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2019年01月18日

他カテゴリーでの成功で有名な11人のF1ドライバー

11 Formula 1 drivers more famous for success elsewhere

ネルソン・ピケ・ジュニア

ほとんどのドライバーは、F1参戦を目指してキャリアを始めるが、多くのドライバーにとってグランプリのグリッドはモータースポーツの他のカテゴリーにおける成功の前触れに過ぎない。

一部のドライバーは、スポーツカー、ツーリングカーなどの活躍でとても有名になったため、特にF1参戦が短期間だったり、競争力のないマシンに乗っていたりすると、F1に参戦したことさえ忘れ去られやすい。

ここでは、他のカテゴリーで有名になったF1ドライバーの一部を紹介する。

ネルソン・ピケ・ジュニア

ネルソン・ピケ・ジュニア

若いブラジル人は、3度ワールドチャンピオンになった父と同じように高い期待を背負ってF1パドックに登場した。

しかし彼は、2008年シンガポールGPでの意図的なクラッシュに関する悪名高いスキャンダルを受け、2シーズンあまりでF1を去った。

彼はNASCARとラリークロスに転向し、最終的に初年度のフォーミュラEチャンピオンになった。

2009年09月12日
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ネルソン・ピケ・ジュニア: 二世F1ドライバー特集 10

ステファン・サラザン

ステファン・サラザン

彼は1999年ミナルディからインテルラゴスの1戦のみ出走したが、大クラッシュに終わり、おそらくF1史上最も興味深い「一発屋」となった。

しかし彼はその後、スバルのワークスでワールドラリーに出走したり、ル・マン24時間レースに17回参戦したり、フォーミュラEでもレーシングしたりなど、広範囲で変化に富んだキャリアを築いた。

ベルント・シュナイダー

ベルント・シュナイダー

彼がザクスピードやフットワークに在籍していたF1時代は、レースに出走するための予選資格を得ることが偉業だった。

しかしシュナイダーはDTMのメルセデスに移籍し、5度のチャンピオンになり、国際ツーリングカーとFIA GTでタイトルを獲得すると、広報大使の役目を担った。

2010年08月23日
最低のF1エンジン: 煙と消える
あまり成功しなかった日本のエンジンメーカーの最後の1社は、おとぎ話に近い終わり方をした。ヤマハはザクスピードチームにV8エンジンを提供することから始めた。これは基本的にはコスワースDFVの進化形で、最大の変更はシリンダーあたりのバルブが5つあることだった。ベルント・シュナイダーは1989年、16回の予備予選のうち通過したのは2回のみで、チームメイトの鈴木亜久里は1度も通過できなかった。

スコット・スピード

スコット・スピード

スピードの栄光の記録は2015年から2017年まで、グローバル・ラリークロスの3年連続タイトルである。これは2006年彼が13年ぶりのアメリカ人F1ドライバーになったときのキャリアからはかけ離れている。

2007年シーズン途中にトロ・ロッソから解雇された彼はアメリカに戻り、NASCARに参戦した。2011年のインディアナポリス500では予選落ちだったが、その後ラリークロスに転向し、アンドレッティ・オートスポーツのフォルクスワーゲン・ビートルで成功を収めた。

2006年04月11日
スコット・スピード、ロングインタビュー
2011年06月12日
ベッテル、F1での喧嘩の思い出を語る
「僕のためにF1のドアが開いたのは、スコット・スピードとチーム代表のトストの喧嘩だった」と述べた。しかしパドックの伝説によると、2007年のバーレーン・テスト中にベッテルはニック・ハイドフェルドと喧嘩したという。

ガブリエル・タルキーニ

ガブリエル・タルキーニ

筋金入りのハコ車ドライバー、タルキーニはモータースポーツで最も印象的な「50歳以上」になった。そして2018年のWTCRタイトルを獲得し、ツーリングカーでの印象的な記録を樹立した。

しかし彼のF1での記録は全く異なっている。彼は78回のグランプリ週末に「参加」したが、そのうち40回が予選を通過しなかった。

ジャン-ルイ・シュレッサー

ジャン-ルイ・シュレッサー

シュレッサーのF1への「貢献」は、1988年モンツァで、具合の悪いナイジェル・マンセルの1回限りの代役としてウィリアムズに乗り、アイルトン・セナに周回遅れにされるときに彼とクラッシュし、マクラーレンの全戦優勝を阻んだことだった。

しかし、これは彼のF1以外のキャリア、クロスカントリー・ラリー五冠とワールドスポーツカーでのタイトル優勝を否定するものではない。

2010年04月13日
F1の馬鹿げたアクシデント・トップ20
11. レースを先導中、こちらが近づくのに気づかなかったバックマーカーを周回遅れにしようとして側面に衝突される。
(ホッケンハイムのエリセオ・サラザールとネルソン・ピケ、あるいはモンツァのジャン-ルイ・シュレッサーとアイルトン・セナ。ピケは激怒し、これを意図的なクラッシュとしてサラザールに喧嘩をふっかけた。ただし誰だって意図的なクラッシュをする可能性はある)
2018年07月17日
F1ドイツGP動画:ピケがサラザールに殴りかかった1982年

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F1以外で有名なF1ドライバー
part1 | part2


markzu at 06:15│Comments(0)F1OB | F1特集
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