光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

社会主義とソ連

崩壊した旧ソ連社会は社会主義社会であったか?(社会主義の事業の終焉?)その2

結論:旧ソ連は社会主義社会ではない
社会主義とはあらゆる抑圧や搾取、暴力からの人間の解放を目的としており、人民が主人公となる社会をめざす事業であるところに本来の存在意義がある。
だが、人民が農業でも工業でも経済の管理から閉め出されて抑圧の対象となった社会、それを数百万人といった囚人労働が支えている社会が本来の社会主義社会でないことはもちろん、資本主義社会から社会主義社会へと移行するにあたり、不可避的に避けられない“過渡的な社会”でもないことは明白であると筆者は考える。

images102このようにスターリンは社会主義とは無縁な社会への転落と逸脱の道につきすすみ、それをその後のフルシチョフやブレジネフ、ゴルバチョフなどといった歴代のソ連指導部が強制収容所の廃止や縮小といった一連の「緩和策」を講じたものの、スターリンの転落と逸脱の道に根本的なメスを入れることをせずに、そこから抜け出す努力を怠ってきたところに旧ソ連崩壊の根本の原因があったと筆者は考えている。

また旧ソ連は第二次大戦前後にバルト三国やポーランドの併合等といった領土拡張を公然とおこない、大戦後もチェコスロバキアへの軍事侵攻やアフガニスタンへの侵略戦争など覇権主義の害毒を撒き散らしながら国際社会に戦争の火種と緊張をもたらしてきたことなどを考え合わせると、ソ連の崩壊は長い目で見れば、世界中の社会主義や平和、進歩を目指す人々にとって、まさしく新しい世界と21世紀の社会主義の展開の可能性を開く端緒となる出来事となったのではと筆者は考える。

追伸
以下は今年度の国連総会での各国代表による一般討論でもっとも異彩を放ったベネズエラのチャベス大統領の演説であり、ここに21世紀の社会主義の萌芽を感じるのだが、同時にチャベス大統領は年々強権的な政治家へと変貌していることも事実として指摘しておかねば公正さに欠くこととなろう。

「いま地政学的な革命がすすんでいる。道徳的、精神的、包括的、そして不可欠の革命だ。
数世紀に渡る中南米カリブ海の無数の人々の苦しみを経て、世界はこの瞬間に到着した。この革命の結果、21世紀は社会主義の世紀となるだろう。
資本主義は変革を許さずに破滅へと進む道だ。故ケネデイは暗殺の数日前に、飢餓が南の革命の主な原因だと述べたが、彼は革命家ではなかったが知的であった。

おなじようにオバマ氏も知的であり、前日に彼が話したこのテーブルには、もう硝煙の匂いはなく、希望の香りがする。
いま進んでいる革命は、山中にいるゲリラからあらわれた革命ではなく、むしろ平和的であろうとする民主革命だ。
この世紀はわれわれの世紀であり、われわれ自身が道を切りひらく。だれもわれわれをとめられない。帝国主義は終わる。米国が核不拡散を追求するなら、自らの核兵器を破壊し、気候変動問題に取り組みたいなら言葉を行動に移さねばならない。

長い間だれもが、新しい世界秩序について耳にしてきた。新しい機構、新しい経済をもつ新しい枠組みが必要だ。その世界はもう生まれはじめている。」

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崩壊した旧ソ連社会は社会主義社会であったか?(社会主義の事業の終焉?)その1

旧ソ連や東欧の「社会主義諸国」の劇的な崩壊
1989年の夏に東ヨーロッパで政治的な激変がおこった。
同年の8月にはポーランドでソ連に従属した政権が倒れ、自主性を旗印にした「連帯」系のマゾビエツキ政権が誕生したことをきっかけに、11月には「ベルリンの壁」の崩壊、12月にはルーマニアのチャウシェスク政権の瓦解と続き、翌1990年には「社会主義諸国」の崩壊は東ヨーロッパの全域とバルト三国へと拡がっていった。

社会主義・共産主義は崩壊しつつある。資本主義か社会主義かの体制選択の勝負はついた」
当時はこのような宣伝が日本国内の反共政党や商業マスコミにととまらず世界中で洪水のようにあふれかえっていた。

