2011年10月05日

「チッ」

「明日の為に、何としてもここで眠っておかねばならん」
そのような強い意気込みが努力の方向性を大変に履き違えた結果、夜行バスの全くゆったりしていないゆったり3列シート内で至高の睡眠態勢を模索し続けて11時間。
大学生言語で言うところの「オール」で仙台の朝を迎えて理性の箍が外れかかっていたまるおは、漏れ聞こえるLOVE PSYCHEDELICOにも構わず、剥き出しの本能が命じるままに、ただ肉を求めてケバブの屋台に並び散らかしていました。
冒頭の舌打ちは、大繁盛していたそのケバブ店のトルコ人店員に、千円とは別に端数の数円を渡そうと貯金魚財布を漁っている時にカマされた舌打ちの音です。
何と言うのかまるお、自分でも性格は温厚な方だとは思っているんですが、この時ばかりは流石に初期衝動が爆発しそうになりました。
「ヤケクソやぞ!こっちは自棄糞や!徹夜してみろ!ロックフェスの前夜に、一晩中ゆったり3列シートに屠られてみろ!人生とかルールとか、割とどうでもよくなるぞ!その舌打ちに賭すか、親に貰った命を!ハーン!」
でもな、まるお、紳士やから。
言えなかったのではなく、敢えて何も言わず、静かにケバブとドリンクを受け取って店を去りました。
イケメン。容姿じゃなくて心がイケメン。暴言とか絶対に吐かない上に、チャーミングでウィットにも富んでいるまるお、最早ディカプリヨ・レヨナルドを自称してもいいレベル。

ということで実は若干到着が遅れた所為もあって、午前中の目当てにしていたTHEラブ人間やSAKEROCKが観れずに、午後のラインナップから始まったまるおのアラバキロックフェス。
以下、覚えていることだけつらつらと書いていきます。
何を観たかじゃなくて、なにを思ったかが大切だと思うんだよ、まるお。

■トクマルシューゴ
スタート時は少し不安が過る空模様だったものの、数曲演奏するうちに急に晴れ渡ってくるという"持ってる"感じビンビンのトクマルシューゴ。
「これはもう、完全に晴れたと言っていいでしょう。」
観客、沸く。
SAKEROCKのベーシストを迎えた編成で"Parachute","Rum Hee"や"Video Killed the Radio Star"等の曲を言葉少なに次々と繰り出してゆく様は、正しくフェスしており、彼の音楽性も合わせて、それはもう大変に幸福なフェスいステージでした。
ただ、何だろう、とても良いアクトなのだけれど、まるお自身が求めるところとの微妙なズレ、―身体的であったり肉体的であったりという部分での―が少しあって(そもそも求める相手を間違っていたり、誰彼構わず一律に求めるものではないものだろうとは思うけれど)、まるおの心地良いツボにガツンとはまりきらなかったのも事実。
少しステージが見え隠れしてしまうような観辛い位置取りでもあったので、また違う場でもよく観てみたいな、と思いました。動きとか。
新曲演ってた、そういえば。

■ねごと
を近くのステージに感じながら移動。
なーんど夢をくぐったーらー!

■クラムボン
で、ボン。
メンバーのサイドワークだったりヒップでホップな周辺との関わりから入る、という真正面なファンではないまるおの期待するところは"波よせて"や"(Re-),(Imaginary) Folklore"、"ナイトクルージング(cover)"だったりの割とチルアウトな雰囲気のものだったんですが、よく考えたら演らんよね、そんな盛り上がらん曲を、フェスティバルで。
のっけから高いテンションで"サラウンド"や"バイタルサイン"あたりの曲を惜しげも無く披露していくそのステージは、(これは本当に驚いたのだけれど)しかし音源から想像されるところからは全く離れた「ロックバンド」でした。
特にmitoさん。あの人は猛烈に煽るしベースは力強く指で弾き倒すし、挙句には楽器振り回してアンプと反響させてノイズ出すしで、どちらの畑の方かと思った。
けれどこの人がバンドの主犯格なのだから、(ソロアルバムもあんな作風だし)面白いねぇ。
どこで開催されるのか、どんな時間帯なのかということをきちんと自覚した上での選曲と立ち振る舞いで、場慣れした大物の風格を感じました。
終盤に披露されたそんな彼らの新曲"ある鼓動"は観客の手拍子をベースに演奏される曲で、これもテンポとしてはそんなに遅くない曲。
そのように終始一貫した姿勢で、笑顔のまま躍動し続けた三人組のステージ、大変よろしゅうございました。
いつかまた、今回聴けなかった落ち着いた曲を演奏する姿も観てみたいな。
それにはまあ、フェスのようなバイキング形式ではいけないのだろうけれど。ツアーか。実に強か。

■七尾旅人
トクマルシューゴと同じステージだったのだけれど、スタッフの提案などで目の前の柵が外されて距離が少し近くなった状態で開演。
更に旅人さん直々の提案で観客が地べたに座り込んだ状態になり、震災後に現地入りした際のエピソード等を語った後に演奏されたのは、"圏内の歌"。
被災地の方が語った言葉をそのまま歌詞にした「この小さな街を離れられない 子供たちだけでも逃がしたい」という一節が痛切な、あまりに痛切な曲。
世に自らの作品と存在を問いかける芸術家(アーティスト)として、社会を襲った出来事にどう相対していくのか、其の方法は様々だと思うけれど、彼の場合はそのバイタリティと修辞しない言葉で、声高に支援を呼びかけるのではなく、自ら知り伝え、寄り添うことを、多分選んでいる。
演奏に特別な技巧が施されているわけではないこの素朴な曲は、それだけに唄われる言葉が風に揺れる風鈴のように澄んで聴こえました。
いくつもの媒体を経て、語られ、そうして距離が離れる程に伝わり難くなってしまった言葉を引っ掴んでは悪態をつくような捻くれたまるおだから、その分も余計に。
続いたのは「七夕に出来た」から"七夕の人"という、これまた飾らない、最早飾らなさすぎて寝癖がそのままになっているようなタイトルの曲。
でまあ正直に言うとこの曲の印象があまり残っていなくて、感想メモに「素敵」とだけ残されているので、えーっと、素敵な曲でした。(ドヤっ!)
これ以降はフェスを意識した所謂「有名/人気曲」が続き、その初曲は"どんどん季節は流れて"。
演奏前に曽我部恵一さんのバンドでサックスをプレイする加藤雄一郎氏を「そこで久しぶりに会ったから」ということでゲストとしてステージに招き入れ、曲はスタート。
SEとして冒頭に音源で使われている蝉の鳴き声を流した旅人さんだけれど、もう既に生の蝉が生で鳴きまくっているという夏のエコキャンプみちのくミラコー。
オーディエンスにコーラスの「どんどん季節は流れて♪」の斉唱を促し、その延々繰り返されるループのグルーブに乗って、一回性の強い即興的で奔放なパフォーマンスを、長い長い相の手を挿みながら展開しました。(原曲の倍くらいあった、多分。)
待望と言っても過言ではない"Rollin' Rollin'"では、今度はやけのはらパートを観客に丸投げ。
全員立つように促されて、分かる人がラップ。よく分からない人もふんわりやけのはらっぽくライム。時折旅人さん自身も茶化すようにやけのはラップ。
似非のはらが野原に大量繁殖していました。
そんな自由なアクトのラストは"Over the Rainbow"の日本歌詞カバー。
ゆったりと、暑い暑い会場に虹をかけて、って書いてみたら何だかとっても恥ずかしくなってきた。
そうだな、えーっと、ゆったりと、暑い暑い会場の温度を温く中和して、旅人は帰ってゆきました。
「昨日から『牛タンと舌を絡めて』っていうフレーズが頭から離れないんだよなぁ」
しかし、"どんどん季節は流れて"以降、常に傍らで彩りと艶を添えていたサックスは本当に素晴らしかった。

■スチャダラパー
に後ろ髪を引かれつつも、様々な兼ね合いからスルーして移動。
端から端のステージまで徒歩で20分かかるので、計画的に行動しなければならなかったのが頭の弱いまるおの頭痛の種でした。

■envy
一ヶ月後に京都で観る予定があったので少し迷ったんですが、大自然の中で観るenvyもそうはないだろうと思い、足を運びました。
正方形のテントのような半屋内構造の内部に設置された、映像投映設備を持つステージに現れた5人。
メインステージに比するとかなり小ぢんまりとした、「開放型ライブハウス」といった趣なのだけれど、もうね、客が少ない。
100〜150人程度で、まるおが観たアラバキのアクトの中では最少だった。
ただそれはこのフェスを基準にした場合であって、バンドとしては決して少なくはない人数であろうし、加えて、きっとこのバンドはオーディエンスの数がパフォーマンスに影響するようなことは、恐らくない。
寧ろこういった状況だからこそ、彼らを観る為に集った人間の熱気は本物であったし、現時点までにまるおが観てきたenvyのアクトの中では最も体温が高い―それは本当に単純な、身体の所作という意味で―ステージだったように思う。
お約束の外国人観客もリュックを背負って前方で分かりやすく熱狂していたし、セットリストも"Worn Heels and the Hand We Hold", "Left Hand", "As Serenity Calls Your Name", "Scene", "A Warm Room", "Farewell to Words"と締まった構成で、場を選ばず常に持てる力の全てを出すことの出来る、バンドとしての強さをまざまざと見せつけられた。
ステージの前を通過していく人々がその内実を判断する以前に否応無く耳と足を止められてしまう、(ことフェスという環境においては)「暴力的」としか形容出来ない轟音がブラックホールのように周囲を巻き込んでゆき、次第にその影響力を拡大していく様を見つめていて、贔屓目ながらこの日のベストアクトを確信しもした。
この時に初めて聴いたチャリティーソングの"As Serenity Calls Your Name"と不器用な口上は、その時は大して特別に考えたりもしなかったのだけれど、一ヶ月後の京都にて新たな表情を見せ始める、という話は一つ前の記事で連ねたので、ここではゴチャゴチャ言わない。
本当に個人的な感情で、この手のバンドがフェスに出演して、ただ素晴らしいパフォーマンスを披露したということが、それだけで拳を突き上げたいくらい、嬉しかった。
やっぱり何某かの壁はあるように感じるから、まるお。
それともそんなものは単なる勘違いや幻視なのかしら。だと良いのだけれど、本当に。

■EGO-WRAPPIN' AND THE GOSSIP OF JAXX
と、散々迷った挙句に、yanokamiへ。このタイミングでしか観られないのはきっと、彼女(ら)の方だったから。

