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2006年04月27日

ガスコインがトヨタをクビになった本当の理由 by マイク・ローレンス

最近わたしが書いたトヨタの記事とその倫理観のせいで、Pitpass始まって以来最大の郵袋が送られてきた。これらの手紙は目を見張るほど同意と情熱に満ちていた。
マイク・ローレンス、前回のトヨタの記事↓の反響に大いなる力をもらったようで、今回はサイト5ページ!にわたって「トヨタ」を書いています。またまた辛辣です。

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2006年03月17日
トヨタはモータースポーツの何たるかを理解していない (マイク・ローレンス)
「わたしは個人的に、トヨタにはF1から出て行ってほしい。スポーツにトヨタの居場所はない。トヨタはスポーツの何たるかを理解していない」
「トヨタは市場では不正をしないが、スポーツになるといんちきをする」


ガスコイン
Gascoyne: Pitpass
by Mike Lawrence

最近わたしが書いたトヨタの記事とその倫理観のせいで、Pitpass始まって以来最大の郵袋が送られてきた。これらの手紙は目を見張るほど同意と情熱に満ちていた。誰もわたしに異議を述べず、多くの読者は、指摘したかったポイントがすべてが注意深く書かれていたと述べていた。

わたしが指摘したポイントのひとつは、2003年5月にシニア・マネージャーが送った内部eメールである。このメールは、フェラーリの資料を持っている全職員に対して、それを破棄するようにと指示するものだった。もしわたしが彼の身元を知っているのなら(実際に知っているのだが)、当然警察も承知している。当分の間、彼は後回しにされている。

わたし宛ての手紙の中には、この内部メールを確認する次のようなものが含まれている。「わたしは数年間トヨタF1チームで働いていましたが、不正行為に対する態度と、スポーツ全般の何たるかに対する知識の完全な欠如が、すべてを表していました」

「フェラーリの事件は、あなたが指摘した内部eメールの件や、ドイツの警察が家宅捜索したとき当時のテクニカル・ディレクターの秘書が図面やCDをわたしのロッカーに隠したという事実を含め、わたしがしばらく前に会社を辞める決心をする大きな理由になりました」

フェラーリの知的財産の不正流用に関わる嫌疑がかけられた職員は全員トヨタ・モータースポーツを退職した。トヨタ職員に関する最近のニュースはマイク・ガスコインの解雇である。ガスコインをこの記事の柱にしたいので、ガスコインはフェラーリ事件に関する限り潔白であることをはっきりさせておきたい。

2003年5月に内部eメールが送られたとき、ガスコインはベネトン/ルノーにいた。2003年5月のeメールは重要であり、誰かが調査を予測していたことを意味している。頭に来るのは、全てを秘密にしてはったりで騙すことができると思った間抜けがトヨタにいるということだ。トヨタには従業員が1000人以上いるが、その大部分に対してあなたが最新ソフトウェアの話をしても秘密が漏れることはない。なぜなら彼らはあなたの言っていることが理解できないからだ。しかし、ソフトウェアを盗むという話なら誰にだって理解できる。これは多くの映画のプロットになっている。これは、食堂で皿洗いをする男が同僚に話して聞かせるようなお話だ。

ガスコインとフェラーリ事件との唯一のつながりは、トヨタ・モータースポーツが完全に潔白なテクニカル・ディレクターが必要であると気づいたことである。そしてトヨタはこれを警察の家宅捜索の6ヶ月前に知っていたのだ。

わたしは次のような証拠を読んだ。「トヨタはトラブルになると考えていたので、グスタフ・ブルナーの替わりになる誰かを外部から探し出したのです。トップデザイナーを補充しようとしたら、彼の契約がこちらのオプションを限定するような更新になることを確認する必要があります。トヨタは大金の小切手でグスタフ・ブルナーを横取りしたことで自信をつけていました。彼らはミナルディがその埋め合わせに満足すると正確に計算していたのです。ケルンに令状をもたらさないでアプローチできる既存のテクニカル・ディレクターは、ガスコインしかいませんでした。トヨタの考え方は、その人物がすでにテクニカル・ディレクターであれば安全な選択肢である、というものです」