だが、東欧ではじまった旧体制の解体現象は東ヨーロッパにとどまらず、1991年には「旧社会主義諸国」の宗主であり本家であるソ連を直撃し、同年の8月にはソ連共産党が党の解散へと追い込まれていく。
そして、間髪をおかずに共産党の解散からわずか半月後にはソ連国家そのものも連邦の解散を決定し、ここにおいて文字通り旧ソ連は解体してしまう。

アメリカを中心とした資本主義世界はソ連の崩壊を社会主義・共産主義の事業の崩壊と見立て、「資本主義が勝った」と勝利の凱歌をあげ、世界の社会進歩をめざす勢力の間にもソ連の崩壊を社会主義の事業の敗北と受け止め、その後の世界に対して悲観的な見通しに落ち込む傾向が全世界的な規模で生じた。
そして、この出来事から10数年が経過した現在にいたっても、なおこのような考え方が社会の隅々に根強く存在していることは否定すべくもない。

だが、あらためてふり返って見て、ソ連の崩壊という現象が果たして社会主義・共産主義の事業の崩壊であり、社会主義が歴史的に敗北したことを意味するのであろうか。筆者は大いに異論をいだいている。

社会主義とソ連社会の実相
社会主義とは一言でいえば「生産手段の社会化」を意味し、生産手段とは極端にアバウトな表現を使えば全産業における主要な生産設備のことであって、これらを「社会化」、すなわち大資本家から働く人民の手に移すことであり、これによって労働の搾取を廃止し、人民が社会生活の隅々にわたって経済の管理に参加することを通して社会の主人公となる世の中のことである。

だが、ロシア革命とソビエト政権の最初の指導者レーニンが逝去した後、1930年代にはいりスターリンの実行したことはこれに著しく逆行したものであった。
スターリンは農業の「集団化」という名目のもとに農民を強制的にコルホーズなどの集団農場へと追い立て、国内の移動や旅行の自由さへも奪われた農民は極端な隷属的な条件のもとに置かれたうえ、強制的な集団化に反抗する数百万の農民はシベリアその他への収容所へと追放された。

images101本来は農業分野での主人公であるべき農民が実生活の中で協同化のメリットを学び、彼らの自発性を尊重しながらの協同組合化こそが農業の社会主義化の王道であるが、スターリンはこの方針をいとも簡単に投げ捨ててしまった。

また、スターリンの時代には工業の面でも、経済管理への労働者や労働組合の参加はまったく顧みられなくなり、労働者は賃金や労働時間などの労働条件の問題について交渉する権利さえもが奪われ、人権を蹂躙する過酷な労働制度が強権的な手法によりソ連全土のあらゆる階層の労働者に強引に押し付けられていく。

たしかに当時のソ連にあって、形のうえでは生産手段の「国有化」や「集団化」が推し進められていくが、それらは生産手段を人民の手に移すことを意味しておらず、人民が社会の主人公となるどころか、逆に人民を経済の管理からしめだして、スターリンなどの専制的な指導部が経済の面でも全権限を握る専制主義と官僚主義の体制の完成をすすめる手段となったところに旧ソ連の特異性があり、スターリン治下のこれらの「国有化」や「集団化」はかえって旧ソ連社会の反人民的・反社会主義的な性格を強めていった。

そして、このようなスターリン型体制のきわめ付きは広範な囚人労働の存在である。
囚人たちの人的供給源は農村から追放された農民や政治囚、および大量弾圧の犠牲者などであり、強制収容所の囚人労働は毎年何百万という規模で、1930年代から50年代のフルシチョフによるスターリン批判前後にいたるまで続いたという。

そして、この強制労働の制度は零下50度というシベリアの極寒の条件での休日も休息もない長時間労働など、普通なら不可能な過酷な条件での労働の存在を可能にし、スターリンが誇った多くの巨大建造物や巨大工業群の建設の基盤となり人柱ともなっていった。

また、囚人労働の存在は当局から「社会主義の敵」や「スパイ」などの烙印を押されてしまえば誰もがそこへ転落するといった恐怖心で国民をしめつけ、旧ソ連での恐怖政治の社会的な支柱の役割を果たしたのである。

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西岡三郎
千葉県銚子市に在住
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