光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

銚子市政について

全議員の合意によって銚子市立病院の指定管理料の減額をおこなった3月の銚子市議会(玉にキズは国保料と介護保険料の引き上げも可決したこと)

銚子市議会の本会議が3月23日に開かれましたが、なかでも注目すべきは市立病院の予算原案に代わる修正案が市議会の全議員の合意によって提案されたことでした。
聞くところによれば全議員合意による修正案を作成するために、非公式の議員会合が二度にわたって開かれたということです。

さて、その修正の中身はと言うと、その使途の不明瞭さが強く指摘されていた病院の指定管理料を原案の2億5千万円から2億円へと減額したことでした。
そして減額の項目を7項目とし、7千万円以上かけて人材派遣会社に丸投げしている広告宣伝費の見直しや高額な法人理事の報酬を第3者評価によって見直すこと、および医師確保を人材派遣会社に頼らず、医科大学や医療機関との連携を推進することなどが盛り込まれました。
また、これとは別に、予算原案にある市立病院への4億円の貸付金の全額を銚子市の赤字補てんによる償還とするのではなく、病院自身の経営努力によって近い将来に黒字を生み出して、それを原資として償還すべきことが提案されました。
今までのように発生した赤字をすべて銚子市が無条件で補てんしていたら、指定管理団体である再生機構の側にコスト意識がはたらかず、経営改善努力もおこなわれないからです。

さしあたり、この修正予算案が議会の満場一致で可決されましたが、議会がどんな議決をしても「原案執行権」で平然と青天井の赤字補てんをおこなってきた野平氏長がどんなリアクションをするか見ものといったところです。
(その後、判明したところによると指定管理料はいわゆる義務的経費には該当せず、市長の「原案執行権」の対象にはならないようです。この5千万円はいったん予備費の中に繰り入れられますが、年度途中での復活という芸当を野平市長のことですから考えるかもしれません。)

また、市立病院では3月の末に6人の医師が辞めることが判明しており、さらには4月末にもう1人医師が辞める予定になっています。
斡旋した医師の年収の20%に相当する紹介手数料が人材派遣業者に支払われる仕組となっているようですが、マッチポンプで医師を次々と辞めさせて、紹介料の一部をマージンとして稼ぐのが再生機構の目的なのかと思わず邪推してしまいます。
確かなことは、こんなにも頻繁に医師が辞めていく現状では、いつまでたっても二次救急のできる病院の実現は不可能ということです。

銚子市の一般会計(税金)から近隣市なみの「法定外繰り入れ」をすれば値上げは避けられた国保料について!
また、今回の銚子市議会に提案された主要議案の一つが国民健康保険料の6.5%引き上げ案です。
これが実施されれば、銚子市の標準世帯で40万円以上の負担となり、近隣の旭市の標準世帯32万円、神栖市同35万円、匝瑳市同38万円などと比較して銚子の国民健康保険料がいかに高くなるかが一目瞭然です。
さて、国保料の高騰を抑えているものが市町村の一般会計、言わば税金から国保会計にお金を入れる「法定外繰り入れ」とよばれるものです。
これが国保加入者の保険料を全体でカバーしています。
この「法定外繰り入れ」の金額が銚子市の新年度予算案では9千万円にすぎす、近隣の旭市で5億5千万円、匝瑳市で3億2千万円、神栖市で6億円であり、ここでも近隣市と比較して、いかに銚子市が貧弱かが一目瞭然です。
銚子市も近隣市並みの「法定外繰り入れ」を実施すれば保険料を引き上げる必要はありませんが、議会の多数派の賛成によりこの引き上げ案が成立してしまいました。

さて、議会での引き上げ案採決の際は共産党などの反対の他に、意外にも保守系と見られていたD議員が引き上げ反対の立場を明確に表明しました。これは介護保険料の引き上げ案の採決の際も同じでした。
私は当初、D氏は市長に近い立場の人物かと思っていましたが全然違っていました。こうなれば、今後とも一貫した市民派の議員として活躍していただきたく、エールを送りたいと思います。

追伸
だが、解せないのは国保値上げに反対討論をおこなっていた議員が採決の際には賛成してしまったことです。反市長派として有名な議員の二人がこの矛盾した行動をおこなっています。
再追伸
筆者は国保の件と介護保険料の件がいっしょくたんになりました。確かに国保に反対討論した議員は採決では反対しています。採決は短く、続けざまですから個別の確認が難しく頭の中で混線しました。



銚子市議会の総務企画委員会がまたもや病院予算関連議案を否決しました。野平式病院再生方式に未来はありません。銚子市の津波対策も無策です。

銚子市の3月議会の総務企画委員会でまたもや、昨年の12月市議会に引き続き、市立病院への4億円の貸付金、市立病院の指定管理料2億5千万円、施設整備費1億5千万円を含む市立病院予算関連議案が否決されました。
今後、23日に本会議が開かれますが、このままの状況で推移すれば昨年の12月議会に引き続き、病院予算関連議案が本会議で否決される可能性が高まっています。

だが、野平市長はあまり意に介していないかもしれません。
なぜなら、昨年の12月議会で赤字補てんの補正予算が否決されたときにも、赤字穴埋めは「義務的経費」に当たるとして、地方自治法にもとづく市長の「原案執行権」により、赤字補てん予算をそのまま執行したからです。
今回も同じような論法を使って、使途の不明朗さが散々指摘されている指定管理料2億5千万円もそのまま執行されるのではないでしょうか。
たとえ指定管理者側の過失によって赤字になっても、また、たとえ市議会で否決されようとも、すべては銚子市が負担し、その上限はない(青天井)という仕組みがすでに出来上がっているのです。
今回も市議会がどんな議決をしようが、野平市長は無条件で市立病院に資金を注入し続けることになる可能性は高いのです。

また、市立病院指定管理者(再生機構)は銚子市と救急医療のできる総合病院を5カ年計画によって開設するという内容の契約(指定管理契約)を結んでいます。
現在はこの計画のちょうど2年目が終了しようという時期であり、この計画の進捗状況にたいする「事業評価」が必要なはずです。そして、未達成な点があれば、指定管理者側の責任を明確にしなくてはなりません。それが契約というものです。
ところが、驚いたことに、市の執行部は計画と現実との乖離が余りにも大きくて「事業評価」の対象にならないといいます。
これでは、何でもいいから、とにかく“病院再生”なるものをやってもらう、そして赤字になったらそのすべてを銚子市が負担するということに帰着してしまいます。

