごく一握りの大企業や大資産家が富を独り占めする現在の経済システムを切り替えて、莫大な企業の内部留保と利益を国民の暮らしに還元していくための新しい経済システム(ルールある経済社会)に転換する必要があり、日本経済を家計と内需主導の健全な成長の軌道に乗せていくための抜本的な処方箋が必要である。

いまや、財界系のシンクタンク(野村総研)からも「過剰な企業貯蓄」の社会的な還元を必要な成長戦略として求めるレポートが発表されるなど、立場を超えて大企業の内部留保を庶民の生活に還元する経済システムへの転換が注目され始めており、“革命的な経済成長戦略”への転換が待ったなしの状況である。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/2556(過剰な企業貯蓄についての関連記事)

現在の異常事態から見た消費税の問題点!
ところで、現在の財政赤字は莫大であり、将来の借金を減らすためにも増税が不可避であることは何人も否定できないが、その際の判断の基準とすべきは何処から取るのかという問題であり、また、その影響や効果が現在の日本の抱えている貧困や格差の増大という問題の解決に役立つものであるかというところにある。

それでは何処から取るべきかと問われれば、「お金のあるところ」すなわち「大企業や大資産家のところ」から取るべきであり、「それが貧困の増大や格差の拡大を解決するために役立ちますか」と問われれば、「貧困層への再配分などの財源となり貧困や格差の解消に役立ちます」と答えることが可能だろう。

ゆえに、大企業や富裕層をめぐる現在の過度の優遇税制こそ見直されるべきなのであり、社会保障や財政再建などの財源の捻出のためには、これらの領域にメスを入れることがもっとも理にかなった「税制改革」となる。

昔、鼠小僧次郎吉と呼ばれた伝説的な義賊がおり、富めるものから金品を盗み貧しいものにばらまいたというが、今こそこの人物に倣って「構造改革」の下で拡がった貧困と格差の拡大を押しとどめ、富めるものから貧しいものへと富の再分配をおこなう「鼠小僧的税制」こそが必要とされるのである。
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だが、消費税の増税には道理がない。消費税は逆進的であり、すでに貧しくなっている庶民の懐に手を突っ込んでむしり取ろうとするものであり、くわえて現在の日本が直面している貧困の増大と格差の拡大という最大の問題の解決にまったく役立たない。
むしろ、消費税の増税は富の再配分と言う政策理念にもそぐわず、貧困と格差の増大という問題の解決に逆行しており、その解決を遅らせるだけだ。

また、消費税の増税は庶民の家計や中小企業の営業に大打撃を与え、ひいては日本経済に大打撃を与えることは避けられず、「成長が止まった国」および「国民が貧しくなる国」という異常事態からの出口を閉ざしてしまいかねない。

90年のバブル経済の崩壊を起点とした長い日本経済の低迷も出口が見え始め、ようやく景気回復の兆しが見え出した頃の97年に、橋本内閣が消費税の増税に踏み出したことでそれが挫かれてしまい、長期にわたる消費不況の引き金となった苦い教訓を忘れてはならないだろう。

現代日本の抱える「成長の止まった国」、「国民の貧しくなる国」という異常事態とはなにか!その

「リーマンショック」以降の経済の異常な落ち込みと自公政権による「構造改革」!

一昨年秋の「リーマンショック」以降、日本のGDPの落ち込みは先進国のなかでも最もひどく、わが国の経済は世界のなかでも特に深刻な状態に落ち込んでいるという。
images2166なぜ、こういうひどい落ち込みになったのか、その原因を捜し求めていくと「リーマンショック」前の10年間の経済状況にたどり着かざるをえない。

1997年から2007年の10年間に日本だけがG7(主要七カ国)のなかでただ一国だけGDPが伸びていない「成長の止まった国」となり、また同じ10年間に日本だけがG7の中でただ一国だけ雇用者報酬(労働者の賃金)が減少し、「国民が貧しくなる国」となった。

こうして日本だけが経済成長から取り残されてしまった渦中に、「リーマンショック」という米国発の大津波が襲ってきたことが現在の経済危機を特に深刻なものとしたのである。

