光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

沖縄・米軍基地

沖縄高江での米軍ヘリパッド工事強行について(知られざるもう一つの「県内移設」)

imageCAFBK0DM沖縄本島北部は通称ヤンバルと呼ばれるが、このヤンバルの一角に約160人が暮らす小さな集落がある。それが沖縄県東村高江地区だ。
だが、ブロッコリーの森と呼ばれる緑豊かな木々に囲まれたこの集落を囲むように米軍のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を新しく作る工事が始まっており、この工事が完成すれば世界で唯一のジャングル戦闘訓練センター(北部訓練場)の真横にあり、米軍ヘリが長く低く飛ぶ高江の集落はあたかも訓練センターの中にすっぽりと収まってしまいかねない状況にある。

SACO合意に盛り込まれたヘリパッド建設(もう一つの県内移設)とSLAPP訴訟!
さて1995年の少女暴行事件をきっかけとする米軍基地の整理・縮小にむけた県民世論の高まりをうけて、日米両政府が1996年に合意したのがSACO(沖縄米軍基地問題に関する日米特別行動委員会)である。
このSACOの合意項目のなかに盛り込まれたものの一つがジャングル訓練センター(北部訓練場)の北側部分の返還であり、これはすでに15箇所ものヘリパッドのある訓練センター南側の東村に、新たに6箇所ものヘリパッドを建設するという「県内移設」の強行をともなっていた。

さて、この建設計画が実際に動き出したのは2006年であった。当時の自公政権が東村高江地区をヘリパッド建設予定地に決定したのを機に高江地区住民総会は07年の夏に反対を決議したのである。
その後、沖縄防衛局は予定地をフェンスで囲い込み、工事用のゲートを設置したが、これに対抗した住民側も「ヘリパッドいらない住民の会」を結成し、現場に座り込んで抗議と監視を始めた。
そしてこの間には米軍普天間基地の「県内移設」をめぐる「新基地ノー」の県民ぐるみの反対世論の高まりもあり、高江地区でのヘリパッド建設工事は中断を余儀なくされた。

だが、そこへおきたのが座り込みを続ける住民団体の共同代表2人を「通行妨害」として沖縄防衛局がおこなった提訴であった。
国が「国策」に反対する住民を個人名で裁判にかけるというこの出来事は前代未聞であり、力のない市民の最後の抵抗の手段である「座り込み」を「通行妨害」として権力側が裁判に訴える手法が容認されるならば、弱者の最後の抵抗の手段である「座り込み」が封じ込まれかねない。
また、訴えられた住民は裁判所に通うことを余儀なくされたうえに、裁判沙汰によって失職する者もおり、住民側は費用も気力も奪われる。
このように権力や財力のある国や企業が反対意見を持つ個人を報復的に訴える訴訟のことは「SLAPP訴訟」と呼ばれており、メディアが伝えない事柄の一つでもある。

images3022さて、防衛局の提訴を受けた那覇地裁が現地調査などをおこなって昨年の12月1日に導きだした結論は双方への対話の提案であったが、それにもかかわらず、沖縄防衛局は同月の22日には突然に工事の再開をおこなった。
地裁が対話を提案しているのに、それに対する防衛局の回答は工事再開の強行であった。
早朝から100〜200人規模の大量の職員や作業員を動員して、土嚢を放り投げるなどの強引な作業でけが人をも生み出す異常事態は国会や県議会でも問題となった。

工事再開強行後におきた米軍ヘリのホバリングによる威嚇行動!
また、米軍は工事再開に合わせたかのように翌23日には住民が座り込むテントの上空でホバリング(空中停止)をおこない、爆風でテントをゆがめ、イスや食器などを吹き飛ばした。また、幸いにも事件発生時には人がテント内におらず、重大な事故には繋がらなかったという。
この米軍ヘリの低空飛行は反対運動を威圧するためにおこなった可能性も高いが、米軍側が主張するようにそれが“通常訓練”の一部であったとしても、その意味するものは重大である。
それは低空飛行とホバリングが日常化されることの証明であり、ヘリパッドが建設されてしまえば米軍ヘリの“暴力”に住民が日常的に晒されるということだ。
この事件は新たな米軍基地を認めるわけにはいかないことをいっそう明白にした。

鳩山前首相による「方便」発言と仲井間知事の態度について!
ところで「普天間移設」の新基地を辺野古にもどした鳩山前首相が「県外・国外移設」を断念する理由として、海兵隊の「抑止力」の重要性を持ち出したことについて「方便」だったと発言したことが沖縄県民の怒りを広めている。
高江に建設されようとしているヘリパッドは辺野古の新基地に配備が予定されている新鋭のオスプレイ(垂直離着陸機)の訓練用であり、菅政権は沖縄県民の“新基地ノー”の総意を受け入れて、辺野古、高江に米軍新基地の建設を認めた日米合意を撤回すべきである。

また、沖縄県の仲井間知事は冷ややかな態度で高江でのこの事態を傍観しており、沖縄防衛局は工事強行の口実に県や知事の了解を挙げている。
だが、高江のヘリパッド建設は辺野古移設とならんだもう一つの「県内移設」であり、昨年の知事選挙で「県内移設容認」から「県外移設」に転じた仲井間知事の立場と矛盾する。
普天間基地が撤去されてヘリ部隊がなくなれば、高江のヘリパッドは無用となる。
ましてや、世界遺産登録候補であり4000種以上もの生物多様性の宝庫である高江の森には生態系の破壊につながる新しい基地は不要である。

追伸
沖縄高江でのヘリパッド建設強行にたいし2月20日に東京で米国大使館への抗議行動がおこなわれたが、大量の警察官が取り囲み、大使館への申し入れを行なおうとした無抵抗の市民2人が不当に逮捕されるという事件がおこった。
アメリカ大使館には行かせまいとした警察が無抵抗の市民2名を逮捕したという構図である。
下記のレイバーネットの記事を参照のこと。
http://www.labornetjp.org/news/2011/0220demo

福島社民党党首は政治不信の時代が生みだした時代のヒロインなのか?

