光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2010年06月

岡野前銚子市長が「日本創新党」から国政に挑戦するというあきれた話!

岡野前銚子市長が「日本創新党」から“国政に立ち上がった”?
杉並区長の山田宏氏と前横浜市長の中田宏氏を中心に、参議院選挙に向けて立ち上げられた新しい政党が「日本創新党」である。
しかし、結党の記者会見で「日本丸の浸水を止める」などとのべたものの、松下政経塾出身者特有のタカ派イデオロギーを感じるだけで、今ひとつなにをやりたいのかよくわからない組織だというのが率直な筆者の印象であった。

だが、参議院選挙の告示が迫る中で驚きあきれるような話が明らかになった。
なんと、前銚子市長である岡野俊昭氏がこの政党から比例候補として名乗りをあげたというのである。

images1390岡野氏は昨年の3月末の住民投票で圧倒的な多数を持って銚子市長の職を罷免(リコール)されているが、これは岡野氏が住民過半数の存続要望を無視し、銚子市民の命と健康を守る砦であった旧銚子市立総合病院を独断で休止させ、地域社会に重大な医療空白を作り出した責任を市民が断罪した結果に他ならない。

また、突然の休止で転院を余儀なくされた入院患者のなかには、転院後まもなくして亡くなった方がおられることも聞き及んでいる。
たしかに、休止以前の数年間は医師不足などにより旧市立総合病院の経営が困難に陥っていたことは事実であったが、スタッフの努力により経営状況が改善されつつあり、医療専門雑誌にも病院経営に明るい光が見えつつあると書かれていたことも事実であった。

だが、岡野前市長はこのまま病院を存続させたら「銚子が夕張になる」といったデマゴギーをふりまきながら、4万筆にもおよぶ市民の病院存続署名を無視して、一方的に病院の休止を決めてしまったのである。
しかし、皮肉にも強引な病院の休止は逆に多額な清算費用の発生を招き、かえって銚子市の財政危機をいっそう深刻なものとしてしまった。

また、銚子市内の救急医療の拠点であった旧市立総合病院が失われたことで近隣の旭中央病院に救急患者が殺到し、そのキャパシティーをはるかに超えてしまったために銚子・旭を含む海匝地域の広域救急医療体制はその存続の危機に瀕している。

今年5月に関係者のご尽力で銚子市立病院は再開されはしたが、内科のみ、外来のみといった貧弱な診療体制での再スタートを余儀なくされており、今後も救急医療を担える地域の中核病院へと復元する確たる見通しなどはない。
それどころか、患者数の現状などからかえってその存続さえ危ぶまれる状態にある。

国政に“立ち上がる”資格などない岡野氏と無責任男の中田宏氏!
そこで国政に挑戦しようとする岡野氏であるが、氏は自身の責任で招いたこのような事態に対してどのような政治的・道義的責任をお取りになっているのか。
むしろ市長在任当時は開き直りと言い訳を繰り返し、自らの失政の責任逃れに終始したにすぎず、それゆえにこそ市民の手で最後はリコールされてしまったのである。

このような岡野氏を比例代表の候補者リストに加える「日本創新党」の了見は理解できかねるのだが、もっとも同党のナンバー2で元横浜市長の中田宏氏はあれだけ不倫スキャンダルがマスコミで騒がれ、横浜市長を途中で無責任に投げ出しながらも「新しい日本をつくるために立ち上がった」と口走っているのであるから、この政党からの岡野氏の出馬も理解できないこともない。

マスコミ報道などによると、中田宏氏は横浜市長在任中に自らが主導して推進した「横浜開国博」が24億円の赤字になるとわかった途端に市長を投げ出したというが、これが事実であればこれほど無責任な人物も珍しい。
また、中田氏は不倫スキャンダルで週刊誌などをにぎわした経歴もあり、通常ならば恥ずかしくて政治の表舞台に出られないのが良識ある社会人というものであろう。

無責任さと過去の経歴など意に介さない強烈な自己顕示欲とが中田氏の特徴であろうが、なにやらさっさとトンズラを決め込んだ中田氏と居直りに終始した岡野氏で“似たもの同士”に見えてくるのである。
岡野氏はご隠居され、土いじりにでも精を出していただければよいのであり、「本物の政治を確立するために立ち上がった」などと言える立場にはない。


追記
(政党の下請け化、創価学会化する宗教団体が目立つ)

参議院選挙では政党や政治家が宗教票に群がり、宗教団体の側も教団ぐるみの選挙でそれに応ずるケースが増えている。
政党の下請け化、教団の創価学会化であり、宗教教団の自滅行為との批判が宗教団体内部から噴出しているとも聞く。
さて、日蓮宗では今回、自民党の佐藤ゆかり元衆議院議員の支援を決定し、同氏の宗門内後援会をつくったらしい。
そして身延山久遠寺をバックにした大型ポスターやチラシを宗門寺院に送りつけ、選挙を「宗門運動」として展開中だというのだ。

なにやら、どこかの某巨大宗教団体に似てきたが、特筆すべきは佐藤氏が昨年の総選挙時は公明党推薦で、日蓮宗を「邪宗教」と攻撃する創価学会の支援を受けていたことである。
巨大宗教団体の票欲しさになりふりかまわない行動を繰り広げる佐藤候補の無節操ぶりと、それにやすやすと応ずる宗門の見識が問われてしかるべきであろう