ところで、「リーマンショック」前の10年間に日本社会を席巻したのが「改革」と言う名の新自由主義の過ったイデオロギーであったが、その大きな柱の一つが「トリクルダウン理論」と呼ばれるものであり、これによれば大企業や金持ちが豊かになれば「滴(トリクル)が滴り落ちるように」、いずれは庶民の懐も豊かになっていくはずであった。

そして、この「トリクルダウン」のイデオロギーによって自公政権は「構造改革」を推進し、「強い企業をもっと強くする。そうすればいずれは暮らしが良くなり、経済も成長する」という新自由主義の「成長政策」をしゃにむに推進したのである。

たしかに02年から07年まで戦後最長の景気回復期が訪れ、大企業は史上空前の収益を更新し続け莫大な儲けを手にしたのであるが、その儲けは労働者にまったく還元されなかった。いや、むしろ労働者に支払うべき賃金を企業は出し惜しんで、自分達の内部に貯めこんでいった。

この結果、98年から08年の間に大企業の内部に溜め込まれた内部留保は210兆円から429兆円へと219兆円も増え、ほぼ倍増の勢いで急増した半面で、ボーナスを含んだ労働者やサラリーマンの給与は平均で年32万円以上も減少してしまった。

そして、この間におこった社会現象は正規労働者から首切り自由な非正規労働者への大規模な切り替え、そしてリストラや賃金引下げ等であり、これらを通しての庶民からの露骨なお金の吸い上げであった。

また、新自由主義のイデオロギーには「自己責任論」と呼ばれるもう一本の柱があって、これによって人々は「貧しさも格差も全部自分自身の責任だ」と思い込まされたがゆえに、人々は税の徴収や社会保障などを通じての富の再配分に対する政治や行政の責任の放棄を許してしまった。

こうして、富める者がますます富み、貧しきものはますます貧しくなっていき、私達の国に空前の格差社会が出現することとなってしまったのである。
また、大企業の巨額の利益がその内部に過剰な内部留保となって蓄積され、それが少しも国民の暮らしにまわらずに家計はやせ細っていく一方となり、また、そのために内需も冷え込んでいった。

こうして、私達の国は「成長の止まった国」となり、また「国民の貧しくなる国」となって、「構造改革」を唱えた自民党の成長戦略は破綻してしまったのである
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その△紡海

普天間基地の撤去に向けて日本側は安保条約第10条をカードとして使え!

米軍基地退去を実現させた中央アジアのウズベキスタンとそれに踏み出すキルギス!
2001年9月のニューヨークにおける同時多発テロの後、米国のブッシュ前政権はこのテロの首謀者をビン・ラディン、および実行組織をアルカイダと断定。そして彼をかくまっているとの理由で、当時のアフガニスタンのタリバン政権に対し「対テロ戦争」と称する軍事攻撃を開始した。

images2299ところで、アフガニスタンに展開する米軍は、その周辺の国々の米軍基地によってサポートされながら軍事作戦を展開しており、そのための米軍基地がアフガンに隣接するウズベキスタンやキルギスに存在していることはあまり日本国内においては知られていない。
いや、もうちょっと正確に言えば、存在していたという過去形で表現するほうが正確かもしれない。

なぜならウズベキスタンに存在した同国南部のハナバード空軍基地は同国からの基地撤去要求を受け入れた米国が2005年の11月に基地の撤退を完了させているからだ。
また、注目すべきは日本政府が在日米軍に多大な「思いやり予算」を支払っているのとは対照的に、米軍が基地の賃貸使用料をウズベキスタン政府に支払っていたということである。(国際社会では「借地権」の保護はない)

他方、アフガンに展開する米軍をサポートするもう一つのキルギスの米軍基地も近い将来において退去に追い込まれる可能性がささやかれているという。
キルギスの場合、昨年の2月に同国の議会が米軍基地を閉鎖する法案を可決しており、この実行を無視し続けたことがバキエフ前大統領の最近の失脚の大きな要因であるとも言われている。
また、新しいキルギスの指導者は自らの国益に沿って米軍基地の存廃を決定すると断言しており、米軍基地の存続は予断を許さない情勢だ。

