BRIDGE ~石井希尚(MARRE)の歴史/時事ネタブログ

右でも左でもないど真ん中 世界に広げよう日本のこころ

●謎に包まれた奥義
960px-DSC_0018大嘗祭
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2019年11月15日の明け方、夜を徹して行われた秘儀中の秘儀、大嘗祭は無事に朝方終了し、天皇皇后両陛下は6時過ぎに御所に帰られた。

それにしてもミステリーだ
具体的に何を行なっているのか、外からは決して見えない。
天皇さえ口外することが許されていない。
宮内庁からも詳細は明かされない。
しかも夜に行われる。

この謎だらけの儀式が、天皇即位に関連する一連の儀式の中で最も重要なものなのとして位置付けられている。
ここ大事だからよくよく理解しておいてもらいたい。

●大嘗祭によって完成する即位
5月1日午前0時、天皇陛下は天皇として即位した。
そして、10月22日に行われた即位礼正殿の儀によって、全世界に天皇として即位したことを宣明された。
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首相の万歳三唱にあわせ、祝砲の音が響きわたる盛大なものだった。
雨も止んでで虹が出た!と多くの人が感動を表していたのが記憶に新しい。

うやうやしく執り行われてきた即位に関連する儀式だが、その最後を飾るのが大嘗祭で、繰り返すが、これが最も重要なものとして位置付けられている。
なぜ最も重要なのだろうか?

それは、一連の即位の儀式は、この大嘗祭を経なければ完結しないからだ。
新天皇は、この大嘗祭によって、ようやく名実ともに天皇となるのだ。
大嘗祭は天皇が天皇になるための最終段階で、この儀式を経て、天皇には神からの特別な力と務めが与えられる。
別の言い方をすれば、大嘗祭を終了することで、天皇に正式に「天皇の資格」が与えられるということだ。
もちろんこれは、祭儀的なことであって法律ではない。
もっと言えば、きわめて宗教的なものである。
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柳田国男と並ぶ民俗学の巨頭、折口信夫は「大嘗祭の本義」でこう書いている。

「恐れ多い事であるが、昔は、天子様の御身体は、魂の容れ物である、と考へられて居た」
「天皇霊が(身体に)這入(はい)つて、そこで、天子様はえらい御方となられるのである」

つまり、大嘗祭は神が天皇を天皇に任じ、その権能を授ける重要な儀式、すなわち「任職の儀」であると言っていい。


●秘儀の中の秘儀 直会(なおらい)
大嘗祭は秘儀であってその全容は秘密だ。
しかし、秘儀の中の秘儀として、最も大事なものについては、正式に発表されているし、報道されているからみなさんも知っているだろう。
それは天皇陛下が、神様とともに食事をするという直会(なおらい)である。
この直会こそ、天皇陛下の立場を決定づける最も重要な儀式なのである。

その流れはこうだ。
長い廊下を歩いて、天皇陛下は悠紀殿(ゆきでん)と呼ばれる聖所に入る。
この部屋の真ん中には、布団と枕のようなものがある。
そこは神が降りてきてお休みになられることを象徴する寝座(しんざ)と呼ばれている。
陛下は、伊勢神宮の方に向いて御座(ぎょくざ)に座る。
目の前には神がお座りになる「神座」がある。
天皇陛下は、この不思議な部屋の中で、神と向かい合うわけだ。
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部屋には采女(うねめ)と呼ばれる、所作を手伝う女性が二人いるだけで、あとは誰もいない。そこで、何が行われるのか、詳細な所作や秘儀については謎に包まれている。
限りなく閉ざされたもの。
すなわち、神と天皇の特別な関係において行われる儀式だということだ。

しかし、三つの重要な秘儀は明らかになっている。それは以下のとおりである。 
1)神様に収穫の初物をささげる
2)五穀豊穣と、国と民の安寧を祈る
3)捧げたものの一部を食する


これを、悠紀殿(ゆきでん)で行なったあと、天皇陛下は、全く同じことを主基殿(すきでん)」と呼ばれる同じ構造の部屋で繰り返す。
夜を徹して行われるこの儀式が終わったのが朝方である。


