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2011年07月26日

F1ドイツGP 6の結論

Conclusions From The Nurburgring

ルイス・ハミルトン、優勝、2011年F1ドイツGP

ハミルトンはまさに大当たり
だから我々は彼を愛しているのだ。

ハミルトンの大きな魅力(癪に障るほどの魅力なので一部の人々の間ではとてつもなく不人気)は、臆面もない泥臭さである。彼はレースを愛しているだけではなく、レースのために生きている。そして彼がレースをするとき、彼が気にすることといったら、スタートからフィニッシュまで速く走ることだけなのだ。だからこそ彼はほぼ常に、目覚しいほど見事か、どうしようもないほど愚かになり、その中間はほとんどないのである。

彼に忍耐力や慎重さは不要だ。どの周回も、最終周回のように走らなければならないし、すべてやるかやられるかと見なさなくてはならない。レース後、彼も認めていたように、ドイツで信号が消えたときに彼が気にしていたのは、最初のコーナーでブレーキを遅らせることだった。それが彼の考えであり彼のレースのやり方である。彼の頭の中にはスピードはひとつしなかい。全開のみ。

つまり、彼はF1のマーマイトであっても無理はない。彼の精神構造は、最大の強みにもなり得るし、最悪の弱みにもなり得る。だからこそ彼はこれほど賛否両論があるのだ。彼は中庸ではないし、彼の観察者も中立ではいられない。彼を愛するか憎むかしかないのである。

論点を戻して、ドイツでは憎むことはひとつもなく、愛すべきことばかりだった。はっきり言えば、彼の優勝は、最初から最後まで全開だったゆえに素朴な輝きを放っていた。

フェルナンド・アロンソがピットから彼の前に合流したときも全開で、一瞬のためらいもなく彼はアクセルを踏み込み、アウトサイドからアロンソを抜き、マーク・ウェバーを置き去りにした。彼は、その特徴的な激しいタイヤ磨耗の経験をものともせず、2セット目のタイヤの最初から最後まで全開で走った。そう、終盤まで全開。グランプリの最速ラップタイムを出したのもラスト2周目だった。彼は低速走行はもちろん、減速することすら知らない。

当然、クレージーにもアウトサイドからアロンソを抜いたハミルトンの見事なオーバーテイクは、このような素晴らしいスペクタクルをもたらしたため、今年のドイツGPの特徴的な場面として記憶されるだろう。しかし、優勝は終盤のラップタイムで決まった。レーサーであるハミルトンは、優勝を確実にしていたにもかかわらず、まだ全開で走っていた。時代に逆行して洗練されていないハミルトンは、かつて破滅の原因になっていても関係なく、スピードに対する愛という麻薬に抵抗できないのだ。

好き嫌いは別にして、彼を見るのは素晴らしいことだ。

ルイス・ハミルトン、フェルナンド・アロンソ、2011年F1ドイツGP

アロンソを忘れてはならない
シーズン開幕がひどい時でさえ、彼を見損なってはならない。彼はシーズン後半のスペシャリストになりつつあり、2011年は過去5年のうち、遅いスタートのあと突然結果が改善する3シーズン目になりそうである。今シーズン開幕5戦で控えめに51ポイント獲得したあと、過去5戦ではカナダでのリタイヤがあったにもかかわらず81ポイントを獲得した。

フェルナンドの魅力は、ルイスとは全く異なっているが、負けを認めないところが同じくらい素晴らしい。

ベッテルの謎が解明されつつある
輝かしい統計値もあるが、当てにならない数字もある。そしてすべてを語る数字がある。

別格のマシンに乗る優勝候補として、ベッテル自身、別格のドライバーである。ドイツGP前までセバスチャンは連続14戦でフロント・ローからスタートしており、彼が1位あるいは2位でフィニッシュしなかったのは昨年10月の韓国GPのみで、それも彼のミスではなかった。

ベッテルは、マシンの性能を上回ることが求められるレーサーとしてまだ結果を出していない。2009年ドイツGP以来、セバスチャンは3番グリッドより後ろでレースをスタートした場合は表彰台に乗っていないのだ。

