光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

一期目の野平市政の実相

大学誘致にともなう銚子市財政の経済効果を11億1550万円と算定したことに疑義あり!(野平まさくに後援会報より)

5月8日付け野平まさくに後援会報(第2号)では「大学補助金の投資効果は着実に上がっています」という見出しで、千葉科学大学誘致にともなう投資効果について有権者むけのPRをおこなっている。

それによると、2008年度(平成20年度)の決算見込みで、千葉科学大学への寄付金にともなう借入金の返済額が5億1300万円(年あたり)に達している半面で、大学誘致にともなう銚子市財政の経済効果を11億1550万円(年あたり)と算定し、大学誘致による投資効果が11億−5億=6億の黒字効果を生んでいるという。

また、上記の後援会報には11億1550万円におよぶ大学誘致による市の財政効果の内訳が記載されており、それは次の五つであるという。

1.大学誘致をきっかけに大学生むけのアパートがたくさん建ったことによる固定資産税収の増加による税収効果
 5億円
2.行革による税収効果
(市税務課による徴収努力の成果であり大学誘致とは直接関係はない!)
 3億円(税収納率3%アップ分)
3.水道加入金増額(5年間平均)
 2150万円
4.水道基本料金
 4300万円
5.学生等人口(国勢調査分)による地方交付税の増加
 2億5100万円

以上の五つのなかで2は市の税務課職員の徴収努力によるものであり、大学誘致との直接的関連性はないだろうし、税の徴収率は年々の経済事情で変動するものであって、一律に3億円を計上して経済効果の算定に組み入れるのはおかしい。

また、3と4については水道事業会計に属する収入であって市の一般会計とは無関係であり、大学誘致にともなう借入金返済の場合、水道事業会計からの支出はいっさいない
ゆえに、これらを市の一般会計からの借入金返済額との対比で計上する項目に含めるには少々無理があろう。

また、5の交付税収入についても、2004年度から3年間の間のいわゆる三位一体改革により、全国規模で5兆円以上の地方交付税が削減され、これにともなって銚子市の地方交付税収も大幅に減っているはずだ。
ゆえに、三位一体改革にともなう大幅な交付税減収の影響を捨象して、この数字のみを掲げることは有権者に誤った印象を与えるだろう。

そして、いちばん首をかしげる項目が1の固定資産税収の増額を5億円と算定していることだ。(会報には算定資料の提示はない)

まず、5億円の固定資産税増収の実現には徴収率を100%としても、固定資産税率が都市計画税率を含め1.6%であるため、固定資産税評価額の総体が約300億円にものぼるアパート群が大学誘致を前後して新増築されたことが前提条件となる。

そして、固定資産税評価額にして300億円のアパート群ともなれば、時価にしておよそ500億円相当のアパート群に匹敵するはずである。
仮に1平方メートルあたりの建築単価を15万円と高めに設定した場合、500億円÷15万円(1平方メートルあたり建築単価)≒33万3千3百平方メートルとなり、ほぼ延べ床面積10万坪のアパート群が大学誘致に前後して新たに新増築されたこととなる。

そして、この床面積を学生2400人と教職員200人の合計2600人で割り返してみると一人あたり35坪強の床面積になる。
だが、学生・教職員が大学周辺に居住するのに、一人あたり35坪強の住居面積が必要になるのか!
これは、非現実的な設定であり、現実的には学生・教職員一人あたり大目に見積もっても、その5分の1の住居面積があれば十分な居住スペースと言えるのではないだろうか。

それゆえ、大学誘致にともなう固定資産税収の増加が5億円にのぼるという算定数字は過大見積りという他はなく、実際にはその5分の1の1億円前後の税収増にとどまると推定するほうが実態に近いはずである。
(ちなみに大学本体は地方税法で学校法人の非課税規定の適用を受け固定資産税はかからない)

市役所の税務資料などはないので、すべて数字は私の推計であるが当たらずといえども遠からずだと思う。
そして、私の“試算”では大学誘致にともなう借入金の毎年の返済額を賄うのに十分な収入増が市財政にもたらされたとは言いがたく、むしろ赤字が毎年累積していく結果となるのだ。

