光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2011年02月

銚子市立病院再生の現状と新学校給食センターの「偽装請負」問題について(議会を傍聴して)

imageCAB2DTFG一昨日、銚子市議会の一般質問の傍聴に出向いた。午前中のみの限られた時間ではあったが、また「野平節」をたっぷり聞かせていただくこととなった。
市立病院の再生の問題や新学校給食センターにおける「偽装請負」の可能性の問題などが議員質問の主な内容であったが、筆者はやはりリコール運動の頃から注目している病院問題に関心が集中する。

野平市長が強調した病院問題をめぐる三つのキーワードについて!

さて、議員側から銚子市立病院の再生の問題を質問された野平市長は三つのキーワードを強調した。
揺籃期”という言葉と“できたできた”および“契約”という三つの言葉だ。
これらの言葉が含む意味を筆者流に解釈すればつぎのようになるだろう。

「市立病院の再生計画は五ヵ年にわたる息の長いものであり、いま初年度に達成すべき目標にむけて指定管理者の医療法人が懸命になって取り組んでいる。
いわば病院再生は“揺籃期”であり、議会はいろいろ言わずに、ただ黙って結果が出るまでは暖かく見守るのが議会としてのふさわしい態度である。
また、病院再開はマイナス100からのスタートと言われ、事実上不可能ではないかとささやかれながらも昨年5月の再開を果たしており、診療科目も四つへと増やしている。
これは賞賛に値すべき実績であって、議会はできていない事をあげつらうのではなく、達成できたことを“できたできた”という観点から積極的に評価すべきである。
さらに病院の経常収支は年度末に1億2千万円以上の赤字が見込まれており、これを全額銚子市が補填することになるが、これでは民営化した意味が無いではないかという意見もあるだろう。
だが、肝心なことは“契約”で交わした約束を守ることであり、医療法人側との契約で経常収支の赤字は銚子市が補填することが決められているのだから、これは誠実に遵守すべきだ。
市の都合で契約内容を安易に覆すようでは銚子市への信頼が損なわれ、銚子市立病院に赴任しようとする医師がいなくなってしまいかねない。」

このような市長の言い分にはそれなりの道理があり、もっともな論理でさえある。
再生計画にしたがって医療法人が頑張っているのであれば、結果が出た時点で厳しく検証すればよいのであり、マイナス100からのスタートと言われた市立病院再開を実現させたことは間違いなく並みの事柄でない。
また、相手側との契約内容を遵守するのは、それが医療法人側にきわめて都合の良い内容を含んだものだとしても、世の中の基本中の基本であるに違いない。

筆者は野平市長が実現した病院再開の実績を評価することにやぶさかではなく、いやむしろ心の奥底では“グッドジョブ”とさえ思っている。
だが、それでも野平市長への評価にはいまだに毀誉褒貶が激しく、また一部の議員からも市議会が開かれるごとに“細部”にわたって手厳しい指摘や注文が浴びせられる。筆者も素直に市長を評価する気にはなれない。
これはなぜなのか、それは野平市長の病院再生の手法には「公正さ」と「公開性」が欠落しているからである。

かねてから指摘され続けた銚子市立病院再生機構の内実について!
それは市立病院の再生を担っている市立病院再生機構のスタッフを見ればわかる。
この組織の実質的なトップは市長の“友人”であるT事務局長であり、この人はサーキット場や豪華客船の就航だのと放漫経営を続け、自分の会社をつぶしてしまって食い扶持に困っていたところを野平市長が再生機構の事務局長のポストへと“拾い上げた”人物である。
また、この組織の役員の顔ぶれを見てもすべてが野平市長の人脈にどこかで繋がっている人たちばかりであり、それらの人たちが個人個人を見ればどんなに優秀な人物であったとしても、これが野平氏の「ファミリー企業」であるという印象は免れるものではない。

これは現在にもその尾を引きずっており、それゆえに野平市長の実績にもかかわらず、いろいろと市民の側から市長への毀誉褒貶が絶えない最大の原因ともなっているのである。
組織の立ち上げにあたっては広く社会にむけて人材の公募をおこない、その能力と実績という基準によってのみ任用を決定するというのが公正な手法というものであっただろう。
また、事務局は高給取りでも医者は集めることのできない再生機構というイメージを多くの市民が抱いており、誤解も含んだこの市民のイメージの根源にもこれらの事柄が横たわっている。
そして再生機構は今でも東京にその実質的な活動拠点があって、その業務内容は非公開であり、理事会の議事も同様である。
市民の命と健康を守るべき地域医療の拠点である銚子市立病院の運営を委ねられていながら「親会社」である銚子市側からは誰も理事会には参画していないし、市長の言葉を借りれば“口を出すこともできない”というのである。

