光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

拉致問題・北朝鮮

金正日が核兵器をもてあそんだことで作りだされた朝鮮半島の緊張状態と六カ国協議の破談について

北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去したことを受けて、各国は事態の推移を注視しながらも、六カ国協議の再開など新しい北朝鮮指導部が国際社会と強調する路線へと踏み出すように呼びかけています。
オランダ政府は金総書記の死去にあたって外相のコメントを発表し、「彼は国民に自由を許さなかったほか、朝鮮半島の緊張状態を招いたとしてキム・ジョンイルのことを『最悪の独裁者』だった」と述べています。そのうえで北朝鮮の核兵器開発は国際社会の平和と安定にとって脅威だとしたうえで六カ国協議の再開を求めました。
また、英国政府も外相声明で「北朝鮮にとって転換点となる可能性がある」と指摘しており、同国の指導部が国際社会との協調路線を進めるよう期待を示しています。
そのうえで「北朝鮮が地域の平和と安定に向けて動き、朝鮮半島の非核化を目指す六カ国協議の再開に必要な措置をとるように働きかける」と述べました。

さて、オランダ政府や英国政府の声明の中に出てくる“キーワード”はといえば六カ国協議に他なりません。
これは北東アジアにかかわる米国、中国、韓国、北朝鮮、日本、ロシアの六カ国が一堂に会して03年から開始した国際交渉のことを指しています。
六カ国協議は05年の9月に共同声明を出しており、それによれば北朝鮮がすべての核兵器および既存の核開発計画を放棄して、核拡散防止条約(NPT)に復帰することで一度は合意が達成されました。
また、米国が北朝鮮に対して核兵器や通常兵器による攻撃をしないことを確認し、この地域の永続的な平和と安定のための枠組みを探求することに合意しています。
こうして一度は朝鮮半島をめぐる諸問題の平和的解決を各国が確認しあうといった画期的な成果がもたらされました。

だが、北朝鮮が06年の10月と09年の5月と二度にわたる核実験を実施したことで事態は暗転してしまいました。
国際社会との約束を平然と反故にした北朝鮮指導部に各国の非難が集中したことは言うまでもありません。
また、六カ国協議での合意事項を破って核実験を再開した当の北朝鮮も六カ国協議自体について「過去の話であり無効だ」と表明するなど、朝鮮半島の平和と安定をめぐる問題に複雑な逆流が持ち込まれてしまいました。
爾来、これが朝鮮半島をめぐる諸問題の根源となって長年にわたるこう着状態が続きましたが、ここに来て降った湧いたように金正日総書記死去のニュースが飛び込んできたのです。

金正日総書記の死去は平和のための歴史的チャンスとなりうるのではないでしょうか!
さて、仮にも一国の首脳の死として哀悼の意を表明するにしても、朝鮮半島の緊張状態を招いた張本人であるキム・ジョンイルの死去は平和のための歴史的なチャンスとして活かすことができます。
具体的には後継の北朝鮮指導部に05年9月の六カ国協議の共同声明に立ち返るように呼びかけて、国際社会の責任ある一員としての道を進むように呼びかけることです。
これが北朝鮮を含む北東アジアの平和と安定にとってもっとも望ましいことであり、また国際社会との強調が北朝鮮の国民の生活を改善するうえで一番よいと言うことを新しい指導部が理解するように説得することです。
関係諸国、なかでもとりわけ日本はそうした方向に事態を前進させるために対話と外交の努力を惜しまぬことが、なによりも大切なことと筆者は思う次第です。

いつまでも日本と北朝鮮の間に対話と交渉のルートがなく、お互いが疑心暗鬼におちいって軍事的な対応の悪循環を繰り返すと言った過去の愚行を繰り返していては、この歴史的なチャンスを活かすことができません。
また、このチャンスを活かさなくては拉致やミサイル問題、はたまた過去の清算といった日本と北朝鮮の間の諸問題の解決のきっかけも掴むことはできません。



1994年における朝鮮半島での「核危機」の教訓と生き残りのためには手段を選ばない金正日

ソ連の崩壊と自らの虚偽宣伝や民衆弾圧などで崩壊の危機に面した金王朝!
1991年8月にソ連で反ゴルバチョフのクーデターが発生し、その年の冬にはソ連邦が崩壊した。
それまで友好価格という名のタダ同然の価格でソ連から小麦や原油、兵器を援助してもらっていた北朝鮮にとって、この事態はきわめて深刻なものとなった。
このとき金正日がもっとも恐れたのはソ連に援助されていた約100万トンの食糧や、40万トンの重油が途絶えることによる餓死者や凍死者の大量発生であり、民衆蜂起による体制の崩壊であった。

北当局は「偉大な首領金日成同志のチュチェ思想に導かれ、自主経済が輝かしく達成された」とか「チュチェ農法によりわが国は万年豊作である」などと自慢していたが、実態はソ連の植民地同然であり、巨額の援助によりほとんど北朝鮮経済はソ連に丸抱えされていた。
人民に嘘をつきとおしてきた金父子はいまさら「ソ連の崩壊で餓死者がでる」とは口が裂けても言い出すことはできなかったのである。

また北朝鮮における民衆弾圧は過酷をきわめ、数十万人もの人々が何十年も、ある場合には一生涯、強制収容所に閉じ込められた。
さらに「成分」とよばれた北独特の身分制度による差別と不平等は一部の特権階層に対する深い恨みとなって民衆の間に沈殿していた。

時あたかも、ベルリンの壁の崩壊の直後にルーマニアの独裁者チャウシェスク夫妻が蜂起した市民によって逮捕され、その翌日には銃殺されたが、チャウシェスクの処刑は金父子をショック状態に投げ込んだ。
不可避とも見える体制崩壊の際の民衆による報復の恐怖に金父子はおびえることとなったのである。

体制崩壊に危機に際して金正日のとった危険な奇策とはなにか!
だが、金父子は奇想天外な策略でこの深刻な崩壊の危機を乗り切ろうとした。
それはわざと核危機をおこしアメリカとの擬似戦争状態を演出することであり、国民に「アメリカが攻めてくるぞ、腹が減ってくらいで文句を言うな。アメリカが入ってくれば命はないのだぞ」と民衆を脅しつけて食糧危機を覆い隠し、金父子に向かう怒りや反感をアメリカに向けさせ、餓死寸前の民衆を「米帝打倒」で結束させることであった。

さて、北朝鮮はこの時点で核兵器拡散防止条約(NPT)に加盟していたが、北朝鮮は条約加盟国に義務づけられたIAEA(国際原子力機関)による査察を硬く拒み続けていた。その最大の理由は同国が密かに核兵器の開発をすすめていたことである。
ところが、体制の崩壊の危機に直面した金父子、特に金正日は原発から生ずるプルトニウムで原爆を作っていることをわざとアメリカのスパイ衛星に写させることで核危機の演出を企てた。
すなわち、平壌の北90キロのところにある北朝鮮の原子力団地である寧辺の核施設をアメリカのスパイ衛星の目に故意に晒したのである。

案の定、この事態に驚愕したアメリカはただちに核拡散防止条約を楯にとって北朝鮮に国際原子力機関による特別査察を求めたが、これに対しての北朝鮮の回答は査察逃れを目的とした同条約からの脱退であった。
かたや主権侵害を口実にして頑なに査察を拒否する北朝鮮と、かたや北の核保有をあくまでも阻止したいアメリカとの間の緊張は激化し、戦争の危機が高まった。

こうして朝鮮戦争の経験から「アメリカが攻めてくるぞ」と言えば無条件に困苦欠乏に耐える北朝鮮の国民の心理を巧みに利用した金正日によるこの策略は大成功をおさめ、ルーマニア型の民衆蜂起による体制崩壊の危機と金王朝惨殺の恐怖はもののみごとに「打倒米帝」にすりかえられていった。