鳩山政権による沖縄県民への裏切りと背信!
鳩山政権は普天間基地の移設先を名護市辺野古にすることを明記した日米合意を発表し、自ら「国外、最低でも県外」という選挙公約を破り、4月25日の沖縄県民大会に示された「県内移設絶対反対」という沖縄県民の総意を踏みにじった。

また、今回の日米合意は2006年5月に普天間基地を辺野古に移設すると合意した自公政権下における現行案に限りなく近いものであるが、基本的に自民党案に戻ってしまっただけにとどまらない中身を含んでいる。

つまり今回の日米合意は鹿児島県の徳之島や日本本土にも海兵隊の訓練の移転をおこなって全国に分散させることで、「沖縄の負担軽減」という建前とは裏腹に基地被害を全国に拡散しかねない危険性さえはらんでおり、この部分が加わった分だけ自公政権時代のもとの案よりもいっそう悪いものへと改変されてしまっている。

鳩山首相による福島大臣の罷免がもたらしたもの!(「ヒロイン」の誕生)
images2309ところで、このとんでもない結末をもって普天間劇場の第一幕が終わろうとしているところへ、思いもかけないヒロインが登場してきた。言わずと知れた福島瑞穂社民党党首である。

普天間基地の移設先を辺野古と明記した政府方針をめぐって、鳩山首相は署名を拒否して閣議を欠席した福島瑞穂消費者・少子化担当大臣を罷免したのだが、これは福島氏が「最低でも県外」という選挙公約をあくまでも守り、自らの発言に従い政治家としての信義を貫いたがための理不尽なものであった。

これまで自民党政治のもとで長い間、有権者は政治家の言葉に裏切られ続けてきた。そこで有権者は昨年の総選挙でこのような政治を変えたはずであったが、またしても鳩山政権に手ひどく裏切られてしまった。
「最低でも県外」、「辺野古の海を埋め立てることは自然への冒涜」、「沖縄の負担軽減」などこれらの政治家の言葉もウソであったことがつぎつぎと明らかとなった。

だが、このようなやり場のない閉塞した状況にあって福島瑞穂氏の発した次の言葉が鮮烈で清新なメッセージとして響き渡った。
「私は言葉に責任を持つ政治をやりたいと思います」
長年の間、政治家の言葉に裏切られ続けてきた有権者の傷ついた心にこの言葉は強烈なインパクトをもって響き渡ったに違いなく、これで今回の参議院選挙は彼女をヒロインとする普天間劇場の第二幕の幕開けかとの強い印象を残した。

「福島さんはよく頑張った。自らの言葉を裏切って国民をだました鳩山首相による更迭は彼女にとって政治家としての名誉であり、誇りとすべきものである。」
このような手放しの賞賛を福島氏に捧げる人々は、常に“時代の顔”を探し求めるマスメディアを筆頭としてさぞやその数が多いことであろう。

福島社民党も加担した「移設先」探しの頓挫がもたらした辺野古への回帰!
だが、今回のことで福島氏をヒロインとして褒め称えることが彼女に対しての的を得た正しい評価なのであろうか?ここで、いま一度これまでの過程をふりかえって再考する必要があるのではないか?

ご存知のごとく海兵隊「抑止力」論の呪縛にとらわれた鳩山政権による普天間基地の「移設先」探しは、徳之島をはじめ「移設先」にあげられた自治体や住民の強い反対にあい頓挫した。
それゆえ、今回鳩山政権が自公政権時代の「辺野古」に回帰したうえで、訓練を日本全国に拡散するという自公政権の時代よりさらに悪い案にたどり着かざるを得なかったのは、この「移設先」探しにおける頓挫がもたらした必然的な帰結に他ならない。

また、これは同時に「引越し先」を決めたうえでなければ移転できないという「条件つき移設論」が破綻したことでもあり、「抑止力」論の呪縛を乗り越えた普天間基地の無条件撤去こそが唯一の合理的な解決方法であることを浮き彫りにしたものでもあった。

だが、この「条件つき移設論」を民主党などとともに推進してきたのは他ならない福島社民党であり、福島氏自身も「移設先」探しは閣僚全員の責任と言い放ち、「移設先」を検討する協議機関の設置をも提唱している。

images2100そして、社民党としても長崎県の自衛隊大村基地や佐賀空港などの「九州移設案」を提唱し、それぞれの地元で手厳しい批判にあっていたことも忘れてはならない。
こうして福島社民党も加担しながら推進してきた「移設先」探しが行き詰った結果、もとの自公案に回帰したうえで、さらに悪い案へと変質したところに事の真相がある。

福島瑞穂を「ヒロイン」化することへの疑問!
それゆえ、福島社民党がこの顛末に対してその責任の一端を担っていることは否定することはできず、福島氏への手放しの賞賛や「ヒロイン」扱いにはこの観点からも大きな疑問を持たざるをえない。

今回の福島氏の罷免は「最低でも県外」という公約を踏みにじった裏切りに対する有権者の怒りと、アメリカ言いなりの鳩山政権との矛盾が行き着くところまでいって爆発した結果であり、たまたまその頂点に福島氏が立っていたことが生み出したものである。
それゆえ今回のことで福島瑞穂氏が時のヒロインとして脚光を浴びるにいたったことは一種の「怪我の功名」と言えなくもないだろう。

だが、これまでの事実経過からして公約違反という重い十字架の責任の一端を福島社民党も背負わなければならないし、政権を離脱してもなおかつ、今後とも民主党との選挙協力に依存しなければならない社民党の姿には哀歓さえ感ずる。

追記
日本共産党の志位委員長が先日に米国を訪問し、国務省の高官達にむかって沖縄の怒りは沸騰点を越えており「ポイント・オブ・ノーリターン」(後戻りできない)であって、唯一の解決の道は普天間基地の無条件撤去しかないことを正面切って堂々と伝えたという。

だが、社民党は重野幹事長が「党としてグアムやサイパン、テニアンへの移設をも提案して政府に検討して欲しいと申し上げてきた」と言うだけであり、米国政府に面と向かって堂々とものを言えなかった現実がある。

はたして、福島氏も大臣として毎週の閣議の場で鳩山首相や平野官房長官、岡田外相などの対米従属派にたいして「国外移設」を堂々と提起してきたのだろうか?


