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2018年08月13日

エマーソン・フィッティパルディのコパスカー移籍:F1のショッキングな移籍

Emerson Fittipaldi to Copersucar

エマーソン・フィッティパルディ(コパスカー)

なぜショッキングだったのか?

2回目のチャンピオンシップで優勝した翌年の1975年、フェラーリのニキ・ラウダに次ぐ2位に終わったエマーソン・フィッティパルディが、タイトル優勝チームであるマクラーレンを離れ、1976年にリスキーな新しい冒険を始めることを選び、周囲を驚かせた。

2度のワールドチャンピオンは、彼の兄でF1の経験はブラバムでの無駄な数シーズンを過ごしただけのウィルソン・フィッティパルディが、ブラジルの砂糖販売会社コパスカーから資金の提供を受け設立し、さらに運営とドライバーをしていたチームのパートナーになることを決めた。

エマーソン・フィッティパルディ:F1経歴
1970-1973年 ロータス
1974-1975年 マクラーレン
1976-1979年 コパスカー
1980年 フィッティパルディ
タイトル2回(1972, 1974年)

移籍後に何が起きたのか?

エマーソン・フィッティパルディにとって不運なことに、1976年から1979年まで競争力のないコパスカー・フィッティパルディチームでは結果を出すことができず、その間の最高結果は1978年母国GPでの2位だった。

コパスカーがスポンサーシップを終了した後、1980年にチーム名がスコール・フィッティパルディに変わっても状況はあまり変わらず、7回のリタイヤがチームの問題を裏付けた。このシーズンは、エマーソンのドライバーとしての最後のシーズンとなり、彼は兄とともに経営陣に加わり、チームは最終的に1982年で撤退した。

F1のショッキングな移籍

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