金正日の脅しに屈したクリントンと「ごろつき国家」への道を歩み始めた北朝鮮!
さて、この時の米国大統領はクリントンであり、彼は米軍首脳部によってアジアで発生しつつある紛争の重大性と経過について公式に説明を受けていた。
だが、クリントンは朝鮮半島での全面戦争による被害と影響の大きさに驚愕した。
朝鮮半島で戦争が勃発すれば最初の三ヶ月で米軍の戦死者が5万人、韓国軍の死傷者も49万人に達することが予想され、さらに戦争にともなう膨大な財政支出も天文学的な数字が見積もられていた。

imagesCAE198U3このような恐ろしい事態が発生すればクリントン政権が最大の危機を迎えることは避けられず、彼が実現したいと思っていた計画のことごとくが台無しになってしまうのである。
こうして金正日の捨て身の自爆攻撃の脅しに屈服したクリントンは北との対決を回避し、話し合いへと転じていき、94年の10月にスイスのジュネーブで米朝二国間の「枠組み合意」が締結された。
「枠組み合意」の内容は「核開発をやめるからその代わりの原子炉をくれ」というものであり、北はその保持する旧型の原子炉を廃棄し、その引き換えに軽水炉二基を手に入れることとなった。
また、その完成までのつなぎのエネルギーとして年間50万トンの重油を米国が北に供与するというオマケまでついた。

こうして民衆蜂起の危機を巧みに回避し、軽水炉や大量の重油をも米国からまんまとせしめた金正日の北朝鮮は、この成果に味をしめて脅しとゆすりで生き残りをはかる「ごろつき国家」へと変じていったのである。

戦争回避は最大の正義であること、および緊急の六カ国会議を呼びかけるべき日本政府!
さて今回、北朝鮮は米国に軽水炉建設現場を見せ、ウラン濃縮施設も見せて米国に多大なショックを与えることで、米国を対話の場に引き出そうと企てている。
金正日が今回は何を目的としてこのような策略を弄しているかは不明だが、脅しによって生き残りをはかろうとする金正日の手法は現在も“健在”である。

だが、今回の北による砲撃事件はこの手法とは別のものであり、単純な見方でいいのではないかという気がする。
北朝鮮の主張する領海で韓国軍が軍事演習することについては事前に北が警告しているところであり、今回の砲撃は「警告は実行される」ということと「警告に空言はない」ということを明確に示すところにその目的があったのではないか。

いずれにしても戦争を避けることが最優先されるべきであり、戦争回避がこの場合の最大の正義である。
北朝鮮の核をめぐる六カ国協議は核問題のみならず北東アジアの平和と安定をも目的としており、その問題にかかわる緊急事態がおこったのであるから参加国の緊急会議を開くことが当然であり、それは外交的解決にとって重要な意味を持つ。
平和憲法を持つ日本こそ、この緊急会議を実現させるための努力を惜しむべきでなく、米国追随ではなく主体的に行動することが求められる。

参考:拉致と核と餓死の国 北朝鮮 萩原遼

北朝鮮社会における巨大な差別構造の存在と管政権による朝鮮高校無償化停止の類似点について

北における「成分」という名の身分制度とそれにもとづく巨大な差別構造や迫害について!
北朝鮮という国を理解しがたいものとしている社会的な要素のひとつが「成分」という一種の身分制度である。
故金日成は北の国民を核心階層(20%)、動揺階層(60%)、敵対階層(20%)と三分割し、その後にこれをさらに51種類の区分に細分化したという。
そして、この「成分」に関する文書はいわば国民管理台帳のようなもので、警察や公安機関が密かに保有しており、一般の国民には秘密とされている。
さらに北朝鮮の国民には情報に接近したり、その公開を求める自由などはなく、文書の公開を要求しただけで反革命分子として処罰されてしまうのである。

ではこの「成分」という身分制度の構造にごく簡単にふれてみよう。
核心階層とは金日成とともに抗日闘争をたたかった革命家やその家系に連なる者たち、および朝鮮戦争で戦死した者の家族など、“金王朝”に忠実とみなされた人々の総称であり、敵対階層とは日本の植民地時代などに地主や資本家であった者、はたまた朝鮮戦争で裏切って韓国側に寝返った人とその家族などの総称である。
敵対階層は文字通りの敵であり、どんなに成績が良くても上の学校には行けず、北朝鮮のエリートである朝鮮労働党員には絶対になれず、軍隊への入隊も認められない。
この人たちの人生は炭鉱や鉱山、へき地農村などでの重労働を強いられ、もっとも過酷な運命を生涯背負って歩まなければならない。

imagesCA27D3PV金日成はかってこのような神話を作り出している。
「地主たちは息子や孫の手を引いて歩き回りながら、没収された土地の一つ一つを指差してこう教える。『わしは死んでもお前たちは生き残ってこの土地を必ず取り戻せ』
階級闘争の真理を知る諸君であればこれが偶然のことだとは思わないだろう。
たとえ、階級として消滅していても土地を没収された地主が生きている限り、彼らの心は死なずに生きていることは明らかなことではないだろうか」
こうして金日成は敵対階層の思想は生き残るから徹底的に抑圧せよと命令し、親や祖父、曾祖父などが地主や資本家階級などに属していれば子々孫々にわたって敵とされ、監視され、言葉尻をとらえては集団でつるしあげられ、はてな強制収容所に送り込むなどの恐怖政治で押さえつけられるのである。

社会主義の公式の図式とかけ離れた北朝鮮社会の恐るべき実態とは!
社会主義の公式の図式によれば、解放された社会では人民は助け合って和気あいあいとして生活しているというイメージが描かれ、多くの人はこのようなイメージで社会主義の社会のことを想像することが多かった。
だが、北朝鮮社会はそれとはまったく逆で、ささいな言動や不平不満でも反革命分子とされ処罰の対象とされる社会であり、この社会で身を守り生き残っていくためにも常に金父子を褒めたたえ続けねばならない社会なのである。
また、密告が奨励され、子が親を、妻が夫を密告しあい、そしてつねに「敵」が存在しなければならない社会、いったん「敵」とされれば無慈悲に鎮圧される社会なのである。

また、北朝鮮には住民が自由に移動したり、住居を自分で選ぶ自由はなく、「成分」に応じてその居住地も指定される。
平壌などに住む住民は金父子に忠実な核心階層に属する者たちであり、山間の貧しい農村地帯や寒冷の地には敵対階層にぞくする人々が強制的に移動させられ、そこに押し込められている。
敵対階層の住む地域はたとえていえば、一昔前の日本における「未解放部落」(現在は同和地区)というふうに考えるのが適切であり、人々を貧困と失業におしこめ、人間としての誇りを奪い、それを人民支配の道具としている資本主義の世の中を彷彿させるような北朝鮮の差別の構造がそこに凝縮されている。

管政権による朝鮮高校無償化停止と北社会の差別との類似点(イジメであること)!
さて、北朝鮮が韓国の離島を砲撃したというニュースが飛び交う中で朝鮮半島の緊張は極度に激化し、好戦的で強硬一色のわが国のマスメディアは北朝鮮への敵意を四六時中たきつけている。
こんなときだからこそ日本の首相は米韓と北朝鮮との双方にはたらきかけて、これ以上の緊張激化を避けるための適切なコミットメントを発するのが筋だろう。