ブルナーは2005年末まで、つまりガスコインが任命されてから2年半チームに留まった。これは偶然にすぎないのかもしれないが、ブルナーは退職して数週間後にドイツ商業法違反で告発された。彼と他の人々は、警察の捜査に協力を求められたと考えるのが合理的だろう。そして彼らは自分たちのはったりが試されていることを承知していたはずだ。そしてすぐに、ブルナー、ルネ・ヒルホルスト、元チーフ・エアロダイナミシスト、かつてのチーム代表でWRCにおけるトヨタの不正行為を全く知らなかったオベ・アンダーソンはトヨタを辞め、数週間後に告訴された。わたしの考えでは、彼らは、当局はアンジェロ・サンティーニとマウロ・イアコーニで満足するだろうと思ったのだろう。このふたりの公判は4月26日に予定されている。

フェラーリがある会社に騙されて、フィアットの大きな問題になりながら、イタリア当局がぼんやり控えていると考えた人々の知性を不思議に思うことだろう。

噂ではガスコインの年俸は500万ポンドで、現在の有給休暇中も週10万ポンドをもらっているという。トヨタさんよ、わたしはそのごく一部をもらっても何もするつもりはない。トヨタ帝国全体で彼より高給取りはヤルノ・トゥルーリとラルフ・シューマッハだけだ。とは言うものの、このふたりは週末も働かなくてはならない。

雑誌 "Auto Express" によると、世界で最も給料の高い自動車業界の経営者は、ゼネラル・モータースのリック・ワゴナーCEOである。ワゴナー氏の年俸はどうやら126万ポンドで、同額のボーナスをもらえるチャンスがあるらしい。ゼネラル・モータースを経営する人物は、ボーナスを全額もらってやっとガスコインの年俸の半分を稼ぐことができる。"Auto Express" が正しければ、ガスコインの年俸はトヨタCEOの年俸の数倍に違いない。これはおそらくトヨタの管理職全員が注目していることだろう。

ガスコインは激しい気性で有名で、「ロットワイラー」というニックネームがついている。まあ、ベネディクト法王のニックネームは「神のロットワイラー」だった。これは、法王がローマ・カトリック神学の枠の中で特定の学問の基準に固執していたからである。しかし、このことは同僚の枢機卿たちから法王に選出される妨げにはならなかった。アフリカ出身あるいは南米出身の法王を任命するとさらなる政治的混乱が起きたであろう。

わたしは同じくらい要求の厳しいテクニカル・ディレクターを何人も知っている。ジョン・バーナードは、怒りを爆発させることで悪名高かった。わたしはテープに詳細に録音しているし、情報源は完璧なので、お望みのものを提供することができる。現存しないF1チームのオーナーは、テクニカル・ディレクターが45分間に及ぶ大演説を行った話を教えてくれた。彼はボスのオフィスに座って、チームの紙くず入れについてわめきちらしたのだそうだ。

本当の変人たちが素晴らしいレーシングカーを設計することもある。

いろいろな分野のプリマドンナの話には事欠かないし、彼らがユニークな貢献を続ける限り、その激しい気性も我慢してもらえる。しかし問題となるのはそのユニークな貢献である。故マリア・カラスはステージを降りると実に不愉快な行動をとったが、彼女が歌うと全てが許された。マイク・ガスコインは、マリア・カラスのトスカに匹敵するものを生み出さなかったのだ。

正式な話としては、方針に関する相違があったとされている。わたしはこれを信じていない。トヨタの人々と、会社の規則に従わない一匹狼との間で感情的対立があったのだと思う。ガスコインの肩を持つのではない。彼の名声は誇張されていると思うし、マニュファクチャラーとレース屋の違いを指摘しているだけだ。

この関係は、マニュファクチャラーがチームを所有している場合でさえ、潜在的問題を含んだ悲惨なものとなる。それはジャガー・レーシングを見ればわかる。チームはフォード内の大きな社内問題の結果、大変な目にあった。ビル・フォードが会社を引き継いだとき、彼は社内で最も高い給料をもらっているエディ・アーバインという従業員が誰なのかを知りたがった。フォードの役員の中には(すぐに元役員になってしまったが)、レーシングに参加して株主に儲けてもらうのはいいことだと考える者もいた。