そこには契約にともなう責任意識や、まっとうな経営感覚による経営努力が働く余地はありません。これが野平式の病院再生方式であり、これには将来性がないことはすでに明白です。

医師確保は人材派遣会社を介しての裏側での秘密交渉しかないという野平市長の認識について!
また、総務企画委員会での市長発言によれば、医師の世界での銚子市立病院の評判は最悪だそうです。
さらに、その名前を名乗っただけで大学の医局などでは塩をまかれるといいます。
だから、市長や市幹部が大学医局などに正面切って医師の派遣の要請をおこなっても医師確保の可能性はゼロだといいます。
そのため、現状では医局などに表側からはたらきかけることはしないで、再生機構の東京事務所が人材派遣会社をとおして裏側で秘密裏に面接をおこなって、医者を呼ぶしかないというのです。

だが、これでは大学医局などとの信頼関係がますます壊れていくことになり、医師確保の道は狭まるばかりとなります。
また、市長が自身のブログで辞めた医師にたいする非難中傷などを書きたててきましたが、これなどは市長自身の手で医師確保の芽を摘んできたことを意味します。
現在、銚子市立病院の常勤医師は5名しかおらず、他は非常勤のスポット医師で外来の診療を賄っています。
4月の新年度にどれだけの常勤医師を確保できるか、全く不透明であり、増員の気配はありません。
これで3年後に、公約とされた救急医療をおこなえる200床・常勤医師30人の総合病院が実現できるのか、まことに疑わしい話です。

明らかになった津波対策での銚子市の無策ぶりについて!
昨年の3月11日にM9の東北太平洋沖地震とそれに伴う津波が東日本一帯を襲いました。銚子市でも県の発表によれば4メートル以上の津波が一部の区域を襲ったそうです。
さて、それから1年以上が経過した現在、銚子市ではこの痛切な教訓を踏まえてどのような津波対策が講じられたのでしょうか。
だが、10m以上の海抜標識や防災地図の作成、津波避難ビルの指定などを、この1年間でおこなった形跡はありません。大変お寒い状況なのです。
隣の神栖市では津波避難ビルをすでに10数か所確保しており、鴨川市にいたっては30か所を超える津波避難ビルの指定を、この間におこなっています。

また、市内には独居老人が増えていますが、その現状を市が把握せずして、大津波の際の独居老人の避難をどのようにおこなうのでしょうか。避難訓練もしないで災害弱者を守れるのでしょうか。
野平市長のいう“いのちの市政”の現状です。


銚子市議会の3月定例会が開かれましたが、青天井の病院赤字の補てんは変わりません。さらに市民負担の相次ぐ強行も問題です

銚子市の3月議会が始まっていますが、今回もまた、銚子市立病院の指定管理団体(市立病院再生機構)には、世間では当たり前の経営感覚すらないことを痛感することになりました。
昨年の12月議会で、あまりの放漫経営と組織の不透明さに怒った市議会が赤字補てんの補正予算案を否決したにもかかわらず、懲りない野平市長はまたもや、相変わらずの青天井の赤字尻拭い計画を出してきました。
当初は4億円の短期貸付金を再生機構に貸し付けるという名目で9月議会までの資金をつなぎ、9月議会での補正予算によって赤字のすべてを補てんしようというのです。
なんのことはない、年度の前半だけ貸付金という体裁をとるだけで、来年度も赤字をすべて銚子市が負担するという構図は何も変わっていないのです。

また、病院の赤字を放置したまま「病院不要論」へと世論誘導をおこない、直接の住民投票によって病院の存否を市民に問おうというシナリオも用意されています。
だが、病院問題は09年の市長選挙ですでに民意は示されており、野平市長は政治生命をかけて病院再生を成し遂げねばなりません。そのためには議会の理解と協力を得る努力をすべきなのです。いまさら病院の存否を住民投票に問う必然性などまるでありません。
筆者は住民投票制度そのものには賛成しますが、住民投票が急がれるような市政の課題は現在のところなく、住民投票条例制定に向けては1年以上の熟議の期間を設けるべきと考えます。

防災ラジオの設置に一律1000円の負担を求めるとは!(生活困窮世帯や障害者世帯もある)
3月議会で市長が、災害時に住民が防災情報を聞き取りやすくするための防災ラジオを全世帯に導入することを表明しました。
ところが、住民が防災ラジオを自宅などに設置する際には1世帯当たり1000円の負担を住民に求めるといいます。
そして、このことを銚子市町内会連絡協議会の意見によって決めたというのです。
だが、この組織はたかだか町内会長たちによる任意の組織にすぎず、公選されたわけでもない町内会長たちが市政に影響を与えるということ自体がおかしいのです。(これは市議定数の問題でも同じことがいえます)

本来、銚子市は災害の際に防災情報を住民にもれなく迅速に伝えるべき責務があります。にもかかわらず、生活困窮世帯にも一律に1000円の負担を求めるというのは納得できません。さらにすすんでは全世帯無料設置としてもおかしくはないのです。
また、大震災から1年もたつのにいまだに津波避難の誘導表示をつくる動きもないし、津波の際の避難ビルや避難所を確保する努力の形跡もほとんど見られません。

国保料6.4%の値上げ、介護保険料40%以上の値上げ、市民負担アップの計画について!
さて、2012 年度の銚子市予算案には国民健康保険料の6.4%の値上げ案が含まれています。
これが議会を通れば銚子市の国保料は1世帯当たりの年額が平均で20万円を超える水準となります。
国保料が高くて払いきれない世帯は直近で2700世帯にものぼっており、これには長引く不況で市民の所得が年々低下していることがその背景にあります。
野平市長は「受益者」に負担してもらうのが筋と言いますが、1984年を起点にして国保の経費にたいする国の負担割合が50%から今や24%にまで落ち込んでしまったことに国保料が跳ね上がる元凶があります。
国や銚子市が国保への財政支援を増やして加入者の負担を軽減するべきであり、国保の滞納を理由とした無差別の差し押さえ(銀行預金など)や保険証の取り上げはやめるべきです。

