光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2010年11月

北朝鮮社会における巨大な差別構造の存在と管政権による朝鮮高校無償化停止の類似点について

北における「成分」という名の身分制度とそれにもとづく巨大な差別構造や迫害について!
北朝鮮という国を理解しがたいものとしている社会的な要素のひとつが「成分」という一種の身分制度である。
故金日成は北の国民を核心階層(20%)、動揺階層(60%)、敵対階層(20%)と三分割し、その後にこれをさらに51種類の区分に細分化したという。
そして、この「成分」に関する文書はいわば国民管理台帳のようなもので、警察や公安機関が密かに保有しており、一般の国民には秘密とされている。
さらに北朝鮮の国民には情報に接近したり、その公開を求める自由などはなく、文書の公開を要求しただけで反革命分子として処罰されてしまうのである。

ではこの「成分」という身分制度の構造にごく簡単にふれてみよう。
核心階層とは金日成とともに抗日闘争をたたかった革命家やその家系に連なる者たち、および朝鮮戦争で戦死した者の家族など、“金王朝”に忠実とみなされた人々の総称であり、敵対階層とは日本の植民地時代などに地主や資本家であった者、はたまた朝鮮戦争で裏切って韓国側に寝返った人とその家族などの総称である。
敵対階層は文字通りの敵であり、どんなに成績が良くても上の学校には行けず、北朝鮮のエリートである朝鮮労働党員には絶対になれず、軍隊への入隊も認められない。
この人たちの人生は炭鉱や鉱山、へき地農村などでの重労働を強いられ、もっとも過酷な運命を生涯背負って歩まなければならない。

imagesCA27D3PV金日成はかってこのような神話を作り出している。
「地主たちは息子や孫の手を引いて歩き回りながら、没収された土地の一つ一つを指差してこう教える。『わしは死んでもお前たちは生き残ってこの土地を必ず取り戻せ』
階級闘争の真理を知る諸君であればこれが偶然のことだとは思わないだろう。
たとえ、階級として消滅していても土地を没収された地主が生きている限り、彼らの心は死なずに生きていることは明らかなことではないだろうか」
こうして金日成は敵対階層の思想は生き残るから徹底的に抑圧せよと命令し、親や祖父、曾祖父などが地主や資本家階級などに属していれば子々孫々にわたって敵とされ、監視され、言葉尻をとらえては集団でつるしあげられ、はてな強制収容所に送り込むなどの恐怖政治で押さえつけられるのである。

社会主義の公式の図式とかけ離れた北朝鮮社会の恐るべき実態とは!
社会主義の公式の図式によれば、解放された社会では人民は助け合って和気あいあいとして生活しているというイメージが描かれ、多くの人はこのようなイメージで社会主義の社会のことを想像することが多かった。
だが、北朝鮮社会はそれとはまったく逆で、ささいな言動や不平不満でも反革命分子とされ処罰の対象とされる社会であり、この社会で身を守り生き残っていくためにも常に金父子を褒めたたえ続けねばならない社会なのである。
また、密告が奨励され、子が親を、妻が夫を密告しあい、そしてつねに「敵」が存在しなければならない社会、いったん「敵」とされれば無慈悲に鎮圧される社会なのである。

また、北朝鮮には住民が自由に移動したり、住居を自分で選ぶ自由はなく、「成分」に応じてその居住地も指定される。
平壌などに住む住民は金父子に忠実な核心階層に属する者たちであり、山間の貧しい農村地帯や寒冷の地には敵対階層にぞくする人々が強制的に移動させられ、そこに押し込められている。
敵対階層の住む地域はたとえていえば、一昔前の日本における「未解放部落」(現在は同和地区)というふうに考えるのが適切であり、人々を貧困と失業におしこめ、人間としての誇りを奪い、それを人民支配の道具としている資本主義の世の中を彷彿させるような北朝鮮の差別の構造がそこに凝縮されている。

管政権による朝鮮高校無償化停止と北社会の差別との類似点(イジメであること)!
さて、北朝鮮が韓国の離島を砲撃したというニュースが飛び交う中で朝鮮半島の緊張は極度に激化し、好戦的で強硬一色のわが国のマスメディアは北朝鮮への敵意を四六時中たきつけている。
こんなときだからこそ日本の首相は米韓と北朝鮮との双方にはたらきかけて、これ以上の緊張激化を避けるための適切なコミットメントを発するのが筋だろう。

だが、信じがたいことに管首相がこの事態を受けて最初にだした指示が「朝鮮高校の授業料無償化の停止」だというのである。
今回は北朝鮮が韓国を砲撃したのであり日本を攻撃したわけではない。
ゆえに今回の事態は日本と北朝鮮との間の「政治・外交問題」でもなく、北朝鮮の無法な砲撃の罰を何の関係もない在日の朝鮮学校の高校生が受けねばならない合理的な理由などはさらさらない。
また、過去に北朝鮮がミサイル実験をしたときにも、何の関係もない朝鮮学校に脅迫の電話が頻繁にかかったり、生徒を脅したり、窓ガラスを割ったりといった野蛮なレイシズムが横行しており、今でもそれは潜在化しながらも継続している。

