光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2011年09月

不可解な轟院長の“退任劇”、および「銚子市立病院再生機構」の東京事務所の存在理由について

銚子市立病院の轟院長が10月末で退任するといいます。
病院運営の指定管理者である「銚子市立病院再生機構」が9月9日に開いた理事会で轟院長の契約延長をしないことが決まり、銚子市に同機構から後日連絡が入ったというのです。
轟院長は昨年の11月に院長に就任していますが、氏の院長就任以来、市立病院の外来患者数は急増しており、この8月には月間で4100人を上回りました。これは再開当初の昨年5月の月間196人と比較しても20倍を優に超えるものです。
また、今年の4月には入院病床が53床で再開され、医療スタッフの充実もすすみ、再開当初の常勤医師1名、非常勤医師9名の10人体制から、今年の7月には常勤医師7名、非常勤医師20名の27人体制となり診療体制の拡充がはかられました。
轟院長の就任後の市立病院の軌跡をひと言で表せば、短期間に地域を代表する中核病院へと成長したことであり、轟氏が院長としてこの間の病院の成長に貢献した功績は市民が等しく認めるところとなっています。

ところが9月には入るや、指定管理者である「銚子市立病院再生機構」からは轟氏の契約を延長しないことが唐突に発表されました。
これは本人の意に反して契約を不更新としたものであり、退任とはいうものの事実上の「解任」に他ならず、この間の氏の実績を考えれば摩訶不思議な人事というほかはありません。
またこの際に、なぜ轟氏を退任させたかについての説明が銚子市側へはいっさいおこなわれておらず、後任の院長をはじめとした今後の対応についても何の説明もなかったといいます。
この事態にはさすがに銚子市側も「重大な事態であり、今後の対応を注意深く見守りたい」とコメントせざるをえませんでした。

さらに轟氏の退任が決まった途端に、野平市長が個人ブログで現職の院長である轟氏を批判するといった出来事もおこりました。
これはダンマリを決め込む「銚子市立病院再生機構」の立場にたって今回の不可解な退任劇を援護射撃したものであり、本来であれば市長たるもの、市民が信頼する院長を「解任」したことにたいする説明責任を機構側に求めるべきであったのです。
市民の側に立ちその代弁者となるべき現職の市長が、逆に機構側に立ってそのスポークスマンとしての役割を果たしたところに今回の退任劇の特長があります。
これで病院再開後の1年半で早くも3人目の院長交代となり、現職市長がブログで現職の院長を批判したことも含め、銚子市立病院再生にとっては大きなマイナスの情報発信となってしまいました。

また、8月には内科の常勤医である副院長が辞めています。これで外科の常勤医である轟院長の退任と合わせれば常勤医が7名から5名と減少することとなり、内科と外科という基幹科目の常勤医にいたってはゼロとなりかねません。
また、院長の後任の目途や内科と外科の常勤医の確保の見通しも定かではなく、これでは病院再生にあたっての悲願である2次救急医療の実現も遠ざかるばかりです。

市立病院再生機構の東京事務所の本当の存在理由とはなにか!
さて、「銚子市立病院再生機構」には東京事務所がありますが、専門家筋からは「東京事務所の存在は市立病院が医師の確保について二つの人材派遣会社に委託しているようなもの。元請が東京事務所であり、下請けが医師・人材派遣会社である。これでは屋上屋のシステムとなり、二重の経費支出とならざるをえない。直接、人材派遣会社に委託したほうがはるかに経費節減となる」との指摘がされています。
東京事務所の本当の存在理由は“野平ファミリー”である東京事務所の事務員3名に一人当たり50万円の給料を保証すること、並びに東京事務所に関わる同ファミリーの理事3名には一人当たり80万円の報酬を保証することにあるのではないでしょうか。
また、副理事長にいたっては給料と報酬の二重取りをしていると聞きます。そして、いくら市立病院の経営赤字が膨らんでもこれらの方々の経営責任は問われず、理事報酬の減額はされず、身銭は一銭も切りません。
このためにこそ東京事務所の存在は必須のものであり、欠かすことができないのではないでしょうか。


日本軍支配下におけるベトナム人の大量餓死とは(再論)

1973年1月27日、パリにおいてベトナム民主共和国、サイゴン政権、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の四者の間でベトナム戦争終結を約した協定が結ばれました。(パリ協定とよばれています)
1969年から始まっていたベトナムからの米軍の撤退はこれによって加速し、同年1月29日にニクソン政権はベトナム戦争の終戦を宣言します。そして3月29日には米軍の完全撤退が完了したのでした。
こうして米国のベトナム介入と侵略が終息しましたが、ここにいたるまでにはベトミン結成・独立戦争開始から30余年、ベトナム独立後の抗仏戦闘開始から28年、トンキン湾事件のでっち上げで米軍が公然大量の侵入を開始してから9年、ジュネーブ協定以降の米国の実質的な介入の始まりからは19年が経過しています。
この間、ベトナムはほとんど途切れることなく独立のための抗戦を続けてきました。
人類史はじまって以来最大・最強の帝国にたいして、これまた、徹底した反撃を続けてきた「小国」も人類史はじまって以来のことであり、ベトナムの独立と民族的自由をめざした戦いは世界史を大きく塗り替えました。