民主党政権はいかにして変質したか(参院選で私達はいかにすべきか)

いつのまにか消えた「国民の生活が第一」というスローガン!
昨年の総選挙で政権の座に着いた民主党が掲げた選挙スローガンは「国民の生活が第一」であったことは記憶に新しい。
そして、総選挙時に民主党が発表したマニフェストには「すべての予算を組み替えて、子育て・教育、年金、医療、地域主権、雇用・経済に税金を集中的に使います」と謳われ、税金の使い道を大きく国民生活にシフトさせることで、この「国民の生活が第一」が実現できるはずであった。

また、マニフェストに掲げた項目を実行するための財源についても、「ムダ遣い」を削って予算の組み換えをおこなえば20兆円以上のお金の捻出が可能であり、これらの公約には財源の裏づけもあり十分に実現可能であるはずだった。

だが、政権交代の後に子ども手当てや高校教育の無償化など部分的な成果があったとはいえ、民主党に寄せた国民の期待は大きく裏切られる結果となってしまう。
鳩山政権が後期高齢者医療制度は「すぐ撤廃」という公約を裏切り、また労働者派遣法の改正案にも「抜け穴」をたくさんもちこんで、完全な骨抜き法案へと変質させてしまったのである。

そして、国民への決定的な裏切りとなったのが沖縄・普天間基地問題であり、「国外、最低でも県外」という公約さえ裏切って、「移設先探し」をあれこれやったあげくに名護市辺野古に新しい海兵隊の基地をつくるという最悪の案にしてしまった。

images2218さらに「ムダ遣い」を洗い出して財源を捻出するための「事業仕分け」をおこなってはみたものの、議論の方向が大企業にたいする特権的な税の軽減措置や米軍への思いやり予算などの巨悪を素通りして重箱の隅をつつくような「小さな政治」へと矮小化されてしまい、おまけに数々のとんでもない誤りをも犯してしまった。

その代表例が小惑星イトカワへの往復飛行を成功させ、惑星表面の砂の採取にも成功したという探査機「はやぶさ」をめぐる後継機種の開発予算であろう。
麻生政権での開発経費17億円にケチをつけた仕分け人たちは、これにムダの烙印を押して3000万円へと大幅に減額してしまったが、世間の注目を集めた「はやぶさ」の地球への帰還により、仕分け人たちの目先のことだけしか見えない仕事ぶりが誰の目にもあらわになってしまったのである。

そして、あわてた蓮舫議員は「はやぶさ」は例外と言い直して仕分けの結果を修正してはみたものの、この出来事は「事業仕分け」の実態を浮き彫りにするに十分なものであった。

民主党の変質と裏切りの根にアメリカ・財界いいなり政治があること!
ところで、国民の期待を裏切るこれら一連の出来事の根底にあるものは、アメリカ・財界いいなりという旧自公政権から受け継がれた“悪の根”であろう。

すなわち、普天間問題での迷走と裏切りの根本には、沖縄県民や日本国民の要求よりも米国の要求を至上のものとする「アメリカいいなり政治」があって、暮らしの問題での相次ぐ公約違反の根本にも労働コストの削減や社会保障コストの圧縮をもとめる財界の圧力に屈する「財界いいなり政治」があるということだ。

そして、それぞれが構造的で大きな障害物となり「古い政治を変えたい」という国民の願いの実現を阻んでいるのである。

それでは、公約違反と国民への裏切りによって退陣を余儀なくされた鳩山政権に代わって登場した現在の菅政権ではあるが、特にアメリカ・財界いいなり政治という問題との関連においてこの政権の特徴と本質をどう捉えるべきかが問題となってくるだろう。

だが、菅首相が首相就任前後に最初にやったことはアメリカのオバマ大統領との電話会談で、「県内移設」の日米合意にしっかりとりくんでいきたいとアメリカに忠誠を誓ったことであった。
また、経済や財政の問題でも菅首相は日本経団連の要求を受けて、「法人税率の引き下げ」と一体に消費税増税の道をつきすすもうとしていることも次第に明らかになりつつあり、菅首相はこの問題に政治生命をかけるとまで言明している。

こうして米国と財界にいっそうの忠誠を誓い追随する政治に踏み込むことで、「長期安定政権」をめざそうとする菅政権の本質が次第に明らかになりつつあるが、これは米国と財界の両者に従順を貫いて5年以上もの長期政権を実現させた小泉政権の再現を連想させずにはおかないだろう。

米国いいなりの軍事・外交政策を展開しながら、財界いいなりに弱肉強食の市場原理主義と格差拡大の「構造改革」を強行した小泉政治の再現は、菅首相の“市民派”の仮面と、「国民目線」に立つ首相という国民の幻想のゆえにいっそう危険ですらある。

悪政推進にむけた民主・自民の大連立の事実上の成立と参院選挙で私達のすべきこと!
images2777さて、参院選マニフェストの発表の場で菅首相は「自民党が提案した消費税率10%をひとつの参考にする」と発言し、民主・自民による消費税増税競争を始めたが、これは財界の要求する法人税のいっそうの減税(大企業減税の拡大)の穴埋めとして消費税の増税を庶民に押し付けようとするものに他ならない。

