2012年07月10日
このたび、筑摩書房の「筑摩選書」より、共著書『災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか』が出版されることになったので、宣伝します。書店に並び始めるのは7月15日前後からになるようです。定価は「本体価格1500円+税」になります。Amazonでも予約受付中ですので、ポチっとしていただけると嬉しいです。

災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか
クチコミを見る
これは、昨年、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースで執筆した修士論文(「新聞・ウェブにおける情報多様性の測定と検討 〜東日本大震災後 3 ヶ 月のメディア内議論の共鳴と偏差〜」)の一部(ほとんど全部)を書籍化したものです。所属した研究室の田中幹人先生、および共同研究者の標葉隆馬先生の研究成果と共に、丸山紀一朗の研究内容も収めていただきました。
主に第3章「震災後3カ月間の情報多様性」を担当しました。伝統的なメディアはもちろん、ウェブメディアも含めた、震災後の情報環境を実証的に明らかにしました。生物多様性の考え方を情報環境に応用し、新聞、Yahoo!トピックス、ブログ論壇サイト、Togetter(トゥギャッター)、ツイッターの情報内容の多様性を数量化して比較した研究です。
研究の過程でお世話になりました多くの方々に、改めて感謝申し上げます。そしてこれからも、私なりに震災とのかかわりを続けていきたいと思っています。
----------<目次>----------
序章:おびただしい情報とどう向き合うか
情報の洪水のなかで/本書の視点
第1章:災害弱者‐3.11被害とその背景にある社会
現代社会におけるリスク分配と不平等/災害と災害弱者/東日本大震災、その被害の概要/複合的災害の被害と社会背景について/原発立地地域の被害の特異性/岩手県北部の被害について/津波はどのような地域を襲ったのか/非原発立地地域に見る被害と社会構造/阪神・淡路大震災に見る格差/陰の教訓に敢えて目を向けることー神戸市長田区で起きたこと
第2章:情報弱者‐震災をめぐる情報の格差
被害格差、経済格差、情報格差ー情報をめぐる二つの格差/震災・原発事故をめぐる情報格差/情報環境の脆弱性/被災地における情報環境/言論・関心の中心からの疎外ー私たちは何を見て、何を見なかったのか/震災後、最初の1カ月半における「地震・津波・原発事故」報道の推移/「朝日新聞」に登場したトピックスとその扱われ方の変化/ネットメディアにおける話題・関心の変化ーブログエントリーの推移から
第3章:震災後3カ月間の情報多様性
メディア上の議題を捉えること/情報空間の多様性ー情報の渦のなかで/「情報多様性」と「生物多様性」/情報の多様性にまつわる先行研究/分析の期間と対象/分析①‐分析のレベルとトピックスー意見の類型化/この分析の限界/分析②‐内容分析と「横並び報道」の分析/震災を「忘れて」いくメディア/「ウェブは多様」だったのだろうか/ここまでのまとめ/新聞の「横並び報道」は本当だったのか/どのような情報摂取が望ましかったのか
終章:「私たちが持つべき視点」の獲得に向けて
再び、弱者に関して/「いま議論すべきこと」は誰が決める?-議題設定と議題構築/オルタナティブ・メディアの現代的な意義と役割/見えざる「視線の圧力」/現代のインターネットは、情報格差によって駆動している/「市民もまた、ニュースに対する権利と責任がある」/第十の原則/私たちが獲得すべき情報リテラシーとは?/おわりにー本書が見過ごしたもの
註
あとがき
掲載図表一覧
参考文献
--------------------------

災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか
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これは、昨年、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースで執筆した修士論文(「新聞・ウェブにおける情報多様性の測定と検討 〜東日本大震災後 3 ヶ 月のメディア内議論の共鳴と偏差〜」)の一部(ほとんど全部)を書籍化したものです。所属した研究室の田中幹人先生、および共同研究者の標葉隆馬先生の研究成果と共に、丸山紀一朗の研究内容も収めていただきました。
主に第3章「震災後3カ月間の情報多様性」を担当しました。伝統的なメディアはもちろん、ウェブメディアも含めた、震災後の情報環境を実証的に明らかにしました。生物多様性の考え方を情報環境に応用し、新聞、Yahoo!トピックス、ブログ論壇サイト、Togetter(トゥギャッター)、ツイッターの情報内容の多様性を数量化して比較した研究です。