だが、信じがたいことに管首相がこの事態を受けて最初にだした指示が「朝鮮高校の授業料無償化の停止」だというのである。
今回は北朝鮮が韓国を砲撃したのであり日本を攻撃したわけではない。
ゆえに今回の事態は日本と北朝鮮との間の「政治・外交問題」でもなく、北朝鮮の無法な砲撃の罰を何の関係もない在日の朝鮮学校の高校生が受けねばならない合理的な理由などはさらさらない。
また、過去に北朝鮮がミサイル実験をしたときにも、何の関係もない朝鮮学校に脅迫の電話が頻繁にかかったり、生徒を脅したり、窓ガラスを割ったりといった野蛮なレイシズムが横行しており、今でもそれは潜在化しながらも継続している。

合理的な理由のない授業料無償化の停止はミサイル実験のときと同様にマイノリティ(それも子ども)にたいする“イジメ”であり、それを日本政府のトップが旗を振ってやってしまうのであるから、管政権は北朝鮮か、はたまた「在特会」かと見まごうほどである。
さらに、こんな姑息なやりかたなど外交カードとしても何の価値もなく、北朝鮮当局にとっては痛くも痒くもない。ただ、日本の評判を下げて自分の首を絞めるだけである。

このエントリーの前半でながながと北朝鮮社会での「成分」と、それによってなりたつ巨大な差別構造とを述べたが、首相が今回の事態にたいし朝鮮高校無償化停止を命じたことは、国民に対し政府が「率先して在日をいじめるから皆さんもそうしてよろしい」と宣言するようなものであり、それは出身階級や出自が悪いからと徹底的に差別し迫害しぬく北朝鮮の当局者のやり口と本質的に変わらない。(このことを強調したいがために北の差別構造に字数を割いた)
外国人やマイノリティへの差別や排斥は世界中の国々の指導者が頭を痛めており、その根絶に取り組んでいるが、逆に管政権は排斥と差別の音頭取りさえやっているのである。

管氏が今やるべきことは、朝鮮高校無償化の停止ではなく、北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議のメンバーである中国や米国、ロシアなどにも働きかけ、事態沈静化にむけての道筋を探るべくリーダーシップを取ることであろう。

参考:拉致と核と餓死の国 北朝鮮 萩原遼 文春新書

在日特権を許さない市民の会(在特会)の街頭行動
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「高校無償化」からの朝鮮学校の排除はなにが問題か!

脱北した元朝鮮労働党幹部が日本の朝鮮学校の実体を“暴露”か!
元朝鮮労働党統一戦線部幹部であり、今は脱北した張真晟なる人物が韓国のインターネットニュースで朝鮮学校の“驚くべき実体”を公表したとの情報が、拉致問題に取り組む「救う会全国協議会」のニュース報道などを通して伝えられたという。

それによると、朝鮮学校は通常の外国人学校と異なり、北朝鮮教育省の下ではなく朝鮮労働党の対外工作部門である統一戦線部の管轄にあり、その性格としては教育機関というよりは「対外工作機関」に近いというのである。
また、朝鮮学校で使用される教科書も朝鮮学校の教員が自前で作るのではなく、朝鮮大学校で作られた教科書の草案が北朝鮮に送られて修正され、金正日の決済を受けてから作成されるのだそうだ。

images1155北朝鮮イデオロギーに服従する人材とマンパワーの養成期間であり、だから、朝鮮学校の教育費も当然金正日が責任を負うべきで、「高校無償化」の対象として日本政府が負担すべきではないというのである。

(救う会全国協議会HPを参照のこと)
http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=2106

日本社会での現実の朝鮮学校の姿とは!
だが、日本国内における実際の朝鮮学校の様相はこの元労働党幹部氏の言うようなおどろおどろしいイメージとはだいぶ異なっている。
日本の多くの国公立・私立の大学では「高等学校を卒業したものと同等の学力がある」として朝鮮高校の卒業生に入学資格を認めており、その数も増え続けている。

また、高野連や高体連、日本サッカー協会などが全国高校野球選手権大会やインターハイ、全日本高校サッカー選手権大会への朝鮮高校の参加を認めており、2009年度の全国高校ラグビー選手権では大阪朝鮮高校が3位に入るというみごとな成績を残していることも広く知られた周知の事実だ。

このような朝鮮高校をめぐる現在の社会・教育環境は日本社会が朝鮮高校を日本の高等学校に準ずる教育機関として認知していることを示しており、現実の姿は元労働党幹部氏の言うようなイメージとは程遠い。

また、東京の朝鮮中高級学校の事例によると同校の在校生は朝鮮籍と韓国籍の生徒がほぼ半分ずつを占め、わずかに日本国籍の生徒も在籍しており、日本の大学や専門学校に進学する生徒も多いという。
そして、生徒たちはすべてが在日コリアンの3世や4世であり日本の社会に根をはり生きていこうとする生徒たちばかりなのだが、ここにも元労働党幹部氏の言うようなイメージとはかけ離れた朝鮮学校の現実の姿がある。

(なおしんぶん「赤旗」に東京朝鮮中高級学校への取材記事あり)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-10/2010031014_02_1.html

国際条約や憲法などは在日コリアンの学習権を保障している!
ところで、朝鮮学校は第二次大戦後、日本の植民地支配から解放された直後に戦時中に奪われた自国の言語や歴史を取り戻そうとの目的でつくられており、日本政府の批准した子どもの権利条約では出身国の言語や価値観を伝える教育を保障し、また自分の文明と異なる文明に対する尊重を育成すべきことが規定されている。

また、日本国憲法にも教育を受ける権利や法の下の平等などの原則が掲げられており、法制度のうえでは在日コリアンの子弟にも普通教育とマイノリティー教育(民族教育)を受ける学習権が保障されていると言ってよい。

このように、法制上からも、現実の教育内容のうえからも朝鮮学校は「高校無償化」の適用対象としての要件を充分に満たしており、この「無償化」制度から朝鮮学校を除外しようという鳩山政権内の中井拉致問題担当大臣など一部閣僚の動きには道理もなく説得力に欠ける。

たしかに、元労働党幹部氏や大阪府知事の橋下などが言うように朝鮮学校の現場には金日成・金正日父子の肖像画が掲げられ、世界で最も国の建設に失敗した金親子と北朝鮮を称賛・崇拝する教育もおこなわれていることも事実だが、これは北朝鮮の現政権の金父子神格化教育が直接に朝鮮学校の民族教育に持ち込まれたことから起こる歪みに他ならない。

だが、これを理由として在日コリアンの子弟に対するマイノリティー教育(民族教育)を否定し「高校無償化」の対象から朝鮮学校を排除することは、北朝鮮の現政権が未来永劫に渡って存続することなどありえない以上は、マイノリティー教育(民族教育)を保障した子どもの権利条約や何人にも学ぶ権利を保障する日本国憲法の趣旨に照らしても道理がないと筆者は思う次第だ。

この問題をめぐる長期的な「国益」とはなにか!
また、拉致問題の解決が喫緊の課題であることは言うまでもないが、だからといって「拉致問題が進展していないから、朝鮮学校に援助の手を差し延べるなどけしからん」という感情的反発も賢明ではない。

もっと長い目で物事を考えるべきであり、将来において在日コリアンの子弟が成人して日本社会の有力な構成員となった時に、彼らが日本と母国との関係が険悪な時でも日本政府は自分たちの教育に援助の手を差し伸べてくれたという記憶とともに生きていくか、あるいは拉致問題などという自分たちに直接責任のない事柄で理不尽な差別を受けたという記憶を背負って生きていくかでは、将来の「国民の利益」という立場から考えた場合にどちらが理性的な対応であるかは自明であり、火を見るよりも明らかだ。

それゆえ、鳩山政権の一部の閣僚が朝鮮学校を「高校無償化」の対象からはずそうとの「朝鮮学校はずし」の動きにはこの点でも道理がなくとても賛同できない。

北朝鮮の個人崇拝体制と旧社会主義諸国の歴史的蛮行、および日本共産党

北朝鮮の個人崇拝と一人独裁体制が確立されるまでの経過とは
朝鮮民主主義人民共和国において金日成の個人崇拝体制が確立されるまでには、周到に準備された「政敵」にたいする大規模な“粛清劇”が数度にわたって繰り返された。
まずは朝鮮戦争直後に南朝鮮出身の革命家たちをアメリカ帝国主義の指示をうけた“スパイ”の濡れ衣を着せて朝鮮労働党から一掃した。

