光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

2012年03月

独裁的な手法で古い新自由主義的な政治をすすめようとする。これが橋下「維新の会」の政治路線の本質です!

橋下大阪市長率いる「維新の会」による維新政治塾が3月24日に華々しく開講しました。
「政権交代」への失望感から政治に対する閉そく感が強まる中で、マスメディアが異常に持ち上げたことがこのブームをつくりだしています。

だが、「維新の会」がいくら新しい装いを強めようと、その政治の中身を見れば小泉「構造改革」の焼き直しであり、いっそうのアメリカ・財界いいなり政治に他なりません。
「維新政治塾」のスタッフを見ても、小泉「構造改革」の司令塔であった竹中平蔵氏、小渕内閣から森内閣まで経済企画庁長官を務めた堺屋太一氏など、古い政治の推進者がずらっと並んでいます。
選挙は一種の「白紙委任」という橋下氏の独裁的な手法によって、新自由主義的な政策をすすめる。ここに「維新の会」の政治路線の本質がありそうです。

ところで、本来は09年の政権交代でリーマンショックや「年越し派遣村」に象徴される小泉「改革」にノーが突き付けられ、パラダイムシフト(社会全体の価値観の転換)が起きたはずでした。
だが、政権交代後の民主党政権があまりにふがいなく、民主も自民もダメなことが明らかになった時に人々の間にかもし出されたのが冷笑主義(シニシズム)です。
これが現状をリセットしてほしいという一種の英雄待望論と結びついたことが橋下ブームをつくりだしました。
また、いわゆる既得権バッシングとよばれる公務員攻撃を橋下氏は支持の源泉としています。
こうした既得権攻撃は生まれた境遇も環境もあまり変わらないのに、たまたま公務員などの安定労働者になった人たちを攻撃する傾向に根ざしており、橋下氏の公務員攻撃はこのような人々の「負の感情」に乗じたものです。
政治の現状への閉そく感からくるシニニズム(冷笑主義)と、既得権攻撃に見られる「負の感情」とが20〜30代の若者に蔓延していることが橋下ブームの根底にあります。

市職員に対する「思想調査」、選挙のリストねつ造問題、校長の口元チェックなど一連の深刻な事態が続出する橋下市政の現状!
話は変わって、「大阪維新の会」が大阪市議会で組合攻撃の材料に使った市長選リストが、実はねつ造されたものだったことが判明しました。
このねつ造されたリストを用いて「維新の会」の杉村市議が「交通局と組合が組織ぐるみで市長選に関与していた」として市側を追求したことが騒ぎを大きくしましたが、これが逆に「維新の会」にとっては墓穴を掘る結果ともなりました。
さらに悪名高い「思想調査」もこのリストが問題になる中ですすめられており、ねつ造された市長選リストをめぐる一連の問題の責任を橋下市長は「維新の会」の代表として明らかにすべきです。
過去には同じようにねつ造されたネタが用いられた民主党の偽メール事件で、質問した議員が辞職しており、党代表もその座から退いています。

また、先に公立高校の卒業式で、起立しても「君が代」を歌わない教師がいるというので、管理職が口の動きを監視して歌わなかった教師を摘発して処分をおこないました。
この高校の校長は橋下氏の友人の弁護士だったこともあり、ここでも教育は100%強制という信条の持ち主の橋下市長はこの学校の処置を称賛しています。
市職員に対する「思想調査」といい、選挙時のリストねつ造問題といい、校長の口元チェックといい、深刻な出来事が橋下市長のもとで続いており、一連の出来事にたいする橋下市長の責任が問われています。

全議員の合意によって銚子市立病院の指定管理料の減額をおこなった3月の銚子市議会(玉にキズは国保料と介護保険料の引き上げも可決したこと)

銚子市議会の本会議が3月23日に開かれましたが、なかでも注目すべきは市立病院の予算原案に代わる修正案が市議会の全議員の合意によって提案されたことでした。
聞くところによれば全議員合意による修正案を作成するために、非公式の議員会合が二度にわたって開かれたということです。