さて、このベトナム人民と民族の勝利の要因はなんだったのでしょうか。
それは抗米救国の統一戦線の成功と団結にありますが、その統一戦線と団結に人々を結集させたものは独立と自由のためには何者も恐れず、絶対にかってのドレイには戻らないという強い決意でした。
ここに二つの数字があります。
1700人・・・ベトナム北部タイビン省での北爆や艦砲射撃など、対米抗戦でのすべての死者の数
20数万人・・・同タイビン省での1944年〜1945年での餓死者の数
ベトナムでは1944年から45年にかけて紅河デルタ地帯を中心に大飢饉が襲い、それにより派生した病死を含めると、このときの死者数は最大の見積りで200万人に達したともいわれます。(正確な数字は今でも不明です)
この悲劇を増幅させたのがフランス植民地主義と日本軍による収奪政策であり、当時の日本軍は稲やトウモロコシの畑にすでに植えてあるものをこいでまでして、軍需農産物としての麻やヒマを植えさせました。また、軍馬などに食わせるために農家から貯蔵モミなどを徴発したともいいます。

さて、先の二つの数字に戻れば、米国と延々とたたかってきたことによる犠牲者の数は、植民地時代の1年足らずの間に餓死や病死した人々の約150分の1に過ぎません。
ここにベトナムがドレイとなるよりも戦いを選んだ理由があり、戦いを支える強い決意の歴史的源泉がありました。「死んでもドレイになるな」という故ホーチミン氏の言葉にはこのような歴史的な裏づけがあったのです。
絶対にかってのドレイに戻らぬという強い決意が、最後の最後まで戦い抜くという強い決意となって持続したのです。
古くは元や明による侵略があり、近代ではフランスの支配や日本軍の占領があり、その支配下におかれたベトナム民衆は基本的にドレイでした。
そうした中で、独立前の歴史でもっとも激しく大規模だった悲劇の典型として、1944年から翌年にかけておこった大飢饉があったのです。
日本軍占領下におけるベトナムの大量餓死は事実であり、この痛切な歴史的・民族的体験がなければ、ベトナム独立後の抗仏救国戦争に勝利し、トンキン湾事件で米国が公然と開始した大量介入をうちやぶり、植民地主義・帝国主義勢力を敗退させたベトナム人民の決意と力はありえなかったでしょう。

「階級的な視点」に立った歴史認識の必要性について!
さて、南京事件でもこのベトナムの大量餓死事件でもそうですが、これらの犯罪の元凶は天皇制軍国主義や帝国主義であり、それは中国人犠牲者やベトナム人犠牲者とともに日本人としての我々も糾弾すべき対象なのです。
帝国主義や軍国主義といった反動体制と一般民衆・人民とは分けて考えるべきであり、「階級的な視点」に立たなければ歴史に対する正しい認識は導き出しえません。
日本軍に起因するベトナムの大量餓死も日本軍国主義と日本人民とを区別して考えるべきであり、社会体制による犯罪を「全国民の犯罪」とする混同するところにいわゆる「自虐史観」の誤りの根源があります。
当時の日本軍国主義の犯罪とそれを推進した指導者の非道を、あのとき日本の戦争に反対した良心的な日本人やアジアの犠牲者たちとともに私たち「殺される側」の立場のものは糾弾するべきなのであり、「殺す側」と「殺される側」とに区別する「階級的な視点」にたって歴史的な事象にたいする認識をするべきなのです。

参考:本多勝一「北ベトナム」「戦場の村」など

沖縄県知事の「銃剣とブルドーザー」発言の真意と国連演説の名を借りた首相の原発再稼動宣言について

1955年(昭和30年)の3月11日、米軍は宜野湾村(現宜野湾市)伊佐浜地区の住民に土地を収用するとの通告をだしました。
伊佐浜地区は水田が拡がり、収穫量も多い美田地帯であったにもかかわらず米軍の強制的な土地収用の対象になったのです。
それに対して、伊佐浜地区の住民や沖縄各地から駆けつけた支援者たちが座り込みで土地の接収を阻止しようとしましたが、米軍は武装兵とブルドーザーを出動させ、約3万坪の土地を接収してしまいました。
また、同年の3月14日にも伊江島の真謝に約300人の武装兵が上陸し、家から住民を追い出した後に、13戸の家屋をブルドーザーで破壊して焼き払い、10万坪以上の土地の接収を米軍が強行したのです。
さらに同年の7月11日には伊佐浜地区の土地10万坪の追加接収が通告され、武装兵に守られたブルドーザーやクレーンによって立ち退き家屋が取り壊され、32戸136名の住民が住む家を奪われました。
これら一連の土地の強制収用に怒った沖縄県民は、これ以降、米軍への抵抗運動として「島ぐるみ闘争」を展開しました。
そして、演習地や補給用地などの用地として次々と集落の接収をおこなった米軍の横暴を住民は「銃剣とブルドーザー」による土地収用として例え、米軍の強権の代名詞となったのです。