また、民主党は普天間問題では名護市辺野古への新基地建設と「抑止力論」で自民党と共通しており、ここでもまた民主・自民による沖縄への米軍基地押し付け競争かの如き様相を呈している。

こうして民主党は政権交代の初心を完全に忘れ去り、消費税増税でも基地押し付けでも民主・自民の事実上の大連立状態へと迷い込んで自民党との悪政の競争という袋小路へと道を踏み外してしまったようだ。

かくなるうえは来るべき参議院選挙で好き嫌いや支持・不支持という次元を乗り越えて、「消費税増税」と「米軍基地押し付け」の民自大連立に立ち向かおうとしている日本共産党や社民党へと票を集中する他はない。
すなわち昨年の総選挙で政治を変えたいと願う有権者が、政党支持の垣根を乗り越えて民主党に票を集中させることで自公政権を退場させたように、今回も政治を変えたいという有権者はやはり政党支持の垣根を乗り越えて共産党や社民党へと票を集中する必要があるだろう。

今回の参議院選挙は政権交代に託した国民の願いを踏みにじり、旧政権勢力との不毛な悪政の競い合いへと踏み出した民主党に厳しい審判をくだす必要があるが、その際には共産党や社民党へと票を集中すべきであり、アメリカ・財界いいなり政治の本家である自民党やそこから派生した一連の新党へも厳しい結果を出さねばならないだろう。

韓国海軍哨戒艦(天安)沈没事件をめぐるこの間の経過から(政治利用された事件)

韓国海軍哨戒艦事件の顛末とそれを追い風とした辺野古「移設」の日米合意!
2010年3月26日、黄海上の南北朝鮮の境界に近い場所で韓国海軍の哨戒艇「天安」が沈没する事件が発生してから約3ヶ月が経過しようとしている。
当時、韓国海軍は米軍といっしょになって黄海上の南北境界付近の海域で対潜水艦訓練を実施しており、哨戒艦の沈没事件はこの訓練中に発生した。

images2660事件当時、船体が真っ二つに切断された状態で引き上げられた韓国哨戒艦の無残な映像が日本のマスメディアなどでも大々的に報道され、韓国当局も哨戒艦の沈没原因を調査するために、韓国軍と民間の4か国(米国・オーストラリア・英国・スウェーデン)の合同調査団を結成し、事故原因の究明にとりかかったのである。

そして、5月20日に韓国の軍民合同調査団の調査報告書が発表され、韓国当局はそれをもとにいくつかの証拠を示しながら「(哨戒艦は)北朝鮮製魚雷による外部水中爆発の結果、沈没した」と断定した。
また、この直後から日本国内でも「北朝鮮犯行説」が大々的に報じられるようになり、鳩山前首相もこの韓国政府当局の発表をそのまま追認し、韓国哨戒艦沈没に関しては北朝鮮の魚雷攻撃が原因と決め付けてしまった。

そのうえで鳩山前首相は朝鮮半島情勢の安定の重要性に言及し、沖縄の海兵隊の「抑止力」の重要性を力説しながら、この事件を辺野古での新基地建設を決定した日米合意の推進に政治利用したのである。

さらに、韓国国内では李明博大統領が報告書を踏まえて、戦争記念館という厳かな場所で沈痛な面持ちの演説をして北朝鮮を強く非難した。
なんといっても朝鮮戦争が休戦状態のままの朝鮮半島情勢であり、このままではどうなることかと不安に駆られていると、なんのことはない、間じかに迫った6月2日の韓国の統一地方選挙にむけ政権与党側を押し上げるための選挙キャンペーンであった。

だが事態は皮肉な経過をたどり、北の軍事的な脅威を煽り「重大な決断」の姿勢を見せ、下馬評では断然有利と見られていた与党がなんとボロ負けしてしまう。
韓国の市民は与党の選挙キャンペーンに乗せられず、戦争なんぞ真っ平だという健全で理性的な判断によって政権与党に「ノー」の審判を突きつけたのであり、事件を政治利用して政局を有利に導こうとした李大統領の思惑を吹き飛ばしてしまったのである。

この事件を新しい海兵隊の基地を辺野古につくるという決定に利用した日本政府、およびそれを追認した日本のマスメディアや国民と比べ、韓国市民社会の政治的成熟度が際立った今回の韓国海軍哨戒艦沈没事件であったと言えるだろう。

韓国の統一地方選挙での与党の大敗と止まらない北犯行説への疑義の噴出!
さて、韓国の統一地方選挙での野党側の勝利であるが、これは事件を北朝鮮のしわざと断定して統一地方選挙に臨んだ与党・ハンナラ党が敗北したことからも明らかなように、韓国政府にたいする重大な疑問が広範な韓国市民の間に渦巻いていることを明らかにした。