日米同盟が日本の平和と安全を守る「抑止力」であると言われることについて

「日米同盟:未来のための変革と再編」という取り決めに取って代わられた安保条約!
今、普天間問題をめぐって、マスメディアを筆頭に日米同盟は日本の平和と安全を守る大事な「抑止力」であり、かげがえのない“公共財”であるというイデオロギーが繰り返される状況にあるが、ではその基礎となる文書はなんですかと聞かれれば、ほとんどの人は1960年に改定された日米安全保障条約であると答えるだろう。

images1214たしかに安保条約はその第6条に「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和および安全の維持に寄与するため」という極東条項を持っており、在日米軍が日本とその周辺地域の安全保障の要の存在であるかのごとき文言が挿入されている。
だが、2005年に日米の外交防衛のトップ同士が署名した「日米同盟:未来のための変革と再編」という取り決めが実質的に安保条約にとって変わったために、日米安保条約は実質的に終わっていることは一般にはほとんど知られていない。

日米安保条約は日本および極東地域の安全保障を確保することを目的としたものであったが、この「未来のための変革と再編」において両国間の同盟関係は「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」と位置づけられ、日米間の安全保障協力の範囲が極東から世界へと飛躍的に拡大されているのである

さらに「未来のための変革と再編」では「共通の戦略目標を達成するため、国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は、同盟の重要な要素となった」と謳いあげ、日米同盟の目的を攻撃されたからとか、攻撃が迫っているから共同で脅威を排除しようということから「国際的な安全保障環境を改善する」ことに切り替え、ほとんどの国民の知らないうちに重大な変更を持ち込んだ。
そして、この日米同盟の目的とされた「国際的な安全保障環境を改善する」という文言は一見誰もが受け入れられるような印象を持っているのであるが、これを具体的な政策に置き換えてみると、容易ならぬ深刻な意味合いを帯びていることが浮かび上がる。

米国は冷戦後も圧倒的な軍事力を維持することを目的として、イランやイラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけ、これらの諸国が核兵器ほかの大量破壊兵器を所持することを阻止するためにこれらの諸国への軍事力使用計画を考えてきたが(実際にイラクでは軍事力の行使へと踏み出している)、これは当然に米国にとっては「国際的な安全保障環境を改善する」ことに該当するのであり、アフガニスタンにおけるタリバンのようにテロリストをかくまう政権を排除する、これも同様に米国にとって「国際的な安全保障環境を改善する」ことの内に含まれるのである。

そして、重大なことはその際の軍事力の使用は敵が軍事行動をおこなった時に限らず、先制攻撃も選択肢として含んでいるのであり、このことはすでにブッシュ政権下での「先制攻撃ドクトリン」として米国の軍事戦略の柱となっているのである。

「米軍再編」の進行と並行して進む日米安全保障関係の変質!
また、米国はイラク戦争のような先制攻撃の戦争をたたかうために、世界のどこでも迅速に展開でき、より機動的な軍隊へと作り変えるために地球的な規模で米軍の再配置をすすめており、これにともなう一連の動きが「米軍再編」と呼ばれているものの実体だ。

images2207そして、この動きの中で日本においてすすめられていることが在日米軍基地の強化であり、自衛隊が米軍の補完的な戦力の役割を果たす計画や米軍と自衛隊の基地機能の統合であって、重大なことは米国が地球的な規模で進めている「米軍再編」のなかで「日米同盟」の強化はその中軸的な位置づけが与えられているということである。

そして、前述の「日米同盟:未来のための変革と再編」という取り決めが実質的に安保条約にとって変わった時期と、この日本をめぐる「米軍再編」の動きが顕在化してきた時期とは重なっており、日米安全保障関係の変質が米軍基地の強化や自衛隊と米軍との本格的な軍事協力体制や海外派兵の進展という具体的な形態をともなって急激に進んでいるのである。

さて、かって小泉元首相は基地強化の受け入れは「平和と安全の代価だ」と言い放っているが、米軍再編に伴う基地強化などの動きは日本の「平和と安全を守る」こととはまったく無縁という性質を持っており、「平和と安全」どころか、日本を地球規模での殴りこみ戦争の一大根拠地としたうえで世界とアジアの平和を脅かす震源地に変えるものに他ならない。

日米同盟における「抑止力」という名の箱の中身は何か!
よく昔から「同盟の非対称性」ということが言われ、「米国は日本を守る、だが日本は米国本土を守らない、これでは不公平だ、これを補うために日本は他の分野でできるだけ米国に貢献しなければならない」という論がある。

imagesCAA9EWXTだが、米軍の世界戦略の展開には米軍基地の前方展開は不可欠の事柄であり、その際に日本の基地は中核的な役割を果たしている。
岩国と沖縄を拠点とした海兵遠征軍、横須賀を母港とした第7艦隊(空母打撃群)、三沢などを本拠とした航空宇宙遠征軍などの在日米軍は米国がテロとのたたかいを戦略上の最重要課題とした今日、その重要性は高まるばかりだ。

また、ケント・カルダーというかって駐日米大使特別補佐官を勤めた米国の高官は海外の米軍基地の中で将来を考えても最も深い意味を持つのがドイツと日本の施設であり、日本における米軍の施設の価値は米国外で最高であるとの評価を与えているという。
このように日米安全保障関係の取り引きでは米国が日本国内に基地を持ち、日本が米国の陣営につくことで米国は圧倒的な利益をすでに得ており、これだけで取り引きは米国側が有利なうちに成立しているのであり、非対称性なるものはなりたたない。

おまけに、日本政府は米軍駐留経費の75%を負担しており、この比率は米国の同盟国中でダントツに高い。
これだけの頂き物をしているのであるから、米国もさすがに“タダもらい”はできずに「米国は日本を守る」と約束をしているが、いざ事が起こったときに自らの国益を優先してこれが単なる口約束に終わってしまうことは十分にありえる。・・・・・
これが米軍の「抑止力」といわれるものの箱の中身に他ならないだろう

参考:日米同盟の正体 孫崎亨(現代新書)

普天間問題の解決の選択肢としては国外移設が適切であること(テニアンへの移設)その

政権交代によって普天間基地の国外移設という展望が開けたこと!
だが、昨年の総選挙で「最低でも県外移設」を掲げた鳩山政権が登場したことで、これ以上基地による苦しみは受忍し難いという沖縄の人々のなかに溜まっていた深い思いがマグマのように噴出しはじめるきっかけが作り出され、それが歴史を動かす力として浮上してきたのである。

そして、米軍の「抑止力」という枠組みから抜け出すことのできない鳩山政権のこの半年間にも及ぶ移設先探しをめぐる「迷走」は、幾多の県内や国内の移設候補地での反対世論を高めることで、県内・国内移設の可能性をおしなべて潰してしまった。
また、鳩山首相本人が辺野古沖の埋め立てに反対しており、社民党の福島党首も連立離脱をちらつかせているなかで、もはや辺野古沖に基地を造ることも事実上不可能な状況となっている。

images2248このような中で、北マリアナ連邦議会の上院が誘致決議をあげたことで、普天間の移設先としてテニアン島が急浮上し始めており、こうして、米国の「抑止力」の枠組みから抜け出せない鳩山政権にとっては唯一の解決策として国外移設しかないという状況が生まれつつある。