●この儀式で天皇陛下は「なにもの」になるのか?!
さあ、いよいよ核心に迫る!
夜、生中継される大嘗祭を見てると、解説していた神道の専門家がこのように言っていた。
『この儀式をもって、天皇陛下は、日本国民の祈りをその身に引き受けられる存在とおなりになられます』

これは神道、ならびに宮中祭祀の専門家の一致した見解である。
つまり、天皇は大嘗祭の秘儀を通して、正式に「国と民のために祈る人」となるのである。
宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)というのがある。
祭祀というのは、ひらったく言えばお祈りすることである。
天皇自らが行う祭祀を宮中祭祀というわけだが、天皇陛下の”おつとめ”すなわち、役割で最も大切なのは、この祭祀を行うことだ。
そう、国民と国のため、祈ることこそが、天皇の責務として最も重要なものである。

我々は、ニュースなどで流れてくる「ご公務」という言葉を耳にするから、天皇陛下は、いわゆる公務を行う人だと認識している人が多いだろう。
しかし、それは天皇の”おつとめ”として外から見えるものの一部でしかない。

天皇は、我々国民が知らないところで宮中祭祀を執り行っている。
天皇陛下は祈る人なのである。

祈ると言っても、自分の夢や願望を叶えるためのご利益的な祈りをするのではない。
神道の祈りの根底にあるのは「祓い(はらい)」の概念である。
罪穢れを祓ってくださいと神の前に祈る・・「祓いたまえ、清めたまえ」これは神道を貫く基本概念である。

つまり、天皇は、神と人との間に立ち、日本国と日本国民の罪穢れを祓い、恵と祝福を与えたまえと祈る役割のために存在していると言える。
これを行う主体が天皇陛下で、これらの神事を「宮中祭祀」というのだ。

大嘗祭とは、天皇が国家元首という権力者としてではなく、国と人を背負って神の前に仲介者として立ち、祭祀を行う役割として正式に神から任職される儀式である。

その、一番大事な儀式が直会(なおらい)、神との会食、たべることなのである。
実に面白い。

こんなことを誰が考え出したのだろう?
神と人との間にたち、国家国民のために祈りを捧げる役割にたつ重要な任務を正式に与える任職式に於いて、神への奉納物を食べることで、その資格が付与される、などという奇抜なアイデアを実行していた民族、風習は他にあるのだろうか?

それがあるのである!
そう!!それが古代イスラエルの風習である。
え?また???
そう、またなのだ。

●大祭司の任職式は大嘗祭と全く同じ!
人と神との間に立ち、国家国民のためにとりなし、祈りを捧げる役割を聖書では「大祭司」という。
故に、天皇陛下とは、聖書的にいえば、大祭司である。
だから、大嘗祭というのは、聖書的には大祭司の任職式であると言える。
古代イスラエルにおいて、この大祭司、および祭司が任命される儀式がある。

この儀式が実に面白い。
まず、それを行う場所が面白い。
その場所は「会見の天幕」と呼ばれる場所で、別名「幕屋」ともいう。
誰と会見するかって?
神とである。
神が降りてこられる場所を会見の天幕という。
これは、みなさんが想像するような荘厳な建築物ではない。
なんとこれは、一時的につくられる仮庵(かりいお)、すなわち仮宮なのである。
そう、大嘗祭で建てられる大嘗宮と全く同じである。
 

以下に、その任職式の規定が記された部分を記す。
注意深く読んでほしい。
旧約聖書の出エジプト記29章の31節からだ。


出エジプト29:31   あなたは任職用の雄羊を取り、聖なる場所で、その肉を煮なければならない。
29:32 アロンとその子らは、会見の天幕の入口で、その雄羊の肉と、かごの中のパンとを食べる
29:33 彼らは、彼らを祭司職に任命し、聖別するための贖いに用いられたものを、食べる。ほかの者は食べてはならない。
これらは聖なる物である。