また、介護保険料を40%以上も引き上げる計画が3月議会に提案されています。
2000年に導入された介護保険制度は3年ごとに市町村が作成する介護保険計画で介護保険料を決定する仕組みとなっており、今回作成された第五次の銚子市介護保険計画には40%以上の介護保険料引き上げ案が含まれています。
(11年度月額2863円→12年度月額4025円)
介護保険料の全国平均は5000円を超えており、周辺市も4000円台で今回の値上げ案は高くはないと市側は言いますが、それならば銚子市の介護保険では負担と給付がつりあっているかどうか、「負担あって介護なし」となっていないか検討すべきです。

追伸
話は変わります。
今度の市議会でも一部の市議は再生機構の“東京本部長”田中肇氏の報酬の高さを問題として、これに焦点を絞っての激しい野平市長批判をおこなっています。
たしかに、医師でも理事長でもない田中肇氏に市民の税金から年間2千万円(月170万円)を超える報酬が支払われることは、この人物の日頃の振る舞いが謎に包まれていることなどを考えれば問題とすべきでしょう。
だが議会での一般質問をこの問題での集中攻撃に活用することは感心できません。このようなやり方は一部の反市長の急先鋒の人々にはうけるでしょうが、多くの市民の共感を得られるとは思いません。
市議会の議論は「劇場政治」の場ではなく、市民にとってもっと切実な問題が他にも少なからずあります。
また、病院問題についても、もっと大所高所からの建設的な議論を望みます

銚子市立病院の現状と問題点とはなにか、および野平市長の品格が問われかねない個人ブログや広報の私物化に思うこと!

銚子市立病院が昨年の5月に再開してから1年3ヶ月以上がたとうとしています。
再開した当初の常勤医は笠井源吾氏のみ、診療科目も内科の外来診療のみであり、再開した当初の月の患者数は196人にすぎませんでした。
だが、今年の7月時点での診療科目数は6診療科目に増えており、常勤医も7名へと増員されています。また、4月に再開した入院病床も6月には延べ入院患者数が200人を超えており、外来患者数も6月には3442人へと急増しています。
なかでも外来患者数はこの1年余りで十数倍へと右肩上がりで急増しており、市民目線で見ると順調に病院再生はすすんでいるかのような印象を受けます。

また、市が決定した五ヵ年の病院再生計画は2014年度に10診療科目、30人の常勤医、200床の総合病院を実現することを目指したものですが、現状はこの計画における初年度の目標の4診療科、7人の常勤医、50床をクリアしているようにも思えます。
こう見ると病院の再生は順調にすすんでおり、市立病院事業再生機構を発足させて「公設民営」の方式ですすんできた野平市長の病院再生の手法は予想外の成果をあげているかのようです。

病院再生の成功で強気となった野平市長と個人ブログや市広報でのその逸脱ぶりについて!

さて、前市長が病院を休止させた直後には、一度潰した病院の再生はほとんど不可能であることが識者の間では公然と語られていました。
「もう二度と再建できないだろう」、「ゼロからのスタートではなくマイナス100からのスタートだ」等々
このような言葉が識者の間から頻繁に口をついて出ていたのもこの頃のことでした。
だが、市長選挙にも圧勝し、当初の識者たちの予想にも反して奇跡的に病院再開にたどり着き、病院の“成長”までも実現しているのですから、現在の野平市長が自信に満ち溢れ強気になっていることも理解できなくはありません。

野平市長の個人ブログを読むと、政治的なライバルたちを「品格異常者」、「暴力議員」などと切り捨てており、その強気ぶりはとどまるところを知らないようです。
また、病院再開のために献身したK元院長のことをボロクソに誹謗中傷しており、市長自身が三顧の礼を持って迎えた病院再開の最大の功労者であるK元院長への配慮は微塵もありません。
銚子市長の看板を掲げ顔写真まで掲載した野平市長の個人ブログではありますが、その筆の矛先はあまりに強気すぎて市長自身の品格が問われかねないところまでエスカレートしています。

また、近頃では銚子市の広報の一部を私物化して「市長のつぶやき」なる欄を常設しており、直近の8月号では政敵のK議員を根拠もなく「病院休止条例の提案者」などと完膚なきまでにこき下ろしています。
だが、有料地元紙の社主でもあるK議員にたいする批判はもはや批判の域を超えており、有料地元紙の記事を「政治主張記事」と断言し、有料地元紙は個人ブログではないと言い張る市長自身が銚子市の広報を個人ブログと勘違いしている模様です。
市役所の内部には市長による広報の私物化を咎めて、諌める人がいないのでしょうか。
現在の市執行部の幹部職員はすべからく市長の前では「蛇ににらまれた蛙」のごとき情けない人たちばかりなのでしょうか。

再開後の市立病院の抱える問題点の数々と2次救急の出来る病院実現は市長の最大の政治責任であること!

さて、本題の病院の問題に戻りますが、一見順調な道をたどっているかのごとき市立病院もその内情を見ると問題点があまた見受けられます。
まず、病院の経常収支は2010年度には収入が約3900万円なのに対して、支出が約1億9300万円に達しており、差し引きで約1億5400万円の赤字が計上されています。
これが昨年の5月の再開から今年3月までに累積した経常赤字であり、「小さく生んで大きく育てる」という方針のもとで再開した病院ですから、多少の赤字はやむをえないとしてもこの金額が妥当かどうかは厳しい検証が必要です。

また医師確保の点でも人材市場での金銭に頼った医師確保は行き当たりばったりのものが多く、もっとも大事な診療科目の一つである小児科の医師の確保には成功していません。
また、お金でかき集めた医師たちの間でチーム医療が機能するかどうかもきわめて疑問であり、なによりも医師確保に戦略性がありません。
また、未確認情報ではありますが、医療法人である病院再生機構に降り込まれた指定管理料の一部が迂回ルートを通して東京本部長の田中肇氏の個人口座に振り込まれ、事業資金に転用されたという噂話も巷間でささやかれています。
今は輝かしい「成果」と「病院成長」の影で目立つことのないこれらの問題点ですが、近い将来に顕在化することは避けられないと思います。