また、地元で誘致決議のあがったテニアン島への移設であるならば軋轢も少なく、かつ世論の一致も得やすいはずであり、後は内閣や国会がこの方向で意思決定しさえすればよく、残った問題は米国の受け入れだけとなるだろう。

こうしてテニアンへの国外移設が実現できたならば、普天間基地の無条件撤去をめざす人々に不満は残るものの、現状では非常に有力な普天間問題の解決策になることは間違いないだろう。
鳩山内閣は5月末までに普天間問題の決着をつけることとなっており、また「迷走」が繰り広げられる可能性は否定できないが、国民の世論と運動により国外移設を実現させる展望は大きく広がってきている。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161169-storytopic-3.html(北マリアナ連邦議会上院での誘致決議関連記事:琉球新報)

普天間問題から政権交代の意義を考える!
さて、普天間問題をめぐるこのような事態の展開を作り出すきっかけとはなんであったかを振り返ると、それは昨年の9月の総選挙であり、自公政権から「普天間基地の県外・国外移設」を公約する鳩山民主党政権への政権交代であった。

たしかにこの間に、鳩山政権が国民がここを変えて欲しいと願っている肝心要の多くの問題で後退と裏切りを重ねてきたことは事実であり、「民主党には失望した、しかし、自民党への逆戻りもごめん」との世論が広がっていることは否定できない。
だが、普天間問題に焦点を当てて考えた場合に、昨年の政権交代の意義を否定したうえで、現在を国民が「二大政党」にまるごと不信を突きつけている政治情勢と断定することは表面的で皮相な分析と言わざるをえないだろう。

普天間問題で自らの力と声が政治を動かしうることを国民が学ぶことになれば、基地問題にかぎらず多くの分野で政治の前向きの流れが作りだされていくことだろうし、その力が民主党政権に国民の要求の実現に正面から取り組むことを「強制」するだろう。
だが、自民党政治の復活を許してしまったらこの流れの芽は確実に摘み取られていくことになるだろうし、現在の二大保守政党の圧倒的優位という国政上における力関係のもとでの「民主党ノー」は自民党政治の復活とイコールに他ならない。

当面の国政をめぐるたたかいの焦点は、自民党とその悪政に加担し続けてきた公明党、および雨後のタケノコのごとく乱立しているが自民党の別働隊に他ならない“みんなの党”などの「新党」群、これらを総体として国民のなかにおいて少数派に追い込んでいくことであり、そのために参議院選挙において反自公勢力が幅広い選挙共闘と協力をおこなうことである

そして、そうすることで昨年の政権交代によって生まれた政治の前向きの流れを絶やさないことであり、けっして自民・民主以外の第三極の形成に力を注ぐことでもないし、“確かな野党”の躍進に全力を注ぐというセクト的な対応でもない。
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普天間問題の解決の選択肢としては国外移設が適切であること(テニアンへの移設)その

沖縄の米軍用地使用問題をめぐっておこった代理許可拒否の問題!
1990年代の後半、沖縄県の米軍基地の問題をめぐって大きな事件がおこった。
米軍の軍用地は米軍が沖縄の住民から強制的に取り上げたものがほとんどであるが、この無法行為に合法的な体裁を取り繕わせるための法律がある。

それは「駐留軍用地特別措置法」と言い、地主が米軍に軍用地として提供を拒否しても、市町村長や沖縄県知事が地主の代理で許可をすれば地主の意向に反しても合法的に軍用地として使用できるというものだ。
そして、この法律では軍用地にたいする一定の使用期間が定められており、その期限が切れるごとにあらためて代理許可の更新を繰り返す仕組みになっているのである。

images2216さて、90年代の後半に「象のオリ」と呼ばれた読谷村の米軍通信施設にかかる土地の使用期限が切れようとしていたなかで、いわゆる反戦地主が米軍に土地の提供を拒むという“事件”がおこった。
だが、この事件の発生時には地主の代理で許可をだせる読谷村長も土地の提供を拒否し、困り果てた当時の村山政権が大田沖縄県知事に「代理許可」をおこなうように要請してきたのである。

しかし、米軍基地の実態を知り尽くしていた太田知事がこの日本政府の要請を拒否したために、米軍がその土地を使用する法的な根拠を一時的に失うという事態へと展開していった。
そして、しばらくはこう着状態が続いたが、時の政権が「自社さ」連立の村山政権から自民党の橋本政権に変わってから事態が動き出す。

橋本政権は「駐留軍用地特別措置法」を突然に改めて、市町村長や知事が土地の提供を拒否しても、大臣や首相が許可を出せばその土地を米軍が合法的に使用できるようにと法律を大幅に改悪したのである。
そして、このことは市町村長や知事の権限を国が取り上げることで、憲法で保障された地方自治を侵害する最悪の行為でもあった。

現在でも自公政権が存続していた場合の普天間問題を想定してみた!
さて、現在熱い焦点となっている普天間基地の問題であるが、仮に自公勢力が現在でも政権の座にとどまっていたと仮定したならば、この普天間基地の問題はどう展開していただろうか。

images2238自民党の谷垣総裁や石破政調会長などは現在でも14年前の日米合意どおりに辺野古の海を埋め立てて、そこに新しい代替基地を建設することがこの問題の正しい解決の仕方であると主張しており、今でも辺野古の海への基地移設が焦点となっていたことだろう。
そして、辺野古のおじいやおばあがこの14年間の間に体を張って座り込みを続けて、基地受け入れを許さなかった事態を打開するために強権的な手法を採用していただろう。

橋本政権の時代に基地への土地の提供をめぐって法律を改悪し、知事などの自治体首長の権限を取り上げてまで政府が軍用地への土地の提供を強行したように、地元住民の意向を踏みにじって辺野古の海での新基地建設を強行したことであろうことは想像に難くない。
その△紡海

普天間基地の撤去に向けて日本側は安保条約第10条をカードとして使え!