■yanokami
強かなババアだな、と思ったよ、矢野顕子。
何が、というわけではなく、話し方や表情、それら最早「雰囲気」としか表現出来ないものから発せられるオーラが、この人だけは敵に回しちゃいけない、と思わせるに足る凶兆を孕んでた。(今後、差しで対峙することなんて絶対にないのだけれど。)
自分を信じきっている強さ。
それ故の確信的傲慢。
あの領域にまで足を踏み入れたら、後は人生なんて好き放題の無敵モードだろうと思う。
まるおにはどうあがいてもなれない姿だった。
「相方のレイが待てど暮らせど来ないので、先に始めたいと思います」
そしてそんな絶対王者として君臨する彼女が選んだのは、不在をただ不在として扱う、ということ。
そこにでっち上げられた特別な悲しみだとかは、微塵も無かった。
このステージに何かそういう感動的なものを求めて来た人からすれば、肩透かしもいいところだったかもしれない。
けれど不在はそれ以上でも以下でもなく、ただそれとして、在った。
「いつもはスーパーのレジのようなものを汗だくで弄っている人が隣にいるわけですが」なんて言うんだよ、曲者感溢れる笑顔で。
それを見ていたら何だかもう笑えてきて、安っぽい死のドラマや心地良い悲しみを求めていたのはまるおなんじゃないか、って思った。
涙があって、「彼に捧げます」なんて言葉もあって、みんなが彼の死を悼んでいて。
そんなことじゃあ、すぐに消費されてしまうのに。
不可思議wonderboyの訃報を聞いた時に、あれだけ他人のそれに憤っていたのに。
yanokamiとしてステージに立った矢野顕子の圧倒的な正しさに、本来嫌悪していたはずの、"内実を伴わない言葉で「終わったこと」にされてしまう軽薄さ"を他ならぬまるお自身が望んでいたことに気付かされて、恥ずかしく、情けない心持ちになった。
恐ろしいババア。
戦慄のババア。
ステージに呼び込んだU-Zhaanとの掛け合いも、それはもう生物学的強者が弱者を捕食するが如き空気で、周囲は和やかな雰囲気で笑っていたけれど、まるおは完全に苦笑いで心根は震えてた。
そのようにして完全に矢野顕子に飲まれたyanokamiだけれど、U-Zhaanが「超名曲やりますよ」と言ってrei harakamiの音源と共演する形で演奏した"Red Curb"や、ラストの"ばらの花"なんて、やっぱりどうしようもなく素晴らしい。
きっとyanokamiとして矢野顕子がステージに立つ限り、rei harakamiは常に遅刻しているずんぐり兄ちゃんとしていつまでも生きていけるし、見送られることはない。
奔放なババアの無敵の強さに支えられたハラカミの、何と羨ましいこと。
心から、そう思ったよ。

■KIMONOS
ついさっき、envyがこの日のベストアクトだと確信したと書いたけれど、その確信をあっさり破壊してしまったのが、envyと同じステージに立った彼ら、KIMONOS。
パンパンに膨れ上がった観客と期待を焦らすかのように長い時間をかけてセッティングを行い、と思ったらどうやらステージ側のトラブルで長引いてしまっただけの様子。
棒立ちでただ始まるのを待つだけというのは如何にも苦痛だったけれど、しかし、そのようにして漸く始まった演奏は、目も虚ろに待ち惚けている間とは全く異なる、「打ちのめされる」という意味に於いて、ひたすらに立ち尽くさざるを得ない、恍惚と圧巻の奔流。
"均整のとれ過ぎた"音源は、横溢する知性こそ感じるけれど、それだけに拭えず覚えてしまうのは、良くも悪くも都会的(アーバン)な冷たさだった。
しかし、目の前で向井秀徳やLEO今井ら生身の人間の肉体が提示してきたのは、原形を確かに残しつつも遥かに熱量の高い、アーバンエレクトロポストロックとでも言うべき暴虐の知性。
かなり後方で観ていたので演奏する姿はあまり見えなかったのだけれど、所作自体は決して派手なものではなく、立ち上がってアクションを起こしたりだとかする様子は殆ど無かったように思う。
目で見ることにも大きな価値を置くまるおだけれど、そんな個人的な嗜好を軽々と超越して、つまり、音だけで揺らされてしまった、ということ。
職人が磨き上げた無骨な一点ものに刺されたような、そんな心地。
まあ単純な音の大きさだとかギッラギラのギターだとか、分かりやすいファクターに飛びついているだけ、というのも事実だけれど。
それでも、聴き慣れた楽曲が装飾ではなく研磨によって全くその印象を変えて現前するというコントラストにまるおは素直だし、そもそもゴチャゴチャ言ったところでどうしても伝えきれない"すげえ"音が鳴ってるし。
(アーバン)はアルバムからも知れていたけれど、(エレクトロ)と(ポストロック)、特に後者の、空間に満ちていく轟音の響き方には、脳味噌を溶かされるような心地だった。
これが最もまるおを捕えたのだと思う。
(エレクトロ)な要素の顕現も、「無機質な暴力」という彼らによく似合う性格を増幅させていて、これは演奏の熱に能く寄与していた。
"Almost Human"のキラーっぷりとか、ヤバかったよ。
アルバムから殆どの曲がプレイされた中で、"The Girl in the Kimono Dress"が脱落していたことを除けば、本当に最高のステージ。
見本市としてフェスを考えるなら、フルでもう一度観たいと思わせる戦略的アクトとしても、実に強かで最高の出来だったと言うことができるのだけれど。
もしそうであるならば、げに恐ろしいバンド。
妙に穿った見方をさせられる点まで含めて、この日、どころか翌日も勘定に入れたアラバキ全体での個人的ベスト。
正直に言って日中はあってもなくても良い、程度だったこのステージの特徴である映像投映機能も、光が落ち始めてきた彼らの時間帯からはきちんとその役割を果たし始め、極彩色の良い雰囲気纏ってたもんなぁ。
演奏が素晴らしければ何でも格好良く見えるんだよ、結局。

■ハナレグミ with ARABAKI ROCK FEST.11 SATURDAY MICHINOKU PEACE SESSION
がとてもとても観たかったのだけれど、恐ろしく無計画なことにこの日の宿が確保出来ていなかったまるおさん、仙台駅周辺で漫画喫茶を利用するべく、同じような難民で埋まる前に、19時そこそこで会場を出るという暴挙に。
泣いたよ、会場から仙台駅へ向かうシャトルバスの中で、泣いた。
一日そこに居てもいいチケットを買ったのに、たかだか宿の問題でトリをみすみす逃したのだから。

仙台駅、着。
後、5分で駅前の空席が未だ目立つ漫画喫茶に落ち着く。
あまりにも余裕のある宿泊先の確保に、少しくらいなら会場でハナレグミが観れただろうと又もや後悔するも、時すでに遅し。
20時過ぎにはすっかりフラット席のブースに落ち着いてしまい、以降をインターネッツと漫画を読んで過ごすという大変に無為な夜。
しかしよくよく考えてみればまるお、滋賀からかれこれ36時間くらい眠らずに活動していたので、眠気はすぐに瞼を強襲してきました。
「よし、明日の為に!」
グイッとレッドブルを一本やって、いざ眠らんとしたのだけれど、よく考えてみたら飲むタイミングを完全に間違えてるよね。
少しでも疲労をとらなければならないのに、翼とか授かってる場合じゃない。
この瑣末な出来事からも、如何にまるおが疲れていたのかがよく窺えると思います。
疲れ過ぎていてもう、授けられた翼を押し潰しながら泥のように眠ったのだけれどね。
「明日こそは朝一番のアクトから観る!そして最後まで残る!」
硬いシートの上で、そう誓って、目を閉じた。


翌日へ続く。(気持ちがくじけなければ)

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2011年09月25日

「家が学校から近いヤツ程、遅刻しがち」というホモサピエンス(取り分けオス)のDNAに神様が刻み込んだ習性の軛からはまるおも逃れきれず、お隣の京都で開催されるライブには遅れてしまうのが常になってきているここ最近。
京大正門前に降り立ち、吹奏楽部の練習を横目に辿り着いた西武講堂は、既に聞き慣れぬ轟音に揺れていました。
「おのれ、またしても」
大阪とかだと、移動に気合が要るから遅れないんだけどな。

■boris
一番手は未知のバンド、boris。
名前を聞いたことすらなく、かといって事前に予習もしなかった彼ら。
envyとmonoという共演陣から想像される音を大きく逸脱することなく、ある程度期待した通りの轟音を放つのは、ギター+ベースというツインネックの魔器を操り歌う巨大な長髪の魔人、シンセを傍らに時にメインボーカルを執りながら6弦を毟る紅一点の女性、スモークに隠れながら黙々と仕事をこなすギタリスト、そしてたった一人だけ異常なテンションでドラムと銅鑼の間でトチ狂っているドラマーの4人。(後で調べてみたら正式には3ピースで、控え目なギタリストはサポートメンバーだったようで。)
特に目立つのは矢張り中央でやや猫背気味に構える双頭の魔人で、過剰なスモークに消えては現れるその姿は、分かりやすく言い表すなら「悪役」。
本人は特段強く何かを意識しているわけではなさそうな印象だったので、あれも一種のカリスマなのだろうと思う。
先に轟音と言ったけれど、音の方は基本的な路線は歌モノなので、平静はロック(ンロール)メタルとでも言うような爽快な疾走感を伴っていて、その分だけここぞという時の「ヘヴィとは何たるかを貴様らの臓器に教えてくれる」ってくらいの重力が二乗されたようなスローな轟音が空間を侵食していくインストゥルメンタルパート(魔人のベースなんて最早音ではなく単なる地響き)は魂から震え上がりそうになる。
他方、織り交ぜるようにセットリストに加えられている、ギタリストの女性がメインで歌う楽曲は、極端に平坦でどこか少女性を帯びた"外国にウケる日本人女性の歌唱"で紡がれており、バンドの強かでクレバーな側面を感じることも。
そして比較的テンポの早い曲を矢継ぎ早に繰り出した後、「京都では初めてライブします。今日は長いイベントですが、最後まで楽しんでいって下さい。」というMCを挿んで演奏された曲があるのだけれど、これがねぇ、もう素晴らしかった。
ギターの暖かくもどこか不穏な音色に乗せて弾き語るように魔人が零す抒情詩に、微かな彩りを添えるシンセ、そうしてゆっくりと上がっていく体温に合わせて次第に拍動しだすドラムが一体となって収縮した末に、空気を裂き、脳髄を叩き割るようなノイズの嵐を爆発させて、抗いようもない暴力を撒き散らした後、突然、本当に突然静寂を敷き詰めて、曲は終焉を迎えるのかと思えば、再び魔人が柔らかな言葉とギターを静かに奏で始め、一度上昇しきったバンドのテンションを次第に呼び戻すと、二度目の臨界が或る瞬間に訪れ、男泣きのロックバラードが展開される、という本当にただの名曲。(調べた結果、"Missing Pieces"という曲でした。)
これだけでも観る価値があった、と断言出来るこの曲を終えると、バンドは再びスピード感のある曲を多く演奏し、最後にまたスローテンポな曲で締めたのだけれど、これは単に冗長なだけだったかな。
音の温度の高さに反して、ステージ上での所作はこの日の3バンドの中では最も淡々としていたように思うこのboris、帰宅してから調べてみたら結成からかなり長いようで、アメリカではNINのツアーに帯同したり、映画『告白』(「復讐」を描きたかったんじゃなくてPV仕込みのスタイリッシュな映像を二時間撮りたかっただけちゃうんか、としか思えない味の薄い活動写真)のサントラに6曲も提供していたり、知らない方が失礼だというくらいのキャリアを持つバンドだった。恐ろしい。
実は11月にまた観るチャンスがあるので、すぐに邂逅を果たせるかもしれないのだけれど、他と天秤にかけても観に行く価値はあると断じるに躊躇いはないくらい、ある程度楽曲を予習して臨んでみたいと思うくらい、良いアクトだったよ。