ウズベキスタンの米軍基地はすでに撤去され、キルギスの米軍基地は撤去される可能性が高まっており、米国の「対テロ戦争」にとって必要不可欠なアフガン周辺の最前線基地がその存亡の岐路に立たされているのである。

だが、自国の国益にとってマイナスと判断すれば毅然として退去を要求する両国の対応に米国としてはなすすべもなく、米国のアフガニスタン戦略は根本から見直しを迫られることは避けられない。

普天間基地の撤去には安保条約第10条が最良のカードになる!
このように米国が現在進行形で戦っている「対テロ戦争」にむけた最前線基地でさえ、代替施設の提供などなくして撤去されうるのであり、アフガニスタンからはるかに遠く、周辺地域も相対的に安定した沖縄にある一つの基地(普天間基地)が撤去できないはずがない。

むしろ鳩山政権は普天間基地の閉鎖を沖縄の民の意思を尊重する立場で米国に要求しさえすればよいのであり、代替地については米国のほうで考えてもらいたいという態度でよい。
もし、どうしても米国が代わりの基地を要求するのなら「ならばわが国は安保条約を再検討する」と毅然と対応することだ。

なぜなら日米同盟存続の前提条件である日米安保条約の第10条には以下の規定があるからだ。

「この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も他方の締約国に対し、この条約を終了させる意思を通告することができ、その場合にはこの条約は、そのような通告がおこなわれた後一年後に終了する」

images2277安保条約が締結されたのは1960年であり、条文に言う10年間の存続期間はとうに過ぎている。
現在は日本政府の一方的な終了通告のみで安保条約を廃棄できるのであり、その根拠がこの安保条約第10条である。
鳩山政権は安保条約をその規定に則って廃棄し、それを平和友好条約に変えるくらいの姿勢で普天間基地問題をめぐる対米交渉に臨めばよく、そうすれば同基地の撤去の道はおのずと切り開かれるだろう。

国民は海兵隊=抑止力という幻想の呪縛から自らを解放すべきだ!
さて、過去の自公政権からはじまり現在の鳩山政権にいたるまで、日本政府当局者は普天間基地の無条件撤去要求にたいして「それは無理だ」と言い続けており、さらにその理由に「海兵隊は日本を守る抑止力」であることを挙げる姿勢は現在まで変わることなく続いている。
だが、この「海兵隊は日本を守る抑止力」という言い分が幻想であることは米国の当局者が明言している。

◎「海兵隊は世界的な役割を果たす戦力投射部隊」(米議会予算委員会でのクリントン政権時のチェイニー国防長官答弁 1991年)
◎「(海兵隊は)いずれかの国の防衛にあたるものではない」(米上院歳出委員会でのレーガン政権時代のワインバーガー国防長官答弁 1982年)

また、日本の防衛省のスタッフもこの事実は十二分に認知しており、「海兵隊はいつでもどこでも出動する。特定地域の防衛に張り付くような軍種ではない」(柳沢防衛省防衛研究所特別客員研究員)と明確である。
すなわち沖縄の海兵隊は世界的な規模で「殴り込み」をかける部隊であり、日本防衛の任務を与えられた海兵隊員は一兵たりとも存在しないのである。

さらには沖縄の海兵隊に限らず在日米軍全体が「殴りこみ部隊」といっても過言ではなく、三沢基地の戦略空軍も世界的な規模の戦力投射部隊であり、横須賀を母港とする空母戦闘群(第七艦隊)もしかりである。
すなわち、在日米軍のなかには日本防衛の任務を与えられた兵士は一人もいないと言っても過言ではない。

それゆえ、安保条約第10条に則って安保条約の廃棄通告をおこない、軍事同盟から脱却した平和的な日米平和友好条約に切り替えることの可能性はけっして絵空事ではない。
現実的な根拠が立派に存在する。
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イラク戦争への深刻な反省と総括なしには「自民党再生」の資格などない!