5月の下旬に韓国出身の米国の物理学者ソ・ジェジョンがいくつかの疑問点を挙げて韓国政府の発表を否定したことが大きな関心を集めた。

「もし調査団の発表どおりに250キロの爆薬を搭載した魚雷が哨戒艦から6mという至近距離で爆発したとすれば、その衝撃波で艦は粉々になるはずだし、船体には魚雷の破片とそれによる穴が無数に残されるはずだが、二つに切断された船体の内部の状態はきれいであり、爆発の痕跡など見られないではないか」との分析を明らかにしたのである。

また、韓国でこの沈没事件の調査をしていたロシアの専門家チームが具体的な反証を挙げながら北朝鮮攻撃説に疑問を投げかけた。
事件当時、韓国海軍は米軍といっしょになって対潜水艦訓練をしていたにもかかわらず、北朝鮮の潜水艦に入りこまれて魚雷まで撃たれたとするのなら、韓国海軍は間抜けで役立たずの“ゴク潰し”だというわけである。

images2440こうして、韓国政府の発表以後に北朝鮮犯行説に対して多くの疑義が提起され、事態の真相をめぐって多くの仮説や論説が提起されている。
また、国際社会でも韓国政府の「北朝鮮魚雷攻撃説」を支持する国はいまや少数派になっているという現実がある。

日本政府はこの事件に関しては一切関与しておらず、みずから検証もおこなっていないが、それにもかかわらず一国の総理が一方だけの主張を聞き、韓国政府の提示した「事実」のみを真実であるかのように扱い、確証も不十分なままに米韓側の発表した北朝鮮犯行説を利用しながら、辺野古に新基地をつくる日米合意を推進した。

米韓側の一方的な発表を鵜呑みにする日本政府、およびそれを政治利用する鳩山前首相や菅新首相という構図をこのままにしておいてよいのだろうか。
韓国海軍哨戒艦沈没事件に対する日本独自の検証の必要があり、またこれを利用した普天間基地の辺野古「移設」という日米合意をも見直し、もういちど白紙の状態から検討しなおす必要があるのではなかろうか。

参考サイト:米国物理学教授、「天安艦は座礁か衝突で沈没」
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2010/1275031901749Staff

参考サイト:韓国・天安艦沈没事件について(東本高志〕
http://www.labornetjp.org/news/2010/0523higasi

追記
それにしても、この韓国海軍哨戒艦沈没事件に関するしんぶん赤旗の報道には多くの疑問が残る。
5月22日のしんぶん赤旗の紙面には日本共産党の志位委員長の談話が掲載され、事件を事実上、北朝鮮の犯行と断定して以来、この事件に関する赤旗の報道内容は大手マスコミと大同小異だ。
これだけ韓国当局の発表に対して多方面から疑義がだされ、韓国国内ではこの事件を北朝鮮のしわざと断定した与党・ハンナラ党が統一地方選挙で大敗を喫し、事件に対する重大な疑問が韓国市民の間に渦巻いていることが明らかになっても、この問題に関しては“素通り”するのみである。
また、この事件を日本政府が辺野古「移設」をきめた日米合意に利用した形跡も明らかだ。
このままでは「真実を報道する新聞」の名が廃ってしまうだろう。

鳩山政権の退陣と菅新政権誕生の底流にあるものとは(菅政権は政権後退)

国民の期待を背負って誕生した鳩山政権!
「アメリカいいなり政治」と「極端な財界・大企業中心主義」という二つの異常を特徴とし、長年にわたり国政に君臨し続けた自公政権が、昨年の8月におこなわれた総選挙で国民から退場の審判を受けてから早くも9ヶ月がたとうとしている。

そして、自公政権を退陣に追い込んだ国民の審判の背後には、後期高齢者医療制度や労働者派遣法などの暮らしに関わる問題や沖縄・普天間基地問題、「政治とカネ」の問題などをめぐり、「こんな政治を変えたい」という国民の切実な期待が込められていた。

事実、民主党の掲げた“国民の生活が第一”や“コンクリートから人へ”といったスローガンは自民党時代の壮大な予算のムダ遣いにメスを入れ、浮かせた財源を国民に還元しようとする同党の基本政策の柱となり、子ども手当てや高校授業料無償化などの個別の政策は有権者の共感を呼ぶところともなった。
また、これらは「政治を変えたい」という国民の期待に応え、部分的ながらも国民の要求を反映した前向きの個別政策でもあった。

鳩山政権の後退と裏切りの背後にあったもの!
だが、政権交代によって成立した鳩山政権は次第に国民の期待に背きはじめ、後期高齢者医療制度や労働者派遣法など国民が求める肝心要の問題では裏切りや後退を続けたが、これは「国際競争力」を錦の御旗に労働コストや社会保障コスト削減を求める財界・大企業の圧力に屈服したからに他ならなかった。

そして、鳩山政権が決定的な転落の道へ歩みはじめるターニングポイントがやってきたが、それは他ならぬ沖縄・普天間基地問題をめぐる変質であった。
普天間問題での「国外、最低で県外」という選挙公約を踏みにじって、普天間基地の辺野古「移設」という自公政権時代の結論へと逆戻りし、なお悪いことに米軍の訓練を徳之島や本土に分散・拡大するといった自公政権の時代にもないことまで米国と約束してしまった。しかも沖縄県民の頭ごなしにである。

