BRIDGE ~石井希尚(MARRE)の歴史/時事ネタブログ

右でも左でもないど真ん中 世界に広げよう日本のこころ

2015年07月

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さて、いよいよ今回はデメリットです。
集団的自衛権行使が容認されることによって、どんなデメリットがあるのでしょうね。
デメリットは、すでに多くの人が声をあげているとおりのことです。
日本が直接攻撃されていないのに、第三国に対して武力行使をする可能性がある!
ということ。
つ・ま・り・
同盟国が、どこかの国から武力攻撃を受けた場合、日本が支援の要請を受けたら、自衛隊を派遣して、その国の戦闘行為に加わる可能性が出て来る!
ということです。
じゃあ、現状、日本の同盟国ってどこかと言えば、言うまでもなく、わかりきったことですが・・「アメリカ様〜!!」
はい、そうです。
ということは、最も現実的な可能性として、アメリカが、武力攻撃をうけた際に、自衛隊を派遣する場合が『ある』ということですよ。
つまり、その場合は、自衛隊もアメリカ様と一緒に戦うことになる、と…。
え!!!そんなことしたら、ダメだよ〜
日本が直接攻撃されてないじゃないか!
攻撃もされてないのに、相手を攻撃するのか!
そんなことして、自衛隊員死んじゃうかもしれないじゃないっ!!
日本は戦争する国になるのか!
平和国家じゃなくなってしまうじゃないか〜〜〜!!!
そんなのだめだー!
っていうのが多くの人々の声ですね。
この「不安」はよーく分かります。
気持ちは一緒です。
きっとみんな。
っていうか、そうであってほしいっ!!
戦争しよーぜ!っていうのは「クレイジー」でしょ・・
でも、そこをぐっと抑えて、客観的に世界を見ると、
そもそも『同盟』っていうのは、
「こいつに手を出すってことは、俺に手を出すってことだぞ。わかってんだろーな!」
っていう関係になるってことです。
そうでないと、同盟の意味がないわけ。
相手にしてみたら
「あいつがついてるから、喧嘩すんのやめとこーぜ!」
となって初めて「抑止力」となるわけです。⑥参照
そうじゃなければ、同盟っていうのは全く意味がありませんから。
だから、同盟国が攻撃されたら、自分が攻撃されたのと同じような重要な意味をもつっていう「関係性」が基本です。

■アメリカの戦争にまきこまれる?
だけど、勘違いしちゃいけないことがあります。
よく「アメリカの戦争に巻き込まれる!」という反対意見を耳にするんですが、でも、アメリカが、どこかの国と始めた戦争に、日本が巻き込まれるということは、ありません。
ここがポイント!
ないの?
そう、ないです。
今回の法案が通っても、それは、で・き・ま・せん!!!
アメリカが始めた戦争で、アメリカがやられても、日本は「ああああ〜〜〜アメリカ様があぶない!」と見てるだけです。
え?そうなの??
実はそうなんです。
今回の法案には、今までどおり、とーってもハードルの高い「しばり」があって、日本が、アメリカ様を助けられるには、条件があるんですよ。
その条件をクリアしないといけません。
それは・・・
アメリカが、日本の安全にかかわる重要な活動をしていて、そこが攻撃されることで日本の安全が「脅かされる」ような事態が発生し た!!!
というときです。
これが、今回の法案で政府が出してきた「存立危機事態」っていう状態です。
この、「存立危機事態」にならないと、集団的自衛権を行使できません。
アメリカが、日本の安全と無関係に、アメリカの国益や権益のためにしかけた戦争では、法案は適応されません。
じゃあ、具体的にはどんな場合に、自衛隊が出る可能性があるんだよ?
ってことですが。
たとえば、よく例に出されるのは、日本の近くで、日本を守る役割を担っているアメリカの船が、どこかの国から武力攻撃をうけた、という場合ですね。
そういうことが、今すぐにおこるかどうかは別として、例として常に出てきます。
そのような場合は、日本の船が直接的に攻撃をうけてないけれども、日本は助けに行くことができます。
でも攻撃をうけただけじゃだめです。
アメリカ様から「頼む来てくれ」と要請されないといけません。
つまり、アメリカが
①日本の防衛にかかわる大事なことをしているのに
②攻撃を受けて、
③アメリカが「助けにきてくれ!と頼んできたら、
そのとき初めて日本は、集団的自衛権を行使するかどうかを
「選ばなければならない」
という事態に直面する、ということです。
 
■ 自分で決める!!!
もちろんこれは強制ではありません。
だから集団的自衛権を行使しなければならない、ということじゃない。
いちいち、全部のアクションで「国会承認」がないといけないんです。
ただ、緊急事態のときは、国会承認は「事後」にすることができます。
とりあえず、急がないといけないから自衛隊派遣して、その後に、承認してもらうってことです。
えー、じゃあ、国会承認が必要だって言ったって、ないよーなもんじゃないか〜!
とも言えますが、あとから国会が「承認しない」って言ったら、派遣した自衛隊は、撤退しないといけなくなるでしょうね。
もし、アメリカの行為を「ついてけねえ、無謀だ」と判断したら、集団的自衛権は「行使しない!」と決めてもいいんです。
実際、アメリカ様の同盟国で、大の仲良しイギリスが、紛争しているとき、アメリカ様は、助けなかったことだってあるんです。
だから、仲間だけど、そのときの事情で決めるってことです。
これが、できるのは、大人だな〜