ヨーロッパにおける最初のマニュファクチャラー/レース屋の協力関係は、1963年のフォードだろう。このときフォードはフェラーリ買収に失敗し、競技部門の立ち上げを決めた。彼らは新しい工業団地に特殊車両事業部門を設立し、ローラと1年間契約した。ローラは同じ工業団地に移転し、フォードは契約が終了してから6年間もローラのファクトリー代を支払ったので、この契約はローラを救った。

ローラの設計チームは、エリック・ブロードレィとトニー・サウスゲートで、彼らはかなりうまくやった。トニーは、半年はデスクワークをし、残り半年は溶接トーチを握っていたと覚えている。

スーツ組がデトロイトから到着し、各人が検討課題を持ってきた。エリックとトニーは、GT40にアルミ製のモノコックを使おうとしたが、スーツ組は軟鋼製でなければならないと判断した。そうすれば、フォードが車を販売している場所ならどこでも、たとえオーストラリアの奥地でも修理ができると考えたのである。

わたしがオーストラリアの奥地にドライブしようと思ったら、GT40はまず選ばないだろう。この車のリベットすべてを敬愛しているが、エアコンだってほしいし、食料や水をたくさん載せる場所がほしい。GT40の設計は、経験のないスーツ組の影響で最初から妥協を余儀なくされた。エリックはその地位に留まったがトニーはすぐに離れていった。

スーツ組が残していった派生的問題として、フォード社のレン・ベイリーがいる。彼はしばしばGT40の設計に功績があったと信じられているが、それは正しくない。ベイリーは競技用自動車をひとつも設計したことはないが、スーツ組と協力することができた。GT40設計の中心人物はエリック・ブロードレィである。

フォードは当然の報いを受け、教訓を学び、30年以上ロータスやコスワースのような組織を対等のパートナーとして扱った。1980年代、フォードはコスワースを買収する機会があり、RSシエラ・コスワースを販売し、フォースF1チームなど他のプロジェクトで協力していたが、買収を断った。フォードはコスワースが下請け契約者として交渉に臨んだことを評価したが、コスワースが大企業に吸収されてしまうと、そのひらめきを失うかもしれないと心配したのである。

時代は変わり、会社の人材も変わった。フォードがスチュワート・グランプリを買収してその名称をジャガー・レーシングと変えたとき、新しい世代は過去の教訓を忘れた。

ウィリアムズとBMWのパートナーシップ期間中、ウィリアムズがホンダやルノーと提携した頃に比べ、エンジン・サプライヤーの方から多くのコメントが出されるようになったことは注目に値する。ウィリアムズとBMWのパートナーシップはこじれてしまい、BMWはザウバーを買収した。ジェイムズ・ボズウェルの「サミュエル・ジョンソン伝」からの引用:「非常に不幸な結婚生活を送った紳士が、妻の死後すぐに再婚した。ジョンソンは、経験に対する希望の勝利だと言った」

ある企業のF1への関与を数値化することはできないだろう。できたとしてもそれは勘に過ぎない。自分がトヨタの専務取締役だと想像してみてほしい。あなたは1970年に21歳で大学を卒業してすぐに入社した。これは日本ではごく普通の就職方法だった。

1970年、トヨタは日本の自動車企業で最も有望であった。ランドクルーザーという素晴らしいモデルを作っていた。この車は洗練されてはいないが防弾仕様で、砂漠の真ん中では洗練よりも信頼性が勝る。トヨタのほかの車はさほどよくなかったが、大部分の車でラジオがオプションだった時代にフル装備の車を売り出していたので、お買い得ではあった。

ダットサン240Zのような例外を除いて、日本の自動車産業は、1980年代半ばまであまり優れたモデルを製造しなかった。通常、日本の自動車のフロントエンドとバックエンドは調和がとれていなかった。スバルは今では運転するのが楽しい車をつくっているが、20年前のスバルはインテリ層にしか売れなかった。

