先日、95歳の義叔母が、脱水症状を起こし、たまたまその時に車を出せる状況ではなかったので、救急車で搬送してもらうという選択をせざるを得なくなった。
大変お世話になっている介護士の方に、救急車を呼んでいただいた。
熱を計ると、39度近くあったという。
今の世の中、37.5度以上あれば、必ずコロナを疑われる。
義叔母は救急車内で抗原検査を受けた。
すると陽性と出た。
陽性と出た瞬間、彼女は「コロナ患者」となり、搬送予定であった病院から受け入れ拒否。
ケアマネジャーさんが「明らかな脱水症状があるから、とにかく点滴による水分供給が必要だ」と判断していたが、救急隊員は、首にかけている聴診器さえ当てることなく、ただ受け入れしてくれる病院を探すのみで、何もしない。
点滴もしない。
つまり目の前でぐったりしている95歳の老人を放置したのだ。
搬送先病院はいつ見つかるかもわからず、一刻も猶予を許さないように見える義叔母は、全く何の処置もしてもらえないまま、ただ放置されている。
それを知り、「いくら何でもそれはないだろ!」と思った僕は「点滴だったら、ラファがある!」と、つい先頃開業し、僕が名付け親のクリニックに電話した。
正木先生は診療中だったが、電話に出てくれたよく知っている看護師に事情を説明すると「もちろん点滴をするための受け入れはできる」という。
僕としては、そもそも救急搬送する病人をクリニックに向かわせるということがあり得るのかもわからなかったが、先生の診療が終わったら事情を説明してくれと頼んだ。
その後、すぐに連絡をもらった。
ラファクリニックの正木先生が救急隊員と連絡をとり、保健所の許可をとり、クリニックに搬送する手筈を整えてくれた。
あとで聞いたが、医療従事者ならこの発想はなかったという。
クリニックで手に負えない人を病院に送るのであって、病院に行くべき人がクリニックに搬送されるということは、医療的な常識ではあり得ないと。僕が医療従事者じゃないからこその発想だったと言われた。
救急車がラファに到着したのは、午後7時近く。
いつもなら終わる時間だった。我々が到着したのは、20時ごろ。
義叔母は処置室で横になり、点滴を受けていた。
看護師が針がぬけないよう腕を押さえ、先生とケアマネさんが映像越しに連絡をとりながら、適切な処置をおこなってくれたいた。体力回復のために、良質のハチミツを舐めてもらったりしながら、声をかけ、暖かく、温もりのあるケアが続いた。
本当ならとっくに帰宅している時間に、彼らは笑顔で心のこもったケアを続けてくれていた。
「ああ、ここは天国だな」と思った。
ラファクリニックはまた来たくなる病院だということだが、確かにそうだと思った。
救急車内では、39度近くあった熱は、あっという間にひいて、37度に下がっていた。
そして2時間後、搬送された時は、男性スタッフ二人に支えられなければ歩けなかった義叔母が、力強くゆっくりであるが自分の足で歩き、車に乗り込み、自宅へと向かった。
その日、予定を変更して介護士の方が宿泊してくれた。
翌日、義叔母はしっかりと座り、元気に食事をしVideo越しに「どうやら元気です。ありがとうございます」と語ってくれた。
そして今日も、義叔母は元気にしている。
陽性となった直後から、保健所の方から、高齢の義叔父になんども何度も電話がきて、一刻も早く「ホテルに入るか、コロナ対応で受け入れ可能な病院に入院して、延命措置をするか」の二者択一を迫られた。
特別な搬送車を今すぐ送るから、荷物の整理をしてまっているように、ということらしかった。
一度も観てもいない保健所職員が、陽性認定だけで人の人生を左右する現実に恐ろしさを感じだ。
しかし彼らが悪人であるわけでもなんでもない。決められたことを一生懸命にやっている善意の人なのだから、余計にタチが悪い。
脳腫瘍の手術を二回もうけた高齢の義叔父には、頭が回らない。
動揺していて、保健所の言いなりになっていた。
そこで、保健所からの連絡はすべて僕が引き受け、コロナ患者として入院させない方向で「入院手続き解除」のお願いをした。
もともと自宅で最期を迎えることを希望している家族なのだ。
このままコロナ患者として運びこまれたら、ドクターも病室にくることなく、防護服に身を包んだ看護師が、いかにも重大な死の病を持った人であるかのように義叔母を扱い、血の通った人間どうしの接触もないまま、我々もお見舞いにいくこともできず、
恐らく精神的に参って、たちどころに衰弱して亡くなっていただろう。
そうなったらお骨になるまで会えなかった。
このような話を何度も聞いてきたが、実際に身内に起こったことで、その実態がよくよく理解できた。
僕ははっきり言って頭にきた。なんだこれは?
医療崩壊とはこのことだろ?当然のことをできなくしている狂った歯車。
おまけに、陽性だということで、事業所に派遣を依頼していた家政婦さんも、介護士さんも来なくなった。
幸い、僕が牧師であって、多くの医療関係及び介護関係の方が教会にいらしているので、事情を説明し緊急にチームを編成しボランティアベースで心ある方々のケアをおこなった。
その甲斐もあり、義叔母はみるみる回復した。食事も多くはないがしっかり食べる。
これぞ介護の力、あるべき医療の力、いやというよりも、人の心と思いやりの力だと思った。
もちろん95歳だから、今日亡くなったとしても大往生だ。
しかし、自宅で看取られることをもともと希望していた家族だから、このご時世、自宅で静かに家族と愛ある人々に見守られて天寿を全うできれば幸せな最期になるだろう。
こんなことは、2類から5類に下げるだけでなくなる。
しかし首相は、高齢者から4回目ブースターをすすめている。
高齢者を守るためなのであれば、目の前にいる高齢者を放置せず、聴診器くらいできるようにしろ!と言いたい。
あまりにも狂った世界に嫌気がさしたが、ただ文句を言っていても仕方がないので、
新しく、正しい介護、医療のケアを最後までお届けし、
災いを希望に変える事業を立ち上げることにした。