2018年08月14日

羊と鋼の森 フル動画無料配信を視聴

女友達と映画を見に行った際、いくつかの映画の中からこちらの映画を選びました。

選んだ理由としては、ピアノの調律師のお話で、恋愛ものやアクションものではなくて見やすいのでは、というのと、音楽が久石譲で、ジブリ好きな友人がいたので見やすいのでは、と思い、選びました。



映画の前知識等無い状態でしたが、ピアノを習っていたので、ラヴェルやショパンなどのクラシックの有名な曲が沢山出てきて、クラシック好きには楽しめる内容だと思います。

ストーリーは、邦画特有の、あまりはっきりとしない印象があり、ストーリーだけを追う感じだと、やや退屈になってしまうのではないかという印象でした。

横で見ていた友人も、つまらなかった訳では無さそうでしだか、途中で寝てしまったりしていたようです。

原作を読んでいないので、何とも言えませんが、この映画の見所は、ストーリーというよりは、劇中の音楽や映像だと思ったので、映画化に向いている作品だと思いました。

映像だけで、調律に出した過去のお客様のエピソードを物語っていたのは良かったです。

何気ないシーンでしたが、主人公の調律師の初めてのお客様が物静かな若い男性で、過去には家族とわんちゃんと幸せに暮らしていましたが、両親もわんちゃんも亡くなり、一人寂しく暮らしていた中で、主人公の調律師がピアノを調律した事により、少しだけど明るさを取り戻せていたシーンが、良かったです。

ラストの先輩調律師の結婚式のシーンも、ハッピーエンドで良かったです。


maroeiga at 09:34|Permalink日本映画 

2018年08月13日

甘い鞭



壇蜜の映画主演第一作「私の奴隷になりなさい」の3ヶ月後に撮影されたと言う、この映画。

ただし、公開は大分遅らされ、同時期に製作されていた「フィギュアなあなた」よりも更に遅くなりました。

その内容は、第一作同様、SMと言う性的倒錯世界を描くものですが、さすがは石井隆監督、こちらの方がはるかにハードで奥深いものになっています。

正常な嗜好の若者を配し、観客の感情移入を促していた「私の奴隷になりなさい」に対し、この映画の現代パートの登場人物に正常な人物はいませんし、描かれる内容も過激。

また、精神的な、いや、恋愛のひとつの形と言える支配と服従の関係を描いた「私の奴隷になりなさい」に対し、この映画が描くのは、サディストによる肉体的苦痛が主。

血まみれになるまでの鞭打ちの描写など、これは大半の観客が性的興奮を覚えるよりも引いてしまうのではないか、と思います。

17歳の奈緒子を演じる間宮夕貴も、現在の奈緒子を演じる壇蜜も、フルヌードでこの過激な描写に挑んでいます。

この映画は、R18指定の紛れもない成人向けとは言え、その露出はAV並み、しかも、鞭による打撃は、肉の震えから見てもしっかり当てていますから、これは相当にきつい現場だったでしょう。

 

本作についてのインタビュー記事や、コメントから覗い知れるのは、壇蜜とは相当に理知的で聡明な女性であると言うこと。

そんな彼女が築き上げて来たパーソナリティを封印し、違ったタイプの女性となり、更に新たな扉を開くまでを演じる。

その難しい課題に応える事は、これは非常に厳しいことだったと思います。


maroeiga at 08:33|Permalink日本映画 

2018年08月08日

フランシス・ハ



27歳の主人公のうまくいかないながらも大好きなニュー・ヨークで生きていくという等身大女性の映画でした。



フランシスはダンスカンパニーの実習生で、ブルックリンに親友のソフィーとルームシェアをして暮らしています。

収入はダンスカンパニーで子どもたちに教えている少しの講師料。

気軽な生活でしたが、冒頭でこの生活は終了となります。

恋人と別れ、ソフィーとの同居は解消。

ダンスの仕事も戦力外通告、さあどうする?というところからこのストーリーの始まりです。



色々な見方があることでしょうけれど、私はフランシスとソフィーの関係に注目しました。

女性同士で同居していてとても楽しそうで、何でも話し合えてどんなことでも同じように楽しくて、寝るときも話をして、彼氏との同棲よりもソフィーと別れたくないことのほうが大きい生活。

ですが、こんなことはいつか終わります。

そんなこともいい経験、いい思い出になるよとは思いますが、当の本人は大変です。

何とかしてあげたい…と思ってしまいます。

フランシスに自分を重ねてしまう人は多いのではないでしょうか。

フランシス本人よりも見ている観客のほうが絶望的になってしまいます。



でもね。子どもの延長の時間が少し長い人がいてもいいんじゃないかなと思います。

子どものままでは生きていけなくて、どうにか変化しなくちゃいけない日はこうしていつか来るはずだし、だからといって何も考えずに過ごした時間があったとしても、それを埋めてきたものはあるわけだし、選択肢がいくつもある時代だし。



映画は全体がモノクロでした。

こういう映画をモノクロにする意味って何でしょう?

モノクロに違和感があったわけではなく、きっと監督はニュー・ヨークに思い入れがあるのだと思うので、自然なブルックリンを見せてくれてもいいのでは…と思いました。


maroeiga at 09:11|Permalink海外映画