日本列島の大部分は居住に適さず天然資源もほとんどないのに、日本に自動車産業が存在すること自体不思議である。日本の産業の特質は、原料とエネルギー源を輸入してそれに付加価値を加えるというものである。スイスは鉄や石炭や石油の産地ではないが、大量の鋼鉄を輸入してそれをロレックスの腕時計に変えている。

さて、我らの若き卒業生は、当時のトヨタは国際的には二流プレイヤーではあったが、日本で最も成功した自動車会社に就職できてワクワクしている。大きさが全てではない。安い車にもわずかな利幅がある。1970年、キャデラックは年間25万台以上の自動車を製造しており、すべてがプレミアム価格で売れていた。

我らの社員が30歳の誕生日を迎える頃、トヨタは輸出を大きく拡大している。輸送船団を所有しており、1973年からは冷蔵装置が設置された。この船で自動車をアメリカに運び、同じ船の冷蔵装置のスイッチを入れて日本で販売するための果物を積んで戻ってくるのだ。話を聞いてみれば、デイヴィッド・ブレインのストリート・スタントで見せる空中浮遊(ベルッシ効果と呼ばれている)のように、本当に簡単な仕掛けである。しかし誰かが最初に思いつかなければならない。

1970年代、トヨタがアメリカに進出した頃、デトロイトは怠惰になっていた。油圧ブレーキ、自動トランスミッション、エアコン、ターボチャージング、ワイドスクリーン間欠ワイパーなど、大きなイノベーションはすべてアメリカの自動車産業がもたらしていた時期があった。今では、アメリカ発の重要なイノベーションが最後にあったのはいつかだったのかも思い出せない。

トヨタはショールームから車を持ち出しただけでなく、高級車市場にも進出を始めた。そして我らのトヨタ社員も出世の階段を上っている。彼がまだ40歳になっていない1988年、トヨタはメルセデス-ベンツと真っ向から対決するレクサス・ブランドを立ち上げる。レクサスはヨーロッパでは受け入れられなかったが、アメリカの運転事情には理想的であった。

我らの社員はチームの一員となり、ほとんどの市場でわずかな隙間を埋めるだけの安い自動車を作っていたメーカーを、世界で最も大きな自動車メーカーにする手伝いをしている。トヨタ車はもはや仕様が安価だから売れているのではない。丁寧に作られていて技術的に優れているから売れるのだ。わたしはまだ興奮させてくれるトヨタ車を運転したことはないが、あまり興奮しすぎると運転免許証に傷がつくだろう。

さて、これまで話してきた想像上の役員は、会社に忠誠を尽くしており、会社もその忠誠心に報いている。これが成功したキャリアの実態である。有名ではないしセレブでもないが尊敬されており、子供の衣食に不自由していない。

では、あなたがこの立場にいるとしよう。そして世界の反対側でイギリス人が金で引き抜かれ、会社の社長よりも高い給料を貰っている場合、あなたはどう感じるか想像してほしい。少なくともちょっとした羨望を、あるいは怒りを感じないとしたら、あなたは人間ではない。

我々の大部分は、これほどの年俸で引き抜かれた人物は非常に特別であると期待するだろう。ガスコインが期待に応えていたなら素晴らしいことになっていただろう。しかし、その激しい気性という評判と、日本の企業文化から見た彼の姿を考え合わせれば、この組み合わせは理想的という雰囲気ではなかったことだろう。

トヨタは、1000人以上の従業員をたったひとりの人物が変えられると信じたことで、間違いを犯したと思う。同様に、レッドブルがエイドリアン・ニューウィをヘッド・ハンティングしたのも、そしてトヨタがマイク・ガスコインに払った以上の給料を払っているのも間違いだと思う。わたしはスーパースター・デザイナーという概念を信じるのをやめている。

こういう言い方をしてみよう。R・J・ミッチェルはドライビング・ビジョンを持ってスピットファイアを設計した。でも誰がB2ステルス爆撃機を設計したのかは誰にもわからない。

F1のルールは今やエンジンのシリンダー数まで厳しく規制しており、誰もグラウンド・エフェクトに匹敵するものを思いついたり、エンジンをストレスのかかる部品として利用しようとしない。こんな状況では誰かが大きな違いをもたらすとは考えられない。

