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2019年02月03日

フェルナンド・アロンソ:フェラーリ時代と逃げていくチャンピオンシップ

Fernando Alonso: The Ferrari years and the championships that got away

フェルナンド・アロンソ

フェルナンド・アロンソがフェラーリに在籍している間、フェラーリの会長はルカ・ディ・モンテツェモロだった。ディ・モンテツェモロは「フェラーリ・チームのベスト・ドライバー3人」として、アロンソ、ミハエル・シューマッハ、ニキ・ラウダを挙げている。

ルカ・ディ・モンテツェモロは「私がフェルナンドを評価している点は、常に闘士、闘士、闘士であったことだ」と語る。

アロンソはルノーで2年間過ごした後、フェラーリに移籍した。彼は、マラネロでの最初の3年間のうち2回も最終レースでチャンピオンシップに負けてしまった。いずれの場合も彼は最速のマシンに乗っていなかったが、優勝争いを演じていた。

フェラーリの内部関係者のひとりは「2010年中頃から2014年まで、フェルナンドは世界最高のドライバーだった。それについては議論の余地はない」と語る。

この2回のチャンピオンシップ敗北は非常に受け入れがたいものだった。

2010年、アロンソは土砂降りで暗がりの韓国GPでの目覚ましい優勝により、それまでの47ポイント差を覆してチャンピオンシップ首位に立ったが、最終戦のアブダビでチームは彼を早めにピットストップさせるというミスを犯した。彼はストレートではフェラーリよりも速かったルノーのヴィタリー・ペトロフに前を塞がれ、7位に終わった。レースに優勝したのはレッドブルのベッテルで、アロンソの鼻先でタイトルを奪った。

2010年11月15日
F1第19戦決勝後コメント フェルナンド・アロンソ
2010年11月15日
F1第19戦決勝後コメント セバスチャン・ヴェッテル:F1ワールドチャンピオン

セバスチャン・ベッテル、初のワールドチャンピオン:2010年
2010年シーズンの終わり、アロンソは3度目のタイトルを逃し、レッドブルのセバスチャン・ベッテルがチャンピオンシップ初優勝を果たした。

2年後はさらに腹立たしい結果になった。

2012年、アロンソは4番目に速いマシンに乗りながら、マレーシア、バレンシア、ドイツで見事に優勝し、シーズンの大半でチャンピオンシップをリードしていた。しかし、シーズン終盤のアジア戦でベッテルが4連勝し、アロンソは首位を奪われた。だが彼がタイトルを逃したのは、2回の不運が原因だった。

アロンソは、ベルギーGPと日本GPのスタートでリタイヤさせられたのだ。スパでは、ルイス・ハミルトンのマクラーレンと接触したロマン・グロージャンのロータスが宙を跳び、アロンソのマシンに当たった。鈴鹿では、キミ・ライコネンのロータスのフロント・ウィングが、アロンソの左リア・タイヤをパンクさせた。

この事故のどちらかひとつが起きなかったら、アロンソはチャンピオンになっていただろう。

ルカ・ディ・モンテツェモロは「最高のマシンではなかったにもかかわらず、チームは素晴らしい仕事をした」と語る。

「だからフェラーリと、私にとっては世界のベストドライバーの2人か3人に入るアロンソの組み合わせが、成功しなかったことが悲しい。ちょっとした細かいこと、わずかな要因のせいで」

「彼がフェラーリで1回でもチャンピオンシップで優勝していれば、彼は歴史に残っただろう。2010年と2012年の2回、彼は勝つことができた」

「とは言え、私はアロンソにとてもよい思い出がある。なぜなら、4シーズンにわたり、勝敗はともかく、彼はフェラーリをトップチームにしてくれたからだ」

2012年F1ベルギーGPスタート時の多重衝突
アロンソは2012年ベルギーGPのスタートで、ロータスのドライバー、ロマン・グロージャンが引き起こした多重衝突でリタイヤした。

2008年から2014年までフェラーリのチーム代表を務めたステファノ・ドメニカリは「マシンはそれほど強くなかった。それにもかかわらず、彼はドライバーとして多くのことをしたので、フェラーリでタイトル優勝まであと一歩のところまで行った。だから、人生においてこんなことを言うのは正しくないかもしれないが、彼はとても不運だった」と語る。

ドメニカリは、2012年は特に受け入れるのが難しかったと言う。

「我々のマシンのパフォーマンス・レベルで、あの状況を達成したのは並はずれていた」

「だからこそ、それほどよくないマシンであれほど戦ったあと、自分のミスではなく、いるべきではない場所にいたせいで負けるというのは、シーズン末の状況として本当にとてもつらかった」