野平市長の病院再生の手法に付きまとうこれらの影の部分は絶えず市民の意識にマイナスイメージを再生産し続けており、この問題にメスを入れない限り、仮にどのような実績を再生機構が上げようが広く市民から市長への賞賛の声が沸き起こることはない。
これは野平市長自身がもっともよくわかっていることでもあろう。

新学校給食センターにおける「偽装請負」の問題について!
さて、新学校給食センターの「偽装請負」問題であるが、これは労働法制が絡んだきわめて複雑な問題であり、簡潔に述べることは至難の技であるが、敢えて書くことにする。

これは新学校給食センターの調理業務が民間委託となり相手業者との請負契約という形式をとっても、実態的には設備や食材は銚子市が提供し、業者側は調理業務に従事する労働者を送り込むだけであり、業者側から送り込まれた労働者も実質的に銚子市の栄養士などの指揮命令関係のもとで働くのであるから、これは請負ではなく労働者派遣と判断されるというものだ。
そして、労働者派遣ともなれば現在の労働者派遣法のもとで派遣労働は「臨時的、一時的」な業務にしか認められておらず、期間の制限を超えて通年の調理員として派遣先(銚子市)が働かせる場合、銚子市側に直接雇用をすべき法的な義務が発生する。
それゆえ「行政改革」と「人員削減」の効果をあげるために、契約上は請負という擬制をとってでも銚子市が直接雇用の義務から免れようというものだ。

銚子市の見解によればこの擬制はPFI法なる法律によって認められているというのだが、自治体などの公共職場にあっては社会的公正が必要であり、自治体が雇用においても地域で範を示すためには、自治体職場から「偽装請負」や「違法派遣」の疑いのある雇用を根絶することから始めるべきであろう。

自治体職場での「偽装請負」の問題は自治労連の次のサイトを参照のこと(ただし長い)
http://www.jichiroren.jp/modules/contents/content0049.html

新会派の立ち上げは真民主党の立ち上げであり、想定される「小沢新党」と「国民の生活が第一」が今後の国政のキーワードである

総選挙マニフェストを投げ捨てた菅執行部を公然と批判して旗揚げされた新会派とは!
images22022009年の衆院選で民主党の比例ブロックから当選した議員ら16人が新会派「民主党政権交代に責任を持つ会」の結成を宣言し、衆院議長に届出をおこなったという。
新会派の立ち上げにともなう声明文は『本来の民主党の姿とはかけ離れた今の政権にはもう黙っていられない。みすみす旧来からのしがらみにはまり込み、無原則に政策の修正を繰り返す菅政権に正当性はない。我々は今こそ、「国民の生活が第一」の政策を発信し、国民の信頼を取り戻していかねばならない』と宣言し、消費税増税など民主党マニフェストを党内の民主的な手続きもえずに改変し続ける菅執行部を批判している。
そして、主権者国民との約束を果たす本来の民主党議員としての議会活動を実行するために新たな会派を立ち上げることになった経緯を公表したのである。

新会派立ち上げの声明文の要旨はこうだ。
「今の菅政権は国民との約束を果たす本来の民主党政権ではなくなっており、予算の無駄を徹底的に削り、新たな政策の財源にあてるはずが、ほぼ手つかずの一方で、「衆議院の任期中は上げない」としていた消費税については「本年度末までに法的な対応をしなければならない」と宣言し、増税への決意をあらわにした。
また、政治主導で日本を立て直すはずであったが、目玉とされた国家戦略局の設置はいつの間にか消え去って官僚に頼りっぱなしとなり、そのうえ尖閣問題などもっとも政治主導であるべき外交案件で失敗すると官僚のせいにした。
かくして菅政権は民主党の理念である政治主導、および「国民の生活が第一」という国民への約束をも捨て去った。」

こう訴えて会派離脱届けを提出した16人の議員は自らはけっして離党はせず、主権者国民との約束を一方的に破棄する行動をとった現在の民主党執行部こそ離党すべきであると主張したのである。
選挙で国民に約束したマニフェストの実現に歯を食いしばっても取り組むことこそ真の民主党の姿であり、かくして民主党はこれを機会にマニフェストを投げ捨てて国民を裏切った菅政権一派と真民主党とに分裂した。
また、この菅政権一派と真民主党との分裂の根底には「民主党はマニフェストに立ち返り、国民との約束を果たせ」という国民多数の声があり、新会派を含む真民主党の結集軸が小沢一郎であることは、この間の小沢対反小沢の民主党内での「内紛」からも明確になっている。