こうして鳩山政権は沖縄に新鋭の基地を確保したいという米国の圧力に屈服してしまうが、その言い訳は「海兵隊=抑止力」という使い古された論理であった。
自公政治を変えたいという国民の審判の圧力と、自公時代から続く「対米従属」と「財界支配」という保守政治のレジームの側からの圧力との間に、板ばさみとなった鳩山政権は「ブレ」や「動揺」を繰り返しながらも、普天間問題での沖縄県民への裏切りと転落によって米国と財界の前に完全に屈服してしまったのである。

こうした鳩山政権の顛末は普天間基地の問題や暮らしの問題などで「政治を変えたい」という国民の期待を裏切り、また自ら掲げた公約を裏切るものともなり、鳩山内閣は自らその命運を閉じた。
これが鳩山首相退陣をめぐる真相であり、米国や財界に屈服して国民の期待を決定的に裏切ったことが、鳩山氏の政治生命を断ち切ってしまったのである。

菅新政権の政治的な本質はどこにあるか!(鳩山退陣の負の教訓)
さて、鳩山政権に代わってつくられたのが菅政権であるが、この政権は鳩山退陣からとても大事な教訓とメッセージをくみ取ったようである。

それは保守政治の元締めである米国と財界にのみ顔を向けることが、「長期・安定政権」をめざすために最も肝要なことであり、中曽根大元勲や小泉ライオン丸といった立派な先達がたどった道がそれであるということだ。
images50この国では「長期・安定政権」を作るには米国の“ポチ”とならなければならず、ときには米国の大統領の前でエルビス・プレスリーの物まねをすることで歓心を買うことが必要であり、くわえて財界の身勝手な要望をひたすら聞き入れることのできる従順な執事となることが必要なことを、菅直人という市民派リーダーは理解した。

すなわち米国や財界に顔を向けつつも、国民の期待にも応えようとしたところに前鳩山政権の「甘さ」や「ブレ」の原因があったのであり、それが命取りとなったという「教訓」である。
それゆえ「長期安定政権」を築きあげるためには旧自公政権時代にも増して、よりいっそう米国と財界に忠誠を誓い、従順に奉仕する道に踏み込もうとするところに菅政権の政治的な本質がある。

こうして、菅直人氏は正式に首相に就任する前にオバマ大統領と電話会談をおこない、普天間基地の「県内移設」の「日米合意」にしっかり取り組んでいきたいと誓約をおこなうことで米国への忠誠を示した。
また、大企業へのいっそうの減税と、その穴埋めに消費税の増税をおこなえという財界の身勝手な要求に敏感に反応した菅政権の閣僚達は、「消費税増税の論議を」「法人税の引き下げを」といった声をいっせいにあげはじめている。

そして、菅首相はその施政方針演説において、「強い経済」でいっそうの法人税の引き下げを、「強い財政」で消費税の引き上げを示唆したのであり、「強い社会保障」でいっそうの社会保障コストの削減を目指すことを表明した。

選挙のやり方まで小泉政権の「郵政選挙」に似てきたこと!
また、菅首相は選挙での小泉純一郎氏の経験を学び、自民党内に「抵抗勢力」という「敵」をつくり、その摩擦熱を利用したエネルギーで野党を国会から消し去ってしまった「郵政選挙」の教訓に学んだ。

それが「脱小沢」であり、国民から嫌われている小沢一郎という「敵」をつくり、人事その他で小沢氏の勢力をパージすることで、菅首相自らはタコとなり「脱小沢」のパフォーマンスから生み出される向かい風を利用し、選挙へと飛びたとうとしているのである。
菅直人の政権は旧政権への回帰であり、市民派の看板を掲げた「小泉政権」の再来ではなかろうか。
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軍事強国日本のいびつな構造と15年戦争への道を開いた満州事変(その2)

軍事強国と脆弱な経済(「大日本帝国」の実相)!
1930年代初頭の日本は世界でも有数の大国にのし上がり、南樺太(サハリン南部)から朝鮮、台湾、関東州(中国遼東半島先端部)、南洋群島にもいたる広大な地域を領土ないし植民地として支配し、中国の南満州も勢力圏に収めていた。

また、中国に対しては治外法権を設定し、陸軍を駐屯させ、海軍を派遣するなど半植民地的な支配をおよぼしており、ベルサイユ講和会議以来の日本は米英につぐ世界第三位の海軍兵力を保持し、国際連盟の常任理事国となって世界の五大強国のひとつに数えられるにいたった。
こうして当時の「大日本帝国」は世界有数の軍事強国として東アジアに君臨して、米英その他の列強とアジアの覇権を争っていたのである。

images2293だが、この「大日本帝国」も経済的な側面は実に劣弱であり、軍事力を支える物的な資源のほとんどを覇権争いの当の相手である米英からの供給に依存しなければならず、唯一の自前の輸出品である生糸を米国などに輸出して稼いだ外貨で石油や鉄、機械などの重要資源を輸入するほかはなかったのである。

このように「大日本帝国」は資源や貿易市場などを米英に深く依存していながら、東アジアでの膨張を遂げつつ米英と覇権を争っていたのであり、強大な軍事力と深い経済的な依存性という二つのアンバランスな側面を持つ矛盾に満ち溢れた存在であった。