「スパの最初のコーナーでグロージャンとぶつかったとき、『仕方がない、こういうことも起きる』と言っていた。しかし、日本でも最初のコーナーでキミにタイヤを切られて同じような状況になったときは、すぐに大きな苛立ちを感じた」

「あれは本当に、とても苦しい瞬間だった。しかしインドではさらに悪くなった。(ベッテルが再び優勝し)『まさか、こんなことは不可能だ。実際に戦うことができない何かのせいで、相手側が60ポイントも回復するなんて』という感じだった。あらゆるレベルで、感情がかなり高まっていた」

アロンソがフェラーリを離れる種は、まさにそこで蒔かれていた。

2012年09月03日
F1ベルギーGP クラッシュ写真
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F1第12戦決勝後コメント フェルナンド・アロンソ
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F1日本GP決勝後コメント フェルナンド・アロンソ

「彼はチームの支援を必要とする人間だ」

フェルナンド・アロンソとステファノ・ドメニカリ
ドメニカリは、フェラーリ在籍中のアロンソについて「とても強い影響力」だったと評した

ステファノ・ドメニカリは「フェルナンドはフェラーリで優勝するために、本当にやる気満々だった。一番大変だったときでも、彼は心の中に非常にはっきりした目標を持ち、モチベーションを高く維持していた。彼は常にあらゆる詳細について突き詰めようとしていた」と語る。

「だから、彼はマラネロで起きていることにとても興味を持っていた。いつもエンジニアと連絡と取っていて、周囲のグループととてもよい関係を築いていた。これはとても特別なことだったし、スタッフにとって重要なことだった。彼はフェラーリ周辺の世界とも非常によい関係だった」

「私がいた期間、彼は自分が勝つためにあらゆることをしようとした」

「彼はどんなコンディションであってもいつも努力した。当然のことながら、レーシングの本質を本当に理解しているドライバーで、チームの精神的な支援を必要とする人間だ。これは彼にとってとても重要だった」

ドメニカリは、管理するのが難しく、チームを分裂させる人間だというアロンソの評判は「不当だ」と言う。

「もちろん、いろいろな個性の人がいる。何と言うか、非常に強い影響力を持つ人間がいる場合、彼が素晴らしい個性を持っているという事実を管理する必要がある。それを扱う必要がある。すべての有力ドライバーに対して、それに取り組む必要がある」

「世間が、彼はチームに否定的なプレッシャーをかけていると言っていたのを知っている。しかし、チャンピオンを雇えば、彼の感受性や物の見方を理解しなくてはならない。そしてそれを扱うのは私とチームの仕事だった」

「タイトル優勝ができなかった彼はとても不運だった。彼にはチャンピオンになる資格があったと私は信じている。そしてもちろん、彼がタイトルを獲得していれば、あの期間の歴史は劇的に変わっていただろう」

ゆっくりと失われていく信頼感

フェルナンド・アロンソ、母国で優勝:2013年F1スペインGP
アロンソは2013年スペインGPで優勝し、母国ファンを歓喜させる。これ以降、彼はF1レースで優勝していない。

ルカ・ディ・モンテツェモロは「フェルナンドは常に的確で、チームを改善しようとがんばっていた」と語る。

「しかし、彼は2013年後半から2014年前半にかけて心の中で自分自身の危機に陥った」

フェルナンド・アロンソは、フェラーリが3度目のワールド・タイトルを勝ちとれるようなマシンを作ることができるのか疑問に思うようになり、2013年の夏から状況が悪くなり始めた。

そのシーズンの初め、フェラーリのマシンは絶対的な競争力がなかったが、タイヤに優しく(2013年序盤は特に敏感だった)、アロンソは開幕5戦中2回優勝した。

8戦目のイギリスGP前、アロンソはチャンピオンシップ2位だった。ベッテルとの差はすでに36ポイントあったが、2010年の同じ時期の自身のリードよりも少なかった。

シルバーストンのレースは大きなタイヤ故障が連続した。ピレリはタイヤをより頑丈にすることで対応した。フェラーリの競争力が低下し、アロンソの苛立ちは高まった。

7月、彼のマネージメントはレッドブルと話し合った。アロンソは、すぐにでも契約できると信じていたが、実現しなかった。フェラーリの内部関係者によると、その結果ハンガリーGP週末のアロンソの気分は落ち込んでいたという。

2013年07月29日
フェルナンド・アロンソ: F1ハンガリーGP決勝後コメント

ハンガリーのレース後、イタリアのテレビ・インタビュアーが、彼に誕生日プレゼントには何がほしいかと聞いた。彼の答えは「ラ・マキーナ・デリ・アルテリ(他の誰かのマシン)」だった。