だが、これらの問題がどのように表面化してこようとも、2次救急の出来る病院の実現は野平市長の政治責任のかかった最大の問題であり、これは万難を排して実現してもらわねばなりません。
地域医療の中核病院および2次救急の出来る病院への再生は市民の最大要求であり、野平市長の政治公約でもありますから、そのすみやかな達成が求められます。

銚子市文化講演会に見た野平市長や千葉科学大学学長および商工会議所会頭らの「原子力村」にたいする追従と親和性について

affiliate_pic01さる7月29日に東北大学エネルギー安全科学国際研究センターから近藤達男氏を招いての銚子市文化講演会が開かれました。
今回の銚子市文化講演会の講師の近藤氏は履歴によれば日本原子力研究所で燃料・材料工学部長として長い期間仕事をしており、調べるとこの組織自体が原子力推進派の中核的な組織としての役割を担ってきたことがわかります。

また近藤氏と同じくかって日本原研に属し、動力試験炉部長として仕事をしていた人物が現原子力研究所東海研究所の石川迪夫氏です。
石川氏は過去に“原子力の最高権威者”として「原発で事故など起こりえないんです」と有名なテレビの討論番組で頑強に主張した人物でもあり、この期におよんでも出演したテレビ番組で「浜岡原発はやめる必要なし。マグ二チュード9でも福島は持った。浜岡も心配することはなく津波は電源さえきっちりしておけば大丈夫」などと押しの強い態度で言い放っている原発推進派のリーダーなのです。
そして、かって石川氏と同じ組織に所属し、高い地位にいた人物が近藤達男氏ですから、この履歴からも近藤氏が原発推進派の中枢に位置する人物であることが明白なのです。

また、原発は一基つくるのに5千億円もかかるビッグビジネスであり、電力会社、原子炉メーカー、大手ゼネコン、大銀行などの企業群と原発推進の政治家、特権官僚、御用学者および一部の商業メディアなどがその利益を享受しています。
そして、この利権集団は異論を排除した「原子力村」という集団を形作っており、この「村」のなかで御用学者群の中枢に存在しているのが近藤達男氏なのです。

野平市長の無二の親友である仲田博史氏が仕切った出来レースの銚子市文化講演会!
さて、開催された文化講演会の様相ですが、驚いたことに野平市長の旧後援会長で無二の親友でもある仲田博史が進行役をつとめており、千葉科学大学の学長と銚子商工会議所会頭および野平市長が主催者として紹介されています。
いわば銚子の“産官学共同体”がこの講演会の主催者であり、この集団が「原子力村」の中枢にいる近藤氏を講演会の講師に招いたのです。
また、この事実により銚子市長を筆頭としたこの“産官学共同体”が「原子力村」ときわめて親和性の高い存在であることもわかるのです。

ところで講演会の内容は最初から最後まで原子力をめぐる一般論のレベルにとどまり、このレベルの話では原発推移派であろうが、原発廃絶派であろうが大きな差がでるものではないのです。
こうして原子力の一般論をまくし立てることで原発に不安を持つ聴講者の市民を煙に巻きながら質問をしにくい状況をつくりだし、進行役の仲田氏があらかじめ打ち合わせたとおりに質問者を指名していったのです。
この質問者の中には野平市長本人や野平チュルドレンとおもわれる人もおり、この進行の仕方には原発をめぐる住民説明会であらかじめ賛成派の住民に根回しをおこない“やらせ質問”を連発させて原発容認の誤った世論を作り出した電力会社や原子力安全保安院などのやり方を髣髴とさせるものがあるのです。

さて、この講演会の最後に近藤氏が何気なしに重大な発言をしています。
それは放射能汚染を心配する銚子市民の不安を“解消”する目的で、近藤氏の影響力が強く原子力推進機関でもある原子力開発研究機構から汚染調査をおこなう専門家を派遣するというのです。
そして銚子の放射能汚染の問題を専門に扱う担当者をこの組織の中で育成するというのです。
これは福島県から放射線健康管理アドバイザーとして招聘されながら、高度の放射能汚染におびえる福島県民にむかって「放射能は浴びても心配ない」と連呼し、福島県民をだまして被ばくを受け入れさせた長崎大学の山下俊一教授のような役割を果たす人物を銚子に送り込むことに他ならないように思えます。

これから数十年の長期間にわたって放射能汚染が続くことが想定される銚子市ですが、長期間にわたる低線量被ばくの危険はチェルノブイリの子どもたち(病気の花束)の現実からも明白です。
野平市長を筆頭とした銚子のミニ原子力村でもある産官学共同体の有害な役割には警戒心を強めねばなりません。
そして、市民は放射能による健康被害から自らを守るための自律した行動を強めなくてはならないでしょう。

銚子市での放射線測定のデータを見て感ずること(銚子市教育委員会へのお願い)

銚子市は福島第一原発の事故による放射能汚染の拡がりを受けて、市内の学校などの施設(34ポイント)において大気中の放射線量の測定を始めました。
6月3日に第一回目の測定がおこなわれてからは毎週一回のペースで放射線量の測定をおこなっており、7月15日現在では七回分のデータが銚子市のホームページなどで公表されています。
これらのデータをみると対象となった施設の平均値が毎回のごとく1時間当たり0.14マイクロシーベルトを越えており、福島原発の事故前の通常の自然放射線量である1時間当たり0.5マイクロシーベルト前後という数値をことごとく上回っています。
このことは明らかに銚子市内のすべての地域が福島原発からの放射性物質による人工放射線の影響を受けていることを物語っており、福島県内の主要都市の10分の1前後のレベルであったとしても、あらゆる場所が放射能で汚染されていることを示しています。

日本では一般の市民が放射線による健康被害を受けることがないように法律によって放射線の被ばく限度量が定められており、1年の累積で1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超えてはならないことになっています。
これを1時間当たりの放射線量に単純に換算すれば1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)÷365日÷24時間≒0.11マイクロシーベルトとなりますが、銚子市の学校施設での放射線量の平均が1時間当たり0.14マイクロシーベルトであることの意味をこの数値と照らし合わせたうえで深刻に受け止めるべきだと思います。
また、銚子市の測定には食べ物や水や呼吸などによって放射性物質を体の中に取り込み、体の内部から放射線を浴びる内部被ばくは含まれていないのです。

