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2013年12月20日

F1の歴史における伝説的ナンバー27

The legend of number 27 in the history of Formula 1

ジル・ヴィルヌーヴ(フェラーリ)
 ジル・ヴィルヌーヴ(フェラーリ)

ドライバー・ナンバー
FIAによって導入され、2014年からF1で実施されるた固定ナンバー・システムが話題になっている。これは、ドライバーが好みの数字を選び、F1キャリアを通じて同じナンバーを使うというシステムである。

このコンセプトは、MotoGPやNASCARが何十年も使用しており、F1も事実上これまでドライバーに関連づけられたナンバーが使用されていたが、それは制度的なものではなかった。

ナイジェル・マンセルは赤の5を有名にし、ナンバー27は、常に今は亡きジル・ヴィルヌーヴと、そしてある程度までアイルトン・セナと関連づけられている。

しかしこのふたりの伝説的ドライバーを別にすると、27はF1の他の偉大なドライバーとも関わりがある ...

1970年代初頭まで、F1のナンバー・システムはその場限りで、ドライバー・ナンバーはレースごとに代わっていた。というのも、チーム(ドライバー)とレース主催者の間で参戦手続きが直接行われていたからだった。

例えば、ロニー・ピーターソンは1970年7月のイギリスGPにナンバー27で参戦したが、9月のイタリアGPではナンバー52をつけていた。

カルロス・ロイテマンは1972年母国レースであるアルゼンチンGPにナンバー2で参戦したが、イギリスGPではナンバー27をつけてレースをした。

カルロス・ロイテマン、1972年F1イギリスGP
 カルロス・ロイテマン、1972年F1イギリスGP

1973年半ばに固定ナンバー・システムが導入され、1974年は、ドライバーが1年を通じて同じナンバーを使った最初のシーズンとなった。

1974年シーズンは3人のドライバーにナンバー27が割り当てられた。この年、ガイ・エドワーズ、ピーター・ゲシン、ロルフ・シュトメレンが、エンバシー・レーシング・ローラのドライバーを務めたからだった。

ガイ・エドワーズ、1974年F1ベルギーGP
 ガイ・エドワーズ、1974年F1ベルギーGP

1975年初めてフルシーズンでナンバー27を使ったのは、ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシングのマリオ・アンドレッティだった。彼は1976年の2戦でも27を使ったが、チームがF1から撤退した。

マリオ・アンドレッティ、1976年F1アメリカ西GP
 マリオ・アンドレッティ、1976年F1アメリカ西GP

1977年はパトリック・ネーヴが、ナンバー27をつけたウィリアムズのマーチ-フォードで11戦出走した。彼はシーズン最終戦を欠場し、ナンバー27はシーズン最終戦の日本GPでは、ジャン・ピエール・ジャリエが乗るリジェのサイドポッドにつけられた。

同じドライバーがナンバー27を初めて長期間使用したのは、1978年から1980年、ウィリアムズのアラン・ジョーンズだった。彼は1980年にワールドタイトルを獲得したため、1981年はナンバー1をつけることになった。

アラン・ジョーンズ(ウィリアムズ)
 アラン・ジョーンズ(ウィリアムズ)、1979年

1981年、ジル・ヴィルヌーヴにナンバー27が割り当てられ、フェラーリが近代で初めてこのナンバーをつけた。その後、ヴィルヌーヴはどんなマシンに乗っても情熱的な走りを見せ、F1界全員の心を捉え、F1の伝説の一部になった。

ヴィルヌーヴは1982年もナンバー27をつけ、そのフェラーリはベルギーGPの予選でゾルダーのフェンスに激突し、彼は死亡した。

ジル・ヴィルヌーヴ(フェラーリ)、1981年F1モナコGP
 ジル・ヴィルヌーヴ(フェラーリ)、1981年F1モナコGP

彼の後任であるパトリック・タンベイがシートとナンバーを引き継ぎ、1983年まで使用した。1984年は彼に代わってフェラーリに移籍したミケーレ・アルボレートが使用した。

パトリック・タンベイ(フェラーリ)、1983年F1イギリスGP
 パトリック・タンベイ(フェラーリ)、1983年F1イギリスGP

アルボレートは1988年まで5年間この象徴的なナンバーを使ったが、ひとりのドライバーが27を使った期間としては最長だった。

ミケーレ・アルボレート(フェラーリ)、1984年F1ベルギーGP
 ミケーレ・アルボレート(フェラーリ)、1984年F1ベルギーGP

ナイジェル・マンセルが1989年にフェラーリに移籍するとナンバー27を与えられたが、翌年の1990年、アラン・プロストがワールドチャンピオンとしてナンバー1のプレートとともにフェラーリに移籍してきたので、チームは27を手放すことになった。

ナイジェル・マンセル(フェラーリ)、1989年F1モナコGP
 ナイジェル・マンセル(フェラーリ)、1989年F1モナコGP

この年、ナンバー27をつけたのは、マクラーレン-ホンダのアイルトン・セナだった。しかし、この組み合わせは大成功したために長続きしなかった。セナが1990年にワールドチャンピオンシップで優勝したからだ。そのため、1991年にはナンバー1がマクラーレンに戻り、フェラーリのアラン・プロストが象徴的なナンバーとしての地位を確立した27を使う栄誉を得た。

この年、1戦を残してプロストがフェラーリから解雇されたので、彼の後継者であるジャンニ・モルビデリが1991年最終戦のアデレートでナンバー27を使った。

アイルトン・セナ(マクラーレン)、1990年F1モナコGP
 アイルトン・セナ(マクラーレン)、1990年F1モナコGP

アラン・プロスト(フェラーリ)、1991年
 アラン・プロスト(フェラーリ)、1991年

1992年フェラーリはジャン・アレジと契約し、彼は1995年末までの4年間、ナンバー27をつけた。

ジャン・アレジ(フェラーリ)、1995年F1オーストラリアGP
 ジャン・アレジ(フェラーリ)、1995年F1オーストラリアGP

それ以来、F1ではナンバー27は使用されていないが、来シーズンはカムバックしそうだ。このナンバーを手にするのは、2013年のワールドチャンピオンシップの上位4人、セバスチャン・ベッテル、フェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトン、キミ・ライコネンの可能性が高い。これらのドライバーなら、ナンバー27の遺産を正当に扱ってくれるだろう。

間もなく、F1で最も象徴的なナンバーを誰がつけるのか発表される。乞うご期待 ...

-Source: Grand Prix 247

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