さて、米国を訪問した沖縄の仲井間知事は日米両国政府が進めている米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画に対し、沖縄県全体が反対していると指摘し、「米軍は銃剣とブルドーザーで基地を作った。日本政府も銃剣とブルドーザーでやりますということになってしまう」と述べ、移転手続きを進めようとしている日米両国政府を批判したといいます。
仲井間知事は日米合意に基づく辺野古への移設を確認すると見られる日米首脳会談を前に「銃剣とブルドーザー」の故事を引用して日米両国政府をけん制したのです。

だが、ニューヨークでの日米首脳会談ではオバマ大統領が米軍普天間基地の「移設問題」で「結果が必要」だと、今までにない強い調子で名護市辺野古への新基地建設を迫ったといいます。
今回の野田首相の訪米にはオバマ大統領からの公式の招請がなく、噂によれば普天間問題で進展がない現状に苛立ったオバマ大統領は「結果」を出すまで呼んでやらないという脅しをかけているというのです。
ところが、野田首相はそういう米国の圧力に唯々諾々として従って「新基地建設」のために「全力を尽くす」と約束しまったのです。
米軍普天間問題やTPP問題で「結果」をもとめるオバマ大統領に忠誠を誓う野田首相・・・。今回のニューヨークでの日米首脳会談はこんな構図となってしまいました。

国連演説の名を借りて原発再稼動宣言をおこなった野田首相の国民世論への挑戦について!
さて、国連総会出席のために訪米した野田首相ですが、あらぬことか、国連演説の名を借りて原発の再稼動を進めると宣言したのです。(たぶん、ここに真の訪米目的があったのでしょう。)
だが、福島第一原発の事故の収束の見通しは依然としてたたず、政府や東電は3号機の炉心の温度が100度未満になったと宣伝し「冷温停止」の見通しが早まったといいますが、原子炉全体の状況は誰も確認できず、溶融した核燃料の状態さえ把握できていません。
目前の事故の収束さえ果たせない政府や東電が全国の原発の再稼動を云々すること自体、あってはならないことです。
また、首相は「電力不足は日本経済の足を引っ張る」と述べて、原発再稼動を合理化しています。
しかし、来年夏の電力不足を指摘している政府試算は昨年の夏の最大電力需要をもとにしたものにすぎず、東電管内などで15%以上の節電に成功した今夏の結果は反映していません。

さて、この首相の一連の言動の背景には「速やかに再稼動させることが何よりも重要だ」との財界の強い要請がありますが、9月19日には会場の明治公園に入りきれないほどの6万人もの市民が集まり、再稼動の阻止と原発ゼロの日本の実現を訴えました。
野田首相の再稼動推進宣言は原発の異質の危険に不安をいだいて廃止を願う大多数の国民の声を無視し、財界の要請を最優先しようとするものであり、そこには何の道理もありません。
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「初心忘るべからず」、3代目になって転落の軌跡が明瞭になった民主党政権の二年間について

民主党政権が発足して早2年になりますが、民主党政権初の首相として所信表明をおこなった鳩山由紀夫氏の演説の内容を振り返ってみると、今の民主党政権の現状との大きな落差が鮮明になってきます。
民主党政権誕生直後の鳩山所信には明確な自覚が込められていました。
それは長年にわたる自民党政治を変えてくれという国民の切実な声が待望の政権交代をもたらしたという自覚でした。
東北に遊説に行った際に職につくことが出来ずに、自殺をしてしまった人の話を聞いた鳩山氏がその話を所信表明に持ちだしました。

そのうえで「政治は弱者のためにある」と述べ、「今回の選挙結果は、このようなもっとも大切なことをおろそかにし続けた政治と行政への痛烈な批判」と断言したのです。
また、それに続いて「「財政のみの観点から医療費や介護費を抑制してきたこれまでの方針を転換」、「国民の暮らしを犠牲にしても経済合理性を追求する発想はもはや成り立たない」、「家計を直接応援することで安心して暮らせる・・・経済に転換」などの言葉を並べました。
これら鳩山氏の所信表明における各フレーズには国民の願いに応えようという前向きの姿勢を感じとることができました。

しかし今回、民主党政権3代目の首相に就任した野田首相の所信表明からはこのような言葉は消え去っており、「財政悪化で国家の信用が損なわれる」ことを防ぐという名目でさらなる国民負担の増加を求めるものに変質しました。
ここにはいっそうの庶民増税への志向があり、消費税増税へとむかう野田内閣の本音が露骨に現れています。
さらに所信表明で野田氏は米軍普天間基地の「移設」問題でも「固定化を回避」、「県内移設へ向けて取り組む」との発言を繰り返し、日米合意どおりに名護市辺野古への県内「移設」を認めなければ普天間基地はそのままになってしまうぞと沖縄県民を恫喝しています。
ここでも普天間「移設」について、「国外、最低でも県外」といっていた民主党の二年前の公約が消え去りました。
また、TPPや原発の再稼動の問題なども官僚の書いたメモを読み上げるだけとなり、肝心要の問題に誠実に答えようという姿勢はさらさら無く、「官僚主導」から「政治主導」への転換という約束も反故にされました。

