光をめざして

社会や身の回りにおこったこと、その他もろもろの出来事について折にふれて感じたことを投稿します。

核兵器の廃絶

北東アジアでの平和的環境をつくることこそが核のない世界への道(米国の核の傘からの離脱の現実性)

untitled2244日本列島の隅々で記録的な猛暑が続く2010年の夏、核兵器廃絶の機運が高まるなかで8月6日の広島平和記念式典が開かれた。
記念式典で「広島宣言」を読み上げた秋葉広島市長は、米国の「核の傘」からの離脱を日本政府に求めるスピーチをおこない、核兵器廃を願う広島市民の願いを日本中のみならず全世界に向けて発進した。

それにたいし菅首相は式典挨拶で、わが国は唯一の被爆国として核兵器廃絶のリーダーになること、また被爆者を政府の非核特使として海外に派遣するなど、あたかも地球上から核兵器を廃絶したいという広島のこころ、被爆者の願いに応えるかのようなスピーチをおこなった。
そして、この首相あいさつは被爆者の間に、これほど自分達の気持ちを考えてもらったことはいまだかって一度もなかったという感激をもたらしたのであった。

だがこの舌の根も乾かぬうち、記念式典直後の記者会見で菅首相は「核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散もあり、核抑止力はわが国にとって引き続き必要である」と発言したことで、菅首相の本心は「核を残そう、いや残すべきだ」というものであったことがはからずも露呈されてしまった。
また、記念式典でおこなった首相スピーチとまったく矛盾した記者会見での発言内容は核兵器を廃絶したいという広島のこころとは反対の方向であり、「二枚舌」との怒りを多くの広島市民の間にひきおこした。

核抑止力は“核兵器を使うぞ”との脅しによって成り立っているものであり、この「核抑止」の論理では脅しの対象とされた国がまったく同じ論理で核兵器を保有することを妨げることができず、核兵器拡散の元凶ともなる。
もし、本気で「核兵器のない世界」を実現しようと思えば核抑止力という立場から抜け出していく外はない。

この菅首相の発言は日米軍事同盟(日米同盟)が当然であり、米国の核兵器に依存し続けようという点では歴代自民党政権となんら変わらないばかりか、史上初めて米国やイギリス、フランスといった核保有国の政府代表や国連事務総長が広島での記念式典に参加し、「核のない世界」への気運が盛り上がっているなかでのものだけにいっそう重大なものであることは疑いない。

東南アジアの平和の流れを北東アジアにも及ぼす外交努力こそ求められること!
だが、こういう声をあげる人もあるだろう。
「広島や長崎の人たちには申し訳ないことであるが、日本のまわりの北東アジアの情勢や中国・ロシアなどの行動をみればやはり核兵器は必要であり、核のない世界といっても現実性がないではないか」

だが、今日本に求められることは米国の核兵器にしがみついて虎の威を借りることではなく、東アジアに平和的な環境をいかに作り上げていくかという外交戦略であり、それをやり遂げることのできる外交力ではなかろうか。

untitled2310かって冷戦時代に東南アジアではタイやフィリピンなどを中心として米国の軍事同盟網が張り巡らされ、米国の介入によりベトナムをはじめとしたインドシナ三国ではベトナム戦争の戦火が絶えることがなかった。
だが、米国のベトナムへの介入戦争が破綻してインドシナから米軍が撤退し、またこの地域の軍事同盟網も消滅した跡に生まれてきたものがASEAN(東南アジア共同体)という平和共同体である。

そして、このASEANを軸に紛争の平和的な解決のための地域的な枠組みが作られ、人的な交流と経済的な交流が盛んになった東南アジア一帯は今では世界で最も経済発展の目覚しい地域として生まれ変わっており、世界からも注目の的となっている。
また、ASEANを中心に東南アジア友好協力条約(TAC)がつくられ、今年はカナダやトルコが加入し、EU(欧州連合)の加入によって、加入国は54カ国、人口の面でも世界人口の7割までが参加するほどまでに拡がった。

このように平和の流れが東南アジアを基点として澎湃と湧き起こっているのであるが、この流れをいまなお、緊張と紛争の要因が残されている北東アジアにまで拡げるための外交努力こそ、いま日本にもっとも求められていることではなかろうか。

人的・経済的交流の進む日中米の現状と抑止力から抜け出す現実性!
また、日本と中国は「戦略的互恵関係」を確立し、米国と中国も「戦略的パートナーシップ」を確立している。
そして、それぞれが経済的、人的交流をいよいよ深めているのであり、さらに中国は米国の国債の最大の保有国であり、日本にとって中国は最大の貿易相手国である。こうした現状はこれらの国々の間での紛争をもはやおこしえないものにしていることは明らかであろう。

