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2010年08月23日

最低のF1エンジン: 煙と消える

Up in smoke: The worst F1 engines

デイモン・ヒル(アロウズ-ヤマハ)

フェラーリはエンジンに関しては悪夢のシーズンを過ごしている。ファクトリーチームのエンジンは、最初の相次ぐ故障のあと修理されたようだが、カスタマーチームのザウバーは、ATSのドライバー交代よりも頻繁にエンジンを交換している。

しかしフェラーリの問題も、何年も前のエンジンメーカーに比べれば大したことはない。かつては革新的なコンセプトのエンジンがあり、世界的自動車メーカーの完全な失敗作もあった。

あまりにひどい出来だったので、テストに合格することがなく、実際のレースマシンに搭載されないエンジンもあった。また他の欠点のため量産されなかったエンジンもある。

どういうわけか、最も出来の悪いF1チームで仕事をするべく運命づけられた人がいる。曖昧で役に立たないマシン設計に関して言えば、エンリケ・スカラブローニがそうである(ただし彼は1990年代半ばの古いプジョーV10を買い、それを中心にして2002年に独自のチームを運営しようとしたので、正確にはこのリストには入らない)。エンジンに関しては、アル・メリングは決して実現しないプロジェクトと契約するコツを知っていた。

みなさんは、おそらくスコット・ラッセル・エンジンズという社名を聞いたことはないだろう。なぜならこの会社は実際にレースに使われるエンジンを作ったことがないからだ。平凡なV8が製造されてテストされたが、2回目のプロジェクトが失敗すると会社が倒産した。135°のV12エンジンはよいアイデアではなかったので、これは意外ではなかった(ゼネラルモータースも当初はこのプロジェクトを支援していたが、間もなく手を引いた)。

メリングは再び次のプロジェクトに失敗したが、最終的には問題にはならなかった。というのも彼の新しいMCD V10を使うと見られていたチームが1戦出走した後に破産したからだ。シャシー部門と同様、1997年のワークス・ローラのエンジンは最初のハードルを越えられなかった。

MGN W12プロジェクトは、レースに出走すると故障することが明確になると、潔く廃止された。時を同じくしてライフW12も同じ運命を辿った。
写真:MGN W12プロジェクトは、レースに出走すると故障することが明確になると、潔く廃止された。時を同じくしてライフW12も同じ運命を辿った。

ギイ・ネーグルとフランコ・ロッキはいずれも同じアイデアを持っていたが、少なくともひとりは、その「革新的」エンジンが役立たず同然であることが判明しても威厳を保った。

MGN(ネーグルのチーム)は、型破りなW12エンジンを1988年と1989年を通じてテストし、2年落ちのAGS JH22に搭載してトラック・テストまでこぎつけた。しかしこのテストにより、新しいエンジンのパフォーマンスがかなりはっきりと示された。つまりパフォーマンスなどないということがわかったのだ。

称賛するべき点があるとすれば、アイデアは悪くなった。V12のパワーとV8のコンパクトを兼ね備えたエンジンはアドバンテージがあった。60°の角度をつけた3気筒のおかげでW12はコンパクトになったが、小型になったからといって軽量になったわけではなかった。

ロッキはエンジニアとして長年フェラーリで働いていた。彼は1960年代フェラーリ在籍中にW12エンジンのコンセプトを考案したが、フェラーリはこのコンセプトを実現することはなかった。最終的に彼は独立し、自らW12エンジンを製造した。

これはターボ時代の終焉に向かう間の出来事だった。正気とは思えないほど高いターボのコストのため、FIAはこれらを禁止せざるを得なくなり、多くのチームは新しいエンジンの供給を必要としていた。イタリアの実業家エルネスト・ヴィータは手っ取り早く金儲けができる大きなチャンスだと考えた。彼は、ロッキからエンジンの権利を買収し、グリッドに並ぶ小規模な独立チームのひとつに売ることにした。

ヴィータにとって唯一の問題は、チーム代表らが、全くの門外漢でも大失敗と予想していた実験的なエンジンを回避したことだった。

実際、彼らは1990年シーズン前のライフに関して多くを語ろうとしなかった。これは間違いなくF1における最大の災難であり、ライフのおかげでアンドレア・モーダがプロのチームのように見えた。

ヴィータは自らW12の「ポテンシャル」を証明することを決め、失敗したファーストのF1プロジェクトを買収した。マーチの元エンジニア、リチャード・ディヴィラはこのプロジェクトにとりかかったが、彼はその後1989年リジェに移籍したため、マシンは能力の劣るスタッフたちの手に残された。ディヴィラが完成品を分析するために戻ってくると、その醜いものを「興味深い花瓶」と評するに留めた。その後彼は、自らの名前が、完成した「死の罠」と関わることを望まず、このプロジェクトに関するあらゆるものから自分の名前を削除するよう訴えを起こした。

それでもこのプロジェクトは進められた。ゲイリー・ブラバムはマシンをテストするだけのつもりでライフのファクトリーに入って行き(そう、信じられないような話であるが、ファクトリーがヴィータの物置小屋から動くことはなかった)、2年契約をする羽目になった。彼はF1キャリアを始めて2戦目に間違いを悟った。マシンは予選を通過するには数秒遅かったが、アタック・ラップを完了するまでもったことはある意味幸いだった。

