光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2011年06月

銚子市の新学校給食センター建設には入札と土地購入の両面に解明すべき問題があります

なぜ入札の際に3億円ほど高い業者を選定せねばならなかったのかという問題!
さて今回、このブログではガラッとローカル色を強めて話題の新学校給食センターの建設のことを取り上げて見たいと思います。
現在すすめられている新しい銚子市学校給食センターの建設・運営は二箇所に分散していた給食センターを一箇所に統合し、経費は54億円、規模を5千食とするものであり、民間資金を利用して民間企業に公共の施設の整備とサービスの提供をゆだねるPFI方式によってすすめられています。
また、この方式ゆえに銚子市がさしあたっては一円のお金がなくても施設の建設が可能になったともいいます。(そのかわり、すべてツケによる分割後払いとなります)

さて、今回の新学校給食センターの建設では入札の際に二業者が名乗りを上げましたが、不思議なことに入札で高い金額を提示した業者(東洋食品)が落札業者として選ばれました。それも3億円ほど高い金額を提示した業者が選定されているのです。
どうもPFI方式には入札の際の明瞭さが著しく欠けるという特徴があるようですが、それにしても3億円近い無駄な出費をしても、入札業者が東洋食品でなければならなかった理由はどこにあるのでしょうか。

そもそも今回の入札で落選したのは(株)長大と言う企業ですが、この会社は東京日本橋に本社があり、資本金が32億円のまっとうな一流企業、大企業であるといいます。
もともとは大型の橋梁メーカーであったそうで、最近は公共土木工事の減少によりPFI受注に重きを置いた戦略をとっている会社だといいます。
いわば、東洋食品と比較してもまったく遜色のない相手であり、比ゆ的に言えばヤマサの醤油とヒゲタの醤油のどちらかを選択するようなものであったと思われます。
ヤマサ醤油とヒゲタ醤油の場合であれば、品質の面で選ぶところはありませんので、我々が買い物をする場合には、どうしてもお値段が安い方を選ぶことになります。
だが、今回の新学校給食センターの入札の際にはこのまっとうな論理が働かずに、3億円ほどお値段の高い業者が選定されているのです。

野平市長は氏のブログで何故、高いほうの業者が選ばれたのかについて事細かな説明を試みていますが、説明が細かいほどに、どうも不自然で恣意的な選択であったとの印象を免れません。
http://blog.nohiramasakuni.com/?day=20110625
甲乙つけがたい力量を持った業者の間で、こんなにも評価の点数で差が開くということ自体が不自然であり、常識的に考えてもヤマサとヒゲタの醤油の間に品質の面でこれだけの差がつくとは思えません。
入札の前に事実上落札業者が決まっていた気配を感じさせるものがあり、PFI方式の持っている不明瞭な本質がここにも現れています。

幸い、このPFI契約は現段階では仮契約ですから、6月30日の銚子市の本会議でこのPFI契約議案を否決しても違約金の支払い義務は発生しません。
ぜひ、本会議場に傍聴者として押しかけて賛成議員にプレッシャーをかけましょう。

洪水の危険が指摘されており、購入プロセスが不透明な建設用地の問題について!
また、新学校給食センターの建設用地をめぐっても、不明瞭な購入プロセスが昨年の6月議会で浮かび上がっています。
昨年の6月議会で補正予算に計上されたのが新学校給食センター土地購入費でしたが、それまでに新学校給食センターの建設予定地については県・市有地を含む六箇所の候補地が上がっていたのです。
だが、教育委員会は昨年の6月議会が始まるまで、候補地の所在地や選定過程などいっさいを明らかにせず、議会がはじまってから、それまで候補に上がっていた土地を議員にあわてて知らせるといった有様だったのです。

だが、事はそれにとどまらず、今度は建設予定地として大橋町の民有地を1億2千万円で買い上げようという補正予算案が市当局から唐突に提案されたのでした。
これでは議員の間から、新しい学校給食センターの建設用地を取得するのであれば、既存の市有地の有効活用を第一にはかるべしという意見が噴出してきたのは当然でした。
だが、いったん多数議員の反対で否決された大橋町の土地購入議案は、市長が議会の決定に異議があるという名目で、再度本会議にかけてゴリ押ししたのです。

そして、今回の3月11日の大震災の教訓を経て、曰くつきのこの土地は銚子市自らが作成したハザードマップで津波・洪水等の危険の知らせが明確に示されている事実が判明したのです。
銚子市が津波・洪水の危険性を警告しているその土地に、今度は銚子市自らが公共施設をつくろうというのですから驚きです。
学校給食センターの建設予定地は安全な場所への見直しが必要であり、6月30日の本会議でPFI契約議案を否決することがこの理由からも必要です。
ぜひ、本会議場に傍聴者として押しかけて賛成議員にプレッシャーをかけましょう。

追伸
今度の6月議会で新学校給食センター建設の契約議案が否決されても、旧来の施設は稼動し続けるのであり、学校給食の空白は生まれません。
ましてや児童生徒が近い将来に弁当持ちを強いられるということもありません。
某新人女性議員が今の学校給食センターは“不衛生で子どもがかわいそう”だからと、新学校給食センターの契約議案に委員会審議の場で賛成したそうです。
これは給食の衛生面に心を砕いている給食センターの職員の方々に失礼だと思います。