さて、その修正の中身はと言うと、その使途の不明瞭さが強く指摘されていた病院の指定管理料を原案の2億5千万円から2億円へと減額したことでした。
そして減額の項目を7項目とし、7千万円以上かけて人材派遣会社に丸投げしている広告宣伝費の見直しや高額な法人理事の報酬を第3者評価によって見直すこと、および医師確保を人材派遣会社に頼らず、医科大学や医療機関との連携を推進することなどが盛り込まれました。
また、これとは別に、予算原案にある市立病院への4億円の貸付金の全額を銚子市の赤字補てんによる償還とするのではなく、病院自身の経営努力によって近い将来に黒字を生み出して、それを原資として償還すべきことが提案されました。
今までのように発生した赤字をすべて銚子市が無条件で補てんしていたら、指定管理団体である再生機構の側にコスト意識がはたらかず、経営改善努力もおこなわれないからです。

さしあたり、この修正予算案が議会の満場一致で可決されましたが、議会がどんな議決をしても「原案執行権」で平然と青天井の赤字補てんをおこなってきた野平氏長がどんなリアクションをするか見ものといったところです。
(その後、判明したところによると指定管理料はいわゆる義務的経費には該当せず、市長の「原案執行権」の対象にはならないようです。この5千万円はいったん予備費の中に繰り入れられますが、年度途中での復活という芸当を野平市長のことですから考えるかもしれません。)

また、市立病院では3月の末に6人の医師が辞めることが判明しており、さらには4月末にもう1人医師が辞める予定になっています。
斡旋した医師の年収の20%に相当する紹介手数料が人材派遣業者に支払われる仕組となっているようですが、マッチポンプで医師を次々と辞めさせて、紹介料の一部をマージンとして稼ぐのが再生機構の目的なのかと思わず邪推してしまいます。
確かなことは、こんなにも頻繁に医師が辞めていく現状では、いつまでたっても二次救急のできる病院の実現は不可能ということです。

銚子市の一般会計(税金)から近隣市なみの「法定外繰り入れ」をすれば値上げは避けられた国保料について!
また、今回の銚子市議会に提案された主要議案の一つが国民健康保険料の6.5%引き上げ案です。
これが実施されれば、銚子市の標準世帯で40万円以上の負担となり、近隣の旭市の標準世帯32万円、神栖市同35万円、匝瑳市同38万円などと比較して銚子の国民健康保険料がいかに高くなるかが一目瞭然です。
さて、国保料の高騰を抑えているものが市町村の一般会計、言わば税金から国保会計にお金を入れる「法定外繰り入れ」とよばれるものです。
これが国保加入者の保険料を全体でカバーしています。
この「法定外繰り入れ」の金額が銚子市の新年度予算案では9千万円にすぎす、近隣の旭市で5億5千万円、匝瑳市で3億2千万円、神栖市で6億円であり、ここでも近隣市と比較して、いかに銚子市が貧弱かが一目瞭然です。
銚子市も近隣市並みの「法定外繰り入れ」を実施すれば保険料を引き上げる必要はありませんが、議会の多数派の賛成によりこの引き上げ案が成立してしまいました。

さて、議会での引き上げ案採決の際は共産党などの反対の他に、意外にも保守系と見られていたD議員が引き上げ反対の立場を明確に表明しました。これは介護保険料の引き上げ案の採決の際も同じでした。
私は当初、D氏は市長に近い立場の人物かと思っていましたが全然違っていました。こうなれば、今後とも一貫した市民派の議員として活躍していただきたく、エールを送りたいと思います。

追伸
だが、解せないのは国保値上げに反対討論をおこなっていた議員が採決の際には賛成してしまったことです。反市長派として有名な議員の二人がこの矛盾した行動をおこなっています。
再追伸
筆者は国保の件と介護保険料の件がいっしょくたんになりました。確かに国保に反対討論した議員は採決では反対しています。採決は短く、続けざまですから個別の確認が難しく頭の中で混線しました。



ハシズム(橋下流)の特徴は「白紙委任論」による独裁的な手法とワンフレイズ政治の究極的な無責任性にあること

橋下大阪市長が自身の政治手法に“ナチスのヒトラーを想起させる”という批判が相次いでいることに、自らのツィッターで「状況が違う」と反論を展開しています。
だが、この間の橋下氏への批判者でもっとも注目すべきは読売新聞グループ本社の渡邊恒雄会長です。
渡辺氏は「文芸春秋」4月号で「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」という橋下氏の発言を引用し、「この発言から想起するのはアドルフヒトラーである」と批判したのです。