政治の軸足を切り替えない限り政治は変わらないことを証明した民主党政権の二年間
二年前の政権交代に国民が託したことは「自民党政治を変えてほしい」という願いでしたが、三代目になって自民党政治と中身がまったく変わらない内閣が誕生したことで、政権交代にかけた国民のこの願いは真っ向から踏みにじられました。
さて、こうなってしまうには大きな理由があります。
それは政治をすすめる軸足の問題であり、その際の土台がどこにあるかの問題です。
旧来の自民党政治は外交といえばアメリカの言いなり、内政といえば財界の言うとおりにしておればよいというものでしたが、この従前の枠組みにとらわれている限りは多少前向きの政治をすすめようとしても結局は古い自民党政治に戻ってしまうのです。
それを明確に実証したのがこの二年間の民主党政権の歩みであり、国民との約束を破ってどこまでも変質を続ける民主党政治でした。
政治を進める軸足とその土台を切り替えない限り、政治は決してよくならないことがこの二年間で証明されたのです。

政権につくために自民党政治への批判の高まりを意識した政策を一通り掲げてはみたものの、米国いいなり、財界優先という自民党政治の土台を変える意志も展望もない民主党がたどった裏切りの軌跡はある意味で必然的でありました。


松下政経塾創設者の松下幸之助氏に見る「無税国家」の虚構と原発ゼロのためには原子力空母の横須賀母港撤回が必要なこと(ブログ二題)

松下政経塾一期生の野田首相の師といえば松下政経塾を設立した松下幸之助氏でしょうが、松下氏は晩年に国家経営の基本として「無税国家」構想を唱えて増税反対の考えを示したといいます。
「税金のいらない国にしよう。これは必ず出来ると思うのです。どうしたらそれができるのかということも、みなさんの今後の研究材料になると思います。」
おそらく、野田首相は政経塾一期生としてこの松下氏の言葉に真剣になって耳を傾けたことでしょう。

ところで、松下氏の唱えた「無税国家」構想とは企業経営のやり方を国家経営の参考にして国家予算の一部を積み立て、その資金を運用した金利収入で国家の運営をおこなうというものでした。
国民を株主と見立て「税金は投資」と宣伝し、大企業や高額所得者の税金をタダにしようという「新自由主義」そのものの構想です。
また「抜本的な行政改革に成功したら、そのあかつきには国費が今よりはるかに少なくてすむ」という考えも示し、財界・自民党流の「行政改革」の断行も求めました。

さて、松下政経塾と同じく松下幸之助氏がつくったPHP総合研究所は9月2日に「野田総理に望むこと」と題する提言を発表しており、「税と社会保障との一体改革」の推進の名目で消費税増税を野田首相に強く迫っています。
さらに政経塾元相談役には政府税調元会長として消費税5%増税への道を開いた加藤寛氏などもおり、政経塾は消費税増税をも志向してきたことをうかがわせます。
松下幸之助氏の「無税国家」構想や増税反対の虚構ぶりがここに現れているようです。

横須賀港に浮かぶ二基の原子炉(空母ジョージワシントン)と首都圏3000万人の命の危険について!
米国海軍横須賀基地が原子力空母ジョージワシントンの母港となって3年たちますが、福島第一原発の大事故をきっかけに「大地震や津波が起きたら原子力災害をひき起こさないか」と住民の不安が広がっています。
同空母に搭載された二つの原子炉の総出力は福島第一原発で事故をおこした1号機(発電出力46万キロワット)の出力にも匹敵しており、これを搭載した空母が年間で120日も横須賀基地に停泊しているのです。
また、空母が停泊中は原子炉を停止していますが、原子炉の崩壊熱の冷却のためには海水と真水と外部電力が必要です。
真水を作る工場や外部電力をつくる発電所は基地の埋立地の中にあり、地震や津波が引き金となってこれらの原子炉関連施設が重大な損傷を受ければ、空母の原子炉が福島第一原発と同じように炉心溶融(メルトダウン)につながる大事故をひき起こしかねません。

おまけに三浦半島には多くの活断層があり、今後30年以内に大地震が発生する確立はきわめて高いといわれています。
東京湾の湾口に原子力空母が居座ることは湾の入口に原発が存在することと等しく、横須賀で空母の原子炉事故が起きて放射性物質が放出された場合に、100キロ圏内の首都圏3000万人に重大な影響を及ぼすことは避けられません。
1923年の関東大震災の際には三浦半島のいたるところで津波が発生しており、日本海軍の軍港であった横須賀港では当時の日本海軍の戦艦「三笠」が船の底が破れて浸水し、巡洋戦艦「天城」が地盤隆起で中心部の鉄骨が曲がり大破しました。
また、基地内の重油タンク群が破壊されて大量の重油に火がつくことで港湾内は火の海になったと伝えられています。

