2月3日の節分の日に立正佼成会銚子教会において恒例の「節分会」が開かれたという。
この行事に銚子市長岡野氏が来賓として招かれ挨拶のスピーチをしたらしい。
ところで、私は地元ローカル誌に掲載されたこのスピーチの中身を一読してあきれてしまった。

「私は仏の教えから病院休止という決断をした。」
「日蓮様の教えに“為政者は迫害に耐えよ”ということがある。」
「住民に対して“もっとも大切なのは自分や家族ではない、国である。”と言っている。
一番大切な民衆の道徳は国を守ること。私は市を守る選択をした。ほとけの力をお借りして本当に正しいことをお伝えして欲しい。」

このような岡野氏の発言の内容は、日蓮や“ほとけ”の教えをねじまげたものであり、自身のおかした市立病院の突然の休止という悪政を“ほとけ”の名を語って正当化しようとする試みに他ならない。
仏教徒ではない私の立場から見ても、“ほとけ”の教えを自らの悪政の合理化に使うことはほとけの教えにたいする冒涜だといっても言い過ぎではない。

ところで、日蓮は「為政者は迫害に耐えよ」などとは言ってはいない。
日蓮はシャカの入滅(死亡のこと)から2000年余が経過した末法の世、鎌倉時代に活動した。
末法は正しい仏の教えが隠れてすたり、果てしない争闘の時代が到来したことを意味する。
そして、このような時代における民衆の苦悩を助けるためには、仏の正しい教えである「法華経」を人々に説き広めることが、唯一の道であると日蓮は唱えたのであった。
しかし、同時に、仏の正しい教えである「法華経」を広め、末法の民の苦悩を助けようとする試みは、必ず謗りと迫害に会うとも述べた。

すなわち、末法の世にあっては偽善と名誉欲・私欲にふける世の輩があふれ、仏の正しき教えを広める仏の使いには、命にかかわるほどの大難が待ち受けており、それを耐え忍ぶ烈々とした覚悟がなければ仏の使いにはなりえないと断じた。
正しくは、日蓮は“為政者”ではなく、正しい教えを広める“仏の使い”(法華経の行者)が迫害されると述べたのである。

日蓮が活動した鎌倉時代初期には大地震などの天災が次々と起こり、民衆の間に飢餓や疫病などが蔓延していたにもかかわらず、時の権力者は民衆の困苦や悲嘆の解決は放置し、政治権力の保持に汲々としていた。
そして、既存の仏教各派は保身のために、このような権力者に追従していたという。(該当する宗派の方には失礼します)

このような背景のもと、日蓮は、愚かな心を改めて、「法華経」の信心にたち、民衆を安んずるために対策を速やかにたて、泰平の世を実現し、民衆の心を安らかにするべく、時の為政者にたいして「立正安国論」という諌めの書を“たたきつけた”のである。
しかし、このことがきっかけとなり、為政者たちの恨みをかった日蓮は、その後に様々な迫害や困難が降りかかることとなる。

このように、鎌倉の時代、末法の世にあって、この世の民衆の苦しみを解決するために、正しい仏の教えを説き広めようとした日蓮をはじめとした仏の使いが迫害されたのであり、迫害を加えたのは為政者たちであったというのが歴史の真実である。
そして、このことは高校の日本史の教科書に記載されるほどの幅広く知られた史実でもある。
岡野氏の日本史理解はお世辞にも正しいものとは言えず、学びなおす必要がある。

ふりかえるに末法の現代にあって、バブル経済がはじけて金融破たんを招き、不況の底知れぬ深まりはとどまるところがなく、為政者は民衆の苦しみを忘れ、数は力なりの論理によって民衆の福利を顧みることがなく、損得を尺度として功利主義のエゴイズムに走り、自己の利益ばかり追求している。
このようななかで、苦しむ民衆のいのちと健康をまもるために、損益だけで判断する金銭的な物指しやそろばん勘定におちいることなく、公的医療の灯を体を張って守りぬくことが、末法の世にあって民衆の苦悩を助け、その安穏を実現するのであり、これが仏の教えにもとづき為政者のなすべきことでないか。

岡野氏は“ほとけ”の教えをねじまげ、自らの悪政の正当化に使うことはただちにやめ、虚心坦懐に仏の真の教えを学ぶべきである。

また、岡野氏は“ほとけ”の名のもとに、民衆の一番大切な道徳は国を守ることであると発言している。
そして、もっとも大切なのは国であり、自分や家族ではないと語り、それゆえ銚子市を守るために病院をたたんだことは、たとえ医療難民が発生しようが正しいことであり、銚子市が残っていれば病院は再開できると語っている。
私は岡野氏のもとでは病院の再開はできないと思うが、そのことはさておき、この岡野氏の一連の発言には、国や市などの“公”の存続のためには、国民や市民はその生活や健康が犠牲になっても、経済的負担が増えても、耐え忍ぶべきであり、苦しみを受任するのは当然であるいう論理が見え隠れする。
“滅私奉公”という、嫌なかっての時代を思い起こさせるニュアンスを強く感ずる論理でもある。

では、この岡野氏の論理は“ほとけ”の心にかなっているのだろうか。だんじて否である。
日蓮は「国の安穏が民の安穏である」というニュアンスのことを言ってはいる。
しかし、これは当時の宗教が現実逃避主義におちいり、人生の苦悩や不安の原因を人間の内面にのみ求め、現実の民衆の苦しみに目をそむけ、ひたすら個々人の内面に沈潜している状況を日蓮が憂えたためである。
日蓮は為政者をはじめとしたこの世の人々が信心を改めて、「法華経」という正しい仏の教えに帰依すれば、あの世の極楽浄土をまたずとも、この世がそのまま「仏の国」となり、苦しむ民衆を一人残らず現世において救済し、安穏と平安の世を実現しえると説いたのである。

すなわち、日蓮は民衆のあまねく救済のためには、この世で、日本というこの国で、「仏の国」を建設しようと提唱したのであり、もっとも大切なのは国であり“公”であって、苦しむ民衆の一人一人ではないと言ったのではけっしてない。
あまねく民衆の救済のためには、正しい仏の教えが広まり、この世の“国”が「仏の国」に変わることが必要であるという救いのあり方にかかわることとして、「国の安穏が民の安穏である」という方便を述べたまでであった。

よく、戦前の国家主義者たちは日蓮を利用し持ち上げたものが多かった。
そして、そのために日蓮の誤ったイメージをつくりあげた。
特に有名なのが、日蓮が蒙古襲来の際に九州に赴いて、愛国の志士となって祈った結果、「神風」が吹いて蒙古の船団が沈没して日本が勝ったという逸話である。
しかし、この逸話は事実に反しており、日蓮は九州になど一度も行ったことがないのである。

そして、日蓮はウルトラナショナリストたちが期待するような考え方の持ち主ではなかった。
むしろ、蒙古の襲来により腐りきった鎌倉幕府は滅びても、それを契機として仏の正しい教えが広がり、この世にあらたな「仏の国」を樹立するきっかけになりえると受け止めたのである。
だが、日蓮は、侵略により犠牲になる人たちの悲しみは重く、蒙古の侵略は断固批判すべきではあることも忘れてはいない。

岡野氏は“ほとけ”の教えを悪用して、“滅私奉公”もどきの論理を展開し、自らの病院閉鎖という悪政を正当化することは謹んでいただくことをお願いしたい。