研究の過程でお世話になりました多くの方々に、改めて感謝申し上げます。そしてこれからも、私なりに震災とのかかわりを続けていきたいと思っています。
----------<目次>----------
序章:おびただしい情報とどう向き合うか
情報の洪水のなかで/本書の視点
第1章:災害弱者‐3.11被害とその背景にある社会
現代社会におけるリスク分配と不平等/災害と災害弱者/東日本大震災、その被害の概要/複合的災害の被害と社会背景について/原発立地地域の被害の特異性/岩手県北部の被害について/津波はどのような地域を襲ったのか/非原発立地地域に見る被害と社会構造/阪神・淡路大震災に見る格差/陰の教訓に敢えて目を向けることー神戸市長田区で起きたこと
第2章:情報弱者‐震災をめぐる情報の格差
被害格差、経済格差、情報格差ー情報をめぐる二つの格差/震災・原発事故をめぐる情報格差/情報環境の脆弱性/被災地における情報環境/言論・関心の中心からの疎外ー私たちは何を見て、何を見なかったのか/震災後、最初の1カ月半における「地震・津波・原発事故」報道の推移/「朝日新聞」に登場したトピックスとその扱われ方の変化/ネットメディアにおける話題・関心の変化ーブログエントリーの推移から
第3章:震災後3カ月間の情報多様性
メディア上の議題を捉えること/情報空間の多様性ー情報の渦のなかで/「情報多様性」と「生物多様性」/情報の多様性にまつわる先行研究/分析の期間と対象/分析①‐分析のレベルとトピックスー意見の類型化/この分析の限界/分析②‐内容分析と「横並び報道」の分析/震災を「忘れて」いくメディア/「ウェブは多様」だったのだろうか/ここまでのまとめ/新聞の「横並び報道」は本当だったのか/どのような情報摂取が望ましかったのか
終章:「私たちが持つべき視点」の獲得に向けて
再び、弱者に関して/「いま議論すべきこと」は誰が決める?-議題設定と議題構築/オルタナティブ・メディアの現代的な意義と役割/見えざる「視線の圧力」/現代のインターネットは、情報格差によって駆動している/「市民もまた、ニュースに対する権利と責任がある」/第十の原則/私たちが獲得すべき情報リテラシーとは?/おわりにー本書が見過ごしたもの
註
あとがき
掲載図表一覧
参考文献
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※お知らせ※
・朝日新聞2010年12月28日夕刊の<メディア激変>という連載に登場しました。「ネットとジャーナリズム—9 いかに育てるか」
よかったらご覧ください。
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2011年08月21日
ある人が「原発不明がん」というがん(はじめに発生した臓器がわからないがん)によって亡くなった。このとき、マスメディアの訃報記事はどういう表現にすべきだろうか。
朝日新聞は21日20時56分に公開した記事で、
と報じた。
問題は2つある。
1つ目は既に解決されたのだが、この記事が公開された時点では、見出しのすぐ下に「関連トピックス」として「原子力発電所」が出ていたのだ(スクリーンショット参照[2011年8月22日0時48分訂正]なぜかスクリーンショットが出ないのでコチラをどうぞ)。これにはhttp://www.asahi.com/topics/原子力発電所.phpにリンクが張られており、明らかに「原発」の意味を取り違えたものだった。これは、記事本文のキーワードから自動的に関連トピックスを抽出して表示するシステムによるものと思われ、「原発」を原子力と関連付けてしまった失敗だ。
私が記事を執筆することもあるニコニコニュースでも本文と関連する動画を自動的に表示している。ここでも時々、本文と関連の薄い動画が表示されたり、場合によっては不謹慎とも思われる抽出がなされることがあるが、"オーディエンスの心の広さ"ゆえにネタとして処理されている。また、ニコニコの場合は「キーワードからニュースに関連しそうな動画を自動で抽出しています」という予防線も張っている。このエクスキューズが全てを解決するわけではないが、もしも人手をかけずに問題を回避する必要があるのなら手っ取り早い方法だろう。
朝日新聞のこの関連トピックスは、公開から約1時間後にはきちんと表示が消された。(ちなみに筆者は、おせっかいにも東京本社の報道・編成局長室のツイッターアカウントに「早く消したほうがいい」とツイートした。リプライがないためこれによる表示の削除ではないと思うが。)
さて、問題の2つ目が、この関連トピックスを消しても「原発不明がん」がわかりにくい、ということだ。実際に、この検索ページを遡ってもらえればわかるが「『原発不明がん』ってなんだそれ?!」という疑問や、これが「原因不明がん」の誤植ではないかという誤った指摘などがいくつも出ている。