合理的な理由のない授業料無償化の停止はミサイル実験のときと同様にマイノリティ(それも子ども)にたいする“イジメ”であり、それを日本政府のトップが旗を振ってやってしまうのであるから、管政権は北朝鮮か、はたまた「在特会」かと見まごうほどである。
さらに、こんな姑息なやりかたなど外交カードとしても何の価値もなく、北朝鮮当局にとっては痛くも痒くもない。ただ、日本の評判を下げて自分の首を絞めるだけである。

このエントリーの前半でながながと北朝鮮社会での「成分」と、それによってなりたつ巨大な差別構造とを述べたが、首相が今回の事態にたいし朝鮮高校無償化停止を命じたことは、国民に対し政府が「率先して在日をいじめるから皆さんもそうしてよろしい」と宣言するようなものであり、それは出身階級や出自が悪いからと徹底的に差別し迫害しぬく北朝鮮の当局者のやり口と本質的に変わらない。(このことを強調したいがために北の差別構造に字数を割いた)
外国人やマイノリティへの差別や排斥は世界中の国々の指導者が頭を痛めており、その根絶に取り組んでいるが、逆に管政権は排斥と差別の音頭取りさえやっているのである。

管氏が今やるべきことは、朝鮮高校無償化の停止ではなく、北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議のメンバーである中国や米国、ロシアなどにも働きかけ、事態沈静化にむけての道筋を探るべくリーダーシップを取ることであろう。

参考:拉致と核と餓死の国 北朝鮮 萩原遼 文春新書

在日特権を許さない市民の会(在特会)の街頭行動
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小沢一郎待望論と国民の「政治を変えたい」という願いとの関係をどうとらえるべきか

昨年の9月に国民の大きな期待を担って民主党への政権交代がおき、鳩山政権が成立した。
その背景には沖縄・普天間基地問題や「政治とカネ」の問題、後期高齢者医療制度や労働者派遣法などの暮らしの問題などで「政治を変えたい」という国民の切実な願いがあった。

だが、普天間基地の名護市辺野古への移設を内容とした“日米合意”によって沖縄県民の期待を裏切ったことを皮切りに、これらの約束はとうとう守られることなくして鳩山政権は退陣を余儀なくされ、その後の菅政権にいたっては「民主党は自民党化した」との声が党内で平然と語られる有様となってしまった。
政権交代にもかかわらず後期高齢者医療制度は存続し、労働者派遣法の問題では元の案が換骨奪胎されたうえで“たなざらし状態”におかれていることなどはその象徴である。

また、輸入品目の全てから関税を撤廃し、農業生産と地域経済に決定的な打撃を与えて、わが国の食糧自給に危険信号をともすTPPへの参加を菅首相が唐突に言いだし、社会保障の分野では介護保険制度改定を皮きりに新たな負担の増大を国民に押しつけようとの一連の制度改悪の動きもはじまっている。
そして外交の分野でも旧自公政権の外交方針をそのまま引き継ぐだけとなり、尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題やメドベージェフ・ロシア大統領の国後島訪問などへの一連の菅政権の対応にたいし、国民の間に失望の念が広まっていることは否定できない。

だが、これらのことは「政治を変えたい」という国民の声と米国・財界の圧力に挟まれ、動揺を重ね“ブレ”まくり、最後には国民を裏切って退陣した鳩山政権の轍を踏むまいという菅政権の本質から派生していることだ。
「政治を変えたい」という国民の声に背を向け、よりいっそう米国と財界に忠誠を誓い、追随する政治に踏み込むことで「長期安定政権」を目指したところに菅政権の本質があり、ここに「民主党は自民党化した」という声が民主党内からも沸き起こる根源がある。
また、これは政権交代をはたした民主党政権が暮らしや経済の問題などで適切な手だけをうてずにここまで国民に見放されてしまった根源でもある。

「小沢立つべし」に込められた国民の声を見過ごしてはならない!
images11241さて、いまやネット上には小沢一郎を支持する声が収まらないどころか、ますます高まっており、先日には東京の銀座で1000人規模の小沢一郎を支持するデモがあったという。
ツイッターによるたった一週間の呼びかけで集まった“しろうと”の手作りのデモであり、今後も各主要都市でのデモが計画されていると聞く。

これは民主党の代表選の渦中にあって小沢一郎の街頭演説に熱い小沢コールが沸きおこった現象とも相通ずるものがあり、小沢なら対中国関係でこんなことはしなかった、小沢なら米軍基地の問題でアメリカにもキチンとものを言ったはずだ、小沢なら景気も回復し、官僚支配もなりをひそめていたはずだ。…などといった国民の期待と願望をここに感じないわけにはいかない。

ここには小沢一郎に対する個人崇拝や英雄待望といったレベルを超えて、政治を前に進めたいという国民の願いがその根底に込められており、「小沢立つべし」には“民主党は政権交代時の民主党マニフェストを実行し国民との約束を守れ”との世論が背後にある。
そして、小沢待望論の背景には政権交代時のマニフェストを反故にし「政治を変えたい」と願う国民を裏切った菅政権への抗議の声をそこに看取しないわけにはいかない。
それゆえ、小沢待望論をたんなる民主党内での権力闘争の延長線でのみとらえることは、ここに反映している切実な国民の思いを見落としてしまうこととなる。