■いけ、議会制民主主義!!!
たとえば、国民の大多数が「今回はいくら頼まれてもダメだ」と判断しているとしたら、それを無視して、強引にやってしまうと、なんてったって「軍事行動」ですから、今どころの反対じゃすまされませんよね。
逆風は暴風になって、内閣の支持率は、奈落の底に落ちることになるでしょうね。
すると、与党の座から転落ということにもなりますよ。
緊急事態だ!っていって、どう考えても無謀なことを「事後承認」で、「たのむわ!あとでOKして」なんて、自衛隊の派遣をきめちゃったときも同じでしょう。
だ・か・ら・
アメリカの要請で、日本が軍事行動に参加する可能性は否定できないけれども、国民が意志を示すことで、それを阻止することもできるってわけです。
これこそ議会制民主主義だぜ!!イエーイ!!!
ほんとーは、こういう自立した、大人の国じゃないといけませんよ。
一応言っておきますと、国連に加盟国している国は、どこの国も集団的自衛権を「行使できる」という立場で、これがワールドスタンダード。
つまり標準です。
行使できないという立場は日本だけなんです。
つまり、どこの国も、一様に同じリスクを負っているということですよ。
みーんな同じなんです。
それをデメリットと考えるかは、その人によります。
 
■こっちがほんとーのデメリット
僕個人が考えるデメリットがありまして・・・。
それは、日本が、軍事的にアメリカ様との協調路線をとりすぎると、イスラム諸国を敵に回す可能性があるぞ!
ということです。
イスラムの国々にとって、日本は名士なんです。
いや、ヒーローですよ。
今まで一度もイスラムの国と戦争してないからです。
さらに、彼らから見ると、
日本はアメリカ様に原爆でめちゃくちゃにされたのに、不死鳥のように甦った!という奇跡の国なんですよ。
でも、アメリカはイスラムの絶対的な敵なんです。
で、彼らは言うわけ。
「日本はさ、なんであんな酷いことをしたアメリカにくっついてんだ?!
僕は、牧師っていう立場があって、恥ずかしながら、聖書とか中東方面、専門なんです、はい(汗)・・・。  
去年、僕が主催してるHEAVENESE(ヘヴニーズ)で、エルサレムに演奏に行きました。
エルサレム市から招待していただいたんです。
嬉しかったなあ・・
ガザとの停戦直後に。外務省にも後援していただいて、『民間音楽外交使節団』を自負していってきたんです。
大反響でした。
イスラエル人、パレスチナ人両方から、熱狂的に迎えていただきました。
そこで感じたのは「ジャパンブランド」のすごさです。
日本人は、パレスチナ人、イスラエル人の双方から「good people」と言われるんですよ。
僕たちを見ると、決まって人々は「oh you are good people!!」
お互いに殺し合っている、二つの民族がですよ。
日本人だとわかると、嬉しそうに、「good people」と言うんですね。
憎しみあってる二つの民族の両方の間に立てるんです。
日本は。これってすごいですよね。
ジャパンブランドっていうのは、ほんとーに、すごいんですよ。
これは、平和国家だからなんです。
この70年間、戦争してないからです。
でも、アメリカ様と仲が良すぎると、パレスチナ人を含むアラブ諸国の多くは、がっかりします。
でもって、警戒されちゃいます。
おまけに、イスラム過激派テロリストが、このやろー!って日本人を標的にするリスクは高くなりますね。
今は、日本はヒーローです。
この関係が保たれることが、とーにもかーくにも大事。
だから、難しいぞ。
アメリカ様との付き合い方は・・・。
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■期待される効果
さて、今度こそいよいよ集団的自衛権を行使できるメリット。
メリットは、日本の外交的選択肢が広がることで、世界の中での日本の立場が『あがる』ことが期待される、ということです。
今まで日本は、世界のどことも違っていました。
今までは、どこかの国が、第三国から武力攻撃をうけた場合、日本は、いくら頼まれても、「絶対に」駆けつけることも、助けることもできませんでした。
日本は、平ったく言えば、
「どの国も助けないよ」と公言してきた国です。
つ・ま・り・日本というのは、
どこかの国が攻撃をうけたとき、その国にとっては
『絶対に頼りにならない国』だったわけです。
でも、これだと外交面では発言力が弱いし、存在感もないということになります。
実際、日本は外交の舞台ではさんざんでした。
日本が、外交の舞台で、できることと言えば、実のところ、「お金を出すこと」くらいだったんですね。
でも、お金を出すだけでは、世界からは評価してもらえなかったんです。
たとえばこういうことがありました。
 