小沢一郎に河村たかしや橋下徹などが合流する「小沢新党」が急浮上したことについて!
さて、折りしも小沢一郎は地域政党「減税日本」を立ち上げた河村たかし名古屋市長と面談するなどの動きを見せ、親小沢派の原口前総務相は橋下大阪府知事や河村たかし名古屋市長との連携を発表して「日本維新の会」の設立を表明した。
小沢一郎の「一新会」と橋下府知事の「維新の会」、河村氏の「減税日本」が合流して新党を作り、次回の総選挙にうってでるという相談が始まっており、新党ができれば政局の「目玉」となることは間違いないというのである。

だが、河村たかしの「減税」はじつは富裕層中心の減税にすぎず、「減税」の実施でできた財源不足を福祉施策や市民サービスの切捨てで補う河村たかしの手法は亜流小泉構造改革のそれであり、このような手法を国政に持ち込むべきでないという意見も存在する。
また、議会と首長からなる自治体の二元代表制を破壊し、「解散請求」によって議会を自らの影響力と支配のもとにおこうという河村氏の手法に懸念をいだく人は多い。
筆者もそのように考えているが、小沢氏に河村・橋下両氏が合流した新党が何をするかは、彼らをどのような勢力が支持しているかによって決まってくる。
小沢氏を支持する有権者はこの間の一連の問題を対米従属派と対米自立派とのたたかい、そしてマニフェストに掲げた政策を既得権勢力に屈してなし崩し的に捨て去ろうとしている勢力と、あくまで「国民の生活が第一」という国民との約束を守り、それを実行しようとする勢力とのたたかいとしてとらえている。

小沢氏の支持勢力がかくのごとき国民であり、主権者国民の意思に従うことでのみ政治勢力として浮上することが可能となるかぎり、小沢一郎に河村たかしや橋下徹などが合流する新党も“国民の生活が第一”の実現を求める国民多数の声を無視しては一歩もすすむことはできないだろう。
かくして筆者には想定される「小沢新党」を全面的に支持するつもりがなくても、次期の総選挙が自公政権の復活か、菅政権の継続か、および「小沢新党」か、の三つの選択肢のなかからいずれかを選ぶ構図ともなれば,断じて「小沢新党」を選択するべきだと考えるのである。

日本共産党は今度こそ国民の新しい政治探求の流れに立ちはだかってはならないこと!
ところで自民党、民主党だけでなく公明党やみんなの党もすべて自党以外は大企業優先、アメリカ言いなりの「古い政治の枠内」に存在するのであり、自党の勢力が伸張する以外の選択肢には意味がないとする日本共産党の現在のスタンスはかくのごとき政治の流れの中では一般有権者の心に響くものがほとんどない。
まして現在、共産党の国政での存在感は消えかからんばかりのものとあってはなおさらである。

くらしの危機、平和の危機をもたらした旧来の自公政治に変わる新しい政治の中身が何かについて多くの国民は模索と探求の途上にあり、国民が新しい政治を本格的に探求する「新しい時期」がはじまったのであれば、想定される「小沢新党」の躍進も国民のこのような探求が新たなステージに入ったことを示しているのであり、共産党はこのような動きに対して積極的で前向きな対応をすべきである。
また、そうしてこそ「建設的野党」としての存在感がいやがうえでも高まってくるのである。

追記
上記の拙文は2月中旬現在の筆者の考えである。
今後、複雑な政治情勢の展開や「減税日本」などの動向には予断を許さないものがあるからだ。

水谷建設からの“裏献金”をめぐるしんぶん赤旗日曜版の最近の報道は遺憾であること(東京第五検察審査会にメスを入れるべし)!

image2151しんぶん赤旗日曜版(2月13日付け)に小沢氏疑惑スクープ証言と題して、あの水谷建設元会長のインタビュー記事が掲載されている。
同記事が伝える水谷氏の「証言」なるものを要約すればこうだ。

『胆沢ダムの下請け工事を受注するためには元請のゼネコンの了解だけでなく、小沢事務所の推薦が必要だった。
そこで当時の社長に指示して小沢事務所の大久保秘書にお願いにいかせたところ、胆沢ダムの堤体盛立工事の入札に先立ち、大久保秘書と合意ができた。
そして、胆沢ダムの下請け業者に推薦してもらう“お礼”に1億円を支払うことで話がまとまり、当時の社長から報告を受けて「よかったやないか」とねぎらった。』