さらに同氏は「第一次大戦の敗北により莫大な賠償金を課せられ、国民の間に既成政党への不満と閉塞感が渦巻いていたドイツに忽然と登場したヒトラーは首相になった途端「全権委任法」を成立させ、これがファシズムの元凶になった。橋下氏の「白紙委任」という言葉が失言でないとすれば、これは非常に危険な兆候だと思う」と指摘しています。
筆者は渡邊氏の日頃の言動や政界での振る舞いのほとんどに賛同できませんが、氏のこの橋下氏にたいする批判は的を射たものであり、この一説には賛同します。

論より証拠で、実際、橋下氏はこの「白紙委任論」によって「俺が民意だ」、「何を話し合う必要があるのか」、「そもそも議論がいらない」などと言い放って、まともな議論もなしに「君が代強制条例」を強行採決。さらには首長言いなりの教員・職員をつくる教育・職員基本条例案や市職員の人権を無視した「思想調査」などのゴリ押しへと暴走しています。
「維新八策」ではこの独裁的なやり方を大阪のみならず、全国に広げることを公約としており、橋下氏がナベツネ氏のことを「独裁者」などと切り返したところで、自身の独裁の実態を覆い隠すことはできません。

橋下氏のワンフレイズ政治の手法は究極の無責任政治となりかねない危険性について!
また、渡辺氏は橋下氏の「白紙委任」論を批判した同じ「文芸春秋」4月号で、橋下氏の政治手法を以下のように分析しています。
「彼はテレビの使い方が非常に巧みで、テレビで編集しやすいワンフレーズで「抵抗勢力」を攻撃する手法は小泉劇場を彷彿とさせる。現在はテレビやツィッターやフェイスブックなどの電子メディアが主流であり、いずれも情報が断片的で瞬間的なことが特徴。これはワンフレイズ政治にはうってつけの環境であり、その瞬間、瞬間で大衆の心をとらえるワンフレイズを言えば、それがメディアを塗りつぶして、次の瞬間には忘れ去られる。政治家の自らの言葉に対する責任感は消えうせ、そして個々の出来事の体系的な意味づけはおこなわれない・・・・・」

さて、渡邊氏の言う“ワンフレイズ政治”のもとでは権力者がその時々に大衆の気をひくネタに飛びついて刺激的なことを言い、それに気をとられた人々の頭からは政治家の過去の言動が次から次へと忘れ去られていきます。
前言を翻して無責任と非難されようが権力者には何もこたえません。
なぜなら、その時には次に大衆の気を引くネタに飛びついて刺激的なことを言い、人々はそれに気を取られて権力者が「無責任」さを指摘された件など頭からすっ飛んでしまうからです。
こうした人々の“健忘症”によって権力者が何を言っても、何をやってもそれにたいする責任は不問に付され、次から次へと素通りしてしまうことになりかねないのです。
これほどモラルにも悖り、なおかつ危険な政治状況は他に見当たりません。

実際に、普天間基地の移設問題が国政上の最大の焦点として浮上した際は関西空港を移設の候補地として挙げた知事時代の橋下氏でしたが、本当に関空待望論がおこってくると「知らぬふり」を決め込みました。
個々の政策はもとより、「白紙委任論」と合わせて“ハシズム”の危険性が指摘されるべきもっとも根源的な問題がここにあります。

(参考:しんぶん赤旗、ブログ「きまぐれな日々」等)




河村たかし名古屋市長による「南京大虐殺」は無かった発言をめぐって!(物証で判断すれば虐殺行為があったという認識になること)

2月20日に河村名古屋市長が「南京大虐殺はなかった」発言をして、それが大きな波紋を巻き起こしましたが、そこへ東京都の石原知事が割り込み「河村君の言うことは正しい」と、河村名古屋市長の発言を全面的に擁護する見解を表明しました。
石原氏は「津波は天罰」発言や「第三国人」発言などに代表される一連の差別発言で多くの市民や都民の批判を浴びてきています。(本人には「蛙の面に水」ですが)