■湾岸戦争での敗北の記憶
1991年、今は亡きサダム・フセイン率いるイラクがクエートに侵攻したことで、「湾岸戦争」が起ったときのことです。
アメリカを中心とする世界は、イラクに対して
「おめー、何やってんだ、クエートを解放しやがれ!」
と怒って、軍事行動に出たのです。
これは、第二次世界大戦以後初の、多くの国が国際的に連携した軍事行動だったんですよ。
中東の国も、ヨーロッパも南米もアジアの国も、38カ国が「一致」して「多国籍軍」を組織して、イラクをクエートから追い出す作戦を展開したんですからすごいです。
この時、世界の目は日本にも向けられたのは当然ですね。
世界の「大国」の一つですから。
日本も協力してくれるよね?って。
で日本は、
「あったりめえだろ!俺たちは日本だぜ!金だけだす!」
と言ったんです。
「気持ちは一緒だよー。でも人っ子一人出せません。決まりだもん!」
しかも、アメリカ様に
「お前な、そんな少ない額で世界が納得すると思ってんのか!」
なんて怒られちゃって、結果的に、最初の提案よりも大幅にアップした額をだしたんですね。
その額、およそ、1兆6千億円!!!!
当時の額でです。今の額じゃない。
とんでもない巨額です。新国立競技場どころじゃねえぞ〜!!!
世界がこれだけ一致した行動をしたので、イラクも「すみませんでした」となって、無事にクエートは開放されました。
すると、戦後、クエートが世界にむけて「感謝」を表明したんですね。
感謝広告なるものが、アメリカの新聞にでかーく掲載されたんです。
ところが、その「感謝国リスト」の中に、なんと「Japan」は入ってなかったんです。
「ええ!!どこにもないの?」
残念ながら・・・。(涙)
お隣の韓国だって、ちゃんと感謝されてました。
だって韓国軍が協力しましたからね。
でも日本は完全に「無視」されちゃったんです。
しかも、世界に対して、日本は無視されたということが、
宣伝されてしまったんですね。
巨額を出して、「多国籍軍」に協力したのに、感謝もされず、世界から冷笑されたという苦々しい経験。
これには、日本中が苦悩し屈辱的な想いを味わいました。

■日本外交失敗をあおったメデイア
いま、集団的自衛権行使容認の批判している新聞やメディアも、こぞって、当時の日本政府を批判してましたよ。
だって、集団的自衛権を行使できない以上、仕方がないじゃありませんか。
そういう貢献のしかたの何が悪い!!
ところが、メディアが垂れ流したのは、日本を辱める報道一色でした。
で、同じ新聞、同じ媒体が、今は集団的自衛権行使反対で、安倍政権批判を展開してます。
そんなもんですよね。
最近では、安倍総理が「イスラム国」対策で2億ドルを支援すると発表したら、それに対する報復として、日本人の人質二人が暗殺されたという苦々し出来事がありましたね。
さんざんな感じです。
 
■ どことも同盟できない国
さて話を戻します。
集団的自衛権が行使できない国とは、世界のどこも「同盟」関係を結ぼうとは思いません。
⑤参照

「俺があぶないときは、犠牲を払って守ってくれ。
 でも、お前があぶなくなっても俺たちは守ってやらないよ」
って言ってたわけですから。
どう考えたって、そんな虫のいい話は世界では通じません。
っていうか、そもそも「集団的自衛権を行使できない」という日本の立場だと、他国との軍事同盟は、成り立たないわけですから、
日本がどこかの国から武力攻撃を受けたとしても、
どこも助けてくれないと覚悟を決めるしかない国だったわけです。

■アメリカ様のおかげ
それでも、日本がやってこれた一つの大きな要因は、はい、そうです。
アメリカ様のおかげです。
世界で一番強い国、世界の警察を自負していた国。
アメリカ様が、日本を守るという条約があるからです。
それが「日米安保条約」ですね。
アメリカ様は、日本の唯一の同盟国です。
アメリカ様が強いから、日本はアメリカ様のおかげで、いままで無事にやってこれました。
でも、これがまたくせ者で、日本は、何かあったらアメリカ様には「助けてくださーい!とお願いできます。
でも日本は『アメリカ様を助けない』という一方的な条約だったんですね。
まじで?それ、都合よすぎねえか?
と、思いますよね。
でも、いろいろな歴史的流れで(③を参照)、
日本はアメリカ様に守ってもらうだけの国でした。
これが日米安保条約です。
こういう条約を結ぼうとする国は、他には絶対にありません。
そのかわり、日本を守るのは「アメリカ様」ですから、日本には、あちこちに米軍基地があるわけです。
日本に何かすることは、アメリカ様にけんかを売るようなものですから、他の国はなかなか日本には手をだせません。
アメリカ様〜ありがとう!!
ずっと元気で、強くいてね。。。
ず〜っと一方的に守ってね。

■アメリカ様もお喜び
でも、日本が、集団的自衛権行使可能な国になると、まずここが違ってきますね。
アメリカ様にとっては、願ってもないことです。
「お前のために体はってんだからよ。こっちのこともちゃんと考えろよな」
というくすぶってた思いが、ようやく解消されるんです。
アメリカ様が攻撃うけたら、うちも飛んでいきますよ。
安心してください!っていうことになるわけです。
だから、今回の法案を諸手をあげて大歓迎しているのは、アメリカ様であることは言うまでもありません。
だから、世界一の国、アメリカ様からの「評価」がとーっても高い!
それが今です。
まあ、今回のことは、はっきりいえば、アメリカ様の意向がとっても強く働いていると考えた方が自然ですよね。
アメリカ様の意向に、ノーを言える国になりたいですね。
なれるんでしょうか?
 そんな話はまた今度。
 
