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先日ですが岩手県に観光旅行に行きました。
帰りに宮城県の南三陸町の現在の様子も見てきました。

南三陸町とは?
南三陸町(みなみさんりくちょう)は、日本の宮城県北東部に位置し、太平洋に面する町である。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南三陸町は震度6弱(観測地点:歌津地区、志津川地区)を記録した。
さらにこの地震が引き起こした大津波は町内の3つの川を逆流し、1960年(昭和35年)のチリ地震による津波の到達地点を越えて内陸深く進入した。

南三陸町は東日本大震災で発生した大津波の影響で漁港や市街地が大打撃を受けた市町村の内の1つです。


被害状況(南三陸町)(南三陸町公式HPより抜抜粋)
※平成25年 2月28日現在
・人的被害(南三陸警察署発表)
死者 566名
行方不明者(届出数)223名
・建築物被害(概数)
戸倉地区 526戸(り災率約75%) 
志津川地区 2,048戸(り災率約75%)
入谷地区 8戸(り災率約 2%)
歌津地区 729戸(り災率約55%)
計 3,311戸(り災率約62%)

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生。
巨大地震で発生した大津波が南三陸町を襲い、またたく間に市街地の大部分をのみ込みました。
猛烈な濁流に砕け散る家屋、流される漁船、そして800近くの尊い町民の生命…。
数回にわたる津波の襲来の後、今やただのガレキと化した家々と、ボロボロになった鉄筋ビルばかりが残る、故郷南三陸町の変わり果てた姿がそこにありました。
誰もが言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

あれから約2年の月日が流れ3年目に入りました。
今の漁港や市街地がどのような状況なのかこの目で確かめてきました。
画像は2013年3月29日現在の中心市街地の様子です。
瓦礫の撤去もかなり進んでおり瓦礫の処理もかなり進んでるかと思われます。
南三陸町で発生した震災ガレキの量は約37万トンにものぼります。
370000tと言う膨大なる震災瓦礫の量です。
震災ガレキの撤去はだいぶ進んでるかと思います。
残念ながら中心市街地は画像のように真っ平らです。
真っ平らな部分に道路や電柱が通ってる感じです。
真っ平らな部分にはたして建物が建つのでしょうか。
猛烈なる長期的なスパンで見れば南三陸町は大なり小なりの津波にまた襲われる確率が高いです。
得てして建物とは沿岸部の海沿いの低地の平地に密集して建っています。
まあ漁業関連の設備や施設などの建物は港がある海沿いに建てなければいけません。
けど一般住宅や公共施設などが画像の更地の土地にまた建ててもまた津波の被害を被る可能性があると思います。
海沿いに巨大な堤防を設けると言っても限度はあります。
間違いなく復興の道を歩んでいるのは明らかなのは分かるんですが非常に難しい問題は山積みかと思います。
また何年後かに南三陸町を訪れてどのような復興の道を歩むのかを確かめて参りたいと思っております。

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先日ですが岩手県に観光旅行に行きました。
帰りに宮城県の女川町の現在の様子も見てきました。

女川町とは?
女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。
日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生した。
女川町は女川原子力発電所の震度計が震度6弱を観測した(町内の検測所は津波で流失)。
さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った。

女川町は東日本大震災で発生した大津波の影響で漁港や市街地が大打撃を受けた市町村の内の1つです。

女川町の被害状況(女川町公式HPより抜粋)

最大津波高 14.8m:港湾空港技術研究所調査
浸水区域 320 ha:国土交通省被災状況調査
被害区域 240 ha:宮城県発表
人的被害 町人口:10,014名(H23.3.11時点)
死者:566名(H25.3.1現在)
死亡認定者:255名(震災行方不明者で死亡届を受理された者)
行方不明者:6名

住家被害数  総数:4,411棟
(一般的な家屋) 全壊:2,924棟(66.3%)
大規模半壊:147棟(3.3%)
半壊:200棟(4.6%)
一 部 損 壊:663棟(15.0%)

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生。
そのおよそ30分後、20mもの大津波が女川町を襲い、またたく間に市街地の大部分をのみ込みました。
猛烈な濁流に砕け散る家屋、流される漁船、そして800名を超える尊い町民の生命…。
数回にわたる津波の襲来の後、今やただのガレキと化した家々と、ボロボロになった鉄筋ビルばかりが残る、故郷女川の変わり果てた姿がそこにありました。
誰もが言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

あれから約2年の月日が流れ3年目に入りました。
今の漁港や市街地がどのような状況なのかこの目で確かめてきました。
画像は2013年3月29日現在の中心市街地の様子です。
瓦礫の撤去もかなり進んでおり瓦礫の処理もかなり進んでるかと思われます。
女川町で発生した震災ガレキの量は約44万tにものぼります。
440000tと言う膨大なる震災瓦礫の量です。
漁港のほうも水揚げを再開されており徐々にですが昔の活気を取り戻してるのでしょうか。
画像の5段目の左側の画像に写っている施設はこれは女川魚市場脇に建設を進めていた製氷貯氷施設です。
この施設は、1日25トンの製氷能力を持つ機械が2基設置されていて、150トンの氷を貯蔵できます。
氷は漁獲した魚の鮮度を維持するため、漁船には欠かせないものです。
それにしても物凄い台数の重機や大型ダンプが稼動してます。
瓦礫の撤去作業を進めております。
残念ながら中心市街地は画像のように真っ平らです。
真っ平らな部分に道路や電柱が通ってる感じです。
真っ平らな部分にはたして建物が建つのでしょうか。
猛烈なる長期的なスパンで見れば女川町は大なり小なりの津波にまた襲われる確率が高いです。
得てして建物とは沿岸部の海沿いの低地の平地に密集して建っています。
まあ漁業関連の設備や施設などの建物は港がある海沿いに建てなければいけません。
けど一般住宅や公共施設などが画像の更地の土地にまた建ててもまた津波の被害を被る可能性があると思います。
海沿いに巨大な堤防を設けると言っても限度はあります。
間違いなく復興の道を歩んでいるのは明らかなのは分かるんですが非常に難しい問題は山積みかと思います。
また何年後かに女川町を訪れてどのような復興の道を歩むのかを確かめて参りたいと思っております。

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