この「証言」内容は2009年に脱税の罪で服役中の水谷元会長を東京地検特捜部の捜査員が訪ねた際に、水谷氏が「04年の10月と05年の4月に小沢氏側に各5000万円、計1億円の裏献金を渡した」と供述した内容と変わっておらず、それを繰り返したものにすぎない。

「水谷事件」も「西松事件」も根も葉もない虚構であったことが判明していること!
さて、09年のこの水谷証言から特捜部は04年10月の5000万円が同月の陸山会による土地購入の原資になったとみて、小沢氏の地元岩手県で建設中の胆沢ダムの工事に参入したゼネコン各社を対象に一斉捜査をはじめたが、これまでに30億円の捜査費と1年以上にわたる時間をかけたにもかかわらず、なんらの裏づけ証拠を見いだせずに終わっている。
いわば、水谷建設をめぐる裏ガネ疑惑は「大山鳴動」して「ねずみ一匹」さえ出ずに終わったシロモノであり、小沢不起訴にいたる「水谷事件」の顛末はこの話が検察ストーリーにもとづく虚構であったことを証明しているのである。

しかも、この「裏献金」を供述した水谷氏は出所後の日刊ゲンダイなどの取材に対して「石川、大久保なんて会ったこともない。石川被告の顔は報道で知ったが、それまでは石川のイの字も知らなかった」と証言したというのであるから驚きである。
「石川秘書が全日空のホテルで水谷建設から現金5千万を受け取った」とあれだけ騒いだ「報道」も、今はウェブ上からはいっさい削除されており、マスコミには報道責任を取ろうという姿勢はいっさい見られない。

また、小沢一郎の「政治とカネ」をめぐるもう一つの西松建設事件も、大久保秘書が西松建設からの献金をダミーの政治団体からのものと虚偽記載をしたというのが事件の核心であったが、これも西松建設の元幹部が公判で「政治団体がダミーとはまったく思っていなかった」との証言をおこなったことで崩れてしまった。
今では公判を維持することさえも困難となり、西松建設事件をめぐる裁判は事実上終焉してしまっている。
ここでも事件発覚時の「大久保秘書が“請求書”を出して西松建設にヤミ献金を強要した」などの「報道」は今ではウェブ上からはいっさい削除されており、この事件をめぐってもマスメディアが報道責任をとる姿勢はさらさらない。

このように小沢一郎の「政治とカネ」の問題の核心であった「水谷事件」および「西松事件」の両者はいっさいの証拠が見つけられずに終わっており、根も葉もない虚構であったことが判明しているのである。
それを裏付けるように、あの正体不明の東京第五検察審査会による強制起訴を受けた小沢氏をめぐる起訴事実の中には「西松建設事件」や「水谷事件」は含まれておらず、たんに政治資金収支報告書への不記載に小沢氏が関与したことのみがさらっと述べられているにすぎない。
そして、政治資金収支報告書への不記載などは単なる形式犯にすぎず、自公政権の時代にはすべて総務省による行政指導によって訂正すれば済んでいたのである。

しんぶん赤旗は東京第五検査審査会をめぐる一連の問題にメスを入れるべきだ!
さて、ここまで事実が判明しているなかにあって、今回のしんぶん赤旗日曜版の「スクープ報道」は「あっちの事件には目をつむるから、こっちの事件は言うとおりにしろ」と言われたであろう服役中の水谷建設元会長が、検事の歓心をえるためにおこなった過去の偽りの証言の焼き直しでしかない。
今になっても、とうに陳腐化してしまったネタを持ち出して、「正義」の検察が検察情報をマスコミにリークしながら「世論」を味方につけて「巨悪」に立ち向うという図式にこだわり続けるしんぶん赤旗には“真実を報道するしんぶん”という称号を受ける資格がなくなってしまっている。

いまや小沢一郎の政治生命を抹殺するために検察、検察審査会、裁判所などの司法諸機関と巨大メディアなどが一体となっており、その上に管政権一派と国会の破壊的野党が後押しをするという危ない状況が現出している。
小沢一郎のすでに終わってしまった「政治とカネ」の問題を利用したこれらの勢力のくわだては、政権交代阻止と小沢排除を狙った議会民主政治に対する挑戦ですらある。
これでは民主党を自民党と同じ“穴のムジナ”と看做して政権交代の意義を否定し、政治革新を願う国民から見放されてしまった日本共産党が、その記憶も新しいうちに再度の誤りをおかすこととなる。
今からでも遅くはないから共産党には引き返す勇気を望むものである。