銚子市教育委員会の対応には児童生徒の健康被害への危機感が欠落しています!
さて、私がきわめて残念に思うのは、この測定値にたいして銚子市の教育委員会は文部科学省の示した暫定基準値である1時間当たり3.8マイクロシーベルトを下回っているとの説明を繰り返していることです。
この教育委員会の説明には放射能汚染にたいする警戒感や児童生徒の健康被害への危機感がまったく感じられません。
しかし、この文部科学省の示した1時間当たり3.8マイクロシーベルトという暫定基準値は、文科省の計算で1年分に換算すると20ミリシーベルト(20000マイクロシーベルト)になるのです。
これは法律で決められた被ばく限度量の20倍という危険なレベルの放射線量を子どもに強いるものであり、さらにこの数値は原発労働者が白血病を発症し、労災認定を受けるほどの値でもあります。
また、原発被災地の福島県では児童生徒の保護者の間で、こんなとんでもない数値を示した文科省にたいする怒りが爆発し、文科省前での連日の抗議行動に発展したといういわくつきのものです。

ゆえに銚子市教育委員会におかれましては、この文科省の暫定基準値なるものを目安とするのではなく、現行の日本の法律で決められた1年1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)という法定被ばく限度量を目安として、児童生徒の健康を放射能による被害から守っていただきたいと思います。
そうすれば銚子市内で実測された1時間当たり0.14マイクロシーベルト(0.14×24時間×365日=1226マイクロシーベルト/年)という数値がきわめて深刻なものであることに気付いていただけるかと思います。
そして、汚染の深刻さに気付いていただければ、児童生徒を危険な内部被ばくから守るために学校給食では放射能汚染のない食材を使用すべきことや、目に見えない放射性物質が染み込んだ校庭での野外活動を制限すべきことなどの安全対策が必要なことを認識していただけるかと存じます。

さて、教育委員会は一般行政からは独立した権限を持っており、子供の安全と健康を守るために自らの判断で独自の施策を展開することができます。
銚子市教育委員会におかれましては児童生徒に高線量の被ばくを強要する文科省の暫定基準値にとらわれることなく、法律で定められた被ばく限度量(年1ミリシーベルト)を基準にした安全対策をとっていただき、放射線による健康障害から一刻も早く児童生徒を守るべきだと思います。

銚子市の新学校給食センター建設には入札と土地購入の両面に解明すべき問題があります

なぜ入札の際に3億円ほど高い業者を選定せねばならなかったのかという問題!
さて今回、このブログではガラッとローカル色を強めて話題の新学校給食センターの建設のことを取り上げて見たいと思います。
現在すすめられている新しい銚子市学校給食センターの建設・運営は二箇所に分散していた給食センターを一箇所に統合し、経費は54億円、規模を5千食とするものであり、民間資金を利用して民間企業に公共の施設の整備とサービスの提供をゆだねるPFI方式によってすすめられています。
また、この方式ゆえに銚子市がさしあたっては一円のお金がなくても施設の建設が可能になったともいいます。(そのかわり、すべてツケによる分割後払いとなります)

さて、今回の新学校給食センターの建設では入札の際に二業者が名乗りを上げましたが、不思議なことに入札で高い金額を提示した業者(東洋食品)が落札業者として選ばれました。それも3億円ほど高い金額を提示した業者が選定されているのです。
どうもPFI方式には入札の際の明瞭さが著しく欠けるという特徴があるようですが、それにしても3億円近い無駄な出費をしても、入札業者が東洋食品でなければならなかった理由はどこにあるのでしょうか。

そもそも今回の入札で落選したのは(株)長大と言う企業ですが、この会社は東京日本橋に本社があり、資本金が32億円のまっとうな一流企業、大企業であるといいます。
もともとは大型の橋梁メーカーであったそうで、最近は公共土木工事の減少によりPFI受注に重きを置いた戦略をとっている会社だといいます。
いわば、東洋食品と比較してもまったく遜色のない相手であり、比ゆ的に言えばヤマサの醤油とヒゲタの醤油のどちらかを選択するようなものであったと思われます。
ヤマサ醤油とヒゲタ醤油の場合であれば、品質の面で選ぶところはありませんので、我々が買い物をする場合には、どうしてもお値段が安い方を選ぶことになります。
だが、今回の新学校給食センターの入札の際にはこのまっとうな論理が働かずに、3億円ほどお値段の高い業者が選定されているのです。

野平市長は氏のブログで何故、高いほうの業者が選ばれたのかについて事細かな説明を試みていますが、説明が細かいほどに、どうも不自然で恣意的な選択であったとの印象を免れません。
http://blog.nohiramasakuni.com/?day=20110625
甲乙つけがたい力量を持った業者の間で、こんなにも評価の点数で差が開くということ自体が不自然であり、常識的に考えてもヤマサとヒゲタの醤油の間に品質の面でこれだけの差がつくとは思えません。
入札の前に事実上落札業者が決まっていた気配を感じさせるものがあり、PFI方式の持っている不明瞭な本質がここにも現れています。

幸い、このPFI契約は現段階では仮契約ですから、6月30日の銚子市の本会議でこのPFI契約議案を否決しても違約金の支払い義務は発生しません。
ぜひ、本会議場に傍聴者として押しかけて賛成議員にプレッシャーをかけましょう。

洪水の危険が指摘されており、購入プロセスが不透明な建設用地の問題について!
また、新学校給食センターの建設用地をめぐっても、不明瞭な購入プロセスが昨年の6月議会で浮かび上がっています。
昨年の6月議会で補正予算に計上されたのが新学校給食センター土地購入費でしたが、それまでに新学校給食センターの建設予定地については県・市有地を含む六箇所の候補地が上がっていたのです。
だが、教育委員会は昨年の6月議会が始まるまで、候補地の所在地や選定過程などいっさいを明らかにせず、議会がはじまってから、それまで候補に上がっていた土地を議員にあわてて知らせるといった有様だったのです。

だが、事はそれにとどまらず、今度は建設予定地として大橋町の民有地を1億2千万円で買い上げようという補正予算案が市当局から唐突に提案されたのでした。
これでは議員の間から、新しい学校給食センターの建設用地を取得するのであれば、既存の市有地の有効活用を第一にはかるべしという意見が噴出してきたのは当然でした。
だが、いったん多数議員の反対で否決された大橋町の土地購入議案は、市長が議会の決定に異議があるという名目で、再度本会議にかけてゴリ押ししたのです。