野平まさくに後援会報での大学誘致の経済効果に関する算定は根拠があやふやで、過大見積りの感が強いと言わざるをえない。

「野平劇場」の再演は御免こうむりたい!(野平市政の実相にせまる)

空前のブームを呼んだ「野平劇場」IN 2002
2005年の通常国会において、時の小泉首相は自らが「改革の本丸」と位置づけた郵政民営化関連法案の成立に政治生命を賭けていた。
だが、自民党内には亀井静香氏や平沼赳夫氏を筆頭に反対が続出し、法案を審理する党総務会は紛糾し、事態は郵政民営化関連法案をめぐる小泉と亀井・平沼らとの政争へと発展する。
この抗争は同法案をめぐる国会審議にも反映し、同年の8月8日の参議院本会議では自民党議員22人が反対票を投じ、郵政民営化関連法案は否決されたが、小泉首相は直ちに衆議院解散を強行した。
小泉首相は法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えずに、その選挙区には党公認の「刺客」候補を送り込む戦術を展開。そのうえで、小泉首相は郵政民営化を問う選挙とすることを明確にするため、この解散を自ら「郵政解散」と命名し、マスコミ報道をフルに利用しながら、反対派を「抵抗勢力」とするイメージ戦略を展開した。
そして、マスコミ報道を利用した劇場型選挙は都市部の大衆に受け、大量の無関心層をも投票場へと動員し、自民党だけで296議席、公明党も合わせると与党で327議席を獲得する圧倒的勝利をもたらすこととなる。

そして、この選挙がマスコミにより「小泉劇場」と呼ばれ、時の流行語ともなった。
さて、2002年の夏、銚子市においては「小泉劇場」を先取りするかのように、ミニ「劇場」が展開されていた。
この年の7月の市長選挙に、元自治官僚であり岡山県の副知事も歴任した野平匡邦氏が出馬し、人口減や地元商店街を中心とした市経済の停滞に悩む市民に対し、この現状を大学誘致で活性化してみせるとの公約を掲げ、鳴り物入りで華々しく登場した。

「だが、銚子市の財政事情は厳しく、大学への多額の補助金を支払う能力などないではないか。」……市の関係者や市民は誰しもそう思ったが、野平氏はそのような心配はいらないとばかりに持論を展開する。

“私には「打ち出の小づち」がある。広域市町村合併による30万人都市の実現、地方活性化事業債、千葉県からの45億円の補助金などを活用すればよい。そうすれば銚子市は大学に補助金を払って誘致を成功させることができるし、そのうえ毎年69億円の経済効果を生み出すことができる。市民は多少の負担だけ我慢すれば良いのだ。”

こうして、大々的なPRもあり野平氏の持論は市民の間に急速に浸透していき、「小泉旋風」以上の期待感とブームが銚子の街じゅうに広がっていった。
このブームは市長選挙の結果に反映し、現職の大川氏を2万7千票近いダブルスコアで圧倒し、野平氏は銚子市長に選出されたのである。
これが「野平劇場」であり、2002年の夏の銚子市長選挙であったことは記憶に新しいところである。

「野平劇場」のその後の顛末と結末!
さて、この「野平劇場」の顛末については周知のとおり、「野平劇場」の舞台装置の大部分が“見かけ倒し”であることが次々と判明していく。
広域合併は早々に破綻し、千葉県からの補助金も空手形であり、交付税還元つきの地方活性化事業債の活用も根拠のない話であったことが早晩に判明していき、また、市経済への毎年69億円の経済効果も机上の空論であり、誇大表示であったことが次第に市民の間に明らかとなっていく。

結局は野平氏が唱えた「打ち出の小づち」はなかったのであり、大学への補助金92億円は全額銚子市の負担となってしまい、銚子の市財政は史上空前の危機的状況を迎えてしまったのである。
この財政危機の帳尻を合わせるために、野平市長がとった手段は大幅な公共料金の値上げであり、市民サービスの切り捨て、異常なまでの職員人件費の削減、災害など緊急の出費に備えた各種基金(貯金)の取り崩しなどであった。