また、ロシアとも領土問題での息の長く粘り強い交渉を続けながら、人的交流や経済的交流を飛躍的に発展させることは可能であり、そうであるならばその現実にたって軍事力で対抗する思考から脱却をはかるべきである。
日本政府は軍事の呪縛から抜け出して、北東アジアに平和的な環境を作り出す外交戦略をもち、そのための外交努力を払うべきであり、そうやって進んでいくことの向こう側に核抑止力や核の傘からの脱却の道が見えてくるであろうし、核のない世界への道が切り開かれるはずである。

21世紀は軍事大国や経済大国など少数の「大国」が世界を動かす時代ではなくなりつつあり、すべての国が対等・平等の資格で世界政治の主人公となる世界への道が切り開かれつつある。
このような世界にあっては大事なものは軍事力でも経済力でもなく、その国がどのような主張をしているかによって国の値打ちがはかられることとなるだろう。
道理にたった主張をする国は尊敬されるようになり、自分の主張のない国は相手にされなくなる。

政権が変わっても米国との軍事同盟(いわゆる日米同盟)が神聖不可侵とされ、なにかというと軍事で身構え、米国言いなりであって自分の主張はまるでない。
日本がこのような国であり続けていいはずがない。


追記
もちろん、平和外交の努力を尽くしながらも、さしあたってはいかなる場合でも必要最低限にして自主・自立の“防衛力”(実力組織)の整備が前提であることは言うまでもない。
筆者は非武装中立の立場にたつものではなく、また帝国主義軍隊の解体という前衛的な空論に与するものではない。
だが、対米従属で米軍の補完部隊である安保体制化の自衛隊の現状を肯定はしない。
いずれにしろ従前の“左翼”的な発想の枠組みは通用しない時代であることは間違いない





核兵器廃絶への道は見えてくるか。(核廃絶はできる イエス・ウィ・キャン)

なんと米国が核兵器廃絶を国家目標にした!
さる4月5日に米国のオバマ大統領が「核兵器のない世界を追求する」とチェコのプラハでの演説で語り、歴史上はじめて核兵器廃絶を米国の国家目標とすることを公式に表明した。
また、第2次大戦中の米国による広島・長崎への原爆投下に関連し、同演説において核兵器を使用した唯一の核保有国としての道義的責任を初めて表明したオバマ大統領は、この立場と自覚から行動する米国の責任にも言及し、くわえて「核のない世界」に向けての諸国民の協力をも呼びかけた。

これらの言明が、一貫して核抑止力の立場に立ち強大な核戦力を維持し続けてきた米国の大統領としての公式の発言のなかでおこなわれことの歴史的な意義は、世界中の人々とりわけ唯一の被爆国である日本の国民にとって非常に大きい。

ただ、この歴史的な意義を持つオバマ演説にも「玉にキズ」ではないが、問題点がないわけではない。
それは核兵器のない世界にお目にかかれるのは「私の生きているうちは無理だろう」とオバマ大統領自身が述べていることである。
国連が発足した1946年に初めておこなわれた国連総会決議において、全加盟国一致で議決された第一号決議は「原子力兵器などいっさいの大量破壊兵器の廃棄」に取り組むことを決めた。

だが、それからの六十数年間のあいだに核兵器の廃絶を正面からの主題とした国際交渉がおこなわれた事例はなく、誰もこの重大な主題に正面切ってとりくんではいない。
それどころか、交渉はおろかその呼びかけさえおこなわれずに半世紀以上もの長い時間が経過してきたのが国際社会の現実でさえある。
交渉呼びかけから交渉の開始、そして合意、さらには実行まで多くの時間がかかってしまうことは国際交渉の通例ではあるが、核兵器廃絶をめざした国際交渉は歴史上はじめての試みでもあり、どのような経過をたどるかは実際にやってみなくてはわからない。

それゆえ、やる前から「私の生きているうちは無理」と断言する根拠はなく、オバマ大統領のこの発言は消極的であるし、これでは核戦争は避けられないというニヒルな宿命論に毅然として立ちむかえない。
まず、足を踏み出して実行することが肝要である。
オバマ大統領が核保有国の首脳たちに呼びかけ、歴史上初めてとなる核兵器廃絶のための国際条約を締結することを目的とした交渉を開始することに画期的な意味があり、それはその意思さえあればすぐにでも実行可能である。
「核のない世界」への挑戦はこれまで誰も取り組んだことのない前人未到の高峰であるが、オバマ大統領はこの難題の扉を開くべきであり、それこそが核兵器を使用した唯一の国としての道義的責任といえるだろう。