米軍基地退去を実現させた中央アジアのウズベキスタンとそれに踏み出すキルギス!
2001年9月のニューヨークにおける同時多発テロの後、米国のブッシュ前政権はこのテロの首謀者をビン・ラディン、および実行組織をアルカイダと断定。そして彼をかくまっているとの理由で、当時のアフガニスタンのタリバン政権に対し「対テロ戦争」と称する軍事攻撃を開始した。

images2299ところで、アフガニスタンに展開する米軍は、その周辺の国々の米軍基地によってサポートされながら軍事作戦を展開しており、そのための米軍基地がアフガンに隣接するウズベキスタンやキルギスに存在していることはあまり日本国内においては知られていない。
いや、もうちょっと正確に言えば、存在していたという過去形で表現するほうが正確かもしれない。

なぜならウズベキスタンに存在した同国南部のハナバード空軍基地は同国からの基地撤去要求を受け入れた米国が2005年の11月に基地の撤退を完了させているからだ。
また、注目すべきは日本政府が在日米軍に多大な「思いやり予算」を支払っているのとは対照的に、米軍が基地の賃貸使用料をウズベキスタン政府に支払っていたということである。(国際社会では「借地権」の保護はない)

他方、アフガンに展開する米軍をサポートするもう一つのキルギスの米軍基地も近い将来において退去に追い込まれる可能性がささやかれているという。
キルギスの場合、昨年の2月に同国の議会が米軍基地を閉鎖する法案を可決しており、この実行を無視し続けたことがバキエフ前大統領の最近の失脚の大きな要因であるとも言われている。
また、新しいキルギスの指導者は自らの国益に沿って米軍基地の存廃を決定すると断言しており、米軍基地の存続は予断を許さない情勢だ。

ウズベキスタンの米軍基地はすでに撤去され、キルギスの米軍基地は撤去される可能性が高まっており、米国の「対テロ戦争」にとって必要不可欠なアフガン周辺の最前線基地がその存亡の岐路に立たされているのである。

だが、自国の国益にとってマイナスと判断すれば毅然として退去を要求する両国の対応に米国としてはなすすべもなく、米国のアフガニスタン戦略は根本から見直しを迫られることは避けられない。

普天間基地の撤去には安保条約第10条が最良のカードになる!
このように米国が現在進行形で戦っている「対テロ戦争」にむけた最前線基地でさえ、代替施設の提供などなくして撤去されうるのであり、アフガニスタンからはるかに遠く、周辺地域も相対的に安定した沖縄にある一つの基地(普天間基地)が撤去できないはずがない。

むしろ鳩山政権は普天間基地の閉鎖を沖縄の民の意思を尊重する立場で米国に要求しさえすればよいのであり、代替地については米国のほうで考えてもらいたいという態度でよい。
もし、どうしても米国が代わりの基地を要求するのなら「ならばわが国は安保条約を再検討する」と毅然と対応することだ。

なぜなら日米同盟存続の前提条件である日米安保条約の第10条には以下の規定があるからだ。

「この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も他方の締約国に対し、この条約を終了させる意思を通告することができ、その場合にはこの条約は、そのような通告がおこなわれた後一年後に終了する」

images2277安保条約が締結されたのは1960年であり、条文に言う10年間の存続期間はとうに過ぎている。
現在は日本政府の一方的な終了通告のみで安保条約を廃棄できるのであり、その根拠がこの安保条約第10条である。
鳩山政権は安保条約をその規定に則って廃棄し、それを平和友好条約に変えるくらいの姿勢で普天間基地問題をめぐる対米交渉に臨めばよく、そうすれば同基地の撤去の道はおのずと切り開かれるだろう。

国民は海兵隊=抑止力という幻想の呪縛から自らを解放すべきだ!
さて、過去の自公政権からはじまり現在の鳩山政権にいたるまで、日本政府当局者は普天間基地の無条件撤去要求にたいして「それは無理だ」と言い続けており、さらにその理由に「海兵隊は日本を守る抑止力」であることを挙げる姿勢は現在まで変わることなく続いている。
だが、この「海兵隊は日本を守る抑止力」という言い分が幻想であることは米国の当局者が明言している。

◎「海兵隊は世界的な役割を果たす戦力投射部隊」(米議会予算委員会でのクリントン政権時のチェイニー国防長官答弁 1991年)
◎「(海兵隊は)いずれかの国の防衛にあたるものではない」(米上院歳出委員会でのレーガン政権時代のワインバーガー国防長官答弁 1982年)

また、日本の防衛省のスタッフもこの事実は十二分に認知しており、「海兵隊はいつでもどこでも出動する。特定地域の防衛に張り付くような軍種ではない」(柳沢防衛省防衛研究所特別客員研究員)と明確である。
すなわち沖縄の海兵隊は世界的な規模で「殴り込み」をかける部隊であり、日本防衛の任務を与えられた海兵隊員は一兵たりとも存在しないのである。

さらには沖縄の海兵隊に限らず在日米軍全体が「殴りこみ部隊」といっても過言ではなく、三沢基地の戦略空軍も世界的な規模の戦力投射部隊であり、横須賀を母港とする空母戦闘群(第七艦隊)もしかりである。
すなわち、在日米軍のなかには日本防衛の任務を与えられた兵士は一人もいないと言っても過言ではない。

それゆえ、安保条約第10条に則って安保条約の廃棄通告をおこない、軍事同盟から脱却した平和的な日米平和友好条約に切り替えることの可能性はけっして絵空事ではない。
現実的な根拠が立派に存在する。
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1972年に実現した沖縄の本土復帰をめぐる歴史的教訓と経緯から見た普天間基地問題

普天間基地問題はそもそもの原点に戻る必要があること
1945年(昭和20年)3月下旬に日本本土上陸をめざして沖縄へ上陸した米軍は、地上戦開始の直後に日本本土を視野に入れた攻撃拠点を確保する必要に迫られた。
そんな折、平坦な土地柄で村役場や国民学校(小学校)もあり、複数の部落も集中した旧宜野湾村の中心部が上陸した米軍の目に留まり、村を占領した米軍は住民を強制的に収容所に追いたてて基地を構築する

それゆえ、戦争が終わって元住んでいた場所に戻った住民たちは奪われて米軍用地となってしまった自分の土地には戻れず、アメリカが線を引いて囲い込んだ基地の外側にへばりつくようにして生活の再建を余儀なくされることとなった。

また、戦時国際法は戦闘状態であっても敵国の民衆の財産権は保証されるべきことを規定しており、戦闘が終わったらただちに返却すべきことを取り決めているが、旧宜野湾村での米軍基地の構築はこの戦時国際法にも違反しており、無法に強奪した土地の上に米軍基地を築いたものに他ならなかった。
これが沖縄の普天間基地がつくられたそもそもの始まりであり、基地は「勝者の権利」を行使した米軍が土地所有者の了解を得ないまま無法に奪い取った土地のうえに築かれたものであった。