そしてこのことは、日本の支配層のなかで対外政策をめぐる二つの相反する方向を生み出していく。

1930年代初頭の日本の対外政策の主流は米英にたいする依存をやむをえないものと認め、アジアでの覇権争いも米英などと協調関係を保ってこそ全うしうるという立場にあり、国際協調と自由貿易主義に重きを置いていた。
(*対米英協調論であり、天皇や宮廷グループ、外務省主流、財界主流、民政党などがこの立場にたっていた。)

だが、これとは別に米英に対する依存という弱点は克服しなければならず、自給自足に足る独自の勢力圏をアジアに建設すべきであり、そのためには米英との対決を辞するべきではないという立場が次第に台頭してきたのである。
(*反米英的な現状打破論であり、陸軍が中心となり民間右翼が連なっていた。また政党では政友会がこれに親和的な立場にあった)

特に後者の立場は世界的な覇権を争う帝国主義戦争の再来を防ぐために、アジア・太平洋での列国間の利害の調整をはかる一連の国際条約で構成された「ワシントン体制」にその矛先を向け、なかでも中国における特定の国による権益の独占を防止し現状維持を取り決めた九カ国条約体制を敵対視した。

北伐戦争による中国の国権回復と日本の満州特殊権益!
images2294さて、1926年に中国国内では外国帝国主義の支配からの解放と、それと結託する封建軍閥の打倒をめざし、蒋介石を総司令官とした国民革命軍による北伐戦争(北方の封建軍閥に対する国内戦争)が開始される。

国民革命軍は軍閥軍を次々と打ち破り北上したが、これに対して日本は二度にわたり山東省への出兵をおこない中国の内戦への介入を企てた。
これは北伐により成立した国民政府が中国の国権回復のために関東州と満州鉄道といった日露戦争以来の日本の権益(満蒙特殊権益)の回収をはかることを当時の日本の支配層が恐れたためである。

だが、日本の干渉にもかかわらず北伐戦争は進展し、日本政府や軍部のなかに満蒙特殊権益が危うくなるという危機感が急速に醸しだされていった。
さらに陸軍の一部では満州の武力占領論が検討され始めていたが、こうした状況の中で1928年の6月に張作霖爆殺事件がおこったのである。

これは日本の満州支配のための現地協力者でありながら、次第に言うことを聞かなくなった北方軍閥の張作霖を抹殺し、いっきに満州を占領してしまおうという関東軍高級参謀の河本大作らの仕組んだ陰謀であった。
しかし、これがあまりにも性急な企てであり、計画もずさんであったために張作霖をその乗った列車ごと爆殺しただけで終わり、最初の満州占領作戦は失敗した。

満州事変の勃発と軍部の台頭、および協調外交の敗北!
だが、関東軍の主任作戦参謀となった石原莞爾は河本大作の後任となった板垣征四郎とコンビを組み、河本の失敗に学び慎重に計画を練り上げたうえで、1931年(昭和6年)の9月18日の夜に奉天近くの柳条湖付近の満鉄線を爆破し、これを中国軍のしわざとして関東軍の武力を発動したのである。(柳条湖事件

最初、関東軍の武力発動にたいし米英との協調関係がそこなわれると考えた日本政府は事件不拡大の方針を声明したが、それを無視した現地軍は全満州の軍事的な制圧をめざし戦線を拡大していった。
ここに関東軍とそれを支援する軍中央(軍部)と事件不拡大をめざす政府とのあいだに重大な外交政策上の亀裂が生じた。

特に天皇とその側近の宮廷グループや与党民政党などは政府の不拡大方針を支持し、ワシントン体制の下で国際協調外交をすすめることを得策と考えた彼らは満州での軍事行動が列強、なかでもアメリカとの対立を激化させることを恐れた。

しかし、現地での既成事実の積み上げとクーデターを辞さない軍部の強硬な態度に屈服した彼らは、経費の支出とあわせて軍の行動を最終的には追認し、中国への軍事的な膨張と戦争拡大への道を開いてしまったのである。

こうして、満州事変によって「ワシントン体制」の枠組みは日本の手によって破壊され、日本国内では1920年代の軍縮・国際協調ムードは後退して軍国熱と排外熱が強まり、米英との対決を辞さない現状打破論が堰を切ったように強まっていく。
満州事変は日本が対外路線を米英との協調から対決へと転換させていく決定的なきっかけとなり、特に1933年3月に満州事変に対して厳しい態度をとった国際連盟から日本が脱退したことはそれを加速した。
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菅直人氏は市民運動出身だから今までとは一味違う日本のリーダーか?(菅氏の“珍理論”もついでに)

市川房枝さんの選挙事務長から政治家へのスタートをきった菅首相!
菅直人新首相が誕生したが、この菅氏をめぐりマスメディアで脚光を浴びているのが、これまでの首相経験者とは一味違った氏の政治的経歴である。

images29001974年の参議院選挙の際に、女性の政治参加や清潔な政治をめざす市民運動の先頭に立っていた故市川房枝さんの選挙応援に参加し、選挙事務長になったことが菅氏の政治へのデビューであったという。
そして、それ以来36年間にわたって社会市民連合、社会民主連合、新党さきがけ、民主党と政治キャリアを積み上げてきて、今日とうとう首相の座に上り詰めたというのである。