本会議の議決結果について
新学校給食センター建設契約議案が6月30日の午前中の本会議で審議されました。
討論では釜谷藤雄議員が賛成討論に立った他は、三浦真清議員、宮内和宏議員、越川信一議員、加瀬庫蔵議員、桑村邦博議員による5人の反対討論がありました。
反対討論の主な内容は建設予定地の見直しや経費のかかるPFI方式の問題、将来は児童生徒が3千人台に減少することが明白なのに、ここで5千食規模の新給食センターをつくることへの疑問などでした。
だが、採決の結果は、討論をせずにダンマリで通した議員の賛成多数で新給食センター契約議案は成立してしまいました。
また、傍聴者がいまいち少なかったことも気になります。
大事な節々の議会審議に関心を払わない市民が議員を減らせだとか、議会の構成に口をだすことには熱心な傾向があります。
これではダンマリ議員の比率を増大させるだけです。
先日の市会議員選挙では市立病院の休止に賛成した議員が一人でも落選したでしょうか。
それどころか定数を5人も減らしたのにもかかわらず、休止に賛成した議員は皆当選しています。
その結果、市執行部の議案には何でも賛成のダンマリ議員がその比率を高めました。
議員定数を減らすことだけに熱中するような愚論はもういい加減にやめましょう。



原発ゼロの実現のためには低エネルギー社会の実現が必要(人間らしい生活の実現と低エネルギー社会との関連について)

熱中症になってもエアコン止めるのが本当の低エネルギー社会なのか!
最近、大阪の橋元知事はメディアの取材を受ける際に、「エアコン切れば原発止まる」という標語を必ずその後ろに掲げるといいます。
また、橋元知事は「いよいよ停電となったらエアコンを切ってもらう。それができないなら原発に頼るしかなくなる」との府民向けメッセージを繰り返し発しているとも聞きます。
だが、電力会社から節電を求められても大手企業には節電を求めず、夏の猛暑で熱中症の危険にさらされる府民にむかって「節電のためにエアコンを切れ」と言い放つ同知事には、電力不足という事態のなかにあっても、府民のいのちと健康をいかにして守るかが自治体の首長の責務であるとの自覚がまったく感じられません。
昨年の猛暑の際には全国で5万人を超える熱中症患者が救急車で病院に運ばれたと聞きますが、橋元知事のもとでは行き過ぎた節電が府民のいのちを奪いかねない事態へと発展しかねないのです。

また、首都圏でも節電のために冷房を止めて走る電車が増えており、むせかえる車内で汗まみれになった仕事帰りの人々の間で「こんな思いをするなら原発あったほうがいいよな」との会話が頻繁に交わされているというのです。
今年の夏は身近なところで「原発が止まっている影響」を実感させられることが多そうで、これがたぶんに原発再開にむけたプロパガンダであることがわかっていても、小さな「がまん」の積み重ねが原発は危険だが必要だという「原発必要論」へ傾く人々を増やしそうな気配なのです。

また、「計画停電」が復活するとか、電気代が上がるとかが現実のものとなれば、たとえそれが原発再開に向けたプロパガンダであったとしても不安や不満を募る人々が増えます。そして、そこに原発推進派が付け入る隙がうまれてくるのです。

本当の低エネルギー社会をつくるためには人間らしい労働と生活のできる社会の実現こそ必要です!
さて、現在のエネルギー使い放題の社会のあり方は将来の自然エネルギー中心の社会へ移行していくためにもどうしても見直さなくてはなりません。
「大量生産、大量消費、大量廃棄」が現在の社会の特徴であり、24時間こうこうと明かりのついている、そういう社会でいいのかということが根源から問われており、低エネルギー社会への移行は長い目で見れば避けられません。
だが、それが「がまんの社会」とイメージされる場合が圧倒的に多く、問題は猛暑でもエアコンを切って熱中症を強いられる社会が低エネルギー社会なのかと、マイナスのイメージを抱いている人が多いことなのです。
これでは脱原発・原発ゼロが圧倒的に多くの人々の合意の下で実現していくことはならないのです。

だが、本当の低エネルギー社会は「がまんの社会」ではなく、人間らしく生活できる社会であり、安心して生活できる社会です。
たとえば、日本人の労働時間が長すぎることは国際社会でも有名になっており、年間でドイツやフランスよりも500時間も長いことが統計からも明らかになっています。
だが、ここにこそエネルギー使い放題社会の源があり、不法なサービス残業の横行や過労死などが発生する土壌があります。
つまり現在のエネルギー使いたい放題の社会の方が「がまんの社会」そのものなのです。

もし、長い日本の労働時間を週35時間というドイツ・フランスなみのレベルに短縮すれば、一家だんらんもできて、子どもと一緒に遊べる時間もできます。そして、早寝早起きもできるようになり、夜もこうこうと電気をつけてあくせくと働く生活から足を洗うことが可能となるのです。
こうして、人間らしい労働と生活ができる社会をつくることが低エネルギー社会へ向かう社会的な条件となるのであり、それは「がまんの社会」とはおよそ異質のものです。
社会のエネルギー構成を自然エネルギー中心のものに切り替えながら、労働時間短縮を中心に人間らしい労働と生活をつくることで低エネルギー社会を実現する。
ここにこそ、原発ゼロに向かう正しい道筋があります。


追伸(福島の子どもたちをめぐる現状)
いま福島の子どもたちの被ばく量は累積で1ミリシーベルトの数倍にも達しており、福島県内では早急な避難・疎開・夏休みの前倒し等の被ばく軽減対策を求める声が父母の間で高まっています。
だが、避難を妨げている最大のものが「自主」避難という原則であり、すべてが自己負担と自己責任での避難を強いられることにあります。
早急に住民の「避難の権利」、すなわち自主避難した場合に生活の補償が全面的に受けられる権利を確立させていくことが求められています。





