2008年03月29日

ジャン-マリー・バレストル

Jean-Marie Balestre

賛否両論あったジャン-マリー・バレストルが86歳で亡くなった。マックス・モズレーにその地位を追われるまでの13年間、彼はFIAの会長としてモータースポーツ界で最も強い権力を持った人物だった。

バレストルは熱心なレーシング・ファンで、F1のために多くのことを成し遂げた。しかし、特に故アイルトン・セナをはじめてとして敵も多く、バレストルは自らの権力によって堕落し、アラン・プロストに有利になるよう1989年F1ワールドチャンピオンシップを操作したと非難された。セナがタイトルを獲得するためには多くの課題があったので、これは過激な主張であったが、バレストルの介入は確かにプロストに害を及ぼさなかった。最終的にセナは主張を撤回せざるをえなかった。F1で最も有名なドライバーでさえ、FIA会長に楯突くことはできなかったのだ。

しかし、バレストルがF1のために尽力したこともあった。彼はF1におけるターボチャージャーと地面効果(グラウンド・エフェクト)空力学はいずれも危険であり金の浪費であると信じていた。彼は1989年にあらゆる反対を押し切って自然吸気エンジン規約を推進した。ヘンリ・トイヴォネンの事故死を受けて彼がワールドラリー・チャンピオンシップの規約を変更すると、当時ジャン・トッドが率いていたプジョーのモータースポーツ部門から訴訟を起こされた。FIAがこの裁判に敗訴すると、FIAは破産する可能性があった。しかし彼は自説を曲げず、それまで規定されていなかったFIAにおける大きな権力を確立する重要な裁定を勝ち取った。

トッドはパリ-ダガールに何度も参戦し、ふたりは互いに侮辱しあった。

バレストルは神経が図太かったが、それを必要としていた。

ジャン-マリー・バレストル彼は第二次世界大戦中に犯した間違いを埋め合わせるために成人期の大半を費やした。大戦中、彼はフランス侵攻後のドイツに協力していたのである。フランスSS(ナチス親衛隊)の一員だったバレストルは、最終的に占領軍と対立して投獄された。しかし彼はその後、英雄的行為があったからではないと主張した。

戦後数年間、彼は過去を問題にする相手に対して訴訟を起こした。彼がSSの制服を着ている写真もあったが、それらは何も証明しなかった。多くの訴訟があり、バレストルはすべの訴訟で勝訴した。彼が損害をこうむることは稀だった。彼は、誰も論破できない無敵の弁護をした。彼は、地下でレジスタンス運動に関わっていたと述べたのである。彼の言葉を保証できる人々は全員死亡していた。

誰もこの話を信じなかったが、名誉毀損訴訟では原告側がそれを証明しなくてはならなかった。

そして誰も証明できなかった。

戦後バレストルはレジスタンスの英雄として振舞うようになり、関係者を大いに苛立たせた。

1950年代にバレストルがロベール・エルサンと手を組んだことはかなり皮肉であった。というのも、エルサンは自称ナチス協力者であり、自分がレジスタンスに加わらなかった唯一のフランス人だというのは驚くべきことだとジョークを言っていたからだった。ふたりは1950年に "L'Auto-Journal" 誌を発刊し、新聞社を買収してメディア王国を築いた。そして1975年の "Le Figaro"(ル・フィガロ)を買収によって彼らの会社は頂点に立った。

1950年バレストルは、フランスのモータースポーツ・クラブ設立を提案し、1952年フランス自動車連盟(FFSA)の設立メンバーとなった。彼はカート界の重鎮であり、1961年、FIAの国際カート委員会の初代会長に就任した。1973年彼はFFSAの会長になり、5年後の1978年、FIAの国際競技委員会の委員長に任命された。

1979年、彼はこの委員会をFIA内の自治連盟FISA(国際自動車競技連盟)に転換した。

FISA会長としてバレストルは、バーニー・エクレストン、マックス・モズレー、その他のF1チーム代表に対してF1レーシングの支配権を巡る有名な闘争(FISA-FOCA闘争)を開始した。この闘争は1982年の和解に至るまで続き、最初のコンコルド協定が結ばれた。バレストルがあと数年持ちこたえたら、FIAはチームに勝ってF1の商業権を維持できただろうと言われている。和解によりチームはF1の商業的支配権を得たが、FIAは競技に対する権力を維持した。

バレストルの高圧的な態度は多くの敵をつくり、1991年モズレーがFISA会長職の対立候補となった。バレストルはモズレーに勝つために十分な支援が得られると確信して投票を行った。ただしエクレストンはバレストルの敗北を警告していた。彼は、支援者だと思っていた人々に裏切られたことを知り大きなショックを受けた。彼はある意味無邪気であった。

2年後、69歳になったバレストルは、FIAとFISAの統合を提案し、FIA会長に立候補したモズレーに反対しなかった。バレストルは、各種委員会の委員としてFIAの活動を続けた。

彼は1996年末までFFSAの会長を務めた。

バレストルには多くの欠点があったがかなり魅力的であり、F1の本当のファンで、正しいと思うことのために戦った。確かに何が重要であるかを見誤ることもあったが、1989年チャンピオンシップへの関与は、決して認めなかった若い頃の過ちを埋め合わせるために愛国者であることを必死で証明する行為だったのかもしれない。

彼がセナとのトラブル後ブラジルに行って仕事をしていると、グランドスタンドの観客が気をつけの姿勢をとり、腕を伸ばしてナチス式敬礼をして「ジーク・ハイル!」と繰り返したとき、彼の感じた痛みはいかばかりだっただろう。

個性的? 確かに。おどけ者? 時には。しかしその悩める魂のどこかに本物のレーサーがいた。

これは最高の墓碑銘である。

-Source: GrandPrix.com
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ジャン-マリー・バレストルジャン-マリー・バレストル
ジャン-マリー・バレストル マックス・モズレー バーニー・エクレストン
ジャン-マリー・バレストル  マックス・モズレージャン-マリー・バレストル バーニー・エクレストン

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1977年モナコGP バーニー・エクレストン(ブラバムチームのオーナー)
1980年ベルギーGP マイク・ドッドソン(記者)
1981年アメリカGP マックス・モズレー(FOCA法律顧問)
ジャン-マリー・バレストル:1977年5月モナコGP バーニー・エクレストン(ブラバムチームのオーナー)ジャン-マリー・バレストル:1980年ベルギーGP マイク・ドッドソン(記者)ジャン-マリー・バレストル:1981年アメリカGP マックス・モズレー(FOCA法律顧問)

1987年 ジェラール・ドゥカルージュ(ロータスのデザイナー)
1987年メキシコGP アラン・プロスト(マクラーレン)
1988年 バーニー・エクレストン
ジャン-マリー・バレストル:1987年 ジェラール・ドゥカルージュ(ロータスのデザイナー)ジャン-マリー・バレストル:1987年メキシコGP アラン・プロスト(マクラーレン)ジャン-マリー・バレストル:1988年 バーニー・エクレストン

1989年フランスGP バーニー・エクレストン
1989年ベルギーGP アラン・プロスト アイルトン・セナ ナイジェル・マンセル
1991年イタリアGP 鈴木亜久里(ラルース)
ジャン-マリー・バレストル:1989年フランスGP バーニー・エクレストンジャン-マリー・バレストル:1989年ベルギーGP アラン・プロスト アイルトン・セナ ナイジェル・マンセルジャン-マリー・バレストル:1991年イタリアGP 鈴木亜久里(ラルース)

ジャン-マリー・バレストルジャン-マリー・バレストルジャン-マリー・バレストル

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