これは南朝鮮を解放できなかった朝鮮戦争の失敗の責任を南朝鮮の左翼に押し付けるという魂胆のもとに金日成によって画策され、党副委員長兼外相である朴憲永をはじめ、南朝鮮出身の9人の革命家たちが裁判とは名ばかりで、弁護士もなく支援者もいない暗黒裁判でアメリカのスパイとされて銃殺刑により処刑された。
この出来事がきっかけとなり軍隊、秘密警察、強制収容所を完備し,それを思い通りにあやつれる党が人民のうえに君臨し、党の決定だけが声高に叫ばれる一党独裁体制の恐怖が北社会を覆い始める。

一連の粛清劇のなかでその集大成といえるものが1967年の朝鮮労働党中央委員会の秘密会議であり、この秘密会議の場で最後に残っていた「政敵」たimages9ちが一掃され、金日成の「唯一思想体系」という個人崇拝と一人独裁体制が確立する。
これ以降、金日成の主体思想(チュチェ思想)が北社会の唯一の思想として崇めたてまつられることとなり、それ以外のいっさいのものが排除されはじめた。

また、北朝鮮の社会主義が確立して長い年月がたっており、旧搾取階級である地主や資本家はとうの昔に一掃されていたにもかかわらず、その残存分子と古い思想を制圧せよとの号令がこの秘密会議をきっかけとして全国に発せられる。
これは人民のなかからの「反動・反革命分子」の摘発の奨励となり、人々は言葉一つ間違っても妻子の手により密告され、強制収容所に送られるのではないかという恐怖におびえる日常生活を強いられることとなった。

また、古い思想を制圧せとの指令は金日成の主体思想(チュチェ思想)で全党や全人民を一色に染め上げることを意味するようになり、北の全土で膨大な量の書物が焼却され、油絵は切り裂かれ、彫刻は棍棒によってことごとく破壊されていった。
また、知識人は敵視され迫害の対象となり、自殺へと追い込まれていった知識人の数ははかり知れない。

そして、この文化や科学にたいする大規模な総攻撃により、北社会が「無知の王国」への道を歩みはじめたことで経済建設をはじめとした北社会の大幅な“遅れ”が生じていく。
これが「地上の楽園」と言われた北朝鮮社会の現実であり、極端な個人崇拝と一人独裁体制が横行する極端な統制社会であったが、このような実態は旧ソ連や東欧の旧社会主義諸国に共通することでもあり、北朝鮮の場合は他の社会主義諸国のそれを数十倍に増幅した暗黒社会であるところにその特徴があった。

北朝鮮の政権党と兄弟党であった日本共産党
さて、日本共産党はこのような北朝鮮の政権党であった朝鮮労働党と兄弟党としての関係を保っていた歴史を持つ。
70年代に朝鮮労働党が金日成の個人崇拝を外国の諸政党にも押しつけ始めたことがきっかけとなってこの兄弟党の関係に終焉がもたらされることとなるが、日本共産党が北朝鮮で金日成の個人崇拝と一人独裁体制が確立されていった50年代と60年代に一貫して朝鮮の党と兄弟党としての間柄を継続してきたことはまぎれもない事実である。

また、日本共産党は東欧社会主義諸国の崩壊にいたるまで北朝鮮と同じく個人崇拝と一人独裁体制のルーマニアのチャウシェスク政権と親密な関係を保っており、この親密な関係はチャウシェスクが民衆蜂起により銃殺される直前まで続いた。
さらに日本共産党は自らを旧ソ連や東欧の崩壊した旧政権党をその主要な構成員とした“世界の共産主義運動”の一員であることを自称し続けた長い歴史を持つ。

ゆえに日本国民は、それらの国々における人権侵害や民主主義の欠如、大量虐殺などの蛮行とともに、そうした惨事をひきおこした各地の“共産主義勢力”の思想と日本共産党の思想とがまったく無関係ではなく、それ相応の共通性があると見ているのである。
いわば日本共産党をソ連や東欧の旧政権党と「同質・同類」と見なすこの日本国民の見方の背景には、同党が長い間、北朝鮮の政権党と兄弟党であったことや“世界の共産主義運動”の一員であったことなどの歴史的な事実が裏づけとして存在しており、戦前からの根深い反共主義による偏見として簡単に解決できない理性的な根源をもっている。

ソ連共産党の崩壊を“歴史的巨悪”の崩壊として「もろ手を上げて歓迎」したり、ソ連社会を偽りの社会主義であると宣言すれば、それらの“共産主義勢力”と日本共産党とは無縁であることを証明したこととなり、それでも同党を旧ソ連や東欧の崩壊した旧政権党の同類として否定することは日本に根深い反共主義として片付けるわけにはいかないのである。

党名変更と民主集中制の放棄や大幅な見直しのすすめ!
これが日本共産党の党員や議員が末端で困っている庶民の生活相談や党勢拡大の「大運動」などをおこない、涙ぐましい努力を続けても同党の党勢が停滞や後退を続ける大きな要因のひとつであると筆者は考えている。
今日の日本共産党への国民の批判意識は戦前来の反共主義とは質を異にしており、歴史的な事実という裏づけをともなったより頑強なものとなっているのである。

日本共産党の躍進を願う筆者は崩壊したこれらの“共産主義勢力”と同党とが無縁であることを広く日本の有権者に証明するためには少なくとも、旧ソ連や東欧の旧政権党と共通する「民主集中制」という組織原則の放棄や大幅な見直し、さらには共産党という党名の変更が必要と考える。
日本共産党の党名問題について一言付言するが、日本のアジア・太平洋への侵略戦争の際に民政党や政友会、社会大衆党など自民党や旧社会党の先祖たちが大政翼賛会に合流してその後押しをしたなかで、ひとり同党のみが反戦と民主主義の旗を守り続けた誇りある歴史の象徴として、その党名を掲げ続けたい気持ちはわかる。images10

だが、「社会主義世界体制の崩壊」という世界史的な事実を経験し、人権侵害や民主主義の欠如、大量虐殺などの蛮行を重ねた旧ソ連や東欧などの旧政権党が消滅してこれらの“共産主義勢力”の実態が白日の下に晒された21世紀の今日、党名の変更は彼らと「同質・同類」でないことを鮮明にするためにも必要であると筆者は考える。

日朝国交正常化は金正日政権との間でおこなうべきでないこと!

朝鮮半島の核問題やミサイル問題、拉致問題、過去の植民地支配の清算の問題など、日本と北朝鮮との間に横たわる諸々の問題の一括解決に努力を尽くし、両国の国交正常化への道筋を開くことが東アジアの平和と繁栄・友好に大きな展望を開く。
それゆえ、両国の間に存在する諸懸案を解決して、一刻も早く日本と金正日政権下の北朝鮮との国交正常化を実現すべきだ。

このような考え方を根拠に日朝国交正常化を急ぐべしと主張する論者や政治勢力は数多いが、はたして、現在の日朝関係をめぐる複雑な国際環境の下で両国の国交正常化が実行可能であり、なおかつ現実的な選択したり得るのか?