また、菅首相は過去の自民党に連なる歴代首相や自民党出身で旧田中派の流れを汲む鳩山前首相とは異なり、市民運動出身で世襲議員ではない普通の人であるところにセールスポイントがあり、自民党の流れを汲んだ政治家から市川房枝の薫陶を受けた政治家への転換であるところに菅首相誕生の大きな意味があるというのだ。

ところが、政界に出た菅氏が選挙の際には「市川房枝さんの精神を引き継いで・・・。」とことあるごとに語っていたことに、市川さん本人は戸惑いを感じていたらしいという。
市川さんから「自分の力で闘いなさい」と忠告を受けていた菅氏が市川さんの名をいたるところで使い、市川さんの選挙にカンパをくれた人を訪ねてカンパを含めて協力を強要したことなど、自分の実践してきた理想選挙からかけ離れつつあった菅氏のやり方におそらく市川さんは一抹の不安を感じていたのであろう。

安保廃棄を訴えた市川さんと日米合意の踏襲を米国に約束する菅首相!
また、1970年に市川さんは平塚らいてうさんなどとともに著名な9人の女性の名で安保廃棄を訴える共同アピールを発表しているが、首相の座に登りつめた今日、菅氏はこの問題でも市川さんの不肖の弟子ぶりを遺憾なく発揮しつつあるようだ。

菅内閣は普天間基地を名護市の辺野古に「移設」する日米合意を履行するための「居抜き内閣」とメディアからも揶揄されるように、菅首相は普天間基地の代わりに辺野古に新基地を造る日米合意の実行を就任早々に米政権に約束をしている。
そして「最低でも県外移設」の選挙公約に振り回され、迷走していた鳩山首相を尻目に「国外、県外移設」や沖縄県民の怒りなどは最初から眼中にはなく、もっぱら辺野古「移設」の日米合意をすすめてきた当事者である岡田外相や北沢防衛相らを留任させた。

これでは世論調査で辺野古「移設」反対が8割を越える沖縄県民との矛盾はいっそう激しくならざるをえず、その破綻は免れない。
こうして菅首相は「市川さん精神」から遠ざかってしまった今こそ、市民運動に関わって政治家をめざした原点に立ち帰り、市川さんの教えを思いおこすべきだろう。

増税しても景気が良くなるという菅首相の“珍理論”とはなにか!
images2344また、菅首相をめぐる最大の弱点であり、同時に最大の問題点となるのは同氏の「増税しても使い道を間違えなければ景気は良くなる」というとんでもない理屈である。

この菅氏の理屈はつぎのような論法から成り立っているらしい。
「不況になると消費者の財布のひもが固くなるから、不況の時こそ政府が増税をおこない、医療や介護に投資をすれば雇用が増えて景気は回復し、税収も増えて財政再建が可能になる」
不況の時には財布のひもの固くなった国民の懐から増税でお金を吸い上げ、国民に代わって政府や自治体がそのお金を医療や介護などに使うことで、景気は回復し雇用も税収も増えるというわけだ。

だが、増税による公共投資で景気を刺激したとしても、それによって国民の財布のひもがいっそう固くなるというマイナス要因を相殺し、なお余りある景気回復効果が得られるのだろうか。
個人消費がGDPのほぼ6割を支えている現実のことを考えたことがあるのだろうか。・・・・・このように菅氏の“珍理論”に疑問符が尽きることはない。

さらに増税を唱えながら、一方で民主党は法人税の引き下げを目指していると聞くが、増税で景気が回復するというならなぜ法人税の引き上げも目指さないのだろうか。
また、菅氏の言う増税とはおそらく消費税の増税を想定しているのだろうが、案の定菅首相は内閣の中枢に消費税増税発言を繰り返してきた政治家たち(仙石氏、野田氏など)を配置している。

菅氏の“珍理論”に内閣中枢を占める消費税増税論者という構図は消費税大増税への警戒レベルをワンランク引き上げるものといってよいだろう。


追記
世論調査で国民の要求のもっとも強い項目は景気・雇用対策であるが、このためにも国民の懐を温め内需を拡大することがカギとなる。
これに真っ向から反する庶民増税では景気対策に逆行することとなるし、さらには税収の低迷さえも招いて財政再建もかえって遠のいてしまうだろう。
また、大企業の内部の莫大な内部留保の一部を取り崩すことで、最低賃金や下請け単価の引き上げなどに還元させ、個人消費主導型(内需主導)の経済成長路線に転換することが求められている。

ところで、菅首相は財務大臣就任時に故サミュエルソン教授の「経済学」を購入したというが、同教授は日本の「デフレ」対策として増税ではなく減税を提唱している。
もっとも後で自民議員に「読んだか」と聞かれた際に菅氏は「10ページだけ読んだ」と答えたという。

軍事強国日本のいびつな構造と15年戦争への道を開いた満州事変(その1)