また、某革新政党のように証拠を捏造する検察と一体となった大メディアの小沢批判をろくに検証もせずに、自民党や公明党、みんなの党などといっしょになって小沢一郎の証人喚問を要求することは、政治の閉塞状況を打開する貴重な手がかりを自ら潰すに等しい。

いまはレーニンの述べるたたかいの原則に立ち返るときである!
「ずっと力の強い敵に打ち勝つためにはただ、最大の努力をはらってはじめてできるのであり、またたとえどんなに小さな「ひび」であろうとも、敵の間のあらゆる「ひび」を、各国のブルジョアジーの間の、また個々の国内のブルジョアジーの、いろいろなグループないし種類の間のあらゆる利害対立を、それからまた、たとえどんなに小さな可能性であろうとも、一時的な、動揺的な、もろい、たよりにならぬ、条件的な同盟者でもよいから大衆的な同盟者を味方につけるあらゆる可能性を必ず、もっとも綿密に、注意ぶかく、用心深く、上手に利用してはじめて成し遂げることができるのである」

これはレーニンがその著書「共産主義における左翼小児病」(国民文庫105:81p)のなかでのべているたたかいの原則であるが、これにならって某革新政党は小沢グループと米国・財界・大メディア・霞が関官僚群などに支援された菅政権一派との間の「ひび」を注意深く、用心深く、上手に利用すべきなのである。
また、国民の政治を変えたいという声を背景とする小沢グループを、一時的な、動揺する、たよりにならないものであったとしても、それを大衆的な同盟者として味方につける可能性をあらゆる面から追求すべきなのである。

そして、小沢をめぐる「政治とカネ」の問題などは、それを上回る“善政”をすれば帳消しとするくらいの度量と政治的センスが求められるのである。

蒋介石の寛大政策からはじまった日中間の平和友好回復の歩みと現下の尖閣問題について

日中戦争直後における蒋介石の寛大政策とはなんだったか!
1945年(昭和20年)8月15日、八年以上にわたる抗日戦争に勝利をおさめた国民政府の蒋介石はラジオを通じて勝利宣言をおこない、敗戦の身になった日本軍将兵や中国残留の日本人に対して報復をしてはならないと呼びかけた。
この蒋介石の演説は「恨みに報いるに徳をもってせよ」との言葉に集約されて今日まで伝わっているが、蒋介石の実際の呼びかけは次のとおりであった。

「我々は報復を考えてはならず、まして敵国の無垢の人民に汚濁を加えてはなりません。・・・・・・もし、暴行を持ってかっての敵がおこなった暴行に報い、奴隷的な辱めを持ってこれまでの彼らの優越感に報いるならば、報復は報復を呼び、永遠に終わることはありません。これはけっして我々仁義の士の目的ではありません」

この蒋介石の勝利宣言にもとづいて、第二次大戦の“戦勝国”中国は“敗戦国”日本にたいして歴史上まれに見る寛大な処置をおこなった。
それは一千万人を上回るといわれた中国軍民の血の犠牲と天文学的な物的損害にたいする膨大な戦争賠償金の全面放棄であり、中国大陸に残留する日本軍民二百万人の安全帰国の早期実現などであった。

日本からもっとも甚大な被害を受けた中華民国の指導者がこのような常識では考えられないような寛大な処置をとった理由のひとつは、蒋介石が熱心なクリスチャンであったことだ。
聖書の「自分の敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」(マタイ福音書5:44)、「悪に負けてはなりません。かえって善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ書12:21)の言葉をそのまま実行したのである。

こうして蒋介石政府の寛大な戦後処理は、日本の侵略戦争であった日中全面戦争によりズダズダになった日中両国間の平和友好の回復をめざす最初の第一歩となったのである。

「撫順戦犯管理所」での“戦犯”たちへの人道的な処遇と寛大政策!
images11161また、中華人民共和国成立後における寛大な処置の事例が、日本軍国主義の積極的な手先として数多くの非人道的な罪をおかした“戦犯”たちへの「撫順戦犯管理所」での人道的な待遇とその後の寛大な処分である。

当初は「撫順戦犯管理所」に収容された1000人近い“戦犯”のなかから100人程度を裁判にかけて、70人余りを死刑に処する方針だったらしいのだが、それに反対した故周恩来首相は次のように指示したという。
「裁判にかける人数はもっと少なく、死刑や無期(禁固)は一人もだすな。有期刑は最高でも20年。今が納得できないかもしれないが、二十年後に分かる」

こうして管理所での人道的な待遇のもとで多くの“戦犯”たちが自らの加害行為を認め、被害者側に包み隠さず供述するようになっていき、「認罪」の道へと踏みだしていった。
また、1956年夏にはほとんどの“戦犯”たちが不起訴・即日釈放となって帰国し、死刑判決もなく、特に罪の重い45名のみが禁固刑をうけただけであった。
中華人民共和国成立後における日本の“戦犯”たちへのこのような寛大な処遇も、蒋介石の寛大な戦後処理とともに日中間の平和友好の回復に貢献したことは言うまでもない。