なんだこれ? 
これ、直会(なおらい)じゃん。
同じじゃないか・・・!
と誰もが思う。
思わない方がおかしい。
それほど明確だ。

アロンという名前が出てくるが、これはかの有名なモーセの兄で、古代イスラエルがエジプトから大脱出したとき、モーセと共に民を導いた人物だ。
モーセが民全体の上に立つ指導者であり解放者であるのに対し、アロンは祭祀を司る指導者の長となっていく。
つまり大祭司である。

アロンは初代大祭司で、その息子たちが祭司職(神職)を担った。
祭司職は世襲によって代替わりが行われていく。
アロンの血統でないものは決して祭司にはなれない。
つまり祭司は、万世一系でなければならないのだ。

なになになに??
なんでこんなに共通するの?
と思う。

●失われた秘儀を継承する不思議
国家国民の全てを背負い、神の前に出て、罪を祓って頂くことと、安寧を祈るという聖なる役割の資格は、神に捧げたものを食べることによって、神から与えられる。
その食べ物は、他のものが食べてはいけない。
その儀式が行われる場所は、神との会見のために特別に建てられる仮宮で執り行われる。

あっと驚くためごろう!とはこのことだ。
天皇陛下の即位にとって最も重要な儀式。
つまりそれは日本にとって最も重要な儀式と言っても過言でない。
それほど重要な儀式が、その意味も、またやり方も、3500年前の古代イスラエルにおける
大祭司任職の儀式とほとんど同じだというのは、にわかに信じがたい。
一体なにが起こってこうなったのだろうか? 

しかもだ。
古代にあった会見の天幕は、今は存在しない。
つまり、彼らはこれを、会見の天幕でやりたくてもできないのである。

ところが、かつて西アジアの果てに存在した会見の天幕での聖なる秘儀が、東アジアの果てにある日本で、古代そのままに連綿と受け継がれている。

なんというミステリー。
なんという不思議。
古代社会で両者を結ぶ接点があったとしか言いようがない。 

だからイスラエルの研究者が盛んに来日しているのだ。
いやあ、面白い。実に面白い。
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帳殿に向かわれる皇后さま=14日午後6時38分、皇居・東御苑(古厩正樹撮影)

2019年11月14日、今日は歴史的な日。大嘗祭だ
これを書いている今、すでに日が変わったが、今も粛々と宮中で執り行われている。

天皇陛下の即位に関連する行事の中で最も大切なものだ。
そしてこれは、天皇陛下の立場がどのようなものであるかを公に示す国家にとっても極めて重要な意味を持つ祭である。(これについては後述)
 
私は牧師という立場があって、聖書研究が本職なわけだが、その立場で大嘗祭を見ると、ちょっとやそっとの驚きでは済まされないあっと驚くべきことがありすぎて、興奮するのである。
結論から言うと、聖書がわかれば大嘗祭がわかる!といえる。

別の言い方をすると、大嘗祭で行われることの意味のすべてが聖書の中に記されている、ということなのである。
そんなアホな、と思うかもしれないが、普通に聖書を研究し、その知識を元に神道の儀式を研究するとき、同じ答えに行き着くのは私一人ではない。

HEAVENESEをとても応援してくれているヘブライ大学のアジア研究者の一人で、特に日本のサブカルチャー研究の第一人者であるニシム教授なども、イスラエル人の立場で同じことを研究されている。


●ちまたには、日ユ同祖論というとんでも論が溢れている
これは日本人のルーツがユダヤ人である、という説なのだが、私は聖書の専門家として、また日本文化の研究者として、このようなとんでも説を支持していない。

だが、こと神事に関して言うならば、神道という形で連綿と受け継がれてきた古代からの伝統の中に、
極めて聖書的なものが多いということははっきりと言える。
 
これは、日本人の全体のルーツがユダヤ人なのではなく、神の道を説く信仰のあり方の中に、古代セム民族であるイスラエル系の伝統に酷似しているものが多いということであって、それは、少なくとも皇室と深く結びついた神道の伝統の中に、古代イスラエルの習慣と結びつける接点が存在していたに違いないことを意味している。
これこそ、ミステリーであり歴史ロマンなのである。
 