彼は、本物のレーシングが要求されるときに、このレーシング技術があまり得意ではない。

ワールドチャンピオンシップに関しては、その欠点はほとんど問題にならない。非の打ち所のない先頭ランナーを続けている間に、彼の王冠が本当に危うくなるまで、ドライバーズ・チャンピオンシップにおける彼のリードが少なくとも25ポイントの緩衝材となる。彼は心配していないし、残るグランプリを4位あたりでフィニッシュしても、まだ安心していられるだろう。それでも、レース技術が足りないため、彼がF1の偉大なドライバーとして立候補するのは無駄な努力である。

ドイツではスタートからフィニッシュまで、彼の欠点は醜いほど露呈された。彼は凡ミスで2度コースアウトし、1度たりとも一騎打ちでフェリペ・マッサをオーバーテイクできそうには見えず、完璧とはほど遠いマシンでグリップを得ることができずに苦しんでいるドライバーという全体的な印象を常に与えていた。アロンソもやり遂げたし、ハミルトンもやり遂げた。しかしベッテルは見苦しい勝ち方を知らない。だからこそ2011年のチャンピオン候補は、偉大なチャンピオンと見なされないのだろう。

レッドブルは道に迷った
流れが変わったのだろうか? 突然、ほとんど何の前兆もなくレッドブルが後退した。2011年圧倒的に強かったチームはもはや優勢ではない。序盤7戦で6勝したレッドブルは、過去4戦で1勝しか挙げていない。

彼らは道に迷ったかもしれない(おそらくフェラーリとマクラーレンがやっと近道を見つけたと言う方がフェアかもしれない)が、それでも彼らは怖気づいてはいない。4位はベッテルにとって望外だったが、最近何度か手痛いミスをして、ワールドチャンピオンシップ・リーダーのマシンへの作業についてプレッシャーがかかっていたことを考えると、レッドブルのクルーにとって、ピットにおける「彼」のフェリペ・マッサに対する勝利は、特に印象的な喜びだった。彼らに脱帽。

マクラーレンは変身する
今年のマクラーレンは何と興味深いのだろう。マーティン・ブランドルは少なくとも1ヶ月に1度は、レーシングトラックは生きて呼吸している、タールマック舗装は絶えず進化していると言うのが好きだが、その説明は、非常に興味深いマシンMP4-26に、当てはめるほうがしっくりくるだろう。

このマシンは負け犬として誕生し(悲惨な冬を思い出してほしい)、オーストラリアでは優勝候補に変身し、その後優勝を果たした。しかし同じく突然、力を失って吼えない犬に戻り、飼い主に非難されて絶縁された ... そして例によって、誰もが見限った先週末に優勝を果たした。

そして何より奇妙なのは、ドイツ前の希望のない悲観的なプレビューから判断すると、マクラーレンは自らのマシンが、次にどうなるのかぼんやりとした考えさえ持っていなかったことだった。

シューミ1号とシューミ2号は同じ条件ではない
帝王シューミが最初に存在しなければ、人々はミハエル・シューマッハ二世をどう判断するのだろう? 生まれ変わったシューマッハを称賛するのが難しいのは、彼が単独で称賛されることがないからである。彼がなすことすべては、かつての自分と比較されるのだが、シューマッハ二世はF1史上最も成功したドライバーと比較されることを考えれば、いっそう不公平である。そして肉体的な必要性から引退するまでの時間が限られているので、彼は決してかつての自分に勝てないだろう。

では、彼が初めてF1に昇格した若手ドライバーとして復活したとしたら、我々はシューマッハをどう評価するだろうか? そう、彼は実際ちょっとしたカルト的人物であるという考えがつきまとい、態度やペースについてはあまり称賛しないが、速いマシンや速いチームメイトに負けることを認めない、あきらめることが唯一の選択肢のように見えるときでさえ絶対に譲らないところに娯楽的価値がある。やれやれ、そのようなシューマッハでさえ、数週間前小林可夢偉とクラッシュしたときは自分の非を認め、スチュワードから厳しい処分を受けたという考えを一笑に付した。確かに、彼はカムバック以来、不調のときも、かつての栄光を取り戻せないことがはっきりしたときも、カメラから隠れたことが一度たりともなかった。

彼はアンフェアな扱いを受けているというのが最後の結論である。それは、常にかつての自分と比較されることが本質的にアンフェアであるだけでなく、同じ条件で比較していないからである。カムバックしたシューマッハは、最初のシューマッハとは違い、実際にものすごく感じがいいのである。

-Source: Planet-F1
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markzu at 18:22│Comments(0)F1GPの結論 
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