■あがる?抑止力
それはそれとして、集団的自衛権行使が容認されると、今まではできなかった他国との同盟や条約を結ぶ可能性も広がってきます。
経済的なつながり以上の関係を築く選択肢が増えるということですね。
これは今まで全く「皆無」だったチャンス。
全く新しい機会が目の前に突然、広がったわけです。
当然ですが、日本の外交にとって、有利なことです。
集団的自衛権を行使できる、という立場に「変わる」ことは、外交的なカードが増えるってことですからね。
これは、今までになかった新たなる展開です。
実は、この立場の変化は、国際社会での日本の立場を「あげる」ことに役立ちます。
たとえばですね。
メディアでもさんざん騒がれる「韓国」との関係でみてみます。
めちゃくちゃ反日の国です。ご存知のとおり。
あの国は、北朝鮮とは「休戦中」なんですよ。知ってますよね。
休戦中っていうのは、まだ戦争が終わってないということです。
つまり、韓国と北朝鮮はいまでも戦争中なんです。
以前も韓国に北朝鮮のミサイルが打ち込まれたことがありました。
韓国は常に「危機」と隣り合わせているわけです。
だから徴兵制もあるし、国防意識は半端じゃありません。
いつ、なんどき、北朝鮮の攻撃がエスカレートしたり、不測の事態が起こるかわからないのが、朝鮮半島です。
もし、韓国に対して北朝鮮が、武力攻撃を行ったら、今までだと、日本は韓国を援助することが出来ませんでした。
でも韓国から要請されれば、それが可能となります。
するとどうでしょう。北朝鮮にとっては「やべえな」となります。
だから、前よりも、韓国に対して、無謀な武力攻撃をしにくくなるわけです。
これが「抑止力」です。
そのような立場になると、日本は韓国にとって、今まで以上に発言力も増すわけです。
今までは、韓国にしてみると、日本はどうせ手も足も出せない国だったわけです。
でもそれが変わります。
当然見る目が変わります。
抑止力となっている国は、外交的には発言力を持ちます。
当たり前な力関係ですね。
だから、韓国にとっては、日本が集団的自衛権を行使できるようになるのは、韓国の「国防」上、願ってもないことなんです。
それなのに、韓国は今回の法案について、批判してますね。
変ですね。
なにが都合が悪いんでしょうか????
たとえば、中国をみてみましょう。
中国は中華思想っていうのがあって、「膨張主義」です。
領土の拡張を、あからさまに画策しているのを隠すこともありません。
ベトナムなどの国々と国境問題を、常におこしてます。
日本も尖閣が狙われてますよね。
中国との関係で迷惑を被っている東南アジアの国々もそして、他ならぬ中国も、日本は「絶対に」出てこない、ということを知っていました。
だから、中国は日本を恐れる理由はゼロ。
顔色を見る必要もなく、海洋進出を果たしてきました。
今も、なんか作ってますよね。でかいのを。
東南アジアの国々も、中国の脅威に怯えながら、日本への期待はゼロ。
中国の進出に日本は手も足も出せないのですからね。
でも、集団的自衛権行使が容認されると、日本は、いざとなれば「出てきまっせ」という国になります。
すると、中国も「やべえ、日本がきたらめんどうくせえな」
となりますから、あんまり無謀なことができなくなります。
これも「抑止力」です。
 
■東南アジアは喜んでる
すると、東南アジアの国も、中国の脅威と戦うために「日本」の存在に期待できるようになるので、より深い結びつき、深い関係を願うようになるでしょうね。
日本との「友好関係」をもっと強くしたい!と思うようになることが予想できるわけです。
すると、日本の存在感はましますね。
前よりも信頼されることになりますから。
フィリピンのアキノ大統領はこう言ってます。

「国際的義務を果たす日本の能力が強化され、両国の共通目標である平和、安定、相互繁栄という目標達成に近づくならば、フィリピンは日本国憲法を見直すいかなる提案にも警戒の念は抱かない。
日本政府が他国を助ける力を得れば、善意の国家にとっては恩恵あるのみだ」NewsWeek2014年7月11日

日本以外の世界は、こういう常識でバランスを保ってきました。
だから、今の日本の動きに、あからさまに「反対」したり「批判」する国々は、日本の抑止力が増すことを「良く思ってない国」ということです。
都合が悪いからです。
やりたいことができなくなるからですね。
じゃあ、国際社会で、日本の集団的自衛権行使容認のうごきを「良くない」と思ってる国ってあるんでしょうかね。
公に反対を表明している国ってあるんでしょうか・・・。
ありますね。確かに。中国と韓国です。
なーるほど。
次回はいよいよデメリット
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さて今回から、いよいよ集団的自衛権を行使した場合の、メリットとデメリットについて考えますよ。
でもその前に・・・。
国連が、なぜ「集団的自衛権」を認めているかということについて理解しておきましょう。
日本のお国事情を一旦離れ、世界にとって、これはなんなのか?ということを知っておかないと、そもそも話が通じませんからね。
日本も世界の一員なわけなんで・・・。

■同盟国ってなんだ?
ではいきます。
もし、どこかの国が、他国から攻撃を受けたら、「助けてくれ〜!」と頼む相手というのは、
仲がよくて、関係が近くて、助けてくれそうな国、ということになりますよね。
それが、いわゆる「同盟国」と呼ばれる国です。
さて、ここからちょっと外交の話になりますよ。
外交とか政治に詳しくない人は、ちょっとだけ頑張ってついてきてくだされ。
そもそも「同盟国」っていう「関係」は何かというと・・・
他国との間で、やばいことが起ったときに、お互いに助け合ったり、協力しあったりする関係を言います。
ここ基本です。
やばいことって?
つまり、攻撃されたり、侵攻されたりする、いわゆる『有事』ですよ。
そういうときに、「助け合う」関係。これが同盟関係です。
そういう国を「同盟国」と言うわけ。
ありがたいなあ。同盟国。
だって、助けてくれるんだもん!!
つ・ま・り・
同盟っていうのは、そもそも「軍事的に」つながることがが目的といってもいいんです。
ここ、か・な・り・大事です。
一般的に、同盟国といったら、
それは「軍事的に」同盟していることを意味しています。