「あいまい領域」を認め合うことで保ってきた平和友好関係と歴史の重みを思う!
imagesCAK159UIところで、いま日中間には尖閣諸島沖での日本の海上保安庁による中国漁船拿捕とその後の経過をめぐって大きな波風が立っており、日本国内では反中国派と一体となったマスメディアなどが反中国の排外主義的なナショナリズムを煽る論調を垂れ流している。
もし、このまま両国民の排外主義がエスカレートして互いの反中国、反日の機運が際限なく高まっていったら、日中友好関係はまたたく間に崩壊しかねない状況だ。

だが、ささいなトラブルにこだわり、反目や憎悪を乗り越えて先人たちが戦後65年にわたって営々と築いてきた現在の日中関係を破壊することは「愚の骨頂」である。
そもそも1972年の日中国交回復と1978年の日中平和友好条約締結の際には、尖閣諸島をめぐる領土問題を「棚上げ」とすることで国交回復を実現し、平和友好条約を締結したのであり、それ以来、日中両国間の平和友好関係はお互いが尖閣諸島の領有権といった「あいまい領域」を認め合うことで保たれてきたといってよい。

筆者はこの間に、尖閣諸島が日本の正当な固有の領土であることを歴史的な事実と道理をもって主張すべきであったとは思うが、良くも悪くも「あいまい領域」をお互いが認め合うことで友好関係を保ってきたことは紛れもない事実である。
ところが、現在の管政権と前原大臣はこの「あいまいさ」を否定し、中国漁船を逮捕することで中国当局にたいして領土問題に関しては「あいまいさ」がないことを強引に認めさせようとした。

ここに今回の流出ビデオ問題をはじめとする一連のトラブルの根源があり、今回の紛争は日本側(前原大臣)が仕掛けたものに他ならない。
今回の問題の本質は前原流の「あいまい領域」なしを力ずくで中国に認めさせ、対立関係をエスカレートさせるのか、あるいは今までのように「あいまい領域」を残してでも日中の平和友好関係を守るのかにある。
日中戦争における甚大な犠牲と、反目と憎悪を乗り越えながら平和友好関係を築き上げてきた日中両国の先人たちの営々たる歴史的営みを考えるとき、選択すべきは後者の道以外にはない。
現在の日本人は歴史の教訓とその重さをもっと知るべきである。

日本の歴史的な領土である千島列島全体の返還を目指すべき(唯一残されたソ連の不当な領土併合)

image11111ロシアのメドジェーエフ大統領がソ連時代を含め、ロシアの最高指導者としては初めて千島列島の国後島を訪問したという。
この間、ロシアは日本が降伏文書に調印した9月2日を「第二次大戦終結の日」としながら、千島は「第二次大戦の結果、ロシア連邦の領土となった」と強調しており、その変更は断じて受け入れられないとの姿勢をしめしてきた。

これらの同国の振る舞いはロシアが日本の歴史的な領土である千島列島を将来にわたっても不当に領有しようとの意図を露わに示したものであって、断じて容認できるものではないだろう。

日ロ領土問題の根源(スターリンの不当な領土併合をめぐって唯一残された問題)!
そもそも、日ロ領土問題の発端は第二次大戦終結時におけるソ連の独裁者スターリンの覇権主義的な領土拡張政策にある。
スターリンはヤルタ会談(1945年2月)でソ連の対日参戦の見返りとして米英両国の指導者に千島列島の「引渡し」を求め、これを米英両国とも承認したことを根拠に日本の歴史的領土である千島列島を併合した。
これはカイロ宣言などに明記され、スターリン自らも承諾した「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を踏みにじる暴挙であり、きわめて不公正なやり方に他ならなかった。

また、ソ連の独裁者スターリンは極東にとどまらず、第二次大戦の時期に前後してヨーロッパで不当な領土拡張政策を強行しているが、その代表的な事例がバルト三国であろう。
これは第二次大戦直前にナチスドイツとソ連が独ソ不可侵条約を締結した際の秘密議定書によってソ連への併合が強行されたものであり、この領土をめぐるスターリンの悪しき遺産はソ連崩壊直前にバルト三国が独立し、主権を取り戻すことでようやく清算された。

また、バルト3国併合と前後してポーランドの一部もソ連によって併合されたが、これらスターリンの覇権主義的な領土拡張のうち、そのほとんどがすでに解決をみており、当事国からの厳しい批判のないまま、今にいたるも解決のメドがたっていない唯一のものが日ロ領土問題であり、千島列島の帰属の問題だ。

サンフランシスコ講和条約で千島放棄条項を受け入れてしまった日本政府!
なぜ、大戦後65年もたった今でも日ロ間の領土問題解決のメドがたっていないのか、その根源を探ると歴代自民党政権の誤った対応につきあたる。