とくに公共料金の値上げはすさまじく、一世帯当たり平均3万1千円にも上る国民健康保険料の引き上げや4倍にも跳ね上がったゴミ袋代、下水道料金や保育料・学校給食費の値上げ等となって市民の家計を直撃したのである。
また、市職員の調整手当の廃止を巡っての野平市長のやり方は強引極まるものであった。

野平市長は職員組合との合意を無視して、調整手当廃止のための議案を議会に提出したが、これが議会で否決されると、市長自ら調整手当の「違法性」につき市の監査委員会に監査要求をおこなった。
だが、「違法でない」と判断されると、「見解の相違」と開き直り、この後2度にわたって、手を変え品を変えながら議会に提案したが、両者とも議会が否決したため、最後には野平市長が独断で「専決処分」により廃止を強行してしまったのである。
これは、議会の審議権を否定する暴挙でもあり、市財政窮迫の原因が大学誘致への寄付金にあることを「人件費問題」にすり替える仕掛けづくりの一端でもあった。

さらに、野平市長は「人件費非常事態宣言」なるものを発し、調整手当の廃止の強行を先頭にして次々と一般職員の削減と給料の引き下げをしていったが、この「人件費非常事態宣言」なるものは、あたかも市の自前のお金がすべて人件費に消えてしまい、それが市財政圧迫の原因であるかのように市民に思い込ませる仕掛けであり、市民の負担をできるだけ小さく見せかける誇大宣伝と虚偽表示により世論を誘導し、大学誘致を強行したことが市財政窮迫の本当の原因であることをごまかすための仕掛けでもあった。

これらが、「野平劇場」のもたらした顛末の一部であり、大学に熱中し暮らしや福祉にソッポを向きながら、市民いじめや職員いじめを繰り返した野平市政4年間の実相であった。
さて、岡野前市長のリコールを受けて2009年の市長選挙が間近に迫っているが、初演の顛末を見届けている市民にとっては、「野平劇場」の再演は御免こうむりたいものではなかろうか。

「野平劇場」初演時の主役は「大学誘致」であったが、今回の再演時には「銚子市民病院再生」という新しい主役を登場させている。
大学への90億円の寄付金が、今回は新病院の100億円以上の建設費に変わっており、“加計学園”という登場人物が、今回は“某医師集団と組織”に変わっただけであって、今回も単に、登場人物を差し替えただけの旧「野平劇場」の再演であることは多くの市民に見えやすくなっているのではなかろうか?


野平匡邦氏の銚子市長としての資質を疑う!(公私混同ぶりとマハリシ騒動)

野平元市長の場合に、市長という仕事にとりくむ姿勢の問題に関して、在任当時に厳しく指摘され続けた悪しき性癖がある。
それは公私混同ぶりが日常の職務の遂行のなかで際立っていたことである。

野平元市長の場合、日常の職務においてまず目を引くことは異常な主張ラッシュであった。
「行革」と称して市職員の主張旅費を削減しながら、自らは一年間の半分も銚子市を留守にして首都圏方面を中心に全国各地を飛び回っていたのである。

たしかに、補助金などのお金を獲得するために全国を走り回っていたのであり、銚子市のために東奔西走していたのだという言い訳が成り立たないわけでもない。
だが、この出張の中には政治家のパーティや近隣首長の親族の葬式などが含まれており、必ずしも公務のために東奔西走していたというわけでもないらしい。

だが、なによりも一地方都市である「銚子市」の市長がこんなに出張が必要なのかという疑問符がつくことは否定できない。

さて、野平氏は市長在任当時にみずからホームページを開設し、そのなかで2004年(平成16年)における氏の“舞台芸術鑑賞全記録”なるものを掲載していた。
それによると、同年の1月から12月までの一年間に65回の芸術鑑賞をしていたことが記録されている。

これだけを見るとさすが、東大を出て司法試験にも合格した元自治官僚のエリートだけあって、趣味のほうも極めて“高尚”だという印象だけが残るが、この野平元市長の鑑賞記録と市役所の秘書課における市長の出張伝票をつけ合せてみると、驚くべき事実が浮かび上がってくるのである。