今回も石原氏は日中戦争中の1937年12月から翌年の2月までに、当時の中国の首都であった南京を占領した日本軍がひきおこした南京事件は「大虐殺」にあたらないと主張しています。
だが、南京事件が「大虐殺」といわれる理由の最大のものは、何よりも国際法で禁止されていた捕虜にたいする大量処刑をはじめ、無抵抗の民衆にたいする無差別の大量殺人が行われたことにあります。さらに、強姦や強姦殺人という女性にたいする性犯罪が大規模に行われたことも挙げないわけにはいきません。

一般民衆や戦時捕虜に対する日本軍の残虐行為を立証する物証は圧倒的であることについて!
この事実は当時、日本の同盟国だったドイツのジーメンス社の支配人ラーベ氏によって母国に報告されており、日本軍の占領後も南京に踏みとどまった多数の外国人によるリアルタイムのレポートも多数存在します。
また、一家を虐殺されながら生き残った証人たちも南京には多数存命していますが、その中の一人である夏淑琴さんは右翼学者である東中野修道から著作で「ニセ証人」と誹謗中傷されたことから、日本で裁判をおこしました。
この裁判は最高裁まで争われた末に、夏さんの完全勝訴で終わりましたが、最高裁は確定判決で「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言えず、学問研究の成果とは言うには値しないと言っても過言ではない」と断言しています。

さらに東京裁判で、その特異な立場から日本無罪論を展開したことで日本の右翼が好み、靖国神社にも立派な銅像が安置されている印度のパール判事でさえ、東京裁判の判決書では下記のとおりに南京での虐殺の事実を認定しています。
「本件において提出された証拠に対して言いえるすべてのことを念頭において、・・・・・・・なお残虐行為は日本軍そのものがその占領したる地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対して犯したものであると言う証拠は圧倒的である」
また、作家の石川達三氏が「中央公論」の特派員としての南京大虐殺の見聞を「生きている兵隊という「小説」に書いています。これは虐殺の模様をリアルに描き出しており、「皇軍を誹謗した」として発禁処分の上、本人は執行猶予付きとはいえ有罪とされました。

その石川氏が戦後の読売新聞のインタビューで下記のように述べています。
「大きな建物へ一般の中国人数千人をおしこめて床へ手榴弾を置き、油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた。また武装解除した捕虜を・・・・・揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるようにしておいて、この上に中国人を行列させ、先頭から順に日本刀で首を切って河中へ突き落としたり、逃げ口をふさがれた黒山のような捕虜が戸板や机につかまって川を流れて行くのを、下流で待ち構えた駆逐艦が機銃のいっせい掃射で片っ端から殺害した。・・・・・南京の場合はいくらなんでも無茶だと思った」(1946年5月6日読売新聞インタビュー)
これはほんの一例でしかありませんが、大虐殺があったという物証はたくさんありすぎて、数え上げることも難しいほどです。
河村名古屋市長や石原都知事が「大虐殺はなかった」と言っても、それは所詮、「原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言いがたく、学問研究の成果と言うに値しないと言っても過言ではない」(最高裁判決)と言われる類のものでしかありません。

ネット右翼や右翼学者、右翼政治家たちが総出で、圧倒的な分量を持って「ウソも百回言えば本当になる」を実行していますが、河村氏や石原氏もそのやり方を踏襲しているにすぎないのです。
声が大きいほうが正しいことになってしまいがちな今の世のあり方を憂えます。


銚子市議会の総務企画委員会がまたもや病院予算関連議案を否決しました。野平式病院再生方式に未来はありません。銚子市の津波対策も無策です。

銚子市の3月議会の総務企画委員会でまたもや、昨年の12月市議会に引き続き、市立病院への4億円の貸付金、市立病院の指定管理料2億5千万円、施設整備費1億5千万円を含む市立病院予算関連議案が否決されました。
今後、23日に本会議が開かれますが、このままの状況で推移すれば昨年の12月議会に引き続き、病院予算関連議案が本会議で否決される可能性が高まっています。