そして、核兵器廃絶の技術的可能性については全く問題がない。
世界中の核兵器から兵器用の核物質を取り出して廃棄することに関する技術的な困難はなく、やる気になれば廃棄は短時日のうちに完了するだろう。

核兵器廃絶と核削減のための部分的措置などについて
ところで、70年代の米ソ間の戦略兵器制限交渉(SALT)や90年代の米ロ間の戦略核兵器削減条約(START)といった従来の核軍縮にかかわる数々の部分的措置は、核兵器廃絶という目標と一体のものとして取り組まれることはなく、核兵器廃絶という目標抜きの部分的措置の積み重ねという限界と弱点を持っていた。
核軍縮をめざした部分的措置はおこなわれてきたが、それが核兵器廃絶という目標と一体のものでなかったことが、いまだに世界には2万発以上の核兵器が存在するという現実をもたらしており、その量は全人類を何十回となく皆殺しにできる膨大なものだ。

特に1963年に米国やソ連、および英国の間で締結された部分的核実験停止条約は、大気中や海中の核実験を禁止したものの地下核実験を逆に合法化してしまい、大規模な核軍拡競争をまねく引き金となって核軍縮に逆行する重大な結果すらもたらした。
歴史が教えることは核兵器廃絶という目標ぬきの部分的措置の積み重ねでは、「核兵器のない世界」にはたどり着くことができないということだ。

それゆえ、核軍縮をめざした部分的な措置は核兵器廃絶という目標と一体となって取り組まれるときにのみ、肯定的で積極的な意義を持ちうる。
オバマ大統領は「核のない世界の追求」を呼びかけたプラハ演説の中で、包括的核実験禁止条約批准や兵器用の核物質を製造禁止する条約などいくつかの部分的な措置をも提唱しているが、これらの一連の具体的な措置を核兵器廃絶という目標と一体のものとして位置づけている。
核軍縮交渉の歴史をめぐる長年の閉塞状態を打ち破る可能性が、歴史上はじめて切り開かれうるという意味でもオバマ大統領のプラハ演説の内容は画期的である。

imagesCA77YIJSまた、核不拡散条約(NPT)という核保有国の増大を阻止するための国際的な枠組みが存在するが、この条約は米ロ英仏中という既存の核保有国の核兵器の開発や保有を黙認し合法化するものであり前例のない差別性と不平等性をもっている。
それでも、国際社会がNPT条約を受け入れているのは条約のなかで、既存の核保有国が核廃絶への真剣な努力を実践することを約束しているからにほかならない。

だが、この条約が発効して以降もインドやパキスタン、イスラエル、北朝鮮など核保有国が増え続けていることは、この条約の発効いらい39年間、既存の核保有国がこの約束を誠実に履行しようとしなかったことにその最大の原因があった。
核保有国は自ら率先して核廃絶に向けた真剣な取り組みをおこなってこそ、他の国々に核兵器を持つなと説得できる政治的・道義的な立場を持つことができるのであり、この方向のみが新たな核保有国の出現を阻止できる条件をつくりだす。

ゆえに、オバマ大統領がプラハ演説で「核のない世界を追求する」と述べたことは、既存の核保有国の核兵器への固執により形骸化しつつあるNPT体制に新たな息吹を吹き込み、NPT体制の実効性を高め核兵器のはてしない拡散という危険性にストップをかけるきっかけとなるだろう。
また、既存の核保有国が核廃絶に本腰を入れて取り組みだせば、北朝鮮の核問題の解決にとっても大きな力となって働くことは間違いない。
「核のない世界を追求する」というオバマ演説はいろいろな意味で画期的である。

核のない世界にむけて日本国内でもチェンジを(核戦争阻止と憲法)

2009年の4月5日におけるオバマ大統領のプラハ演説には従来の米国の方針にはなかったつぎの三つの言明が含まれていることに注目すべきだ。

・米国が核兵器の廃絶を国家目標とすることを初めて宣言したこと
・広島長崎での原爆使用が人類的道義にかかわる問題であることを認め、その観点から核兵器廃絶への米国の道義的責任について語ったこと
・核兵器の廃絶にむけて世界の諸国民の協力をよびかけていること

このような言明が米国大統領としての公式の発言のなかで行われたことは唯一の被爆国の国民である私たちにとっても歴史的な意義を持つ。
核兵器の廃絶に向かって米国がまったく新しい一歩を踏み出した現在、唯一の被爆国の政府である日本政府が核廃絶をテーマにした国際交渉を開始するためのイニシアチブをとることは日本政府の権利であり、また道義的な責務でもあるはずだ。