ホームページに記載された65回の芸術鑑賞のうち、35回分が出張伝票の日付とぴたり重なっているのだ。

市長の出張は運転手つきの公用車によるものであり、公用の前後かは別にして、おそらくは公用車をどこかに待機させながらの野平元市長の芸術鑑賞だったのだろう。(さぞや、いずれの出張も芸術鑑賞の“感動”に浸っての有意義なものだったの違いない)

はなはだしきは、同年の1月18日には、ニューイヤーコンサート鑑賞のためだけに出張の伝票を切っていたことも明らかになっているのである。

また、2004年(平成16年)の2月にはオランダへと十日間の海外出張をおこなっているが、ここでも例の野平元市長の“舞台芸術鑑賞全記録”によれば、現地で七つの舞台芸術を“鑑賞”していたことが判明する。

ダッチ・フィルハーモニー管弦楽団コンサート、歌劇「ばらの騎士」、ワルトラウト・マイヤー・メゾソプラノリサイタルなど、綺羅星のごときアーチストの舞台芸術鑑賞のオンパレードぶりである。

また、このオランダ訪問では後半に例の「マハリシ本部」を訪れている。
聞くところによると、「マハリシ本部」からヘリコプターでの出迎えがあり、コテージに招待され豪華な食事の接待を受けたという。おまけに民間人(市長の有力後援者だったらしいが)が一緒に同行していたらしい。

この席で、国民宿舎廃止後の再利用という名目で野平元市長自身がマハリシの銚子市への進出を要請し、帰国後に「外資系大学の誘致に成功」とテレビの全国放送でPRをおこなった。

マハリシはたいへん謎めいた団体であったが、その後にようやく市民の手でその実態が突き止められたことは幸いであった。

そして、市民の手によって明らかになったマハリシの実態は驚くべきものであり、マハリシの実態をもろもろの情報から総合していくと、この団体の目的は「空中浮遊」により地上の楽園をつくりだすことであり、「空中浮遊」を習得する手段としての「超越瞑想」の普及を推進している団体であることが明らかにされたのである。

また、広く人を集めるために、入り口ではエステや健康法などを表看板として利用していることも判明したのであった。
それから時をおかずに、マハリシはまぎれもなく世界的規模の新興宗教団体であり、ことによるとカルト教団の一種かもしれないという実態があっというまに市民の間に知れ渡っていく。

そして、市民はすでに霊感商法の統一協会やサリン事件のオウム真理教などの事例によりカルト教団の危険性を十分に認識していたのだ。

市民の間に当然のごとく「マハリシグループ」の銚子市進出に反対する世論が高まり、紆余曲折の末にグループ自体が進出を辞退するという結末で“マハリシ騒動”は終結したが、「外資系の大学」と言い張り、マハリシグループの実態を市民に隠して銚子市に呼び込もうとした野平元市長の罪は重い。

当時は国民宿舎廃止後の再利用につき、市民から再利用をめぐってアイデアの公募が行われていたが、市民からのアイデアをまったく無視しながら「マハリシグループ」の招待に応じてオランダの本部を訪問し、市長自ら銚子市への進出を要請したという野平氏の独断専行ぶりにも目に余るものがあった。

さて、話をオランダ訪問にもどすと、この訪問には問題点が二つあった。
第一は、まぎれもなく市長としての海外出張であり、税金から高額の旅費が支給されるにもかかわらず、野平元市長は公私混同ぶりをいかんなく発揮して“高尚”な舞台芸術三昧の日々を過ごしていたことだ。

そして、第二は舞台芸術三昧のついでに世界的“カルト教団”の可能性の高い「マハリシグループ」にたいし、その実態を銚子市民には秘匿しながら、野平氏自らマハリシ本部に出向いて積極的な誘致活動をおこなっていたことである。

公私混同ぶりとカルトめいた巨大新興宗教団体とのコンタクトというこれらの事実は、野平氏の市長としての資質が根本的に問われかねない出来事であり、それに決定的な疑問符をつけざるをえない出来事であったと言えよう。