■mono
新作の製作に専念する為に去年の滋賀公演を最後にライブ活動を休止していたらしく、それ以来となる復帰二回目(関西では復帰後初)のライブを観られたのだから、全く幸運だったと思う。
気力と体力の充実か、それとも滋賀での公演が2,30人程度の観客だった上にステージ前に陣取っていた野郎が普通に携帯で写真を撮っていたからか、前回よりも遥かにエモーショナルで、観客の歓声にもはにかんだ笑顔で応える余裕と貫禄に溢れたステージ。
セットリストは殆ど変わっていなかったけれど、先のborisとは違ってボーカルがいない分、矢張り桁違いの轟音は全く耳に優しくない。っつーかそもそも優しくする必要が全くない。
mono、恍惚の扉、そうやってバンバン開いていくから。
ただ、耳を完全に灼いてしまう天変地異が如きそのノイズの劫火は、出演順を考えると少し不親切だなぁとは思うけれど。
だって何も聞こえなくなるじゃん、耳鳴りだけになるじゃん、終わったら。
と言っても目の前で鬼気迫る演奏が繰り広げられ、毛という毛が逆立つ轟音に溺れている時はそんな世迷い言が頭を掠める余地すらなく、ただただ圧倒されるだけ。
ラストは"Halcyon"ではなく"Moonlight"で、まるおが初めて聴いたmonoの曲という思い入れの深さもあって、特別心地良かった。
演奏が終わって、笑顔のメンバーがはけて、セットチェンジに入った頃、耳に残っているのは矢張り耳鳴り。
envyちゃんと聴けんのか、ってずっと不安だった。

■envy
という心配も結局は杞憂だったようで、轟音による止まない耳鳴りには更なる轟音で迎え轟音してやると良いらしいということが判明。
マキアージュのCMでお馴染みの"Futher Ahead of Warp"で始まったのだけれど、全くクリア、どころかいつもは埋もれているように感じるウィスパー部分もこれまで観た中では最もキレイに分離されて聴こえる始末。(これはPAの技術と自分の立っていた位置の関係もあるのだろうけれど。)
実はまるおアラバキでもenvyを観ていて、僅か一ヶ月のスパンでの再見だった彼ら。
アラバキに参加した時点でこのイベントのチケットは購入していたので、わざわざ仙台で観る必要もないだろうとは思いつつ体を揺らしていたのだけれど、お陰で少し、思うところも出てきた。
今回のライブの中盤、東北での震災を受けて急遽レコーディングした配信限定の"As Serenity Calls Your Name"を演奏する際に挿んだMC。
「東北で地震があって、沢山の人が流されちゃったり死んじゃったりして、俺達に何か出来ないかってことで色んな人に協力してもらって作った曲です。購入して貰えれば売り上げは全て被災地に送られるので、また是非買って下さい。」
何かもう、「流されちゃった」とか言い方がすげえぶっきらぼうで、もっと上手いこと取り繕った言い回しもあるだろうとは思うのだけれど、この言葉、一ヶ月前の仙台でも同じタイミングで同じようにぶっきらぼうに観客に投げていて、ああ、これがぶっきらぼうな彼らのどうしようもなく不器用なやり方なんだ、って。
全国・全世界の様々な土地でライブを繰り返して、そのどの会場でもどうしようもなくぶっきらぼうな言葉で愚直に曲の意図を伝え続け、演奏し続けること、それがお金も人気も余る程にはない彼らが出来る、最大限の支援なんだ、って。
本当、スマートじゃないよねぇ。
すげえ、アナログで。
でも、強固だなあ、と。
顔と顔を突き合わせた状態でそんなことを言われると、言葉の巧い人間がインターネットや電波に乗せて語りかける素晴らしい理念なんかよりも、よっぽどきちんと丹田に響いてくる。
案の定と言うべきか、実際まるおも仙台から帰ってすぐに買っちゃってるしね、"As Serenity Calls Your Name"。
そんで勝手に一人で盛り上がってたからね。
信じられない数のライブをこなしてきた彼らだからこそ差し伸べられる無骨な手だと思う。
"Go Mad and Mark","A Warm Room"という揺るぎない構成でライブを終えて去ってゆくオッサン達の背中は不器用だけれど、やっぱり格好良かった。
しかしenvyは外人人気がダントツやな。
いつ観ても青い目のノッポが10人くらい来とる。


というわけで各バンドのフルセットのライブを堪能した花の金曜日。
バイトも休んでたから久々に楽しかった。
京大の妙にコミュ力の高い兄ちゃんに捕まったり、名古屋から来ていた大学生と微妙に仲良くなったり、思ってみれば本当に久々に外に開いた気がするな。

あ、そんで京大の西部講堂、すごく良かったよ。
すげえボロい木造建屋なのだけれど、どこに座っていても注意されなかったから。
アラバキでは乗りたいところに乗って立ったり座ったりしていたらスタッフに注意されまくって精神的に落ち込んだけれど、ちょっと高いところだったり空いてるスペースだったりは有効に活用せねばならんからね、やっぱり。
楽しかった上に、ラクだった。

borisはCD買ってみる!
monoは新譜楽しみ!
envyは次はいつかな!

しかし、寒いねぇ。
だから、踊るねぇ、心。

maruo44 at 02:25コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年09月10日

8月に、白浜に行ったんですよ。そう、所謂、海。
「まるお」という単語から聯想するには余りに清冽で、余りに鮮烈なサマーワードだけれど、行ってしまったのだから仕方がない。
そもそも外に出ない、という最強のUVカットを施したまるおの真っ白な柔肌を、此処ぞとばかりに焼かんと猛る太陽の下、そもそもの肉の無さ故に半ば必然的に体脂肪率が一桁を記録するタイトなバディでビーチを闊歩。
お陰様で浜辺の話題を独り占めにしたりするようなことは特になかったけれど、個人的には「どこから湧いて出た」と思わずガクブルウィスパーした、虎や龍の絵をお背負いになられた屈強なこんがり系ガイズの半端なく満遍のない分布に戦々恐々としていました。
「触らぬヤクザに祟りなし。」
最早まるおにとっての戦場と化していた白浜の海から五体満足で帰る為にまるおが急いで拵えた座右の銘だけれど、今の今まで座右の銘にしたことを忘れてました。
もう秋だし必要もないから、欲しい人がいなければブックオフかリサイクルショップに売ってきます。
ただ、折角ですし必要な方がいれば無料で譲渡しようとも思うので、思うところある方はお知り合い等にも一応、訊いてみて下さい。【RT希望】


という冗談は扨置き、まるおがこの話をする本当の目的、それは決して夏のえせリア充自慢ではなくて、この旅行で起きた不思議な出来事に対する、面白おかしい解釈。
それをつらつらダラダラと書いてみたいと思ったから。
夏休みでどうしようもなく時間が有り余っているのなら、ほんの少しの暇潰しにはなるだろうから、まあ読んでいくといいよ。
因みにリトウィートは別にしなくてもいいです。


8月某日。
地元の同級生5人で、メンバーNの駆るVOXYに乗って意気揚々と訪れた白浜。
日程と「一泊の泊まりがけ旅行」という大き過ぎる前提が採択されていながら、それぞれの圧倒的段取りの悪さと他人任せな性格から、気付けばまともな宿を確保出来ない時期になっており、その不安から眠れぬ夜をいくつもやり過ごしていた出発直前、メンバーの社会人Hが発した「俺の会社の社長が、会員制高級ホテルの一室を取ってくれることになりました。お値段、お一人様3,000円になります(ニカッ」というメールによって、一転して極楽浄土にGo Go Summer!なハイモチベーションになっていた一行のテンションは、天井を知らず上昇する。
「持つべきものは、友達と社長やな!今夜は呑むで!デハハハハハハ!」

帰り道の心配なく海を遊び倒したまるお達は、ベンツに代表される高級車ばかりが並ぶ(というか高級車しかない)ホテルの駐車場に車を停め、チェックインを済ませると修学旅行をやり直すかのように5人の部屋を楽しみ、出かけ、食事を採り、夜の海辺に繰り出すと、またホテルに戻り、大浴場でバシバシの頭髪や体を洗い、ぐんでりと部屋へなだれ込んだ。
積もる話もたいして無いのだけれど、お酒やコークを引っ張り出して、別に地元でも出来るような何の中身もない話に花を咲かせること小一時間。
気付くと「今夜は眠らずにジェントルメントーク」の心づもりをしていたはずの運転手Nと寺生まれのTが眠りこけていた。
Nに関しては長時間の運転があったので仕方がない面もあるけれど、ただ乗っかって遊ぶだけだったTが前日楽しみ過ぎて一睡も出来なかったまるおより早く落ちたことに憤りを隠せなかったので様々な手法でフィジカル面からもメンタル面からも強めに揺すってみるも、起きる気配は無し。
仕方なく残されたHと阿部寛似のYの3人で、何の取り留めもない話をグダグダと深夜まで続け、最終的にはそれぞれがそれぞれのタイミングで眠りに落ちた。

翌朝。
周りが起床し始めた頃に目が覚め、それぞれが眠たい目を擦っている中、洗面所へフラフラと入ったまるお。
流石に高級なホテルだけあって、水回りの設備はトイレとシャワールームがそれぞれ十分な広さを確保した洗面所に扉を隔てて独立して設置されている。
鏡の正面に立つと、左手の扉がトイレ、背後の扉がシャワールームで、右手は洗面所の入り口の扉、という具合。
おもむろに椅子に腰掛けて惚けたまま歯を磨いていると、左の扉の向こう、つまりトイレから音が聞こえた。
ガタン、カラカラカラカラ。
便座の音、トイレットペーパーを手に取る音。
「うわぁ、誰か先に入ってたんか。そんでこれウンコしとるやろ。扉開けたら臭いがムワァ、とかイヤやなぁ。」
未だ未だ微睡みから抜け出せない、コーヒーに牛乳が溶けていくような柔らかく緩い思考。
すると、ふと右側に眠たげな表情のNが現れる。
「むぉー、まるお、ちょっとトイレ使うわー。」
「おーう。(あ、でも今誰か先に入って…)」
思うが早いか、扉を開けるN。
"―ガチャ"
誰も入っていないトイレ。
Nによって後ろ手に閉められる扉の隙間から見えたのは、三角折りにされたままのトイレットペーパー。
「あれ、まるおの勘違いかな。でも確かに入ってた音がしたんやけどな。ふぁ…まぁええか…。」
これが、最初の痕跡。

それぞれが身嗜みを整えた頃。
チェックアウトまではまだ少し時間がある頃合い。
忘れ物をチェックする。
携帯の充電をチェックする。
少し腰掛ける。
話す。
「もう、NもTも爆睡やもんなぁ。眠らずに話す、とか言うてたのに。」
「ごめんごめん。いやぁでも、本当に眠かったんやって(笑)」
「一番ワケ分からんのはTやけどな(笑)なんで寝てるねん!」
「すまん!(笑)」
「まるお達、かなり遅くまで喋ってたのに」
「あ、そういえば昨日の夜、」
一緒に起きていたYが切り出す。
「俺、もう眠いなぁ、あかんなぁって思った時、何気に人数数えてから布団に入ったんやけど、何故か6人いてん。5人のはずやのに」
「え、え、え。ちょっと、え。その6人目、まるおも今朝感じたよ。いたよ。トイレに。Nが入る前に、確かに人がいる音がしてたんよ。これだけのホテルやから、隣の部屋の音漏れだとかは無いやろうとか思ってたんやけど、誰もおらんくて……え…」
これが、2つ目の痕跡。