1951年のサンフランシスコ講和条約第2条C項で日本政府は千島列島に対する全ての権利や権原を放棄しており、このことでヤルタ協定での千島の「引渡し」条項という秘密の取り決めを日本政府が追認してしまった。
また、サンフランシスコ講和条約の後に同条約の「枠組み」のなかで領土問題の解決をはかろうとして、国際的には通用しがたい論理を持ち込んだ。
持ち込んだ論理とは国後と択捉は千島列島でないから返せという主張であり、ここに国後、択捉、歯舞、色丹四島をあわせた「北方領土」の返還要求という動きがはじまった。

しかし、サンフランシスコ講和条約で日本政府が放棄した千島列島に国後や択捉が含まれることは、日本政府自身が講和会議の場や、その後の同条約批准をめぐる国会論議で公に表明してきたことであり、あとになってこの解釈を覆そうとの試みが国際的に通用するものではなかったことは、その後の領土問題をめぐる歴史的な経過が雄弁に物語っている。

また、「北方領土」返還論は千島列島の一部である国後・択捉と、もともと北海道の一部である歯舞・色丹とを同列に並べるものであり、一括返還の立場をとることで歯舞・色丹の早期返還の道を逆に閉ざしてしまった。
もとから歯舞と色丹は放棄した千島には含まれない北海道の一部であり、最終的な領土確定をまって締結される平和条約を待たず、早期に返還されるべき島々であるからだ。

「領土不拡大」という大原則と歴史的な事実にたって領土交渉をすべきである!
このように千島放棄を前提としたサンフランシスコ講和条約の「枠内」で日ロ領土問題を解決しようとしてきた歴代自民党政権の方針では、日ロ領土問題の活路は開かれないことは今までの歴史的経験から明らかとなっている。
領土問題を本気で解決しようとすれば第二次大戦の戦後処理の大原則である「領土不拡大」の原則に立って、その不公正をただすという立場に立っての外交努力を尽くすしかない。

また、サンフランシスコ講和条約の千島放棄条項にとらわれる必要もなく、国際正義に反する条約は当事国の国民の異議申し立てによって是正することが可能であり、これは国際法上の権利でもある。
サンフランシスコ講和条約には沖縄の施政権の米国への引渡し条項があったが、日本国民の要求と運動によってその条項は“立ち枯れ”となり、基地問題を積み残しながらも施政権の日本への返還が1972年に実現したことはその前例でもある。

また、千島列島が最終的には1875年に於ける日ロ間の「千島・樺太交換条約」によって平和的に日本の領土として確定したことは歴史的な事実であり、第二次大戦の時期まで千島が日本の領土であることが国際的に問題になったことはない。
この歴史の事実に立脚した外交交渉を基本とすべきであり、「国後、択捉は千島にあらず」という歴史をゆがめる論理をもちだすことはもはや止めるべきである。

民主党政権に旧政権による領土交渉を見直して、歴史的な経過と国際的に通用する道理にもとづいた方針への転換を求めたい。
歴史の不正を改めていこうとの試みに時効というものはない。
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沖縄戦の戦跡をめぐりすすめられてきた靖国化(日本軍の顕彰と戦争の実相の切り捨て)

戦争体験の風化がすすみつつある戦跡群!
沖縄戦の際に本島中北部の米軍キャンプに収容されていた住民が郷里やその周辺に戻ることを許されたのは1945年(昭和20年)の末であったが、本島南部ではまずは散乱する遺骨の収容を完了させねばならなかった。
この時、南部の米須海岸の付近のキャンプに収容されていた真和志村(現在の那覇市)の人々が散乱していた白骨の収拾作業をおこなって3万5千体にものぼる遺骨を収容し、米軍からもらったセメントなどから作ったものが「魂魄の塔」である。

images11081沖縄各地には他の都道府県の戦没者のための碑が建てられているのにたいして、沖縄県の塔というものはなく、現在でもこの「魂魄の塔」が事実上の沖縄県の塔となっている。
また、遺骨の詰まった慰霊塔はこの「魂魄の塔」ばかりではなく、大小さまざまなものが各地に散在するが、残念なことにはその多くは雑草に埋もれるにまかせられ苔むした石碑となって、人知れずに風化しつつあるのが現状だ。

日本軍を顕彰する石碑群へと変容した南部戦跡!
だが、このような沖縄戦の真の戦跡が忘れ去られつつあるなかで、観光化がすすみ土産品店が軒を並べ、門前市をなしている一群の戦跡群がある。
それは南部戦跡(沖縄戦跡国定公園)めぐりという観光コースの目玉として組み込まれた小録海軍壕(豊見城村)や「ひめゆりの塔」、そして牛島軍司令官を祀った摩文仁丘の「平和祈念公園」などだ。

また、喜屋武岬の「平和の塔」は地元部落の人々が周辺に散乱していた遺骨をあつめて建立した納骨堂を、国の霊域整備事業によって現在の地に移築したものであるが、その際に碑文が日本軍(第62師団)の「玉砕」や「偉烈」を顕彰したものに置き換えられ、避難民の無縁墓がいつのまにか軍隊の慰霊塔にすり替えられた。