「大学誘致という名の大型開発」の損益勘定はどうだったか!(野平匡邦氏の市長在任当時をふりかえる)

高度経済成長の終えんにともなう名洗重要港湾化構想の自然消滅の後、1980年代の後半に浮上したものが「名洗マリンリゾート計画」である。

これは名洗開発にかんする「日本港湾協会」のレポート、およびこのレポートをアレンジした川崎製鉄・千葉銀行による「基本構想」なるものをベースに銚子市が「マリンリゾート構想」として推進したものであり、その内容は名洗港を千隻(ヨットなど)収容のマリーナとし、関連施設をつけて第三セクター(市と民間企業)が経営し、後背地となる埋め立て地は川崎製鉄と千葉銀行がリゾートマンションなどを建てて開発するというものであった。

だが、この計画は開発に着手する前にバブル経済が破綻してしまい、後背地開発から川鉄と千葉銀の両者が相ついで撤退したのちは、マリーナ建設だけが押しすすめられることとなってしまった。

この結果、大手開発業者に後背地を売却し、その金でマリーナ開発にともなう借金を支払うこととした「マリンリゾート構想」は大きく挫折し、70億円近い多額の借金と空き地の後背地が残されるという無残な失敗に終わってしまったのである。

当時の銚子市はバブル破たんの影響は受けないと強弁し、銚子市の負担、雇用や特産物の利用拡大、入り込み客数等の損益勘定さえ曖昧なままに突っ走ったのであり、市場経済には好不況の波がつきものという経済のイロハすらわきまえぬ銚子市の「名洗リゾート計画」の失敗は当然の帰結であったと言えよう。

また、この「名洗リゾート計画」は市内主要団体挙げての「名洗マリーンリゾート促進・市民会議」なる官製の組織が“市政振興”をかかげ応援団の役割を果たし、議会の多数の議員も“地域経済の活性化”などを理由にこれを後押ししたことも付け加えたい。

これらの推進派は銚子市の地域振興という重大な課題を、企業誘致という「他力本願」に頼む“棚ぼた待望勢力”であり、自分たちの流す汗で地域の活性化を図ろうという考えに欠けていた。

高度成長や列島改造論に便乗した東電火力誘致や名洗重港化、そして、バブル経済終焉後のリゾート開発等、度重なる失敗は企業誘致という「他力本願」に頼る地域振興の限界を余すところなく露呈しており、企業誘致による大型開発路線に総括と反省をせまるものであった。

旧西ドイツのワイツゼッカー大統領はその演説の中で「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」という有名な言葉を残していることは知られている。

だが、この有名な言葉を知ってか知らずか、「マリンリゾート構想」の破綻と失敗という過去の教訓に目を閉ざし、企業誘致による大規模開発に銚子市の命運をかけようという動きが再び始まったのである。

2002年の市長選挙で「大学誘致」を公約に掲げた野平匡邦氏がその動きの火付け役となり、大学という名の企業誘致に銚子市の命運をかけようとした多数の市民が野平氏を銚子市長に押し上げることとなった。

野平氏は市長選挙出馬以来、「大学誘致にともなう財政負担は県と市で」と吹聴し、大学への寄付金負担は県で45億円、市で45億円と宣伝した。
また、起債(借金)活用でも地域活性化事業債で24億円の国の交付税還元があるとして、市の負担を極力小さく見せかけようとPRにつとめた。

しかし、野平氏が吹聴した県負担や交付税還元は根拠のないことが直後に判明し、結局は92億円全額が銚子市の負担となってしまったのである。

市民を苦しめるようなお金をいただくわけにはいかない」と、巨額な寄付金負担を見かねた加計学園理事長の一言により、一部の負担金を大学側が辞退したことで市の負担は最終的には77億5千万円となりはしたが、この莫大なツケは市財政と市民生活に深刻な影響を及ぼした。

加計が家計を圧迫する」との新聞報道は、大学のために市財政が食い物とされ、市民負担は増え、しわ寄せが市民生活に覆いかぶさっていく状況を象徴した。

また、当時の野平市長は大学誘致にともなう経済効果を「毎年69億円」と試算し、その算出根拠を「新入生全員が30万円の電化製品と家具を、7割が15万円のバイクを、3割が150万円の自動車を銚子市内で現金購入」などと説明した。