"不可思議な一致"がたった一つあったところで、若さと勢いの前ではそれはいかにも無力で、結局は「不思議やなぁ」で処理されてしまい、空気の中に霧消する。
まるお達だって未だ未だ若い部類に入る(と思っている)から、朝の偶然も御多分に洩れず、あっさりと後退してしまって、様々な兼ね合いから昼には帰り始めねばならないという事情が、5人を最後の海に駆り立てていた。
2日間、寧ろ少しは手加減しろと言いたくなるくらいに晴れた空の下、慣れない塩水に浸かり、砂浜に寝そべり続けた琵琶湖淡水ボーイズ。
こういう時に限って時間は有効活用出来ないもので、気付けば時計の針は帰宅のデッドライン付近を彷徨。
「もうこんな時間か。そろそろ滋賀を目指さんとヤバイんと違う?」
「そうやなぁ。もう最後やし、ちょっと誰かに写真撮ってもらおうか。折角カメラ持って来てるんやし。隣のシートのお姉さんにお願いしよう。ぐふふ」
「(なんという積極性…)」
「すいません!写真!撮ってもらっていいですか」
快く承諾してもらい、近付いてくるお姉さん。
それぞれがカメラや携帯を手渡すと、少し不思議そうに、しかし唐突に彼女が尋ねる。
「あれ、5人でいいんですか?」
「え、いや、はい、大丈夫です、お願いします!」
直ぐには感取出来ない、質問の意図。
撮影してもらってから、お礼を言ってから、片付けにかかってから反芻する。
「なんであのお姉さん、あんなこと訊いてきたんやろうな。普通、写真撮るように頼まれて、カメラの個数だとかじゃなく人数をわざわざ確認するか?すげぇナチュラルに、当たり前のように訊いてきたけどさ」
これが、3つ目の、最後の痕跡。


最後の一件以来、すっかりビビってしまったまるお達一行は"6人目"の目に見えないメンバーを恐れ、畏怖し、怒り、諦めて、滋賀に辿り着く旅の終わりまで意識し続けて、カーオーディオの乱れまでが「6人目の仕業」となってしまう始末。
たった、それだけの話。
たったそれだけで大きな被害は無いものの、所謂"霊的"な現象として夏の怪奇体験になりそうなこの件。
しかしまるおはこれを真っ只中で体験している最中に、昔読んだある話に似ていることを思い出して、こう考えてた。
6人目は霊なんかじゃなくて、生身の人間"だった"んじゃないか、って。
何かの切っ掛け、それはそれが切っ掛けだなんて思いもしないような、些細な些細な、例えば呼吸のリズムが或る瞬間偶然一拍だけズレて、そのズレた隙間に小学生の頃からよく馴染んだ"誰か"が潜り込んでしまい、そうしてまるお達5人が彼を"認識出来なくなった"んじゃないのか、って。
認識出来なくなっても彼は存在しているから、彼が世界に及ぼす"影響"は、「居たのかもしれない」という"痕跡"のレベルで感じることが出来る。
しかしその"影響元",痕跡の持ち主が見えない、感じられないから、まるお達は不気味に感じる。
かつて、とてもとても仲が良かった彼の呼吸を。
彼は5人で座るといつも空いていたVOXYの後部座席の左端に座っていたのかもしれないし、ウンコが漏れそうで朝起きてからトイレに駆け込んでいたのかもしれない。
あの夜、遅くまでまるお達と語らって寝落ちしてしまったのかもしれないし、お姉さんに写真を撮ってもらう時に誰かの肩を満面の笑みで抱いていたのかもしれない。
もしかすると、まるお達は大切な友人を無(失)くしてしまったのかもしれない。
彼の、もしかしたら6人の中で誰よりも仲の良かったかもしれない彼の、馴染み深いはずの話し声や笑顔を、まるおはもう、思い出せない。



なぁーんて、ねぇ。
っつーか白浜に憑(付)いてくるなら幽霊でも何でもいいから高速代とかガソリン代とか出せよ、もう!勝手に乗りやがって。

ひっさしぶりに日記書いたよ。

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2011年07月11日

昨日、まるおは先月の末に夭逝した不可思議/wonderboyの、期せずして遺作になってしまった1stアルバム『ラブリー・ラビリンス』を買った。
大津市にある県内唯一のタワーレコードで、たった一枚しか入荷していなかった(そして恐らくそれが最後の入荷であろう)それを、買った。
もうこれで、滋賀県に住む多くの人間がそれを偶然手にとったり、ジャケ買いしてみたりすることはなくなった。
まるおがその可能性を摘んでしまったから。
其れでもう、すっかりお終い。
彼はもう、すっかりお終い。

(だから、生きているべきだったんだ、って安易にまるおは断言する。例えポエトリーリーディングが出来なくなったって、昔CDを一枚出したんだなんて過去の栄光にすがりながらでも、生きているべきだった。)

でも、まるおは買ったから。
だから未だ未だ、まるおは彼の冥福なんか祈らないし、ずっとずっと、この音声データで彼の死を延長し続ける。
死んでも死ぬまでこの円盤の中の青臭い迷宮の中で迷い続ければいい。
件の死は、まるおが死ぬその瞬間に、やっと与えてやる。
遥か大上段から、くれてやる。

全部多分の話。

死はつまり、生きたということ。
誰かにそれを引き受けてもらうこと。
分担してもらうこと。
刻み込んでもらうこと。
生きていることと同じように、誰かの存在無しにはその輪郭すら維持出来ない、全然主体性も自立性もないやつ。
弱っちいやつめ。
背負わされる方の身にもなってみろ、バカちんが、って。ねぇ。

maruo44 at 00:58コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年07月03日

分かった。

全く祈ってもいない"冥福"を、「お祈りします」だなんて一言ですっかり祈ったことにして、たったそれだけで、簡単に「死」に区切りをつけてしまうその軽薄さが、まるおには許せなかった。

「死」は、もっと重く真剣に受け止めなければならないものだって、自分では意識できない心のどこかで思っているから、信じているから、誰の目にも明らかな嘘でそれにサヨナラするのが許せなかった。

忘れるな。生活にその影を落とせ。日々のふとした瞬間にそれを思い出しては悲しむフリをしろって、軽薄な誰しもに強要してたんだ。

って。

やっと。

少しでも、ほんの少しでも長く、憶えていてあげて欲しい。「ご冥福をお祈りします」は、「この瞬間から私は故人を忘れます」という宣言であるような気がして、辛かったんだ、きっと。

【訃報】 不可思議/wonderboy

不可思議/wonderboyが、これからも青臭い言葉ばかりをブログや曲に並べ立て続けていくのだろうと思っていた彼が、嘘か冗談みたいに簡単に逝ってしまって、その青さに妙な親近感を勝手に感じていた分、いつもより死が少しだけ近くに寄ってきて、やっとまた一つ自分を理解出来た気がする。

ちょっと真面目すぎるというか、重すぎる捉え方だと自分でも思う。
けど、覗いてみたら"そう"だったんだから、仕方がないじゃんか、ねぇ。

不可思議/wonderboy / 世界征服やめた

不可思議/wonderboy / 生きる

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2011年06月21日

ありがとうに さようなら
涙飲み干した後笑う
借宿にて顔を洗う すると否応に過ぎて行く時間に敏感に追われてる
We are lonely human being
乳母車に包まり 二人でくたびれるまで
運悪く何かにつまづき やる気なくなり フラれて うんざり 踏んだり蹴ったり
つまり君の事を忘れ続けたり

道は上り下り 無駄に長い唄にはまり 甘い花の色にゆらり揺らぎ
あたらしく輝いて
片時も離さない また来年ここで会おう
山の緑 川の実り 待っているだろうから

ありがとうに さようなら
涙飲み干した後笑う
借宿にて顔を洗う すると否応に過ぎて行く時間に敏感に追われてる
We are lonely human being
乳母車に包まり 二人でくたびれるまで
運悪く何かにつまづき やる気なくなり フラれて うんざり 踏んだり蹴ったり
つまり君の事を忘れ続けたり


志人/玉兎

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2011年06月17日

まるおにはずっと胸に消え残っているしこりがあるのだけれど、と言ってそれは別に第二次性徴の訪れと共に乳首付近で慎ましやかに隆起したあの春の蕾のことではなくて、インサイマイハート、つまりマインド的な意味合いだと言うとるんですよこのド変態。
今からちょっとそれを詳しく述べようと思うので、どうせヒマだろうから黙って読んで下さい。

その昔(いやこの間)、高校3年生の夏に受験勉強から目を逸らしてちょこっとアメリカに旅行に行ったことを、帰国直後からいそいそと日記にして書き散らかしていたのだけれど、途中でのっぴきならない事情により断念したんですよ。
確かそう、飽きたんです。
飽き性という名の不治の病だから仕方のないことなんですが、一つだけ、これだけは書きたいな、というメインディッシュを残したままでのリタイアだったので、ずっと辛かったんです。
既に各所で吹聴したりしているのでまるおに近しい人は知っているとは思うけれど、もう一度言っておきますよ、黙っていやがれこの分からんちんどもが。

ニューヨーク。
アメリカの東部(あたり)三ヶ所を巡った旅の中盤戦、それまでは陽子(母親)のパイプによってメリケンの家庭にホームステイをさせてもらうなどしていたのだけれど、流石にNYに居を構えるジョアジーなどは彼女の交友関係の中にはおらず、ユースホステル(お金のない若者の為の、ただ眠る為だけにある安宿)に宿泊することになったまるお。
その手配を行ってくれたのが実はこれまたニューヨークから少し離れた所に住んでいる母の知り合いの日本人男性で、到着初日、夕方17時頃だったように記憶していますが、数日間NYを案内してくれることになっていた彼は、全ての手続きを終えてこう言いました。
「長距離を移動してきて、今日は疲れているだろう。実は僕も少し予定があって帰らなければならないから、観光は明日からにしよう。危ないから一人で出歩いたりせず、ゆっくり休んで明日に備えておいてね。」

「  な  に  を  言  う  と  る  ん  だ  こ  の  ナ  イ  ス  ガ  イ  は  」

と、「はい!」と答えた満面の笑みの裏側で、まるおは思いました。
思春期の、様々持て余した、ティーンの、男子が、まだ日も高い、眠らぬ街で、何もせず、ただ黙って、タコ部屋にいろ、と。
初等教育を終えていれば容易に想像することが出来ます。
そんなことは犬の首に揖保の糸を巻きつけて「脱走したらぶち殺す」と宣言するような、理不尽極まりないヤクザ文句でしかないことを。
彼、去る、まるお、出る。
の極めてクール且つタイトな四拍子で、まるおはニューヨークの風になりました。

「スターバックス…」
「マヂソンスクエアガードン…」
「ブックオフ…(!?)」
「小汚い露店…」
「地下鉄…」
「スパイダーマン…」
「コンビニ……」
「タイムズスクエア…」
初めて嗅ぐ匂い、初めて見る形、初めて聞く音、初めて触れる空気。
あの時見た景色の全てを、まるおは生涯忘れることはないだろう。
とか帰国直後は割とおセンチな感じで思っていましたが、正直言ってもうあんまり覚えていないです。
飛び込んでくるだけの受動的な思い出なんて得てしてそんなもので、そういった類いの物事に必死でシャッターを切ってなんとか覚えているふりをしようとする輩も世の中には多いそうですが、まるおは日の本に生まれ落ちた男児なので、潔く忘れました。
そしてそこに何の未練もありません。(\男前や!/)
トイザらスが店内中央をぶち抜いてビル4階程度の高さの屋内観覧車を設置していたことは大層驚いたので覚えていますが、取り敢えず、「NYは何かマジやべぇ街だった」という若さに満ち満ちた一言で、何も説明しないままに街の外観の説明を終わりたいと思います。