さて、日本の原子力政策では首都圏に原子炉をおくことはそのリスクの大きさゆえに許されておらず、横須賀に原子力空母が入港することは、本来認められるものではありません。
しかし、それを不問に付していることは日米安保にもとづく治外法権そのものです。
また、国内の54基の原発を全部停止しても、原子力空母ジョージワシントンの二つの原子炉二基が残り、これには日本の規制と監視は及びません。
原発ゼロをめざすためにも「日米同盟」の不平等性を見直すことが必要であり、原子力艦船の横須賀母港撤回が必要になります。

参考「しんぶん赤旗」9月15日付け


侵略美化教科書の採択を推進する松下政経塾OBの自治体首長たちと米軍の“トモダチ作戦”の正体について(ブログ二題)

野田首相、玄葉外相、前原民主党政調会長、樽床幹事長代行ら野田政権中枢を占める4人にはある共通点があります。それは全員が松下政経塾の卒塾生であるということです。
松下政経塾はパナソニック(旧松下電器)の創業者である故松下幸之助氏が1979年の6月に神奈川県茅ヶ崎市に設立した財団法人であり、保守政治家の養成や「保守二大政党制」の実現を目指した同氏が私財70億円を投じたものです。
同塾は現在までに民主・自民の国会議員38人、地方議会議員30人にくわえ、自治体首長10名を輩出しており、宮城県の村井知事もその一人に数え上げられています。

さて、松下政経塾の多くの卒塾生に共通することはその特異な歴史観です。
野田首相はA級戦犯は「戦争犯罪人」ではないとする「靖国史観」で一躍有名になりましたが、同塾出身の多くの自治体首長が先の侵略と植民地支配を肯定し、日本国憲法の平和原則を敵視する自由社判や、育鵬社(扶桑社の子会社)判の中学校用教科書(歴史・公民)の採択を推進しています。
なかでも山田宏杉並前区長や中田宏横浜前市長らは在任中に自らの権限を悪用し、教育委員の多数を自由社判や育鵬社判の教科書の支持者に強引にすげ替える手法で、教育現場や父母の意見を無視して侵略美化の教科書の採用を強行しました。
だが、山田前区長が辞任した杉並区では6年にわたり使用されてきた侵略美化の教科書を不採択にしようと住民や父母が立ち上がり、今年の8月には「新しい歴史教科書をつくる会」系の自由社判の教科書の不採択を実現させました。
そして、この背景には「教員が使いにくく、生徒の学ぶ意欲が湧かない」との根強い学校現場での意見があったといいます。

「戦いに敗れるまでは日本人の愛国心は世界的に有名で、非常に強いものと思われていた。
だが戦いに敗れた日本人はまったく誇りを失い、わが国の短所や醜さばかりが強調され、卑屈にも自らを劣等国民視する傾向が支配的となった」
これはかって故松下幸之助氏が松下電器の社内報に掲載した文章の一説ですが、この考え方には憲法の平和原則を掲げ、憲法9条を擁護する戦後の歴史教育を「自虐史観」と排撃する思想と共鳴しあうものがあります。
松下政経塾出身者が自由社判や育鵬社判などの侵略美化の教科書の採択を推進する根底には、同氏の思想の影響力があることは疑いありません。
侵略美化教科書の採択には安部晋三元首相などの「靖国派」グループも力を入れており、松下政経塾出身者と「靖国派」は底流でつながっています。

米太平洋軍519司令部の実戦災害版だった“トモダチ作戦”の正体について!
“トモダチ作戦”の名で一躍有名になった東日本大震災における米軍の被災地救援活動は実は米国の太平洋軍(ハワイ)の“太平洋有事519作戦”の発動だったといいます。
米軍が本当の名前を口にしなかったこともあり、この作戦の実態に肉薄するメディアもほとんどありません。
米太平洋軍は1999年に4軍を統合した司令部を設置しており、突然の地域の有事や災害に備える作戦計画を立案しています。
この作戦計画の司令官には米国太平洋艦隊司令官(海軍大将)があたり、地上実戦部隊の主力には沖縄の海兵隊があたります。
今回は大震災後すぐに横田基地内に“災害救援統合司令部”の名で太平洋有事519司令部がつくられ、米韓合同演習に向かう空母レーガンを三陸沖に転進させたのをはじめ、米軍は総力を挙げて“太平洋有事519作戦”の遂行にあたりました。
そして、519作戦の今回の災害バージョンが戦争バージョンと異なるのは爆弾を落としたり、砲弾を撃ったりしないことだけでした。