戦争の傷跡を生々しくとどめた真の戦跡は放置される一方で、日本軍を顕彰する慰霊塔ばかりが林立し、いつのまにか南部戦跡の中心点も沖縄住民最後の地である「魂魄の塔」から、牛島軍司令官を祀った摩文仁丘へと移しかえられた。
また、「沖縄南部戦跡観光」の観光ガイドたちもひめゆり学徒隊や鉄血勤皇隊の若人たちの「殉国美談」を語り、「英霊」たちの安らかならんことを祈って「海ゆかば」を唱和することはあっても、鉄の暴風に追いつめられた無数の住民たちの生きざまや死にざま、軍民雑居のなかでの軍隊と住民との骨肉相食む“地獄絵図”などは口にしなくなった。

沖縄戦跡からは沖縄住民の戦場体験が切り捨てられ、日本軍の「勇戦敢闘」や「偉烈」を語り伝えるためのものへと再編成されていき、「南部戦跡の靖国化」がすすんでいった。
また、そこからは戦争の実相も浮かび上がらず、戦争にたいする人間としての抗議の声もかき消された。

戦争神話を生み出し「戦跡の靖国化」をすすめた援護法!
さて、この「南部戦跡の靖国化」がすすんだのは戦没者の遺族への対応として、援護法、正式には戦傷病者遺族等援護法が1952年に制定されたことをきっかけとしている。
この法律は当時まだ米軍支配下にあった沖縄にも適用がはかられ、沖縄の軍人、軍属や準軍属(一般住民で「戦闘協力者」と認定されたもの)の扱いが決められた。
そして、該当者には遺族年金や障害者年金が支給され、さらにはその適用者の名簿が靖国神社に渡され、同神社に合祀されることとなった。

だが、ここで「戦闘協力者」と認定されるためには軍の要請により戦闘に参加したことが立証されなければならず、遺族が日本軍によって家族が殺されたという事実を申し立てても拒否されることになった。
そこで、現地では民間人とくに学徒隊や義勇隊、集団自決者や児童、幼児といった各層の人々がいかに日本軍に献身的に協力したかを強調する風潮が起こり、「国を思い、郷土を愛し、身を挺して祖国のために散っていった殉国の至情」といった戦争神話が続々と生み出された。

こうして住民虐殺や集団自決という名の強制死、沖縄人の総スパイ説などといった戦争の醜悪な側面はみごとにぼかされ、靖国思想による沖縄戦記の再構成がおこなわれた.
さらには、援護法や靖国神社とのつながりから沖縄戦を「祖国防衛」として美化する遺族の集まりも生まれ、戦没者の追悼のありようも大きく変容していった。
こうした沖縄側の援護法適用運動の影響を受けてすすんでいったのが「戦跡の靖国化」であり、沖縄戦で沖縄の人々を本土決戦準備にむけた時間稼ぎのための捨石にしたことや、多くの犠牲を生み出したことを認め反省するような国の記念館も記念碑がひとつもないのが沖縄の現状である。

また、日本政府が先の戦争を誤った戦争であることを認めず、正当な戦争としてこれへの貢献度に応じて援護していこうとするのが援護法である。
ゆえに、この法律には侵略戦争への反省という要素がひとかけらもなく、そもそも日本政府には国家がおこなった誤った戦争により犠牲になった人々への償いとして補償をしようとする意思がさらさらにない。

追伸
image110911995年に元鉄血勤皇隊員であり沖縄戦研究者でもあった太田昌秀知事のもとで作られたのが「平和の礎」である。
「平和の礎」は恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦で亡くなられたすべての人の氏名を刻んだ記念碑であり、日本の戦争を美化・正当化する靖国神社が日本軍人のみを「英霊」として祀っているのにたいして、民間人も含めさらには敵味方の別なく、すべての戦死者を追悼しようという記念碑である。

ただ、沖縄県民を捨て石として犠牲にした牛島司令官や住民を虐殺した日本軍将兵、沖縄県民、さらには強制連行されてきた朝鮮人軍夫や慰安婦たちを同列に刻銘することに異議を唱える人々もいる。

参考 沖縄戦 大城将保 高文研

急浮上してきたTPPとはなに(狙いは輸出大企業の利益であり、崩壊するのは農業と国民生活)

最近、TPPという聞き慣れない用語がマスメディアで頻繁に使われだしているが、この用語は略称であり、正式名称は「環太平洋戦略的経済連携協定」といういかめしいものだ。
また、この用語は直接にはシンガポールとニュージーランド、チリ、ブルネイといった四カ国の間で結ばれている自由貿易協定のことを指しており、例外品目なしの100%の貿易自由化を目指した国どうしの取り決めであるところにその眼目があるらしい。

さらに現在、米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアといった国々も参加を目指し、原加盟四カ国を含めた九カ国で交渉を重ねているが、そこへ日本も加わろうと検討を開始したことからこの言葉が浮上してきたようだ。

食糧自給率の無残なほどの低下をもたらすTPPと民主党政権の非現実的な政策!
さて、このTPPという枠組みのなかに仮に日本が参加することになれば、まずはいっさいの関税が撤廃され、例外品目なしにすべてのモノやサービスがノーガードで日本も含めたお互いの国どおしの間で取引されることとなるだろう。
だが、そうなれば外国の安い農産物が関税フリーで日本国内に入ってくるようになり、それに太刀打ちできない日本農業は壊滅的な打撃を受け、日本の食糧自給率は現在の40%からさらに14%まで下がるだろうという試算を農水省自身がおこなっている。

