ナイジェル・マンセル Q&A:我がスポーツ
My Sport: Nigel Mansell
最も昔のスポーツの記憶
「最初の競技イベントは、8歳のときにオックスフォードシャー州のバンベリーの近くであったカートレースだね。あらゆる感覚を全開にしたけど最初のレースだったから、たいしたことはできなかった。わたしが1周している間に、みんなは2周走っているように見えたね」
観戦するスポーツ
「有り難いことに、いろんなスポーツを観戦するのが好きなんだ。根っからのスポーツ・ファンだな。1966年イングランドがワールドカップで優勝したのを覚えている。わたしが育った地域にアストン・ヴィラがあったので、応援しているサッカー・クラブのひとつだね。リバプールもマンチェスター・ユナイテッドも好きだった。そうは言っても、やはりわたしの中ではモータースポーツが中心だ。子供の頃からF1を観戦していたし、素晴らしいスペクタクルだと思っていた。幼い頃、家族は裕福ではなかったからほとんどイベントを見に行ったことはない」
競技するスポーツ
「オールラウンドのスポーツマンだったんだ。学生時代はサッカーのキャプテンだったし、テニス、クリケット、バドミントンもやっていた。わたしにとってはチームスポーツが重要だった。モータースポーツも、エンジニア、メカニック、ドライバーを含めたチームスポーツだということをみんな忘れている。数週間前にはチャリティのためにシルバーストンのハーフ・マラソンにも参加した。でもマラソンを走るのはこれが最後かもしれないな」
人生におけるスポーツの意義は? スポーツがなかった場合はどうしていましたか?
「わたしはいつも負けず嫌いだったし、スポーツに関わっていたかった。わたしは職業的にはエンジニアだし(フルタイムのレーシング・ドライバーになるまでは、ルーカス・エンジニアリング社の航空宇宙工学のエンジニアとして働いていた)、宇宙計画や戦闘機に魅力を感じている。何年も前にパイロットのライセンスもとっている」
競技生活において最も大変だったこと
「仕事をするための資金がなかったこと。スポンサーシップを見つけるのにいつも苦労していて、始めたと思うと選んだスポンサーのひとつがいなくなったりした。振り返ってみれば、そのおかげで力がついたのだろう。成長期にこの苦労があったからこそ、ずいぶんタフになったし、チャンスが来たときに両手でつかむことができた」
あなたは2007年フォーミュラBMW UKシリーズの大使ですね。このシリーズはフォーミュラ・レーシングにおける世界一流の初心者クラスだと見なされています。どうしてこれに関わるようになったのですか?
「15歳くらいの有望なドライバーが、ハイテクの標準FB02レースマシンを使ってモーターレーシングに入るチャンスを与えられるということが気に入っている。教育プログラムを使って素晴らしい成果を上げているよ。このシリーズの重要な側面は、教育とコーチングのプログラムだ。これは、ドライビング/エンジニアリングの技術、健康、フィットネス、スポンサーシップ、メディア・トレーニングなど、トラック内外についてドライバーにアドバイスとサポートを提供するものだ」
去年このシリーズに息子さんのレオとグレッグが参戦したことについてどう感じましたか?
「モーターレーシングはわたしの人生における仕事になっている。これはプロにならなければ競技できないスポーツだ。レオとグレッグには他の人よりも厳しい試練を与えているし、フォーミュラBMWシリーズはよい基礎になった」
スポーツにおいて最も記憶に残っている瞬間
「一番決定的な記憶は、ワールドチャンピオンシップの優勝者としてハンガリーの表彰台に立ったときだね。それと、23年前ブランズ・ハッチでグランプリ初優勝を果たしたとき」
スポーツにおける最悪の瞬間
最悪だったのは、あと19周というところでタイヤが破裂した1986年のアデレードだね。1ポイント差でワールドチャンピオンシップを逃してしまった。この出来事から精神的に回復して、翌シーズンのためのテストをするまでは本当に辛かったよ」
スポーツにおけるヒーロー
「子供の頃はヒーローはいなかった。ロジャー・フェデラーは素晴らしいし、タイガー・ウッズの精神力は特別だと思う。ウッズは非常に運動神経の発達した人物だ。おそらく、最高レベルでゴルフをプレーしている最初の選手だろう。彼は他のゴルファーが持っていない武器を持っている。このふたりを選んだのは、彼らがそれぞれのスポーツを再定義しているからだ。そしてレーシング・ドライバーではなく彼らを選んだのは、テニスもゴルフも個人スポーツであり、後ろに大勢のスタッフを必要としないからだ。つまり個人の能力次第のスポーツなんだ。我々はこんなに素晴らしいふたりの世界的スターを持ってラッキーだよ」
お気に入りのサーキットとその理由