大嘗祭という歴史的な日に、これについて簡単に記そうと思い立って今これを書いている。

●まずは大嘗祭を整理しよう
大嘗祭とは、基本的には新嘗祭(にいなめさい)のことだ。
新嘗祭は、毎年秋に行われるもので、簡単に言えば、神の恵みに感謝し、五穀豊穣と国家と国民の安寧を祈る日である。
誰が祈るかというと、天皇陛下が神に祈る。
新嘗というのは、その年にとれた収穫の初物のことだ。
天皇陛下が、収穫の初物を捧げて神に感謝し、恵みと祝福を祈る。
これが新嘗祭だ。
宮中祭祀の中で、最も大切なものと位置付けられているものだ。

この新嘗祭は、もう一度言うが毎年行われている。
今は勤労感謝の日になってしまったが、もともと新嘗際は国民的な行事で、戦前のとあるキリスト教会の年間行事にさえ新嘗祭としてしっかりと記されている。

それだけ新嘗祭は国にとって大切なものとして認識されてきた。
それはそうだ。
天皇陛下が、全国民を代表して神の前に出て、国と民の安寧を祈り、恵みと祝福が溢れるようにと祈る日なのだから。

●即位後初の新嘗祭
この新嘗祭を、新しく即位した天皇が即位後初めて行うとき、これを特別に「大嘗祭」と呼ぶ。
大嘗祭は、同じ新嘗祭でありながら、例年の祭とは区別された特別な意味を持つものだということだ。ここがまず第一のポイントだ。
大嘗祭は、宮中祭祀の中で、最も重要なものの特別版である。
つまり、大嘗祭は特別な意味を持つ重要+の祭りであり秘儀なのである。


●収穫の初物を捧げる祭り         
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新嘗祭は、収穫の初物を神に捧げ、神の恵みに感謝し、五穀豊穣と国と民の安寧を祈る祭りである。
 
これと全く同じ意味を持つ祭りが、ちょうど一ヶ月前の10月半ば、伊勢神宮で行われる。
それを神嘗祭(かんなめさい)という。
神嘗祭も新嘗祭も基本的に同じ意味を持つ祭りである。
それは以下の三点に集約される。
1)収穫の初物を捧る。
2)神の恵みに感謝する
3)五穀豊穣と国家国民の安寧を祈る、

これら三つの点において、神嘗祭と新嘗祭は同じである。
だから神嘗祭と新嘗祭はパッケージで覚えればよい。


●決定的な違い
しかし、この二つには決定的な違いがある。
何かと言うと、神嘗祭は伊勢神宮で行われるが、新嘗祭は宮中で天皇自らが行う祭りであるということだ。
神嘗祭も新嘗祭も、基本的には同じ意味を持つ祭りだが、天皇自らが直接行う神嘗祭を、新嘗祭と言い換えることができるだろう。

そして、新嘗祭には、神嘗祭にはない秘儀としての決定的な違いがある。
それは、神に捧げた食べ物を、天皇が神の前で食べる、ということだ。
これは直会(なおらい)と言われているもので、伝統的に神に捧げて召し上がっていただいたものを、いただくことによって、神との結びつきを強くする、あるいは神と一体となるという意味が込められている秘儀である
 
大勢の人が見ているわけでもない神聖なる部屋で、神が座しておられるという前提で、神と対面し、天皇も神の前で食事をいただくのだ。
実に面白い! 


ここからが本題だ!あっと驚く秘儀のミステリー

●仮の宮で行われる秘儀
大嘗祭は、繰り返すようだが、宮中で行われる。
宮中と言ってもただの宮中ではない。
この祭のためだけに、宮中に特別に作られた大嘗宮という建物の中で行われるのだ。
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この大嘗宮は、儀式が終わると取り壊される。
ここが大事なのだが、大嘗祭は大嘗祭のためだけに特別に作られる宮で行われなければならないということだ。
この宮は、一時的に作られて壊されてしまうもの。
つまり、
仮設住宅ならぬ仮設宮である。
これは非常に重要なポイントなので、まず頭に入れてもらいたい。

