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2018年12月23日

フェルナンド・アロンソ:ルイス・ハミルトン、マクラーレン、スパイゲートと脅迫とロン・デニスに対する要求

Fernando Alonso: Lewis Hamilton, McLaren, 'spy-gate' & threats & demands to Ron Dennis

フェルナンド・アロンソ

フェルナンド・アロンソのキャリアにおける重要な場面に関する特集のシリーズ2回目では、第1期マクラーレン時代を終わらせることになる激動の出来事に関する秘密が明かされる。

2007年ハンガリーGPは、F1の伝説になっている。

ハンガリーの予選で、フェルナンド・アロンソはピットストップでマクラーレンのチームメイト、ルイス・ハミルトンを妨害し、ハミルトンが最後のアタックに出られないようにしたあと、ポール・ポジションを獲得した。

翌日の午前、レース前にアロンソとマクラーレンのチーム代表ロン・デニスは大喧嘩をした。アロンソは「スパイゲート」事件に関して有罪を示す可能性のあるeメールを暴露すると脅迫した。ロン・デニスはFIA会長マックス・モズレーに電話をかけ、アロンソの発言を伝えた。

これによって2回目の「スパイゲート」公聴会が開かれることになり、マクラーレンがフェラーリの機密情報から恩恵を受けたとする申し立てが再分析された。ここでは、最初の公聴会とは異なり、マクラーレンは有罪とされ、1億ドルの罰金とコンストラクターズ・チャンピオンシップ除外の処分を科せられた。

しかし、世間はそもそものきっかけを忘れている。そしてこれまで、アロンソがその破滅的な会議でロン・デニスに何を言ったかは公になることはなかった。今回は詳しいストーリーが明かされる。

策略、そして報復

ハンガリーはチャンピオンシップ第11戦だった。マクラーレンでの緊張は今まで以上に高まっていた。ロン・デニスとフェルナンド・アロンソは口もきかなくなっていた。そして、モナコから6戦目となるハンガリーでも、ふたりのドライバーのチャンピオンシップ順位は全く同じまま、ルイス・ハミルトンが首位でアロンソが2ポイント差で追っていた。

ルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソ:2007年F1
ルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソはいずれも2007年シーズンを109ポイントで終えたが、タイトル優勝者のキミ・ライコネンとの差は1ポイントだった。

この年の予選の最終セッションは風変りで複雑な手順で行われていた。ドライバーは、レースのスタート時と同じ燃料を搭載してセッションを始めなければならなかった。そしていわゆる「燃料消費周回」を走り、グリッド順位を決めるための計時アタックを行っていた。レース前、「燃料消費周回」のときと同じ量になるよう、燃料をタンクに給油した。

このシステムはチームに、特に両ドライバーがチャンピオンシップ争いをしているチームには緊張をもたらした。

第一に、ドライバーが最後の予選アタックをするときに、どのくらいの量の燃料がマシンに搭載されているのかという問題があった。燃料が多ければラップタイムは遅くなる。

第二に、レース中の最初のピットストップには必ず最適なタイミングがあったので、燃料消費周回にも最適回数があった。しかし、同じチームのふたりのドライバーは、レース中に同じ周回でピットストップすることはできない。では、どちらのドライバーが最適作戦を採用するのか、どうやって決めればよいのか?

モナコでの物議のあと、マクラーレンの解決策は、両ドライバーが予選アタックで同量の燃料を搭載し、交互にレースの燃料作戦で有利になるようにした。ハンガリーでは、アロンソに優先権があった。

これはつまり、アロンソが先にピットを離れ、燃料消費周回を多くこなすという意味だった。これによってふたつのアドバンテージが得られた。アロンソは最後の予選アタックのときにマシンが軽くなるだけでなく、レースの最初のスティントでより多くの燃料を搭載できるはずだった。

しかし、そうはならなかった。

ハミルトンが最初のガレージを離れ、セッション・スタートを待つ列の先頭に並び、アロンソはその後ろについた。マシンがピットを離れるとすぐに、チームはハミルトンに無線でアロンソを先に行かせ、計画を実行するよう指示した。しかしハミルトンは繰り返される要請を無視した。ロン・デニスでさえ無線で話しかけたが、ハミルトンは従わなかった。