まるおが歩いたのは、この街。

まるおは歩きました。
まるでわが町であるかのように、故郷ハポンより持ち込みし黄金糖を詰め込んだウェストポゥチをハイペースでまさぐりながら、風のようなステップで未知の箱庭を縦横無尽に闊歩したのです。
「NY、いや、アメリカ、こんなもんか。」(ペロペロ)
とあるお店にベビーカーを押したお母さんと4歳くらいの男の子が入ろうとしているのが見えました。
我先に、母より先にと、駆け出す男児。
ドヤ顔でチラチラと背後の母親を窺いながら走っていた彼は、しかしその前方への不注意から、引き戸だったお店のドアの取っ手に頭を打ち付けてしまい、その場で泣き喚き始めました。
「ドアが、ドアが僕を殴った!このドアめ!このやろう!このドアめ!」
介抱しようとする素振りすら見せず、その様子を見て大笑いする母親。
呼吸するように訴訟する国・アメリカが生んだエリート訴訟モンスター誕生の瞬間を、まるおは見たのかもしれない。

まるおは歩きました。
マディソンスクウェアガーデンあたりを舐め回すかの如く執拗にうろつき、散々うろついた挙句、また更にうろつき倒しました。
Jay-Zに会えるかもしれん、という大変にミーハーな、たったそれだけの理由で。
「何かの曲の歌詞で"ンメディソンスクェー"とか得意げに言うとったがな、確か。これはおるかも知らんぞ、メーン。ネイティブ有名人、カマナッ!」
みなまで言うな、まるおが言う。
そう、当時のまるおは若くて、そして、どうしようもなく馬鹿でした。
散策中、やたらグルーヴィーな黒人に突然話しかけられたので訳も分からず「東京から来たんぞ!首都ぞ!」って吹っかけたら「東京にダチがいるから俺とお前はマイメン。この瞬間からホーミー。だからおい、俺のCDを買え。モノホンのヒップホップが、ここにある。」「……(疑いの目)」「10ドルでどや!」「………」「5ドルや!」「アイハヴ、ノー、マニー(、メーン)」「オーライ、じゃあ3ドルのご奉仕価格!」「…コンプリートリィ」「……オゥフ…バイ…」というやり取りもあったのですが、ガチンコなアレには結局会えず。
しかし、異国の地でフラリフラリと単独行動している時に訛りまくった英語の黒人男性に突撃されたあの瞬間は、流石に色々と覚悟して妙な情動に襲われました。
祖国に残して来た堀北真希のこととか、真っ先に思い出したりして、ねー。

まるおは歩きました。
だってそうでしょう、どこに目的地から目的地までィエロゥキャブを引っ掛けて移動出来るお金があったっていうんですか。
恨みつらみ、懐の貧しさや将来のぼんやりとした不安まで一緒くたにして、まるおは夢中で歩き散らかしました。
「ニューヨーク、このままお前の雨で、まるおの全てを洗い去ってくれ。」(当日快晴)
そうしてどれくらいか歩き、眠たげに頭を垂れ始めた太陽に促されるままに、不眠症の街が月まで照らしそうな灯りを夜に投げ始めた頃、まるおはすっかりMAIGO☆STARDUSTになっていました。そう、迷子。
面白そうなものから面白そうなものへと夢中で飛び歩いているうちに、完全に帰り道を忘れてしまっていたのです。
小学生の頃に京都で迷子になった時も今後の人格形成になんらかの悪影響を及ぼすのではないかというくらいに焦ったけれど、あの時アメリカで、「まるお今、迷子だ」と静かに理解した時の絶望に比べれば、何ということはありません。
(((「危ないから一人で出歩いたりせず、ゆっくり休んで明日に備えておいてね。」)))
今頃になってやっと正しく響きだすあの言葉。
「なんでもっと語気鋭く念を押さへんかったんや。こうなることが分かってたらまるおかて一人で外出せぇへんわ…。大体、この歳で迷"子"って、どないやねん…。」
ふと目に入った時計が無機質に指し示すのは、22時を20分も過ぎた頃合い。
輝きだす怪しく淫靡なネオン(扇情的な女性のペイントが悩ましい)、何処からか聞こえる成人男性の笑い声(まるおを嘲笑っている気がする)、シトリシトリと一歩踏み出す度に腹の底に堆積していく絶望の音(空腹なぞ一切感じない)、そう、ここは銃社会、ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ。
「ガチンコでこれ、家族に不幸なお知らせが届くような事態に発展するんと違うんか。」

それでも、まるおは歩きました。
ブロックだとか格好の良い言い方をするけれど、まるおには街の見分けを困難にするだけの著しく意匠を欠いた怠慢都市デザインでしかありません。
だって、同じ景色を五度見るなんて、正気の沙汰じゃないでしょう。
今だから言えるけれど、当時17歳、何の修辞でも誇張でもなく、まるお少し泣きました。
だって、ただ分かっていたのは、自分が宿泊するホステルの名前だけー。
そんな日も途方も暮れきったNYで、しかしまるおは柔らかな希望を見たのです。
ポリスメン with パトカー。
普段は遅々として回らないまるおの頭も、この時ばかりは大車輪の回転力で青写真のシャッターを切りました。
深夜23時、不安で全身を強張らせた、満足に英語も喋れない、幸の薄そうなエイジアンボーイが、涙目でホステルの名前を連呼。
もしまるおが警官の立場であったなら、場所を教えてやるどころかあまりに哀れでパトカーに乗せてホステルまで送り届けてやってしまうね。
「この道を真っ直ぐ行け。分かったらさっさと離れろ。邪魔だ。」
なんだこのアメ公、訴訟も辞さんぞコノヤロウ。
法廷でイッツビーナロングタイムしたいのかクズめ。
汚職にまみれた貴様をドン底にまで突き落とすことなど造作もないこと。
今なら謝っても許す、否、今謝らねば末代まで呪い続ける。
これら罵詈雑言は持ち前の強い自制心から決して口に出すことはありませんでしたが、いつかアメリカに戻ってあの腐ったコップもろともNYPDを潰すという誓いを夜道で一人ひっそりと立てたことを、ここに告白しておきます。
ただ、言われた通りに道を進んだ結果、無事にホステルに着いてしまったことでその決意は激しく揺らいでしまったのだけれど。
あいつにも多分、愛する家族や、自分の為に泣いてくれる大切な人が、いるもんな。

0時13分。
それが今でも鮮明に覚えている、まるおがフラフラになってホステルに到着した時間。

翌日、街を案内する為に迎えに来てくれた母の友人に事のあらましを説明すると、大層怒られ、大層安心されました。
「なんてことをしたんだ。ほんの10年やそこら以前のニューヨークだったら、間違いなく何かしらの犯罪に巻き込まれていたんだよ。今回だって、何も無かったのはほんの少し幸運だっただけだ。此処にいる間の君は僕が預かっているのだから、頼むからやんちゃするのは止めてくれ。」
とても申し訳なく思ったけれど、でも、ほんの僅かだった滞在の中で、こうして何年も経った今でもちゃんと思い出せるのはやっぱりこういった"自分で歩いた"体験だけだから、きっとこれからもまるおは不用心に迷い続けると思う。
京都でも迷ったりするくらいだから、恐らく本当にいつかどこかで洒落にならないことになったりするだろうけれど、それはそれでまぁ、きっと面白いと思うから。
いつだって、少しだけ泣きながらでも、迷ってるくらいが多分丁度良い。



ああ、やっと書けた。
ずっと書こう書こうと思っていたから、とてもスッキリした。
ついこの間のことなのに、もう殆ど出来事を覚えていない自分に改めて驚きます。
でも、本当に覚えていたかったのは当時からこれだけだったような気もする。
機械の中に放り込まないと忘れてしまうようなことを、何とか覚えていようとするなんて、ちょっとまるおには面倒臭い。
大切なことは、きっと忘れても大切なまま残っているから。
そもそもまるおは怠け者で、努力が苦手なんですよ。


余談で、この時学んだことがもう一つ。
それは、例え道に迷ったり野宿する羽目になったとしても、大抵のことは何とかなるだろう、という根拠のない自信は、日本国内に限った話で、一歩言葉の通じない外国に出てみると、自分という存在と自信は極限まで縮んでしまうもので、母国をフラリフラリと歩いて余裕を持てるのは、言語に拠るところが大きいのだなということ。
言語の支えが無くなってしまえば、きっとすごく脆い。
アイデンティティのいくらかが言語に依拠しているなんて、当時は新鮮な驚きでした。


アメリカ、終わり。
しこりに、さよなら。

maruo44 at 22:05コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年06月12日

行ってきた。
正直にお話しすると、まるおの目当ては前座として招かれていたHaruka Nakamuraの方で、オマケで小瀬村さんまで観れる、くらいの気概で臨んだ今回の京都公演。
なのだけれど、普通に開演に遅れました。
一駅過ぎたところでチケットを忘れたことに気が付いて家に取りに帰っていたら大幅に時間をロスしてしまい、しかも途中でチケット無くても受付で名前を言えば大丈夫だったことにも気付いて、どんより落ち込みながら京都教育文化センター。
2曲で終わりました。
繰り返します。
ハルカさん、2曲、しかも先の曲は途中入場で半分強くらい、「次で最後の曲です」で演奏された"call"を聴いて、終わりました。
普通、コンサートなるものに訪れて得るのとは全く出処が異なる感情で落涙しそうになりました。
でもよく考えてみれば彼は前座なので、15分遅れでも致命的なのは当たり前ですよね。
時間に対する認識が少し甘かったです。いつもですけど。

ただ、そのような短い時間でも、これは個人的嗜好も多分に関わっているのだけれど、まるおは真打ちの小瀬村さんよりも素晴らしいステージだったと思います。

タイプとして、小瀬村さんはそれこそアルバム内の殆どの曲がシングルで切ってしまえそうなくらい扇情的なメロディを備えているけれど、彼の場合はその意味合いでの程度は甚だしく低い(ように思う)。
そしてきっとそれは、彼が"反復"を肯定しているから。
どんなに嬉しいことや悲しいことがあったとしても、それでも淡々と続いていく平熱の日々、ただ繰り返されていく生活を慈しむからこそ、訪れる感情の波を奏でられたり零れ落ちてしまいそうな瞬間が残響になるんじゃないか、って。
ちょっと退屈なくらい一貫した演奏中の映像も、ブレることなくずっと暮れ行く夕景を映していて、心地良かった。
そんな反復のグラデーションを描くからこそ、まさにそのような作品であった2ndの『Twilight』は、曲を曲として区切る必要がなかったように思う。
52分11秒を、1トラックで良かったんじゃないか、って。
うん、良い具合に暴論だな。