トヨタはガスコインの後任に、ミシュランの元タイヤ・エンジニアを指名している。スーパースター・デザイナーにしては台無しだ。ファクトリーに最初からいた人物である。おそらくトヨタの上層部は、我々全員が見逃している何かに気づいたのだろう。

ガスコインはその激しい気性で有名で、それに関しては何の秘密もなかった。わたしの考えでは、彼は本社の上層部と衝突したのではないかと思う。人生と少なからぬ才能を会社に捧げ、睡眠中も支払われる時給570ポンドや名声などの見返りがない上層部と。

もしあなたが人生を会社に捧げ、その会社が世界最大の自動車企業に成長するのを手伝ったとしたら、ガスコインのような人物がルノーからやって来て巨額の契約金を手にしたら嬉しいだろうか? 職業人生を全て会社に捧げた人の立場になってみてほしい。

いざとなったらあなたは誰の味方をするだろうか? チームからチームに渡り歩いているガスコインを応援するだろうか? それとも伝統的な会社の構造を支えるだろうか? もしあなたが会社人間だったら、東京本社の役員のような振舞いをしない出しゃばりの一匹狼よりも、会社組織の味方をするだろう。

これがマイク・ガスコインがクビになった理由だ。プレスリリースは忘れたほうがいい。彼はトヨタ内でのプレッシャーに負けてクビになり、有給休暇をとらざるを得なくなったのだ。

会社人間とレース屋との間に緊張があるということは、トヨタもBMWも、ワールドチャンピオンシップで勝てない、ということである。どちらの会社も得意な分野、つまり、みんなが買いたいと思う車を作るという分野ではかなり上手にやっている。もしトヨタがグランプリで優勝しても、熱くなってヤリス<訳注:日本名「ヴィッツ」>を買おうとは思わないだろう。

ルノーは、チームにどんな貢献ができるのかを知っており、実際に貢献している。ルノーはエンジンを供給し、イギリス支社が残りを担当している。ルノーはレーシングのやり方を知っている。ルノーのイギリス支社は、在籍中のマイク・ガスコインから多大なアドバイスの提供を受けたと言っても間違いないだろう。

わたしはガスコインの名声は誇張されていると考えている。でも、わたしの評判もそれくらい誇張されてほしいものだ。ガスコインは実際は犠牲者であると思う。金持ちの犠牲者であるが、それでも犠牲者である。トヨタもBMWもワールドチャンピオンシップには勝てないだろう。企業役員の考え方は、レース屋の考え方とは異なっている。ウィリアムズはレースに勝ちたいがために存在しているので、またチャピオンシップで優勝するかもしれない。トヨタとBMWがF1に参戦しているのは、株主に経費を払わせて役員や従業員がさも重要人物のようにパドックを悠々と歩けるからである。

金を追いかけろ、常に金を追いかけろ。


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7日イタリアで、フェラーリの元従業員、アンジェロ・サンティーニとマウロ・イアコーニは、フェラーリから盗んだ情報を新しい雇用主であるトヨタに渡そうとした罪で正式に起訴された。
2005年12月19日
トヨタのチーフデザイナーが離脱
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2006年01月17日
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2006年04月26日
トヨタF1チーム社長 「ガスコインの後任はチーム内部から」
ガスコインはオーストラリアGP後に離れたが、12月にもグスタフ・ブルナーが退職したのでチームにはチーフ・デザイナーもいない状態。

+参照
木下美明(Yoshiaki Kinoshita)
TMG副社長(トヨタ自動車(株)モータースポーツ部長兼任)
1979年にエンジンの研究開発エンジニアとしてトヨタ自動車(株)に入社。 1989年から1995年に渡って世界ラリー選手権、1992年と1993年のル・マンプログラムにも加わり、トヨタのモータースポーツ 活動において多くの経験を培ってきた。2004年より、トヨタ自動車(株)のモータースポーツ部部長に着任。2005年には、トヨタ自動車(株)モータースポーツ部長と兼任して、TMGの副社長に就任した。
www.toyota-f1.com


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