日中戦争直後における蒋介石の寛大政策とはなんだったか!
1945年(昭和20年)8月15日、八年以上にわたる抗日戦争に勝利をおさめた国民政府の蒋介石はラジオを通じて勝利宣言をおこない、敗戦の身になった日本軍将兵や中国残留の日本人に対して報復をしてはならないと呼びかけた。
この蒋介石の演説は「恨みに報いるに徳をもってせよ」との言葉に集約されて今日まで伝わっているが、蒋介石の実際の呼びかけは次のとおりであった。

「我々は報復を考えてはならず、まして敵国の無垢の人民に汚濁を加えてはなりません。・・・・・・もし、暴行を持ってかっての敵がおこなった暴行に報い、奴隷的な辱めを持ってこれまでの彼らの優越感に報いるならば、報復は報復を呼び、永遠に終わることはありません。これはけっして我々仁義の士の目的ではありません」

この蒋介石の勝利宣言にもとづいて、第二次大戦の“戦勝国”中国は“敗戦国”日本にたいして歴史上まれに見る寛大な処置をおこなった。
それは一千万人を上回るといわれた中国軍民の血の犠牲と天文学的な物的損害にたいする膨大な戦争賠償金の全面放棄であり、中国大陸に残留する日本軍民二百万人の安全帰国の早期実現などであった。

日本からもっとも甚大な被害を受けた中華民国の指導者がこのような常識では考えられないような寛大な処置をとった理由のひとつは、蒋介石が熱心なクリスチャンであったことだ。
聖書の「自分の敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」(マタイ福音書5:44)、「悪に負けてはなりません。かえって善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ書12:21)の言葉をそのまま実行したのである。

こうして蒋介石政府の寛大な戦後処理は、日本の侵略戦争であった日中全面戦争によりズダズダになった日中両国間の平和友好の回復をめざす最初の第一歩となったのである。

「撫順戦犯管理所」での“戦犯”たちへの人道的な処遇と寛大政策!
images11161また、中華人民共和国成立後における寛大な処置の事例が、日本軍国主義の積極的な手先として数多くの非人道的な罪をおかした“戦犯”たちへの「撫順戦犯管理所」での人道的な待遇とその後の寛大な処分である。

当初は「撫順戦犯管理所」に収容された1000人近い“戦犯”のなかから100人程度を裁判にかけて、70人余りを死刑に処する方針だったらしいのだが、それに反対した故周恩来首相は次のように指示したという。
「裁判にかける人数はもっと少なく、死刑や無期(禁固)は一人もだすな。有期刑は最高でも20年。今が納得できないかもしれないが、二十年後に分かる」

こうして管理所での人道的な待遇のもとで多くの“戦犯”たちが自らの加害行為を認め、被害者側に包み隠さず供述するようになっていき、「認罪」の道へと踏みだしていった。
また、1956年夏にはほとんどの“戦犯”たちが不起訴・即日釈放となって帰国し、死刑判決もなく、特に罪の重い45名のみが禁固刑をうけただけであった。
中華人民共和国成立後における日本の“戦犯”たちへのこのような寛大な処遇も、蒋介石の寛大な戦後処理とともに日中間の平和友好の回復に貢献したことは言うまでもない。

「あいまい領域」を認め合うことで保ってきた平和友好関係と歴史の重みを思う!
imagesCAK159UIところで、いま日中間には尖閣諸島沖での日本の海上保安庁による中国漁船拿捕とその後の経過をめぐって大きな波風が立っており、日本国内では反中国派と一体となったマスメディアなどが反中国の排外主義的なナショナリズムを煽る論調を垂れ流している。
もし、このまま両国民の排外主義がエスカレートして互いの反中国、反日の機運が際限なく高まっていったら、日中友好関係はまたたく間に崩壊しかねない状況だ。

だが、ささいなトラブルにこだわり、反目や憎悪を乗り越えて先人たちが戦後65年にわたって営々と築いてきた現在の日中関係を破壊することは「愚の骨頂」である。
そもそも1972年の日中国交回復と1978年の日中平和友好条約締結の際には、尖閣諸島をめぐる領土問題を「棚上げ」とすることで国交回復を実現し、平和友好条約を締結したのであり、それ以来、日中両国間の平和友好関係はお互いが尖閣諸島の領有権といった「あいまい領域」を認め合うことで保たれてきたといってよい。

筆者はこの間に、尖閣諸島が日本の正当な固有の領土であることを歴史的な事実と道理をもって主張すべきであったとは思うが、良くも悪くも「あいまい領域」をお互いが認め合うことで友好関係を保ってきたことは紛れもない事実である。
ところが、現在の管政権と前原大臣はこの「あいまいさ」を否定し、中国漁船を逮捕することで中国当局にたいして領土問題に関しては「あいまいさ」がないことを強引に認めさせようとした。

ここに今回の流出ビデオ問題をはじめとする一連のトラブルの根源があり、今回の紛争は日本側(前原大臣)が仕掛けたものに他ならない。
今回の問題の本質は前原流の「あいまい領域」なしを力ずくで中国に認めさせ、対立関係をエスカレートさせるのか、あるいは今までのように「あいまい領域」を残してでも日中の平和友好関係を守るのかにある。
日中戦争における甚大な犠牲と、反目と憎悪を乗り越えながら平和友好関係を築き上げてきた日中両国の先人たちの営々たる歴史的営みを考えるとき、選択すべきは後者の道以外にはない。
現在の日本人は歴史の教訓とその重さをもっと知るべきである。