小泉首相によるイラク戦争支持表明とブッシュ演説!
「現在の世界情勢を見るにテロ行為ほど残酷なものはないだろう。
まさに戦争と同じように残酷なものであり、ニューヨークのテロにおいても、あるいはワシントにおけるペンタゴンへのテロ攻撃においても、あるいはインドネシアのバリ島におけるテロ行為においても、まったく罪のない数千人の人々が命を落としているのだから。・・・・
こういう面からも、テロリストや危険な独裁者に大量破壊兵器が渡ったら世界がどのような危険に直面するかは、今後とも真剣に考えなくてはならないのであり、今後そのような不安を起こさないようなテロ発生を防止するような体制をとっていく必要があるし、イラクとの戦闘においても、できるだけ罪のない人に死傷者が出ないように配慮していく必要があると思っている。・・・・」

2003年の国会でイラク戦争にいち早く賛成したことの責任を問われた当時の小泉純一郎首相は、このように述べてイラクでの戦闘を開始したアメリカの方針を支持するにいたった理由を国会や国民にむけて説明した。

だが、イラク開戦に際して当時のブッシュ米大統領は国民にむけて演説をし、そのなかで敵に攻撃されて対抗措置をとるのは自衛ではなく、自殺行為だと明言する発言をおこなっている。
images2288そして、このブッシュ発言は米国のイラク攻撃が「外国から攻撃を受けて自衛権を行使する場合」と「安保理の決定があった場合」の二つに武力行使ができるケースを限定した国連憲章に違反しており、今回の攻撃はまぎれもない先制攻撃の戦争であり、法的にも無法な攻撃であることの告白に他ならなかった。

だが、小泉首相はこの指摘にたいし、前の年の国連決議(1441号)を挙げ、これはすべての国連参加国がイラクに対し大量破壊兵器を廃棄しなさいと要求し、なおかつ最後の機会を与えたものであって、大量破壊兵器の査察に協力せずこの決議に違反したイラクへの攻撃は国連決議に沿ったものであり、国連憲章に合致したものであるとの反論をおこなっている。
また、この論理は当時の米国の一方的な言い分をそのまま鵜呑みにしたものに他ならなかったことは言うまでもない。

国連の枠外でひきおこされたイラク戦争(先制攻撃による無法な戦争)!
しかし、国連の決議はこれを採択した国連の安保理を構成するすべての国が賛成して作られたものであり、その解釈は当然各国が同じものでなければならず、当然ながらアメリカだけが国連決議を独断的に解釈する権利を持っているわけではない

事実としてイラク戦争の開始前は大量破壊兵器の廃棄をイラクに要求した前年の国連決議(1441号)についての解釈をめぐり、安保理内でも意見が分かれており、決議無視を理由としたイラクへの武力行使についてはフランスやロシアや中国の同意が最後まで得られずに終わっている。
それゆえ米国のイラク攻撃は安保理の決定によらない国連の枠外の行動とならざるを得ず、先にやらなければ自殺行為になるんだという先制攻撃の論理による無法な戦争として開始されることとなった。

だが、小泉首相はアメリカなどによるイラクへの戦闘行為が、けっしてアメリカによる先制攻撃ではなく、あくまでも国連の決議にもとづく国連憲章に合致した行為だと言い張り、あげくは「後方支援」や「人道復興支援」と称してイラクへの自衛隊の派遣へと踏みこんでいった。

また、過去に自民党政府は橋本首相の時代に「あなた方(自民党)は戦後アメリカのおこなった軍事行動に対して反対したことがあるのか」との共産党の志位委員長の国会質問にたいし、そのようなことは一度もないとの答弁をおこなっている。
このアメリカ言いなりで自主性の欠落した歴代自民党政府の対応も問題であるが、小泉首相はイラク戦争を支持したことで、それを最悪の事態にまでエスカレートさせていった。

小泉首相はイラク戦争を支持することで、この国は「テロ国家」だ、ここは大量破壊兵器を持っているとアメリカが一方的に認定すればいつでも攻撃できるという、これまでの国際秩序、国連憲章にもとづいた秩序を根本から覆す、そういう世界へと導いたのである。

images2287大量破壊兵器が見つからなかったイラクと悲惨な戦争の結果!
また、その後に驚愕すべき事実が明らかとなった。
フセイン政権は崩壊したものの、問題とされた大量破壊兵器はいっさい発見されず、世界に先駆けてイラク攻撃に賛成した小泉首相は弁明に追われて次のように言い放った。