■友好国は同盟国じゃない
もちろん世界には、軍事ではない「結びつき」もあります。
経済の結びつきなどですね。
今のように、経済関係が複雑に入り組んでいると、経済的なつながりも、かなり重要な一面です。
でも、だからといって、経済的つながりがある国イコール同盟国というわけじゃありません。
たとえば、韓国や中国との関係を考えればわかりますね。
経済的な繋がりは深いですね。でも、同盟国ではありません。
中国は殆ど『仮想敵国』になっちゃってます。
でも経済の結びつきは「深すぎちゃって」ちょっと大丈夫?というくらいでしょ。
いやあ、爆買い!!すごいです。
今、日本の同盟国っていうのは、たった一つ。
もちろん、アメリカ様でございます!!!
もう一度いいますよ。
同盟関係っていうのは、そもそも有事の際には「軍事的に」結束して同じ行動をとる、ということが大前提で結ばれる関係なんです!!!
これが世界の常識です。
同盟国同士は戦争しない!
そのかわり同盟国同士は、そうでない他国に攻撃されたら、助け合う。
必要な場合には、一緒に戦う。
これが「同盟」の基本的な関係性です。

■どんな意味があんの?
そもそも、なんで、国連がこういう考え方をするようになったかというと、もしですよ、軍事的に同盟する関係が認められないとしたら、どうなります?
国連に加盟してる全ての国は、自国だけで国を守らないといけませんね。
どの国も、どんな場合も、一対一のガチンコ勝負。
それは、それぞれの国が、軍事的には「孤立」している状態ってことになります。
分かりますよね?誰とも、協力できないわけですから。
するとどうなります?
必然的に、軍事力が強い方が勝つに決まってます。
だから、軍事的に優位な国は、必然的に「上から目線」になります。
「言うこと聞かないと、ひどい目に遭わせてやるぞ〜、われ!!」と。
これはヤンキーの喧嘩と一緒です。
そうすると、強い国は、国際社会で発言力を持ちますよね。
世界は軍事的に強い国の、やりたい放題になります。
だって、弱い国が攻められても、世界のどこも、助けにきてくれないんですから。

■孤立を防ぐシステム
これを防ぐのが「同盟」なんですね。
軍事力が弱い国でも、他国と結びつくことによって、絶対的に『弱いだけ』という立場ではなくなることができます。
ここが大事です!!!
軍事同盟っていう関係が可能になると、世界の国々がお互いに依存しあい、協力しあいながら、団結することを可能にします。
つまりお互い結びつきが強くなるわけです。
これは、国々の孤立を防ぐことに役立ちます。
軍事力が強い、超ワル国家が、弱腰で、優しい国を「俺のものにしてやるぜ」って仕掛けてきても、もし隣の、強い国が、
「おまえ、俺のダチに手出ししてみろ、俺様がだまっちゃいねえぜ!」
とにらみをきかせていると、どうでしょう。
そう簡単には、動けなくなります。
さらに、もし強い国の後ろに、さらに強い国がついていて、
「なんかあったらいつでも相談しろよ。俺様がとんでいってやる」
と言ってたとしたらどうでしょう。
超悪国家は、その『弱い国』と強く結びついてる「友達」たちのおかげで、弱い国に手を出せない、ということになりますよね。
こういう力関係は、子どもの頃、喧嘩した経験がある「悪い奴」の方が理解しやすいかもしれません。
こういうことを可能にする国際法が
「集団的自衛権」なんですね。

■世界の平和を守ってる??
集団的自衛権がなければ、世界の国々が軍事的に結びつくことができなくなります。
集団的自衛権は、各国の軍事力を「結びつける」ことでそれぞれの国が『絶対的な孤立状態に陥ることを防ぐ』という、非常に大きな役割は果たしているんですね。
その結果、簡単には戦争をできない状態を生み出してるわけです。
これがいわゆる『抑止力』と呼ばれてるものです。
つ・ま・り・
集団的自衛権は、各国が軍事的にも結びつくことで、世界の秩序が守られるという積極的な側面を生む効果としては絶大であるわけです。
だから「国連」が国際法の名の下に、この権利を認めているわけです。
だから、これは世界にとって「いいこと」です。
わーい!
まずは、国内だけを見るのではなく、世界的になんなのよ?
ということを理解しましょう。
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誰のもの?

さて、いよいよ今回は、集団的自衛権について考えていきましょ〜。
巷では「集団的自衛権は悪だ〜」という声が大きくなってます。

■基本のき
まず、基本的なこととして、絶対によーく理解しておかないといけないことがあります。
それはね、そもそも『自衛権』っていうのは、全ての国が持ってる「自分の国を守る」権利のだってこと。
当たり前すぎて言うのもはばかられると思ってたら、なんと、なななんと、これさえ分かってるようでわかってない人がいたので、強調しておきます。
これは「権利」です!!!!と。
今回は「権利」ということにフォーカスして整理したいと思います。
集団的自衛権・・・
これは国際法で『国連から認められている当然の権利』です。
でも、国連から与えてもらわなくても、自分の国を守る権利は、その国にある、なんていうのは当たり前じゃない?
もしそれがなかったら、その国は「主権国家」とは言えないですから。
わかりますよね?
その国を守る権利はその国にある!!
他人からなーんにも文句言われるすじあいはありませんね。
まずこれ、基本。ほんとーに理解してますよね?
ね。ね。ね??権利です。
まずこの「守る権利は当然ある」っという基本をよーく
おさえといて下さいませ。

■個別的自衛権
じゃ、次。
でもって、自分だけで自分の国を守る権利を「個別的自衛権」と言います。
英語で言えば "Right of individual self defense"。
単独で、自国だけで自国を守る権利です。
これは問題ないよ!って、今回の法案に反対の人も言ってます。