それゆえ、もともと強奪した住民の土地のうえにつくった普天間基地をすみやかに返すのは当然であり、昨年の10月に来日した米国の国防長官が「辺野古に基地をつくらなかったら普天間は返さない。また、嘉手納から南にある基地の返還もグアムへの移転もなくなる」と恫喝している有様は“盗人たけだけしい”態度だといわざるを得ないだろう。
普天間基地の問題は原点に戻ってこそ正しい解決の筋道が見えてくるのである。
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「日米合意」を乗り越える道(沖縄復帰運動の経験から)
もっとも、米国言いなりの旧自民党政権が1996年の時点ですでに「移設条件付の返還」で合意しており、普天間基地の無条件撤去についてはこの「日米合意」があるから難しいとの有力な意見があることも事実であり、この意見にもそれなりの言い分があるように思える。
そして、このような意見はマスコミなどに頻繁に登場し、権力中枢にとどまり続ける対米追従勢力などの意に沿った発言をおこなう御用評論家や御用キャスターなどから発信されることが多い。

だが、沖縄問題をめぐる歴史的な経緯と教訓からいえばこの意見は誤っている。
images02そもそも、1972年に実現した沖縄の本土復帰そのものが日米間の条約の上では不可能とされた壁を乗り越えるたたかいによって実現したものであった。
すなわち、1951年のサンフランシスコ講和条約の第3条で日本は沖縄の施政権を米国に明け渡すことを決められており、条約のうえでは日本側から沖縄の本土復帰を要請する根拠は何一つ存在しなかったのである。

だが、それでも1972年には「核持ち込み」の密約などの様々な問題をかかえつつも、ついに沖縄の本土復帰は実現したのであり、それを可能にしたのは沖縄県民あげての「島ぐるみ」でのたたかいであり、それに固く連帯した本土のたたかいに他ならなかった。

1960年代に沖縄の祖国復帰を求める「島ぐるみ」のたたかいは未曾有の規模で広がり、本土でもベトナム侵略戦争反対のたたかいが幅広い民主勢力の手によって取り組まれ、これらのたたかいが沖縄返還に向けた沖縄の県民世論と本土の国内世論の高揚をもたらした。
そして、米国政府が最近公表した「沖縄返還交渉」をめぐる一連の秘密文書などを見ると米国の支配層がどんなにこれらの県民世論や国民世論を恐れ、またそれに追い込まれていったのかが生々しく伝わると言う。

「いまの日本の情勢は大変なことになっている」(ライシャワー元駐日大使)
「我々は正しく対処しなければ米国の国益を危険にさらすような日本の情勢に直面している」(ラスク元国務長官)

このような文言が公開された秘密文書にあふれており、沖縄県民が島ぐるみで団結しながら本土のたたかいとも固く連帯し、米国の支配層を「正しく対処しなければ米国の国益が危険にさらさせる」という状態にまで追い込んだことが、不可能に見えた条約上の壁を乗り越える最大の力となったのである。

それゆえ、「基地のない沖縄」「基地のない日本」をめざして沖縄と本土が固く連帯し、大きな国民的なたたかいを起こすことが、普天間基地の無条件撤去への道を切り開く唯一の道なのであり、その際には海兵隊は日本の平和と安全のために必要な抑止力であるという呪縛からも開放される必要がある。
なぜなら、この呪縛にとらわれている限りは日本側がその「移設先」を提案しなければならないという袋小路から抜け出すことができないからであり、事実、海兵隊は米国が他国に軍事介入するさいの「殴りこみ部隊」に他ならず戦争のための侵略力だからだ。

今、鳩山政権は「移設先探し」で迷走しており、橋下大阪府知事あたりは関西空港を普天間基地の移転先として提案しているようだが、無責任な「移設案」にふりまわされることは愚かしいことである。
無条件撤去で沖縄県民が団結し、本土が連帯してこそ解決の道が開かれるのである。
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アレン・ネルソン氏の訴えと沖縄普天間基地、および海兵隊の実態

凄惨なベトナムの戦場でアレン氏の目を開かせたものとは!
images22元海兵隊員であり平和活動家でもあったアレン・ネルソン氏が今年の3月に血液のガンで逝去している。

アレン氏は1947年にニューヨーク・ブルックリン生まれのアフリカ系アメリカ人であり、海兵隊員として13ヶ月間ベトナム戦争の前線で従軍した経験を持つが、米国に帰還後に重度のPTSD に苦しみ、その治療に18年を要したという。
そして、1995年の沖縄での米兵による少女暴行事件をきっかけに日本を訪問し、日本国内で反戦平和活動に従事しながら数え切れないほどの講演を各地でおこなった。

彼は日本各地の講演で凄惨で迫力に満ちたベトナム従軍体験を数多く語っているが、その白眉はなんといっても凄惨な戦場で偶然に出くわした「新しい命の誕生」との出会いであろう。

アレン氏の属する海兵隊中隊がある時、村を攻撃中に激しい反撃にあい、彼の仲間が大勢死んでいったという。
彼も死に物狂いで逃げ回り、ある民家の防空壕に命からがら逃げ込んだ時のことである。
驚いたことに、そこには苦しげな荒い息遣いをした15歳ほどの少女がうずくまっており、しかも下半身は裸であった。
だが、少女はまるで怪物でも見たかのような驚きで恐怖に震えていたが、逃げ出すこともできなかったというのである。

彼は逃げ込んだ防空壕の中で何がおこったのか最初は理解できなかったそうであるが、このときすでに彼女の両足の間から赤ん坊の頭が出ていたことを目にした彼は、とっさに自分がこの少女の力になりたいと思ったという。

ところが、戦場の現実はそのような甘い“人道”の入り込む余地を許さない。
案の定、アレン氏がとっさに差し込んだ手の中に生れ落ち、まだ胎盤がつながりヌメヌメとした湯気の立ち上る赤ん坊をとっさに奪い返した彼女は自分の歯でへその緒を噛み切って壕を這い上がり、脱兎のごとくジャングルの中に逃げ去っていったのである。

だが、戦場の真っ只中で遭遇したこの「新しい命の誕生」はアレン氏の人間性を呼び覚ました。
軍隊とくに海兵隊は兵士の意識から攻撃する相手の人間性を取り去るが、訓練で「ベトナム人は人間ではない」と叩き込まれ、ベトナム人を「けだもの」、「共産主義者」と決め付けていた彼はこの出来事をきっかけとしてベトナム人が自分たちと同じ人間であったことに気づいたという。

