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2011年01月01日

セバスチャン・ベッテル 経歴: F1ワールドチャンピオン

Sebastian Vettel : Formula One World Champion

セバスチャン・ヴェッテルセバスチャン・ヴェッテル Sebastian Vettel
ワールドチャンピオンシップ:1回(2010年)
グランプリ出走:62回
グランプリ優勝:10回
ポール・ポジション:15回
国籍:ドイツ  2010年末現在

経歴
史上最年少ワールドチャンピオンのセンセーショナルな優勝は、F1史上最も競争が激しかったシーズンに意外な結末をもたらした。セバスチャン・ヴェッテルはそのドライビング能力のおかげで、年齢にかかわる記録をいくつか樹立し、その個性のおかげで大勢のファンを獲得した。今後もさらなる活躍が期待される。ヴェッテルのヒーロー、ミハエル・シューマッハは、ヴェッテルと同年齢のときはまだ優勝していなかった。実際、この若者はよちよち歩きの時から駆け足でここまで到達した。

セバスチャン・ヴェッテルは1987年7月3日に生まれ、わずか3年半後にはモータースポーツの頂点につながる生活を始めた。彼の移動方法はミニチュア・カートで、その会場はドイツ南西部の街ヘッペンハイムにある自宅の裏庭だった。幼いセバスチャンはすぐにマシンをマスターし、歓喜の声をあげながらますます速く周回するようになり、疲れ果てるまでやめようとしなかった。間もなく、幼いセブの喜びの源は、ヴェッテル家の家庭生活の中心になった。職業は大工、余暇では熱心にカート・レースやときおり山登りをする父ノルベルト、妻のハイケにはセブの他に3人の子供がいた。姉のステファニーとメラニー、そして弟のファビアンである。彼の家族のサポートは、早熟な若者がヴェッテルの名前を世界中に知らしめる運命を助けることになった。

彼は7歳でカート・レースにデビューし、すぐにレースやチャンピオンシップで優勝するようになった。初期の優勝トロフィのひとつは、彼のアイドル、ミハエル・シューマッハから手渡された。シューマッハは、畏敬の念に打たれた少年と仲良くなり、ふたりが同様のバックグランドを持つことを指摘し、情熱に従い頂点に到達するよう励ました。しかしそれにはヴェッテル家がまかなえる以上の資金が必要だった。解決策はレッドブルのスポンサーシップという形で現れた。エネルギー飲料企業のスカウトは、セバスチャンは同社若手ドライバー育成プログラムに加える価値があると判断したのだった。

セバスチャン・ヴェッテル、ミハエル・シューマッハ

学習と進歩を続け、彼はシングルシーターに昇格した。17歳の学生だった彼は、ドイツ・フォーミュラBMWチャンピオンシップで前例のない20戦中18戦で優勝した。18歳でBWMフォーミュラF1マシンをテストした。19歳でBMWザウバーF1チームのテスト・ドライバーとなり、スイスのチーム本部に近い村に引っ越して、目標に対するコミットメントを明確に示した。彼のF1レース・デビューは、2007年インディアナポリスでのアメリカGPだった。彼は負傷したロバート・クビサの代役として出走し、予選7位、決勝8位となり、チャンピオンシップ・ポイントを獲得した史上最年少ドライバーになった。夏の半ば、このティーンエイジャーはレッドブルがスポンサーを務めるトロ・ロッソチームのフルタイム・ドライバーになったが、当初は時期尚早に見えた。ウェットの日本GP、2位マーク・ウェバー、3位ヴェッテルで走行中、アロンソのクラッシュでセイフティ・カーが入り、そのセイフティ・カー先導中にヴェッテルはウェバーに接触し、両者ともリタイヤした。確かに性急であったが生気溌剌としていた。1週間後の中国では、ヴェッテルはグリッド17番から追い上げて4位でフィニッシュした。

トロ・ロッソでの2008年シーズンは、パフォーマンスにムラがあったが、ヴェッテルとグリッド最小チームの見事な初優勝によって目立たなかった。雨のイタリア、モンツァの超高速トラックで史上最年少のポール・シッターが逃げ切って史上最年少グランプリ優勝者となり、歴史をつくった。

F1ファンはこのボーイ・レーサーを知るようになり、彼を気に入った。彼は快活で面白く、伝染性のある熱意を発した。彼の陽気な性格は、その職業から得る純粋な喜びを反映していた。彼のお気に入りの曲はビートルズの「ドライヴ・マイ・カー」である。彼は風変わりな英国ユーモア、特にモンティ・パイソン、ミスター・ビーン、リトル・ブリテンなどが大好きである。彼はネズミが怖いと認めているが、F1には恐れるものがなかった。楽天的な態度の裏には、確固たる決意と、いずれチャンピオンシップで優勝できる能力に対する大きな自信があった。

2009年、彼はレッドブル・レーシングに移籍し、ベテランのマーク・ウェバーとペアを組んだ。ウェバーは彼より10歳年上で、おそらく新人よりも賢かったが、速くはないことがわかった。シーズン3戦目、中国でのヴェッテルの優勝は、レッドブルのF1初優勝だった。彼はシーズン後半で圧勝し、さらに3勝をあげてチャンピオンシップではジェンソン・バトンに次ぐ2位となった。

これまでになく長かった2010年は、最も競争が激しいシーズンでもあった。フェラーリ、マクラーレン、レッドブルが最高のマシンを持っており、この3チームのドライバーが19戦すべてで優勝した。元チャンピオンのフェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトン、ルイス・ハミルトン、そしてマーク・ウェバーはそれぞれシーズン中にチャンピオンシップで首位になったが、トップに立てなかったセバスチャン・ヴェッテルは、10回のポール・ポジションからスタートするという先頭を走るペースのおかげでタイトル争いに残った。トラック上で競わせるというチームの方針のためヴェッテルとウェバーの関係は緊張したが、ふたりの成績のおかげでレッドブル・レーシングは最後から2戦目のブラジルGPで初のコンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得した。ヴェッテルはブラジルでの優勝により、アロンソとウェバーの後ろ、ハミルトンの直前という総合順位3位に浮上した。彼のチャンピオンシップ優勝の可能性は低かったが、その後の緊張感に満ちたチャンピオンシップ決戦を覆せる立場にいた。

アブダビの最終戦で、ヴェッテルはポール・ポジションから非の打ちどころのない走りでシーズン5勝目をあげた。彼の背後では、ライバルらがピットストップのタイミングを誤り、オーバーテイクのチャンスがほとんどなかったため、ヴェッテルのチャンピオンシップ優勝を阻むほどポイントを獲得することができなかった。

彼はドイツ国歌が演奏されたとき涙を流したあと「信じられない! 言葉では言い表せない」と語った。「いくつかの理由で、現実だとは思えない」 運も味方したが、実際は最速のマシンに乗った最速ドライバーが新しいワールドチャンピオンになったのである。F1の61年の歴史のなかでタイトルを獲得した32人目のドライバーは23歳133日という史上最年少だった。

-Source: The Official Formula 1 Website
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