「私は(大量破壊兵器)はあると思う。今でもあると思う。これは水かけ論だ。フセイン大統領も、私は生死はわからないけれども、イラクに存在していると思う。見つかっていないけれども」

だが、フセインは見つかって処刑されたものの、肝心の大量破壊兵器はついに見つけられなかった。
イラク戦争の口実とされた大量破壊兵器をめぐって、米国では大統領直属の調査委員会が05年にその存在を否定し、アメリカと肩を並べて参戦した英国でも「開戦前にイラクは配備可能な生物化学兵器は持っていなかった」と同じく政府の調査委員会が04年に公式の報告をおこなっている。

images2297イラクの研究者によるとイラクでは戦闘や宗派間抗争を原因とする犠牲者の数は150万人にも達するとの推定が示されており、さらにこの戦争で家や家族を失った避難民は400万人にものぼると推定されている。
また、米兵の死者は4300人を超え、帰還した兵士にも精神疾患などの深刻な現実が待ちかまえており、退役軍人のホームレスは10万人以上にものぼっている。

これらがこの愚かな戦争の帰結に他ならず、人間の命についてはその「戦後復興」などありえない。

イラク戦争に賛成した政党や議員は恥を知るべきである。(深刻な反省と総括の要あり)!
さて、ブッシュ政権や小泉政権の誤った判断でこれだけの人々の命が失われたのであるが、この戦争には自民党と公明党の国会議員全員が賛成しており、これらの恥知らずの賛成議員からは一言でも反省の言葉や、犠牲者への思いをはせる言葉はない。

最近は「自民党再生」が巷間の話題にならない日は無いが、「構造改革」路線や郵政民営化だけではなく、このイラク戦争をめぐる誤りについても深刻な総括をしなければ自民党に再生する資格などないことを肝に銘ずるべきではなかろうか。

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』について思うこと(司馬遼太郎の戦争観)その

日露戦争のもたらしたものとは!(日本の軍事大国化への決定的転換点)
そして、戦争の長期化によりロシアの南進と日本の北進の双方を恐れた他の欧米列強が、それぞれの戦略的思惑から講和の勧告をおこない締結されたのがポーツマス講和条約であり、この結果として日本はサハリン(樺太)の南半分の割譲を受け、さらには朝鮮半島への支配権をゆるぎないものとした。(その5年後の1910年に日本は韓国を併合する

さらに日本は関東州(大連・旅順のある遼東半島南部)を確保し、南満州鉄道の利権を手に入れ、この後は「満州」への勢力拡大がわが国の国策となり、日露戦争は中国大陸への進出へと日本がのめりこんでいく大きな歴史的転機となっていく。

また、世界的な帝国主義列強間の軍拡競争は日露戦争によって拍車がかかり、それまでのイギリス・ロシア間からイギリス・ドイツ間へと軍拡競争の対抗軸が移ることで世界の権力政治の様相を一変させ、これは日露戦争の10年後にヨーロッパを中心とした世界戦争(第一次大戦)の勃発を誘発する要因ともなったのである。

images2271このように日露戦争は当時の日本の指導者がロシアの南下に対抗して朝鮮へ、さらには南「満州」へとその勢力圏を拡大させようとしておこった戦争であり、けっして「自衛戦争」と呼べるものではなく、当時の日本の対外膨張戦略が生み出した戦争であった。

また、日露戦争は日本社会に大国主義のイデオロギーを浸透させ、同時にまた軍部の日本政界における地位向上をもたらし、わが国が軍事大国へとつきすすめ決定的な転換点となったのであり、けっして「昭和の戦争は悪で、明治の戦争は良かった」という評価を成り立たせるものではない。

生前は原作の映像化を堅く固辞した司馬遼太郎!
ところで、司馬遼太郎は生前に多くの映画会社やテレビ局からの「坂の上の雲」の映画化やドラマ化にむけてのすべてのオファーを断ったという。

それは司馬本人が原作を映像化することでミリタリズムが鼓舞されることを恐れたからだと聞くが、この司馬遼太郎の生前の意思を斟酌すれば、韓国併合100周年を迎えんとするこの時期にNHKがあえて「坂の上の雲」のドラマ化に踏み切ったことに、どのような政治的な背景や思惑が介在しているのか理解に苦しむところではなかろうか。