編成は、バイオリン+ドラム+ピアノ。
やっぱり、彼をもっと観たかったなと思う。ド派手に遅刻しておいてこんなことを言うのはアレだけれど。
公演が終わった後に物販コーナーにいたHarukaさんに、「"call"が入ったコンピレーションは置いてないんですか?」と訊いたら、「あぁ、ごめんなさい。ここには置いてないです。タワーレコードで買って下さい(笑)」って。
そんなことより、『MELODICA』はいつ頃発売になりますか、とか訊けばよかったなと今更ながら後悔。

さて本当は本命の小瀬村晶さん。
"Piano Concert"ということでピアノたった一台と彼だけのステージ。(バックにVJによる映像)
どうでもいいことだけれど、初めて見た彼の印象は「この人、割ともちゃもちゃ喋る人だなぁ」(悪い意味ではなく)でした。

opening
fleur
faire(不安)
april
noel
marriage
nocturne
moon
ralmes
fragile
lete
light dance
新曲

en)
revive
???(with haruka nakamura & drum)

ハルカさんほど個人的な思い入れは無いんですが、出来事だけだと「6月ということで演奏した"marriage"は、今日結婚する友人が結婚式で使ってくれているそうです」、「"nocturne"は実はAとBを繰り返しているだけなのでエンドレスで演奏出来ます。なのでその日の気分によって長さが変わるんです」、「"ralmes"は「涙」という意味なのだけれど、メロディが段々と落ちていくような構成になっているから涙みたいだね、というVJの意見を採り入れてこの曲名にしました」、「"ralmes",
"fragile","lete","light dance"の胆力の要る長い曲(笑)の流れは、最近のライブではずっと変えていません」なんてMCをしていました。
曲に関係ないところだと、「実は右足の小指を骨折している上に恐ろしく体調が悪かったのだけれど、京都入りしてから何故か急に復活しました」、「朝まで雨が降っていたみたいですけど、晴れて良かったです。僕はライブの日に雨が多いんですけど、ハルカくんは晴れ男でライブの日に雨に降られたことがないらしいです。今日もハルカくんの力ですかね」だとか。
ちょっと驚いたのは、この手のコンサートに初めて参加したので、「アンコールとか、どうするんだろう」という疑問を抱えていたのだけれど、実際に行われたそれが「最後の曲が終わってステージからアーティストが捌けた後に無言でちょっとリズムを変えた拍手をカマす」、というやり方だったことです。
そりゃまぁあの雰囲気で「アンコール!アンコール!」とか「ワンモアソンッ!ワンモアソンッ!」なんて言う方がおかしいですよね。

一点、素晴らしかったのは、"fragile"の時の映像。
透けているのか、元々その色なのかは分からないのだけれど、青いカーテンのような布地が風に吹かれて時折めくれ上がり、そのめくれた先に、雲も太陽もない、けれど本当に眩しい抜けるような青空が広がっている、という、ただそれだけの、たったそれだけのことが、途轍もなく綺麗で、圧倒されました。
他の曲の大半がアニメーションライクな映像だっただけに、暫くは忘れられそうにありません。
全部が全部良かった、だなんて言えはしないけれど、こういった瞬間があるだけで、行って良かったと思えます。

「折角彼も来てくれているから」とピアノ+キーボード+ドラムという共演形式で始まったアンコールのラスト曲、なんていったかなぁ。

maruo44 at 03:39コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年05月22日

豪で奇抜写真の投稿ブーム過熱 死者、逮捕者も
http://www.cnn.co.jp/fringe/30002769.html

また頗る感覚的なことを語弊を恐れながら言うけれど、こういうのってまるお、「選ばれた」のだと思う。
と言ってそれは別に選任官のような誰かが「はい、お前、当選」なんて言うことで決まるような明確なものではなくて、言葉で説明するのは難しいのだけれど、「ある事象が総体として成立する為に欠かせない因子の一つとして、それ自体が蓋然的に要求した結果」という、約一時間かけて考えておきながら最終的には何とか伝われば良いのにと無責任に祈らずにはいられないもの、として。

つまり、誰かが誰かを選ぶのではなく、何かが誰かを選ぶ、ということ。

例えば、子供達の小さな悪戯。
皆で同じように悪いことをしていたのに、一人だけ引っ捕まってしまうようなドジな子が必ず(まるおの経験では)居た。
そんな彼や彼女は、間抜けであったからなのではなくて、その悪戯の"要求"に偶然選ばれてしまったからこそ、涙目でお尻を叩かれる羽目になったのだと、まるおは何の根拠もなく信じてる。
また、どうしようもなく、そう感じてる。

書いていて途轍もない電波発言だなとは思うけれど、この「プランキング」によって生まれた死者も、その行為に選ばれたが故に、ただそれだけの為に、偶然死んでしまった。
だから極端な話、亡くなってしまった彼に責任は、無い。
まるおは本気でそう思ってる。
最近の暑さで頭をやられてしまったわけではなくて、きっと四年くらい以前のまるおに訊いたとしても、ほぼ同じ血迷った要旨を告げるだろうと思う。
もう、どうしようもなく、染み付いてる。

ある事象に関して、それがそれである限りは産出しなければならない全体の犠牲として、加担している誰かが選ばれる。
時にそれはスパンキングされた痛みとして臀部をヒリつかせるだろうし、或いは時にそれは死すらも招く。
そして多くの場合、ある誰かの犠牲によって捨象されたその事象の他の加担者は、それによって安堵と安心(或いは安全)を得る。
そのようにして人は生きている限り誰しも"犠牲"となり得るリスクをお互いに負い合いながら、必死で何かを支えようとする。
例えその"何か"に殺されようとも。

時々、まるおも「あぁ、選ばれちゃったな」と感じる瞬間がある。
幸運なことに、現在までは何とか身の丈にあったスケールで、だけれど。
しかし、だからこそ想像出来るのは、このケースのように"死"に名指しされた時、恐らくその今際の際に「なんだああ、選ばれちゃったか」なんて思念しながら事切れるであろうこと。
極めて嘘くさい恐ろしいほどのリアリティで、それがシュミレート出来る。



やっぱり頭の中が(芥子の)お花畑みたいに見えるな、今日の日記は。
特にこれといった悩みもないし、最近のまるおは幸せです。
そういえばこの間、割と遅い時間に栗東駅でめちゃんこ美しいショートカットの女の人を見かけて、これ地元同じだったら絶対に同じデパートで買物とかしてるじゃん、すげぇ、生活の基盤が一部同じとかやべぇ、なんて思って存外大きな幸福感に包まれました。
こんな法螺が口を衝いて出てくるくらいには、ねぇ、まるお、幸せそうでしょう。

maruo44 at 20:01コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年05月08日

「ヒトの頭蓋骨を見る度に、神様はユーモアのセンスに溢れてると思う。だってさ、どう見ても笑ってるだろ、アレ。しかも『カカカ』って感じの、人を小馬鹿にしたような笑い方で。」
「うん。」
「そう考えると、真剣な表情で難しい話をしている人間も、仏頂面で偉そうに腕を組んでる人間も、そのいくらかの怠惰な肉と皮の下では静かにふざけ倒してるんだなぁと思えて、みんなみんな可笑しくなってくる。」
「はい。」
「性別も人種も国籍も、沢山のそれら線引きを文字通り嘲笑うように越えて、ヒトにはどうしようもないところで漏れなく全員がけたけた笑ってるんだから、もうこれは流石と言うほかない、スケールの大き過ぎるユーモアだよ。」
「はぁ。」
という会話と呼ぶにはあまりに一方的な演説をジャパニーズ・セガールこと竹内力さんにカマされたのだけれど、「あぁこの人伊達に金貸ししてないな」と思っていたく感心していたら背後からデーブス・ペクターが現れて、コアリズムの軽快なステップに体を揺らしながら「詭弁ですよ、きべーん!」だなんて宣いやがるもんで、積極的な攻撃参加が持ち味のまるおは怒りに身を任せてペクターの秘孔を突きまくって死に至らしめたわけです。
「あべし」の間もなく転がる、かつてペクターだった何か。
しかし、それでも興奮醒めやらぬまるおはどうにかしてRIKIさんを侮辱した小粋なペクターを辱めてやろうと、ウンコを拭く方の手でヤツの頬にそっと触れてやりました。
したらRIKIが、竹内力が、何故かブチギレ。
そして始まる叱責。
最初はそれでも言葉を選んで諭すように声を張り上げていたのだけれど、段々とヒートアップしてきた中盤からはちょっと親兄弟には聞かせられないような汚い言葉で身体的特徴のdisや人格の否定にまで足を踏み入れてきて、流石にまるおも多感な時期でもあるし、ちょいちょい「それはアカン」という個人的なサンクチャーリを侵すような言葉もあったので、一閃。
そして慟哭。
"我等友情永久不滅"とかお互いの上靴に書いてしまうくらいには分厚かった信頼関係のあまりに刹那的な崩壊に、流兄ちゃんに裏切られた潮の気持ちを頭ではなく体、否、ハートで理解しました。(何を言っているのかよく分からないという輩は今すぐ『ワンピース』を破り捨てて熱血少年漫画家であらせられる藤田和日郎先生の著作『うしおととら』を読破し、きちんとリテラシーを養うよう努めて下さい。)
しかしその直後、そっとRIKIを抱き上げてさめざめと泣いていると、「やばい、今日、月曜日だ」という曜日観念が突如浮上してきて、「エッセイもプレゼンも、何の用意も出来てない!やばい!土日にするはずだったのに!土日がなかったから無理じゃんか!不公平だ!出来るはずがない!はあー!?ちょ、え、もー!!」というパニックに陥り、竹内力を無造作に投げ捨ててリュックを引っ張り出すまるお。
幼い頃によく襲われていた、どこか性的興奮にも似た下腹部あたりで渦巻く不安と焦燥の種に追い立てられて、絶望の塩梅を確認しようとするも、現実の直視が高校に入ったあたりから急激に苦手になっていた所為もあり、震えながら断念。
「世の中が悪い。土日をスキップした世の中が悪い。だからまるおは悪くない。」
メンタルの弱さが高じて身についた、常に誰かと何かの責任にしようとする責任転嫁黒魔術の最上位魔法"責任我不在,在取巻環境也"を詠唱することで心のバランスを保ち、事なきを得ました。(一部の心ない人は、これを単なる「逃避」と呼ぶでしょうが、そんな他人の心の痛みが分からない輩は俄かには信じ難い速度で亡くなると良いでしょう。)
しかし、それでも現実という名のモンスターは常に残酷で、いつの間にか乗り込んだバスは大学に向かって着々と真夜中の京都を駆け抜けてゆきます。
窓にぴったりと張り付いた、シゲル・マツザキ色の景色。
その中に点々と通り過ぎてゆく街の灯りの一つ一つが、どうしようもなくそこに息衝く"人"の生活をまるおに思い起こさせる。
食べて、飲んで、笑って、泣いて、悩んで、闘って、妬んで、観て、寝坊して、ネットして、怒られて、喜んで、話して、戯れて、働いて、吐いて、聴いて、交錯して、選んで、気付いて、走って、愛して、読んで、負けて、勉強して、やめて、買って、非難して、達成して、絶望して、空気を読んで、排便して、優しくなって、憤って、諦めて、歌って、おどけて、悲しんで、繋がって、軽蔑して、生活している。
「豊かな暮らしは高橋開発!人の思いが大切なんだ!カタチにするぜみんなの理想!街と住まいの高橋開発!」
かつてシゲルが笑顔で歌った、割とキャッチーなメロディが頭の中でリフレインする。
ふと目を向けると、交差点で京都のヤンキータクシーが無愛想に歩行者を急かしている。
面の皮の下では、ムカつくくらい陽気に笑いながら。
シゲルも、RIKIも、ペクターも、あの運転手や歩行者、傍観を決め込むまるおだって、どんなに深刻そうな顔を作って"振って"みたところで、みんなどうしようもなくニヤついてる。
多分、もうすぐ夜が明けて、8時55分には大学に着く。
何度見直しても、課題はやっぱり出来ていない。
こういう時はもう、神様のご意向に従って、頭蓋骨の言うがままに笑っておくべきだと、まるおは悟った。
だってもう、抗い難く、人はそう出来ているから。
おぼろげな朝日の隙間を抜けて、声の低いアナウンスが終着点の到着を予告する。
「ん?でもこのあまりに着色料っぽい現実感を伴った感じ、待てよ…」