「世界中が大きく歴史を転換させうるきわめて重要で前向きの話だ」
「オバマ演説はすごい演説だった」

これらのコメントは麻生首相のオバマ演説にたいする感想として伝えられているものであり、麻生首相が一定の感銘を受けていることは確かのようである。
ところが、日本政府が米国に求めていることは「核抑止力をふくむ拡大抑止(核の傘)」の維持であり、米国大統領が「核兵器のない世界」への協力をよびかけているときに、逆に米国の核戦力への依存を確認することがオバマ演説にたいする日本政府の公式の対応だ。

欧州諸国はオバマ演説に歓迎を表明し、さらにふみこんだ前向きの具体的な措置へと次々と乗り出そうとしている。
ドイツは同国に残されている米国の戦術核兵器の撤去を提唱し、英国でも核兵器廃絶に向け、核兵器に依存しない安全保障政策の具体化へ踏み出すことを検討し始めたという。

世界で唯一の被爆国である日本政府は本来、「核のない世界」を追求するとのオバマ大統領のよびかけをもっとも歓迎し、もっとも積極的な対応をすべきであるが、逆に私たちの国の指導者が「核の傘」の維持を米国に求め核兵器廃絶への逆流となっていることは皮肉なことだ。

ところで、現在では憲法9条と核兵器廃絶への願いがつながっていることはあまり知られていないようだが、歴史を振り返ると、この両者の分かちがたい結びつきを知ることができる。
日本軍国主義の侵略と植民地支配は、日本国民三百万人以上、アジアで二千万人以上という甚大な犠牲者を生み、このような悲劇を二度と繰り返してはならないという痛苦の反省が憲法9条を生み出す歴史的な土台となったことは知られている。

しかし、1945年8月の広島・長崎への原爆の投下により二十万人をこえる無垢の人々の命が一瞬に奪われ、二つの都市が一瞬にして廃墟となった地獄を、世界のどこでも繰り返させてはならないという強い思いが憲法9条を生み出すもう一つの歴史的な土台となったことも記憶されるべきだ。

一度戦争がおこれば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。
原子爆弾の出現は戦争の可能性を拡大するか、逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである
。」

これは日本国憲法が公布された1946年の11月に当時の内閣が発行した「新憲法の解説」と題する小冊子に記載された一説である。
核兵器がすでに使用され、「文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺する」という歴史上かってなかった現実が目の前に出現したが、それならば文明の力によって戦争を抹殺(放棄)し、軍事力(陸海空軍)などいっさいの戦力を放棄しようと、当時の内閣は国民に啓発していたのである。

この事実は核兵器による広島・長崎での言語を絶する惨禍の出現が憲法9条を生み出すもう一つの歴史的な土台となったことを裏付けている。
憲法9条には甚大な犠牲を強いる悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないという決意とともに、「核戦争をおこしてはならない」という日本の国民の強い思いがこめられており、アジア太平洋戦争の惨禍と、原子爆弾がもたらした壮絶な地獄という二つの歴史的事実の重みが憲法9条の根っこに存在する。

今や「核兵器のない世界」をめざし、どんな問題でも外交的な話し合いで解決する新しい時代の扉が開かれようとしており、オバマ大統領の提唱はその時代の到来の象徴である。
日本国憲法の出番とも言うべき時代が到来しており、日本のはたすことのできる役割は限りなく大きい。

来るべき総選挙で自公政権に変わる非核平和の政府が誕生することを期待したいが、さしあたっての政権政党と目されている民主党が本当の意味での平和主義の政党に脱却することを願いたい。
untitled

核兵器の廃絶を米国の指導者が言い出した!(すごいチェンジだ)

米国のオバマ大統領は4月5日、チェコのプラハで核兵器に関する演説をおこない、「核兵器のない世界」の実現をめざし、行動を起こすことを米国の現職大統領としてはじめて公式に表明した。

オバマ氏は「核兵器の拡散は防ぎきれない、チェックしきれない、我々は究極的な破壊兵器をますます多くの国と人々が保有するような世界に住む運命にある」という悲観論、敗北主義にたいし手厳しい批判をおこない、「そうした宿命論こそが、生かしてはおけない敵なのだ。なぜならば、もし核兵器の拡散を不可避と考えれば、結果として、核兵器の使用も不可避だと認めることになるからだ」とまで言い切り、核兵器をなくす強い意志を強烈に印象づけた。