かっての村山談話で日本政府は公式に「過去の一時期の植民地支配と侵略によって多くの人々、とりわけアジアの人々(当然に朝鮮半島や中国も含まれる)にたいして多大の損害と苦痛を与えたことを謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省と心からのお詫びを表明」したのだが、それにもかかわらず公共放送のNHKがこのような歴史認識と相反する「大作ドラマ」を複数年にわたって放映するのか、その見識を疑うべきではなかろうか。

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』について思うこと(司馬遼太郎の戦争観)その

昨年の年末を中心にNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放映され、かなりの反響を呼んだことは記憶に新しい。
images2266また、今年の年末にもその続編の放映が予定されており、さらにはこのドラマの舞台となった地元の松山市では、「坂の上の雲」をテーマとした観光中心の街づくりがすすめられているとも聞く。

ところでNHKが総力を挙げて制作し、昨年から3年かけて放送するスペシャルドラマ「坂の上の雲」の企画意図は以下のごとくであると言う。

「『坂の上の雲』は国民ひとりひとりが少年のような希望を持って国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った「少年の国・明治」の物語です。
そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。
この作品にこめられたメッセージは日本がこれから向かうべき道を考えるうえで大きなヒントを与えてくれるに違いありません。」

また、このドラマの原作は司馬遼太郎の同名の歴史小説であり、それは秋山兄弟という職業軍人の兄弟と正岡子規の生涯を通して「明るい明治」を描こうとした作品であると聞く。

そして、原作によれば秋山兄弟の兄の好古は陸軍の騎馬軍団の指揮官であって、「名誉の最後を戦場に遂ぐるを得て男子一生の快事」と書き残した滅私奉公の筋金入りの軍人であり、弟真之も日露戦争で連合艦隊司令長官として作戦参謀をつとめたという、これも筋金入りの軍人だというのである。
さらに正岡子規が早逝する運命にある以上は、今後迎えるであろうドラマの佳境では職業軍人の秋山兄弟をめぐる「人間ドラマ」が事実上の中心テーマとならざるをえない。

明治の軍備拡大路線(富国強兵)をこともなげに国の近代化と言いくるめ、日清・日露戦争で軍功をとげる軍人兄弟の歩んだ道を「希望に満ちた坂道」と文学的な修辞を使って美化し、ドラマを「明るい明治」をめぐる青春群像ドラマにしたてあげていくNHKの手法に、平和憲法下の現代と言う時代とのズレを感ずる人は多いのではなかろうか。

司馬遼太郎の戦争観について!(とくに日露戦争をめぐって)
ところで、司馬遼太郎はその原作のなかで、断片的ながらも数行をさいて自分の作品の基調をなす歴史観をこともなげに語っているというのだ。

そこで日露戦争は侵略戦争ではなく「愛国的栄光の表現」(文春文庫 新装版 第八分冊、P343)と表現され、さらには当時の「民族的共同主観のなかではあきらかに(日露戦争は)祖国防衛戦争だった。」(第八分冊、P360)と言い放っているという。

このものの見方は「司馬史観」とも呼ばれ、「日露戦争はロシアの南下政策のためにおきた自衛戦争である」といった歴史認識がいまだに多く人々をとらえていることと併せて、「昭和の戦争は(非合理な侵略戦争で)悪かったが、明治時代の戦争は良かった」という歴史認識の有力な論拠となっていることが多い。

そこで日露戦争がはたして、追いつめられた者が生きる力のぎりぎりの限りを尽くした防衛戦争であったという評価にふさわしい本当の意味での「自衛戦争」であったのか、はなはだ簡単であるが検証してみたい。(歴史研究者でもなくおこがましいが)

日本とロシア双方の膨張主義の衝突の産物としての日露戦争!(背後に英国の影)
さて、日露戦争の最大の原因は朝鮮半島と南「満州」への勢力圏拡大をめざす日本と、「満州」の独占的支配と朝鮮半島への進出を目指すロシアとの衝突にあり、それは日本側ならびにロシア側双方からの帝国主義的膨張政策の延長線上にひきおこされた帝国主義戦争に他ならなかっただろう。