それにしても面白い
宮中祭祀の中で最も大切な儀式が、一時的に建てられる仮の建物で行われるのだ。
大聖堂でもなければ、大神殿でもない。
テンポラリーサンクチュアリー、一時的礼拝堂で行われるというのだから。

最も重要な儀式は、最も神聖なる場所でうやうやしく執り行われてしかるべき・・・と思うわけだが、宮中祭祀で最も重要な新嘗祭の、それも特別に例年祭とは区別されてている大嘗祭が、古くから存在している伊勢神宮ではなく、臨時に建てられる宮の中で行われるのだ。

なぜなのだろう? 
誰がこんなことを考えたのだろう・・と思う。
最も大切な神事を、仮宮で行う習慣は他にあるのだろうか?
そんなことをやっている民族はいるのだろうか?

●それがいた!のである。
それが、古代イスラエル民族だ。
ここで私が古代イスラエル民族というとき、それは、正確にいうと今のユダヤ人とは異なる。
ユダヤ人という言葉がまだ誕生する前から存在していた「セム族の一つ」で別名ヘブライ人と呼ばれる。

ヘブライ人とは ”川向こうの民” という意味で、イスラエルがエジプトに寄留していた時代、ヨルダン川の向こうからエジプトに入ってきた民ということで、エジプトが彼らのことを、そう呼んだとに由来すると思われている。
これにつては長くなるので、また別の機会に説明したいと思う。

古代イスラエル人は、今から約3500年前、それまで400年間奴隷だったエジプトから脱出した。
この脱出劇を導いたのが、かの有名なモーセだ。
エジプト軍から猛追を受けたとき、紅海が真っ二つに分かれて、奇跡的に海を渡って助かったといドラマが旧約聖書に記されている。
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そこからイスラエルの解放奴隷民としての旅が始まる。
そしてついに彼らにとっての安住の地に入っていったのが、脱出後40年たってからのことだった。

この40年間、彼らは荒野を移動しながら生きた。
つまり、テント生活だった。
このテントを仮庵(かりいお)という。
この間、彼らの命を支えたのは、天から降ってきたマナ、という食べ物だった。
彼らは、天からの恵み(マナ)によって命を支えられ生きた。

この時代を記念し、子々孫々まで伝えていくために "仮庵の祭" を行うようにと、神はモーセを通して定めた。旧約聖書にこう記されている。

レビ記23:42あなたがたは七日間、 仮庵に住まなければならない。 イスラエルで生まれた者はみな、 仮庵に住まなければならない。
23:43   これは、 わたしが、 エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、 彼らを仮庵に住まわせたことを、 あなたがたの後の世代が知るためである。 わたしはあなたがたの神、 主である。 」

この命令により、この時以来、イスラエルはこの祭りを今日に至るまで守り続けている。
これはヘブライ語で「スコット」と呼ばれ、イスラエルの3大祭りの一つである。


●神の奇跡と恵みの時代を思い出す祭り
イスラエルにとって、仮庵の時代を思い出すことは、400年もの奴隷時代から、神の奇跡によって導かれた40年という、新しい時代を思い出すことだ。
すなわち仮庵の祭とは、自分たちがどこから救われてきたかという民族の根幹に関わるアイデンティティーを確認し、神恩に感謝し、あの仮庵の時代のように、新しい時代も、神の恵みと祝福が豊かにあるように、という祈りをささげる国家的な秘儀なのだ。


●仮庵の祭りも秋の収穫祭
さらに、仮庵の祭りは、秋の収穫感謝祭として行われるものでもある。
太陽暦の10月14日の日没から7日間行われ(旧暦では9月)、7日間人々は仮庵に住む。
そして、8日目には祭り最後に喜びの歌を歌う。それが、マイム・マイムだ。
子供の頃学校のフォークダンスでよく踊ったものだ。
覚えている人もいるだろう。