また、しんぶん赤旗には東京第五検察審査会に対する徹底した検証記事を望むものである。
陸山会の政治資金問題は特捜部の長期にわたる捜査によって、すでに犯罪事実がないことが判明しており、この問題は小沢不起訴で終わっているはずである。
しかし、特捜部の意を受けた東京第五検察審査会はその構成も、議決手続きも明らかにしないまま、二度の起訴議決を作り上げて、3名の指定弁護士が違法の疑いのある起訴をおこなったのである。
ここには検察審査会が検察のチェック機関ではなく、その別働隊であり、裁判所や弁護士会さえもその補完役を果たしたという疑いがある。
しんぶん赤旗はここにこそメスを入れるべきではなかろうか。

政治家の説明責任とは何か。小沢一郎の「刑事被告人」としての人権を尊重すべきである。

images2111去る1月31日に東京第五検察審査会の起訴議決を受けて選任された指定弁護士が小沢一郎元民主党代表を政治資金規正法違反の罪によって強制起訴した。
その際に某革新政党のI書記長は記者会見をおこない「強制起訴によっても国会での説明責任を免れることはできない。司法は司法の役割があり、国会は国会で真相究明と政治的・道義的責任を明らかにする責務があることはいささかも変わるものではない。きちんと国会での証人喚問の処置をとるべきである」というコメントを発表した。

ところで検察審査会事務局は小沢一郎の起訴議決をおこなった11人の審査員の平均年齢を当初は30.9歳と発表し、その後に平均年齢を33.91歳に突然修正するという奇妙なドタバタ劇を展開した。
これは審査員のサンプリングの正当性に決定的な疑問を生じさせる出来事となった。
さらに検察審査会事務局は11人のメンバーを匿名で守り、いつ誰が、どのような審議を何回おこなったのかということもいっさい明らかにしていない。
いい加減な審査員のサンプリングにくわえ、11人の審査員はどんな議事をしたのか、情報をいっさい開示せず、これで人ひとり(小沢一郎)の政治生命の生殺与奪を決めようというのだから、いい加減なものである。

国民の知る権利と「刑事被告人」小沢一郎の人権とどちらを重んずるべきか!
さて、小沢一郎を強制起訴とした東京第五検察審査会の議決の正当性は別に論ずるとしても、さきのI書記長の小沢一郎の証人喚問をめぐる発言には大きな疑問を感じざるをえない。
メディアは小沢一郎が自らの疑惑に関しての「説明責任」を果たしていないと繰り返すが、今回、小沢本人はすでに強制起訴によって刑事被告人とされており、いずれ公開の法廷ですべての証拠が開示され、その全容が明らかになるのである。
政治家をめぐる疑惑が刑事裁判の対象となっていないケースでは、政治家の「説明責任」のみが国民の知る権利に応えうる唯一つの方法であろうが、今回の小沢一郎の場合にはすでに刑事裁判の対象となっており、「説明責任」より刑事被告人の人権のほうが優先されるべきなのである。

民主社会以前の刑事事件では、まず被疑者本人を引っ張りだして質問し、脅しや拷問などによって自白させればそれで有罪という人権無視の手法がまかりとおり、冤罪で苦しむ人が後を絶たなかった。
それゆえ、その歴史的な教訓を踏まえて現在の民主的な司法制度が形づくられており、被告人にたいする質問は全ての証拠の吟味が終わった裁判の最終段階でおこなわれることとなり、それまでは刑事被告人は任意のものを除き、自己の不利益となるいっさいの自白の強要から守られるのである。

また、現在の裁判では法廷外と法廷内との区別はなくなっており、強制力のある国会の証人喚問で余儀なくされておこなった証言でも全てが検察側の刑事裁判での証拠として利用されることは避けられない。
まして、国会での証人喚問は法廷とは違って相手側の尋問を遮って被告人を守る弁護士のガードはなく、議員による不当な誘導尋問から証人を守る手立てはいっさいない。
それゆえ、小沢一郎の今回の刑事裁判においても刑事被告人の人権は保障されるべきであり、国民の知る権利があるから今回は特別だという論理は成り立たないのである。
また、某革新政党のI書記長の「刑事裁判と政治家の政治的・道義的責任とは別であり、強制起訴によっても小沢一郎は国会での説明責任を免れることはできない」という論理も成り立たないのである。