銚子市での学校等の放射線量の3回目の測定結果が判明(3回とも平均毎時0.14マイクロシーベルトを超えており、法定被ばく限度量を越す可能性があります)

銚子市災害対策本部が去る6月15日から16日にかけておこなった「学校等施設の放射線量測定」の結果を6月17日に公表しました。
これによると銚子市内34測定地点の平均値(地上1センチ、50センチ、1メートル)は1時間当たり0.153マイクロシーベルトで、1回目(0・144 6月3日公表)および2回目(0.143 6月10日公表)よりも若干上がっています。
また、今回最も高かったのは豊里小学校グランドの観測地点で1時間当たり0・25マイクロシーベルトという数値を観測したといいます。
これで3回の観測数値(空間線量のみ)が公表されましたが、いずれも1時間あたり0.14マイクロシーベルトを上回る数値が計測されています。

筆者は以前のエントリーできわめてアバウトな計算をして空間線量値が法定の被ばく上限量を超えていると主張しましたが、これは自然放射線や内部被ばくによる影響を考えないきわめてずさんなものでした。
そこで今回は内部被ばくや自然放射線というファクターを考慮に入れて、この1時間当たり0.14マイクロシーベルトという数値を簡単ですが分析してみたいと思います。

また、ここでの計算は中部大学の武田邦彦教授のブログエントリー(東京のお母さんへ・・テレビの解説は間違っていましたので注意)で用いられた算式に倣っていますことをあらかじめお断りします。
http://takedanet.com/2011/06/post_a199.html
(武田教授の上記のブログエントリーのURL)

まず自然に浴びる自然放射線ですが、これには呼吸や食べ物からの内部被ばく分と土や宇宙からの外部被ばく分との二種類があり、定説では日本の平均の自然放射線被ばく量は年間1・5ミリシーベルトとされています。
そして、年間1・5ミリシーベルトという自然放射線被ばくはその3分の2が内部被ばくであり、残り3分の1が外部被ばくですから、空間線量からの被ばく量は年間0・5ミリシーベルトになります。
もともと太古の昔から自然放射線は存在しており、生物の体および人間の体はそれとの付き合い方を心得ていますので、原発事故などで漏れる人工放射線と違って特に問題になるものではありません。

問題は人工放射線であり、法律ではこれの被ばく上限量を1年1ミリシーベルトと定め、日本人の健康を人工放射線の被害から守っています。
さて、法律で定められた1年1ミリシーベルトの「我慢できる限度」は内部被ばくも含んでおり、現在のように放射能汚染がすすみ野菜などの食べ物に放射性物質が少なからず含まれる状態では内部被ばくをその内の2分の1と看做すことが適当です。
そうすると人工放射線による外部被ばく限度はその残り半分の1年0.5ミリシーベルトになりますが、放射線計測器は自然放射線にも人工放射線にも反応しますので、これに先の自然放射線の空間線量(これも1年0.5ミリシーベルト)を加算せねばなりません。
こうして計測器で測る「被ばく限度量」は自然放射線と人工放射線を合計しての1年1.0ミリシーベルトということになります。

そして、これを24時間×365日=8760時間で割るとおよそ1時間0.11マイクロシーベルトとなり、この数値が放射線計測器を使って計測した場合の時間当たり「被ばく限度量」と考えることができます。
現場での計測値が継続してこの数値を超えていたら法律的には違法状態の可能性があり、子どもたちの健康には障害をもたらす可能性があると思われます。
だが、銚子市での空間線量測定値は3回とも1時間0.14マイクロシーベルトを超えており、法律的な面でも、子どもたちの健康状態の面でも黄色信号が点灯しています。

銚子市は少なくても「内部被ばくゼロ」をめざして学校給食には放射性物質が含まれない食材を極力使用するとか、健康指導(うがい、マスク、手洗い等)を徹底するなどのキメの細かい措置をとらねばならないでしょう。
10〜20年以内に現在の銚子市内の子どもたちのうちから1人でも白血病や癌患者を出さないためにもこれは最低限必要な措置です。

http://www.city.choshi.chiba.jp/osirase/2011/files/230617.pdf
(6月17日公表の銚子市の放射線量計測結果)

追伸
1年1ミリという法定上限値を時間当たりの数値に換算する場合に、いろいろな考え方があり、数字にもバラツキがあることは知っています。
そして、自治体などが高い(甘い)数値を設定していることも知っていますが、筆者は武田先生の考え方に倣いました。


原子力は未来のエネルギーという幻想は破綻しており、原子力は末期の状態にあること

化石燃料の枯渇よりウラン燃料の枯渇が先に到来すること!
原子力発電がここまで普及した背景には「化石燃料はいずれ枯渇する」という資源枯渇の恐怖があり、そこから原子力が未来のエネルギー源になるという見通しがありました。
では、過去に枯渇の恐怖が懸念されていた化石燃料の推定埋蔵量ですが、現在はどのように見積もられているのでしょうか。
1950年には石油の可採年数は20年と推定されていました。
だが、それから10年たった60年にはそれが35年に延び、さらに30年後の90年には45年に延び、最近の推定値では50年になったというのです。
また、現在では石炭を使い切るまでは1000年以上かかるとされており、圧倒的な埋蔵量を誇っていることが明らかになっています。
さらに近年には海底でメタンハイドレード(天然ガスを含む固体)など、将来有望な資源も見つかっています。