日朝間の国交正常化を急ぐべきでない理由
筆者は現在の国際環境のもとでの日朝国交正常化は現実的でないと思うが、その理由として次にかかげる二つの問題の存在を挙げたい。

第一に米国と北朝鮮との間で朝鮮戦争は終結しておらず、たんなる休戦状態に留まり法的には戦争状態の真っ只中にあるため、このなかに日本がノコノコ入っていき一方の当事国である北朝鮮に植民地支配の賠償金として多額の金を渡すことをアメリカが見過ごすはずもなく、韓国も穏やかならぬ話として猛烈に反対することだ。

ましてや、日本は安保条約によって外交と軍事という国の根幹を米国に握られた自主外交のできない半従属国にすぎず、朝鮮半島での日本の自主的な判断や行動は事実上不可能な状態におかれている。
それゆえ、従属的な日米安保条約を破棄して日本の自主性を確立し、そのうえでアメリカと北朝鮮を説得して朝鮮戦争を終わらせる平和条約を締結する橋渡し役を果たし、その後に日朝国交正常化をおこない南北と等距離の関係を作っていく。
この方向にしか打開の道はなく、現状の日米関係と米国の朝鮮政策を前提にするかぎりは日朝国交正常化は“砂上の楼閣”である。

第二は、かりそめにも国交正常化という大問題をうんぬんする以上は相手を良く見きわめねばならず、仮に対米従属という障害がなくても、金正日政権が相手では相手が悪すぎるということだ。

1989年に東欧の旧社会主義諸国が長年にわたり反国民的な悪政を積み重ねてきた報いから次々と崩壊していった。
まずポーランドで反政府組織「連帯」が勝利し、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁は取り壊され、同年の12月25日にはルーマニアの独裁者チャウシェスクが蜂起した民衆によって逮捕され翌日に銃殺されるが、このことが金正日に自国の崩壊も間近なことを予感させ、金日成・金正日親子をはじめとした北朝鮮社会の特権階層たちは民衆蜂起による報復の恐怖に怯えはじめる。

なぜなら、北朝鮮社会は人間の尊厳や自由や権利はおろか、一番基本的な衣食住さえ保障されない未開社会であり、民衆弾圧により数十万の政治囚が強制収容所にとじこめられた暗黒社会であって、それを作り出したのが金日成・金正日親子による比類のない独裁と圧制だったからである。
また、ソ連の崩壊により北朝鮮にとって生命線であった大量の食料とエネルギーの供給がストップしたことも彼らの懸念と恐怖に拍車をかけた.

とくに小心な金正日はチャウシェスク型の処刑の恐怖に怯え、生き残りのために彼に反感を持つ大量の人民の殲滅(抹殺)を計り、彼らへの食糧配給の全面中断を断行して民衆反乱の温床となる人々を根絶やししようとした疑惑がぬぐえない。

こうして金正日が食料の配給停止という手段を使い、“敵対階層”抹殺を狙った“銃弾なき戦争”を人民に仕掛けたことが三百万人以上ともいわれる北朝鮮の大量餓死の本当の原因であり、北朝鮮の大飢饉は自然災害によるものではなく金正日による大量殺人の結果として意図的につくられたものであるという説が有力なものとなっている。

また、北朝鮮では人民のいっさいの食糧が政府の配給に依存しており、人民は移動の自由までも奪われ、戦時中の日本のように都市住民が衣類などを背負って農村を回り食料の買出しをするといった自給策も封じられた社会だったことが金正日の餓死による大量殺人を可能にしたという。

カンボジアのポルポトは何百万人の人民を鍬や鉄パイプなどで撲殺したが、このようなやり方ではたちまち明るみに出て国際社会の強い非難を受けるために、いっさいの武器を使わず音も無く何百万人の人民を抹殺する方法として食料の配給停止というきわめて巧妙な手段を思いついたのが金正日であり、このことは彼の狡猾さと残虐さを物語っている。

このように金正日は自分の身の安全と体制の維持のために数百万もの自国人民を殺した殺人者であって、ジェノサイド条約により国際法廷に引き出されるべき大量殺人犯である可能性が極めて高く、さらには自分で作り出した飢餓を口実にして国際社会から人道援助の食料をだまし取っては換金し、核兵器とミサイルの開発につぎ込んでいた人物である。
自国の大量の人民を平気で殺害し、虚偽宣伝で国際社会からモノとカネをだましとる金正日政権にたいし、国交正常化により巨額の賠償金を渡せばどのような結果となるかは火を見るよりも明らかだ。

日本人拉致問題解決と60年代に北へ渡った在日同胞の帰国実現を急ぐべきこと
以上の二つの理由により、日朝国交正常化は少なくとも金正日政権が存続する限りは急いでおこなうべきではなく、現状ではポスト金正日における民主的な政権の成立を待つべきであり、さらには日米安保条約に縛られた日本が“宗主国”であるアメリカの意に反する日朝国交正常化をすんなりおこなえると考えることは幻想であり、米国の北朝鮮政策に劇的な変化がないかぎりは国交正常化は机上の空論でしかない。

ゆえに、いま日本国民が政府に要求すべきことは国交正常化ではなく日本人拉致問題の全面解決であり、拉致被害者の全員送還と拉致実行者やその責任者への厳しい処罰、および遺族への賠償と遺骨や遺品の返還であり、遺族による自由な墓参の保証である。

また、1960年代に北朝鮮当局と朝鮮総連による「地上の楽園」という甘言にだまされて北に渡った在日朝鮮人帰国者10万人とそれに従った日本人妻1300人余の日本への里帰りと永住帰国への道を開くことであり、将来の国交正常化に向けて対米従属から抜け出して、自主自立の日本外交へと転換するために努力を払うことである。

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朝鮮戦争の開戦責任と惨禍、および武力統一方式と金日成

朝鮮戦争の開戦責任と米国立公文書館の「奪取文書」
1950年6月25日は数百万人もの人命を犠牲にした朝鮮戦争の開戦日であり、この大戦争の開戦責任者すなわち放火者が誰であるかをめぐり、80年代の後半まで南北朝鮮をはじめ各国の専門家の間で論争が続いた。

朝鮮戦争はどういう形で勃発したのか、南から攻め込んだのか、北からの先制攻撃があったのか?
このような初歩的な問題についても膨大な量の研究書などが出されてきたにもかかわらず、はっきりとした結論を出すことができなかった。
だが、この問題に解明の手がかりを与えたのが米国の国立公文書館にある北朝鮮からの「奪取文書」である。

これは1950年の10月から12月にかけて朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌を一時的に占領した米軍が政府や軍、党の本部から奪ってきた部隊の指令書、会議録、兵士の日記、図書、雑誌、新聞など百六十万ページにのぼる資料群のことを指し、段ボール箱にして千箱を超える膨大なものだが、この資料群から朝鮮人民革命軍の機密文書が見つかったのである。

この機密文書には五つの段階をふんで南に突入し、戦闘に勝利し、占領するまでのプロセスが明記され、北の人民軍七個の師団にうちの五つの師団が1950年の6月24日の深夜までに38度線の五百メートルから数キロの間に集結し、かたずを呑んで進攻命令を待っていたという重大な事実が判明する。

また、これらの傘下の部隊が6月24日の深夜から先制的に南進した事実を記載した文書も見つかり、朝鮮戦争の開戦責任という問題の解明に大きな光がさしこんだのである。

さらに、同じ文書から中国の国共内戦に参加した中国在住朝鮮人の三個師団が故国に帰国し、毛沢東や朱徳・林彪ら中国指導部がこれらの部隊が何に使われるかを認識したうえで、北の主力部隊として再編成されていった経過も明らかになり、朝鮮戦争における中国の戦争責任の解明もすすんだ。

「武力統一方式」と朝鮮戦争の惨劇
金日成はこの戦争が祖国統一と人民解放のための正義の戦争であることを主張し、「人民軍が進軍すれば南の人民はこぞって立ち上がり、戦争は三日で勝利にうちに終わるだろう。そうすれば南半分は解放され輝かしい祖国統一が成就されるだろう。」と宣伝したが、現実は正反対であり南の人民は北の人民軍を恐れて逃げまわり、逆に武器を取って人民軍に立ち向かってきた。