小沢一郎は本来無罪であり、その議員活動に制約を設けるべきではない
小沢一郎をめぐる今回の刑事裁判は検察が証拠を見つけられずに二度も不起訴とした案件であり、証拠はないけれども素人からなる検察審査会がとにもかくにも裁判の場で白黒をつけろと決定したことで始まる裁判である。本来は小沢一郎は無罪なのである。
それゆえに「推定無罪の原則」を通常の裁判の場合よりも重んずるべきであり、小沢一郎の議員活動にいかなる制約を設けるべきではない。
国会のとるべき態度は裁判の行方を見守る以外にはないはずである。


ゼネコンと癒着して国民の税金の還流をうける小沢一郎像には裏付けの証拠がない(追伸)
東北地方の公共事業を食い物にしてきた小沢被告とゼネコンの癒着ともいうべき深い関係と国民の税金の還流という構図が小沢一郎をめぐる「政治とカネ」の核心の一つであると某革新政党は言う。
だが、特捜部が各地から検事を動員して東北地方のゼネコン支社を捜査したが、検察がマスコミにリークして報道させた小沢の「天の声」や「あっせん収賄」の裏づけ証拠はついに見つけられなかったのである。
小沢とゼネコンの癒着と国民の税金の還流という小沢一郎をめぐる「政治とカネ」の問題は現在のところ何の証拠もない憶測事項でしかない。

1993年のゼネコン事件の際に、清水建設の献金リストが見つかり、同社が上から二番目の「A」ランク(盆暮れに各500万円)に小沢一郎を格付けしていたという過去の話を持ち出しても、現下の小沢の「政治とカネ」の問題の証拠になるわけではない。

再開した銚子市立病院を見舞う経営危機、公的医療の灯を消してはならない!

058702061銚子市立病院が昨年(2010年)の5月6日に診療を再開してから早くも9ヵ月が過ぎようとしているが、昨年からの内科、整形外科、外科の3診療科の外来に加えて今年の2月には皮膚科の外来が開設され、同病院の外来診療は4科目を数えるまでになった。
だが、整形外科の外来は週2回、外科の外来は週3回、および皮膚科の外来は週2回と隔日の診療でしかなく、入院病床の再開もはっきりと目途が立っているわけではない。

この現状は住民の医療ニーズからいって十分な体制からは程遠く、再建への道は依然厳しい状態にある。
また、医師数では常勤の医師は内科の望月医師と外科の轟医師の2人のみであり、その他は非常勤の医師9人でローテーションを組んで診療にあたっている現状だ。

繰り返された密室の理事会での不可解な院長交代劇!
ところで、昨年5月の病院再開にいたるまでの経過を振り返ると、この間に一定規模の医師数を確保してからの再開にこだわっていた野平市長を「小さく生んで大きく育てる」方向へと軌道修正させ、市立病院の早期再開を実現させたのは前々院長の笠井医師であった。
そして、待望の市立病院の再開を実現させた笠井医師の手腕には、その後の病院再建にたいしても多くの市民から期待が寄せられていた。

だが、昨年8月の突然の報道発表により笠井医師を院長職から解任し、後任を白濱医師とする役員人事が公表されたことで笠井医師の事実上の解任が決まってしまった。
聞くところによると、この役員人事は笠井氏本人への事前の相談もなかったらしく、市立病院の経営にあたる医療法人の理事会での突然の動議提出によって同氏の解任が決まったというのである。
「5月に再開してまだ4ヵ月しか経っていないのになぜ、この時期に院長が交代するのか」と、多くの市民が不可解なこの院長人事にたいし、疑問と不安を抱いたことは記憶にまだ新しいところである。

それにくわえて、笠井医師の後をついで後釜の院長におさまった白濱医師はすぐに理事長に横滑りし、後任には外科の轟医師がおさまるというめまぐるしい交代劇というオマケまでついた。
市民の目の届かない密室の理事会での不可解なゴタゴタ劇の連続に「銚子市立病院に来てくれる医師などいなくなってしまうのでは」という疑問を市民が拭えなくなったというのが、市立病院の医師確保をめぐっての現状である。

予想を超えた赤字続きに見舞われる銚子市立病院の現状について!
また、昨年の5月に市立病院が再開して以来、患者数の伸びは足踏み状態を続けている。
再開した昨年の5月の時点での1日平均の患者数はわずかに10.9人にとどまり、再開から9ヵ月たった今年の1月の時点でも1日平均の患者数は37.6人でしかない。
このために医業収入は低迷し、この間に銚子市議会で二度の補正予算が議決され、病院経営にともなう赤字の補填のために市財政からの税金の投入が続いた。