さて、私たちは使えばなくなる資源のことを「再生不能資源」と呼び、これには石油、石炭などの化石燃料が含まれることはもちろんですが、実は原子力の燃料であるウランもまた「再生不能資源」の一種に他ならなかったのです。
そればかりか、私たちが未来のエネルギーと誉めそやしてきた原子力の燃料であるウランはエネルギー換算量で石油の数分の一、石炭の数十分の一しか地球上に存在していないこともわかってきたのです。

こうして石油の枯渇よりもウランの枯渇が先に到来することが明らかになり、過去の「化石燃料は枯渇するから、未来のエネルギーは原子力しかない」という幻想は吹き飛びました。
そして、太陽光や風力などの再生可能エネルギーを推進しながら、なるべく効率的に化石燃料を利用していくことがもっとも現実的な未来のエネルギーの選択肢であることが明らかになったのです。

原子力推進派の掲げる核燃料サイクル計画や高速増殖炉計画はすでに破綻していること!
さて、これらの事実が明らかになっても、原子力推進派は相変わらずに高速増殖炉や核燃料サイクル計画があることを持ち出して原子力に固執しています。
実はウランには燃える(核分裂)ウランが全体の中で0.7%しか存在しておらず、残りの99.3%は燃えないウランでしかありません。
この燃えないウランをプルトニウムに変換して利用しようと考えたのが核燃料サイクル計画であり、高速増殖炉で燃えないウランを燃えるプルトニウムに変換することをその中心に据えています。
そして、高速増殖炉は発電しながら消費した以上の燃料(プルトニウム)を生み出せるのでウラン資源の利用効率を100倍以上にあげるというのです。

だが、これも「本当に実現すれば」の話であり、現実には日本の高速増殖炉は実用化のメドすらたっていないのです。
福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」は試験運転開始直後の1995年に冷却材のナトリウムが噴出して火災をおこし、それから15年近くの間、運転休止に追い込まれたのでした。
また、2010年に試験運転を再開しましたが、燃料交換用の機材を炉心に落下させるというトラブルをおこし、それが引き抜けない状態が続いています。
さらに、この復旧作業に当たっていた日本原子力研究開発機構の課長さんが山の中で自殺をするという、たいへんにいたましい事態まで惹きおこしているのです。
1967年にスタートした高速増殖炉計画ですが、こんな調子では原子力推進派の提唱する核燃料サイクル計画は永遠にたどり着くことのできない夢となるに違いありません。

実はもっとも危険な原発はまだ1kwも発電していない「もんじゅ」です!
image621また、「もんじゅ」はここで大事故がおきたら、すぐに破局が到来するという意味で恐ろしい原子炉です。
高速増殖炉は普通の原発と違って炉心を冷やすために水を使うことができず、冷却材としてナトリウムという物質を使いますが、この物質は「水に触れると爆発し、空気に触れると火災をおこす」という危険で厄介な物質です。
そのために地震などで配管がやぶれてナトリウムが大量に漏れれば鋼鉄をも溶かす大火災が発生します。
また、福島のような破局的な事故が起き、自衛隊や消防が出動して水をかけて冷やそうとすればナトリウムと水が反応して大爆発をひきおこすのです。

このため事故が発生した場合の被害は普通の原発よりも大きくなり、何の対処もできないままに破局を迎えることにならざるをえません。
一般にはあまり知られていませんが、日本でもっとも危険な原子力施設が実は「もんじゅ」なのです。

参考 小出裕章「原発のウソ」

原子力発電からのすみやかな撤退のためには火力発電と産業界の自家発電の活用が欠かせません(現実的な代替エネルギー案について)

原子力の当面の代替エネルギーとして安直に自然エネルギーを持ち出すことへの疑問!
「日本で原子力発電を続けることはあまりに巨大なリスクを抱えることになり、できるだけ早く原子力発電から撤退することが強く求められます。
同時に電力不足による社会的なリスクや混迷は避けねばなりません。また、CO2(二酸化炭素)などの温室効果ガスによる地球温暖化を抑止するという人類的課題もあり、安易な火力発電などに置き換えるやり方をとるべきではありません。」
これは5〜10年以内に原発から撤退することを目指した某政党が発表した提言文の一説です。

原発を早急に止めると同時に、電力不足による停電などの社会的なリスクを避けるべきであるとしながらも、二酸化炭素などの温暖化ガスを増やすことになるので火力発電での代替もおこなうべきでないと言うのです。
また、原発からの撤退にともなう当面の代替エネルギーを自然エネルギーと節電で賄おうというのです。

筆者は将来的なエネルギー構成を自然エネルギー中心のものに切り替えることに異存はありませんし、中長期的に見た原発の代替エネルギーとして自然エネルギーの本格的な導入を目指すことは正しいと思います。
だが、原発から即時に撤退した場合の当面の代替エネルギーを不安定な自然エネルギーに求めることは現実的ではありません。
これでは休止中の火力発電設備にはほうかむりして「電力不足」を喧伝し、それを口実に「計画停電」を強行する電力会社や通産省などの原発推進派の巻き返しには対抗できません。

火力発電と産業界の自家発電の活用で原発の当面の代替エネルギーを賄うことが最も現実的!
現在、日本の電気の大半を賄っているのは火力発電であり、火力の現場では世界最高度のクリーンな技術が導入されています。そして、原発が増えたために多くの火力発電設備が休止状態に追いやられています。
また、シエールガスや天然ガス、メタンハイドレードなどの資源は日本近海に大量に眠っており、それらを活用すれば自然エネルギーへのつなぎとしては何の問題もありません。
また、産業界の保有する自家発電能力は6000万キロワットにも及んでいる半面で、度重なる地震や津波、および定期点検中の原発の運転再開が不能なために、原子力発電は事実上1300万キロワットしか稼動していない状況にあります。