そして、今回の3月11日の大震災の教訓を経て、曰くつきのこの土地は銚子市自らが作成したハザードマップで津波・洪水等の危険の知らせが明確に示されている事実が判明したのです。
銚子市が津波・洪水の危険性を警告しているその土地に、今度は銚子市自らが公共施設をつくろうというのですから驚きです。
学校給食センターの建設予定地は安全な場所への見直しが必要であり、6月30日の本会議でPFI契約議案を否決することがこの理由からも必要です。
ぜひ、本会議場に傍聴者として押しかけて賛成議員にプレッシャーをかけましょう。

追伸
今度の6月議会で新学校給食センター建設の契約議案が否決されても、旧来の施設は稼動し続けるのであり、学校給食の空白は生まれません。
ましてや児童生徒が近い将来に弁当持ちを強いられるということもありません。
某新人女性議員が今の学校給食センターは“不衛生で子どもがかわいそう”だからと、新学校給食センターの契約議案に委員会審議の場で賛成したそうです。
これは給食の衛生面に心を砕いている給食センターの職員の方々に失礼だと思います。

本会議の議決結果について
新学校給食センター建設契約議案が6月30日の午前中の本会議で審議されました。
討論では釜谷藤雄議員が賛成討論に立った他は、三浦真清議員、宮内和宏議員、越川信一議員、加瀬庫蔵議員、桑村邦博議員による5人の反対討論がありました。
反対討論の主な内容は建設予定地の見直しや経費のかかるPFI方式の問題、将来は児童生徒が3千人台に減少することが明白なのに、ここで5千食規模の新給食センターをつくることへの疑問などでした。
だが、採決の結果は、討論をせずにダンマリで通した議員の賛成多数で新給食センター契約議案は成立してしまいました。
また、傍聴者がいまいち少なかったことも気になります。
大事な節々の議会審議に関心を払わない市民が議員を減らせだとか、議会の構成に口をだすことには熱心な傾向があります。
これではダンマリ議員の比率を増大させるだけです。
先日の市会議員選挙では市立病院の休止に賛成した議員が一人でも落選したでしょうか。
それどころか定数を5人も減らしたのにもかかわらず、休止に賛成した議員は皆当選しています。
その結果、市執行部の議案には何でも賛成のダンマリ議員がその比率を高めました。
議員定数を減らすことだけに熱中するような愚論はもういい加減にやめましょう。



野平新市長返り咲きと病院再建に関して(新市長は自らの構想をいったん白紙に戻したうえで有識者や市民の意見を聞くべし)

野平氏大勝の要因について
5月17日におこなわれた銚子市長選挙は夜遅くに大勢が判明し、野平匡邦氏の当選確実がマスコミを通じて報道された。
そして、確定開票結果では野平氏が15,289票を獲得し、7,969票の次点岡野氏にたいしてダブルスコアに等しい大差をつけての返り咲きを果たしたのである。

私にとって、この投票結果はとりあえず想定の範囲内であったが、だが想像以上の野平氏の大量得票は驚きであった。(これほどまで大差がつくとは予想していなかった)
なぜ、リコールと選挙の総決算が、これほどまでの野平氏の大量得票という結果に終わってしまったのであろうか。

この予想外の結果の最大の要因はリコール推進派の“分立”ではなかっただろうか。
昨年の10月に「市民の会」を立ち上げたリコール推進派は組織的なリコール運動を開始した。
だが、「市民の会」は「公設公営での病院再開」という切実な願いから加わった住民有志だけで構成されているわけではなかった。
市長ポストという権力の座への執着心から、リコール運動を足場にしてその座を手に入れようという思惑をいだいた党派も混じっていた。
彼らはリコール運動のなかで影響力を拡大して、「市民の会」を自らの思惑を実現するために利用しようとしたが失敗し、結局は「市民の会」から離脱していったのである。

また、リコールを推進したのは1800人以上に及ぶ受任者であったが、岡野市長解職から選挙までわずか50日という期間しかなかったこともあり、受任者の圧倒的多数の合意にもとづいて「市民の会」候補者を選出するには時間がなさすぎた。
このことが、一部の受任者グループの間に「市民の会」への不信感を醸成してしまい、松井医師の出馬という事態へと発展していった。

このような経過をたどって、いわゆるマスコミ報道のいう“リコール派分立”という事態になったのであり、事態は複雑な様相を呈していた。
だが、そこにいたる経過の是非はともあれ、“リコール派分立”はリコール運動を主導した「市民の会」の選挙戦での影響力を大きくそいだことは否定できず、私はこれが野平氏大勝を招いた最大の要因であるように思う。

また、リコール運動に“参加”した候補者の得票を全部合計しても、野平氏の得票には遠く及ばないことは、野平氏大勝の要因のすべてを“リコール派分立”に帰着させることができないことを浮かび上がらせる。

私は野平氏大勝のもう一つの大きな要因が、リコール派候補者が病院再開に対しての明確で具体的なビジョンを示せず、市民が求めるものに応えることができなかったことにあると考えている。

「少ない診療科目でも早期に再開するよう努め、段階的に充実させ、最終的に総合病院化をめざします」
これが「市民の会」候補者の病院再建へのビジョンであるが、中身が抽象的であり最後まで具体的なビジョンへと発展させることができずに終わってしまった。
また、再開した病院に市民が求めるものは24時間救急患者を受け入れることのできる病院であり、そのためには充実した医療スタッフと診療科目を備えた地域の中核病院の早期再開が必要だが、「市民の会」候補者の病院再建構想はこれに応えることができなかったのである。

このように、私は“分立”選挙病院再開構想の弱点がリコール派候補者の市長選挙での敗北を招き、野平氏大勝の流れにつながっていったと思う。
ともあれ、過去は取り戻せない以上、今は野平氏大勝という現実を踏まえ、リコール運動に結集した市民の一人ひとりが今後どのように対応していくべきかという問題こそ検討すべきである。

今後の病院再開について(新市長に要求すべきスタンス)

