◎健康なエロチシズムと「君死にたもうこと勿れ」!
「やわ肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君」
これはまだ若き与謝野晶子が当時、社会的にタブーとされていた「性愛」を題材にその歌集「みだれ髪」に掲載した詩です。その健康的なエロチシズムに文壇のお偉いさんがたはまるで「娼妓」だと眉をひそめたいいます。
そして、3年後、日露戦争のさなかに晶子は長詩「君死にたもう勿れ」を「明星」に発表し「すめらみことは戦いにおほみづからは出でまさぬ」とうたいました。

これは当時の日本最大のタブーである天皇の問題に真っ正面から挑戦したものでしたが、晶子はこれで「乱臣賊子 国が刑罰を与えよ」との糾弾の声(激しいバッシング)を浴びながらも、彼女は公然と「撤回しない、100年たったら私の詩歌碑が建つだろう」と反論したのです。
この自信家で不敵な晶子の態度には見習うべきところが多々ありますが、実際に同窓会名簿から逆賊の名を削除せよとの圧力を受けた晶子の母校には皮肉にも「君死にたもうこと勿れ」の歌碑が現在は建っています。

◎女性が政治を論ずることがタブーとされた時代の政治評論と長編詩「駄獣の群れ」!
与謝野晶子はヨーロッパ各地を「巡遊」した経験から当時の日本の女性がいかに無権利状態に置かれているかを痛感したといいます。
そこで晶子は女性が政治を論ずることがタブーとされた時代に多くの政治評論を発表しましたが、なかでも有名なものは当時の国会の様子を痛切に批判した「駄獣の群れ」です。
「此処にある者は民衆を代表せずして、私党を樹て、人類の愛を思わずして動物的な利己を計り、公論の代わりに私語と怒号と罵声とを交換す」
この長編の詩は1915年に発表されたものですが、これを田中康夫議員が引用して財務大臣の与謝野馨氏や官房長官の仙石由人氏らが参加した会議(増税目的)の様子を皮肉ったという逸話は有名です。(ちなみに与謝野馨氏は晶子の孫です)

現在も国民の生活苦をよそに震災復興でも原発ゼロでもなく、消費税増税に「命をかける」と公言する野田首相やその取り巻き、あるいはこれを事実上応援する自民党の谷垣氏・石原氏なども「駄獣の群れ」に他なりません。
また、「駄獣の群れ」で当時の国会の有様を痛切に批判した与謝野晶子でしたが、治安維持法の死刑法への改悪に反対し、議会でただ一人反対討論をおこなったことで右翼のテロの犠牲になった山本宣治に対しては「現在の代議士の中でも最も純潔な、最も無欲な、且つ最も民衆的な唯一の壮年国士」との称賛をおくっています。

参考:入江晴行氏「与謝野晶子タブーへの挑戦」「しんぶん赤旗」学問文化欄掲載
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