という夢を今朝見ました。
心の底から夢で良かった、と思える類いの夢です。
素晴らしく質(たち)が悪く、恐ろしい。あとデーブ・スペクターが憎い。
しかし最も恐ろしいのは、明日のプレゼンとエッセイがガチンコでほぼ白紙状態だということ。
そして剰え、こんな日記に貴重な時間を割いてしまっているということ。
支離滅裂な夢の文法の中で慌てふためいていた方がきっと幸せだったと思う。
いくら焦っても、結局は夢だから。

夢じゃないかな、この日記も。
まるおは構わん、それでも一向に構わんよ。
むしろ夢であって欲しい。

maruo44 at 23:04コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年04月17日

つまるところ、子供だったんだな、と。
今まで、災害だとかが起こった時に歌い出したりするミュージシャン(例えばここではミュージシャンとしておくけれど)達のその行動に、まるおはとても憤っていた。
「暖かい部屋の中で録られた、そんなたったいくつかの音や声の重なりに、『助けになれば』なんて言葉を控え目に添えたところで、誰一人も救えるはずないじゃないか」って。
本当、子供みたいに、癇癪みたいに、駄々を捏ねてた。

まるおには妹が二人いて、小さい頃は彼女らが大嫌いだった。
親戚が家にやって来れば、衣服や人形を与えられるのは彼女たちばかりで、まるおは何も貰えず、少し流行に遅れたよく手に馴染む玩具を部屋の隅で弄くっていた。
恨めしかった。
まるおも、嘗ては同じように与えらていたのだろうけれど、それでも、自分にだけ与えられないことが恨めしかった。
けれど、それを言葉にする勇気はなかった。
言葉にすることは何か卑しいこと、いけないことのようで、ただただまるおは背中でその団欒に殴りかかっていたのだけれど、そうして伝わることなんて何も、やっぱり何もありはしなくて、気付けばもう今日。

きっと、何の折り合いをつけることなく、あの頃のまま、まるおはまるおで、だから、怒ってた。
救われる人はきっといる。
微塵も理解出来ない他者という存在を、人生経験に比例して恐ろしく短い自分(救われるなんて経験を全くしたことがない自分)の物差しで強引に測ろうとして、「こんなことで救われるはずがない」「そうして救われるものがあるとするなら、それはミュージシャン自身の自尊心と満足感だけだ」なんて考えていたけれど、きっとそのミュージシャンに目を見て奏でてもらうことで本当に救われる微塵も理解出来ない誰かがいる。
世の中にはまるお以外の人間が大勢、どころかまるお以外の人間しか存在していないのだから、いる。
今になってやっと頭で理解できたそれを、心のどこかではずっと分かっていて、だからこそ、あの頃みたいに、自分が貰えないそれを貰っていることが恨めしいから、怒ってた。
あの頃みたいに、いくら押し黙って子供じみた憤りを訴えかけてみても、何も変わらないから怒ってた。
でも、十数年来の付き合いの自分の内側にちゃんと向き合ってみたら、いつまでも猛威をフルスイングしていた憤りの"中の人"は、見つかった途端に借りて来た猫みたいに大人しくなってしまって、呆気なくまるおに取って食われてしまった。
恐ろしいくらい、あっさりと。

世の中には沢山の人がいて、いつまでも子供だった、なんて、たったそれだけ。
好き放題暴れていた怪物の、なんと情けなくちっぽけなことか、って。

maruo44 at 23:56コメント(1)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年02月26日

kashiwa daisuke / coto
この曲、夏とかすげー終わりそうで、好き。え、これからじゃないの、ってところでバスンと終わってしまうあたり、きっと、終わらせにかかってる。


夏が終わる頃は何故かいつも季節に「置き去りにされる」って被害者目線の感覚で都合良く感傷に(それはもうふやけるまで)ひたっていたけれど、よくよく考えてみれば一通り思いを馳せた後は「また来年の今頃に」なんて毎日の予定が真っ白な小学生が交わす放課後の約束くらいの軽さでさっさと秋服を引っ張り出して夏を置き去りにしてゆく自分の方こそが加害者なんじゃないか、とか、ちょっと思う。

で、って言う。


まるおは、出来るだけ埋め尽くしておきたい。
空白だとか隙間だとかがちょっと生理的に苦手で、マークシートなんて本当は丁寧に丁寧に自分の思うように塗り潰したい。(分からない問題を飛ばして次の問題に進むとかそういうアレは恐らく五回は転生しないと無理。)
特に文章になるとその傾向は顕著で、パッと見た瞬間に「塊だ。」って印象を受けるくらいがまるおとしてはベストで、文字も空白部分の多い平仮名や片仮名は極力使いたくないし、親の敵と遜色のないレベルで忌まわしい句読点に関しては如何にその使用を最小限に抑えた上でこれ見よがしに言葉を詰め込んだ一文を並べ立てるかという部分でライバル意識すらある。(あと実はオマケで無駄に息継ぎさせたい。物凄く限られたシチュエーションだけれど、まるおの書いた冗長で何の中身もないこういう文章を何故かリア充が音読せざるを得なくなった時に、「長すぎて息が保たない!」とかって終盤あたりで思わず息継ぎをしてしまった瞬間に、すかさず「そこ、読点ないけど、どないしたん?」って言いたいから。)
この空白恐怖症は最早まるおの性癖の一部をも形成していて、ある種偏執的なフェティシズムの領域からそういう"埋め尽くしてる人"の文章を見ては真っ当に育ってきた人間には理解し難いであろう興奮を得ているあたりに少し難はあるのだけれど、根本的な部分では誰かに仇なすようなことは決してない人畜無害を模写したような(弱)好青年なんですよ、っていう土曜日の何と言うことはない露悪的告白。

で、って言う。


時間が余るというのは恐ろしい。
本当はkashiwa daisukeと夏のくだりについてだけで終わらせようと思っていたのに。恐ろしい。

で、って言う。


やっぱり多少の乖離はあるけれど、画質の良くない写真くらいの精度で文章はその人を表すと思う。

で、って言う。

で。



maruo44 at 22:36コメント(0)トラックバック(0)音楽。徒然。 この記事をクリップ!

2011年02月14日


まるお思うねん。
多分これ、はじめましてやろ。
わかるねん、まるおはアジアのパピヨンやさかい、ありありとわかるねん、そういうの。


今回は短めに悪態ばかりついてます。


Pay money To my Painの新譜、「ポストロックっぽくもある」という評判にイマイチ納得出来ていなかったのだけれど、The Album Leafっぽいって意味なのか、アレ。
なんかあのバンドはポストロック然としてないから得心するのに時間がかかった。


がかか、だって。


「頑張った自分にご褒美」とほぼ同じくらいの勢いで、恐ろしい程の大上段から、頑張った田中にご褒美。


バイトの帰り道を両手離しながら満面のドヤ顔で自転車漕いでたら綺麗な後ろ姿のお姉さんがいたので「ヒュー、マブいスケだぜぇ!」とか大変おチャラい感じで(心の中で)喝采を送ったら縁石にタイヤの横っ腹こすって転倒した。
人は死を意識する瞬間に直面した時、脳の処理速度が飛躍的に向上して景色がスローモーションのように流れるというけれど、全く普通の時間軸に沿って全く意識の追いつかない一瞬のうちに全く物理の法則に従順なまま転倒したので命に別状とか全くない代わりに、擦り剥いた傷が地味に痛い。
なんかまるおの人生のスケールの小ささを象徴的に見せつけられたようで辛い。


少女時代のことを「量産型BoAの群れ」とかポロっと言ったら末妹に折檻されかけた。


「謹んでご冥福をお祈りします」なんて宣う輩の殆どがその言葉に責任を丸投げして、「祈る」どころか全く「謹んで」すらいないことが、まるおはとても腹立たしい。
言葉なんてものはそもそも誰かに何かを伝える為に在るのだから、もう伝えても仕方のない人に向かってそれを"パフォーマティブに"発しようとするその根性がまず気に入らないのに、そこにあって自分の内側にある感情を表そうとするのではなく、既に在る外部にばかり寄りかかろうとするその怠惰が、最早憎悪に近いレベルで悍ましい。
そして、たった、慣用句たった一つを発することで完結してしまう貧相な感性が、ただ寂しい。
「ツツシンデゴメイフクヲオイノリシマス」って、その軽薄な呪文で好きなだけ祈ればいいよ。
その祈りはきっと、誰にも届かないから。


こう、人とちょくちょく会ってると比較的優しく穏やかな心持ちでいられるのだけれど(例えば学校がある期間なんか)、殆ど人と会うことなく一人で過ごす時間が生活の大半を占め始めると人恋しさから無性に誰かを攻撃したくなる。
愛しているが故に傷つけたくなるタイプなんですよ、まるお。


まるおが思うに、多分大学一年生あたりが一番イタい。


深夜にお風呂に入っているといつも思うのだけれど、格子のかかった真っ暗な窓に人の顔が浮かんでるって、何をされるというわけでなくてもめちゃんこ恐ろしいですよね。
一度頭にこれが思い浮かぶと恐くて仕方がなくなるので窓に背を向けて入浴するまるおですが、今度は背後でそれがニヤついてるんじゃないかとか普段怠けきってる想像力が急速に働きだしてお風呂どころじゃなくなってしまうのがここ最近です。
本当、考え得る限りではウンコしている最中に幽霊に「ガ…チャリ…」とかってドアをおもむろに(ここがミソ)開けられる、っていう最悪の事態に次いで恐ろしい。
ffffgghhyy
※トラウマ注意の参考イメージ図。を何の躊躇いもなく貼り付けるまるお。
そうですよ、入浴前のタイミングならウンコしても何の躊躇いもなくお尻を拭かずにズカズカと浴室に踏み込んで行くような男ですよ、まるおは!