銚子市自身の収支見通しによっても10年度中に総計で1億2千3百万円にものぼる多額な赤字の発生が避けられそうもない。
銚子市立病院の経営にあたっている医療法人の試算によれば10年度に見込んでいた赤字は5千万円の予定であったそうだが、いざ蓋を開ければ、初年度においても2.5倍の収支不足を計上しそうな勢いだ。

また、同法人の試算では11年度から病院事業の収支の均衡が実現する14年度までの4年間で3億5千万円の収支不足を見込んでいるらしいが、初年度の赤字が予定額をはるかに上回ることが確実となった現時点では、試算の範囲内に収支不足を収めることはとても難しい状況になりつつある。
また、11年度当初に4科・医師7人・50床の体制を充足し、その後、14年度までに10科・医師30人・200床をめざすことで収支を黒字化するという市立病院の再生事業計画がこの試算の前提だが、医師確保が依然として厳しい現状ではこの目標数値を達成することは容易なことではない。

野平市長の昨年12月市議会での発言からは、11年度までの病院経営の状況によっては現行の再生事業計画の見直しを予定しているらしいことがうかがわれる。
すなわち、病院再開から2年間は医療法人の再建努力を見守り、その結果によって市立病院の今後を再検討しようというのである。
病院をめぐる状況がこのままで推移すると、場合によっては経営危機で来年にも再び市立病院の閉鎖という局面を迎えることになるかもしれない。
いったん病院を再開したのだから、結果的に廃止になっても公約違反にはならないとの論理も成り立つのである。

休止後の精神科医療を支えているのは献身的な篤志家の医師たちであること!
また、旧市立病院の休止によって転院を余儀なくされた精神神経科の患者数は入院38人、外来1200人にもおよんでいる。
現在は商店街の一角の小さな民間クリニックに1500人の通院患者が押し寄せており、入院患者の受け皿にいたっては銚子市内には見当たらない。
そして、このクリニックも80歳を超えた高齢の医師を筆頭に千葉大の精神科の医師たちの献身的な努力によってかろうじて支えられている現状にある。
銚子地域の精神科医療の見通しはけっして楽観できず、この問題も含めて銚子市立病院や地域医療の再建には「茨の道」が続くことは避けがたいが、けっして公的医療の灯を消してはならないだろう。

追伸
街での噂であるが、現在市立病院を運営している医療法人が新聞広告などで看護師の募集をしているという。
4月の病床再開に向けて一定数の看護師を採用しようということらしいが、看護師として働きたいという人たちも、市立病院が再びつぶれることを危惧して応募には二の足を踏んでいるというのである。
市長の「赤字になっても民間だからリストラができる」との発言も影響しているのではなかろうか。

「起訴相当」議決によって小沢元民主党代表を強制起訴した東京第五検察審査会の持つ問題点のいくつかについて

image2011民主党元代表の小沢一郎氏が政治資金団体「陸山会」の政治資金収支報告書虚偽記載事件で、東京第五検察審査会の起訴議決を受けて強制起訴されたという。
今回、検察審査会の議決において審査の対象となった「虚偽記載」という問題はいってみれば記載ミスであり、それ自体は単なる形式犯にすぎず、従来は総務省の行政指導によって訂正すれば済むレベルの話にすぎなかった。
それゆえ、今回は検察が小沢議員の元秘書であった現職国会議員をふくむ小沢の秘書3人を逮捕すべき案件ではなく、罰金刑ですむ話であり、けっしてそこまで踏み込んではならない問題であった。

特定の補佐弁護人(弁護士)が論点整理をリードする検察審査会は公正な審査機関か!
さて、今回の検察審査会の「起訴相当」議決はそれにいたるまでの経緯の面でもいささかに納得いかない事柄が多い。
今回の事件で検察が強制捜査によって押収した捜査資料や証拠資料は段ボール箱19箱分に達したといわれる。
そして、検察がそれらの資料を穴の開くほど熟議し、一年以上の歳月をかけてくだした結論が「不起訴」であり、これはプロの捜査官でも小沢一郎の身辺には法に触れるようなことはいっさい見いだすことができなかったということに他ならない。

だが、今回の検察審査会の場合、法律の素人である検察審査員がそれらの資料の全てを読み込むことはできず、補佐弁護人(弁護士)が膨大な資料のなかから自分の考えで選び整理した資料だけを検察審査員に読んでもらうという手続きをとらざるをえない。
そうなるとその弁護士の価値観や先入観にもとづいた資料の整理が行なわれこととなり、整理の仕方によってはバイアスがかかることは避けられなくなる。

