マラディエッツ!!!マサキ!!

“足るを知る”って事を思い、行動に移し、現実へ

「正月しか会えへん友達みたいな」


小2のシュクルジャン。

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中1のシュクルジャン。

20160924 #2_9662


こー見ると、シュクルジャンも成長したなぁ。

でも4年過ぎた今も、「私のこと覚えてる??」て駆け寄ってくれて。

めっちゃ嬉しかった。




今年も帰ってきましたウズベキスタン。

この3年間は毎年帰ってて。それは、会いたい人がいるから。

会いたい人がそこには沢山いて。

じゃあ、会いたい人と会ってどうしたいのかって、多分お互いに特になくて。

多分、本間に、一目会いたいんよね。

あの子、あの人はどうしてるかなぁ、元気にしてるかなぁ、大きくなったかなぁ、

て。一目会いたい。

実際、若くして亡くなったホームステイの親戚もいて、その人には当然一目も会えない。

一目会えるって、すごく大切なことで。

まぁ、要するに、年に1回くらいしか会えんへん友達というか。

ウズベキスタンて言うから、何か特別に聞こえるけど、正月しか会えへん友達みたいな。

会って何話すでもないけど、「最近どうしてるん?元気してんの?」みたいな。

うん。書きながら自分で納得した。

基本的にそんな感じ。



来年も絶対帰る。何なら今年より長い期間帰る。

くるしゅぐんちゃはいる。

 

執着





ようこそ、毎日数人が通り過ぎて行くブログへwww




日増しに、モノゴトへの関心が薄まっていく。

何か一つのことを追及したり、のめりこんだり、がむしゃらに頑張ったり、

てことが、まー、ない。

まぁ、他の人も、そないないかもしれんけど。




何でかっていう思考を深めて行くと、

"執着"がない。

昔から物欲がなかったり、モノゴトへの執着はない方やったけど、

その執着のなさが増してきている。




行動できるのは、むしろ、執着がないからやったりもして、

絶対に譲れんモノとか、絶対に守りたいモノとか、

何かそーゆーモノがあると、行動が鈍るけど、何もないから足取りが軽い。




どんどん足取りは軽くなって、止めどなく行動するようになり、

でも、一つ一つのベクトルへの執着はあまりなく、

それって詰まりは、生きること自体への執着があまりないことに気付く。




生きたいとか、長生きしたいとか、生への執着がない。

この生への執着のなさが、自分の強さと脆さを生み出している。




唯一の執着、年1回の帰郷まで、後3ヵ月弱。
 

不要なモノが削ぎ落されていく。



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大沢の天然スギ

やっぱ800歳の大先輩は貫禄がちげぇ。。





周りからは相変わらず、"スーパーボランティア"的に見られてて、

島本のイベントは何でも手伝ってるんでしょ?的な。

いや~、むしろ日に日に、自分の興味以外には全く足が動かなくなってきてる。

こうやって頑固になっていくんだろうかと、少し不安にも思いつつ。

 

それはただ、頑固というか、反面、危機も感じてて。

自分の興味ないものに関わってると、それはそれで色んな影響を受ける訳で。

人間って適応できちゃう動物やから、

「これ、いいよね」「こっちが正しいよね」 って集団にいると、

何となくそうなんかなって思うようにもなるし、

そんな時、自分が死んでいくような感覚を覚える。

そんなことないよって言われても、俺はそう感じてる訳で。

で、自分が死んでいく危機が高まると、そこから離れていく。ようにしてる。



 
 最近、忙しく、自分のしたい活動に取り組んでて、

充実はしてるんやけど、一つ一つを見てみると、

何が何でもしたいことって、特になかったりもして。




外からの言葉とか情報が自分の動機になることはまずなく、

自分の中から湧き出る動機があるかと言われれば、それもないような。

無気力??いや、無気力ではなく、日々活動はしてる訳やけど。



多分、この状態は実は25歳くらいから、ずっとそうなのかも。

夢を追うことを諦めたあと、湧き出るモノは継続しては存在せず、

ウズベキスタンの生活も、日々刺激的で、楽しい生活ではあったもの、

全力で何か向かって取りくんでいたかと問われれば、全然やし。

多分、今後もそんな日々を過ごしていくような。別に楽しくないわけじゃないけど。

うん。十分に楽しい。最近。この10年弱で、少しずつ生き方がシンプルになっていってる。

不要なモノが削ぎ落されていく。

"自分は何を欲しているのか"



ただただ、日々を、無理なく、欲し過ぎず、

楽しく、自然に生きたい。て、爺さんか。