自らの資金管理団体「陸山会」の巨額の土地購入に絡んで虚偽の政治資金収支報告書を提出した疑いで強制起訴された小沢一郎氏の裁判が始まりました。
すでに元秘書3人には一審で政治資金規正法違反の罪で「有罪判決」が出されており、今回の裁判は元秘書たちと小沢氏の「共謀関係」の有無をめぐって争われることになります。

さて、今回の小沢氏の裁判をめぐりマスメディアが強調するのが「市民目線」という言葉です。
これは検察が小沢氏の起訴を見送ったことにたいし、「市民」が参加する検察審査会が二度にわたって起訴相当の議決をし、強制起訴をおこなったことに着眼したものです。
形式としては「市民参加」で起訴されたことになり、小沢氏は「市民」が起訴したという重みを踏まえ、裁判だけでなく国会でも説明責任をはたせというのです。
だが、本当のところ、この「市民目線」や「市民参加」なるものの実態とはなんだったのでしょうか。
検察審査会による二度の起訴相当の議決によって小沢氏が強制起訴された当時、マスコミによって全面的に展開されていたのがいわゆる“小沢叩き”報道でした。
そして、このような報道環境のなかで小沢氏のマイナスイメージをすりこまれた検察審査会の11人の「市民」が検察や裁判所にリードされておこなったのが二度にわたる起訴相当の議決です。
それゆえ、あらかじめ小沢氏のマイナスイメージを刷り込まれた11人の「市民」が検察などの描くシナリオに誘導されて、「小沢は起訴すべき」の結論をだしたのは必然の結果にすぎませんでした。

また、二度の起訴相当の議決をおこなった東京第五検察審査会の構成員には謎が多く、いくらメンバーが入れ替わっても平均年齢が34.55歳と同じだったというのですから、かなりいい加減なものであった思われます。
そもそも、小沢氏の政治資金規正法事件をめぐっては東京地検特捜部が二度にわたって不起訴としています。
強力な東京地検特捜部による1年以上の長期間の捜査でも小沢氏有罪の証拠を見つけ出すことができず、ついに立件を断念したのがこの事件でした。
本来はこれでこの事件は終わっていたのであり、小沢氏は無罪でしたが、なんとしても小沢氏を有罪にしたいマスメディアと検察が検察審査会を利用して小沢氏を強制起訴し、刑事被告人としてしまったことが今回の小沢氏の裁判のきっかけとなったのです。
マスメディアなどのいう「市民が起訴したことの重さに応えよ」との言い分の背後には、このようなおどろおどろしい政治的な背景があることを忘れるべきではありません。

国会での小沢氏にたいする証人喚問要求と刑事被告人小沢氏の人権について!
また、疑惑を持たれた政治家は自ら国会で疑惑を晴らすべしという「政治倫理綱領」を作成したのが小沢氏本人であることを理由に、小沢氏は国会での証人喚問にすすんで応ずるべきだとする主張があります。
だが、刑事手続きでは被告人に対する質問はすべての証拠の吟味が終わった裁判の最終段階でおこなわれることとなっており、それまでは刑事被告人は任意のもの除き、自己の不利益となるいっさいの自白の強要から守られます。
そして、強制力のある国会の証人喚問でおこなった証言は刑事裁判ですべてが証拠として採用され、国会での証人喚問で不当な誘導尋問から身を守るすべはありません。
それゆえ小沢氏といえども刑事被告人の人権は保障されるべきであり、「政治倫理綱領」がそれよりも優先するという論理は成り立ちません。
また、裁判と国会での究明は事件の真相に迫る車の両輪という論理もなりたちません。
政治家が国会の証人喚問や参考人招致で説明責任を果たすべきは本人が刑事被告人でない場合に限定されるべきです。