日露戦争での勝利によって南満州での権益を獲得したこと、ならびに「韓国併合」によって日本が大韓国を滅ぼして日本の領土としたこと。
20世紀初頭のこれらの出来事は日本をアジアで唯一の帝国主義大国へと押し上げ、日本は東アジアでの覇権をめぐる列強との激しいせめぎあいの渦中へとその歩をすすめるにいたった。

中国への21か条要求のごり押しと軍事強国に躍り出た日本!
さて、1910年代に入ると世界はひときわ激動しはじめるが、東アジアもその例外ではなかった。
すなわち、1914年の第一次世界大戦の勃発により列強がヨーロッパでの戦争に忙殺されるなかで、日英同盟を名目にドイツに参戦した日本はその隙を突いて中国に21か条要求を突きつけたのである。

その主な目的は山東省でのドイツの利権の引渡しであり、南満州での権益(満蒙特殊権益とよばれた)をもゆるぎないものとするところにあったが、中国に最後通牒さえも突きつけた日本はその大部分を無理矢理に承認させることに成功した。

images2788また、第一次世界大戦の休戦をうけて1919年に開かれたパリでの講和会議に日本は英・米・仏・伊の四カ国とともに列席し、翌年発足する国際連盟の常任理事国へと登りつめた。
さらにパリ講和会議では山東省のドイツ利権の日本への引渡しが承認され、赤道以北のドイツ領南洋諸島をも事実の領土として獲得した大日本帝国はその膨張の最初のピークに到達する。

だが、パリ講和会議において最初の膨張のピークに達した大日本帝国ではあったが、まもなくしてアメリカをリーダーとした列国の巻き返しをうけるハメとなった。
これは日本が第一次世界大戦のどさくさにまぎれて中国でほしいままに利権と勢力を拡張したことはアメリカにとっても目障りでしかなかったためである。

中国支配をめぐるアメリカの巻き返しとそれを固定化したワシントン体制!
こうして、1921年にアメリカの提唱で極東問題処理等を目的としたワシントン国際会議が開かれ、中国問題についての各国の門戸解放と機会均等をうたった九カ国条約が調印されたが、中国支配については大戦中に日本がおこなったような抜け駆けや独り占めは認めず門戸開放・機会均等でいくことを各国が約束しあうところにこの条約の眼目があった。

また、日本には山東省の旧ドイツ利権の放棄がもとめられ、第一次大戦中の日本の突出を押さえ込み多すぎる獲物を吐き出させたうえで、東アジアと西太平洋での列強のなわばりとルールが決められていった。

こうして作り出された東アジアや西太平洋での秩序のことをワシントン体制と呼ぶが、大日本帝国は世界屈指の軍事大国でありながらもアメリカの巻き返しに屈し、中国問題での譲歩を強いられたうえで対米英協調の道へと踏み出すことを余儀なくされる。
この根底には日本が世界有数の軍事強国でありながら経済的実力においては米英にとても太刀打ちできず、しかも外貨と資源と貿易で米英に大きく依存さざるをえない現状があり、日露戦争以来の日本は米英からの借金を重ねながらその膨張政策を維持していたのであった。

また、軍備を維持するうえで不可欠な戦略物質(石油・鉄・非鉄金属・ゴムなど)の大半は米英からの輸入に頼っており、それらを入手するために必要な外貨は日本の輸出する生糸や綿製品を米英が輸入してくれることでもっぱら稼ぐことができた。

こうして世界屈指の軍事大国でありながらも経済的には米英に深く依存し、この依存を条件として膨張をとげ、米英その他と対抗するという矛盾に満ちた存在であったことが1920年代の日本の対外政策の基本を決定づけた。

これはアジアでの覇権を米英と争いながらも、それが敵対関係へと発展することは避けねばならず、米英との協調をたもってこそその前途をまっとうできるという立場であり、中国との関係でも武力よりは経済進出を中心とした漸進的な方法が採用された。

また、この立場はワシントン体制に順応する現状維持的な立場であり、対外政策の基本を国際協調と自由貿易主義に求めるものであった。

ワシントン体制打破論の台頭と「満州事変」への道!
だが、一方では大日本帝国がその膨張政策を全うするためには米英への依存という弱点から脱却して帝国がアジアでの自給自足圏を建設すべきであり、そのためにはアジアでの勢力圏の再分割をめぐって米英との対決を辞すべきではないという動向も日本の支配層のなかに台頭しはじめる。

この立場は反欧米的なアジア主義や日本民族の使命などを唱え、対中国政策でも武断的な方法による領土分割の追求に傾きやすく、中国における日本支配の突出を押えるワシントン体制の打破を提唱するものとなって現れた。

images2033日本の対外政策の基本を米英との協調から対決へとシフトしようとするこのような立場は、戦略資源の確保を切実な課題とする陸軍を中心に民間右翼などの後押しのもとですすめられ、また関東軍高級参謀の石原完爾などは満蒙の権益を守り抜き、「満蒙問題」を解決するためには韓国と同様に中国東北部(満蒙)をも日本が領有すべきことを公然と提唱した。

こうして関東軍の高級参謀たちを中心に密かに練られた計画をもとに引き起こされたのが中国東北部での局地戦争である「満州事変」(1931年9月)であり、柳条湖での自作自演による鉄道爆破という謀略であった。

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西岡三郎
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