つまり、産業界の自家発電をバックアップとしながらクリーンなガス発電を中心に火力をフルに稼動させれば、現在のライフスタイルを変える必要もなく、また工場のラインを一瞬たりとも止めることもなしに電気を賄うことができるのです。
また、電力会社は産業界の自家発電をフルに活用すれば電力不足がおこらない事実を国民には知らせませんが、これはその事実が知られると、いっそのこと送電線を自家発電の民間企業にも解放しろとの世論が国民からも、産業界からも出てきて、地域を独占してきた電力会社の収益力の牙城が崩れるからなのです。
電力会社にとっては送電線の独占の確保は独占企業としての存立を維持するための重大な生命線であり、送電線の利権は電力会社が総力を挙げて守らなければならないのです。

そして、このために電力会社は産業界の自家発電の電気を買い取らず、15%の節電を要請するという行動に出るのであり、「計画停電」という脅しも使うのです。
原発から即時に撤退するためには休止中の火力を稼働させ、産業界を味方につけて自家発電をフルに利用することがもっとも現実的であり、そのためにも自家発電の民間企業が自由に送電することができるように送電線を解放することがもっとも現実的な代替エネルギー案となるのです。
不安定な自然エネルギーを当面の代替エネルギーとする安直な脱原発が多数の国民の支持を得られるとは思いません。
そのためにもさしあたっての火力発電の活用をためらってはならないのです。

二酸化炭素は生命にとって欠くことのできない物質であり敵視すべきものではない!
また、二酸化炭素をなぜ有害視せねばならないのでしょうか。
二酸化炭素は植物の光合成になくてはならないものであり、地球の生態系にとっては欠かすことのできない物質です。
しかし、原子力発電所から出る放射性廃棄物はいかなる意味でも生態系や生命にとって相容れる存在ではなく、文字通りの「死の灰」です
化石燃料の使用の抑制を唱える「温暖化防止」キャンペーンは欧米などの先進国が、いわゆる新興国(中国、インド、ブラジルなど)の経済発展を押さえつけ、自分たちの経済覇権を維持するための口実に思えてなりません。これに科学的な根拠を示すことはできませんが、筆者の偽らざる実感です。

小出裕章氏の特異な主張「安全な食べ物などもうないから、子どもを守るために大人は食べてください」について

原子力研究者でありながら、反原発で有名になった京都大学原子炉実験所の小出裕章氏が雑誌「週間金曜日」紙上で次のような記事を書いています。

「放射線被ばくはどんなに微量であっても危険です。ただし、年齢によって放射線に対する感受性が大きく異なります。被ばくで癌になるのは細胞のもつ遺伝情報が損傷するためであり、細胞分裂の活発な成長期に損傷を受けてしまうと、傷ついた遺伝情報がどんどん複製されてしまうので大きなリスクを背負うことになるのです。
逆に体ができてしまい細胞分裂の不活発な年代になってしまえば放射線の影響はほとんどでません。
だから、汚染度の高い食べ物は年寄りが食べ、低いものを子どもに優先的に食べさせることにするのが理にかなっており、そのためには映画の18禁のように、これは60歳以下が食べてはいけない60禁、それは50歳以下が食べてはいけない50禁という具合に、すべての食べ物を汚染度に応じて仕分けをするべきなのです。
そして、それは大人の世代が原子力をここまで許してきた社会的な責任から言っても理にかなっているのです。
また、原発事故以前でも崩壊しつつあった第一次産業を支えるために、とくに福島の農業や漁業を支えるためには、大人が汚染された食べ物を引き受けるしかないのです。そうしなければ、福島県などの農業や漁業も崩壊してしまいます。」

小出氏の「週間金曜日」紙上でのこの主張は一見、理にかなっているように思えます。
福島原発の事故の収束の見通しが立たず、放射性物質の拡散が長期化することが避けられなくなっている現在、子どもを持つ親、さらにその上の世代の大人の「心構え」として受け取れば十分に合理的な主張ではあります。

市場原理と格差社会によって小出氏の崇高なモラルも唾棄すべき偽善へと変わること!
だが、小出氏の言うように、仮に個々の食べ物の汚染度を測って、60禁や50禁などの指標をあらゆる食べ物に表示することができたとしましょう。
そうなった場合にまず、汚染された60禁などの食べ物をその社会的責任をとってまず食べるべき人々とはどんな人々でしょうか?
それは現在の原発の技術が未完成であることを熟知しながらも、根拠のない「安全神話」で国民を欺き続けた果てに、福島原発の大事故や、福島県民をはじめとした国民への甚大な被害などを招いてしまった原発推進勢力であります。
具体的には歴代政権関係者や電力会社の経営陣、また原発推進議員や原子力安全保安院や経済産業省の上層部などです。

だが、このような人たちがそのような食べ物を口にすることはけっしてないでしょう。
現実に60禁や70禁などの汚染された食べ物を口にするのは格差社会の底辺の貧困層ということになるでしょう。
市場経済の働きは汚染度の低い食べ物の値を吊り上げる半面で、汚染度の高い食べ物の価格を暴落させるからです。
そうなれば食べ物の放射能汚染にたいしてもっとも責任を負うべき人々が、逆に安全な食べ物を口に入れることになるでしょうし、非正規の使い捨て労働の境遇を強いられる若年貧困層や、低年金の独居老人、母子家庭などが汚染度の高い食べ物を口にすることにならざるをえないでしょう。
これでは福島事故後における食べ物の社会的配分は放射線に対する感受性、すなわち年齢によって配分されることなどけっしてなく、市場原理によって社会的な弱者に汚染物質が押し付けられることになってしまうでしょう。