言い換えれば、特定の弁護士の意見や判断を検察審査員をとおして代わりに言わせるというやり方も可能となり、弁護士の選任のプロセスを含め、今回の検察審査会の「起訴相当」議決が本当に客観的で公正なものだったのかどうかが検証されるべきだ。

検察審査会の本来の目的と趣旨からみた今回の小沢「起訴相当」議決の問題点!
また、今回の検察審査会の議決は検察審査会本来の目的と趣旨から逸脱した不当なものという疑念を筆者は拭えない。
検察審査会とは本来、「証拠が揃っていて検察官は起訴すべき事案なのに、不当な理由、たとえば容疑者との特別な関係や権力者への配慮などから検察官が起訴しなかった場合に、しがらみのない一般市民が起訴を決定する制度」であり、犯罪被害者の人権侵害と泣き寝入りを防ぐというのがその本筋のありかただ。

だが、今回の小沢一郎のケースはプロの捜査官(東京地検特捜部)が1年以上の時間を費やし、膨大な証拠資料を収集しても、小沢一郎には法律に触れるような事柄はいっさい見いだせず、それゆえに「不起訴」となっているケースである。
すなわち今回はゼネコンからの裏献金や収賄などの十分な証拠が揃っているが、それにもかかわらずに検察が権力者小沢一郎をおもんばかって立件しなかったという問題ではないのである。

ただあるのは検察と一体化したメディアの先入観にもとづく報道だけであり、それを洪水のようなマスコミ報道を通して刷り込まれた「一般市民」の検察審査員が補佐弁護人の主導のもとでおこなったのが今回の「起訴相当」議決だ。
ゆえに今回の「起訴相当」議決には審査会本来の目的や趣旨から見ても疑問があり、小沢の「政治とカネ」をめぐる問題にも実体がなく、国会での証人喚問や政倫審といった問題にも正当性がないと筆者は考えている。

審査会へ申し立てをおこなった「在特会」幹部の奇妙な申し立て理由について!
また、今回は検察審査会へ申し立てをした人物の属性に大きな問題があり、審査申し立ての理由がきわめて不当であるとの疑念が指摘されている。
今回、小沢一郎の件で東京第五検察審査会へ申し立てした人物は「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の会長の桜井誠氏であるが、「在特会」は幹部4人が京都朝鮮第一初級学校の周辺で拡声器を使い、「スパイの子」などとがなりたて授業を妨害したとして京都府警に威力業務妨害罪等で逮捕されたいわくつきの団体である。

そして桜井氏は自らのブログで検察審査会への申し立ての理由をこう述べている。
「不起訴決定後、極力早く審査の申し立てをおこないたかったため、今回は桜井一人だけでおこないました。小沢一郎という巨悪を眠らせてはならないこともありますが、外国人参政権実現に誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めねばならないからです。……」

この文面でも明らかなことは桜井誠という申し立て人の主たる動機は外国人参政権に反対することであり、検察の不当な不起訴によって人権の侵害を受ける犯罪被害者がその権利救済のために検察審査会に申し立てをおこなうという、この制度の本筋からは大きく逸脱したものであったことだ。
ゆえに今回は審査会当局が申し立ての理由なしとして却下すべきケースだったのであり、審査会を発動すべき場合ではなかったのである。

既得権益勢力から小沢一郎を守るべきである!
このように今回の小沢一郎に対する検察審査会の「強制起訴」議決はその経緯からみても疑問だらけのものがあり、そこに正当性を見いだすことはできないのである。
膨大な時間を費やして膨大な証拠資料を熟議しても小沢一郎には法律に触れることを見つけられず、一度は「不起訴」とした検察が、なぜなりふりかまわずに検査審査会を足場にしてまでも小沢一郎を追い落としたいのか。

それはひとえに旧体制の既得権を死守したいからであり、小沢民主党の検察改革によって検察が隠し続けてきた“裏ガネ”問題が表へ出るのを阻止したいからである。
そして、それに加担しているのが検察を含む既得権益勢力である米国、財界、霞ヶ関特権官僚群、巨大メディア、破壊的野党勢力および菅執行部である。


○「在特会」指導者桜井誠氏が小沢問題で検査審査会への申し立てをおこなった経緯について自らのブログで語ったエントリーのURLは下記
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10451351357.html

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西岡三郎
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