ここでわざわざ「ジャーナリズム」という仰々しい言葉を出さなくともいいのだが、出来事を切り取って誰かに伝える際には、少なくとも誤った情報の発信源にならないほうがよい。この訃報記事の場合、表記自体は「誤ってはいない」ため最低限の基準はクリアしているのだが、おそらく一般的ではないと思われる「原発不明がん」という用語を一切の説明無しに使用したのは編集上のミスではないかと思うのだ。しかも、原子力発電所絡みの諸々の陰謀論が頻発している時期に、である。
私も記事を書くことがあるが、こうした「誤解を生む可能性のある(わかりにくい)正式名称」を記事で使用するかどうかというのはかなり難しい問題だ。
例えば、最近の事例で言えば、 中国発のマイクロブログ「新浪微博」(発音は「シナ・ウェイボー」)をけっこう多くの日本メディアが「中国版ツイッター」と表記している。Yahoo!もトピックスで同表記を採用していた。これは日本でツイッターが市民権を得ていると判断したメディア側が、読者に対してウェイボーを簡潔に説明するために「開発」した方法なのだろう。しかし、ウェイボーはツイッター社と無関係で、この表記は誤解を生む(例えば、正しいのはマイクロブログの中のひとつにツイッターもウェイボーも含まれるのに、ウェブを全く知らない人には「いろいろな国のツイッターがあるんだな」と伝わることもある)。まあ、誤解を生むというより、これは明らかに誤っているのであるが。
今回の訃報記事については、ウェイボーの事例と逆に、おそらくメディア側が「読者は原発不明がんを知っているだろう」と考えた結果だ(実際にそこまで考えたかどうかはわからないが)。すなわち、何らの説明も無しに正式名称を使用することで済ませた。しかし、上で紹介したようなオーディエンスの反応を見る限り、今回の表記は誤解を生む可能性が高いと思う。きれいにまとめてしまうが、このような場合は、紙幅の関係もあるため簡潔に、わかりやすく、誤解の発信源とならないような編集が求められるだろう。具体的には、この記事の最初の一行で用いたような「はじめに発生した臓器がわからないがん」などの説明を、括弧書きもしくは注として挿入すべきだ。紙幅の関係で無理ならウェブ記事だけでも。
ちなみに、朝日に遅れて毎日と読売も同内容の記事を出したが、いずれも何の説明もなく「原発不明がん」を使用している。
亡くなられた杉村太郎さんのご冥福をお祈りいたします。
丸山紀一朗
※今回の話とは若干内容が異なるのだが編集における「わかりやすさ」については、私がまとめたこのTogetter<@furumai_yoshiko さんの「『韓日戦』についてのフジの中の人の回答とそれに対する考え」「『分かりやすさ』という両刃の刃」「『信頼の主眼』をどこに置くか」>が面白い。
[2011年8月22日3時37分追記]
※参考:- altered image(z) -「『原発不明がん』ってなんだ?」
[2011年8月22日10時49分追記]
※現時点で同内容の記事は、毎日、日経、産経、スポーツ報知、スポニチが出しているようだが、いずれも何の説明もなく「原発不明がん」を使用。普段「〇〇がん」という表記を使用しているがゆえの処理なのだろうが、あまりにもマニュアル通り過ぎやしないか。
[2011年8月26日11時34分追記]
※その後、22日に出たZAKZAKの記事には、
朝日新聞は21日20時56分に公開した記事で、
杉村 太郎さん(すぎむらたろう=就職支援校「我究館」会長)が20日、原発不明がんで死去、47歳。通夜は25日、告別式は26日に東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。いずれも時間は未定。喪主は妻貴子(たかこ)さん。
1987年、住友商事入社。89年に友人と「シャインズ」を結成し、デビュー曲「私の彼はサラリーマン」が10万枚のヒットとなった。92年に「我究館」を設立。著書「絶対内定」は就活生のバイブルとされている。
と報じた。
問題は2つある。
1つ目は既に解決されたのだが、この記事が公開された時点では、見出しのすぐ下に「関連トピックス」として「原子力発電所」が出ていたのだ(スクリーンショット参照[2011年8月22日0時48分訂正]なぜかスクリーンショットが出ないのでコチラをどうぞ)。これにはhttp://www.asahi.com/topics/原子力発電所.phpにリンクが張られており、明らかに「原発」の意味を取り違えたものだった。これは、記事本文のキーワードから自動的に関連トピックスを抽出して表示するシステムによるものと思われ、「原発」を原子力と関連付けてしまった失敗だ。
私が記事を執筆することもあるニコニコニュースでも本文と関連する動画を自動的に表示している。ここでも時々、本文と関連の薄い動画が表示されたり、場合によっては不謹慎とも思われる抽出がなされることがあるが、"オーディエンスの心の広さ"ゆえにネタとして処理されている。また、ニコニコの場合は「キーワードからニュースに関連しそうな動画を自動で抽出しています」という予防線も張っている。このエクスキューズが全てを解決するわけではないが、もしも人手をかけずに問題を回避する必要があるのなら手っ取り早い方法だろう。