これが金日成の宣伝とかけ離れた朝鮮戦争の真の姿であり、この戦争はその後における南北分断を決定的なものとし、南北の間における肉親どおしの手紙のやりとりさえ途絶させてしまう。

このように朝鮮戦争は北からの武力統一を目的として金日成により惹き起こされた戦争であり、武力で南進して南朝鮮の政権を打倒し、金日成ら北の指導部の意にかなった政権を作って、それと南北統一の作業を進めるという金日成の「武力統一方式」を基調としたものに他ならなかった。

これこそが朝鮮戦争を惹き起こし、甚大な民族的惨禍をもたらしたのであり、この歴史の教訓に学んで武力の行使は放棄し、平和的な統一へと方針を切り替えるべきであったにもかかわらず金日成は再度同じ過ちを繰り返す。
それが1967年から1969年の間に実行に移された武力南進政策だ。

武力南進政策という冒険主義を再び繰り返した金日成
1967年に金日成一派は軍の力を背景にしたクーデターによってすべての権力を握り、金日成の武力南進という冒険主義に反対する朝鮮労働党内のすべての勢力を追放したうえで、「南朝鮮武装遊撃隊」という武装闘争をこととする小集団を次々と南へと送りこんでいく。

だが、これらの小集団は北からの工作員がほとんどで南には基盤はなく、北からの特攻隊を南進させ人為的に「革命的情勢」を作り出し、南の人民からの「支援要請」という名目で北の人民軍を南進させるためのものに他ならなかった。

南朝鮮武装遊撃隊は韓国の各地に出没して貨物列車をひっくり返すなどの不穏な動きを各地で惹き起こし、なかでも、1968年1月21日における韓国の大統領府青瓦台襲撃は31人の特攻部隊が官邸に五百メートルの至近距離まで接近しながらも、ただ1人を除く全員の射殺という惨憺たる結果に終わってしまう。

金日成のこの計画は彼の意図とは逆に、200万人の予備役(民兵)創設など南の急速な軍事化を促すなど、かえって朴軍事独裁政権の基盤を強化し、金日成の武力南進政策を再度の破綻へと導いていく。

また、この愚行は南のファッショ体制のいっそうの強化のみならず、戦争勃発の際には日本を韓国の軍事基地にしようとする日本の右傾化や軍事化の試みに絶好の口実を与え、当時の佐藤首相が「韓国への武力攻撃の際」は在日米軍にたいし「事前協議に前向きかつすみやかに態度を決定する」と言明するなど、日米韓の軍事一体化を促した。

このように、金日成の武力南進政策は朝鮮戦争で長期にわたって消し去ることのできない深い傷跡を残したのみならず、周辺の国々における政治の反動化や軍事化までもエスカレートさせた。

だが、これだけの手痛い失敗にもかかわらず北朝鮮指導部はなおも武力南進政策を捨てず、最終的にソウルオリンピックにソ連や中国、東ドイツなどが参加したことをきっかけに韓国が社会主義諸国と国交を樹立するまで続くこととなる。
なぜなら、社会主義国から給与された武器で社会主義国の承認する国を武力攻撃することは不可能だからである。
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北朝鮮の「神聖家族」金一族をめぐる“国家的虚偽”について

北朝鮮の最高指導者であった故金日成主席が祖国の解放と朝鮮民主主義人民共和国建国にあたり、いかに偉大な業績を残したかをめぐっての朝鮮労働党当局の公式の説明はこうだ。

「主席は旧満州(中国東北部)に1945年8月15日の日本帝国主義の敗北にいたるまで踏みとどまり、指導者として抗日遊撃隊活動を展開した。
やがて時がいたり、1945年8月9日のソ連軍の対日参戦をきっかけにして主席は朝鮮人民革命軍の全部隊に祖国解放の最終攻撃命令を下した。主席の命令に接した人民革命軍は総攻撃を開始し、対日戦争に参加したソ連軍との緊密な連携の下に怒涛の勢いで進軍。そして、部隊の猛攻撃と人民の果敢な反日抗戦によって致命的な打撃を受けた日本帝国主義は祖国解放戦争を開始したわずか一週間後の8月15日についに無条件降伏へと追い込まれ、主席は勝利して祖国へ凱旋した。」

金日成の率いる“人民革命軍”という軍隊がソ連軍を従えた破竹の進撃で日本軍を打ち破り平壌に凱旋したことで祖国解放が実現したというのだが、北朝鮮当局が公式に説明してきたこの逸話が虚構であるというのだ。

金日成は1945年8月15日にハバロフスクで“無為”の日々をすごしていた。
祖父の代にソ連に移住した3世であり朝鮮戦争で人民軍の中将として参加。その後に金日成の片腕として活躍したが、金日成の粛清から逃れ一家でソ連に亡命した元・朝鮮人民軍作戦局長喩成哲(ユソンチョル)氏の証言によると、金日成が率いた満州の抗日遊撃隊は少数の集団にすぎず、1941年ごろには日本軍に敗北してソ連領に逃げ込んでソ連軍の保護下に入ったという。

その後に金日成は対日戦争に備え中国人や朝鮮人を中心に組織した諜報部隊であるハバロフスクのソ連軍第88旅団に配属されソ連の軍人の一員となったが、1945年8月9日のソ連軍の対日参戦で無敵を誇った関東軍はあえなく瓦解し、金日成には何の出番もないまま朝鮮は日本の植民地からの解放の日を迎えた。
そのため、金日成ら数十人の朝鮮人隊員、すなわち「朝鮮人民革命軍」はハバロフスクにおいてソ連軍当局の指示を待ちながら9月の初めまで無為の日々をすごした後に、9月の末にこっそりとソ連軍当局により平壌に送り込まれた。

これが金日成の祖国への“凱旋帰国”をめぐる真相についての喩成哲(ユソンチョル)氏の証言であり、北当局の公式の説明と180度異なっている。

抗日英雄「金日成将軍」にすり替わったソ連軍人金成桂(仮名キムイルソン)
さらに、喩成哲(ユソンチョル)氏によると、北朝鮮を占領したソ連軍当局が支配をスムーズにおこなうためにハバロフスクから連れてきたソ連軍人の金日成を伝説的な抗日英雄の「金日成将軍」にすりかえたのではないかという重大な疑惑があるという。

金日成は実は本名を金成桂(キムソンジュ)と言い、幼少のころから中国に移住し、日本の満州侵略で高まった中国人の抗日闘争に参加した頃に金一星(キムイルソン)という仮名を使い始めたという。
漢字の同音異義語であり発音すると金日成とおなじキムイルソンとなり、金成桂は民族的英雄である「金日成将軍」にあやかりたいという一心で、同じひびきを持つ金一星の仮名を得意になって使っていたことが伝わっている。

北朝鮮を占領したソ連軍はこれに着眼し、占領支配をスムーズにおこなうためにソ連軍大尉である金成桂(仮名キムイルソン)を伝説的な抗日英雄である「金日成将軍」にすりかえ、占領行政を執行する現地の代理人として朝鮮人民に彼らの指導者としておしつけた。
これはソ連軍の一員として金日成のハバロフスク滞在当時から彼と行動をともにした喩成哲(ユソンチョル)氏の証言であるが、残念ながらこのことは現在では疑惑にすぎず、これを裏付ける確たる証拠が存在するわけではない。
だが、いずれ時の流れがすべての真相を明らかにするはずだ。

当時、ソ連軍当局にとって日露戦争以来ずっと日本軍国主義の侵略の足場であり兵站基地であり、わき腹に突きつけられた短刀のような朝鮮半島で北朝鮮を自分たちの「衛星国」に仕立てソ連の安全をはかることは喫緊の課題であった。