また、政府や東電の責任の所在も曖昧となり、貧困層がもっとも放射能汚染を受けている農家の農作物を買い支えることで、東電や政府の責任をいつの間にかこの人たちが肩代わりすることになるでしょう。
小出氏の主張するような「大人のモラル」は現実の市場経済の冷徹な原理と格差社会の現実によって、いとも簡単に最悪の偽善へと様変わりせざるをえないでしょうし、被害の拡大さえおこるでしょう。
今必要なことは、汚染された食べ物はすべて東電と政府が買い上げて、汚染されていない食べ物を確保することをこの両者に要求することです。
私たちには老若男女すべてにわたって放射能に汚染されていない食べ物を求めるべき、まっとうな権利があります。

学校給食に「暫定規制値」以下でも放射性物質の入った食材を使われることに異議を唱えることは正しい保護者の態度です

銚子市内の保護者の皆さんが子どもを放射線の健康被害から守ろうと真剣になって模索しています。
これはもちろん銚子市内に限ったことではなく、日本全国の子どもの保護者が同じ思いにいることは間違いありません。

さて、拙ブログのコメント欄で、ある保護者の方が学校給食のことが心配になり、銚子市教育委員会や給食センターに問い合わせたところ、「暫定規制値を超えたものは使用していませんので安心です」との説明を受けたと書き込んでいます。
おそらくこの方は教育委員会のこの説明に内心では納得しきれない思いがあるのではないかと想像しますが、これはこの方に限ったことではないのです。
そして、筆者はこの保護者の方(たぶん母親)の思いは正当なものであり、正しい感性であると思います。

今、学校も市役所も街のスーパーも「政府の暫定規制値内だから安全」と安易な姿勢でいますが、子どもは学校にいって、おもに校庭などでの空間線量で少なからぬ被ばくをしています。
そこに加えて、今度は「暫定規制値」ギリギリの食材を使用した学校給食や家での食事、さらには水道水などによる追加被ばくを体の内部から受けているのです。
こんなことになるのは政府や自治体がいわゆる「縦割り行政」のなかで自分たちの「守備範囲」のことしか考えず、くわえて、これらの組織の人たちは子どもの立場で物事をまったく考えないからです。

文科省は学校での空間線量のことだけしか考えませんし、農水省は野菜や魚などの食材のことしか考えません。また、厚労省は飲料水のことしか考えていないという具合です。
このようななかで、水や野菜などひとつひとつのものを安全な範囲の「ギリギリの基準」にしているのが「暫定規制値」の実態でありますが、こうなるとスーパーなどの買い物で二つ以上のものは買えなくなるのです。
現実の被ばくは縦割りではなく「足し算の原理」であり、優秀なはずの文科省や農水省の役人はこの「足し算」が縦割り行政の中にいるためにできないのです。

だが、官庁は自分の守備範囲のことしか考えなくても、現実の子どもの生活では同じ子どもが学校にも行き、給食を食べ、家での食事をして、また水を飲むのです。
子どもの現実の生活での被ばくは学校や家庭でのそれぞれの空気や食事などによるものの「足し算」なのです。
そして「足し算の原理」がある限り、そして食材の「暫定規制値」が縦割り行政のなかで、自分の役所が取り扱う食材だけを考えるということで決められている限りは、世の保護者の皆さんが「汚染されたものはたとえ暫定規制値以下のものでも買うことはできない」、あるいは「汚染されたものは暫定規制値以下のものであっても給食の食材に使ってもらいたくない」と考えるのは正しいことなのです。

また、このように考える保護者に向かって「風評被害をあおる」だとか、「神経質すぎる」とか、果ては「モンスターペアレンツ」などと非難する人々は、人間の親として子どもの健康を気遣う親権者の気持ちを蹂躙するものであり、その人たちこそ「鬼」なのです。
そして、個別の食材の「暫定規制値」より、総合的な被ばく量の法定限度(1年1ミリシーベルト)を超えないようにするのが、本来なら学校給食を提供する食材提供者に推奨されるべき行ないなのです。
また、すでに一定の被ばくを受けている子どもを持つ保護者が「暫定規制値」を下回る食材でも、「子どもに限度以上の被ばくをさせないように放射性物質をふくむ食材の提供を拒否する」のは正しい行為なのです。
さらに、教育担当者や食材提供者、教育委員会の職員は一人ひとりの子どもの被ばくを法定限度の1年1ミリシーベルトの範囲にとどめる責務を負っているのです。

銚子市も放射性物質による汚染はすすんでおり、子どもたちに不要な追加被ばくを強要しないためにも、学校給食の食材はWHO (世界保健機構)の定めた1キログラムあたり10ベクレルという全世界共通の安全基準にもとづいたものを使用するように求める権利が保護者(母親)の皆さんにはあります。

参考 武田邦彦教授のブログ
http://takedanet.com/

脱原発には対米従属からの離脱が必要なこと、および国民の健康と生命を軽視した水産庁の「魚は安全」PRについて

対米従属のもとでほぼ全面的に米国に依存してきた日本の原子力発電の歴史について!
日本の原子力発電は米国の開発した軽水炉に長期間にわたって依存してきており、その燃料である濃縮ウランも米国からの供給に頼っています。
日本で福島第一原発の商業用原子炉の建設が始まった当初の頃、原子炉も燃料のウランの供給も米国に頼っていては原子力開発の自主性を確保するうえで好ましくないとの声が政府部内に存在していました。
ところが現在、日本にある原発54基はそのすべてが米国で開発された軽水炉型であり、燃料となる濃縮ウランもその輸入量の4分の3近くを米国からの輸入に頼っています。