朝日新聞のこの関連トピックスは、公開から約1時間後にはきちんと表示が消された。(ちなみに筆者は、おせっかいにも東京本社の報道・編成局長室のツイッターアカウントに「早く消したほうがいい」とツイートした。リプライがないためこれによる表示の削除ではないと思うが。)
さて、問題の2つ目が、この関連トピックスを消しても「原発不明がん」がわかりにくい、ということだ。実際に、この検索ページを遡ってもらえればわかるが「『原発不明がん』ってなんだそれ?!」という疑問や、これが「原因不明がん」の誤植ではないかという誤った指摘などがいくつも出ている。
ここでわざわざ「ジャーナリズム」という仰々しい言葉を出さなくともいいのだが、出来事を切り取って誰かに伝える際には、少なくとも誤った情報の発信源にならないほうがよい。この訃報記事の場合、表記自体は「誤ってはいない」ため最低限の基準はクリアしているのだが、おそらく一般的ではないと思われる「原発不明がん」という用語を一切の説明無しに使用したのは編集上のミスではないかと思うのだ。しかも、原子力発電所絡みの諸々の陰謀論が頻発している時期に、である。
私も記事を書くことがあるが、こうした「誤解を生む可能性のある(わかりにくい)正式名称」を記事で使用するかどうかというのはかなり難しい問題だ。
例えば、最近の事例で言えば、 中国発のマイクロブログ「新浪微博」(発音は「シナ・ウェイボー」)をけっこう多くの日本メディアが「中国版ツイッター」と表記している。Yahoo!もトピックスで同表記を採用していた。これは日本でツイッターが市民権を得ていると判断したメディア側が、読者に対してウェイボーを簡潔に説明するために「開発」した方法なのだろう。しかし、ウェイボーはツイッター社と無関係で、この表記は誤解を生む(例えば、正しいのはマイクロブログの中のひとつにツイッターもウェイボーも含まれるのに、ウェブを全く知らない人には「いろいろな国のツイッターがあるんだな」と伝わることもある)。まあ、誤解を生むというより、これは明らかに誤っているのであるが。
今回の訃報記事については、ウェイボーの事例と逆に、おそらくメディア側が「読者は原発不明がんを知っているだろう」と考えた結果だ(実際にそこまで考えたかどうかはわからないが)。すなわち、何らの説明も無しに正式名称を使用することで済ませた。しかし、上で紹介したようなオーディエンスの反応を見る限り、今回の表記は誤解を生む可能性が高いと思う。きれいにまとめてしまうが、このような場合は、紙幅の関係もあるため簡潔に、わかりやすく、誤解の発信源とならないような編集が求められるだろう。具体的には、この記事の最初の一行で用いたような「はじめに発生した臓器がわからないがん」などの説明を、括弧書きもしくは注として挿入すべきだ。紙幅の関係で無理ならウェブ記事だけでも。
ちなみに、朝日に遅れて毎日と読売も同内容の記事を出したが、いずれも何の説明もなく「原発不明がん」を使用している。
亡くなられた杉村太郎さんのご冥福をお祈りいたします。
丸山紀一朗
※今回の話とは若干内容が異なるのだが編集における「わかりやすさ」については、私がまとめたこのTogetter<@furumai_yoshiko さんの「『韓日戦』についてのフジの中の人の回答とそれに対する考え」「『分かりやすさ』という両刃の刃」「『信頼の主眼』をどこに置くか」>が面白い。
[2011年8月22日3時37分追記]
※参考:- altered image(z) -「『原発不明がん』ってなんだ?」
[2011年8月22日10時49分追記]
※現時点で同内容の記事は、毎日、日経、産経、スポーツ報知、スポニチが出しているようだが、いずれも何の説明もなく「原発不明がん」を使用。普段「〇〇がん」という表記を使用しているがゆえの処理なのだろうが、あまりにもマニュアル通り過ぎやしないか。
[2011年8月26日11時34分追記]
※その後、22日に出たZAKZAKの記事には、
杉村さんのがんについて、医学博士の中原英臣氏は「がんは転移が恐い。原発不明がんは発生した臓器が分からないまま、転移巣が先に見つかる。恐らくがんと判明したときにはかなり転移が進んでいたのだろう」とみている。という段落が入っていた。
※お知らせ※
・朝日新聞2010年12月28日夕刊の<メディア激変>という連載に登場しました。「ネットとジャーナリズム—9 いかに育てるか」
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2011年05月13日
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