ルールなき戦場で女性・こども・老人を見境もなく殺し、また、けもののような怒号をあげて「殺せ」と叫びながら、人を殺すあらゆる方法の訓練を兵士に強いる海兵隊の実態を暴露するアレン氏の話は、日本各地で大きな衝撃と感動を呼び起こした。
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抑止力ではなく「侵略力」である沖縄の海兵隊は米国に引き取って貰うべし!
ところで、今年8月の総選挙で海兵隊普天間基地の「県外、国外移設」を公約に掲げた鳩山首相が、米国の圧力と基地の「県内たらいまわし」を許さないという沖縄県民の世論との間に挟まれて立ち往生していることは読者の皆さんがご承知のことと思う。

普天間基地の即時返還について鳩山首相はこのように語っている。
「本来はそうしたいが、安保、抑止力があり、代替地が見つからない場合、普天間基地を閉鎖しておしまいというわけにはいかない」

だが、現実は鳩山首相のこの言に反して、海兵隊は「日本の平和と安全のため」を守るために必要な「抑止力」などではなく、必要でなくすわけにはいかないシロモノなどでもない。
ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン・イラク戦争などの米軍の戦争でつねに先陣を切って「殴りこみ」の任務を与えられてきたのが沖縄の海兵隊であり、最近ではイラクファルージャでの民間人の無差別大量殺戮に参加した前科を持つ。

すなわち、沖縄海兵隊はその手を血まみれにした軍隊であり、沖縄を足場に世界への殴り込みを任務とする究極の「侵略力」であるところにその正体がある。
それゆえ、非人道的な無差別殺戮部隊である海兵隊のための基地提供はきっぱり拒否することこそ世界と日本の平和に貢献することであり、必要のない軍隊であるならば「移設」する必要はさらさらなく、自公政権のいい続けた「海兵隊は抑止力として必要である」という立場から決別して「移設」抜きの無条件撤去の立場に立った対米交渉をおこなう必要がある。

米軍基地の閉鎖を訴え日本中を行脚したアレン・ネルソン氏
ところで、前述のアレン氏であるが彼も沖縄の米軍基地をすべて閉鎖しろと日本中で訴え続けた。

アレン氏は沖縄で最も残忍な地上戦がおこなわれたことや、その際にはベトナムの村での防空壕の少女のように、沖縄の多数の女性がガマ(洞窟)や川辺で出産を強いられたことも知っていた。
また、彼は沖縄が現在も米軍の占領下にあって多くの住民が恐怖の日々を強いられており、1995年の米兵による少女レイプ事件を初めとした米軍の暴行事件による被害者が第二次大戦以来数千人にも及んでいること、およびそれが隠され続けてきたことも知っていた。

そして、彼は子供を持つ父親として暴力に囲まれて生活している多くの沖縄の子どもたちにも思いを馳せ、学校や家にいつ軍用ヘリコプターが墜落するかわからず、マシンガンや砲弾の音を絶えず耳にせざるをえない沖縄の子どもたちの現状に心を痛めていた。

それゆえ、彼はすべての沖縄の子どもたちが平和の内に育てられるように、アメリカは占領を終わらせ米軍は国に帰るべき時が来たとのメッセージを生前に日本中で発信し続けたのである。
沖縄県民の圧倒的多数の声がそうであり、アレン氏も訴え続けたように普天間基地は即時閉鎖とし、米国との間で無条件撤去を前提とした交渉をおこなうべき時が来ている。
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米国の脅しに右顧左眄する鳩山政権と米軍基地を撤去させたフィリピンの経験

1986年にフィリピンではマルコス大統領の独裁政治を打倒する国民のたたかいの高まりにより同政権が崩壊し、その後にアキノ政権が誕生する。
そして、この間のフィリピン国民の政治的経験は米国がフィリピンの米軍基地を維持する目的でマルコス政権の独裁政治を支えるためにフィリピンの内政に謀略的に介入しており、米軍基地がある限りは自国の本当の意味での独立と自由がないことをフィリピン国民自身が身にしみて知るには充分なものであった。

当時のアキノ新政権を支えたグループやフィリピン国会の上院議長は「米軍基地がある限り、我々の対米関係は健全で正常なものにはならない」と考え、新政権発足の政治目標の一つに「米軍基地の撤去」を掲げるにいたったのである。
だが、このようにスタートしたアキノ政権であったが米国の公然および隠然たる政治的圧力のなかで次第に米軍基地容認派へと変容していき、フィリピン国民からは「公約違反」との政権批判の声が上がりはじめる。

当時におけるフィリピンでのこれらの出来事は、総選挙中に民主党党首の鳩山氏が普天間基地の「国外・県外」移設を明言したにもかかわらず米国の高官の恫喝によって選挙中の公約を簡単に覆し、普天間基地の「県内たらいまわし」を沖縄県民に押し付ける態度へと一変した日本の新政権のケースときわめて酷似していよう。

だが、マルコス独裁打倒を実現した政治勢力やフィリピンでの基地撤去を求める世論はこの米国の圧力に屈することはなく断固としてその意志を貫いた。
とくに米軍基地撤去を実現させる中心勢力となったフィリピンの多くの上院議員は国民の「外国基地の撤去」の悲願を貫き、基地存続を狙う米国との交渉でアーミテージ交渉代表との丁々発止のやりとりをたたかわす。

フィリピン側が米軍基地の撤退を求めるのにたいして、アーミテージ氏は「これでわが国とフィリピンとの関係は終わりだ」と激怒し交渉を決裂させ、もの凄い剣幕でフィリピン側を恫喝したという。
「米国の抑止力がなければ外国に攻め込まれるぞ」
「米軍基地がなければ経済的関係は終わり、経済は破綻する」


だが、基地撤去を目指す上院議員が過半数を占める当時のフィリピン上院は米国の恫喝に頑として屈せずに基地反対を貫き、米軍基地存続を目的とした新しい条約を否決したためにクラーク海軍基地とスビック空軍基地のフィリピンへの返還が実現したのである。1992年の出来事であった。

また、この一連の動きは「米国との友好や協力、貿易は望むが、服従は真っ平ごめんである」とのフィリピン国民の世論が米国の圧力を押し返したことを意味する。

米軍とくに海兵隊は抑止力としても不必要である
さて、米国の「抑止力」という後ろ盾を失ったフィリピンであり、その後は米国の言うとおりに他国の侵食や脅威に悩まされてきたかというとまったくそんなことはない。
近隣諸国との友好関係はその後も広まり、フィリピンの加入するASEAN(東南アジア諸国連合)は加盟国間の紛争の話し合いでの解決を目的とした地域協力組織(TAC)をユーラシア大陸全体に大きく広め、ついには米国もこの地域協力組織の一員として加入するにいたっている。