この年間69億円という数字をもとに試算してみると、銚子市の人口が約7万人とした場合に、生まれたばかりの赤ん坊から100歳のお年寄りにいたるすべての市民ひとりひとりに、年間で約10万円の経済的な恩恵が及ぶことなる。

いま麻生政権が「景気対策」と称して予算規模2兆円の特別給付金のバラマキをおこなっているが、この給付金額が国民1人あたり1万2千円(高齢者と子供は2万円)であることを考えるとき、当時の野平市長の試算通りのものであるならば、大学誘致にともなう経済効果は非常に大きなインパクトと活力を地元経済に与えたはずである。

だが、銚子市内は不況の波が押し寄せ、商店街のシャッター通り化は進む一方であり、大学誘致にともなう経済効果なるものはきわめて疑わしく、一部の不動産業者などが潤っているだけだ。

野平氏は市の負担を極力小さく見せかけながら、経済効果をあやしげな算出根拠にもとづき誇大宣伝し、大学誘致にともなう損益勘定を人為的にゆがめることを通して、「市の負担は小さく、経済効果は莫大」と誘致賛成の世論誘導をおこなったのである。

大学誘致にともなう真の損益勘定を私などが厳密には算定できるものではないが、生活実感としては大きなマイナス勘定であり、今後長きにわたってその清算が銚子市の大きな課題となるであろうことを強く実感する。

野平氏は今回の市長選挙再出馬にあたり、過去の“大學という名の企業誘致による大型開発”という“失政”を反省したうえで、真摯に自己検証をおこない、その教訓と総括を明らかにしているだろうか。

また、同じ轍を2度と踏まないという強い決意を見せているだろうか。
私の見る限り、現在の野平氏にそのような姿勢を見出すことはできない。

市立病院の再建に100億円以上の市財政投入を言い、現在の銚子市の借金はけっして多くないなどと言っているようでは過去の誤りに無反省な野平氏と言わざるをえない。

野平匡邦氏は次期市長にふさわしいか。(副題:岡野俊昭氏と野平匡邦氏には「NO」の審判をくだせ)

野平匡邦氏の市長時代における政治手法を振り返ると、市民世論や議会を無視した独善的な言動や行動ぶりが突出していることが大きな特徴である。

前々回の市長選挙に際して、大学の誘致を最大の公約として掲げた野平氏は、市長当選の翌日に加計学園理事長とともに記者会見をおこなった後、次から次へと市長の独断専行で大学側との「誘致交渉」を推し進め、大学側への92億円の寄付金も勝手にきめてしまった。

この間の野平市長の大学誘致にたいするスタンスは、野平氏が加計学園の経営する岡山理大の講義をやらない“客員教授”という位置にあったことも加わって、全く加計学園の代弁者であり、学園側の言いなりの姿勢に終始したといってもよい。

しかも、議会の存在を無視して市長になる前から大学誘致を表明し、市長就任後も議会に何の説明もなく独断専行で事にあたった。

やっと市長就任直後の9月議会で開会日に説明らしきものをおこなったが、その説明の実態たるや“私は市長だから何でもできる。加計学園誘致はすでに銚子市として既定の方針であり、黙って協力すべきだ”という態度を強く押し出したものであったという。

また、議会側が市民への責任からも慎重に事前調査をおこなうべきとの判断で、9月議会に委員12名からなる「大学問題等調査特別委員会」を設置し、調査活動を始めようとした矢先に、野平市長は正式な文書を持参して加計学園に出向いて大学の銚子市進出の要請をおこなった。

市長を先頭とする執行部だけではなく、市民に選ばれた議会が進出を求めたときに初めて銚子市が要請したこととなろうが、議会が誘致の是非を判断する上で必要な調査を始めようとした矢先に、市長が独断で行動して大学側に正式に銚子進出を要請したのである。