ディ・モンテツェモロは激怒した。彼は翌日(アロンソの誕生日)に発表するプレスリリースを用意した。その内容は、ドライバーに誕生日おめでとうと言うため、そしてアロンソの「最新のコメント」について「彼の耳を引っ張る」ために電話をしたというものだった。

ディ・モンテツェモロは、その出来事は覚えていないと明言するが「アロンソが勝ちたがったから、そしてチームに問題を引き起こしかねなかったから、何らかの宣言や考えが始まる状況を避けるため、私が彼に働きかける必要が時々あった」と言う。

2013年07月29日
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ルカ・ディ・モンテツェモロとフェルナンド・アロンソ:2013年F1
2013年のフェラーリの声明で、アロンソはディ・モンテツェモロから「フェラーリに乗った偉大なチャンピオンは全員、いつも自分自身よりもチームの利益を優先するよう依頼されてきた」と念押しされた。

「誰かが『アロンソは壊す、いやチーム内に問題をつくるドライバーだ』と言う人には同意しない。そんなことはない」

「確かに、ミハエル・シューマッハとアロンソの最大の違いは、ミハエルは最高の時も最低の時も、常にチームにとってとても親しかったことだ」

「フェルナンドは、ミハエルに比べるとチームの雰囲気よりも自分自身に集中している」

「だからと言って、アロンソがチームにとってよくないわけではない。しかし私は彼の心や態度に働きかける義務があった。彼にとっては、外部からではなく、チーム内から批判をする方が簡単だった。チームの誰かが『ああ、でもアロンソは不満だ」と言われないように、チームと親しくする方がよいこともある」

「フェルナンドはチームと対立してはいなかった。そうではない。しかし、最悪の瞬間、彼は自分自身を振り返って、疑念を募らせた。『僕は何をしなければならないのか? たぶん僕のレース・ドライビングはベストの状態ではないのだろう。たぶんエンジン・デザイナーが…』チームよりも自分を気にかけていた」

彼はドライバーとしての自分を疑っていたのだろうか?

ディ・モンテツェモロは「いや。彼は『もっと競争力を高めるために僕がこのチームでできることは何だろう?』と考えていた。例を挙げよう。『レース・エンジニアを交代させなければならないが、ドメニカリを説得して、エンジン担当者を変えるようにした方がいいかもしれない。ピットで二度と会いたくないとこの男に言った方がいいかもしれない』」

「彼は、チームの全体的な競争力に関してさらに疑いを持っていたが、いつもとても強く、気力があり、難しいコンディションであっても自分自身から最大限を引き出そうとしていた」

通算優勝回数
ドライバーのF1通算優勝回数

この夏、ドメニカリは年末にアロンソがF1をひと休みするのではないかと心配するようになった。フェラーリは、パフォーマンスに関する不安があったものの、アロンソを喜ばせ続けるために、チームメイトとしてフェリペ・マッサを2012年末までキープしていた。しかしチームは、2013年末にマッサを解雇することを決めていた。

では、アロンソの引退を心配していたドメニカリは、チームに不慣れなドライバーをふたり起用するリスクは冒せないと感じた。そのため、アロンソが去った場合の保険として、キミ・ライコネンと再契約した。

レッドブルと最後の会議があった。8月下旬、ベルギーGPで、アロンソはスパの空港にとめた車の中で、レッドブルのチーム代表クリスチャン・ホーナーと技術責任者のエイドリアン・ニューウィとともに、移籍について話し合ったのだ。

結局、交渉は無駄に終わった。アロンソは2014年もフェラーリにとどまった。

トラック上では、彼はライコネンをぶちのめすことを心に決め、それを達成した。予選では、1周あたり平均0.5秒以上速く、16対3で勝ち、1年を通じてレースに実力で負けたのは1回だけだった。

しかしトラック外では、アロンソはフェラーリに残ることがよい考えかどうか、ますます不安になっていった。

ディ・モンテツェモロは「彼は心の中で『たぶんフェラーリで過ごすには最高の瞬間ではないかもしれない、マクラーレンの方がいいかもしれない、たぶんロズベルグ(ニコ・ロズベルグ)がメルセデスのシートを離れるかもしれない。あるいはレッドブルに移籍できるかもしれない』と考えていた。彼はほかの可能性を考え始めた」と語る。

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フェルナンド・アロンソ
ブレークをキャッチすることができなかったF1偉人
1. マクラーレンでの間違いの始まり 2007年 | 2. スパイゲートと脅迫とロン・デニスに対する要求 | 3. フェラーリ時代と逃げていくチャンピオンシップ

-Source: bbc.co.uk

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