だが、野平市長はあまり意に介していないかもしれません。
なぜなら、昨年の12月議会で赤字補てんの補正予算が否決されたときにも、赤字穴埋めは「義務的経費」に当たるとして、地方自治法にもとづく市長の「原案執行権」により、赤字補てん予算をそのまま執行したからです。
今回も同じような論法を使って、使途の不明朗さが散々指摘されている指定管理料2億5千万円もそのまま執行されるのではないでしょうか。
たとえ指定管理者側の過失によって赤字になっても、また、たとえ市議会で否決されようとも、すべては銚子市が負担し、その上限はない(青天井)という仕組みがすでに出来上がっているのです。
今回も市議会がどんな議決をしようが、野平市長は無条件で市立病院に資金を注入し続けることになる可能性は高いのです。

また、市立病院指定管理者(再生機構)は銚子市と救急医療のできる総合病院を5カ年計画によって開設するという内容の契約(指定管理契約)を結んでいます。
現在はこの計画のちょうど2年目が終了しようという時期であり、この計画の進捗状況にたいする「事業評価」が必要なはずです。そして、未達成な点があれば、指定管理者側の責任を明確にしなくてはなりません。それが契約というものです。
ところが、驚いたことに、市の執行部は計画と現実との乖離が余りにも大きくて「事業評価」の対象にならないといいます。
これでは、何でもいいから、とにかく“病院再生”なるものをやってもらう、そして赤字になったらそのすべてを銚子市が負担するということに帰着してしまいます。

そこには契約にともなう責任意識や、まっとうな経営感覚による経営努力が働く余地はありません。これが野平式の病院再生方式であり、これには将来性がないことはすでに明白です。

医師確保は人材派遣会社を介しての裏側での秘密交渉しかないという野平市長の認識について!
また、総務企画委員会での市長発言によれば、医師の世界での銚子市立病院の評判は最悪だそうです。
さらに、その名前を名乗っただけで大学の医局などでは塩をまかれるといいます。
だから、市長や市幹部が大学医局などに正面切って医師の派遣の要請をおこなっても医師確保の可能性はゼロだといいます。
そのため、現状では医局などに表側からはたらきかけることはしないで、再生機構の東京事務所が人材派遣会社をとおして裏側で秘密裏に面接をおこなって、医者を呼ぶしかないというのです。

だが、これでは大学医局などとの信頼関係がますます壊れていくことになり、医師確保の道は狭まるばかりとなります。
また、市長が自身のブログで辞めた医師にたいする非難中傷などを書きたててきましたが、これなどは市長自身の手で医師確保の芽を摘んできたことを意味します。
現在、銚子市立病院の常勤医師は5名しかおらず、他は非常勤のスポット医師で外来の診療を賄っています。
4月の新年度にどれだけの常勤医師を確保できるか、全く不透明であり、増員の気配はありません。
これで3年後に、公約とされた救急医療をおこなえる200床・常勤医師30人の総合病院が実現できるのか、まことに疑わしい話です。

明らかになった津波対策での銚子市の無策ぶりについて!
昨年の3月11日にM9の東北太平洋沖地震とそれに伴う津波が東日本一帯を襲いました。銚子市でも県の発表によれば4メートル以上の津波が一部の区域を襲ったそうです。
さて、それから1年以上が経過した現在、銚子市ではこの痛切な教訓を踏まえてどのような津波対策が講じられたのでしょうか。
だが、10m以上の海抜標識や防災地図の作成、津波避難ビルの指定などを、この1年間でおこなった形跡はありません。大変お寒い状況なのです。
隣の神栖市では津波避難ビルをすでに10数か所確保しており、鴨川市にいたっては30か所を超える津波避難ビルの指定を、この間におこなっています。

また、市内には独居老人が増えていますが、その現状を市が把握せずして、大津波の際の独居老人の避難をどのようにおこなうのでしょうか。避難訓練もしないで災害弱者を守れるのでしょうか。
野平市長のいう“いのちの市政”の現状です。


「絆」という美辞麗句キャンペーンのカゲで震災ガレキが「カネのなる木」になっている実態、およびガレキの広域処理の持つ不合理さについて

このごろ、報道機関では連日のように震災ガレキの広域処理の大合唱がおこなわれています。
しかも、日を追ってそのにぎやかさが増大する始末です。
そして、必ず付きまとうのが、東北の人と痛みを分かち合うべきだという“感情論”と「絆」という胡散臭い言葉です。