そのため、ソ連軍当局は日本軍国主義の社会的支柱であった地主と資本家を解体するための「土地改革」と「重要産業の国有化」に占領後直ちに着手し、日本の植民地支配の手先となっていた親日分子を粛清していったが、これらの措置をスムーズに執行するためにソ連の軍人である金成桂(仮名キムイルソン)を民族的英雄「金日成将軍」にすりかえて朝鮮人民に指導者として押し付ける必要があった。
このシナリオが歴史の真相に一番近いのではなかろうか。

1945年8月15日の日本帝国主義の敗北により35年間の日本の植民地支配から解放された朝鮮人民であるが、南にはアメリカの傀儡である李承晩、北にはソ連軍子飼いの人物がそれぞれに連れてこられ指導者として押し付けられたことが不幸な朝鮮半島の戦後史の基点となる。

金日成・金正日一族をめぐる国家的虚偽の崩壊は近い!
なお、現在の北朝鮮の最高指導者である金正日は金日成がソ連の軍人としてハバロフスクに滞在中に最初の妻との間に生まれた子どもであるという。
これについては金正日の乳母として彼にお乳を与えた女性からの証言もある。

だが、北朝鮮当局は金日成がソ連から連れてこられたことを隠蔽するために、金正日の出生の地を中国と北朝鮮の国境にまたがり抗日遊撃戦の根拠地でもあった雄峰白頭山の密営としたうえで、これを疑うべからざる公式見解としている。
金日成・金正日という神聖家族の存在、唯一思想体系(チュチェ思想)という唯一絶対の教義体系、これらの“金一族神話”を支える北朝鮮の国家的虚偽が白日のもとに晒される日はそう遠くない。

なお、金日成などの出自をめぐってはフリージャーナリスト萩原遼氏の「朝鮮戦争取材ノート」(かもがわ出版)が詳しい。
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北朝鮮による日本人拉致問題と不破哲三氏

宮本議長時代における北朝鮮の「野蛮な覇権主義」との闘争
1983年に北朝鮮の手によってひきおこされた国際テロ行為として有名なものがラングーン事件である。
この事件は金正日の指令により、ビルマ(現ミャンマー)の首都ラングーンのアウンサン廟にしかけた爆発物で現地訪問中の韓国閣僚21人の命を奪った血なまぐさいテロ行為であったが、日本共産党はこの事件を北朝鮮指導部による「野蛮な覇権主義」と決めつけ、朝鮮総連北朝鮮の朝鮮労働党との関係を断絶した。

また、1987年11月にも東南アジア上空を飛行中の大韓航空機が爆破され、115人の乗客の命が奪われるという爆弾テロ事件が発生したが、爆破犯人のひとり金賢姫はこれが金正日のじきじきの指示によるものと自白をし、北朝鮮によるテロ事件であることが判明する。
この非道なテロ行為にたいし、当時日本共産党議長であった宮本顕治氏はこれを北朝鮮による犯行と断定し厳しく糾弾したが、当時の社会党委員長であった土井たか子氏が北朝鮮の言い分を鵜呑みにし、この事件への北朝鮮の関与を否定したことを考え合わせると、当時の宮本氏の判断が実に的確であったことが浮かびあがってくる。

また、同時期に日本共産党は宮本氏の指導で日本人拉致事件の解明に積極的に取り組んだ。
1988年の参議院予算委員会で同党の橋本敦議員が70年代に日本海沿岸などで忽然と姿を消した5件8人の問題を詳細に追及し拉致問題を初めて国会の場で取り上げた際に、当時の梶山国家公安委員長から「これらのケースは北朝鮮による拉致による疑いが強い」との答弁を引き出し、この国会質問が拉致の問題に消極的であった政府を追い込んで解決へと向かわせる大きな転機となったことは知られている。

このように「北朝鮮の覇権主義」を厳しく糾弾し続けた当時の日本共産党は朝鮮総連との関係も断絶したうえで、「いっさい接触せず、カンパや機関紙などもいっさい受け取らず、送ってきたなら送り返せ」という方針を掲げ、それに反すれば規律違反として処分の対象にしたのである。

不破哲三氏による朝鮮総連との関係修復とは!
だが、1997年に宮本氏が引退し、文字どおり党の最高指導者となった不破哲三氏は突如として、2001年の党大会に朝鮮総連の来賓を招待し、同年の総連の大会にも志位委員長を出席させて“あいさつ”をおこなわせるなど、総連に対する党の方針を事前における何の説明もなしに転換させてしまった。

さらに、不破氏は2005年の朝鮮総連結成50年記念レセプションに駆けつけ、朝鮮総連の幹部を前に「私たちにできる仕事があれば、喜んで実行に移し、力を尽くす用意があります」と発言し、いよいよ党と総連との関係を“一心同体”と言うべき関係に押し進めていく。

北朝鮮の日本国内における事実上の工作機関であり、拉致事件への関与が疑われる朝鮮総連への不破氏によるこのような方針変更は、日本共産党が今後は拉致日本人の救出活動はやらず、過去に「帰国事業」の美名の下で朝鮮総連にだまされて北朝鮮の強制収容所へ送られた日本人妻や在日朝鮮人帰国者の救援活動も、今後はやりませんと事実上誓約することを意味していた。

そして、不破氏は朝鮮総連への突然の方針転換と機を同じくして、拉致問題はたんなる“疑惑”に過ぎないと主張し始め、宮本氏の指導の下に解明に消極的であった政府を解決へと向かわせたかっての日本共産党のこの問題に対する前向きな姿勢を転換し、拉致の問題の事実上の棚上げへと切り替えていく。

小泉訪朝で北朝鮮の犯罪が白日のもとに晒される!(同時に不破氏の誤りも)
だが、2002年9月17日の小泉訪朝の際に日本人拉致をおこなったことを金正日が自白したことが、「拉致は疑惑に過ぎない」と主張してきた不破氏の誤りを白日のもとに晒すこととなってしまう。
慌てた不破氏は機関紙の赤旗で1988年の橋本参議院議員の質問を取り上げ、我が党はどの党よりもいち早く、かつもっとも積極的に拉致の問題に取り組んできたとのキャンペーンを展開し、自らの誤りの言い訳を始めたが、この質問が切り開いた積極的な方向に水を差し、拉致問題の事実上の棚上げを主張した不破氏の誤りは明らかだ。

不破氏による党内での何の議論も無しの朝鮮総連や北朝鮮にかんする方針転換は、残念ながら国民に日本共産党は北朝鮮と“べったり”の関係にあることを印象付けたのみならず、この不破氏の拉致問題における誤りは何の検証もおこなわれないままで今日にいたっている。

それ故、拉致の問題をめぐっての不破氏の誤りによる政治的な損失は大きく、このために国民のなかに定着してしまった日本共産党の親北朝鮮・拉致問題棚上げのイメージは各種の選挙での党の連戦連敗の底流に抜きがたく存在し続けた。
2001年の参議院選挙での8議席から5議席への後退に始まり、2003年の総選挙では20議席から9議席と後退、さらには2004年の参議院選挙でも15議席から4議席へと大幅に後退し、同時に45年ぶりの選挙区での当選者ゼロというオマケまでついた。

60年代における小さな党勢の際にも参議院選挙では東京や大阪での選挙区で議席を確保していたことを思うと、これは歴史的大敗と言うほかはなく、その後の国政選挙においても党勢の停滞と党議席の後退という流れは基本的に変わっていない。

不破哲三氏には文字通りの引退を望む
不破氏はマルクスやレーニンの著作の解釈という訓詁の学では右に出るものがおらず出色の存在ではあるが、こと日本共産党の指導者、および政治家として見るとそのギャップの大きさを否定できない。
不破氏が輝いて見えたのは宮本氏という太陽があっての輝きであり、宮本氏あっての不破氏であったのか、宮本氏引退のあとに独り立ちした不破氏には失策が目立つ。