この加計学園の銚子進出をめぐる野平市長の初期の行動は独断専行というほかはなく、その後の野平市政4年間における議会の議決を覆す“専決処分”の乱発など、議会の審議権に対しての挑戦を繰り返し、議会制民主主義をないがしろにした野平市長の政治姿勢が露骨に表れた最初の出来事であった。

また、大学誘致は市がマリーナの後背地15ha(市有地)を提供し、92億円(利子合計で102億円)もの巨額の寄付をおこなうものであり、いわば銚子市の「命運」をかける大事業であったにもかかわらず、野平市長はきちっとした政策の事前調査もおこなわず問答無用とばかりに、住民の疑問や批判にもほとんど耳を貸さずに「はじめに大学誘致ありき」の姿勢で暴走したことも忘れてはならない。

巨額な市民負担が予想され、大学誘致にともなう“経済効果”に関しての説明もあやふやな野平市長の政治姿勢に不信を募らせた多数の市民有志が、「大学問題を考える会」を立ち上げ、大学誘致に関しての住民投票を求める直接請求運動を繰り広げたことがある。

この住民投票を求める運動は「議会の承認を受けており、住民投票の必要性は認められない」とした野平市長の頑なな姿勢を崩すことはできなかったが、当時、市民の間に野平市長の大学誘致の手法に疑問や批判が広がり、市民多数の支持を受けているとはとても言い難い状況が存在したことは事実である。

とすれば、この問題に対しての説明責任をきっちり果たすことで市民の間にあるいろいろな疑問を解消し、あらためて市民の合意を図ったうえで大学誘致という事業に取りかかるのが筋であったし、それが民主的なやり方であったと言えよう。

にもかかわらず、市民の間に存在する疑問や批判を無視し、「時間がない」とばかりに大学側の「急ぎ」の都合にあわせて大学誘致を強行した野平市長の手法は、まさしく独断専行の政治手法であり、市民の声を無視した「市民不在」の市政にほかならなかった。

また、2004年の4月に大学の開学をめざしていた野平市長と加計学園の思惑に大きな壁が立ちはだかったことがある。

それは、建設予定地域であったマリーナの後背地が環境アセスの必要な国定公園地域であり、1年かけての環境アセス実施が避けられないことが2003年の半ばになってから判明したことである。

これでは、翌年の開学に間に合わないと知った野平市長は急きょ、隣接するアセス不要の水産加工団地内の工業用地を大学側に紹介し、そこに仮校舎を建設することで開学を間に合わせようとしたのであった。

水産加工団地の一角の土地に大学の校舎ができることに操業上の「死活問題」を感じた水産加工業の経営者たちは反対を表明したが、野平市長はこれにも耳を貸さずに仮校舎建設と2004年4月開学を強行し、経営者たちとのトラブルと軋轢は長期間にわたって尾を引き続けたのである。

これらは一部の事例にすぎないが、野平市政のもとでの市民の声や疑問に背を向けた独断専行の政治手法の横行を物語るものだ。

だが、注目すべきはこれらの中に岡野前市長の政治手法との共通点が見出せることだ。

「ない袖はふれない」、「夕張になる」という虚構の理由をもちだし、「市立病院は守り発展させる」という自らの公約を踏みにじり、市民には事前に一言も相談せずに市立病院の一方的な休止を決定したこと。

市長の突然の病院休止決定後に、「病院の存続」を求める市民の署名が1ヶ月で5万筆も市長に提出されたにもかかわらず、これを無視して病院の休止を強行したこと。

これらの出来事に見られる岡野市長の政治姿勢は独断的で独善そのものである。
そして、病院休止をめぐる政治責任を市民に問われた岡野前市長はリコールによって市長職を解職されてしまったが、岡野前市長はこの市民の審判に挑戦するかのように出直し市長選挙に再出馬するという。

なぜ、銚子市では市民の声に耳を貸さない独善的な地方政治家が次々と排出しつづけるのであろうか。

今回の市長選において銚子市民は断固として岡野氏と野平氏に再度「ノー」の審判を下すべきだ。
そして、今度こそ市民の声に耳を傾ける民主的で市民本位の首長が銚子市のトップの座につかなくてはならない。
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西岡三郎
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