また、津波で水没した仙台空港の機能回復に当たったのが沖縄嘉手納基地に所属する悪名高い第353特殊作戦航空群です。
彼らは夜間の隠密作戦が多いので俗に“コウモリネコ軍団”と呼ばれており、彼らの任務である紛争地での民間空港の奪取と特殊部隊の投入という二つの任務をみごとやってのけたのです。
このように今回の“トモダチ作戦”は“太平洋有事519作戦”の実戦災害版であり、戦争版と表裏一体の関係にありました。
けっして「人道主義」にもとづいて米軍が被災地や被災者に救援にあたったわけではありません。

参照:「しんぶん赤旗」9月13日付け

財界主導型政治へと回帰する野田「どじょう」内閣と目白の田中邸に消えた原発用地売却資金5億円(ブログ二題)

民主党政権はこれまで「エネルギー政策」、「税と社会保障」などのテーマごとに多数の会議を政府の中に設置してきましたが、ここにきて野田「どじょう」首相が「政府で設置している様々な会議をどう整理するか。そこから考えてほしい」との指示を出しました。
ここには首相をトップに関係閣僚や日銀、経済界首脳らが参加する「国家戦略会議」に政策決定の機能を一元化して強力に推進しようとの意図があり、そのモデルが小泉政権下で政策決定の舞台となった「経済財政諮問会議」であるといいます。

小泉政権下の同会議はトヨタ自動車の奥田会長やウシオ電機の牛尾会長ら財界団体首脳が参加しており、国の重要政策づくりに財界・大企業のトップが直接関与するシステムとして機能しました。
また、同会議は「構造改革」を看板にして不良債権の早期最終処理や労働法制の規制緩和、社会保障の抑制、郵政民営化などの多くのことをおしすすめました。
この結果、バブルの崩壊で困難におちいった金融機関を救済するための公的資金投入がおこなわれる一方で、労働法制の規制緩和で非正規労働を大量に拡大し、毎年2200億円の社会保障費の削減は医療崩壊や介護難民などを生み出しました。

「経済財政戦略会議」を“司令塔”とした小泉政権下の「構造改革」は、そのあまりの国民いじめに自民党の中からさえも「もはや乾いたタオルを絞っても水は出ない」、「新自由主義や市場原理主義を唱えた間違いは世界の不況が証明した」と、その廃止をもとめる声が上がったほどでした。
また、民主党も野党時代には同会議を激しく批判しており、「政権交代」後にはこれを「廃止」せざるをえませんでした。
ところが、野田「どじょう」内閣の誕生に前後してそれを復活させようというのです。
そこには国民の反発が強い消費税の増税やTPPの推進、原発の維持や再稼動など、財界の要求を政策に反映させるための態勢固めという意図が透けて見えています。
小泉元首相の下で社会保障の切捨てとか、庶民増税とかのいろいろな問題をみんな決めて,いっきに押し付けてきたのと同じ仕掛けをつくろうとの動きは日本経団連の米倉会長などが大歓迎しており、古い財界主導型政治への回帰に他なりません。

田中邸の奥座敷に消えて、自民党総裁選挙に「実弾投入」された原発用地売却資金5億円!
新潟県の日本海沿いの砂丘地帯が世界最大の東京電力柏崎刈羽原子力発電所へと変貌した背景について、故田中角栄元首相による土地転がし疑惑が語り継がれています。
また、この土地転がし疑惑については田中角栄氏の後援会「越山会」の地元幹部だったK県議の証言もあります。
それによると田中角栄氏は後に原発用地となる砂丘地52万平方メートルを1966年9月に「室町産業」名義で購入したというのです。
ところが同年の10月に国会で信濃川河川敷買占め問題が暴露され、「室町産業」がペーパーカンパニーであることが知れわたると、田中氏は翌年には登記簿から「錯誤」を理由として「室町産業」の名前を削除したのです。
そのうえで「越山会」幹部であったK県議の名義に書き換えていますが、71年の10月に同地を原発用地として東京電力に売却するに際しては田中氏自身が土地の値段を決めたとK県議が証言しています。

さて、この原発用地の売却資金は5億円にのぼりましたが、それは後に目白にあった田中邸に密かに運びこまれ、72年7月に「三角大福」の有力4者であらそわれた自民党総裁選挙に「実弾」として投入されました。
このことは後にK県議も証言しており、原発用地をめぐる土地転がし疑惑は「田中金脈」の有力な要素でもあったのです。
当時、田中氏は地元の講演で「柏崎刈羽原発と巻原発の二つの原発ができると新潟県は一大電力供給地となり、税収は豊かになると」と叫び続けましたが、この発言の背景には原発用地をめぐる利権と土地転がし疑惑があったのです。

さて現在、柏崎刈羽原子力発電所の構内には東京都内の東電営業所からかき集めてきた電源車12台が常時待機しているといいます。
東電自身が次の地震にたいして戦々恐々としているのです。