ブルーノ・ジャコメリは、レイトンハウスのテスト・ドライバーをしながら、何か暇つぶしをすることを決め、ブラバムと交代したが、マシンを速くすることはできなかった。ライフは独自のエンジンをあきらめ、当初マシンに搭載するべく設計されていたジャッドV8に変えたが、それでもペースは非常に遅かった。

ライフがどれほど遅かったかを説明しよう。フェニックスでのシーズン開幕戦で、ブラバムは次に遅いマシン、クラウディオ・ランジェスのユーロブルンよりも30秒遅かったのだ!

しかし、当時ブラバムより遅いマシンが1台あった。それはベルトラン・ガショーのスバル-コローニだった。このマシンは、彼の唯一の予選周回中に壊れたので5分以上遅かった。モトーリ・モデルニは1990年の数年前にターボエンジンを製造しており、スバルと提携してフラット12エンジンを生み出した。これはシリンダーの角度が180°のためエンジンの重心を低くすることができたが、馬力不足と悲惨な信頼性を持っていた。

スバル-コローニ写真:
スバル-コローニ

エンジンのサイズが大きな問題だった。このエンジンを搭載するマシンは、浅いが幅が広いエンジンを収納するため、非常に広いフロアプランを必要としたため、空力学が損なわれた。その結果コローニC3は完全な失敗作となり、シーズンを通じて1回も予備予選を通過できなかった。ただしその原因の一部はシャシーの欠陥にもあった。というのも、コスワースDFRを搭載した改良C3Cも、ホッケンハイム以降の予備予選を通過できなかったからだ。

そのコンセプトは完全に役立たずだったわけではない。メルセデスが製造したフラット12も重かったが、ザウバーC9スポーツカーに搭載され、カール・ヴェンドリンガーとミハエル・シューマッハという才能あるペアが運転すると、ワールドスポーツカー・チャンピオンシップで優勝した。しかしスバルのエンジンはケーニッグゼグのプロトタイプの1台に搭載されたあと使われなくなった。その後のモデルにはより一般的なフォードV8が選ばれたのだ。

スバルはおそらく、F1に進出した日本企業の中で最大の失敗だった。しかしさらに多くのエンジンはトラックで走ることさえなかった。いすゞはV12エンジンを製造し、ロータスの1991年マシンに搭載したが、1度テストをしただけでプロジェクトは姿を消し、秘密という雲の中に隠れた。日産シルビアを横向きでコーナーを曲がらせるためにほとんどの時間を費やしたHKSもV12を試作し、ローラF3000のテストマシンに搭載した。しかしこのエンジンはそれ以上使われることはなく、彼らは改良した三菱の直列4気筒エンジンでF3に参戦した。



そして、あまり成功しなかった日本のエンジンメーカーの最後の1社は、おとぎ話に近い終わり方をした。ヤマハはザクスピードチームにV8エンジンを提供することから始めた。これは基本的にはコスワースDFVの進化形で、最大の変更はシリンダーあたりのバルブが5つあることだった。ベルント・シュナイダーは1989年、16回の予備予選のうち通過したのは2回のみで、チームメイトの鈴木亜久里は1度も通過できなかった。

翌年ヤマハは撤退して設計図に戻り、1991年V12エンジンで復帰した。このシーズンは浮沈が激しく、予選不通過があったと思えばポイントを獲得した。ヤマハエンジンを搭載したブラバムは、ジョーダンよりも好成績を収め、4度の予戦落ちのあと、ステファノ・モデナが1ポイントを獲得した。しかしブラバムはジャッドと提携して新しいV10エンジンを搭載することに決めた。その後5年間は開発が続き、1997年にヤマハの製品は成功寸前までいった。この年のハンガリーGPでデイモン・ヒルはレースの大半を先導し、ヤマハとアロウズのF1初優勝を目前にしていたが、残り数周でエンジンが故障した。マシンは減速しながらも完走したが、ジャック・ヴィルヌーヴが残り数コーナーで首位を奪って優勝した。

その故障の原因は50ペンス(66円*)相当の座金(ワッシャー)だった。

独立エンジンメーカーに関しては、ダイヤモンドの原石があると言いたいところだが、実際はそうではない。現在、本当の独立メーカーはコスワースのみである。彼らはターボ前の時代にフォードと提携して伝説的なDFVで155回の優勝を果たしたので、彼らはF1エンジンメーカーのダビデの先頭に立つというより、実際はチーム・ゴリアテ側だった。レプコとコヴェントリーは間違いなく最大独立メーカーの2社だったが、今では物置小屋で変わり者の英国人がV8エンジンを作り、グランプリに優勝できる可能性は低くなってしまった。

トラック上で悲惨なエンジン故障や炎をあまり見られないのは本当に残念なことだ。

-Source: The Checkered Flag
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*日本時間2010年08月23日12:09 の為替レート: 1ポンド=132.778995円


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