今回の選挙結果は、公設公営(市直営)での病院再開という選択肢がひとまず消え去ったことを意味しており、このことに異論はないはずだ。
となると、問題は病院を再開するにあたって、公設公営(市直営)を除く公設民営などの経営形態のなかから、いずれを選択することが市民にとって最善なのかということに問題の焦点が移ってくることになる。
野平新市長の言う「数千人の医師を抱えて、全国の公立病院の再建を請け負っている実績のある団体」なるものに病院再建を委ねてしまっていいのかが問われるべきである。

伝え聞くところによると150億円で新たな病院をつくり、自治医科大学あるいは徳州会病院を招聘するということであるらしいが、果たしてそれでいいのか。
野平新市長はかって大学を招聘する際に、議会を無視し、市民の意見も聞かずに独断で加計学園と交渉し92億円の補助金を勝手に決めてしまったが、このような愚がふたたび繰り返されてはならないのである。

野平新市長は病院再開に際して自らの“構想”に拘泥することなく、議会や有識者・市民有志などから幅広く、どのような経営形態で再開するか、そして、その際の市民負担のあり方などに関して、多数の市民の合意が得られるまで議論を重ねるべきである。
そして、その全市民的な論議のなかからベストの再開方法を選ぶべきであり、市民や有識者の意見を無視した独断専行の手法を今回こそは封印すべきなのである。

私は公設公営原理主義者であったが、今回の選挙結果を踏まえれば公設公営(市直営)での病院再開という選択肢は消え去ったこともあり、元総務省公立病院改革懇談会座長であり、山形県の酒田市民病院や県内の国保成東病院、鋸南町病院の再建に辣腕をふるい、なおかつ元市立病院医師の松井氏の強力サポーターもつとめた“公立病院再建のプロ”である長隆氏の指導をあおぐことも一概に否定すべきではないと思う。

長氏によると、昨年、政府が1病院あたり1億円の財政支援を決め、またそれに合わせて1病床あたり50万円の追加財政支援が決まり、市立病院の病床数400で換算すると2億円のお金が出ることになったという。
そして、この合計3億円の国からの財政支援を、そのままそっくり医師の招聘に使うことで医師の確保はできるらしい。

また、今回の政府の緊急経済対策15兆円のなかには公立病院むけの再生資金が盛り込まれており、これを使えば銚子市立病院の復活は早いとも聞く。
きわめつけは、これらの手段を使って独立行政法人化をおこなえば、病院再開に当たっての銚子市の財政負担を大幅に減らすことができることである。

これらは長隆氏の受け売りであるが、氏の提唱する再建方法も有力な選択肢であると思うし、私には少なくとも、野平新市長の言う銚子市の財政負担150億円つきの「再建策」よりはベターであるように思える。
とにかく新市長は独断専行を封印し、幅広く市民有志・有識者や議会の意見にたいして謙虚になって耳をかたむけるべきだ。

そのためには自身の“構想”をまず白紙に戻すくらいの心構えが肝要である。

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病院休止の責任は市長選挙の争点である。(岡野俊昭前市長の独断専行ぶり)

岡野前市長は2008年度(平成20年度)予算を決める際に、市立病院への繰り出し金は「9億円」以上びた一文も出せない、年度の途中で資金不足をおこしても市は支援せず、その時点で“業務停止”との理不尽な姿勢を押し通し、このことは危機を乗りきって病院経営の再建に奔走していた当時の病院長を辞職へと追いやる。(「燃え尽きてしまった」という言葉ともに!)

さらに病院長の辞職は波紋を呼び、市当局の態度に不信を募らせた多数の医師が連鎖的に辞めていく事態へと発展する。
こうして2008年の4月以降、病院長をはじめとした多数の医師の退職は病院の収益の減少を招き、光明の見え始めた病院経営は暗転して、年度途中での7億円の資金不足という事態が発生した。

この窮状のなかで岡野前市長は7月3日に県知事とのトップ会談をおこない、市立病院の公設民営の方針をかためたが、翌日には「もう病院には残る医師が一人もいません」という副病院長の言葉をうのみにして9月末の全面休止をたった1日で決定してしまう。
後にこの副病院長の言葉はまったくでたらめであり、少なくとも前市長が知事との会談をおこなった3日の時点では、残ることを希望している医師が少なからずいたことが判明している。

前市長がこれほどの重大な決定に際して、ただ副病院長の言葉をうのみにするだけで、医師一人ひとりにその意思を市長自ら直接に確認しなかったことは、誤った情報にもとづく誤った判断というほかはなく、それにより市民の命と健康を守る行政のトップとしての責務を投げ出してしまった無責任ぶりはあまりにも重大だ。

また、この唐突な休止決定に際して、前市長は病院を継続した場合と年度の途中で休止した場合とのそれぞれの財政負担がどうなるのか、慎重に比較して検討を重ねた形跡はない。
前市長は病院をこのまま継続したら多額の財政支援が必要になり「夕張のようになる」とただ繰り返すのみで、9月末で休止した場合の財政負担とその財源手当の問題については考えつかなかったらしい。

このため、休止を決めて4月再開を目指す新方針を打ち出した時点になってようやく、2008年度以降23年間で清算のための経費が64億円にもなり、そのうち今年度だけでも23億円が必要になるという重大な事実に気づく。
休止のための費用が病院継続のために必要な額をはるかに上回る事実を知り、前市長は“後の祭り”で狼狽するが、それでも病院休止を撤回することはなかった。

この結果、病院を現状のまま継続するのに必要な追加資金7億円は出せないが、休止するための巨額な清算金は出せるという理不尽な事態となり、年度の途中での病院休止はまったく筋の通らない話であることがここでも浮き彫りとなる。

また、病院の年度途中での突然の休止は長期間の空白を生じさせ、医療と雇用を乱暴に寸断してしまう。

市立病院は市民の命と健康を守ることを第一の仕事としている地方自治体の病院である。
仮に前市長が新たな経営形態での病院の存続を真剣に模索していたならば、患者や市民および病院職員に不安を与えずに、最低限でも医療難民と医療空白を生み出さないで経営を移行させる責任があったが、前市長のなりふり構わぬ「9月末休止」の強行は医療空白と多数の医療難民を生み出してしまう。