だが、今回の東日本大震災で処理すべき瓦礫量と阪神大震災時の処理瓦礫量を比べると、今回の東日本大震災のそれは2300万トン(環境省発表)であり、阪神大震災時の2000万トンとあまり変わりません。そして、阪神大震災時の瓦礫処理はすべて兵庫県の現地でおこなわれました。
また、阪神大震災は地域が限られていましたが、今回の被災地は南は福島県から北は岩手県へと広範囲にわたっており、被災面積で全体の瓦礫量を割ると、むしろ今回の震災の瓦礫量のほうが少ないのです。
このような現実を踏まえれば、震災瓦礫を全国に運び出して広域処理をする必然性がありません。
むしろ、現地に焼却施設を新たにつくり、時間をかけて処理したほうが雇用は生まれるし、地元にお金が落ちます。

また、今回は被災地外で処理する予定の瓦礫量は全体の20%にすぎず、全体の80%が現地処理にまわされます。おまけに、瓦礫に含まれる放射性物質の情報は開示されておらず、測定データもきわめて乏しい現状にあります。
ガレキを受け入れる自治体の住民合意を取り付けたいのであれば、何トン受け入れたら放射線量は何倍になり、地域の人はこれだけ追加被ばくするという信頼性のあるデータをまず開示すべきです。
たった2割しか被災地外処理をおこなわず、おまけに情報隠しによって放射性物質を全国に拡散する今回の広域処理のスキームに「合理性」はありません。

べらぼうに高いガレキの処理コストのカラクリと「カネのなる木」となったガレキの広域処理について!
ところで、阪神淡路大震災時の瓦礫の処理コストは1トンあたり2万2千円でしたが、今回は岩手の瓦礫処理が1トンあたり6万3千円、宮城のそれが5万円と高く、それも税金から支出されます。
処理コストは3倍近くに跳ね上がっており、その処理コストの算出根拠は開示されていません。
本当に「絆」と言うのであれば、各自治体が自らの予算を使って引き受けたガレキを処理すべきであり、東北に負担をかけるべきではないのです。
だが、現実には1トンあたり6万円を越えるお金と引き換えのガレキ受け入れです。
さらに広域処理に必要な瓦礫の搬送費用は国が”丸抱え”であり、おまけに補助金がつきます。
これでは今回の震災瓦礫の広域処理は「金のなる木」であり、全国に張り巡らされたガレキ利権にほかなりません。

また、東北の震災ガレキの20%にあたる400万トン以上のガレキが全国に搬送されることになりますが、これも運送業界にとっては「宝の山」です。
4トン積みトラックに換算したら100万台以上に相当する量であり、トラック輸送では間にあわずに、JR貨物までがこの「宝の山」の獲得競争に参画しています。
ガレキの広域処理で全国にゴミ輸送ネットワーク利権を張り巡らそうというのも環境省の狙いです。

追伸
ガレキ引き受けに手を上げた全国の自治体は「絆」ならぬ、お金の魅力で引き受けています。処理費用のカラクリを市民には隠しながら「被災地を助ける」としか言わない政府、おまけに放射性物質は全国に拡散する。
ここに震災ガレキの広域処理をめぐる欺瞞があります。

銚子市議会の3月定例会が開かれましたが、青天井の病院赤字の補てんは変わりません。さらに市民負担の相次ぐ強行も問題です

銚子市の3月議会が始まっていますが、今回もまた、銚子市立病院の指定管理団体(市立病院再生機構)には、世間では当たり前の経営感覚すらないことを痛感することになりました。
昨年の12月議会で、あまりの放漫経営と組織の不透明さに怒った市議会が赤字補てんの補正予算案を否決したにもかかわらず、懲りない野平市長はまたもや、相変わらずの青天井の赤字尻拭い計画を出してきました。
当初は4億円の短期貸付金を再生機構に貸し付けるという名目で9月議会までの資金をつなぎ、9月議会での補正予算によって赤字のすべてを補てんしようというのです。
なんのことはない、年度の前半だけ貸付金という体裁をとるだけで、来年度も赤字をすべて銚子市が負担するという構図は何も変わっていないのです。