参考 「しんぶん赤旗」など

田中角栄氏が首相時に導入した電源3法交付金(原発マネー)が原発増設の原動力となったこと、および原発マネーが推進者の感覚を麻痺させてきたこと

1956年(昭和31年)に原子力発電の促進をめざして設立された政府の原子力委員会が65年(昭和40年)に決定したものに「原子力開発長期計画」があります。
これは90年(昭和65年)度末の原子力設備を1億1千970万キロワットとすることを目標とした非常に“野心的”な計画であり、最終的には40箇所前後の立地に130基もの原発を建設することをもくろんだものでした。
日本では現在、17箇所に54基もの原発が集中立地していますが、この現状と比較してみても上記「長期計画」のすさまじさがわかります。
しかし、日本の商業原発の本格的な運転が始まると、安全や環境への危惧から全国で原発立地反対運動の火の手が広がり、原発立地計画はたちまちにして行き詰まりに直面してしまいます。
まさにその時に首相として登場したのが田中角栄氏であり、田中内閣は74年6月には電源3法の導入へと踏み出します。

さて、電源3法とは原発立地市町村にたいして交付金や補助金を出すためのものであり、財源となる電源開発促進税は電気料金に転嫁されて最終的には国民が負担する仕組となっています。
田中角栄氏はこれ以前にも、その著書「日本列島改造論」のなかで、地元の抵抗なくして電源立地をいかにして進めるかと問いかけており、「発電所を作る場合には住民も利用できる道路や港、集会所などを整備する。また、地域社会の所得の機会を増やすために工業団地などとセットにする」などと電源3法の構想を披瀝していました。
だが、電源3法は過疎で財政的に厳しい市町村につけこむ「札束で頬を叩く」式の懐柔策であり、おまけに建設から10年もすれば交付金が激減し、交付金で作った「ハコモノ」の維持管理費用すらも工面ができなくなるのです。
そのために、いったん原発を受け入れたら最後、2基3基と続けて原発増設を受け入れざるを得ない仕組みにもなりました。

「交付金の巧妙な制度をつくったのは日本の原子力の展望を形づくった田中角栄首相である」とニューヨークタイムズが今年になって報じたとおり、電源3法とそれにもとづく交付金はその後の原発増設の大きな原動力となったのです。

原発マネーは推進する側の人々の金銭感覚も人権感覚も麻痺させること!
さて、この電源3法交付金ともよばれる原発マネーはこれに依存する人々の考え方をも荒廃させていきます。
石川県の石川町で88年に志賀原発の建設が始まりましたが、これに先立つ5年前に敦賀原発や高速増殖炉「もんじゅ」をかかえる敦賀市の当時の高木市長が、原発の「先輩」として同町で講演をおこなっています。
だが、そこで語られたことの中には驚くべき内容が含まれていました。

「原子力発電所は、一瞬をあらそう事故というのはない。そのかわり、100年たってカタワ(障害者に対する差別用語)が生まれてくるやら、50年後に生まれる子供が全部カタワになるやら、それはわかりません。わかりませんけど、今の段階でおやりになるのでしたらおやりになったほうがよい。いつまでも心配する時代ではない」
原発マネーはこの当時の敦賀市長の高木氏のように、推進者の金銭感覚はもちろん、人権感覚すらも麻痺させていきました。

また、同じ原発推進者である自民党の某福井県議は原発を推進する理由として次のように語ったといいます。
「私らには原発の技術的なことはわからない。じゃどうやって原発の是非を判断するかといえば、それは地域振興だよ。地域振興がOKなら原発はOKなんだよ」
この発言から明白なように、某県議氏などの推進者にとっては原発立地が地域振興につながればOKなのですが、では現実に原発の立地は地域振興につながってきたのでしょうか。
さきの敦賀市の場合に電源3法交付金(原発マネー)が1974年から2010年までの間に累計で462億円も注がれましたが、市は交付金依存の「ハコモノ」行政に熱を上げる一方で、ものづくりには力をいれずに地場産業は廃れていきました。
この30年の間に市の製造業者の数が半減しており、敦賀市の実例などは原発マネーが地域振興に役立つものではなかったことを実証しています。

参考 「しんぶん赤旗」連載「原発マネー」より

追伸
(原発推進の片棒を担いだ“マスコミ文化人”への風刺詩のご紹介)

さて、原発マネーに目がくらみ原発推進に協力する自治体の責任も問われるべきですが、原発推進に協力して「安全神話」の片棒を担いだ“マスコミ文化人”の責任も見過ごすことが出来ません。
米国生まれの44歳、日本在住で英語教師のAJレボウイッツ氏は「原発音頭」(『詩と思想』9月号掲載)なる詩でその現状を痛切に批判しています。

「アントニオ「小銭ちょうだい」言っただよ/「かしこまった」と電事連/ほっぺ叩く札束で/猪木さまケッチ過ぎ!」(アントニオ猪木)
「鋭い男タケシ君/ 笑えぬ言葉 地震前/他の施設がダメになる 避難するなら原発だ/ 今そこへ逃げ込めば」(ビートたけし)
「球に詳しい 仙ちゃんは/関西電力のCMキャラ 熱くなったらかなわんね/非温暖化だ とアピール/原子炉もめちゃアッチ」(楽天イーグルス監督星野仙一)