●同じじゃないか
さて、懸命な読者ならもうお気づきだろう。
まったくもって驚きに値するのは、まず仮庵が作られなければならない意味である。
古代イスラエルで仮庵というのは、新しい時代を記念し、神恩に感謝し五穀豊穣を祈り、国家国民の安寧を祈るものだ。

あれ、これは大嘗祭と全く同じではないのか?
大嘗祭とは、繰り返すが即位した新しい天皇が、自分の御代の上に神の恵みと祝福があることを祈る。
すなわち新しい時代を記念し、神恩に感謝し、五穀豊穣と国民国家の安寧を祈るものである。
これは、古代イスラエルで仮庵が作られた意味と完全に一致しているのである。

大嘗祭の度ごとに国家予算を投入し作ったものを、すぐに壊してしまうというのは実にもったいにように思える。
しかし、仮庵という建物が特別な時代を意味しているものであるとすれば、それは仮庵でなければならない。
長く立ち続ける建物であってはならないのだ。 

仮庵は、聖書的には、神が自らの手によって民を救い、導き、命を支え、恵みと祝福を与えてくださった特別な時代を表している。

その仮庵を作り、その中で祭りを行うことは、「この仮庵の時代と同じように、新しい時代も導いてください」という祈りである。
これを古代イスラエルは、祭りによって記念し、決して忘れないようにと命じられた。

そして驚くべきことに、それと全く同じことを、わざわざ国家予算と投入して仮庵を作ることによって、国家的な神事として執り行っている国がある。
それが日本である。
実に面白い。


次回は、秘儀の中の秘儀、「食べる」ことについて、書いてみたいと思う。
お楽しみに。

第二話 古代イスラエルの失われた秘儀 に続く

第三話    最後の晩餐の謎
第四話 エデンの園に通じる道 



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■捻じ曲げられた真実
11月の明治座公演は「ふるアメリカに袖はぬらさじ」だ。
奇しくも私が8月末に徳間書店より出させていただいた小説と同じ主人公、横浜岩亀楼の喜遊の物語である。
しかし、しかし、しかーし、これはいけない‼️
何がいけないかって・・・明治座公演の原作は有吉佐和子の小説だからだ。
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残念ながら、喜遊の物語といえば、有吉佐和子の同名小説が有名だ。
ところが、有吉佐和子の小説に描かれている喜遊は、まっかな嘘!
史実と異なる。実際の喜遊は、有吉作品の喜遊とはまったく真逆の女性なのだ!!
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これがいけない!
私は、この間違った喜遊像を覆し、本当の姿を世に知らしめるために、小説「逢瀬ー横浜に咲いた絶世の花魁喜遊(きゆう)を書いたのだ。
表紙スクショ軽い
喜遊は、幕末の横浜で一世を風靡した絶世の美女、高級花魁である。
彼女の肖像を模した錦絵は飛ぶように売れ、その名は流行の最先端、江戸にまで轟いていた。
幕末の横浜に建てられた「港崎遊郭」の象徴ともいえる壮麗な妓楼「岩亀楼(がんきろう)」のスターだった。
吉原三千人の遊女の中にも、彼女ほどの美貌の持ち主はいなかった。

ところが、人気前兆のまっただ中、彼女はアメリカ人に汚されることを拒み、武家女の作法で自決した。
遺体は、知らせをうけた神奈川奉行所の役人により、たちどころに何処かに運び去られてしまった。
横浜近隣の寺で埋葬された記録もない。
この事件は「極秘」とされ、美人画も発売禁止となった。

しかし情報は漏れ、瓦版は彼女の死をドラマチックに書き立てた。
喜遊の物語は幕末の世を駆け巡り、アメリカ人に汚される侮辱を拒んだ誇り高い日本女性として伝えられていった。
人々は熱狂して喜遊の美談を語り継いだのだった。
そして、いつしか彼女は、異人を排除することを固く誓いあう「尊皇攘夷派」の志士たちのアイコンとなり、彼らの心に燃える「倒幕の炎」の燭台となっていった。

■実在していなかった?!
ところが、現代では、彼女が実在していたことを疑うものさえいる。
それは彼女の残した辞世の句があまりにも美しく、彼女の死に様があまりにも立派だったからだ。
遺書の横に添えられていた辞世の句は、以下のようなものだ。