また、病院の赤字を放置したまま「病院不要論」へと世論誘導をおこない、直接の住民投票によって病院の存否を市民に問おうというシナリオも用意されています。
だが、病院問題は09年の市長選挙ですでに民意は示されており、野平市長は政治生命をかけて病院再生を成し遂げねばなりません。そのためには議会の理解と協力を得る努力をすべきなのです。いまさら病院の存否を住民投票に問う必然性などまるでありません。
筆者は住民投票制度そのものには賛成しますが、住民投票が急がれるような市政の課題は現在のところなく、住民投票条例制定に向けては1年以上の熟議の期間を設けるべきと考えます。

防災ラジオの設置に一律1000円の負担を求めるとは!(生活困窮世帯や障害者世帯もある)
3月議会で市長が、災害時に住民が防災情報を聞き取りやすくするための防災ラジオを全世帯に導入することを表明しました。
ところが、住民が防災ラジオを自宅などに設置する際には1世帯当たり1000円の負担を住民に求めるといいます。
そして、このことを銚子市町内会連絡協議会の意見によって決めたというのです。
だが、この組織はたかだか町内会長たちによる任意の組織にすぎず、公選されたわけでもない町内会長たちが市政に影響を与えるということ自体がおかしいのです。(これは市議定数の問題でも同じことがいえます)

本来、銚子市は災害の際に防災情報を住民にもれなく迅速に伝えるべき責務があります。にもかかわらず、生活困窮世帯にも一律に1000円の負担を求めるというのは納得できません。さらにすすんでは全世帯無料設置としてもおかしくはないのです。
また、大震災から1年もたつのにいまだに津波避難の誘導表示をつくる動きもないし、津波の際の避難ビルや避難所を確保する努力の形跡もほとんど見られません。

国保料6.4%の値上げ、介護保険料40%以上の値上げ、市民負担アップの計画について!
さて、2012 年度の銚子市予算案には国民健康保険料の6.4%の値上げ案が含まれています。
これが議会を通れば銚子市の国保料は1世帯当たりの年額が平均で20万円を超える水準となります。
国保料が高くて払いきれない世帯は直近で2700世帯にものぼっており、これには長引く不況で市民の所得が年々低下していることがその背景にあります。
野平市長は「受益者」に負担してもらうのが筋と言いますが、1984年を起点にして国保の経費にたいする国の負担割合が50%から今や24%にまで落ち込んでしまったことに国保料が跳ね上がる元凶があります。
国や銚子市が国保への財政支援を増やして加入者の負担を軽減するべきであり、国保の滞納を理由とした無差別の差し押さえ(銀行預金など)や保険証の取り上げはやめるべきです。

また、介護保険料を40%以上も引き上げる計画が3月議会に提案されています。
2000年に導入された介護保険制度は3年ごとに市町村が作成する介護保険計画で介護保険料を決定する仕組みとなっており、今回作成された第五次の銚子市介護保険計画には40%以上の介護保険料引き上げ案が含まれています。
(11年度月額2863円→12年度月額4025円)
介護保険料の全国平均は5000円を超えており、周辺市も4000円台で今回の値上げ案は高くはないと市側は言いますが、それならば銚子市の介護保険では負担と給付がつりあっているかどうか、「負担あって介護なし」となっていないか検討すべきです。

追伸
話は変わります。
今度の市議会でも一部の市議は再生機構の“東京本部長”田中肇氏の報酬の高さを問題として、これに焦点を絞っての激しい野平市長批判をおこなっています。
たしかに、医師でも理事長でもない田中肇氏に市民の税金から年間2千万円(月170万円)を超える報酬が支払われることは、この人物の日頃の振る舞いが謎に包まれていることなどを考えれば問題とすべきでしょう。
だが議会での一般質問をこの問題での集中攻撃に活用することは感心できません。このようなやり方は一部の反市長の急先鋒の人々にはうけるでしょうが、多くの市民の共感を得られるとは思いません。
市議会の議論は「劇場政治」の場ではなく、市民にとってもっと切実な問題が他にも少なからずあります。
また、病院問題についても、もっと大所高所からの建設的な議論を望みます

原発を止めても私たちは何も困らず電気は足りることについて(よろしければ街頭宣伝用の参考にでもしてください)