不破氏の最大の失策は拉致問題でのそれであり、それが党を各種選挙での連戦連敗へと導く大きな要因となるが、このことは戦犯政治家岸信介の孫であり極右の自民党政治家である安倍晋三がさしたる実績がないにもかかわらず、拉致問題を最大限に利用しながら首相の座に一度は登りつめたことと鋭い好対照を成している。
私は個人的には不破氏の文字通りの引退を望んでおり、不破氏は自発的に党の指導部から退き後身に道を譲っていただきたい。

朝鮮総連結成50年記念レセプションでの不破氏のあいさつの内容
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-25/02_02_0.html

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北朝鮮による日本人拉致事件について思うこと(蓮池透氏から学ぶこと)

北朝鮮による拉致問題は2002年の9月17日に当時の小泉首相が訪朝して、北朝鮮の最高指導者である金日正総書記とトップ会談をおこなった際に、金総書記が日本人拉致を認め謝罪し、再発防止を表明したことがきっかけとなって白日の元にさらされることになる。

拉致問題をめぐる政府の誤った対応の数々
このトップ会談の際に、北朝鮮側は13人の日本人を拉致したことを認め、そのうちの8人が死亡していることをなんの根拠もなく一方的に公表して拉致をおこなったことを謝罪した。
そして、これをもって「拉致問題」を終わりにさせ、国交正常化交渉にはいることで政治決着をはかることが当時の日本の外務省と北朝鮮当局が描いていたシナリオであったという。

だが、何の根拠もなしの8人死亡という結論を拉致被害者家族がそのまま受け入れることを拒否したことから、北朝鮮による日本人拉致が国民世論も巻き込んだ大きな政治問題となり、同時に北朝鮮との外交交渉も暗礁に乗り上げ、今日の膠着状態へと続いてきたことは周知のとおりである。

さらに、生存している5人の拉致被害者の「帰国問題」でも、当時の外務省はこの5人が重大な国家犯罪の被害者であるという認識を持てず「一時帰国」という北朝鮮側の言い分を鵜呑みにした。
誘拐された人を見つけ出し、誘拐犯もそこにいるというケースでは躊躇なく被害者を連れ帰るべきであるが、国交正常化を急ぐ外務省が“国益”のために被害者の人権を無視してしまったことが今も禍根を残す大きな誤りとなった。

それゆえ、北朝鮮側の言い分を鵜呑みにした「一時帰国」という結論は、当然に拉致被害者を永久帰国させて取り戻したいという被害者家族側との軋轢を生み出し、それがきっかけとなった国民世論の沸騰も加わって北朝鮮との外交交渉までも頓挫したことが、今日の拉致問題をめぐる混迷の大きな要因の一つともなる。

また、拉致問題のシンボル的な存在である横田めぐみさんの遺骨返還をめぐり、帝京大学医学部の鑑定人が返還された遺骨を別人のものであると判定したことが日本の世論に火をつけ、日本国中が経済制裁一辺倒となっていくターニングポイントとなり北朝鮮との関係を長期の膠着状態へと導くきっかけとなる。
そして、この鑑定結果に対しほどなくしてイギリスの科学雑誌「ネイチャー」から疑問の声が上がったが、不可解なことにすでにこの時点では鑑定人が大学から警察へ引き抜かれており、マスコミ関係者など外部の者が鑑定者本人と接触することが不可能とされてしまっていたことも記憶には新しい出来事だ。

このように幾多の日本政府側の対応の誤りが積み重なり、不可解なこともそれに加わったことが北朝鮮側をもかたくなにし、問題の解決を困難にしてきた。
そして、死亡とされた8人の拉致被害者、およびそれ以外にもいるとされる政府認定の拉致被害者の問題は解決のめどすら立たず、いたずらに時間が経過してきたというのが拉致問題をめぐる歴史的経緯である。

筆者のささやかな拉致問題とのかかわり!
筆者は習志野市にある某キリスト教会に出入りしていたことがあるが、2003年の頃、この教会では日曜の礼拝のたびに牧師さんを筆頭にして、筆者を除いた信徒全員がいわゆる「救う会」のシンボルであるブルーリボンを身に付けて礼拝に参加していた。
そして、毎週の礼拝の際には拉致被害者奪還のための祈りを信徒全員が心を一つにして熱心に取り組んでいたことを鮮明に記憶している。

この教会の牧師さんは当時、「救う会」ともコンタクトを持っていたらしく、信徒のなかにも横田めぐみさんの母親であり熱心なクリスチャンでもある横田早紀江氏の知人という女性もおられ、教会全体が一丸となって拉致被害者の奪還に祈りと献金をもって取り組んでいたという印象が強く残っている。

当時、彼らや彼女らは拉致被害者奪還をめぐって北朝鮮にたいして妥協せず、“拉致被害者の救出に政治生命をかけていた”当時の安倍晋三官房副長官を手放しに評価・礼賛していたが、彼らや彼女らにとっては安倍氏が政界での唯一の希望の星であったようだ。

だが、「救う会」とは正式には“北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会”の名称を持ち、北朝鮮の体制打倒という偏狭なイデオロギーを特徴とする極右の政治運動組織であり、政界では安倍晋三などタカ派として知られる自民党の右派議員集団などと太いパイプを誇っている。
たとえ、拉致被害者奪還という「人道的」な目的のためであっても、このような好戦的で偏狭なイデオロギーに凝り固まった政治組織とキリスト教会がつながりを持つことに強い違和感を感ずる筆者は、だんだんと教会から距離を置くこととなっていくが、こんなことが障害となって信徒と牧師の交わりや信頼関係に亀裂が入ったことは残念なことと思っている。

また、横田早紀江氏の所属するキリスト教会へ「救う会」との関係など筆者が抱く疑問を電子メールにしたためて質問させていただいたこともあるが、その際の反応は筆者にたいする逆恨みすら感じさせるものがあり、決して誠意あるものとはいえず、キリスト教会の政治的な蒙昧さを強く感じた次第である。

蓮池透氏から学ぶこと
しかし、最近になって拉致被害者家族連絡会(家族会)の元事務局長であり、帰国した拉致被害者の蓮池薫氏の実兄である蓮池透氏が「拉致」という著作を出版し、拉致問題をめぐる日朝交渉の行き詰まりの背景に北朝鮮打倒を主目的とする人たちの影響があることを指摘し、それを一刻も早く克服しないかぎり拉致問題を解決する展望が生まれないと断言していることを筆者は知った。
そして、それと同時に筆者がかねてから思っていたことが的外れではなかったことを確信するにいたったのである。

蓮池氏によると「救う会」は拉致がまだ「疑惑」であった97年当時から拉致被害者家族に対し「支援」という「善意」を積極的に示していたことが被害者家族にとっては大きな恩義となったという。
そして、「救う会」はこの「恩義」をテコに被害者家族のほとんどを「北朝鮮打倒ありき」の政治イデオロギーに取り込んでいった経過を蓮池氏は著書のなかで忌憚なく語っており、この運動がイデオロギーを乗り越えて被害者の救出を第一のものとしながら、右も左も垣根を越えて被害者のために連帯しあえるような運動へと転換していく必要性を語っている。

「北朝鮮打倒ありき」という立場にたち、従軍慰安婦も強制連行も否定し、日本の核武装も北朝鮮への先制攻撃も当然であるとするイデオロギーの呪縛から拉致被害者救出の運動を解放し、どのような政治的立場の人も被害者救出のために連帯しあえる文字通りの全国民的な運動にしていくためにも、この蓮池氏の問題提起は貴重であると筆者は考える次第である。

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