当時の日本の国家指導者はロシアが南下してくれば朝鮮半島が危なくなり、朝鮮が危なくなれば日本もロシアの脅威に直接さらされるという過剰な危機感にとらわれ、先制攻撃戦略を発動して朝鮮へ、さらには南「満州」へと勢力の拡大に躍起になったのである。

それゆえに、この当時の国家指導者の「危機感」なるものは正しい意味での自衛戦略ではなく、自分たちみずからが膨張戦略をとっているがゆえにかもしだされる擬似的危機感に他ならなかった。

また、当時の欧米の帝国主義列強間の最大の対立軸はイギリスとロシアの間にあり、南アフリカのボーアでの植民地戦争の泥沼に足を取られ、自らは動きの取れないイギリスが「日英同盟」という軍事同盟を日本と結んで、極東でのロシアの膨張を押さえようとして生み出したのが日露戦争であり、当時の英・露という「二大強国」間の世界的な対立激化が日露戦争の大きな背景を形づくっていた。

このことは当時の日本が日露戦争の戦費18億円のうち40%をイギリスとアメリカに日本国債を買ってもらうことで、かろうじて戦費の調達に成功したことからも裏付けられよう。

その△紡海images2267

時代は日本共産党に日本国憲法党へと転換することを要求しているのでは!その

いまこそイデオロギー政党から日本国憲法党への転換点ではなかろうか!
ところで、この現実は日本革命の綱領を大幅に見直さなければ日本共産党の存在理由そのものが脅かされかねないほどの重大な性質を帯び始めているのである。

日本には戦後長期間にわたって、あるべき未来社会に向けての二つの理想(=綱領)が競合していた。
それは言うまでもなく日本国憲法日本共産党綱領の二つであるが、未来の理想社会をめざす戦後の社会運動のなかでは日本共産党綱領の日本国憲法に対する優位性はゆるぎないものと思われていた。
また、金持ちが主人公でしかないブルジョア民主主義よりも、圧倒的多数の働くものが主人公となるプロレタリア民主主義(=共産主義)のほうが断然の優位にあることは疑いの余地がないように思えた。

だがいまや状況は根本的に変化を遂げた。
時代はソ連や東欧の社会主義世界体制の無残な崩壊により共産主義の理想を失墜させ、それに反比例する形でこの国の進むべき理想=綱領として日本国憲法を押し出しているのである。

日本共産党綱領から社会主義革命が消えていき、事実上共産主義社会はたんなる古いユートピアの象徴にすぎない看板として綱領のなかに位置づけられている。
そして、いつのまにか米国からの自立と日本国憲法の平和的・民主的条項の完全実施をめざした資本主義の枠内での民主的な改革のみが現実の実践課題として語られるようになっていった。
こうして日本共産党の日常の実践では事実上、日本国憲法が革命の綱領となっているのである。

ここから日本共産党が共産主義というイデオロギーを政治綱領からはずし、「日本共産党」から「日本国憲法党」へと脱却すべき転換点へ、あと一歩の地点にあるということが見えやすい時代となったということを結論づけても論理的に無理な筋立てとはいえないだろう。

民主党政権は肝心要の問題で大幅後退や公約違反を繰り返して国民の失望をかっており、くわえて自民党の政権復帰もごめんだというのが現在における多くの国民の政治意識である。
政権交代前後から今にいたるまでの政治を前に動かそうとの国民の模索と探求は、今後強まりこそすれ弱まることはない。

そうであれば、日本共産党がイデオロギー政党から脱却して日本国憲法党となることで、国民のこの模索と探求にこたえることはまさに時代の要求にかなったことなり、国民のなかに一大ブレークをひきおこす可能性は限りなく大きいだろう。

だが科学的社会主義(=共産主義)の学的探求は必要である!
ただ付言するが筆者は共感主義のイデオロギーを清算すべきとは思っていない。
ただ、それを実践課題と政治綱領からはずすべきであり、資本主主義社会を乗り越え、あらゆる搾取と抑圧をとりのぞいた自由で平等な人間関係の社会の構築という共産主義の理想は理論的な探求の対象としては掲げ続けるべきであると思う。
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時代は日本共産党に日本国憲法党へと転換することを要求しているのでは!その

