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2012年10月10日

鈴鹿のパドック・ライフ

Behind the scenes at Suzuka

鈴鹿サーキット

◎ F1は、アラン・プロストとアイルトン・セナが栄冠を目指してホイール・トゥ・ホイールでバトルをした20年以上前の日本GPを包んだドラマと緊張とヒステリーを再現することはできないかもしれないが、雰囲気に関しては今年の鈴鹿は、それにかなり近いものがあった。

F1界は、情熱的なファンがすし詰めになったグランドスタンドや草の土手を見るのが何よりも好きであり、熱心なファンは(木曜日でさえ)トラックに入るために喜んで何時間も行列する。

日本のF1ファンは、母国のドライバーの成功に左右される興味レベルというより、F1を愛している。だからこそ、常にこれほどレースをサポートしているのだ。

しかし、今年はやや異なっていた。小林可夢偉が、母国で初の表彰台に立つと目標を定めていたからだ。

レース前、彼は目標を達成すれば、いつか訪れるF1引退を後悔なくできる。つまり50歳か60歳になって過去を振り返り、鈴鹿の表彰台に立ったと言うことができると語った。

小林が予選で3位となったため、満員の観客は大いに期待を持った。最も注目を集めたのは、持ち主の意図に合わせて開閉するザウバーのDRSウィングを搭載した帽子をかぶったファンだった。

小林はファンの期待を裏切らなかった。終盤のジェンソン・バトンのバトルのあと3位を死守し、地元の観客をさらに興奮させた。

そして観客は大喜びした。レース後のグランドスタンドは礼儀正しい拍手ではなく、「カムイ、カムイ、カムイ」と叫ぶ何千人ものファンで揺れた。

これはまさに魔法の瞬間だった。そして日本GPが、カレンダーに絶対に必要なイベントであることを、全員に思い出させた。

2012年F1日本GP 表彰式、マッサ、ベッテル、小林可夢偉

◎ F1とともに世界中を旅することの素晴らしい点は、F1のファンがいかに遠くまで広がっているかがわかることである。

世界のどの都市や街のショッピングセンター、レストラン、バー、公園に行っても、ほぼ毎回F1のTシャツか帽子をかぶっている人を見かけるのだ。

土曜夜、鈴鹿のダウンタウンの中華料理屋にいた、かなりレアなブラウンGPのキャップをかぶった筋金入りのファンは、ロス・ブラウン本人がその店に入ってきたとき、盆と正月が一緒にやってきたと思っただろう。

レース週末にサーキットを訪れた観客数が膨大だったため、トラック周辺の交通状況はかなり悪かった。そこでブラウンと友人は、渋滞の中ホテルに戻ることをあきらめ、近くの中華料理屋に寄ることにした。

普段はF1カメラマンがたむろするレストランで、ブラウンは、幸運が信じられない地元ファン(特に白と蛍光イエローの帽子をかぶったファン)に呼び止められ、楽しい夜を過ごした

◎ 鈴鹿が初のF1レースを開催したのは1987年であり、その週末はフェラーリのゲルハルト・バーガーが優勝し、ネルソン・ピケがタイトルを手にしたが、もっと前からレーシング・ドライバーとファンを楽しませてきた。

ジョン・フーゲンホルツが設計した鈴鹿は1962年に初のレースを開催しており、今年はサーキット開設50周年だった。

このサーキットは非常に愛されているので(F1カレンダーのなかでドライバーにとって最大のチャレンジと広く見なされている)、一部のドライバーはこの特別な記念の機会に熱心に協力した。

セバスチャン・ベッテルの鈴鹿用ヘルメットはトラックの50周年を祝うもので、ジェンソン・バトンはヘルメットにユニークな水龍のデザインを採用した。

ジェンソン・バトンのヘルメット、2012年F1日本GP

お祝いは、レースの数時間前にふさわしいクライマックスを迎えた。古いF1マシンの特別デモ走行が行われ、ファンとパドックのメンバーは、これまでのマシンがどのように見えたかを思い出すことができた。

1965年のホンダに続き、中野信治が2003年フェラーリに、中嶋悟が1989年のロータス101に、そして鈴木亜久里が1990年表彰台に立った時のマシン、ラルース-ランボルギーニLC90をドライブした。

鈴木亜久里、ラルース-ランボルギーニLC90: 2012年F1日本GP

◎ シーズン終盤は8週間で6戦とあわただしく、飛行機で過ごす多くの時間と相まって、かなりの時差ボケと不健康な食事となるため、F1界が余分なカロリーを消費する言い訳をいつも探しているのは当然である。

おかげで、シーズンを通じて開催されている "Run That Track" チャリティの取組みが、鈴鹿で新たな高みに達した。パドックの常連たちは、去年達成した金額20万ドル(1,564万円*)を超える寄付金を集めたのだ。

土曜夜のグループ・ランには大勢が参加した。ヴァルテリ・ボタスが参加して真剣に取り組み、ジュール・ビアンキより2秒速いタイムで優勝した。

また素晴らしいチームワークもあった。ティモ・グロックのマルシアのクルー全員が鈴鹿を完走したのだ。彼らが走っただけで約9,000ドル(70万3,800円*)の寄付が集まり、チームメンバーはとても誇らしげだった。

メイン・レースのスタートのあと、ジェンソン・バトンもマクラーレンのチームメンバーを率いて、全員が一緒に走るチームランを行った。

ジェンソン・バトン、マクラーレンのチームメンバーとチャリティ・ランニング、道端ジェシカ: 2012F1日本GP 鈴鹿

ピットでの作業を見守るため、いつものように遅くまでトラックに残っている日本人にとって、このランニングはちょっとした夜の余興となった。彼らはヘルメットやオーバーオールなしのレーシング・ヒーローの姿を見ることができた。

そしてランニングの参加者は、ファンの声援を受けながらスタート-フィニッシュ・ストレートを駆け抜けるという素晴らしい経験をした。

やはり魅力的な鈴鹿は、裏切らなかった。

◎ レース後の月曜朝、ルイス・ハミルトンがTwitterで失敗したとき、彼の頭には昨日の日本GPの興奮が残っていたのかもしれない。

部外秘のテレメトリ・データの写真を含むスパのつぶやきがトラブルを引き起こして数週間後、ハミルトンは、メルセデスと契約したと噂された日に、ジェンソン・バトンが彼のフォローを辞めたと誤解したのだ。

早朝のツィートで、ハミルトンは「@JensonButton がフォローをやめたのに気づいた。残念だ。3年間チームメイトだったから、互いに尊敬していると思っていた。でも彼はそうじゃなかった」と書いている。

しかし数分後、バトンがそもそも彼をフォローしていなかったことを知り、ハミルトンは勘違いを謝罪した。

「僕の勘違いだった。ジェンソンは僕をフォローしたことがなかった。彼は悪くないよ! Twitterをもっと使う必要がある」

チームメイト間の愛憎は面白い。

関連記事: F1ドライバーとチームのTwitterアドレス 2012年

-Source: autosport.com

*日本時間2012年10月09日23:49 の為替レート: 1ドル=78.200000円



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