今やアロンソは不利だった。予選アタックをするときの燃料搭載量が多いだけでなく、レース・スタート時に搭載できる燃料が少なくなるからだった。彼は無線で叫び、ハミルトンがなぜ譲ってくれないのかを尋ねた。そし彼は自らの手でこの問題に対処した。

策略にかかったことを知ったアロンソは、ハミルトンに報復する方法を考え出した。彼は減速し、燃料消費段階の終わりにハミルトンのほぼ1周遅れになるように計算し、彼より先にピットインした。

ふたりは最初の予選アタックを始め、ハミルトンはピットに戻る前にアロンソよりも速いラップタイムを記録した。アロンソはハミルトンより少し前を走っていた。

チームはマシンの「スタック」に備えた。アロンソのタイヤを交換して送り出し、彼の後ろで待っているハミルトンにも同じことをする予定だった。

タイヤ交換を待つマクラーレンのクルー
マクラーレンは、「スパイゲート」スキャンダルのあと、2007年のコンストラクターズ・チャンピオンシップ・ポイントをすべて失った。

しかしアロンソは、タイヤを交換してもその場を動かなかった。10秒間じっとしたあとでボックスを離れたが、ハミルトンは2回目のアタックを完了するためにトラックに出ていく時間がなくなった。アロンソは2回目のアタックでポール・ポジションを獲得した。

ある情報源は「問題はそれ以前に始まっていた」と語る。

「あれは最後の噴火だった。しかし始めたのはルイスだった。それを忘れてはならない。彼がフェルナンドを先に行かせていたら、あんな爆発はなかっただろう」

ハミルトンの父親アンソニー・ハミルトンはスチュワードに会いに行き、アロンソを処罰するべきだと激しく陳情した。スチュワードはふたりのドライバーを召喚し、何が起きたかを尋ねた。スチュワードはすべてを考慮し、アロンソにグリッド5番降格ペナルティを科した。

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ロン・デニスに対するアロンソの要求とは

翌朝、フェルナンド・アロンソはまだ激怒していた。

しばらく前から、アロンソはロン・デニスに、自分とルイス・ハミルトンは互いに競い合うべきではないと話していた。パターンは明らかだった。ふたりは互いからポイントを奪い合っており、フェラーリのドライバーは依然としてすぐ後ろにつけていた。アロンソは、注意しなければマクラーレンが手にするべきタイトルを失うことになると信じていた。

アロンソは手持ちのカードを使うことにした。彼のマネジャー、ルイス・ガルシア・アバドも同席のうえで、彼はレースの数時間前にロン・デニスと会った。

アロンソはロン・デニスに、前日にハミルトンが引き起こした間違いを正す必要があると伝えた。アロンソは「ハミルトンは燃料消費周回で僕を騙した。僕はペナルティを受け、グリッド6番だ。これは正しくない」と述べた。

モナコのあと、関係はすでに壊れていた。しかしアロンソはその場で「年末にチームを離れなければならない」と告げた。

アロンソが、チームが彼の望み通りにしないなら、FIAに「スパイゲート」事件に関連するeメールを暴露すると脅迫したことはよく知られている。マクラーレンのエンジニアのひとりが800ページ近くあるフェラーリの技術情報を所有していたこの事件では、チームは非難を回避したばかりだった。

フェルナンド・アロンソとロン・デニス
ロン・デニス、うれしそうな顔で「やあルイス、フェルナンドが言いたいことがあるそうだ」 

しかしアロンソがチームに要求した正確な内容は、これまで一握りの特権的な内部関係者しか知らなかった。

アロンソは、マクラーレンはレース中にハミルトンの燃料が切れるようにするべきだと主張したのだ。

ロン・デニスは、アロンソに話をやめるように頼んだ。ロン・デニスは彼の右腕であるマーティン・ホイットマーシュを呼び入れ、アロンソに今の発言を繰り返すよう頼んだ。アロンソは繰り返した。ロン・デニスはアロンソとルイス・ガルシア・アバドを部屋から送り出し、ホイットマーシュにどうするべきだと思うかと聞いた。

ロン・デニスは、FIA会長のマックス・モズレーに電話するべきだと思うと言った。ホイットマーシュも同意した。ふたりは、アロンソにレースをさせることはできないという点でも意見が一致した。チームを脅迫するようなドライバーを雇うことはできなかった。