「イングランドのブランズ・ハッチやシルバーストンでレースするのが大好きだった。母国では5回優勝しているし、これらのレースはファンのおかげで特別だった。ファンのおかげで0.5秒速く走れたと思っている」
最も高い料金を払ってでも見たいスポーツ・イベント
「リングサイドからモハメド・アリ対ジョー・フレージャーを見たかったね。ボクシングの大ファンで、ヘビー級の試合をずっと観戦してきている。アリは特別だった。素晴らしいボクサーだね。ラリー・ホルムズ、ジョージ・フォアマン、フレージャーもすごかった」
見たくないスポーツ・イベント
「みんなはあらゆるスポーツを批判して退屈だというが、それはそのスポーツを理解していないからだ」
一般の人から最もよくされる質問
「F1にいつ戻って来るのですか?」
その質問に対する答え
「F1は素晴らしかったし、人生における偉大な時期だった。とてもエキサイティングだったね。でも新しい規約、全面的なトラクション・コントロール、完全に自動化されたギアボックスなどはドライビング能力を奪ってしまった。マシンにはドライバーのインプットがもっと欲しいね」
F1運営に望む最大の変化
「秘密にしておく部分があってもいいと思う。政治を通じてファンに知らせる必要はない。そうすればスポーツをもっと面白くできるだろう。例えば、誰かがレースに勝って、スチュワードに異議申し立てがあり専門的なことで失格になる。そんな規約は不自然に見えるときがある」
あなたのスポーツのマスコミでの取り上げられ方はどうですか?
「英国の大半のスポーツについてマスコミは素晴らしい仕事をしていると思う。英国における唯一の脅威は、マスコミのお気に入りのドライバーがいると、他のドライバーを公平に扱わないことだね」
スポーツにおけるモットー
「基本的に、それについて考えなければならないようなら手遅れだ、ということだ。成功したかったら、息をしたり食べたり寝たりするのと同じようにスポーツができなければならない。これらの間に境界はないんだ」
夕食に招待したい人物とその理由は?
「第二次世界大戦で我々の未来を決めたウィンストン・チャーチルだな。彼はダイナミックでとてつもない人物だった。彼と話ができたら素晴らしかっただろう。タイガー・ウッズと会う名誉を与えられたこともあったので、彼も招待リストに加えよう。最後に、アン王女、あるいは王女の母上もリストに加えたいね」
-Source: Telegraph.co.uk
「最初の競技イベントは、8歳のときにオックスフォードシャー州のバンベリーの近くであったカートレースだね。あらゆる感覚を全開にしたけど最初のレースだったから、たいしたことはできなかった。わたしが1周している間に、みんなは2周走っているように見えたね」
観戦するスポーツ
「有り難いことに、いろんなスポーツを観戦するのが好きなんだ。根っからのスポーツ・ファンだな。1966年イングランドがワールドカップで優勝したのを覚えている。わたしが育った地域にアストン・ヴィラがあったので、応援しているサッカー・クラブのひとつだね。リバプールもマンチェスター・ユナイテッドも好きだった。そうは言っても、やはりわたしの中ではモータースポーツが中心だ。子供の頃からF1を観戦していたし、素晴らしいスペクタクルだと思っていた。幼い頃、家族は裕福ではなかったからほとんどイベントを見に行ったことはない」
競技するスポーツ
「オールラウンドのスポーツマンだったんだ。学生時代はサッカーのキャプテンだったし、テニス、クリケット、バドミントンもやっていた。わたしにとってはチームスポーツが重要だった。モータースポーツも、エンジニア、メカニック、ドライバーを含めたチームスポーツだということをみんな忘れている。数週間前にはチャリティのためにシルバーストンのハーフ・マラソンにも参加した。でもマラソンを走るのはこれが最後かもしれないな」
人生におけるスポーツの意義は? スポーツがなかった場合はどうしていましたか?
「わたしはいつも負けず嫌いだったし、スポーツに関わっていたかった。わたしは職業的にはエンジニアだし(フルタイムのレーシング・ドライバーになるまでは、ルーカス・エンジニアリング社の航空宇宙工学のエンジニアとして働いていた)、宇宙計画や戦闘機に魅力を感じている。何年も前にパイロットのライセンスもとっている」
競技生活において最も大変だったこと
「仕事をするための資金がなかったこと。スポンサーシップを見つけるのにいつも苦労していて、始めたと思うと選んだスポンサーのひとつがいなくなったりした。振り返ってみれば、そのおかげで力がついたのだろう。成長期にこの苦労があったからこそ、ずいぶんタフになったし、チャンスが来たときに両手でつかむことができた」
あなたは2007年フォーミュラBMW UKシリーズの大使ですね。このシリーズはフォーミュラ・レーシングにおける世界一流の初心者クラスだと見なされています。どうしてこれに関わるようになったのですか?