また、1988年に締結された日米原子力協定には「核燃料サイクル施設の建設」という危険な計画が盛り込まれ、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出して再使用するための「六ヶ所村商業用際処理施設」や、使用した以上の燃料(プルトニウム)を取り出せる高速増殖炉「もんじゅ」などの計画が持ち込まれました。
使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、高速増殖炉という原発で使用した以上の燃料を生み出すとした「核燃料サイクル」は、数々の事故やトラブルの続出によって原発以上に未熟で危険な技術であることが判明しています。
だが、米国自身はそのことを当時から熟知しており、国内では再処理施設の運転はおこなっておらず、核燃料サイクル施設を持ち込むことで日本をその「実験場」に位置づけました。

また、今年3月の東日本大震災による福島原発の事故をきっかけとして、原発14基以上の新増設を含んだ「エネルギー基本計画」をゼロから見直すことを菅首相が表明しましたが、その舌の根も乾かぬうちに5月のG8サミットでオバマ米国大統領らの前で「最高度の原子力の安全性を実現する」などと表明し、原子力発電を今後も継続することを国際公約としてしまいました。

「最高度の安全」など従来の「安全神話」の虚構性や福島原発の現状を考えれば「カラ文句」にすぎず、歴史的な経緯から考えても、日本が原発ゼロへ踏み出すには深刻な対米従属(いわゆる日米同盟)から脱却することが必要です。
参考 「しんぶん赤旗」連載(原発の源流と日米関係)

水産庁がデタラメな論文によって「魚は安全」PRを展開していることの罪について!
さて話は変わりますが、水産庁が水産物は放射能については食物連鎖で濃縮しないという珍説をそのホームページなどで披瀝しています。
水俣病などの公害病は魚の体内で生物凝縮された水銀を人間が摂取することでひきおこされましたが、水産庁は「放射性物質は水銀や有機塩素化合物などと異なり、食物連鎖を通して魚体内では濃縮・蓄積しない」という内容のレポートを国民向けのホームページ上で公表しているのです。

これは国が展開する「放射性物質は海で希釈・拡散されるから大丈夫」というキャンペーンの一環としておこなわれており、魚体内に入った放射性物質は対外に排出されるので生物濃縮はおこらないと結論付けています。
だが、この水産庁の主張は専門家からはそのデタラメぶりが指摘されており、専門家たちは環境中に放出された放射性物質は様々な経路を経て人体に取り組まれることは避けられず、海洋環境の場合には海洋生物という食べ物をとおして人体内に取り込まれることが危惧されると警告しています。

水産庁のこのレポートは「平時の研究報告」ではなく、原発事故によって人類の歴史始まって以来の海洋汚染がすすんでおり、放射性物資の内部被曝が国民の健康を蝕みつつある「究極の非常時」に発表されたものであり、水産庁がデタラメな論文で安全を「捏造」することは、水俣病の大規模な再来とならざるをえません。

国民の健康被害より「風評被害」を重視する日本政府!
これは政府が国民の健康被害より「風評被害」を重視していることの現れであり、目に見えない放射能によって健康被害がおきるのは数年先、あるいは数十年先ですが、「風評被害」による漁業者への賠償は目の前の問題であるからです。
政府は国民を放射能による健康被害から守るといった最も重要な問題よりも、いかにして補償で払うお金を少なくするかに腐心しており、水産庁のレポートには政府のその思惑の一端が見え隠れしています。

中曽根康弘氏と正力松太郎氏について(日本の原発の源流となった二大中心人物)

日本初の原子炉築造予算を上程した中曽根康弘氏とその背景にあるもの!
1954年3月3日、国会で54年度政府予算案が審議されている最中のことです。
中曽根康弘衆議院議員(当時)らが中心となり、保守3党(自由党、改進党、日本自由党)が協同で2億3500万円の原子炉築造予算を計上した予算修正案を突如として上程しました。
この修正案は翌日には衆議院通過が強行されましたが、それはビキニ水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴びたことが暴露される2週間ほど前のことでした。

さて、中曽根氏は2億3500万円という数字の根拠について後日たずねられた際に、「核燃料となるウラン235の二三五ですよ」と笑って答えたといいます。
すなわち、原子力の研究体制さえなかった当時の日本のことですから、わが国ではじめての原子力研究予算は何の根拠もなかったということになります。
また、中曽根氏は前年の夏にハーバード大学で開かれた「夏季国際問題セミナー」に参加しており、このセミナーを統括した後の大統領補佐官・キッシンジャー氏らに案内されて米国の原子力施設などを見学しています。
中曽根氏が原子力研究に慎重な日本の学界の現状を「政治の力で打破する」と決意し、原子力推進の先頭に立つようになったのは、このセミナーへの参加が決定的なきっかけになったといいます。

また、マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属していたある人物からの働きかけによって中曽根氏がこのセミナーに参加したといいますから、日本初の原子力予算の通過は米国の諜報活動の賜物でもありました。

力松太郎氏(読売新聞社主)による世論誘導について!(「原子力の平和利用」PR)
images6091ところで、米国の原子力推進戦略に便乗して日本への原発導入に積極的に動いた人物の一人が正力松太郎読売新聞社主(当時)です。
正力氏は第五福竜丸事件をきっかけとした原水爆禁止運動が全国的に燃えさかる中で、政治的求心力を得るための手段として「原子力の平和利用」に着目しました。
そして日本テレビのオーナーでもあった正力氏は新聞とテレビをフルに利用しての「原子力の平和利用キャンペーン」を展開したのです。