ヨーロッパの富豪が主張する「増税なら我々に」と、超大金持ちたちを甘やかして彼らに取り入る日本の政治家たち

ヨーロッパの国々は超緊縮財政政策の一環として国民生活に関連する分野の予算削減をすすめていますが、ここにきて「増税なら、われわれに」と主張し始める富豪が続出しています。
ドイツの資産家50人のグループ「富裕層に課税を」はメルケル首相に対し「財政赤字の打開策は、貧困層に不釣合いに痛手となる歳出削減(社会保障費など)ではなく富裕層への増税だ」と主張しています。
また、フランスの富豪16人も政府の財政赤字削減のために富豪らを対象にした特別貢献税の創設を提唱しました。
この16人の富豪のなかには化粧品大手として有名なロアレル社の創設者の娘であるリリアン・ベタンクール氏や航空大手エールフランスKLMのスピネッタCEOらが名を連ねており、「我々はフランスの制度と欧州の環境からの恩恵を受けており、その維持に貢献しなくてはならない」と述べています。
また、イタリアの高級スポーツカー製造で有名なフェラーリの社長も幾つかの条件をつけながら、「富裕層に求めることからはじめなくてはならない」と語っています。

これらの富豪に共通するのは自らの社会的責任に対する自覚であり、ドイツの50人グループの創始者レームクール氏は「我々は教会で教えているものや、医師や企業家である。資産の多くは相続したものであり、我々は必要以上の金を持っている」「貧富の拡大を阻むためには手を打たなくてはならない」と語っています。

貧富の格差が拡大し続ける日本の現状と富裕層のご機嫌をとる日本の政権中枢の政治家たちについて!
さて、翻って我が日本の富裕層はどうでしょうか。
日本では国税庁が05年からプライバシーを理由に高額所得者の資産公開を取りやめていますが、お金持ちは見栄っ張りなので米国の雑誌に日本の富豪の昨年の資産状況が掲載されました。
それによれば、ユニクロの社長の個人資産8372億円をはじめとしてサントリー社長の7826億円、ソフトバンク社長の5096億円など、上位5人の個人資産の合計だけで3兆円を超えているのです。
その一方で、長引く不況などの影響で生活保護受給者が増加しており、今年1月の統計によれば200万人に迫る勢いなのですが、この200万人分の生活保護費が年間で3兆円です。
すなわち、200万人分の生活保護費とたった5人の個人資産が同じ3兆円であり、その格差のあまりの大きさには愕然とする他はありません。
まさしく、日本の富裕層も「我々は必要以上の金をもっている」のであり、「貧富の拡大を阻むためには手を打たなくてはならない」状況にあるのです。

だが、実際にすすんでいるのは大企業や大資産家への減税のバラマキや消費税の増税の準備であり、また、原発事故被災者への賠償資金の財源作りのための原子力損害賠償支援機構の創設であり、国民に負担を付け回しすることによる東電の救済です。
東日本大震災の際に巨額な義援金を寄贈した富豪が一部にはいましたが、まだ日本の富裕層はその社会的な責任を果たしてはいませんし、これからも果たそうとする兆候すら見当たりません。

それどころか、本来なら富裕層に社会的責任を果たさせるべき政治家たちがまるで正反対の行動をおこなっているのです。
その典型が新たに首相の座に着いた野田佳彦首相であり、今回の組閣の前に日本経団連をはじめとした財界3団体を訪問し、ご機嫌を伺うという異例の行動に出ました。
それはいっそうの法人税減税や消費税増税の実現などを要求する財界と首相官邸との「直結路線」を宣言したに等しいものであり、日本経団連の米倉会長と野田新首相との顔合わせなどはどうみても米倉氏が殿様で、野田氏が家来であったといいます。

松下政経塾出身者には富裕層の社会的責任に対する認識がないこと!
さて、野田内閣と民主党役員の顔ぶれを見ると、ある団体の出身者が幅を利かせていることに気付きますが、その団体とは保守政治家の養成機関である松下政経塾です。
松下政経塾とは松下電器の創業者であった松下幸之助氏が私財から70億円を拠出し1979年に神奈川県の茅ヶ崎市に設立した財団法人です。
同塾出身者の多数が政権の中枢に浸透し、一見すると我が世の春を謳歌しているごとき松下政経塾ですが「松下政経塾出身の政治家が増えるにしたがって日本の国が衰退しているように見える」と指摘する政治家がいることも忘れてはなりません。

ところで松下幸之助氏は塾生たちに富裕層の社会的責任を説いたのでしょうか。
残念ながら内閣や政権党の要職についたかっての塾生たちの現在の立ち振る舞いを見る限りではそのような事実は無かったと推測するほかはありません。
「超大金持ちたちを甘やかすな」と提唱し、富豪への増税を打ち出す政府を求めます。


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西岡三郎
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