1989年の夏ごろから始まったのがいわゆる東欧諸国の激変である。
images2214同年の8月にポーランドでソ連従属の政権が倒れ、自主性の確立を旗印とした新政権が誕生したのをきっかけに、11月のベルリンの壁の崩壊、12月のルーマニアのチャウシェスク政権の瓦解へと波及し、翌90年に旧体制の崩壊は東ヨーロッパの全域とバルト三国にまで広がっていく。

この東ヨーロッパの情勢に日本国内の反共勢力やマスメディアからは「社会主義は崩壊しつつある。資本主義か社会主義かの体制選択の勝負はついた」との宣伝が洪水のように流された。
しかし、日本共産党は東ヨーロッパで崩壊しつつあるのは、対外政策では他国の主権を蹂躙する覇権主義、内政面では国民を抑圧する官僚主義と命令主義の体制を特質とする社会主義とは無縁のスターリン型の体制であり、そのような体制が崩壊しようとも同党の目指す科学的社会主義(=共産主義)の価値が損なわれることはけっしてないと同党の19回党大会において力説した。

また、旧体制の崩壊現象は91年にはスターリン型体制の本家であるソ連をも直撃し、ソ連共産党が解体へと追い込まれたが、ここでも日本共産党はスターリン以降のソ連社会は「社会主義社会」でも、それにいたる「過度期の社会」でもなく「社会主義と無縁の人間抑圧型の社会」であったと結論づけ、ソ連の崩壊とは社会主義が崩壊したのではなく、崩壊したのはスターリン、ブレジネフらの間違った社会主義体制であって、本来の社会主義の精神は今なお生きていると、これも同党の党大会で力説した。

このように日本共産党はソ連や東欧の一連の激動を経験した今日においても、同党の目指す社会進歩の展望は揺るがず、ましてや人類の英知の集大成である科学的社会主義(=共産主義)の価値は揺るぐことのないとの立場に立ち続けている。

ソ連や東欧の旧体制の全面崩壊の持つ深刻な意味!
だが、このソ連や東欧の事態はどこか一国で社会主義政権が過ちを犯したというレベルではなく、社会主義・共産主義という思想そのものへの世界史的な事実にもとづく審判であり、それも民主主義の決定的な欠如という根本問題をついた批判であって、科学的社会主義(=共産主義)の理論に根本的な変更と見直しをせまる大事件であった。

また同時に日本共産党にとっても思想的な源流を同じくするものとして、その責めを負わねばならない事態でもあったはずであり、影響なしとのスタンスは誤りであった。
こうしてソ連や東欧の出来事により日本国民の意識に国家体制としての共産主義は不要だという観念ができあがり、共産主義の政党は政権を任せる政党としてはほとんどの国民の選択肢に入らないという政治的条件が抜きがたく出現していく。

本来の社会主義の精神やその素晴らしさといっても歴史上に実在した共産主義国家の悲惨な現実はそれとは似ても似つかぬものだったのであり、失敗した社会主義モデルに代わる説得力ある“本来の社会主義モデル”の具体像を示さない限り、あらためて社会主義の持つ魅力を国民に納得してもらうことは至難の業だ。

だが、悲惨な結果を招くほかなかった歴史的実在の社会主義体制を乗り越える社会主義体制の具体的な仕組み、本当に国民や生産者が社会の主人公となり、これなら素晴らしいと国民も納得できるような社会主義体制の具体的な仕組みを示そうとしても、未来社会の具体的な「青写真」を示すのは科学的ではないとして回避する日本共産党にはそれもできそうもない。

このようにして大多数の国民にとって共産主義はあらためて聞くまでもないほど不要なものとなってしまったのだが、今なお日本共産党に地方議会を中心に一定の支持が集まる理由は社会的な弱者を擁護する取り組みと、そのための政策体系があるからであり、国民は日本共産党に対しては共産主義という“イデオロギー”抜きの社会的弱者擁護の政治運動体に徹すればよいということなのである。

その△紡海
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西岡三郎
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