また、基地の跡地は積極的に活用され、今では多くの雇用を生み出すほどになっており、米国と関係でも非軍事面での協力関係がますます発展しているというのが皮肉にも今日の現実だ。

さて、民主党を中心とした鳩山政権は海兵隊は「日本の平和と安全のために必要」という立場にたっており、必要なものならなくすわけにはいかず、「移転先」や「代替基地」を提供しなければ普天間基地の問題の解決はないとしている。
だが、問題となっている普天間の海兵隊はアフガンやイラクの戦争で真っ先に駆けつけて奇襲攻撃の尖兵となった「殴りこみ専門」の部隊であり、平和のための抑止力とはお世辞にも言いえないシロモノである。

2003年のイラク開戦には沖縄の海兵隊をはじめとして横須賀の空母機動部隊なども加えると在日米軍1万人がイラクに派兵され、普天間基地のヘリ部隊は04年のイラクファルージャにおける劣化ウラン弾を大量に使用した民間人の無差別殺戮にも公然と参加している。

政局的な思惑で問題の先送りをおこない「新しい移設先」を探すという、今の鳩山政権のやり方では普天間基地問題の解決ははかれない。
自公政権以来の「海兵隊は抑止力として必要」との立場から袂を分かち、普天間基地は無条件に撤去という立場で米国との交渉に腰をすえてあたってこそ普天間問題の打開の道が開かれるのではなかろうか。

その際には、フィリピン国民のたたかいで米軍基地を撤去させた国際的な先例こそ見習うべきものとなるはずである。
フィリピンの先例を振り返ると、在日米軍基地をめぐる旧政権や米国の言い分がただの脅かしにすぎないものであることが歴史的な事実をもって裏付けられるのではなかろうか。
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植草元教授の主張する普天間基地の変種の「県内たらいまわし」論を批判する!

植草元教授の主張は形を変えた基地の「県内たらいまわし」にすぎない
さて、あまた存在する政治ブログのなかでもっとも有名なもののひとつが植草一秀元教授による“植草一秀の「知られざる真実」”であるが、筆者は偶然にも同氏が最近の同ブログ記事のなかで普天間基地の問題をテーマに取り上げていることに目が留まった。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6cf7.html

植草氏は普天間基地の「代替」として、ジュゴンやサンゴ礁などの生息する辺野古沖を埋め立てて大型滑走路を建設する現行計画を変更し、大型滑走路の要らない単なるヘリコプター離着陸施設をキャンプシュワブ地区に建設する方向に変更すれば、かけがいのない自然を大型滑走路建設による破壊から守ることができると提案している。
そして、この方向で日米協議をおこない新たな合意を成立させるべきであると主張しているのであるが、植草氏のこの提案は形を変えた米軍基地の県内たらいまわしである点は旧来の計画となんら変わるものではない。

だが、危険きわまりない普天間基地は即時に閉鎖する、美しいサンゴとジュゴンの海である辺野古沖には基地はつくらせない、いかなる形でも基地の県内たらいまわしは許さない。これが沖縄県民の圧倒的多数の声であり、21000人の沖縄県民が11月8日に宜野湾市で開かれた「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」に参加し、普天基地返還と県内に新しい基地をつくらせない固くて強い意思を改めて示したことがそのことを雄弁に照明している。

鳩山首相は選挙期間中に普天間基地は「県外・国外」に移設すると明言しており、公約を守り、沖縄県民の圧倒的多数の声を代弁して本腰を入れた交渉を米国とおこなうことこそ沖縄県民や国民の声に沿った正しい選択肢である。

それゆえ、植草氏の主張するようにキャンプシュワブ地区に大型滑走路を伴わないヘリコプター離着陸施設を建設する方向で新たな計画を描きなおすことに、この問題の解決の方向を求めるべきではなく、これは形を変えた基地の県内たらいまわし以外何者でもない。

植草元教授は小泉首相在任中に小泉・竹中「構造改革」路線を真正面から批判した在野の気骨ある超一流のエコノミストではあるが、普天間基地の問題に関する氏の提案は県外移設や国外移設の選択肢を排除したものであり、民主党支持ブログの筆頭である植草氏の立場から見ても論旨が一貫していないことは明白である。

植草元教授の主張する外交の継続性について!
さて、普天間基地をめぐって、新基地建設推進派が唱える推進理由のなかでもっとも有力なものが「外交の継続性を重視すべきだ」という主張であり、自民党政権が合意してしまった名護市辺野古沖での新基地建設計画をふくんだ日米政府間合意を挙げ、外交の継続性を根拠に政権交代しても国際約束は変えてはならないという。
ところが、植草元教授は氏のブログの中で新基地建設推進派の唱えるこの主張に一定の理解を示しながらこう述べている。

「外交は国と国の関係であるから「継続性」を重視する必要がある。政権交代が実現しても過去の外交交渉は消滅しない。明治時代には江戸末期に締結された不平等条約の改正が明治新政府の重い政策課題になった。
自民党政権がキャンプシュワブへの移転で米国と合意を成立させてしまった現実が存在する以上、この点を踏まえない訳にはいかない。」

これは、西欧列強の横暴がまかりとおっていた19世紀中葉の国際社会の現状と、対等・平等・主権尊重・内政不干渉の民主的諸原則が曲りなりにも確立した現代の国際社会をごっちゃにした粗雑な論法である。
現代の世界では国民世論を背景にした政権交代で政府間の合意を変更した例は少なくないのであり、政権交代の結果として外交面で政策を再検討すること自体は米国の当局者であっても否定することはできない。

2006年の大統領選挙で対米自立外交を掲げるコレア政権が誕生したエクアドルでは親米の旧政権が締結した米国との基地貸与協定を継続しない方針を米国に通告し、外交交渉の末に米軍の完全撤退が今年になって実現している。

また、1984年の総選挙で成立したニュージーランドの労働党政権は選挙公約にもとづき核兵器を搭載した米国の艦船や航空機の寄港・着陸を禁止した結果、同国と豪州および米国の三国間で締結した軍事同盟が機能停止におちいったが、同国はこの政策を貫き、現在にいたっても非核政策を堅持している。

だが、これら両者の事例にあっても米国との政府間合意を変更したことで米国との関係が悪化したとの事実はないし、選挙公約を実現することは民主国家にあっては当然のこととされている。
外交の継続性を過大に重視する植草元教授の論拠は現実の世界の動向から見ても成り立たないものではあるまいか。
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