■集団的自衛権
でも、相手が強そうなんで、自分だけじゃ心細いから、他の国に「手伝ってくれ〜」と頼みたくなったら、頼むのも自由ですよね?
ここわかりますよね。ポイントです。
頼んじゃいけませんか?
いいでしょ別に。
助けてくれるかどうかは、わかりません。
でも、助けてくれる?って、きくのは自由です。
それをする「権利」がありますよね。
ね。ね。ね???
こっちが「集団的自衛権」の大前提です。
"Right of collective self defense"です。
「お前、他の奴に頼むんじゃねえ!自分だけで守れや!こりゃー!」
なんて言われる筋合いはありません。
それこそ、そんなこと言う権利は誰にもない。
当たり前すぎる〜!!!
と思いませんか?
ここ基本。
これは「自衛」の権利の一つです。
これがあって、初めて、頼まれた国が、行動を起こすわけです。
 
■説明おかしいだろ!
と・こ・ろ・が・です!!
これがメディアの説明だと、ひっくり返ってて、
攻撃されてもいないのに、
『他国を攻撃する権利』って説明されてるんですね。
おかしくないかい?
もちろん結果的に、交戦する場合もありますよ。
でも、それは結果であって、頼まれてもいないに、「おめえ、なめんなよ」って勝手に出てくることはできません。
だから、集団的自衛権の考え方として、正しく理解しておかないといけないとーっても重要なことは、この考え方がなりたつ大前提にあるのは、危険に遭遇している国が、自分の国を守るとき、他の国に助けを頼んで、他の国の助けを得て、一緒に、自国を守る権利だってこと。
だから「集団的自衛権」です。
あくまでも「自衛権」です。
これは別にいいでしょ?

■頼まれたら考えて決める権利
じゃあ、「助けてくれない?」って頼まれた国が「よっしゃ、他ならぬお前のたのみだ」と
助けるか助けないかは、頼まれた国の勝手です。
絶対助けなきゃいけないという強制だったら、自由がありません。
その国は自主独立した「主権国家」ではありませんね。
でも、助けてあげたければ、きっと助けてあげるでしょうね。
どうしようかなっと考えた結果、
「よし助けたあげよ!」と決める権利は、頼まれた国にあります。
「おい、お前の出て来るまくじゃねえだろ!」
と文句を言う国はあるかもしれません。
でも、助けてあげうようとする権利は、当然その国が持ってる権利であることに、変わりはありません。
こっちが、一般的に説明されている
頼まれた国の権利です。
でも、攻撃する権利じゃなくて、防衛する権利です。
「ACT OF DEFENDING /防衛の行動」です。
頼む方にも頼まれた方にも、
それをする権利がありますよね。
わかります??
あんまりにも簡単なことで、
説明してても恥ずかしくなってくるんですが、これが「集団的自衛権」です。
権利がなかったら「主権国家」じゃないということなんです。
ここまで、異常ですか?
変ですか?
悪ですか?
レギオン(悪魔集団の名称)ですか???

■自分できめちゃいけない国
助けてあげるか、あげないかは、そのときの事情と都合で、自分で決めるよ。
助けられれば助けるし、無理だったら、悪いけど、今回はできないよ。
っていう判断ができるのが、成熟した大人の姿。
じゃありません?
でも、それはダメだ。
自分で決める自由なんてないんだよ。
それを決めることは「悪なんだ!このやろ〜、レギオンめ!」
っていうのが、今の日本になってます。
うーん・・・
もちろん、そうなってしまったのにも不幸な歴史と理由があります。
そこはまた次回。
で・も・・・
「攻撃」とか「戦争」という言葉が一人歩きして、そもそも、ものの本質から目がそらされがちになってしまいます。
でもまず、集団的自衛権が、良いか悪いかを論じる前に、主権国家の自主独立した姿ってなんだろ?
その国の権利ってなんだろ?
という基本に立ち返って、
権利というものの属性というものを
しっかり理解しておいた方がいいんじゃないかなあ。
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■戦後日本の歴史的大転換?!
安保法案が可決されたことで、「戦争法案」だと叫ぶ声が溢れていますね。
本当に戦争法案?
そんな疑問を感じてる人もいるでしょう。
「なんだか分かんないけど、弁護士の先生たちや俳優さんたちまで反対って言ってんだから、憲法違反なんだろう」
という空気がありますね。
国家権力を監視して、異を唱えるのは国民の大切な役割ですから、実際に行動を起こしている人々には敬意を表したいと思います。
でも、中身ほんとーに分かってるよね?
ということだけは注意しといた方がいいでしょう。
今回、「集団的自衛権」が容認されたことを受け、メディアや、反対する人々の論調で、際立って目立つのは「憲法9条は集団的自衛権を認めていない!」
というものです。
「個別的自衛権」は認められるが、『集団的自衛権』は憲法違反だ!!という主張ですね。
集団的自衛権を「悪魔」的に毛嫌いする雰囲気がないですか?
「出たな、レギオンめ!(聖書に登場する悪魔集団の名称)」的な…
「集団的自衛権は、日本が攻められてもいないのに、他国の人を殺しにいく法案だからダメだ!」というパニック的な感情論がとっても多いですね。
でも、集団的自衛権ってそんなに「悪」なんでしょうか?