また、1956年に米国国務省と協同して全国で原子力平和利用大博覧会を開催した正力氏は、さらにそれを読売新聞と日本テレビの総力を挙げて報道しました。
これには世論の転換という目的がこめられていたことは言うまでもありません。

「日本には昔から“毒をもって毒を制す”という諺がある。原爆反対をつぶすためには、原子力の平和利用を高らかに謳いあげることが必要であり、効果的である」
これは後に日本テレビ専務となり、正力松太郎氏の腹心ともいわれた柴田秀利氏の言葉ですが、正力氏はこの柴田氏を通して米国政府の諜報員とも接触しており、日本の原子力開発の原点には絶えず、米国の諜報機関の影が見え隠れしています。

原爆投下の責任を曖昧にし、広島を新たな核の「実験場」にしようとした米国!
米国による日本への原発の売り込みの背景には、日本への原爆投下の責任を曖昧にし、日本人に原発を受け入れさせることで「原子力の平和利用」の象徴としようとの狙いがあったといわれます。
また、米国の原発推進派の下院議員らは広島に原子力発電所を建設する法案を提出したという記録が残っており、広島で原爆の「実験」をした米国は、今度は原発の建設によって未完成の原発の技術を広島で実験しようと試みました。(これは未遂に終わりましたが)

世界で唯一の被爆国でありながら、日本が米仏につぐ世界第三位の原発大国になった背景にはこのような米国の戦略の影が付きまとっています。

参考 「しんぶん赤旗」6月7日および8日付け

内部被曝はごく微量であっても健康被害がおこりうること、および食品の「暫定規制値」について

内部被曝の危険性を浮かび上がらせた米国の統計学者グールドの調査報告について!
空気中に漂っている放射性物質を吸い込むか、あるいは水や食物に含まれている放射性物質を口にすると放射能の元を体に中に取り込みます。
そして、体の中に取り込まれた放射性物質は血液に運ばれて人体の中の各臓器に達し、そこに留まりながら体内で放射線を出し続けます。
これを内部被曝といい、最終的に放射性物質が体外へ排出されるまで被曝が続くことになります。

さて、体内で留まっている放射性物質が微量で、放射線量がごくわずかであっても、それが長期間続けば深刻な健康被害をもたらす可能性が指摘されています。
米国の統計学者J・M・グールドは全米の乳がんによる死者数を調査し、そこから衝撃的な因果関係を見つけ出しました。
それは、原子力発電所から160km(100マイル)以内にある地域では明らかに乳がん死亡者が増加している一方で、それ以外(160km以遠)にある地域では乳がん死亡者は横ばいか、減少傾向であったことです。
原子力発電所は通常の運転期間中であっても、ごく微量の放射性物質を空気中や海、河川などに放出しており、この量は安全基準を大きく下回ったものですが、この放射性物質による内部被曝の影響と考えうる乳がんの増加がグールドの調査報告によって明らかになったのです。

また、1950年から1989年のおよそ40年間に米国の白人女性の乳がんの死亡率が2倍になっていることが公表されています。
このテータにたいし、当初米国政府は大気汚染や水質汚染の影響によるとの説明をしていましたが、原子力発電所からの微量の放射性物質による内部被曝の影響によるものであることを否定できずにいます。
これらの事実は「どんなに微量であっても内部被曝をすればガン化の確立が高まる」ということを物語っており、内部被曝にはこれ以下なら安心・安全、健康への影響はないといういわゆる「しきい値」は存在しません。

食品の放射線をめぐる「暫定規制値」について(本当に安全か)!
さて、日本の法律では食品の放射線に関する基準が明確に定められていませんでしたが、今回の福島原発の事故によって、急きょ定められたものがいわゆる「暫定規制値」です。
規制には飲料水や牛乳・野菜類などについてそれぞれの規制値が定められており、この数値は「定められた数値を大きく上回るものを1年間食べ続けると、初めて健康に影響が出る可能性がある」という数値を求めたもので、非常に厳しい値であるといいます。

ところで、この数値はICRP(国際放射線防護委員会)という組織の出している基準にもとづいていますが、ECRR(放射線リスク欧州委員会)という科学者の組織はこのICRPを「原子力産業にきわめて近い団体であり、功利主義的な損得計算にもとづいて被曝を正当化しており、環境への放射線放出を認めている」と批判しています。
そして、ECRRは一度に多量の放射線を浴びるよりは、低線量でも長期間にわたって放射線を受ける方が人体への影響が大きいことを強調し、それを軽視するICRPを批判しています。
また、ECRRの内部被曝の健康への影響に関するモデルはICRPとは大きく異なっており、その点にかんしてはECRRとICRPとの差は100倍以上もの開きがあるといいます。
さらにチエルノブイリでは事故後に小児白血病が多発しており、これを胎児期の低線量の体内被曝が原因ではないかと推測するECRRにたいして、ICRPはこれを否定しています。

これらの事実から言えることはICRPの基準だけに頼るのは危険であり、食品の「暫定規制値」に関してもこれに準じて考えるべきと筆者は考えます。
ただ、放射線に対する過度の不安や恐れはストレスの原因になり、今度は別の種類の健康リスクになることも忘れてはいけません。
放射線のリスクにたいする意識をある程度持ちながらも、平常心で日々の生活をおくることが一番よいと筆者は考えます。
(参照)これで学校給食は本当に安全ですか
http://savechild.net/?p=1509

参考 世界一わかりやすい放射能の本当の話(宝島社)




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