昨年の9月に国民の大きな期待を担って民主党への政権交代がおき、鳩山政権が成立した。
その背景には沖縄・普天間基地問題や「政治とカネ」の問題、後期高齢者医療制度や労働者派遣法などの暮らしの問題などで「政治を変えたい」という国民の切実な願いがあった。

だが、普天間基地の名護市辺野古への移設を内容とした“日米合意”によって沖縄県民の期待を裏切ったことを皮切りに、これらの約束はとうとう守られることなくして鳩山政権は退陣を余儀なくされ、その後の菅政権にいたっては「民主党は自民党化した」との声が党内で平然と語られる有様となってしまった。
政権交代にもかかわらず後期高齢者医療制度は存続し、労働者派遣法の問題では元の案が換骨奪胎されたうえで“たなざらし状態”におかれていることなどはその象徴である。

また、輸入品目の全てから関税を撤廃し、農業生産と地域経済に決定的な打撃を与えて、わが国の食糧自給に危険信号をともすTPPへの参加を菅首相が唐突に言いだし、社会保障の分野では介護保険制度改定を皮きりに新たな負担の増大を国民に押しつけようとの一連の制度改悪の動きもはじまっている。
そして外交の分野でも旧自公政権の外交方針をそのまま引き継ぐだけとなり、尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題やメドベージェフ・ロシア大統領の国後島訪問などへの一連の菅政権の対応にたいし、国民の間に失望の念が広まっていることは否定できない。

だが、これらのことは「政治を変えたい」という国民の声と米国・財界の圧力に挟まれ、動揺を重ね“ブレ”まくり、最後には国民を裏切って退陣した鳩山政権の轍を踏むまいという菅政権の本質から派生していることだ。
「政治を変えたい」という国民の声に背を向け、よりいっそう米国と財界に忠誠を誓い、追随する政治に踏み込むことで「長期安定政権」を目指したところに菅政権の本質があり、ここに「民主党は自民党化した」という声が民主党内からも沸き起こる根源がある。
また、これは政権交代をはたした民主党政権が暮らしや経済の問題などで適切な手だけをうてずにここまで国民に見放されてしまった根源でもある。

「小沢立つべし」に込められた国民の声を見過ごしてはならない!
images11241さて、いまやネット上には小沢一郎を支持する声が収まらないどころか、ますます高まっており、先日には東京の銀座で1000人規模の小沢一郎を支持するデモがあったという。
ツイッターによるたった一週間の呼びかけで集まった“しろうと”の手作りのデモであり、今後も各主要都市でのデモが計画されていると聞く。

これは民主党の代表選の渦中にあって小沢一郎の街頭演説に熱い小沢コールが沸きおこった現象とも相通ずるものがあり、小沢なら対中国関係でこんなことはしなかった、小沢なら米軍基地の問題でアメリカにもキチンとものを言ったはずだ、小沢なら景気も回復し、官僚支配もなりをひそめていたはずだ。…などといった国民の期待と願望をここに感じないわけにはいかない。

ここには小沢一郎に対する個人崇拝や英雄待望といったレベルを超えて、政治を前に進めたいという国民の願いがその根底に込められており、「小沢立つべし」には“民主党は政権交代時の民主党マニフェストを実行し国民との約束を守れ”との世論が背後にある。
そして、小沢待望論の背景には政権交代時のマニフェストを反故にし「政治を変えたい」と願う国民を裏切った菅政権への抗議の声をそこに看取しないわけにはいかない。
それゆえ、小沢待望論をたんなる民主党内での権力闘争の延長線でのみとらえることは、ここに反映している切実な国民の思いを見落としてしまうこととなる。

また、某革新政党のように証拠を捏造する検察と一体となった大メディアの小沢批判をろくに検証もせずに、自民党や公明党、みんなの党などといっしょになって小沢一郎の証人喚問を要求することは、政治の閉塞状況を打開する貴重な手がかりを自ら潰すに等しい。

いまはレーニンの述べるたたかいの原則に立ち返るときである!
「ずっと力の強い敵に打ち勝つためにはただ、最大の努力をはらってはじめてできるのであり、またたとえどんなに小さな「ひび」であろうとも、敵の間のあらゆる「ひび」を、各国のブルジョアジーの間の、また個々の国内のブルジョアジーの、いろいろなグループないし種類の間のあらゆる利害対立を、それからまた、たとえどんなに小さな可能性であろうとも、一時的な、動揺的な、もろい、たよりにならぬ、条件的な同盟者でもよいから大衆的な同盟者を味方につけるあらゆる可能性を必ず、もっとも綿密に、注意ぶかく、用心深く、上手に利用してはじめて成し遂げることができるのである」

これはレーニンがその著書「共産主義における左翼小児病」(国民文庫105:81p)のなかでのべているたたかいの原則であるが、これにならって某革新政党は小沢グループと米国・財界・大メディア・霞が関官僚群などに支援された菅政権一派との間の「ひび」を注意深く、用心深く、上手に利用すべきなのである。
また、国民の政治を変えたいという声を背景とする小沢グループを、一時的な、動揺する、たよりにならないものであったとしても、それを大衆的な同盟者として味方につける可能性をあらゆる面から追求すべきなのである。

そして、小沢をめぐる「政治とカネ」の問題などは、それを上回る“善政”をすれば帳消しとするくらいの度量と政治的センスが求められるのである。