■集団的自衛権って憲法と関係ないよ
内容に行く前に・・。
日本には平和憲法の要である憲法9条があります。
憲法9条で、日本は「武力の行使を永久に放棄」したので、軍隊をもってはいけないし、国の交戦権(戦争する権利)もありません。
でも、この憲法9条が、個別的自衛権は認めている。
だけど、集団的自衛権は認めてない!!
だから、今回の法案は「憲法違反だ!」!!!!という論調が多いわけなのです…
でも、これは、違います!!!
え?違うの・・?
そう違うんです。
憲法は「個別的自衛権」について何も言ってませんし、集団的自衛権についてもなーんにも、まるっきり言ってません。
憲法9条の文言の中に、個別的自衛権も、集団的自衛権もでてきませんよ。
だって、この二つは「国際法」の概念なんですから。
日本国憲法とは関係ありません。
ここ、間違わないでください。
個別的自衛権も、集団的自衛権も、国連が認めるもので、国連に加盟している世界の国が当然もつべき「権利」なんです。
個別的自衛権というのは、自分の国を守る権利で、集団的自衛権は、他国と一緒にある国を守る権利といったところですね。
詳しくは次回。 

■内閣法制局が決めるんです!
で、それを憲法に照らして、OKかどうか、というのは、
②で言った通り「解釈」なんです。
これは認められるよね・・でもこれはダメだよね・・・
と「解釈」してきたというわけです。
これを決めるのは「内閣法制局」という機関です。
これは、政府が国会に法案を提出するときに、憲法と、諸々の法律をてらして精査する機関です。
で、ここで「OK」となるとOKになります。
今回「集団的自衛権」を容認することになったというのは、この内閣法制局が「そう解釈して」OKとなったという意味です。
だからこれは解釈です。
解釈の結果、OKになったのです。
それまでとは、違う「解釈をした」ということです。
憲法の文言は一語一句変わっていません。

■安倍総理はレギオン??
さて、いよいよ本題。
今回、安倍政権が「集団的自衛権」を容認したことで、日本中に「悪だ!」「平和破壊だ!」「レギオンだ」と反対の渦がまきおこって、
あ・た・か・も・安倍首相が、戦後70年の歴史の中で、絶対に超えてはならない一線を超えさせてしまった悪の権化!であるかのような反対論が沸騰しています。
でも、この認識も大間違いなんです。
今こそ、事実は事実として認識していくという「クール」な視点が求められています。
クールジャパンでいきましょう。

■じゃあ、歴史の流れを確認しましょう
そもそも、今の憲法は、日本が敗戦した後、アメリカ様から「与えていただいた」憲法です。
しかも日本は占領されていたわけです。
マッカーサー元帥は天皇以上の存在になってちゃいましたから、そんな中で、日本は「自衛権」もなにもあったもんじゃない。
だって「占領下」ですよ。
ここがポイント。
軍は解体され、占領軍が駐屯していたわけです。
軍隊が無い以上、自衛の手段もありません。
槍で戦うわけにもいきませんから。
そんな状態なんで「自衛権」なんていうのは、考える段階になかったわけです。
それが「敗戦国」のスタートです。

■いよ、初登場!!
そんな中、「集団的自衛権」という言葉が国会で初登場するのは、1947年、占領されて2年後です。こんな会話が議事録にのこっています。
12月21日の衆議院外務委員会の記録です。
西村外務省条約局長(現国際法局)という方が、こう発言してます。

『ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の、今、申し上げました第50条か、
51条かに、国家の単独の固有の自衞権という観念のほかに、集団的の自衞権というものを認めておりまして、そういう文字を使っております・・・この集団的自衞権というものが、国際法上認められるかどうか、ということは、今日、国際法の学者の方々の間に、非常に議論が多い点でございまして、私ども実は、その条文の解釈には、全く自信を持っておりません』
(第7回 国会 衆議院外務委員会議事録第一号)

Wow!!! 重要な歴史の瞬間ですね!
占領下の日本。
国会で「集団的自衛権」が論じられた歴史的瞬間の記録です。
いやあ、しかし発言の中身には、驚きですよね。
「最近さ、国連で、集団的自衛権って言葉が使われてるんだけど、全くわかりませーん!」
というのが、当時の条約局の一番偉い人の発言です。
集団的自衛権?新しいなあ・・・
そんなのあっていいの?
そもそも何それ?
まったくわかんねー。
と言ってるわけです。
これが日本での「集団的自衛権」の歴史のはじまりです。
だから、憲法9条が禁止してるんだ!とまるで、初めから禁止事項であったかのような印象を持ってる方は、その認識を改めましょう。
禁止もなにも、その「概念」そのものが曖昧だったんですから。

■西村局長の理解
ところが、さすが、西村局長。
次の年には、ちょっと理解が深まってるんですね。
同じ委員会で、中曽根康弘議員から質問されるんですが、こう答えてます。
元首相の中曽根さんです。若かりし頃の。

中曽根 
「お聞きいたしたいと思うのでありますが、この集団的自衛権の問題です。それは国家の基本権として、国家が成立するからには当然認められる権利なんですか?」

西村局長 
「もちろんそう考えております」
(第七回国会 衆議院外務委員会議事録第七号)

おおー、なんと!
一年後、1948年の段階で、西村局長は、はっきりと「集団的自衛権は認められる権利」と仰ってますよね。
これは「国際法」ですから、世界の国がもってる「権利」だと。
さすがです。
微妙な問題ですからね.占領下では。
GHQに睨まれて公職追放になる危険だってあったのに堂々と発言されてます。
さらに重要な歴史的事実は、この段階で、憲法9条がどうの、という縛りは一切でてこない
ということです。