心から感心するような言葉に出会っても、それに触れる以前からそれが自分の中に芽生えていないものであるのなら、自分の言葉であるように喋りたくはない。


Twitterの140字は絶妙に足りないんですよね。
何事をか言おうとして、それを一度の呟きで完結させようとすると必ず数文字ハミ出す。
150字だと丁度良いんだけどなぁ。


昨今の3DSといった世の趨勢を鑑みて思うのやけれど、もしかしてそろそろある一定の条件を整えた段階で画面に対して垂直に手とかねじ込んでいけば凛子のいる世界に入れるんと違うんか。
高校三年間、欠かすことなく数学に欠点をもらい続けた人間なので細かい理論とかは分からんのやけれど、何となく時代がそういう香りを漂わせ始めている気がする。
新たな技術の開発は、新たな時代の幕開け。
希望の朝日が、今まさに昇らんとしてるで。


その昔、目が腐り落ちるまで見ていた天テレの洋楽カバーを某つべで見てたら涙出てきた。ジャスミンにモニークに信子。まるおにとっての"当時を彩った大スター"達の姿に、塩水が止まらない。
みんな「おねいさん」だったのに、いつの間にまるおがロリコン呼ばわりされてしまうような年齢差になってしまったんだろう。


この冬は何故だかズボンがずり落ちてこなかったので、「まるおも少しは恰幅が良くなってきたのかな」とかニヤついてたら股引でウエストが水増しされてただけだった。
股引無し(ダイレクトパンツ)でズボン穿いたら普通に落ちてきたので、やっぱりギチギチのベルトが欠かせない。


いつだったかにも言ったけれど、矢張り「宿便」という言葉には中2(ダーケストピリオド)の魂(ソウル)が共鳴(ヴァイヴ)する魔力(カルマ)がある。(ちなみにこの共鳴現象を「スピリット・オーケストラ」と呼ぶ。)
まるおの脳内(インサイドパラレル)ルビは最早完全に「デスティニー・ウンコ」。
この腐敗(アルマゲダイズ)した世界(約束の大地)に産み落とされた、運命(さだめ)に導かれし宿命の大便(ウンコ)です。


ウンコについて何らかの言及を行う時、まるおは必ず体を清めてから清潔な白い着物に袖を通し、神の御前に伺候するような心持ちで言葉を紡いでいて、実はそうして発される言葉に自らの意思は殆ど介在しておらず、漏れ出ずる言葉の数々はまるおを通して神(ウンコ)が話しているものを記しているに過ぎないのです。
古来よりこのような神聖な力を持った人間は少なからず存在していたようですが、俄かには信じられない一般ピーポーの為に分かり易くヒップホップに譬えて説明すると、from直腸toフロアなレペゼン括約筋のホーリーMC、それがまるお。
で、まるおの心が、魂がライムする時、フロアは次々にスピットされるイルなバースの数々に沸き上がると、そういうわけです。


という一連の流れを受けて、世の女子たちが狂乱の騒ぎを見せるバレンタインデーと我が至宝であるウンコをこれでもかと絡めて適当に放言しようと思ったんですが、流石にそれはまるおが全く慈しむことなく放置してきた拙いモラルでも「やっちゃいけん」ということが分かったので、自重します。
それは流石にディスリスペクト程度じゃ済まない気がする。


真面目な事を書くと、恥ずかしくてフザけずにはいられないまるおって、割と可愛らしいやろ。


不可思議/wonderboy / 世界征服やめた

相対性理論の「バーモント・キッス」をトラックに詠まれる(?)詩。
スポークンワードスクラム(元になるアメリカの大会の歴史やらを前期の英文学の授業でやっていて妙にタイムリー)で優勝経験もある詩人らしく、ラップともまた違う感触で言葉が紡がれる。
ポエトリーリーディングとラップの曖昧な境目を「物語を語る」ことで揺蕩うこのスタイルは降神が先頭をひた走り続けているけれど、彼らを超える人間は未だ見たことがない。
それはこの不可思議/wonderboyも然り。
物語る、ということは、下手な力量で行おうとすると途端に語り手の言葉を陳腐なものに貶めてしまうから、やっぱり危険だな、ということを再確認してしまうだけ。(メロコアの連中がよくやって自滅してるけど)
それでもここにこうして貼り付けているのはまあ、嫌いじゃないからなのだけれど。
件の降神やら御大谷川俊太郎(!)を呼んで路上でイベントを開いたりもしているみたいで、揉まれて揉まれてまるおの理解を超える存在になって欲しいな、とか、ちょっと思う。
いればいる程楽しいじゃんか、そういう人達って。よく分からないが故にムカつきもするけど。


つまるところサブカルい女子は黒髪のロン毛かマッシュなニッチっぽい男子を記号的に愛でとるのやろう。


mixiでもTwitterでも、200だとか300だとか矢鱈とマイミクやフォロワーを増やして無軌道に膨張していく人が不思議でならない。
単純に、「誰だかよく分からない人」と(形だけでも)繋がっているなんて、気持ち悪くないのかと。
まるおなんて80人そこらでもマイミクによく知らない人が何人もいるのだから、きっとブクブクに膨れた人は知らない人ばかりなんじゃないかと勝手に妄想してしまう。
っつーか、更に正直に言うと、とても哀れにも見える。
画面上でのたった数ステップの手続きで「繋がること」を承認しただけの関係が、「繋がりたい」という欲求を極めてインスタントに満たしただけのその浅薄な関係が、着膨れした服の下に隠れたまるおみたいなガリガリの貧相な身体が、哀れに見える。


まるおは頑としてショートカットが好きや!


fara3bm
うちの父親が高校生の頃から活躍している(らしい)ストーブ。
確かに年代物くさい匂いは漂っているけれど、本当だとしたら40年は我が家系を暖め続けてきた歴戦の兵(つわもの)です。
これで右手を大火傷したりもしたけれど、その朴訥とした頼もしい佇まいと、幼い頃から聞き慣れた、いつだっていつかの冬にまるおをセンチメンタルジャーニーさせようとする彼の「灯油を飲む音」が、何だかんだで毎年一番暖かくて懐かしい。


『伊藤計劃記録』を読む。
34歳の若さで夭逝した気鋭のSF作家、なのだけれど、実はまるおは彼の著作を全く読んだことがない。
宮部みゆきや伊坂幸太郎が絶賛した才能、なんてこれまた読んだことのない有名作家達による枕詞にも食指は動かないし、言うなれば作家としての伊藤計劃には殆ど興味がない。
では何故彼のたった一冊の全集を手に取ったのかと言うと、それはまるおが彼のブログを読んでいたから。
彼の書く映画についての文章が、好きだったから。

この人の書く文章はあからさまに頭が良くて、理解出来ないことも多かったのだけれど、確実に(こと映画に関する文章は)まるおの何パーセントかを規定している。
特に『トゥモロー・ワールド』に関して書かれた「容赦ない、荒々しい存在としての映画」という記事は、ブックマークに登録して、思い出す度に読み返してる。
正直に言うと、ここに書かれていることが全て理解出来るわけではない、と言うか、ラスト近くの「この映画は見えるものと見えないものについての映画だ。」からの結論、そしてこれが「祈りである」ということは、それがどういうことであるのか、未だにしっかりとは理解出来ない。
最近になってやっと、朧げながらにも拙い経験と知識がその理解を助けるようにして意味が少し分かり始めてもいるのだけれど、「そういうことか!」という感覚には程遠い。
けれど、それでも彼の書く文章にまるおは惹き付けられる。
同記事内の「容赦なく起こってしまう場に立ち会う」ということは、きっと彼の考える映画観の一つでもあると思うし、読めば読む程に益々この映画評はまるおにとっての指標のようなものとして、価値の重みを増していく。

彼のような文章を書きたいと、素直に思う。
けれど、そう思った瞬間に、それは無理だということが何の根拠もなく確信として立ち現れる。
まるお、自分の書く文章ってあんまり好きじゃなくて、色々余計で長ったらしい上に一文に詰め込めるだけ詰め込むクセもあるから何が言いたいのかってことがはっきりしないあたり、本当に頭が悪そうで見てられない。のに、その文体から逃れられない。
そうした劣等感を伴って憧れる分、他人の書く美しい文章に対する気持ちは割と重くなりがちなのだけれど、結局、そうして恋のように焦がれる他人の文体は「真似」は出来るけれど、その人にはなれないという当たり前の現実は当たり前のように立ちはだかる。
だからまるおは、ダメなまま垂れ流す。
月並みな言い方をすれば、まるおと他者は当たり前に異なった生き物なのだから、それぞれはやっぱり配られた手持ちのカードで勝負するしかなくて、そう考えた時に、彼という存在、彼の書いた文章は、まるおにとってのカードの一枚だということに思い至る。
そこから、他でもない、まるおがどうするのか、というお話。
世の中は大体、ただ羨んでいても仕方がないように出来てる。

ここに所収されている、全体の約半分を占めるウェブに書かれた映画評は、初期のものに限って言うと、面白くない。
「読んでくれている人を映画館へ誘導すること」を目的に書かれているのだから、その殆どを既に観ていると面白くないのは当たり前と言えば当たり前なのだけれど(それでも新たな知見はボコボコ出てくる)、その最大の要因は「です・ます調」にある。
やっぱりこういうものは断定して語らないと、切れ味が途端に鈍くなってしまうものです。
という具合に。(まるお程度でこの有様ですよ)
上述した『トゥモロー・ワールド』の切れ味たるや、二三人なら殺してしまえそうな鋭さがあるものだから、その落差はチンさむどころの騒ぎではないのだけれど、それでもそれらの記事を書いたのが23歳かそこらだと言うのだから、まあやっぱりすげーなと。
中盤の『マイノリティ・リポート』からは(サイトを移したあたりかな?)まるおが見慣れた断定調の文体で「批評」に近づいており、ここからは本当に面白く読める。
特に押井守作品に絡めて述べられる言葉は情念にも近いものがあって、何か「伊藤計劃その人」を主張するようで心地良い。
質・量共に申し分のないそれら映画に関する文章の数々は、読めば読む程に「次」をもっと読みたくなるのだけれど、しかしそれは叶うべくもなく。

生き続けること、自分を更新し続けること、どうしようもないことに対峙していくこと。
もう一度、『トゥモロー・ワールド』観ようかな。春休みだし。


しかし映画『金融腐食列島 呪縛』について書かれた文章は痛快だったな。
「美大やデザイン学校に行きつつ渋谷のミニシアターに足しげく通うような「映画好き」などは、間違っても観に行かないでしょう(というのも、彼らは実は『映画』を観ていると思っているその実、単にポップカルチャーを消費しているだけだからです)。」
思わず苦笑いせずにはいられないっつーか、ね。


妹にバレンタインのチョコもらった!
めっちゃんこテンションあがる!







入浴剤巻き散らかしてお風呂に入る!



maruo44 at 01:30コメント(0)トラックバック(0)徒然。 この記事をクリップ!

2011年02月01日

つまりまるおはあの人と自分が違うということに妬みや憤りを隠せなくて、なぜ同じじゃないんだろう、ってところを出発点にモノを考えていたのだけれど、何の事はない、あの人はあちら側で、自分はこちら側だった、というだけのお話。
そんな、実にライトな当たり前。
でも、誰かにとっての当たり前はまるおにとっての辿り着き難い真理だし、まるおにとっての当たり前は誰かにとっての思いも寄らない真理。
それはきっとそうだから、恥ずかしくない。
これでもまるお、苦労したんだぞ、って。

maruo44 at 05:20コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!

2011年01月26日

まるおがアホみたいに書いていたのは、まるおが自分を切って見せるからあんたもまるおに見せろ、っていう原理に拠ってたからで、この間までは割と強めに世の中の人間はみんな他人を知りたいし自分を知って欲しい生き物だと思っていたのだけれど、最近になってやっと他人はまるおと違うんだ、っていう当たり前に気付きました。
そしたら急に体の力が抜けてきて、ちょっとラクになった。

maruo44 at 23:42コメント(0)トラックバック(0)日常。 この記事をクリップ!
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