露をだに厭う やまとの女郎花(おみなえし) 
          ふる亜米利加に 袖はぬらさじ

露に濡れることさえ厭うやまとの女は、遊女であっても、アメリカ人に汚されることを望まない

そのような意味になる。
喜遊は、アメリカ人の餌食となり、身を汚すくらいなら、死を選ぶという強い想いを歌に込めた。
そして武家の作法に則って自決し、気高いやまとの女としての名誉を守る道を選んだのだった。

喜遊は、遊女となった我が身を女郎花(おみなえし)に重ね合わせることで、散りゆく自分は卑しい女郎ではなく、人の心を魅了してやまない「オミナエシ」なのだと主張した。
たとえ散っても、季節がきたらまた花を咲かせるように、命に代えて守った誇りは、必ず人々の心に満開の花を咲かせるだろうとの願いを込めたのだった。

■ついに真相をつきとめた
だが、喜遊の死に方が、あまりにも美しく、遺書も辞世の句も、あまりも見事だったため、遊女にこんな素晴らしい和歌を詠み、武家の作法で自決を遂げるなどという素養があるはずはないと言い出した人々がいた。
辞世の句は、長州藩士「久坂玄瑞」の偽作だと宣伝し、喜遊は尊王派の政治プロパガンダに利用されただけの、哀れな女だったのだと決めつけた。
その代表が有吉佐和子である。
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彼女が優れた作家であることに疑いの余地はない。
しかし、喜遊に関して彼女の描いている内容は、捏造された資料に基づくもので、実際の喜遊の姿とは違うのである。
彼女が描いた喜遊は、病気を患い弱々しく未来を悲観して自殺した哀れな女である。

私は徹底的に喜遊について調べた。
何年もかけて調べるうちに、喜遊が確かに実在したことと、喜遊の死のについて記録された歴史的資料にいきつき、ついにことの真相をつきとめたのである。
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喜遊は惨めな女郎ではない。
神田の町医、箕作周庵の娘であり、教養と歌心のある憂国の女子であった。
だが、過激な尊皇攘夷派浪士たちとの関係を疑われた周庵は江戸払いとなり、極貧生活を強いられてしまう。
そんな父の苦境を救うべく、自ら苦界へと堕ちていった。
守りたいもののため、自らを犠牲にした十字架の道である。
辞世の句は「久坂玄瑞」の作などではない。
喜遊自身の尊皇への熱い思いから湧き出たものだ。
彼女は、反幕府勢力のプロパガンダとして祭り上げられた偶像でもない。
尊皇の思いは、彼女自身の心に燃える火であった。
かくも強く美しく、受け継がれてきた誇りと愛すべき人々を守るため、
喜遊は決然とした意思をもって、自ら死を選んでいったのである。


■有吉史観の呪縛を解き放て!
私は横浜の歴史にはとても関心がある。
それは、私の父方の先祖は江戸時代から戦前まで横浜発展に尽力した人々だったことと無関係ではない。
もしかしたら、岩亀楼にいったことがあるかもしれないし、喜遊をその目で見たことがあったかもしれない。
絶世の花魁の噂を知らぬものはいなかったから、私の先祖たちも、大いに喜遊について語りあったに違いない。

そんなことを考えていたら、いつしか喜遊が他人には思えなくなり、喜遊について調べることは、私に託された使命であるかのように思うようになった。
そして、徹底的に調べたのである。

よく、歴史を語るとき「司馬史観」などと言われることがある。
司馬遼太郎の描いた小説が、歴史的事実であったと思い込んでしまっている人々の歴史観を指すことばだ。
こと、喜遊に関していうと、有吉史観が定着している。
私は、この有吉史観を覆し、歴史の闇に葬り去られていた喜遊の真実を蘇らせるために、小説として世に出した。
明治座の公演は、捏造された歴史による、虚構の物語である。
しかし、私が書き下ろした小説は、令和の世に明かされる、喜遊の本当の物語である。
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