■初めての解釈
集団的自衛権は「こういうものだ」と、具体的な解釈が、ようやくでてきたのは、1951年2月です。戦後6年たってからです。
そして、同じ年の7月になって初めて、憲法9条との、関連がでてきます。
西村局長は言います。よーく注意して読んで下さい・・・
『日本は独立国でございますから、集団的自衛権も、個別的自衛権も完全に持つわけでございます。持つております。
ただし、憲法第9条によりまして、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段でありまする軍備は一切持たないということにしております。
又交戦者の立場にも一切立たないということにしております。
ですから、我々はこの憲法を堅持する限りは、御懸念のようなことは断じてやってはいけないし、又他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる次第でございます』
第十二回国会 参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録十二号

さあ、これが憲法9条との関連性での「解釈」の始まりです。
国際的に「自衛権」というのはあるよな。
でも、あ、そうだ。うちには9条があった。
だから、自衛権は持ってるけど「使えません」と言う『解釈』にしよう・・・となったわけです。
重要なのは、個別的自衛権も、集団的自衛権も「両方使えません」という解釈だったということです。
いやはや、
これは、実はアメリカ様との微妙な駆け引きの歴史です。
ちょうどこの頃、朝鮮戦争が勃発して、日本にいた米軍はごっそり朝鮮半島にいってしまったんですね。
すると、日本がまる裸。
まずい、ソ連にとられちゃうぞ!
そこで、マッカーサー殿は、当時の首相「吉田茂」にいいました。
「あのさあ、吉田君、7万人のアメリカ兵がいなくなるから、7万人分の軍隊を組織してくれない?そうじゃないと、日本がとられちゃうよ」

■あっと驚く手のひら返し
吉田茂はじめ、閣僚たちはさぞびっくりしたでしょうね。
なにそれ?
アメリカ様が軍を解体させたんじゃありませんか?
それを今になって、再軍備せよ!ですか???
「そうだよ。吉田くん、事情が変わったんだよ。わっかる〜?」
そうやってできあがったのが「警察予備隊」。
これが自衛隊です。
で吉田君は、初めはアメリカ様に反発して「いや、日本はアメリカ様に守っていただくことを、国民は願っております!」
なんて言うんですね。
でもアメリカ様のご意向は絶対ですからね。
そういう流れの中で、日本も再軍備の道へと進みます。
そんな激動の中での発言ですね。
「日本は自衛権はある。でも9条があるから、その自衛権は行使できません!」
アメリカへのあてつけにも聞こえてきます。
もしかすると、勝手な都合で再軍備を要求してきたアメリカ様への密かなる抵抗かもしれません。
天国にいったら吉田茂に聞いてみたいですね。
アメリカにとって憲法9条は大失敗の政策になってしまいました。
マッカーサーのとっては頭痛の種。
ニクソン大統領なんて、1953年11月19日に「あれは誤りだ」とまで言ってます。
アメリカは、とにかく憲法9条を即刻変えてほしかったんです。
そういうシロモノです。
憲法9条を考えだしたのはマッカーサーです。
日本人ではありません。
これは、史実です。
でも、事情が変わって、この9条がアメリカ様にとっては、『そんなの変えちゃえよ』という
おじゃま虫になってしまったのです。
しかし結果的に、日本は個別も集団も含め、「自衛権」を行使できない!という解釈をして、
これがその後の、日本政府の立場になります。
で、②で言いましたが、自衛隊は今も「軍隊」ではありません。

■日本の事情も変わってきた
ところがですね。
日本がいよいよ独立して、主権が回復してから後、日本の国際社会での立場も変化してきたし、日本人の意識も変わっていきました。
で、1960年になると、林修三法制局(現・内閣法制局)長官はこう言うんです。大事ですから、よーく注意して読んでね。

『米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して、あるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを、私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません』
出典:林修三法制局長官(第三十四回国会 参院予算委員会会議録第二十三号

なんとです。
集団的自衛権は「認められる」と言ってるわけなんです。
内閣法制局の局長です。そういう解釈になったんですね。
戦後15年経ったこの時代には。
だから、あたかも、安倍政権が、戦後の歴代内閣がずっと積み上げて来たものを壊した張本人だ!的な批判は、ウソ!!
間違ってるんです!!
憲法9条に関する解釈は、少なくとも7回は変わってきています。
すごいです。解釈7変化!!!

■個別的自衛権と、自衛隊を認めたときの大噴火!!!
しっかり歴史を理解しておかないといけないことは、1950年、自衛隊の存在を認めて、同時に、個別的自衛権を認めるという、ウルトラCの忍者解釈を打ち出したとき、野党や憲法学者などが、それりゃもう、「このやろー!死ね」ぐらいの勢いで、与党を大罵倒して、当時の政権を批判しました。
それなのに今は、自衛隊はよくて、個別的自衛権もいい。
だけど「集団的自衛権は憲法違反だ!
ですと…?
当時、罵倒されながらも、それがアメリカ様の意向であったとしても自衛隊をつくり、再軍備し、忍者解釈で、軍隊を作ってしまった
当時の日本政府に、僕は、本当に感謝してます。
自衛隊があってよかったな〜〜〜
と思ってるんです。
彼らは災害救助のための訓練ではなく、国を守るための軍事訓練を積んでいるので、結果的に、災害時に、ものすごく大きな力になってくれてます。
嫌われたっていい。
日本の将来のことを考えたら、今やるっきゃない!
当時、政権を担っていたリーダーたちは、そう思ったわけですよね。
アメリカとのせめぎ合いの中で。
今の、政権もそういうことをやってるのかもよ?
という落ち着いた味方もあるかもな、と
一考してみるというのはいかがでしょう?
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