また、その影響は食糧自給率の低下にとどまらず、農業関連産業などを含めてGDPが年間7兆9000億円も減少し、そのために日本全体で340万人の雇用が失われることも農水省の試算は示している。
農業生産の減少は食品加工などの地域産業に打撃を与え、地域の小売業やサービス業の低迷に直結し、地方の小都市の衰退をもたらすからだ。

また、現在の民主党政権はTPP参加と日本農業の再生を両立させるとしており、仮に関税の完全撤廃で安い外国産の農産物が自由に入ってくることになっても、農家への所得補償をおこなえば日本農業の再生は可能であると唱えている。
だが、米を例にとってみてもこれはいかに非現実的であるかは一目瞭然だ。

現在、外国産のジャポニカ米であれば一俵3000円ほどで輸入が可能である。
そして、この廉価な外国産米との競争を想定した場合に、生産の維持に必要な経費との差額を全額補填したうえで現在の生産量を維持するためには、米だけでも毎年2兆円ぐらいの所得補償が必要だ。
米の生産の維持だけでも必要な財政負担が毎年2兆円にもおよぶのであり、その他の品目をすべてふくめると、TPP参加と日本農業の再生を両立させるための財政コストは莫大なものとならざるをえない。

さらに、このために必要な財源を民主党政権が捻出できるかもきわめて疑問であり、いわゆる「事業仕分け」だけではとても追いつかず、逆に今回の特別会計の「事業仕分け」では今まで隠されていた新たな負債が見つかるといった有様だ。

“1.5%のために98.5%が犠牲に”という前原発言は反国民的だ!
image11061さて、前原外務大臣はTPPへの日本の参加に関して「日本のGDP(国内総生産)における第一次産業の割合は1.5%だ。1.5%を守るために残りの98.5%のかなりの部分が犠牲になっている」との発言をしている。

だが、農業は単なる数字だけでは判断できない。環境保全や国土保全などで農村のはたす多面的な機能は大きく、水田の保水能力だけでもダムの建設費に換算すれば莫大な金額として算定されることとなるだろう。
また、農業は生態系の維持にも欠かすことができず、田んぼが崩壊するだけでも日本中でオタマジャクシが400億匹死んでしまうという農水省の試算さえあり、農業の多面的機能の中で最大のものは国民のいのちに関わるリスクから国民を守っているというところにある。

また、日本は「農業鎖国」の状態にあり、開かれた市場として諸国に開放されるべきとの指摘もあるが、日本の輸入農産物に対する平均の関税率は11.7%という低いレベルにあり、世界でも最も開かれた国であって、世界最大の農産物輸入国だ。
関税で守っているのは米とわずかな品目だけであり、全農産物のわずか1割にすぎず、これさえも撤廃することになれば農業と国民生活の崩壊へと直結することになりかねない。

一部の輸出大企業のために農業と国民生活を崩壊させるTPP!
一方でTPPに参加することで利益を得るのは自動車産業や家電などの一握りの大手の輸出産業だけであり、輸出企業や海外展開をしている企業は日本全体でみれば総企業数のたかだか2000分の1にすぎない。
また、大手の輸出産業はすでに海外への直接投資や現地生産も相当にすすめており、例外なしの関税撤廃で利益を得られる人の範囲はきわめて限定されたものとなるはずだ。
それゆえ、わずかな輸出産業のために国民生活を犠牲にしていいはずもなく、輸出をもう少し伸ばすためになんでもやるからTPPに参加させてくれという必要などさらさらない。

さらに、TPPは関税撤廃だけでない広範な影響をもたらす。
すなわち、わが国とインドネシアやフィリピンとの間には既に二国間の自由貿易協定が締結され、この二国からの看護師や介護福祉士の受け入れが義務付けられているが、TPP参加をきっかけにしてより広範な職種の受け入れが求められるのは必定である。
それがなんのルールもなければ国内の雇用を圧迫し、国際的な賃下げ競争に容易につながることとなる。

“乗り遅れるな、遅れたら大変だ”という議論があるが。TPPというバスは乗ってはいけないバスである。

(消えつつある日本の水田)
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沖縄戦での日本軍による残虐行為と住民へのスパイ視という組織的犯罪

images11011沖縄戦では日本軍によるさまざまな残虐行為が住民に対してなされた。これは沖縄戦を語る際に欠かすことのできない大きな要素である。

直接に日本軍が手をくだしたケースだけでも、住民からの食糧強奪や軍へのガマの提供をしぶった者、軍民雑居の壕内で泣き叫ぶ乳幼児、米軍に投降した者や保護された者、米軍から食糧をもらった者、投降を促す米軍のビラを所持していた者、日本兵からの尋問に答えられなかった聾唖者や精神障害者など、実にさまざまな理由で日本軍による住民虐殺がおこなわれており、その多くはスパイなどという名目で処刑された。