また、病院休止決定の直後に医師や薬剤師など市民有志が(仮称)市民病院設立の共同提案をおこない、医療空白が生ずることで生まれる市民の不安を一刻も早く解消するために、新病院の早期再開をめざそうとする動きが芽生えた。
だが、前市長はこの市民有志によるせっかくの共同提案にも前向きの態度を取ることはなく、最後まで門前払いに等しい頑なな態度に終始し、医療の空白期間を作るまいとする市民有志の必死の試みをつぶしてしまったのである。

2008年の7月4日に突然の病院休止の決定をおこない、「病院の存続」を求める市民の署名が一ヶ月で約5万筆も市長に提出されたことをも無視して、市民の不安をよそにそれを強行した岡野前市長の政治責任は重大である。

だが、岡野前市長はいまだに“病院休止は銚子市と市民の生活を守るためであった”と強弁し、リコールによる市民の審判をも無視して、ふたたび選挙に出馬し返り咲きを狙っている始末だ。

今回の市長選挙は、突然の病院の休止決定と市民の圧倒的多数の声を無視しての強行という岡野前市長の横暴な市政運営の責任が問われることになるだろう。
リコールの結果を生かすためにも岡野再選は“ありえない話”である。

病院休止への道を自ら敷き詰めた岡野俊昭前市長(岡野氏の政治責任とは!)

岡野市政誕生からほぼ一年がたとうとしていた2007年(平成19年)の7月に、銚子市立病院ではほとんどの病院スタッフをして「今月で病院は閉鎖になってしまうのでは!」と思わせるほどの経営危機に直面していた。
これは、新臨床研修制度の導入と医療費削減を狙った厚労省の診療報酬の切り下げという背景のもと、野平元市長による病院長の給与削減をきっかけとして、医師の派遣元である日大が医師引き上げを始めたことに起因していた。

医師1人が1億円以上の医業収入をもたらしていた市立病院の台所事情からして、多数の医師の退職は病院存続にかかわるほどの危機的な状況をもたらすこととなる。
だが、岡野前市長を先頭にして、病院長や事務局長をはじめとした病院スタッフが懸命の努力で病院経営の再建に奔走し、1年間で常勤医5名、非常勤医6名を配置した。
これは全国的にも例のない医師の確保であり、医療専門誌などでは「経営危機から一転光明」と報道され、奇跡的ともいえる病院の再建が始まった。

閉鎖寸前の病院は立ち直り、経営の困難を抱える多くの自治体病院の関係者が視察に訪れるほどになる。
そして、2008年度(平成20年度)には「24時間救急の受入体制の確保」や「人間ドッグの再開」などを目標に持った「病院事業健全化計画」(2007.10月作成)が病院スタッフの手によって練り上げられ、病院再建はいよいよ軌道に乗り始めるかのように見えた。

だが、このころから岡野前市長の態度が変わり始め、 “病院潰し先にありき”の民間コンサルタントに「病院事業健全化計画」の調査(400万円)を依頼する。
この調査依頼に託した前市長の意図は病院復活を否定する調査結果を出させることにあり、期待どおりの調査結果を受け取った岡野前市長は、病院が市財政を悪化させている最大の原因と位置づけ、病院立て直しの中心であった事務局長を解任した。

このことは「私の片腕を取られた。病院は良くなったのに市長をはじめとした執行部は認めない。このような状況で私に何ができるか」と嘆く病院長をも2008年の3月に辞任へと追いやった。
この病院長の辞任はさらに波紋を広げ、前市長の態度に不信感を募らせた医師が連鎖的にやめていく事態にまで発展する。

病院が立ち直っては困るかのような岡野前市長の態度の豹変は不可解であり、コンサルタントの言い分を一方的に信用し、現場の実態を熟知した病院スタッフの作成した計画を否定した岡野前市長の振る舞いは、医師不足と財政難から復活を遂げようとした病院スタッフの懸命の努力を踏みにじるものであり、多くの人材の流出を招いた。
また、このことが必然的に4月以降の市立病院の経営危機の到来を招くこととなってしまう。

ところで、野平元市長の施策をきっかけとしてはじまった2006年度(平成18年度)における医師の大量退職は病院経営を大きく揺るがしたが、これを再生するには病院スタッフの懸命の再建努力とともに一定の資金と時間が当然に必要になる

事実、2006年度においては市から病院への規定の9億円の繰り入れ(資金投入)では足りず、さらに7億円(計16億円)の追加投入が必要となったし、2007年度には6億円(計15億円)の追加投入がおこなわれた。この市による財政投入はスタッフの懸命の再建努力もあり、市立病院の復活を支えた。
そして、2008年度には一定の資金投入さえあれば病院再建は本格化し、ほぼ完全に危機を乗り越える見通しが立つ状態にまで回復していた。

だが、ここでも岡野前市長の態度は不可解を極めた。

2008年3月の市議会で岡野前市長は2008年度における病院への繰り入れは規定の9億円以上は1円も出さないとの態度に終始したのである。
これは年度の途中で市立病院の運営資金の不足が生じても市としては支援せず、その時点で病院は“おつぶれ”でございますということを意味した。

岡野前市長は年度の途中で病院業務がストップしてしまう可能性をはらんだ2008年度予算をその危険性を十分に承知の上で強行したのであり、この理不尽な前市長の態度も病院長を辞職へと追いやるもう一つの大きな要因となる。

市立病院は守り充実させる」という選挙公約で登場した岡野前市長は、病院が立ち直り「病院経営健全化計画」が出来上がったころから態度が変わっていく。
まるで、病院が立ち直っては困るかのような不可解な態度へと豹変する。

コンサルタントを利用して「病院事業健全化計画」とスタッフの再建努力をつぶしたこと、および予算編成時における「9億円しか出せない」という岡野前市長の不可解で頑なな姿勢とが、4月以後における市立病院の経営危機と「9月末休止」という事態をつくりだしたそもそもの原因であり、その直接の当事者である岡野前市長の政治責任は重い。

医師の引き上げにより、入院、手術、救急の受け入れができなくなり、市立病院が公立病院としての機能が果たせなくなった事態を招いた責任は少なからず岡野前市長にある。
少なくとも、病院長の辞任により多数の医師が連鎖的に辞めていった2008年4月以降の病院経営破綻の責任はすべて岡野前市長が負わねばならないだろう。

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