日本の発電所は過剰な状態にあり、原発を止めても何にも困らないこと!
原発には反対するけど、原発をなくしたら日本はやっていけなくなると考える人は少なくありません。その人たちが懸念するもっともポピュラーな問題は原発をとめたら電気が足りなくなるという問題だと思います。
実際、福島原発の事故以前に日本では全発電量の30%を原子力発電所が担っていました。そのため、原子力発電があたかも私たちにとって不可欠なもののように考えられてきました。
だが、火力、水力、原子力、すべてに言えることは発電所をフル稼働させた場合の発電量と実際の発電量とは、かなりの開きがあるということです。
というのも、発電所そのものが日本では余っており、実際の発電所設備の利用率は2008年度で水力発電所19%、火力発電所50%にしかすぎず、まだまだ発電能力には余力がたっぷりあるのです。
また、昨年の大地震と大津波で原発が止まって、それで電力不足が引きおこされたかのような印象が強く残っています。
特に「計画停電」などと称して、東京電力が電気の供給をストップしたことはこのことを強く人々のうちに印象付けました。

だが、実際には地震と津波で火力発電所が一時的に大きな被害を受けたことが電力不足の最大の原因でした。
実際には原子力発電を全部止めたとしても私たちは何も困らず、休ませていた火力発電所や水力発電所を稼動させればそれで充分に間に合ってしまうのです。
仮に火力発電によってそのすべてを賄ったとしても、稼働率を70%に上げれば充分それで間に合います。それだけ、日本には多くの発電所があるということなのです。
私たちが聞かされてきた原発が日本の電気の3割を担っているという情報は、原子力発電所をフルパワーで動かし、火力発電所を休ませていたという現実から生まれた誤解であり、実際には原発を止めても水力発電や火力発電で電気は充分に賄えるのです。

電力使用のピーク時のためにも原発が必要という誤った情報について!(真夏の昼間の電力の問題)
さて、原発が不可欠という主張にはもう一つの大きな理由があります。
それは、電気は貯めておくことができず、一番電気の需要の高いときに合わせて発電所設備を備える必要があるというものです。そのためには原子力発電が不可欠であるとされてきました。
しかし、過去50年間の電力使用のピーク時の推移を見てみると、1990年代の一時期をのぞいて、火力発電と水力発電でまかなうことができているということが政府の統計資料からも判明しています。
しかも、この電力使用のピーク時というのは、真夏の数日の、それも午後の数時間という特殊な時間帯のことにすぎません。
1年のうちのたったこれだけの時間帯に備えるために、危険な原子力発電所を抱えるというのはあまりにもリスクが高いのではないでしょうか。
電力の大口使用者を中心に節電を求めていく方法のほう、はるかに効率的で合理的なやり方だと思います。

原発は電力会社が儲かる仕組みであり、我々には経済的なメリットはないことについて!
さて、このように原発が必要とされてきた情報には誤りが含まれていたことが判明しましたが、それでもいまだに電力会社は原発にこだわり続けています。
それは原発が儲かるからです。電力会社が得る儲けは、電力会社が所有するすべての資産に一定の率をかけることで算出されます。
すなわち、かかえる資産が多ければ多いほど儲けが増えて、電力会社が儲かる仕組みとなっています。
特に原発は建設費が高く、大都市までの長距離の送電設備、膨大な核燃料の貯蔵施設、ウラン濃縮施設、再処理工場など数え切れないほどの原発関連施設が資産となり、電力会社の儲けを膨らませてきました。
すなわち、原発を増やせば増やすほど電力会社が儲かる仕組みがあり、それが電力会社が原発にこだわる最大の理由なのです。

また、政府発表の発電コストによれば原子力発電が一番安いとされてきましたが、民間の研究者が実際にかかったコストを算出した結果、原子力が火力や水力よりもコストが高いことが明らかになりました。
そして、この高いコストは原発の生み出す儲けと重なって電気料金を押し上げてきました。
そして、外国と比べて高額な日本の電気料金は日本の産業界の競争力を奪ってきてもいます。
このように原発には経済性という観点からもメリットはなく、安全性という観点にかんしては言うまでもないのです。
この先、原子力発電を続ける合理的な理由はもはやありません。

現実を踏まえれば、原発からの撤退を決断すべき時期に来ています。原発の再稼動を許さず、原発ゼロを実現しましょう。
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西岡三郎
千葉県銚子市に在住
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