「15歳くらいの有望なドライバーが、ハイテクの標準FB02レースマシンを使ってモーターレーシングに入るチャンスを与えられるということが気に入っている。教育プログラムを使って素晴らしい成果を上げているよ。このシリーズの重要な側面は、教育とコーチングのプログラムだ。これは、ドライビング/エンジニアリングの技術、健康、フィットネス、スポンサーシップ、メディア・トレーニングなど、トラック内外についてドライバーにアドバイスとサポートを提供するものだ」
去年このシリーズに息子さんのレオとグレッグが参戦したことについてどう感じましたか?
「モーターレーシングはわたしの人生における仕事になっている。これはプロにならなければ競技できないスポーツだ。レオとグレッグには他の人よりも厳しい試練を与えているし、フォーミュラBMWシリーズはよい基礎になった」
スポーツにおいて最も記憶に残っている瞬間
「一番決定的な記憶は、ワールドチャンピオンシップの優勝者としてハンガリーの表彰台に立ったときだね。それと、23年前ブランズ・ハッチでグランプリ初優勝を果たしたとき」
スポーツにおける最悪の瞬間
最悪だったのは、あと19周というところでタイヤが破裂した1986年のアデレードだね。1ポイント差でワールドチャンピオンシップを逃してしまった。この出来事から精神的に回復して、翌シーズンのためのテストをするまでは本当に辛かったよ」
スポーツにおけるヒーロー
「子供の頃はヒーローはいなかった。ロジャー・フェデラーは素晴らしいし、タイガー・ウッズの精神力は特別だと思う。ウッズは非常に運動神経の発達した人物だ。おそらく、最高レベルでゴルフをプレーしている最初の選手だろう。彼は他のゴルファーが持っていない武器を持っている。このふたりを選んだのは、彼らがそれぞれのスポーツを再定義しているからだ。そしてレーシング・ドライバーではなく彼らを選んだのは、テニスもゴルフも個人スポーツであり、後ろに大勢のスタッフを必要としないからだ。つまり個人の能力次第のスポーツなんだ。我々はこんなに素晴らしいふたりの世界的スターを持ってラッキーだよ」
お気に入りのサーキットとその理由
「イングランドのブランズ・ハッチやシルバーストンでレースするのが大好きだった。母国では5回優勝しているし、これらのレースはファンのおかげで特別だった。ファンのおかげで0.5秒速く走れたと思っている」
最も高い料金を払ってでも見たいスポーツ・イベント
「リングサイドからモハメド・アリ対ジョー・フレージャーを見たかったね。ボクシングの大ファンで、ヘビー級の試合をずっと観戦してきている。アリは特別だった。素晴らしいボクサーだね。ラリー・ホルムズ、ジョージ・フォアマン、フレージャーもすごかった」
見たくないスポーツ・イベント
「みんなはあらゆるスポーツを批判して退屈だというが、それはそのスポーツを理解していないからだ」
一般の人から最もよくされる質問
「F1にいつ戻って来るのですか?」
その質問に対する答え
「F1は素晴らしかったし、人生における偉大な時期だった。とてもエキサイティングだったね。でも新しい規約、全面的なトラクション・コントロール、完全に自動化されたギアボックスなどはドライビング能力を奪ってしまった。マシンにはドライバーのインプットがもっと欲しいね」
F1運営に望む最大の変化
「秘密にしておく部分があってもいいと思う。政治を通じてファンに知らせる必要はない。そうすればスポーツをもっと面白くできるだろう。例えば、誰かがレースに勝って、スチュワードに異議申し立てがあり専門的なことで失格になる。そんな規約は不自然に見えるときがある」
あなたのスポーツのマスコミでの取り上げられ方はどうですか?
「英国の大半のスポーツについてマスコミは素晴らしい仕事をしていると思う。英国における唯一の脅威は、マスコミのお気に入りのドライバーがいると、他のドライバーを公平に扱わないことだね」
スポーツにおけるモットー
「基本的に、それについて考えなければならないようなら手遅れだ、ということだ。成功したかったら、息をしたり食べたり寝たりするのと同じようにスポーツができなければならない。これらの間に境界はないんだ」
夕食に招待したい人物とその理由は?
「第二次世界大戦で我々の未来を決めたウィンストン・チャーチルだな。彼はダイナミックでとてつもない人物だった。彼と話ができたら素晴らしかっただろう。タイガー・ウッズと会う名誉を与えられたこともあったので、彼も招待リストに加えよう。最後に、アン王女、あるいは王女の母上もリストに加えたいね」
-Source: Telegraph.co.uk
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