「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動すべき道義的責任がある」

「核兵器のない平和で安全な世界を追求する責務を負っていることを、私は明確に宣言する」


さらにオバマ氏はプラハでの演説においてこのように語り、核兵器廃絶に向けた戦略的ビジョンを示したうえで、第二次大戦で広島、長崎において核兵器を使用した国としての道義的責任について初めて公式に言明した。

従来の米国の政権が広島、長崎への原爆投下は第二次大戦を早期に終了させ、日本本土決戦で失われるであろう米国の若者数百万人の命を救ったと言い張り、その正当化を公然とおこなってきたこと比べ大きく踏み込んだ発言であり、一万一千発の核兵器を保有し続ける世界最大の核兵器大国である米国の指導者が核兵器廃絶の意思を表明したことと併せ、過去に例のない画期的な出来事だ。

核兵器の先制使用を公然とかかげ、国際政治の場では核兵器の廃絶論を敵視してきたブッシュ前政権と比較し、オバマ政権のこの分野での“変化”には目を見張るばかりである。

「しかし、私たちは世界を変えられないという声を無視しなければならない。私たちは「イエス・ウィ・キャン」(そうだ、やればできる)と主張せねばならない」

このように結んだオバマ氏のプラハでの演説は、数十年後あるいは百年後に「核のない世界」が実現した未来の世界で、かって米国の指導者が演説したことがすべての始まりであったと振り返られる時に、きっと思い起こされるのではないだろうか。大歓迎のオバマ演説である。

ところで、この「核兵器のない世界」というビジョンにもとづき、オバマ演説では核兵器のない世界に向けての幾つかの具体的な措置が提起されている。
このなかで、いっそうの戦略核の削減に向けて、米国・ロシア間であらたな話し合いをおこなうという構想が示された。

現在の核拡散防止条約(NPT)のもとで、核保有国の核武装を認める一方で、非保有国(持たざる国)の新たな核の保有は認めないという枠組みは大きな矛盾を抱えるようになって久しい。

イスラエル、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮など、地球的規模の不拡散体制という枠組みに挑戦する国々が増え続け、NPT体制は持ちこたえられないところまできている。

それゆえ、北朝鮮など新たな核兵器保有国の出現といった脅威の出現を阻むためには、まず、NPTで核保有国に義務付けられている核兵器の削減への努力を具体的な行動で示すことが最も効果的であり、米国の指導者も遅まきながらこのことを自覚し始めている。この現実をオバマ演説は色濃く反映しているのだ。

また、オバマ演説では、核兵器をこれ以上生産できないように、兵器用の核物質の生産を禁止する条約(カットオフ条約)の締結に向けた交渉の開始も提起された。

さて、日本政府はオバマ氏の核兵器廃絶に向けた決意の表明と幾つかの具体的な提案に対し、いち早く支持を表明したというが、唯一の被爆国である日本としてはもっと踏む込んだ対応をすべきではないかと思う。

米国とロシアの指導者を日本政府が招待し、広島や長崎で核軍縮と廃絶に向けた米ロ首脳会談をセッティングしてはどうか。

そして、会談の前には核大国の指導者に広島と長崎の被爆の実相をいろいろと学んでもらい、しっかりと核兵器の悲惨さと残虐さを認識してもらうのだ。
そして、その“学習”の成果の上に立って交渉の場に臨んでもらうのである。

日本の仲介で米国とロシアの首脳会談が広島と長崎でおこなわれ、その場で核兵器廃絶に向けてのロードマップ(核兵器廃絶協定)が合意される。
これは、被爆国の日本でなければできない真の意味の国際貢献であり、非戦・平和の憲法を持つ日本の本領がここでこそ発揮されるに違いない

近いうちに予想される総選挙後に成立する日本の新政権が、核兵器廃絶の面でリーダーシップをとり、核廃絶と軍縮にむけた被爆地広島・長崎での米ロ首脳会談の実現のために尽力する。
新しい日本の政治指導者には、被爆国日本にこそふさわしい、核兵器廃絶に向けた大いなる取り込みにチャレンジしてもらいたい。

北朝鮮の「ミサイル」発射という機会を利用し、それをやめさせるための外交的な努力や話し合いを一切おこなわず、早々と公然と“迎撃”を表明し、北朝鮮を挑発して国民の不安や危機感を煽り、政権への支持率アップに利用しようとした政局的な思惑のみの現在の麻生政権には、このような役割を期待できないことは明白だ。
778690b60dc371112ccd7a99a9b07fde
最新記事
Profile
西岡三郎
千葉県銚子市に在住
QRコード
QRコード
Recent Comments
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
  • ライブドアブログ