その処刑のやり方も凄惨をきわめ、公開処刑のようなこともおこなわれた。
沖縄守備軍の坑道の入り口にスパイの嫌疑で30歳ぐらいの女性がつれてこられ、憲兵が「これから処刑する」と言い、近くの電柱に縛り付けた。そして、壕内にいた朝鮮人慰安婦4〜5人に日の丸の鉢巻をしめさせ、手には40センチぐらいの銃剣を握らせて、憲兵の「次」、「次」という命令によってつぎつぎに刺突させた。次には縄を切って将校が軍刀を振り下ろして斬首し、それを見ていた兵隊や学徒隊員らが次々に女性に石を投げつけたという事例が「玉城村史」に記載されおり、投降しようとする住民を背後から射殺した事例や、米軍のビラを持っていただけのいたいけな少女をスパイとして捕らえ、拷問のうえに殺した事例など枚挙にいとまがない。

敗北の責任を住民の「スパイ行為」に転嫁した日本軍!
このような頻発する日本軍の残虐行為の根底には沖縄戦が「国体護持」、すなわち天皇制を守るための戦いとして位置づけられたことがある。
上官の命令は天皇の命令であり、住民に対しては下級兵士の言うことであっても「天皇の命令」として強制され、将兵が生き延びるためには住民から食糧や避難場所を奪うことも、当然のこととされた。

そして、天皇の軍隊である「無敵皇軍」が負けるはずもなく、劣勢に追い込まれていくのは住民の中にスパイがいるからだとされ、その責任は沖縄住民に転嫁された。
沖縄の住民がスパイをしているという話は軍司令部や部隊本部などで公然と語られ、軍内部でも組織的に通達されており、「沖縄の奴らはみなスパイだ」とさけぶ将兵が多かったことは数多くの証言集などにも残されている。

神の国である日本の皇軍が負けるはずはないと思い込んでいる者たちにとって、日本軍が負けるのは内部にスパイがいるからだとしか考えられず、理性を失って物事を客観的に冷静に見られなくなった日本軍の将兵たちはその矛先を沖縄住民へと向けていった。
沖縄戦における日本軍の残虐行為は一部の兵士による例外的な行為ではなく、絶対的な存在の天皇を担ぐ「皇軍」である日本軍そのものの体質が生み出したものであった。

住民のいのちを救った良心的な日本兵がいたことについて!
さて、沖縄戦における日本軍の姿勢は住民をできるだけ利用するが、その生命と安全は度外視し、いざという場合には米軍への投降は許さずに死を強制するというものであった。
また、日本軍の内部においても同様に将兵は投降を許されておらず、死が強制された。(自決や玉砕という名の自殺攻撃)

imagesCARWC1WEだが、日本軍の将兵の中には追いつめられた極限の状態において、自分は死ぬしかないが、沖縄の民間人や学徒兵、朝鮮人軍夫までも道連れにするのは忍びないと考え、彼らには捕虜になっても生き延びるように諭し、その命を救い出したという人々もいた。
家族で自決しようと考えていた際に、壕の奥にいた日本兵に「あんたたち、アメリカ兵は住民をけっして殺しはしないから、安心して出て行きなさい」と手りゅう弾や銃を取り上げられ、壕から出ていって助かったという事例(糸満市における沖縄戦の体験記集)や、兵から避難民だけでも助かりなさいと投降をすすめられて助かった事例(沖縄県史)など、住民に対して投降をすすめた日本兵の存在も少なくない。

だが、これらの振る舞いも沖縄戦末期の南部戦線で日本軍の組織が事実上解体し、将兵たちが一人の人間としてふるまえるようになった時に、しかも自らは死を覚悟した状況の中での出来事にすぎず、日本軍の軍記が維持され、組織として機能している中でのこのような振る舞いはスパイや非国民として処刑の対象とされ、米軍に投降しようとする住民も日本軍に殺された。
それゆえ、このような良心的な日本軍将兵が存在したことが事実であったとしても、これを根拠に日本軍は良いことをしたという評価を下すことはできない。

日本軍という組織は人間としての良心や理性にもとづく判断や振る舞いをすべからく排除し、将兵や住民の犠牲のうえに戦争を遂行した組織であり、それが解体したのちにはじめて、一人ひとりの将兵や住民たちが自分の判断にもとづいて行動できるようになったにすぎないからだ。
また、日本軍のなかには人間的にもひどい将兵が多かったことも事実であり、将兵の人権や人間性を徹底的に抑圧し、人間の内側に潜む非人間性を促進助長したのが日本軍であった。

スパイの汚名をきせられ沈黙させられた虐殺の犠牲者たち!
さて、沖縄戦での日本軍による住民虐殺事件は各地で発生しているが、本格的な調査が十分なされているとは言いがたく、全容はいまだに明らかになっていない。
相当数の事例が判明しているが、それもいまだに氷山に一角にすぎないというのが現状である。
その理由はスパイという名目で処刑された犠牲者たちは生命を奪われただけではなく、スパイや非国民という汚名を貼り付けられて、人間としての尊厳さえも奪われてしまったからだ。
それゆえに遺族でさえもこれを世間に公表するのを憚るのである。

参考 沖縄戦が問うもの 林博史 大月書店

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