ロン・デニスはマックス・モズレーに電話をかけ、何が起きたかを伝えた。モズレーはロン・デニスに、何をしようとしているのかと聞き、アロンソからマシンを取り上げないようにロン・デニスにアドバイスした。

FIA会長マックス・モズレーとロン・デニス:2007年F1ベルギーGP
2007年ベルギーGP、当時のFIA会長マックス・モズレーとロン・デニス

この電話が、マクラーレンに厳しい処分が下された2回目のスパイゲートの公聴会につながったと広く信じられている。しかしマックス・モズレーは、それは正しくないと語る。

マックス・モズレーは「そのeメールについてはすでに知っていた」と語る。アロンソは、かつて在籍していたルノーのチーム代表で彼のマネージャーであるフラヴィオ・ブリアトーレに話していたのだ。モズレーによると、ブリアトーレはF1のボス、バーニー・エクレストンにeメールの話をして、エクレストンがモズレーに伝えたので、モズレーはハンガリー前にメールを見ていた。

会議から約30分後、ルイス・ガルシア・アバドがロン・デニスのところに戻り、アロンソが謝罪したがっていると言った。彼はカッとなっていたので、発言をすべてを取り消したいというのだ。

ハンガリーGPではハミルトンがポール・トゥ・ウィンを果たし、アロンソはグリッド6番スタートから4位でフィニッシュした。レース後アロンソはロン・デニスと握手して、午前中の会議の発言について直接謝罪した。ロン・デニスはその後のFIA公聴会で「あれは、彼がついカッとなった勢いの発言だったと理解している」と述べた。

マックス・モズレーは2回目のスパイゲート公聴会を開くことを決めた。彼はマクラーレンの全てのeメールへのアクセスを要求し、ハンガリーから1ヶ月後、チームは2度目の公聴会に召喚された。マクラーレンはコンストラクターズ・チャンピオンシップから除外され、1億ドルの罰金を科せられた(この金額は、彼らがチャンピオンシップでどんな順位でフィニッシュしようと手に入れる賞金よりも少なかった)。

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その後まもなく、ロン・デニスは弁護士同席のもと、中立な立場でアロンソと会い、契約の早期解消を交渉した。

アロンソとハミルトンはその年さらに1回ずつ優勝し、わずか1ポイント差でフェラーリのキミ・ライコネンにタイトルを奪われることになる。

チャンピオンシップがクライマックスに達すると、アロンソが、ハミルトンとの争いについてロン・デニスに言い続けていたことが現実になった。

チームとの関係は完全に壊れていたが、アロンソはベルギーとイタリアでハミルトンに勝ったので、チャンピオンシップ首位のハミルトンは残り3戦でアロンソとの差が3ポイントになった。

日本ではアロンソはウェットの中、ハミルトンに追いつこうとして他のドライバーと衝突し、マシンが破損してダウンフォースを失った。優勝したのはハミルトンだった。

中国では、ひどく摩耗したタイヤを交換しようとしたハミルトンがピットレーンでクラッシュした。これは、チームが彼をアロンソに勝たせようとしてあまりに長く古いタイヤで走らせ続けたためだった。もっと早くにピットストップしていれば、彼はおそらくこの日チャンピオンになり、ルーキーによる最高のシーズンとなったことだろう。

ルイス・ハミルトン(マクラーレン)2017年F1
ハミルトンは6年間のマクラーレン時代にワールドタイトルを1回獲得したが、2回獲得できたはずだった。

そして最終戦のブラジルで、ルイス・ハミルトンは1周目にフェルナンド・アロンソをアウトサイドから抜こうとして膨らんで最下位まで後退し、短時間の電気系統の故障もあったが、7位まで追い上げた。アロンソのレースはトラブルがなかったが、フェラーリのペースについていくことができなかった。

レースではフェリペ・マッサが優勢だったが、フェラーリは彼の最後のピットストップを遅らせ、キミ・ライコネンがレースとチャンピオンシップに優勝できるようにした。アロンソとハミルトンはライコネンとは1ポイント差のタイだったが、2位の回数が多かったためハミルトンが総合2位になった。

それから1ヶ月後、アロンソは正式にマクラーレンを離れた。そして長い間、彼が戻ってくるとは誰も考えなかった。

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フェルナンド・アロンソ
マクラーレンでの間違いの始まり 2007年 | スパイゲートと脅迫とロン・デニスに対する要求

-Source: bbc.co.uk

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